【クラシック×モノラル=都市伝説?】
のっけから諧謔的な出だしだが、普段からモノラル録音に対する上から目線で高飛車な意見を聞き及んで、居ても立っても居られないのである。例えば何種類もあるフルトヴェングラーのリマスター盤の音質批評をするにわかマニアたちによって都市伝説化したモノラル録音への評価の数々は、モノラル録音の再生技術に対し何にも解決を見出せないどころか、モノラルで録音された演奏のもつ実存性を消し去りかねないからだ。単純にいえばリマスターの音質の優越だけを語って、演奏の実態をほとんど語らない論評が目立つ。それはかなり初歩の段階で躓いたまま、音楽に感動するということを忘れ去っているという意味で、クラシック音楽の鑑賞方法としてもかなり陰湿なルール違反だといえる。つまり、そもそも音楽を聴く目的を見失っているのだ。
さらに21世紀に入って大量にリリースされているリマスター盤のように、オリジナルのマスターテープに辿り着いて丁寧に起こされたものは、オリジナルLP盤という歴史的事物の存在をリセットして、本来の演奏の評価を深堀りするように促しているように感じる。というのも、LP原盤はカッティングする際に、カッティング名人が周波数バランスからダイナミックレンジまで家庭で聴いて最適なものに仕上げているからだ。一方で、デジタルリマスターはオリジナルテープの持っている情報を最大限に引き出すようにしているため、デジタル特有のテカテカしてのっぺりした再生音にアレルギー反応を示す人も多いだろう。これも当時の真空管アンプに存在した、高次歪み、磁気ヒステリシスなどを差し引いた音を聴いているためで、最新のデジタル録音にとっては有効なストレート&フラットな音が、モノラルでは必要以上に直接音の強い状態で展開されるためでもある。実際にはデジタル録音はマットで艶のない音であり、CDのメッキされた外観がサウンドの印象操作に加勢していると考えるのが普通である。
同じ感想はアナログ時代にも存在し、五味康祐氏が録音スタジオに見学に行った際、レコードのカッティング工程で、カッティング職人が、40Hz以下の低音と15kHz以上の高域をカットして8kHzを上げたい旨を伝えたところ、五味氏は何も味付けのない原音そのものが良いとして提案を拒否した。しかして、そのカッティングしたてのラッカー盤を聴いて、あまりの音の悪さに愕然としたと記している。味付けのないオーディオは、言葉通り味気ないのだ。
オーマンディ120枚、ドラティ31枚、アンセルメ26枚…天文学的な情報量
もうひとつ気になる点は、オーディオ批評家なり音楽評論家なりが、クラシックのモノラル録音の適切な再生方法について、ほとんど知識を備えていないことである。LPやSPなどアナログ盤の取り扱いのことではない。せっかく貴重なモノラルLP盤をモノラル・カートリッジで再生しても、その先をモノラル・スピーカーまで貫徹せずに、ステレオ録音とごちゃ混ぜにして比べるようなことをしている。その結果としてCDなどのモノラル・デジタル音源を音楽鑑賞の対象とみなさずぞんざいに扱っている、もしくはその存在そのものに沈黙を守っているともいえるだろう。新しいオーディオ機器の販売促進=オーディオ文化の更盛を願う気持ちは判るが、クラシック音楽の演奏史を万全なかたちで保存するという役目もまた、レコードを通じたオーディオ文化の正しい在り方だと思うのだ。それはただ音源が存在すればいいというだけでなく、音楽として生き生きと聞こえなければ意味がない。しかし、その大量に山積みされたリマスター音源を、どういうオーディオ機器で聴けば良いのか、ちゃんとした指針なり方法論がないと言っていい。モノラル録音を正常なバランスで再生できなくても、古い録音だから高域不足なんだとか適当に評価を下せばいい。そんなことが平然と行われているのが現状である。
ではモノラル録音が通常のHi-Fi録音として正統に扱われない理由とは何であろうか? それはステレオ録音とステレオ装置の販売促進のために、モノラル録音に対し行ってきた様々な嫌がらせ、ネガティブキャンペーンによるものだと言っていい。実に50年以上も前に行われたこの手の無駄話が、今や都市伝説として定着し覆すことができないのだ。普通に考えれば、録音された音楽が本物か偽物か問うということはおかしい。つまり電気的に記録されたファクト(事実)であって、それ以上でもそれ以下でもないのだが、ことモノラル録音については即座に偽物という烙印が押され、より新しい録音のほうが真実の音に近いという評価が定着している。
例えば、モノラル録音について、よく口コミで「モノラルなのが残念」とか「歴史的録音に音質を云々いうのはナンセンス」という言葉をよく見かける。私はこれが正統な評価とは思っていない。なぜなら演奏が良いと感じる録音であれば、それは十分に内容が伝わっている良い録音である証拠だからである。だからそれが本物か偽物かという議論よりも先に、楽曲の核心をついているかのほうがずっと大切なのだ。ところが多くのリマスター音源については、演奏の内容に先だって、従来盤と比べて音質がどう改善されたかの議論で沸騰している。これはクラシックの好きな私にとっては由々しき問題なのだ。
【モノラル・クラシックの銘品】
自宅のオーディオ環境をモノラル録音に合わせ熟成させるには、クラシックのモノラル録音のアーカイヴを構築する必要がある。このホームページ全体ではビンテージ機器の様々な計測データをアレコレ提示したが、私個人はまず色んなモノラル録音を楽しめることを第一に、どの録音でも不自然な音響にならないようオーディオ機器に少しずつ手を入れている。つまり音楽を聴かずしてオーディオ装置は存在しないのだが、その基礎となるのがモノラル録音のアーカイヴ構築なのだ。
ところが現在のモノラル録音に関する情報は、例えばレコード芸術編纂「クラシック不滅の名盤1000」を参照してもモノラル録音は全体の1割しかない。しかも名曲の名演奏ともなれば、強烈な個性のある演奏が歴史的名盤として選ばれやすいため、録音のほうも個性的と言わざるをえないものが多い。その理由の多くは、同じ楽曲なら新しい録音のほうが音質が良いという言い訳が定着し、レコード会社もカタログの入れ替えで、モノラル録音をお蔵入りにしていたものが多かったのだ。この選択肢のなかではモノラル録音を正常な状態で判断するのは非常に困難なのだ。
超名演は超個性的なサウンドのメッカでもある
クラシック録音のアーカイヴを構築するとき、作曲家毎、演奏家毎、レーベル毎と様々な切り口があるが、いわゆるディスコグラフィと勘違いすると、鑑賞の妨げになるように思う。言い方が変かもしれないが、ディスコグラフィは録音履歴を示すカタログで、それはデータで知るだけの知識だ。一方で、レコードを鑑賞するとは、時間を掛けて演奏を味わうことである。データで感動したり興奮したりする人はかなり変態であり、普通は音楽を聴いてはじめて感動するのである。特にクラシック音楽は、1曲30分~90分も掛かるものがほとんどなので、1日のうちレコード鑑賞にどれだけ時間を費やすかが、ひとつのバロメータになるだろう。毎日聴ける人もいるだろうし、休日にしか落ち着いて聴くことができない人もいるだろう。クラシック音楽はタイパの悪い時代の名残を多く背負っているのだ。
とはいえ、モノラル録音にはその時代に特有の知識が必要である。再生するオーディオ環境については上述したが、演奏家がどのレコード会社と緊密な契約関係にあったとか、演奏家自身が壮年期なのか晩年の演奏なのか、同じ作曲家でも売れる曲と売れない曲(というかコンサートで取り上げられないので楽曲の評価そのものが不明)があるとか、レコード会社の原盤もしくはテープの保存状態がどうとか、今の時代からはほとんど伺い知れない事情が、鑑賞に先立って障害となって立ちはだかるのである。なので、モノラル録音を聴くにあたっては、自分がなぜこのレコードを聴きたいのかという理由よりも、そもそも演奏家はこの楽曲を録音するにあたり、どういう芸歴を踏んで録音に挑んだのか、という理解があって対話の糸口が開ける場合も少なくない。それだけレコーディングに時間もお金も掛ったし、そこに至るまでの演奏活動も大切だった。現在のように新人アーティストがホイホイ全集録音するようなことはできなかったのだ。
私自身「音が良い」という理由でモノラル録音を選ぶことになろうとは夢にも思っていなかったが、クラシック・モノラル録音のリマスター盤に対する論評があまりにひどいので、これは何とかして歯止めをかけないといけないいけないと思い立った次第である。
以下に示すのは音質に癖が無くモノラル・オーディオのリファレンスとして間違いないCDである。1940年代末から1950年代後半までの、たった10年に満たない期間に録音された演奏だが、ステレオ録音で録り直してカタログを更新した後は忘れられた演奏も少なくない。しかし、レパートリーをみてもかなり広いこともあり、古い録音だからと有名曲の個性的な演奏に絞るなんて世知辛い考えは捨てて、様々なクラシック音楽に耳を傾けてみよう。
管弦楽編
ステレオ録音との違いを一番気にするのがオーケストラ曲だが、モノラル録音はサウンドの風格というよりは、芸風の違いのほうが浮き彫りになる傾向がある。それは戦前から活躍していた一癖も二癖もあるマエストロばかりではなく、むしろ若い中堅どころでも個性が出やすいと思えるのが面白い。 |
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ベートーヴェン3番&モーツァルト40番/トスカニーニ NBC響(1953, 50)
トスカニーニにとっては共に再録にあたり、かつての激しさばかり目立つ表情から、全てが流麗にニュートラルにまとまったファイナルアンサーのような演奏に仕上がっている。英雄はずっと単売されていたが、40番のほうはジュピターとのカップリングで旧盤のほうに人気があり、CD化に合わせてようやく日の目を見た感じ。その意味では、トスカニーニという個性よりは、作品の普遍的造形について語っている面があり、もはや論争ではなく講釈にいたっているような余裕も感じられるのだ。もうひとつはNBC響が全く安定したアンサンブルで応えているともいえ、モダンオーケストラのあるべき姿としてお手本のように存在している。 |
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ベートーヴェン「田園」/フルトヴェングラーVPO(1952)
戦前は運命と悲愴のみで知られた指揮者だったフルトヴェングラーも、戦後に行われたこのVPOとの全集チクルス(2,8番が未収録)によって、一気にベートーヴェン解釈のランドマークへと評価が変わった。英雄と第七、第九は言わずと知れたロマン派解釈の到達点で、フルトヴェングラーの代表盤でもある。
その一方であまり人気のない田園を選んだのは、まさしくこれこそ「ウィーン・フィルの田園」と呼べる特質を備えている美演だと信じて疑わないからだ。おそらくシャルクやクリップスのような生粋のウィーンっ子が振っても同じような結果になったであろうと思われるが、フルトヴェングラーが無作為の作為でそれを良しとしたことが重要なような気がする。一般的には、ワルターやベーム、あるいはE.クライバーのほうに、より能動的な造形の方向性が見出せるだろうが、そうではない純粋な血筋のみがもつ自然な情感がこの録音には横溢しているのだ。フルトヴェングラーが戦時中も必死になって護りたかったものが何かということの答えのひとつかもしれない。 |
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ベルリオーズ「幻想交響曲」/モントゥー サンフランシスコ響(1950)
モントゥーというと穏健でゆったりかまえる晩年のスタイルを思い浮かべる人も多いと思うが、この幻想は緩急自在なテンポルバート、そして急激なクレッシェンドでも鳴りっぷりのいいオケのトゥッティといい、ここまで表現を追い込んだ演奏は滅多に聴けるものではない。時節、テンポの流れがセクション毎ですれ違うことがあるが、その流れが空気を呼ぶように次のテーマに結びつくさまは、実によく練られた演奏なのだ。 |
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ボールト/イギリス管弦楽作品集
イギリス楽壇の重鎮であるサー・エードリアン・ボールトがデッカに録音したイギリス管弦楽作品集だが、一番の目玉はヴォーン・ウィリアムズの交響曲全集である。晩年の1970年代にEMIにステレオ録音したものが有名だが、モノラル時代の演奏は作曲家の存命中に進行したもので、初演に失敗した最後の9番の汚名返上に録音したときは、病床にあった作曲家が感謝の意を述べていたという。録音はデッカffrrの明晰な音質なので、あるいはEMIのような霧の掛かった音質のほうがイギリス的と思いがちだろうが、作品の古典的なスタイルを読み取るにはデッカの録音も大いに役立つことだろう。 |
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アンソニー・コリンズ/デッカ録音全集
アンソニー・コリンズはアメリカで映画音楽の作曲家としてキャリアを踏んだため、イギリス楽壇のなかではやや変わり者のような扱いを受けているが、やはりオケをドライブする能力は尋常ではない。同じようなキャリアではウィーンのコルンゴールドが居るが、こちらは作曲が本職だったので、渡米後の冷遇は知られるとおりである。A.コリンズのほうは器用貧乏のようなマルチプレイヤーで、デッカでの仕事ぶりも持ち場立場を弁えた巧さを持ち合わせている。
この録音集での聴き所はシベリウスの交響曲全集で、作曲家90歳のアニヴァーサリーイヤーにむけて録音が進められたが、当初は作曲家の知古ではない指揮者による、高音質だけが売りのキワモノ扱いされていた節があり、それは今でも評価は変わっていない。ところが今回のリマスターで改めて聴いた専門筋の話では、初稿にはあったが出版譜にはない箇所があるとかで、ちゃんと仁義は切ったうえでの全集録音であった。シベリウスの自作演奏への評価は、例えばオーマンディのようなオケをたっぷり鳴らしきるアプローチも好みで、戦中からテレフンケン製Hi-Fiラジオから聴こえてくる自作の演奏で良かったと思うときには、手紙で祝福の言葉を贈るなど、田舎生活のなかでも国際的な立場を保っていられる術を備えていた。おそらくこのLP盤も1951年に寄贈されたフィリップス製のラジオ電蓄で楽しんだことだろう。 |
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クーベリック シカゴ響/マーキュリー録音集
不遇のうちに終わったかのようなクーベリックのシカゴ時代だが、なかなかどうして、青白く燃え上がるプロパンガスのように、燃焼温度の高い演奏を繰り広げている。やや受け止め難いのはマーキュリーの高音質録音が、リミッターなど全く使わない広いダイナミックレンジで収録されているため、それなりにタフなオーディオ装置でないと、小音量は聞こえ辛く、大音量では音が割れてしまうという憂き目にあう。
個人的に好きなのはチャイコフスキー悲愴で、標題につられて鬱積したロマンティシズムを展開する演奏の多いなかで、この交響曲がひとりの人生におこりえる栄枯盛衰をドラマチックに展開している、自伝的小説のような建付けになっていることが判る。 |
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スメタナ「わが祖国」/ターリッヒ チェコフィル
チェコフィルの黄金時代を築いた第一人者の演奏で、長らく規範とされた解釈でも知られる。ともかくあのニキシュの薫陶を直接受けた数少ない指揮者のひとりでもあり、国民楽派という枠組みに囚われないオケの安定度は比類ない。チェコフィルの中域にたっぷり詰まった蜜の味が出てくるようならシメタモノである。 |
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チャイコフスキーSym.4&6、ドヴォルザーク チェロ協奏曲、シューマンSym.4/アーベントロート ライプチヒ放送響(1949-56)
このCDの収録順序で、ドヴォコン、チャイコ4と、アーベントロートの演奏のなかではややマイナーな楽曲を先に選んでいるが、それは今回のリマスターのなかで発掘された成果であることは間違いない。それは冷戦における不遇を嘆くような暗雲立ち込めるようなものではなく、むしろライプチヒ放送響がバイエルン放送響やケルン放送響と並ぶか、それ以上のヴィルトゥオーゾ・オーケストラとしての側面を十全に発揮しているからだ。
ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、これまた渋いヘルシャーを迎えての純ドイツ産のカッチリした演奏だと予想したが、もちろんボヘミアの郷愁なんてものはないものの、戦略を練ったうえで大きく到着点を見据えた流麗なメロディーの扱いに加え、重い甲冑を着てなお衰えない突進力というべきその勢いに終始圧される感じだ。東ドイツのオケだから渋いという思い込みはさっさと捨てて、演奏そのものに集中して聴くべきである。
チャイコフスキー4番では、アレグロに移ったときにテンポを落とさずなんて安全運転をせずに、さらにアクセルを踏んで畳み掛けるギリギリのラインを攻めてくる。それがラプソディー風のこの楽曲の本質をとらえているのだからやはり只者ではない。マーラーの世紀を乗り越えた今だからこそ聴くべき演奏である。 |
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ドボルザーク8番&フランク/レーマン バンベルク響
モノラル時代の中堅ドイツ人指揮者といえば、ヨッフム、カイルベルト、S=イッセルシュテット、ミュンヒンガーなどの名が挙がるが、いずれもステレオ期によく知られたレコードがあり覚えられているが、モノラル録音しかないレーマンはかなり地味な存在である。しかし、ここでのバンベルク響を振ったドボルザークは、第一声から渋みのある音色ではじまり、まだプラハから生還したばかりのドイツ移民の思いの強さを感じる。それは失った市民権を再建しようとする復興への希望であり、ドボルザークが願って止まなかった自主独立した市民社会の普遍的な価値観でもある。 |
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バルトーク「管弦楽のための協奏曲」/フリッチャイ RIAS響(DG)
初演がアメリカの作品だけあって、同じハンガリー系のライナーやショルティがシカゴ響を振ったステレオでの名演が続く本作のなかにあって、ドイツ系オケを振ったこの録音は長らく忘れられた存在だった。しかし最終楽章の筋肉質な機能性を聴くと、マッシブな響きや正確なパッセージだけでは語り尽くせない、もっと根源的なバーバリズムの血沸き肉躍る饗宴が繰り広げられる。低弦のリズムのアクセントがきっちり出ないと、この面白さは判りづらい。 |
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シェルヘン/北西ドイツ・フィル:レーガー管弦楽曲集(1960)
シェルヘンが1959年から2年間だけ音楽監督を務めた時代の録音で、驚くほど鮮明な音で録られているのにモノラルという変わり種である。どうやらラジオ・ブレーメンの委託で録音されたらしく、同時期のセッションで独Wergoからシェーンベルク「期待」などがリリースされている。ここでのシェルヘンはあまり爆発せずまじめに取り組んでおり、CPOレーベルのお眼鏡にかなっただけの内容を備えている。フリッチャイ/RIAS響の録音にも言えるが、モノラル録音というだけでレコード化が見送られた放送録音が結構あるのだと思わされる。 |
協奏曲編
最近のデジタル録音のようにオーケストラの中に孤立するような感じではなく、ソリストを前面に押し出すように収録されるのがモノラルの特徴である。一方でオーケストラのサウンドもしっかり出そうとすると、システム全体の拡声能力が高くないといただけない。なので個々の楽器の特徴が捉えられるようにサウンドを整えるのが最初の一歩で、さらに踏み込んでオーケストラの音に広がりが出るまで調整するのがグレードアップの方向性となる。 |
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ハイフェッツ超絶技巧名演集
題目だけでは判りにくいが、戦後のHi-Fi初期にオーケストラ伴奏つきバイオリン独奏曲を集めたもので、ツィゴイネルワイゼン、詩曲、序奏とロンドカプリチオーソなど、かつてはコンサートの花形だったレパートリーを弾きまくるというもの。結局、ハイフェッツとてこの時期の自分を越えることのできないという思いの込められたセッションとなっているが、その後も10年以上に渡り多くの名演奏を残したこと自体脅威でもある。20世紀バイオリン演奏の一種のランドマークともいえるべき録音と考えていいだろう。 |
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ブラームス:P協奏曲1番/バックハウス&ベーム VPO
同じウィーンフィルのデッカ録音でも、ワルターやC.クラウスなどと比べてみると、指揮者に要求に応えるウィーンフィルの柔軟性がよく判ると思う。ベームとのブラームスはグラモフォンでの協奏曲2番の録音が有名だが、ここでの筋肉質で柔軟な音楽運びは、働き盛りのベームの姿が刻印されている。同様のインテンポながらきっちり楷書で決めた交響曲3番も結構好きだが、負けず劣らずシンフォニックなのにピアノとのバランスが難しいピアノ協奏曲1番での中身のぎっしり詰まったボリューム感がたまらない。
バックハウスもステレオ収録の協奏曲2番が唯一無二の演奏のように崇められるが、賢明にもルービンシュタイン&メータ盤の枯山水のようになることは避けたと思われる。この楽曲自体がブレンデルをして、リストの弟子たちが広めたと断言するほど真のヴィルトゥオーゾを要求するし、バックハウスもまたその位牌を引き継ぐ思い入れの深い演奏と感じられる。
蛇足ながら、このCDも鳴らしにくい録音のひとつで、SACDにもならず千円ポッキリのバジェットプライスゆえの低い評価がずっとつきまとっている。一方で、こうした録音を地に足のついた音で響かせ、なおかつ躍動的に再生するのが、モノラル機器の本来の目標でもある。ただドイツ的という以上のバランス感覚で調整してみることを勧める。 |
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モーツァルトP協奏曲9番&23番/ハスキル&ザッヒャー
まるで天使の奏でるハープのように軽やかで天衣無為な指使いが特徴の聖女ハスキルの名演である。唯一のステレオ録音となったマルケヴィッチ盤のほうが有名だが、このモノラルでのセッションも捨てがたい。ザッヒャーの小回りの利く指揮ぶりが効を奏して、そして何よりもウィーン響のギャラントな風情が作品にぴったり寄り添っている。 |
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モーツァルト/ホルン協奏曲:デニス・ブレイン(1953-54)
昔からよく知られた名盤のひとつで、バルブ式ホルンでの問題点を一気にクリアし、天衣無為に天上の音楽に仕上げた点がすばらしい。おそらくプロデューサーのレッグの演出も含まれているのだろうと思うが、カラヤンも出しゃばらずに室内楽風にまとめ上げており、むしろブレインが一団員としても活躍していたフィルハーモニア管との完璧なアンサンブルが功を奏している。結果として牧神とヴィーナスの戯れるバロック絵画のような趣があり、そこを上品にかわすキューピットの茶目っ気まで感じられる演奏となった。 |
室内楽・独奏曲編
ラッパ吹き込みの時代からクラシック録音の花形は、オーケストラではなく室内楽と独奏曲であった。戦後のHi-Fi期は、まだ時代的に地続きだった後期ロマン派からモダンな新古典主義の楽曲に良い演奏が残されているのはもちろんのこと、現在ではあまり顧みられないマイナーな現代曲も結構多く収録された。こうしてみると幅広いレパートリーを持っていたことが判る。 |
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フランク&フォーレ:バイオリン・ソナタ/ボベスコ&ゲンティ
デッカの抱えるバイオリニストは、リッチ、フェラス、エルマン、カンポーリといずれも美音揃いの選り取り見取りだが、まだうら若い頃のボベスコの奏でる音は、線が細いが妖艶で、とかく印象派のように捉えがちなフランスの室内楽曲に、アールヌーヴォーのような儚いがふくよかな造形を与えているように思う。これもデッカffrrとの思い込みで聴き始めると、高音の鮮明さだけを追いかけて、中音域の艶やかなボディラインを見失ってしまうところだ。一肌の温もりといったほうが良いだろうか。ちょうどジャケ絵のように、中年男の色欲を軽くいなすような感覚が伝わると上出来である。 |
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グリュミオー初期録音集
フランコ=ベルギー派の伝統を一手に担ったようなグリュミオーだが、若い時の録音はハスキルとの共演以外はなかなか聴く機会がない。ここでの演奏は老練といっていいほど弾き込まれた表現で、同じテイストならばステレオ録音をとなってしまうだろう。モノラル録音としては比較的鳴らしやすいもののひとつなので、機会があれば聴いてみて欲しい。 |
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モーツァルト&ブラームス「クラリネット五重奏曲」
ウラッハ&ウィーン・コンチェルトハウスSQ
天真爛漫なモーツァルトで巧さを発揮するウラッハだが、やはり白眉はブラームスでの陰りのある表現だろう。どちらかというと、他のクラリネット奏者は艶やかな紅一点の存在を示すのだが、影の深さで存在感を示せたのはウラッハのみだと思う。録音技術の進展にも関わらず、味わい深さだけは奏者の持ち味が生きてくる好例である。 |
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ショスタコーヴィチ&プロコフィエフ チェロ・ソナタ
ロストロポーヴィチ/作曲家&リヒテル(1956)
ショスタコーヴィチは28歳のときの若い頃の、プロコフィエフは59歳の晩年の作品で、どちらもソ連を代表する作曲家の比較的マイナーな曲だが、純粋な器楽曲としてよくまとめられた内容をもっている。ともかくショスタコーヴィチの透徹したピアノ伴奏が作品のモダニズムをうまく表出しており、限られた構成でもシンフォニックな味わいと陰鬱な感情とのバランスが完璧に取れている。プロコフィエフのほうは、童話を孫に読んできかせるような優しい表情が印象的で、雪解け期の情況を反映しているように思える。昔に海賊盤LPで聴いて印象に残ってた録音だが、1990年に正規盤としてCDで出たのを購入したが音質の差は歴然としている。 |
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ジュリアード弦楽四重奏団/初期録音集(1949-56)
演奏論としての新即物主義は大いに議論されたが、楽曲としての新即物主義というのはかなりナゾめいている。現代曲の演奏のためにジュリアード音楽院の同士で設立された四重奏団だが、実は第二次世界大戦を契機にアメリカに亡命してきた、ストラヴィンスキー、シェーンベルク、バルトーク、ヒンデミットなど、戦前のモダニズム作曲家に触発された、アメリカ人の新古典主義の作曲家たちをターゲットにしていた。後にこの四重奏団は、18世紀の古典作品も同列で扱うことで、レコードの世界では新即物主義の先陣を切るようになったのだが、活動範囲の拡充とは反比例して、ここに紹介された作品のほとんどは再録音されることなく済ましており、モノラル録音であることも災いしてレコードとしてほとんど顧みられることがなかった。活動75周年を記念してのアンソロジーの発売となったが、ジャズLP風のオリジナル・ジャケットといい、クラシック作品のなかではマイナーリーグ扱いのアメリカ楽壇の目指したものを懐古するのもいいだろう。 |
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イタリア四重奏団 EMI録音集(1946-59)
イタリア四重奏団というと、フィリップス時代の円熟した古典音楽の演奏を思い浮かべるが、戦後に結成した当時はモダニズム作品を多く演奏していた。ここではウィーン古典派の定番作品に加え、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、マリピエロ、ミヨーなどの新古典主義の作品や、その元となったヴェネツィア楽派のG.ガブリエリ、A.スカルラッティ、ガルッピなども交えての幅広いジャンル形成をしている。意外に聴きどころなのが、ドビュッシーとラヴェルの弦楽四重奏曲で、ラテン的に明晰なラインを画きながら、次世代の新古典派作品と結びつけている点は、この時代の演奏でないと聴けない持ち味だ。 |
オペラ・教会音楽編
LP時代にはいってこぞって録音されたのがオペラ全曲盤である。ただし総数でみると実際の上演をライブ放送したもののほうが、内容もレパートリーも充実しているように思われる。そのことが判明したのは、1950年代のライブ録音が50年間のレコードアーチスト契約から自由放免になったからで、21世紀になって大量のラジオ放送音源が放出される事態に至っている。ただし玉石混交の放送用音源に比べると、安定した音質のスタジオ録音のほうが間違いないのも事実である。 |
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レハール 喜歌劇メリーウィドウ/シュヴァルツコップ クンツ アッカーマン指揮 フィルハーモニア管(1953)
モノラル録音でのオペラは、ともすると面白みに欠けるものだが、この録音は劇場の再現というよりは、一種のラジオドラマのように仕立てた点で好感の持てるもの。シュヴァルツコップが夫君のレッグをそそのかして作らせたのではないか、と思えるほど、通好みの面白い配役である。指揮者、歌手共にドイツでオペレッタ経験の豊富な人を集めて見事なアンサンブルを展開しているなかで、そこにロシア系のニコライ・ゲッダを伊達男に起用するなど、遊び心も忘れない心憎さ。録音後の打ち上げまで想像したくなる楽しさに満ちている。 |
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カラス コロラトゥーラ・オペラ・アリア集(1954)
並み居るカラスのEMI録音のうち何を選ぼうかと悩むのだが、個人的にはガラ・コンサート的なものが、純粋に歌唱を楽しむ意味で好きだ。それもやや大味な本場イタリアの歌劇場での収録よりは、フィルハーモニアのように小粒でも伴奏オケに徹したほうが聞きやすい。ここでは戦前の録音を良く知るレッグ氏の良識がうまく機能した感じだ。本盤の収録曲は、リリコとコロラトゥーラのアリアを、カラスのドラマティックな個性で貫いた非常に燃焼度の高いもの。これが全曲盤の中だと役どころのバランスを失いひとり浮いてしまうところだが、単独のアリアなので全力投球しても問題ない。老練なセラフィンのオケ判が華を添える。 |
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ケンペ/ドレスデン国立歌劇場:ウェーバー「魔弾の射手」(1951)
再建してまもないドレスデン歌劇場でのウェーバー没後125周年を記念してMDR(中部ドイツ放送)によるセッション録音で、遠巻きのオケを背景に近接マイクの歌手陣が演じるという、まさにラジオ的なバランスの録音なのだが、鮮明に録られた音はこの時代のオペラ録音でも1、2を争う出来である。1948年から若くして老舗オペラハウスの音楽監督に就任したケンペは、このオペラ・シリーズの録音を通じて世界的に知られるようになり、その後のキャリアを築くことになる。1970年代に同楽団と収録したR.シュトラウス作品集における知情のバランスに長けたスタイルは、既にこの時期に完成しており、ベートーヴェン「フィデリオ」に比べ録音機会に恵まれない初期ロマン派オペラの傑作を、ワーグナー~R.シュトラウスへと続くドイツ・オペラ史の正統な位置に導くことに成功している。よく考えると、前任のライナー、F.ブッシュ、ベームなど、既に新即物主義の指揮者によって下地は十分にあったわけで、そのなかでR.シュトラウスの新作オペラを取り込んでいくアンサンブルを保持していたともいえよう。綴じ込みのブックレットが豪華で、ウェーバーの生前に起草された舞台演出の設定資料など、百聞は一見にしかずの豊富なカラー図版を惜しみなく盛り込んでいる。 |
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ワーグナー:パルジファル/クナッパーツブッシュ&バイロイト祝祭o
1951年のバイロイト音楽祭再開の録音で、ゲネプロ中心にライブ収録を織り交ぜている。1962年のステレオ盤のほうが超有名で、この録音は長らく存在さえ知られなかったが、最近になってマイスタージンガーやフィデリオなどと並行して見直されるようになった。同じ年のフルヴェン第九がゲネプロかライブかの論争で半世紀を有したが、カルショーはライブ4~5回+ゲネプロ2回と正直に答えている。
この録音にはさらに伝説があって、音楽祭の専属録音権を取得したEMIが、デッカの録音テープを聴いてその高音質なことに驚愕して、あわてて同じマイクを取り寄せたが、デッカがオケ蓋上に隠しマイクを忍ばせてミックスしたのに気付かず差が埋まらなかったという。演出面で揉めたカラヤンの撤収も重なり、EMIのほうは翌年には早々に撤退して、この時期のバイロイト・ライブは長らくお蔵入りになった。
演奏のほうは、ゲルマン的な神秘性というよりラテン的明晰さをもっており、後にC.クラウスがシェフを務めた指輪に通じる雰囲気をもっている。それがデッカの鮮明な録音とも相まって、クナ将軍のキャラに見合わない(深みや重厚さに欠ける)という下馬評が付いて回ったが、時代も一巡して1950年代のヴィーラント・ワーグナーの演出が評価されるようになったというべきだろう。むしろスコアを見透かすような繊細なオケのサポートに耳を傾けると、クナ自身が「まだよく練られていない」と録音を渋ったレベルが高水準極まりないことも判ろう。1962年盤はそうしたコダワリを超然と捨て去ったところに勝機があったのかと思うくらいである。 |
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バッハ/オルガン曲全集:ヴァルヒャ(1947-52)
ディストラーなどによるバロック様式のオルガン研究と並行して行われた録音だが、当時すでに実用段階にあったマグネトフォンを使用しており、最初期の1947年からかなり良好な音質でバロック・オルガンの音色が聴ける。一方で演奏は、ロマンチックな傾向に戻ったステレオ再録に比べ、小オルガンを中心としたずっと引き締まった新即物主義の傾向を示す。現在の考え方からすれば、アーティキュレーションも直線的であるが、一時期のドイツ的なバッハ演奏の典型として記憶されていいと思う。 |
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ブラームス ドイツ・レクイエム/レーマン ベルリンフィル 聖ヘドヴィヒ大聖堂聖歌隊(1955)
フリッツ・レーマンは戦後のグラモンフォンで幾つかの録音を残した中堅指揮者だが、ここでのブラームスの繊細な合唱の扱いは、現在においてもなかなか出せない演奏である。オーディオ装置によっては、ピアニッシモの音に反応できず、遠い彼岸で鳴り響いているかのように聞こえるかもしれないが、真のアキュレートな再生能力が問われる録音でもある。
同時期のカラヤン/ウィーンフィル、ワルター/ニューヨークフィルと比べても、テンポが安定して誇張がないのに、何もかもが自然に在るべきところに配置されている。オケが室内楽的に緊密にコントロールされているのに、大構成の合唱のパースペクティブが広く捉えられている点でも、そもそもの実演でのバランスが整っていたことが伺える。
この演奏でやや残念なのが、5楽章までの死にゆく人への慰めに関する共感が強いのに対し、6楽章以降の死に対する勝利にいたると、急に興ざめしたように空回りするところである。ところがよく考えてほしいのは、1955年当時でまだ先も見えないベルリンの状況は、死を乗り越えて未来を見ることよりも、何とか今を生きて将来に結び付けることのほうが大事だったように思える。その道半ばで倒れる人への思いやりはあっても、死に打ち勝つことには意味が見いだせない状況だったのだ。それは全世界の終末のときであって今ではない。瓦礫と化したベルリンの街で生きる人々の踏ん張りが、暗黙の了解のように演奏に出ているように思えるのだ。 |
【驚愕的な物量で押し倒すCD-BOX】
以下は欲望の赴くままに購入したモノラルBOXである。この手のものはコレクター商品で、中古レコードで散々探した後に、お宝発見とばかりに自慢の品として持っているものだ。かつてレコ芸でも購読者を交えたレア盤の特集号を一度だけやったような記憶があるが、こんな珍盤もあるのかと色々と想像を膨らましていたものだ。で、そんな凄腕コレクターの修羅場をあっけなく解放してしまったのが、この手の記念CD-BOXである。しかし悲しいかな、評判のほうがイマイチなのは、おそらくCDに繋げている新しいオーディオ・システムで聴くと音が薄っぺらいのと、1枚1枚悩みながら(煩悩に操られて?)買ったLP盤に比べ、天文学的な情報量が一気に押し寄せて、1曲1曲を吟味して聴く余裕のないまま整理がつかないというのが本音なのではないかと思える。
昔クラシック初心者向けというか子供の教育資材として、「クラシック名曲全集」とかいうBOXセットが日本コロムビアやビクター、キングなどから販売されていて、ステレオを買った家にはオマケで必ず置いてあった。名曲全集のようなBOX物は、クラシック音楽のエッセンスを正しく知ってもらうための系統的な選曲がなされていた。しかし以下のコレクター商品は、レーベルが揃えた多様性溢れる演奏家を誇示することに収斂されているため、本来のクラシック音楽全体を眺望する作品カタログの役割は果たしていない。なので各演奏家と作品のプロフィールを整理して、1枚1枚にクローズアップして鑑賞することを拒んでいるのだと思う。これは(自分の物欲も含め…)何とも御しがたいCD-BOXである。
【煩悩①】デッカ・モノラルCD-BOX(2015年、53枚)
実はこのBOXセット発売当時の私は、デッカの音質にトラウマを抱えたままだったので、気にはなったが18,000円と高価(とはいえ1枚400円を切る破格値)だったこともあり購入をパスしていた。ようやくそのトラウマも晴れて遅まきながら手に入れた次第だ。LP初期はEP盤(25cm)のものも多く、CD53枚とはいえ実質100枚近いボリュームとなる。箱を開いてみると、モダンな多色刷りの艶やかなオリジナルジャケで埋め尽くされており、我ながらおもちゃ箱をひっくり返した子供のような気分だ。
デッカのffrr時代というのは、ロンドンの地場産業という以上に広範な活動範囲を誇る。戦後になってヨーロッパ各地に録音に出かけ、クラシックのレパートリーが急激に膨らんだのも、高音質録音での収録を武器に交渉がスムーズに進んだからと思われる。
一方で、あまりに急いで録音するあまり、一人のマエストロに収斂して全集になるまでじっくり待つことができず、つまみ食いでLPを製造していた傾向がある。例えばベト全やブラ全という交響曲の必須レパートリーは、指揮者毎でみると見事な虫食い状態で一貫性がないので集めるのに苦労する。こうした悪癖はステレオ時代に収まるが、モノラル時代のレーベルがもつポリシーを判りにくくしているように感じる。とはいえ、行き当たりばったりで掴んだ幸運の数々は、デッカを一流のクラシック・レーベルへと育て上げるのであった。
しかし8割方は、録音の存在も知らなかったばかりか、初めて聴く楽曲もあったりで、単独じゃ絶対買わないだろうと思うものがほとんどだ。そういう意味では、並み居るアーティストBOXを購入しても、なお喰い足りない超マニア向けの商品とみた。このためロマン派以降の管弦楽曲が結構な量を占め、交響曲は10本の指にとどまるのも、一般のクラシックファンには触手が伸びにくい。ただし音質を聴く限りちゃんとリマスターされたものばかりで、ただの詰め込み商品でもないところが凄いというか恐れ入ったというべきか。ここでは幅広い演目なかから比較すると面白いものをピックアップして、ffrr時代のデッカの少し斜め上をいく志向について考えてみた。
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プーランク:牝鹿/デゾルミエール&パリ音楽院o
オネゲル:典礼風/デンツラー&パリ音楽院o
デッカのフランス物といえば、アンセルメが一手に引き受けていた印象があるが、ffrr時代にはパリ音楽院oを中心に幅広い指揮者を記録していた。この2曲はフランス六人組の管弦楽曲を作曲家に近しい指揮者に振らせたという好企画で、フランス風のエスプリなんて簡単に片づけられないぎっしり中身の詰まった演奏である。
デゾルミエールは、ディアギレフのロシアバレエ団での演奏経験のある人で、同バレエ団と関係のあるモントゥー、アンセルメ、マルケヴィッチのいずれも、シンフォニックで恰幅の良い演奏を志向するのに対し、お尻の切れあがった見事なステップを披露してくれる。それはプレートル盤と比べても同様の感想を抱く。LP時代に購入したときはイベールの喜遊曲のカップリングだったが、これもサティのパレードと並んで面白い曲だった。
オネゲルの終末論的な楽曲は、ミュンシュの熱気溢れた演奏がよく知られるが、デンツラーの指揮はもっと精緻で作品のポリフォニックな絡みを明瞭に表出している。スイスの片田舎の指揮者のように見られがちだが、同じスイスには現代曲のメッカのひとつ、ザッヒャー/バーゼル室内管などがあり、その伝統のなかにしっかり組み込まれている。 |
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ベートーヴェン:田園/E.クライバー&ロンドンフィル
プロコフィエフ:3つのオレンジへの恋/ボールト&ロンドンフィル
デッカが本来の拠点にしていたロンドンフィルでの録音は、当時としては国際的な名声のなかったこのオケの多彩な活動を記録している。
クライバー親父の田園は再録したACOではないというのがマニアックだが、ここでしか聴けないということでの選択だったとみた。演奏はロンドン風の平坦なオルガンのような響きから一皮むけたキビキビしたもので、トスカニーニやワルターとは味わいの異なる、すこぶるスタンダードな演奏に仕上がっている。そもそもロンドンフィルはベートーヴェンに第九を委嘱した経歴をもつ欧州でも長い伝統をもつオケだが、その名に恥じない演奏だと思う。
プロコフィエフを指揮したボールトは、近現代イギリス音楽のエキスパートという感じにみられているが、そのベースにあるのはニキシュ譲りの適格なスコアリーディングである。その意味では同じロンドンを拠点にしていたビーチャムとは正反対の性格で、やや好き嫌いの激しいビーチャム卿のハチャメチャな言動のなか、黙々と仕事をこなしていく職人気質がここにはみられる。それは同じ気質のエルガーだけでなく、オカルト好きなホルスト、冒険家気取りのヴォーン=ウィリアムズの作品を演奏する際にも、平等に発揮される美質である。 |
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パガニーニ:Vn協奏曲1&2/リッチ&コリンズ
エルガー:Vn協奏曲/カンポーリ&ボールト
リッチはカルフォルニア出身、カンポーリはロンドン育ちと、いずれも英語圏においてイタリア系移民として育った。ヨアヒム~アウアー派だのフランコ=ベルギー派だのと、血筋に厳しいバイオリニストの世界にあっては異色のキャリアに見えるが、結果はみての通りである。これを録音したデッカに感謝せねばなるまい。
リッチは史上初のパガニーニのカプリース全曲を録音した神童で、ここでのコンチェルトでも持前の美音と的確なテクニック(老年になるまで全く衰えなかった)を何の衒いもなく披露している。アンソニー・コリンズのややオーバー・ジェスチャーな伴奏も花を添えている。
カンポーリのエルガーは、伴奏にボールトを控えた万全な備えで、このシンフォニックで長尺な作品に対し、入念に音を紡いで飽きさせることがない。一世代若いリッチやフェラスに比べ華やかさはないが、年少の頃にネリー・メルバやクララ・バットと演奏旅行に随行したというサロン風のマナーは、もっと古いエルマンなどに通じるものでもある。 |
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ベートーヴェン:ピアノ・ソナタNo.29、No.26/グルダ
グラナドス:ゴイエカス/マガロフ
モノラル録音で鬼門とされるピアノ独奏だが、これはマイク1本だけだとピアノのパースペクティブが捕らえにくいということもあるかもしれないが、一番大きな問題はモノラル期の録音では高域のパルス成分をノイズと見なしていたので、ステレオスピーカーの欲する音とタイミングが噛み合わないということだろうと思う。
ここでの課題はもうひとつあって、スタインウェイかベーゼンドルファーかの音色の違いで、演奏の質感もかなり影響を受けると感じる点である。例えばウィーン録音のグルダNo.29はベーゼンドルファーで、木質の響きとカマボコ型で冴えない音の紙一重である。続けてNo.26はジュネーヴ録音で、マガロフのゴイエカスと合わせてスタインウェイの煌びやかな音で収録されている。おそらくグルダの最初のベト全でそこまで気にする人はいないと思うが、小ソナタのNo.26のほうが威勢がいいのは、明らかに楽器の違いである。ただし、これがグルダの本意だったかといえば別のような気がする。それはウィーン三羽カラスのもつウィーン風の人懐っこさにも通じるものであり、ベートーヴェンも日課として散歩し、シューベルトが家庭音楽会を催してた、等身大の作曲家の姿だろうと思われる。
同じスタインウェイでも、グルダとマガロフではピアニストの芸風がかなり違っており、打鍵の鮮明さやカラフルな音色の変化は、ジャケ絵のようにマガロフのほうが数段上である。これにベーゼンドルファー弾きとして知られるバックハウス(例えばブラームスP協1番とか)を交えると、ベーゼンドルファーの真価は、本来は強靭なタッチを誇るリスト派のためのものであった感じもする。その違いも若いグルダの芸風として記録されているのだ。 |
【煩悩②】ドイツグラモフォン・モノラルCD-BOX(2016年、51枚)
ドイツグラモフォンは、今でこそクラシック専門レーベルのなかで燦然と輝く名門だが、モノラル期はくじ運の悪いマイナーレーベルだったと思う。第二次大戦前は戦争賠償金と世界恐慌のダブルパンチでレコード業界そのものが振るわず、さらに戦後まもない時期はナチスとの関係で霹靂としていたドイツ国内のアーチストしか扱えない弱小レーベルに成り下がっていた。そんな悪口を叩くのも、初期盤の盤質の悪さは折り紙付きだし、ステレオ期に比べ再発される機会が極端に少ないし、演奏者自体もよく分からない人の多いことが理由としてある。それと黄色帯の共通ジャケが、どれがどれだか見分けがつきにくいというのもあって、並べてみても全然面白くない。
あとで振り返ってみると、当時はFMモノラル放送がドイツ国内に張り巡らされ、ほとんどのドイツ人はレコードなど買わずとも、国内アーチストのライブ演奏を高音質で聴けたのだった。残念なことにその音質が明らかになるのは21世紀に入ってのことだったが、それとは別な形でレコードのもつ記録することの大切さを噛みしめながらセッションを重ねていった独グラモフォンの歩みは、ドイツ楽壇の再興を願う何か執念のようなものを感じる。
さて、モノラル時代のグラモフォンの録音は、新設されたFM放送局の付属オーケストラを振るフリッチャイやマルケヴィッチなどが新しい時代を牽引するメジャーリーグなら、旧帝国劇場を振るフルトヴェングラーやベームなどはマイナーリーグ降格のような様相で、それは録音の鮮度などから与えられた機材まで違うと感じ取れるようなペナルティが課せられていた。オケの格式からいうと今とはまったく逆の評価が恣意的に演出されていたのだ。このため、微妙なのは旧帝国劇場のオケを任されたヨッフムやレーマン、ライトナーなどの中堅指揮者で、いかにもHi-Fi録音でのカタログ補充を担ったサラリーマン的な様相の仕事ぶりも多く残されている。
しかし、今改めて聴いてみると、この地産地消に限定したともいえる地酒のような味わいが、脚色のないドキュメンタリータッチで残されたこと自体が、この時代のグラモフォンの味わいだと言えば褒めすぎだろうか? 戦後の焼野原と化した都市を眺めながら、クラシック音楽のなかにある形のないドイツ的なものを再構築する作業は、デジタル化されて後も聴く側が造形的に音響を整えながら挑んで初めて、心の中に芽生えるある種の感情と向き合うことができるように思う。それは当時のクラシック演奏家が抱えたトラウマであり、単なる作品の再現ではなく、人の生き様のようなものと接する機会でもあるはずだ。
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シューベルト:グレート/フルトヴェングラー&ベルリンフィル(1951)
ブラームス:第2番/ベーム&ベルリンフィル(1956)
戦後まもないベルリンフィルはDG以外での録音機会がさっぱり失われて、新設されたRIAS響と比べても士農工商の下位に甘んじる状況だった。フルトヴェングラーにしてもアルバム2枚を残すのがやっとで、カラヤンに政権が移った後もDGでのセッションは御無沙汰のまま、御主人がウィーン国立歌劇場との掛け持ち(浮気?)が決まると、ステレオ期になるまで当時若手のヨッフムやレーマンを起用してモノラルLPのカタログ更新の手助けをしていた。そんな中、ベームが同じ憂き目にあって録音に挑んだのがこのブラームスである。その後もベームとベルリンフィルの関係は続き、R.シュトラウスの管弦楽曲集、モーツァルトとシューベルトの交響曲全集など、カラヤンがまだ手付かずだった分野を開拓していく産婆さんのような役割を果たしていったが、モノラル期となると、フルヴェン、ベームともにウィーンフィルとのセッションがディスコグラフィの中心を占めるようになる。
そのマイナーリーグに降格したような寂れたセッションと思いきや、やはりベルリンフィルもかつての帝国指揮者を迎えてともなると、シャキッと襟を正した演奏にならざるを得ない。そして何と言っても、この時期のベルリンフィルの野趣あふれたサウンドである。ぶっきらぼうだけど渋い役柄を演じた高倉健さんのように、一言に込められた表情の奥行きの深さに魅了されるのだ。オマケのようなハイドン、レーガー共に恰幅の良い名演であり、ぜひ陰影あるモノラル・システムを構築して味わってもらいたい。 |
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リスト:ピアノ協奏曲1&2番+ラフマニノフ2番/フォルデシュ(1953,54)
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲1&2番/チェルカスキー(1955)
レオポルド・ルートヴィッヒ&ベルリンフィル
惑うことなきヴィルトゥオーゾ作品の頂点に立つ協奏曲群だが、どちらの曲もリヒテルによるステレオ録音が決定盤として君臨しているため、ベルリンフィルが壮年期のピアニストを迎えてのこのセッションは全く忘れられてしまっている。どちらかというとバルトークなど現代物を得意としていたフォルデシュのほうがアッチェレラントを大胆にかけたロマンチックな演奏なのに対し、晩年にホフマン譲りのヴィルトゥオーゾの至芸を披露したチェルカスキーのほうが、テンポを一定に保ったゆったりとした演奏をしているのが面白い。
モラヴィア出身のレオポルド・ルートヴィッヒは、ウィーンからベルリンの歌劇場でカペルマイスターを歴任するなど、どちらかというと劇場育ちの人だが、実はこの録音の聴きどころは、ソリストに合わせた機転の利くオケのドライブ能力にある。そこにフルトヴェングラー時代のベルリンフィルの骨太で柔軟なアンサンブルを見出すのはたやすいことだ。聴き方によってはチャイコフスキー1番のサウンドはカラヤン寄りだと意地悪な感想もあるかと思うが、2番での最初からフルアクセルで超ロマンチックな曲運びをみると、要はやる気の問題だったのかな?と疑うほかない。 |
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オイストラフ親子:バッハ ヘンデル タルティーニ(1957-58)
ドヴォルザーク:アメリカ/ケッケルト四重奏団(1951)
オイストラフ親子はバロックのトリオ・ソナタ4曲のアルバムに、ロマン派のVn二重奏作品を継ぎ足した感じにしているが、父オイストラフのいつもの牛刀を振り下ろすように力任せにねじ伏せるような感じはなく、純粋にヴァイオリンの音色を慈しんでいるようなリラックスした雰囲気に溢れている。よくあることだが、会社ではパワハラ気味にコワモテで通しているオヤジも、街で偶然に普通にやさしい父親をやってるのをみてしまったアレである。しかしただの子煩悩というよりは、巣立ちのときをじっと見守る親鳥のような、大きな愛に満ちた演奏である。
ケッケルト四重奏団のドヴォルザークは、元々プラハで音楽を学んだドイツ系オーケストラだったバンベルク響の首席奏者で結成された四重奏団で、後にバイエルン放送響の創設にあたってゴッソリ移籍した経緯がある。技巧派のドイツ人四重奏団が興味本位で演奏したというのとは事情が異なる。ベートーヴェンの四重奏曲全集でもそうだったが、ダイナミックな起伏に富んだ表現を目指した近代的な演奏スタイルで、ドヴォルザークの晩年の作品ではそのシンフォニックな書法と相性がいいように思う。このカップリングに持ってきたのがブルックナーの弦楽五重奏曲で、ドヴォルザークを贔屓にしていたヘルメスベルガー四重奏団の差し金で作曲された。ブラームス派vsワーグナー派で揺れていた楽壇のことなどほっといて、作品そもものを堪能しよう。 |
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ロルツィング:喜歌劇『ロシア皇帝と船大工』(全曲)(1952)
R.シュトラウス:楽劇『ばらの騎士』(抜粋)(1951)
ライトナー&ヴュルテンベルク州立歌劇場
ライトナーは日本に何度も来日して国内オケを振ったので親しみ深い指揮者だが、戦後まもない1947年に音楽監督に就任したヴュルテンベルク州立歌劇場時代は、ヴィントガッセン、ナイトリンガーなど専属歌手の豪華さもあり「ライトナー黄金のシュトゥットガルト」と称えられた名歌劇場だったが、その記憶を留めるようなレコードが残されず伝説化していた。このCD-BOXには惜しげもなく2作が投入されているが、放送用音源も少しずつ公開されてきているので、今後は少し評価が上向くと良いと思う。
一方で、この2つの録音で著名な専属歌手はナイトリンガーぐらいで、中心的な配役はベルリンやウィーンで活躍した歌手を呼びよせて(それでもちゃんと当たり役を選んで)録音に挑んでいる。当時劇場専属だったヴィントガッセンやメードル、ヴァルナイはどこに行ったかと言うと、バイロイトでワーグナー歌手として名声を得ていたため、EMIが1951年から7年間のバイロイト祭の録音権を買い取ったのと同時期に、有力な歌手とのアーチスト契約も結ばれたため、セッションへの参加が見送られたレパートリーもあったものと想像される。
両者共に比較的軽めの抒情的な趣きのオペラだが、録音品質は放送用の安定したもので、おそらくRIASでもそうだったように、ラジオ用のセッション録音を分けてもらってリリースしたものとみられる。ライトナーのオペラ録音は、自身がモダニストのフランツ・シュレーカーの弟子なだけに、現代物にも強い関心があり、プフィッツナーやシェンク、オルフの難解なオペラ3部作なども残しており、ドイツ語オペラ作品の未来をみつめるただならぬ信念があった。レコード会社のレパートリーの穴埋めに起用された、ただの中堅指揮者のように思うのは早計だろう。 |
【煩悩③】ユージン・オーマンディ/ザ・コロンビア・レガシー(2021年、120枚)
社長さんではなく、部長さんだったときのオーマンディ/フィラデルフィア管のモノラル期の米コロンビア録音全集である。箱が届いたときに驚いたのは、その大きさと重さである。コンパクトディスクの玉手箱ではなく、重箱に入ったおせち料理のような重厚さがあり、これで二重底で小判でも入っていたものなら、「桔梗屋、お前も悪よのう」「いえいえ、御代官様も」と一席ぶってみたいと思うくらいである。
このモノラル録音全集が出たときに、一番の驚きは長年オーマンディを研究していた音楽評論家とか、現役のフィラデルフィア管の団員であるとか、むしろ一番近しい関係にある人々がこぞって「天からの贈り物」と絶賛している点である。この評価の原点にあるものは、このCD-BOXのタイトル通りアメリカの交響楽団の歴史における「レガシー」であり、一人のマエストロの所業というよりは、アメリカこそがオーケストラ音楽のメッカであり擁護者であるという誇りそのものでさえあるのだ。
ところがこの120枚という膨大な録音数は、当時のどの楽団をも大きく凌駕しており、その全容解明が21世紀に入ってようやく公開されたものでもあり、いわゆる世界初のオーケストラ作品全集を目指して登り詰めた結果であるように思える。この時期のオーマンディがもつオールマイティなタレントは、例えば同様の録音数を誇るカラヤンと比べても、レパートリーに好き嫌いなく万遍なくこなしているし、それが10数年の間の仕事とは思えないほどの集中力をもって達成されている。
難しいのはその立ち位置で、ライバルのRCAがドイツ系の指揮者をなかなか得られないのと相反して、コロンビアはフランス系のレパートリーに難があり、その隙間をオーマンディが一手に引き受けていた感がある。これにスラヴ系のレパートリーを足すと、オーマンディは普通の指揮者の2倍の仕事をしていたということになる。ところがフランス物というと本場パリやジュネーヴを足場にしていた、デッカやパテEMIあるいはエラートの演奏を選ぶ傾向になり、モントゥーもミュンシュも質の高い演奏をした割には不当に扱われ、オーマンディのそれはさらに存在さえ忘れられていたといえよう。
もうひとつの難点は、前任者のストコフスキーの影が付きまとうことで、その頃の有力なレパートリーであるチャイコフスキー5番やリムスキー・コルサコフ「シェヘラザード」、ドヴォルザーク「新世界」やラフマニノフのピアノ協奏曲など、改造したリムジン車のような派手でゴージャスな印象が拭えない。ところがオーマンディは実直でスコアの読みも素直で、噛めば噛むほど味が出る職人タイプである。この大量の録音からしてコロンビア・レコードの中心にいたことは間違いないのだが、はてさて演奏のほうはどうか? 以下その感想である。
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シベリウス:交響曲2番(1947)
ラフマニノフ:交響曲2番(1951)
共に作曲家から絶大な信頼を得ていたオーマンディならではの王道をゆく演奏で、シベリウスのほうはSP時代の録音だが音質はあくまでもゴージャス、大構成のオケを全く緩みなくドライブしてゆく。ステレオ期の演奏のように恰幅のいいだけではなく、2楽章の大胆なアゴーギグなど、説得力のある演奏である。
LP時代に入ってのラフマニノフは、まだマイナーだった楽曲を真正面から突破しようとする気概に溢れた演奏である。作曲当時はシベリウスよりもずっと評価の高かった楽曲だが、重度のトラウマを乗り越えてゆく自叙伝的な趣もあり、それが世紀末を越えた観衆の心に響いたのかもしれない。やはりマーラーと同じ時代の産物なのだ。一方で、1950年代のアメリカは世界中の経済を一手に収めた黄金期にあり、こうしたノスタルジックな楽曲がそのまま受け入れられるわけもなく、オーマンディ盤もいちよ作曲家に直談判したうえで、カットした改訂版を収録している。しかしこの演奏の奥深さは、着の身着のままで亡命してきた移民たちを援助し続けてきた、ラフマニノフの深い愛情を知る人たちによる、作曲から半世紀後に描いた新たなポートレイトのように思える。人生の成功ばかりを讃えるのではない、この楽曲の面白さを伝える点で、ターニングポイントとなっているように思える。 |
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R.シュトラウス:死と変容(1944)、英雄の生涯(1954)、ドンファン(1955)、ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯(1952)、ドン・キホーテ(1955)
後期ロマン派を得意としたオーマンディが、定期的に録音していたのがR.シュトラウスの管弦楽曲である。モノラル期にツァラトゥストラは遠慮したらしいが、その他の主要な作品はひととおり録音しており、そのどれもが高音質かつ立派な演奏となっている。1950年代でR.シュトラウスをこれだけまとめて録音したのは、クレメンス・クラス/ウィーンフィルぐらいなので、コツコツと実績を積み上げていくオーマンディらしい仕事振りでもある。ただオペラを振らなかったのが、名声に陰りをみせている感じもするが、この他に「ばらの騎士」組曲、、ブルレスケ(ルドルフ・ゼルキンとの共演)、13管楽器のためのセレナードなど、普段なら手を出さない作品にも気配りをしている点からも、ただの物好きで録音したのではなく、R.シュトラウスの作品を推し活していたことは一目瞭然である。 |
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ブラームス:交響曲全集(1950, 53, 46, 44)
意外かもしれないが、1950年代のオーマンディは「ブラームスがお好き」である。いや、それは好きという以上のもので、オーマンディ自身はフバイの弟子(つまりヨアヒムの孫弟子)で、若いころは地元ブタペスト音楽院のヴァイオリンの後任教授として任命されていた。つまり彼のブラームスは作曲家直伝の血筋をもっているのだ。
ただ残念ながら、同じ米コロンビア内ではワルターやセルと被ってしまい、散発的にセッションが行われて何とか全集が揃ったという感じだ。オーマンディが後期ロマン派に最も力を発揮するという世評は、むしろレコードセールスの戦略として作られたものといえる。しかし、フルヴェンより情熱的な1944年の4番から始まり、セルよりクールで流麗な1946年の3番、まるで英雄の生涯のように各楽章の解釈を広げた1950年の1番、田園というよりも大森林を鳴り響かせるような1953年の2番など、それぞれの特徴をじっくり磨き上げた演奏を聴くと、むしろ散発的というよりも、納得したセッション時間を取れる時期を見計らって挑んだ感じがする。全体でみると中年男の人生の四季といった感じの趣きがあるが、それだけオーマンディが楽譜ではなく人格的にブラームスに接している様子も伺え、例えばベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集を10年近くかけて録音するような感覚で、この4曲の交響曲をそれぞれ個性ある作品として鑑賞する機会を与えてくれる。 |
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ブラームス:ピアノ協奏曲2番/ゼルキン(1945)
ブラームス:ピアノ協奏曲2番/ゼルキン(1956)
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲/シゲティ(1945)
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲/フランチェスカッティ(1956)
パパ・ゼルキンというと晩年の笑顔を絶やさない好翁なタレントを思い浮かべるだろうが、壮年期の厳しい造形性はドイツ系ピアニストのなかでも随一の品格をもっている。ブラームス2番というと、アメリカではホロヴィッツ/トスカニーニ盤が知られており、それに負けないようにパワフルであることが第一条件、それに加えてドイツ音楽の正統性を伝えるものでなければならない。最初の1945年盤はこの緊張感が強く、SP盤時代のドライで硬質なサウンドと相まって、極めてザッハリッヒな仕上がりとなっている。同じ傾向はベートーヴェン7番でもあり、コロンビアとしては宿敵のライバルであるビクターとの競り合いを演じたかったところだろう。ところが10年後に再録されたセッションは、昔からの親しい友人同士が語りあうような親密な空気に包まれており、室内楽的な間合いが難しいこの作品をきっちり押さえる点は、室内楽の伴奏でも数ある名匠から信頼を得ていたゼルキンならではの味わいである。
シゲティとのヴァイオリン協奏曲は、同じヨアヒム門下によるガチンコ勝負を期待するところだが、同年のピアノ協奏曲2番ほどはガチガチに固めていない。それよりも壮年期のシゲティのヴァイタリティの凄さに驚くこと必須である。1楽章ではオイストラフ/クレンペラー盤に負けないオケの安定した重量感と、それに負けず劣らず演奏を引っ張るシゲティとの駆け引きが、いい意味での緊迫感を与えている。2楽章ではこんなに激しくテンポルバートで揺らすシゲティを聴いたことがない。3楽章は出すべきカードを出し切ったところで仲直りといったところか。通常なら3楽章ペースで終始するのがセッション録音の常識なのだが、編集のできないSP録音という制限からか、何かの熱に浮かされていたのか、尋常でないシゲティとオーマンディの鞘当てが聴ける。こうした複雑なやりとりのあるセッションだが、録音はSP原盤から丁寧に起こされたもので楽音を明瞭に捉えている。
オーマンディにとっては再録にあたるフランチェスカッティとの協奏曲は、ストラディヴァリウスの宮殿と言ったら言い過ぎかもしれないが、そういう物が実際に存在しえたのが当時のアメリカである。この時期のフランチェスカッティのもつ妖艶さと知的なバランスの取れた演奏は、単なる美音だけではない、貴族的な持って生まれた品格を発揮している。逆にバックを務めるオーマンディのほうは、城郭を守る兵卒のようにガッチリ守備を固める作戦に出ている。壮年期のフランチェスカッティの録音は、協奏曲はオーマンディ、室内楽はカサドッシュに分かれており、不満なのはそこだけである。 |
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フランク:交響曲(1953)
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲、夜想曲、ラヴェル:ダフニスとクロエ第2組曲(1955)
同じコロンビア所属のワルターやセルが、フランス物がからっきしだったため、カタログの穴埋め程度にみる人もいるだろうが、どうしてどうして、録音も演奏も超一流である。
フランクはサン=サーンス3番と並ぶフランス交響楽派の名曲だが、ただフランス風であるという以上に、ドイツ的な構築性がなければ、管弦楽書法の由緒正しさが生きてこない。オーマンディの演奏は、フィラデルフィア管の豊潤な響きと共に、その揺るぎないテンポの安定性が効を奏して、ゴシック大聖堂のように千年経っても崩れない構築性を前面に押し出している。それでいて四角四面で平凡な演奏にならないところが、この時代のフィラデルフィア管の、まるでひとつの楽器のように一体感あるアンサンブルの強みでもある。
ドビュッシーとラヴェルを収めたアルバムは、他にボレロや寄港地などより相性がよさそうな曲を集めたアルバムよりも、ずっと面白い出来になっている。フランスのオケに比べてずっとシンフォニックなのだが、その色彩感の絶妙な移ろいが、印象派の絵画をじっと眺めているような錯覚におちいる。モントゥーが晩年にロンドン響と入れたアルバムと同じ感じだといえば判るだろうか。管楽器のどこをどうしたらあの色彩感に辿り着けるのか、とても自然体で空気が流れていくようにテーマを鳴らしきっているのだ。 |
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ヒンデミット:交響曲「画家マティス」、弦楽と金管のための演奏会音楽(1952,53)
バルトーク:オーケストラのための協奏曲(1954)
この頃のオーマンディは新古典主義の作品においてもスタリッシュな造形性をもっていて、1950年代という時代性を共有していることがわかる。ヒンデミット、バルトーク共に、第二次大戦中は退廃芸術家としてナチスに追われアメリカに渡ったため、ストラヴィンスキー、シェーンベルクと共に、アメリカのクラシック楽壇において宝ともいうべき地位にある。下記のアメリカ作曲家の交響曲も、ドイツから発祥したモダニズムの一環として捉えると、より分かりやすく説明できるかもしれない。一方で、新ウィーン楽派のほうはロバート・クラフトやミトロプーロスのほうに任せている点は、タレントが豊富なコロンビア・レコードゆえのことである。
ヒンデミットの画家マティスは楽章に標題の付いた作品ではあるが、ここではそれにこだわらず、純粋な交響作品としてのアプローチが新鮮である。そこにフィラデルフィア管の幅広い表現力が加わることで、ただ贅肉を削ぎ落しただけではない鍛えられた肉体美が展開される。
こうした安定した機能美はバルトークにおいても発揮され、録音としてもモノラルで1,2を争う優秀録音で、後に煩雑に録音するきっかけともなっていると感じる。シカゴ響のソリッドな切れ味が定番としてあるが、ヨーロッパ的な艶のある色彩感をもつフィラデルフィア管の魅力が加わることで、聴きごたえが倍増している感じがする。 |
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W.シューマン:交響曲6番(1953)ピストン:交響曲4番(1954)
R.ハリス:交響曲7番(1955)
ジュリアード四重奏団を早くから取り上げていた米コロンビア・レコードだけあって、同時代のアメリカの作曲家も少しばかり録音している。これらはもともとクーセヴィツキーが開拓した分野でもあり、12音技法に進む前の新古典主義のフォルムを保っている。交響=公共ともいうべきコモンセンスと向き合っているのは、アメリカの写実的な画家エドワード・ホッパーやアンドリュー・ワイエスと同じであるが、当時はモンドリアン、ロスコ、イサム・ノグチなど、抽象画の黄金時代でもあったため、オーケストラというパレットで自由に創作できるということが、ステージから通好みの芸術作品を遠ざけているように思える。ただアメリカン・ミッドセンチュリーとは何か?と問えば、こうした作風が賞揚されてもおかしくないのだ。
W.シューマン、ピストン共にアメリカらしいというか、少年時代に音楽教育を受けることなく育った独学の作曲家で、自身がフロンティア・スピリットを体現するようなキャリアをもっている。しかしそれだけに音楽理論をいちから勉強しただけに、教育者としても優秀な実績を残した。W.シューマンの交響曲は、ジュリアード四重奏団の創設者ということもあって、純粋な音楽的構築物を目指したもので、ジャケ絵の抽象画と同じく手の込んだスコアを展開する。ピストンの交響曲はよりマッシヴな響きを標榜するが、ミネソタ大学創立100周年のために委嘱された作品で、アカデミックなスタンスを保っているといえよう。この2曲は、共にドラティがダラス響、ミネアポリス響を振っての初演だったが、オーマンディらしい安定した演奏で聴けるのは作品理解の幅を広げてくれるだろう。
上記の2人の先輩格にあたるロイ・ハリスは、パリのブーランジェの下でルネサンス音楽の研究にいそしみ、フーガやパッサリアといったバロック=新古典主義の構造的な部分を作品の中枢にすえる作風である。こちらはクーセヴィツキー/ボストン響とタッグを組んで交響作品を発表する一方で、1937年にコープランドなどと共同でアメリカ作曲家連盟を結成するなど、その後のアメリカ楽壇の発展に尽くした人でもあった。このLPのカップリング曲にクーセヴィツキー/ボストン響の交響曲1番「1933年」があるが、作曲した翌年のニューヨーク初演のライブ録音である。バースタインがこの曲を2回録音したことで、コープランドと並ぶ交響曲のレパートリーに並んでいるが、元はと言えば作曲家連盟を通じてキャリアの基礎を築いた先輩作曲家へのリスペクトと言うべきだろう。
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【モノラル録音を復活させる魔法】
さて、以下はデジタル・リマスターされたモノラル録音について、オーディオ環境を整えるテクニックの数々である。LP盤の音こそが本物だと信じて疑わない人は、基本的に知らなくても良いことだと思っている。むしろデジタルでアーカイヴされた20世紀のクラシック録音を、誰もがニュートラルに味わうために、モノラル時代のオーディオ環境の常識を整理しておきたいのだ。
特に「CDはただのデータ」としか感じない人は、その理由がどこにあるのかを知ってほしい。ステレオでの常識、例えばフラットな周波数特性で聴く、ツイーターを耳と同じ高さになるように設置する、スピーカーを真正面に置き両耳にまっすぐ届くようにするなど、実はモノラル時代では非常識だったといえるのだ。この常識を正しく理解することで、デジタル時代においてもモノラル録音が音楽鑑賞を豊かにすることとなろう。
◆魔法のコンテンツ
フラット再生なんて嘘っぱち/モノラル録音は真正面から聴くな/リビングルームとの調和/アナログっぽい音の正体/デジタル臭さに関する誤解/周波数レンジより大事な躍動感
私なりにモノラル三昧を10数年続けてきたところで気付いたのは、モノラルだってちゃんと整備すれば部屋いっぱいに鳴り響く音が出せる点である。それも本来のスピーカー1本のモノラルスピーカーで十分に可能なのだ。このようにHi-Fiモノラル録音のクラシックは、①標準とすべきトーンキャラクターの不在、②リマスター音源における電気的歪み成分に関する理解不足、③音場感を支配するパルス成分の処理の齟齬など、諸問題を解決しないとモノラル録音本来のサウンドを聴くことが叶わないこととなる。しかし実態は、電気的なスペックに踊らされて、モノラル録音を正常な状態で聴くことを拒否しているのだ。これらのトピックスを解決していく方法について以下に述べることとする。
【フラット再生なんて嘘っぱち】
まず最初に述べるのはモノラル時代の音響特性である。多くの人は、入り口のカートリッジからスピーカーの音までがフラットに整っていれば正確な音だと思っているだろうが、それはステレオ・レコードが販売されてかなり年月を経た1968年前後の頃からの話である。この頃に、ノイマン社のカッターヘッドがSX68に更新され、EMIがロックウッド社OEMのタンノイ
モニターゴールドを採用し、NEVE社のソリッドステート型ミキサーがアメリカにも輸出されるようになり、ノイマン製コンデンサーマイクはトランジスターを使用したU87を販売した。家庭で聴くレコードになる以前に、レコーディング・スタジオの環境が出そろったのが1968年という時代のピリオドなのだ。
では、それより10年以上も前のモノラル録音のトーンキャラクターについては、禅問答のように思っている人も多いことと思うが、デッカとRIAAの対決以前に、レーベル内でもトーンキャラクターの異なるものが存在する。例えば同じRCAでも、トスカニーニとモントゥーの録音は、前者が硬質なラジオ放送用だとすれば、後者は目の覚めるようなHi-Fi録音である。しかし、これがNBC響とサンフランシスコ響の音の違いだとは誰も思わないだろう。また同じウィーンフィルでもデッカとEMIの音があまりに違うため、C.クラウスとフルトヴェングラーの評価がぶれているように思える。
マエストロそれぞれの個性溢れる録音の数々
大まかにHi-Fi初期のレーベル毎のトーンについて述べると、デッカffrrがきらびやかな黄金ならば、英EMIはビロードのような上品な艶があり、米コロンビアが銅像の緑青色のように冷徹なトーンなら、RCAビクターは油絵のようにこってりした厚めのトーンである。独グラモフォンが渋いタペストリーのような色彩ならば、テレフンケンやシャルプラッテンは硬質な金属のような光沢がある。このほか、蘭フィリップス、仏パテ、仏エラートなどそれぞれのサウンドポリシーがあり、どれが本物の楽器らしい音かとアレコレ比べたくなるだろう。これにカートリッジやスピーカーの音色、あるいはリマスターの違いなどが乗ってくるのであるから、モノラル録音のトーンキャラクターはカメレオンのように無限に広がるのだ。しかし、こうした知識に踊らされると、音楽鑑賞の本質はブレるのである。つまり、レーベル毎のサウンドポリシーの違いが明瞭に判るから正確なのではなく、どのような録音でもニュートラルに聴けてパフォーマンスを描き分けることが正確なのである。
何が女性の本質かなんて分からないのが当然と思うのだが…クラシック音楽も同じ?
ところが、これらモノラル録音のサウンドが百花繚乱にブレるのは、周波数特性がフラットなスピーカーで聴くとそうなのであって、2kHz以上の高域が-3dB/octでロールオフする特性で聴くと、レーベル毎のサウンドポリシーの違いはそれほど顕著ではなくなる。え?!と思うだろうが、実はコンサートホールの響きがそうなのである。ここでトリビアが発生するのであるが、モノラル録音の基準はフラットで万遍なく楽音を収録する(つまりマイクの音をストレートに収める)ことにあり、再生側ではコンサートホールと同じく高域がロールオフするように設定しなければ、正しいバランスで鳴らないことになるのだ。このことは当時よく行われたレコードコンサートを思い浮かべると判るのだが、レコードの音がフラットに調整されていても全体の響きはロールオフしていることとなる。なので狭い部屋でも試聴位置では高域がロールオフしてないと具合が悪いのだ。
これと逆なのがステレオ録音で、全体のバランスがホールのエコーを中心に巡っているため、フラットな特性で聴かなければ高域の繊細な違いを聴き取れなくなる。そこでモノラル録音を聴く多くの人が専用のモノラル・システムを持たず、ステレオ装置でついでに聴いているため、スピーカーをフラットな特性で整えることが正しい試聴方法だと思い込んでいる。モノラル録音を聴くにあたって最初の段階から躓いているというのが真実なのだ。モノラル録音のトーンキャラクターを決める物差しとして黄金比が存在し、それはコンサートホールの音響を模擬している。モノラル録音はフラットで聴いてはダメ。ここ大事な所なのでちゃんと憶えてくださ~い。
コンサートホールの周波数特性の調査結果(Patynen, Tervo, Lokki, 2013)
では、これがあながち嘘ではない証拠として、タンノイのモニターゴールドのカタログを参照すると、基本特性としては20kHzまで伸びきったフラット志向であるが、裏技としてトレブル・ロールオフという機能がネットワーク回路に仕込んであって、旧来では2kHzから最大-6dB/octまで減衰させることができた(現在は5kHzから)。これは実際のコンサートホールでの音響と近似しており、部屋の残響などに合わせて調整するべき機構である。このロールオフ特性は、EMIがSP盤からLP盤に切れ変わる時期に、最高級の電蓄として開発したたElectrogram
De Luxe 3000型電蓄(グッドマンズ製ウーハー2発+デッカ=ケリー製リボンツイーター)も同様で、EMIではこれのスピーカー部分をプレイバックモニターとして使用していた写真が残っている。リボンツイーターで高域特性はスペック上は伸びているが、それはかなりやさしい音であり、BBCの研究レポートでもラジオ音声の試聴には向かないとコメントされている。
1960年代末のタンノイ モニターゴールドのトレブルロールオフ機能
左:幻の電蓄 HMV 3000型 Electrogram De Luxe(1946)
右:ピアノ録音でのプレイバックに使われた Electrogram De Luxeのスピーカー(1947頃)
また、アメリカの多くのスタジオでプレイバックモニターとして使用されていたアルテックA7は、そもそもの特性が高域をロールオフさせるようになっている。これは初期の同軸型604Bでも同様である。ただしアルテックのプレイバックシステムは、実音の音響レベルに近いかたちで再生して演奏の良し悪しを判断するものなので、これでも高音は強すぎるぐらいである。アルテックのロールオフ特性は、ビートルズの「ヘイ・ジュード」のセッションでも温存され、新しくできたトライデント・スタジオでミキシングしたテープをアビーロード・スタジオで試聴したところ、ひどく高域不足に聞こえたため、ミキシングしたエンジニアとセッションそのものが亡き者になりかけたという逸話がある。これを機にEMIのスタジオはトライデント・スタジオで使っていたモニターをロックウッド社OEMのタンノイに総入れ替えするようになった。それまではアメリカ市場を意識してか、ポップス系のスタジオは米ワーナー社と同じモニター環境に整えていたのだが、ワーナー社のスタジオも一蓮托生で同様のロールオフ特性だったと推測されるのである。ビートルズのレコードはデッカ・カーブという都市伝説も、実際のモニター環境がロールオフしていたから、という単純な答えが返ってくるのだ。これはRCA
LC-1Aスタジオモニターでも同様であった。
左:1970年代にVOTTを壁掛け用に設計した1218Aモニター
右:1949年にLP盤発売とFMi放送をにらんで展開した604B同軸2way
RCA LC-1Aのスタジ使用例(1952年)と周波数特性(1947年時点はSP盤用フィルター装備)
ちなみにVOTTの元となった映画館の音響特性を計測した結果では、高域が1kHzから-3dB/octで落ちるようになっていて、この特性に合わせた古い映画のサウンドトラックについては、家庭用のフラットな状態で聴くとバランスが悪くなるので、1990年代のTHX規格ではロールオフさせるモードを特別に備えていた。同じ意見は、戦後の1954年に独占禁止法で解散させられたWEの技術員も言っており、規格統一された光学再生装置は高域がうるさいので、最適なトーンキャラクターに調整したところ、やはり高域を-6dB/octロールオフしたものとなった。このことは何を指しているかというと、WEの技術員は録音方式の限界で減衰しやすい高域を再生側で持ち上げることを推奨していたのに対し、その後の規格変更でリソース側をフラットに整える方針に変更されたため、アルテックの時代になって再生側でロールオフさせるように軌道修正したということになる。この音響特性は、アメリカ東海岸のARやボザークなどのスピーカーメーカーが、高域のレベルを下げる得意なキャラクターと相通じるものである。
1930年代の映画館のアカデミー・カーブと現在のXカーブ
Altec AQ-2958イコライザーのマニュアルより(1954年)
「パースペクタ立体音響でリリースされた「風と共に去りぬ」を例にとって、ある劇場でとても心地よいサウンドが得られたカーブは以下のようなものだった。
40
|
70
|
130
|
300
|
500
|
2000
|
3000
|
5000
|
7000
|
8000
|
-
|
2.0
|
2.3
|
0.6
|
0.1
|
-0.2
|
-1.4
|
-5.6
|
-12.1
|
-15.3
|
我々の情報だけでは他の劇場でも同じように巧くいくかどうか判らないが、ほとんどの場合には高域特性が改善されると確信してる。もし君が7400再生装置と7381プリアンプで高域フィルターを使うのでイコライザーをつなげる必要がないと思うなら、従来の光学システムの自然なロール・オフがぴったりなのだろう。」 |
いわゆる東海岸サウンドのスピーカー(1960年代AR、フラットより高域の落ちたノーマルがある)
このように様々な観点からモノラル時代にスタンダードだった音響特性とは、高域がロールオフする状態を自然なものと捉えられており、それはコンサートホールの響きそのものを模したからであった。それに対しスピーカーのスペック表示は無響室で距離1mで計測したものであり、実際の試聴位置や部屋の響きを勘定していない。これをスタンダードだとして、試聴位置でフラットに調整するのはやりすぎなのである。
私自身はついこの前知ったのであるが、1970年代からアブソリュート・サウンド誌に参画していたオーディオライターのアート・ダドリーは、同誌を辞めた後にアルテックのヴァレンシア(後にフラメンコ)をリファレンスにして批評活動を再開したということだった。そこでは、オーディオに必要な要件について「タイミング」という言葉をしきりに使っており、生涯の敵は「性能に問題ないと繰り返す専門家」と「周波数特性の専制主義者」である。このことを深く悟ったのは、歴史的なソングライター アーヴィング・バーリンの自宅を訪問したときのことで、そこで聴いた長年使いこまれたポータブルの蓄音機と電蓄の音が、78rpm盤とLP盤のどちらにおいても、あまりに家のインテリアと馴染んでいて感服したという。ちなみにダドリー氏がオーディオ機器の批評に正式に参加するときは、盟友のジョン・アトキンソンがダドリー氏の好む音響特性についてフォローするお約束となっているが、1kHz以上は-3~4dB/octでロールオフする独特なカマボコ型である。一方では、アメリカのライターらしくフォークやロックへの愛情をたっぷり注いでいた点も、オーディオ進化論が既に緩やかな漸近線を画いてピークに達していた20世紀末から21世紀において、一風変わっているけど趣味性の高いコラムとして読まれていた。実はこれが21世紀オーディオの最先端でもあったと思うのだが、あまり日本では話題にならなかった。この辺もモノラル専用オーディオシステムの難しさである。
アート・ダドリーのリスニング・ルーム(アルテック フラメンコが目印)と音響特性
この手の古い録音には所有するオーディオ機器との相性が付き物で、誰もが目にした音楽批評家 宇野功芳氏のオーディオ・システムはと言うと、アンプはマランツModel.7プリとQUAD IIパワー、アナログはトーレンスのプレーヤーとSMEのトーンアーム、カートリッジはシュアーM44-7が古い録音にちょうどいいとした。スピーカーはグッドマンズAXIOM 80を中心に両脇をワーフェデールのコーンツイーター(Super3)とウーハー(W15/RS)で補強した自作スピーカー(ネットワークはリチャードアレンCN1284?1.1kHz、5kHzクロス、箱はワーフェデール
EG15?)で、完成品での輸入関税が高かった昔は、部品で購入して組み立てるのが通常だったし、エンクロージャーは自作で組み立てるのが一番効率が良かった。ネットワークは同じユニット構成のために出していたリチャードアレン製を当てがったが、元の構成が12インチ+8インチ+3インチのところを、ワーフェデール
Super8が中高域がきついからとAxiom 80(1970年代復刻版)に換えて、さらに低音を増強するためウーハーを15インチに換えた。ただしW15/RSは800Hzからロールオフする特性なので1kHz付近が少し凹んでいたかもしれない。トスカニーニは音調が硬すぎるといって嫌悪したのは、ウーハーの反応が緩いことで高音が先走って聞こえたからだと思う。
かように宇野氏は今でいうヴィンテージ機器を新品で購入した当時から愛用しており、これにCDプレーヤーとしてラックスマンのD500X's(後に同じラックスマンD7、スチューダーD730に買い替え)が加わるわけだが、例えばポリーニのような新しいピアニズムをちゃんと聴けていなかったように言われる。ことフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュ、ワルター、メンゲルベルクのライブ録音への偏愛ぶりは、むしろオーディオの発展史から一歩身を引いた試聴環境にあったように思う。そういう意味では、宇野功芳氏の音楽批評は、一見すると失われた個性的クラシック演奏への懐古のように聞こえるが、実は1960年代のレコード文化の価値観を背負って論陣を張っていた数少ない人でもあったといえる。この装置でないと音楽の批評ができないとも言っているので、相当のお気に入りなのだと思う一方で、クラシックのレコード批評家のなかではオーディオと録音の相性に関するヴィンテージな課題を早くから認識していた最初の人でもあった。ときおり自宅のオーディオの音質改善の話題を振られても「これ以上音が良くなってもらうと困るから」という断りの言葉が多かった。案外、繊細なバランスの上に立っていたのかもしれない。
ちなみに本家ワーフィデールにはSFB/3という、平面バッフルをあしらったスピーカーシステムがあった。どうも宇野氏の最初のシステム構成はこの延長線にあったと思われる。SFB/3スピーカーシステムは、1954年から共同開発していたQUADのピーター・ウォーカーとの途上のものだったらしく、形状もQUAD
ESLにそっくりである。使用ユニットは12インチ・ウーハー、10インチ・エクステンデッドレンジ、それに3インチ・ツイーターを加えたものだが、そのツイーターが上向きという、かなりギミックな仕組みだ。いわゆる無指向性の音響を狙ったものと考えられ、その後に出された最高級システムAirdaleも、スコーカーとツイーターが拡散型の配置となっていた。これはBOSEのものと非常に似た構造であるが、ステレオ・デコラやテレフンケン085aでも同様の拡散型の配置をしている。いずれも音場感という定義が曖昧だった時期のもので、この手のものはモノラル録音でも広がりのある音響が得られる。現代のスピーカーはほとんどがスレンダーな指向性で、モノラル録音の再生には適さない。
Wharfedale社SFB/3スピーカーシステム(1956):平面バッフルに対し上向きにツイーターを配置
【モノラル録音は真正面から聴くな】
モノラル録音の試聴方法で一番気になるのはスピーカーの置き方である。実はステレオ装置で聴く多くの人はスピーカーの真正面で聴く習慣があり、これは人間には耳が2つあってステレオ音声こそは真実な音であるという屁理屈による。ところがこの聴き方だと、モノラルなので真ん中に定位しなければ嘘とか、モノラル録音には広がりがないという、とんでもない意見に達する。しかしモノラル時代にはスピーカーは斜め横に配置するのが正統派で、シュアー社のガイドブックにも載っているし、BBCスタジオだって机の脇にスピーカーを置いている。そもそもモノラル時代に多かったコーナー型エンクロージャーは、部屋の隅っこに置くようにできている。
Shure社1960年カタログでのスピーカー配置の模範例(モノラルは斜め横から)とモノラル期のBBCスタジオ
リビングルームのラジオは操作の関係上、ソファの斜め横に置くのが標準だった
モノラル時代はスピーカーの斜め横から聴くのが標準(左:RCA、右:タンノイ)
ではモノラル録音を斜め横から聴くとどうなるのかというと、ひとつは部屋のアコースティックをブレンドした音で聴くことになる。当たり前のことだが、スピーカーはスピーカーの音だけではなく、部屋の響きと連動してトータルなサウンドになる。ところがステレオスピーカーでは、録音側で人工的に響きを作っているため、純粋にステレオの音場感を満喫することがピュア・オーディオだと思っているが、モノラルの場合は逆に部屋の響きをたくさん取り込むことが有益なのだ。
もうひとつは斜め横から聴くと片耳だけで聴いていることにならないか?という疑問である。しかし実際には、パルス波のような鋭敏な音はスピーカーのほうに向いている耳にしか届かないが、もう片方の耳はエコーを聴いているようになる。人間の脳とは便利なもので、音が直接届かない反対側の耳でも同じ音として聞こえるように感じ取っている。さらに両耳に生じる頭の大きさのわずかな時間のずれを感じ取って、勝手に音場感なるものを脳内で生成してしまう。
両耳間時間差(ITD)と両耳間レベル差(ILD)の模式図(Xuan Zhong (2015)
ちなみに上記のZhongの論文には、ステレオフォニックに関する歴史が叙述されているが、1962年のWoodworthの研究で言及された両耳時間差の分析は平面波を想定して行われたが、1977年にKuhnは球面波について1/4空間で解析した。つまり前者はステレオを両耳の位相差として解釈し、後者は音の方向と遠近を球面波の回析の違いで表現したのである。この1962年と1977年以降のステレオ音場の違いは、レコードを長く聴いている人ならピンとくるだろうが、ちゃんとした定位感がステレオ録音に定着する年代とほぼ合致している。現在、私たちがステレオと呼んでいるものの音場感は、時代によって解釈が異なるのである。
この僅かな時間のずれと部屋のエコーの関係を瞬時に感じ取れるのが、モノラル音声を聴くときの人間の聴覚のはたらきである。最初は違和感があるかもしれないが、数か月でモノラル耳は熟成されるので、しばらく辛抱して待ってほしい。
もうひとつのヒントは、1949年にRalph West氏がデッカffrrのために開発した単品の家庭用スピーカー「デッカ・コーナー・ホーン」である。これはフルレンジスピーカーを部屋の隅に後ろ向きに設置する変わり種で、Lowther社のVoigt氏のスピーカーを参考にして作り易く改造したものだ。低音補強の構造としてはTQWTと同じ共鳴管で、図に描いているように、間接音で均等なバランスを目指していたことが判る。この時点でffrrの再生には、現在のスピーカーのように高域のピンと立ったパルス音は厳禁だったのである。周波数レンジが伸びているだけではダメなのだ。
低音のほうは、1950年代に多かった12インチのエクステンデッドレンジ・スピーカーに対し、新しい設計のフリーエッジでfoとQoを共に低く抑えてある8インチのフルレンジ・スピーカーにするよう勧めている。これはTQWTにすることで40~50Hzの共振が得られることと、サブコーン付きメカニカル2wayのフルレンジ・スピーカーを搭載することでツイーターがなくても十分な高域が得られるという、二重の意味がある。
そこでターゲットに選んだユニットは、開発当時はワーフィデール Super8だったが、1955年のレビューではLowther PM6が最適だとされた。ただよく知られるように、サブコーン付フルレンジは高域に強い共振があり、直接音としてはキツイ音になりやすい。これを和らげるために壁面に反射させて拡散する方法を選んだ。これはサランネットの有無で鮮明さを競う現在のオーディオ理論とは大幅に異なることが判る。
デザインとしては、数ある家具調スピーカーのなかで幅が狭くても、背の高さが104cmと意外に背高ノッポなので、表面を木目にカモフラージュしても意外に存在感を隠せない。これに比べQUAD ESLはピーター・ウォーカーの見識が、まず大きさ在りきで始まっていることが伺い知れる。これはデコラ電蓄では概ね高さ制限を設け収まっている。
1949年に開発されたデッカ・コーナー・ホーン(耳に直接音が届くことは避けられた)
1955年の戯画「店頭で78回転もステレオも推すなんて!どう対処すりゃいいんだ?」
壁に立て掛けたデッカ・コーナー・ホーン(ホワイト塗りのほうが忍法「葉隠の術」となったか?)
上記のデッカ・コーナー・ホーンを紹介するコラムで、滑稽なやり取りが漫画で載せてある。これは五味康祐氏が1963年に英国を訪問した際にもネタにしたくらいで、モノラルvsステレオの葛藤は既に1950年代からの昔年の悩みが積もり積もって現在に至っていることが判る。つまりモノラルでも追及可能だったフィデリティ(忠実度)が、ステレオになった途端に手のひらを返したように否定される対象になったのだが、この前後にHi-Fiに投資した消費者からみればひたすら困ることなのだ。それよりもなによりも、演奏家が心血注いで残した録音に敬意を払って聴くことなど到底かなわないのか? このことはオーディオという手段が目的にすり替わったときに起こる矛盾であることは明白である。
【リビングルームとの調和】
ただ一番肝心なのは、モノラル時代にはオーディオ専用のリスニングルームなるものがなく、リビングルームで他の家具との調和を求められたことだ。おそらくリスニングルームができたのはステレオ以降のことだと思われる。例えば、ステレオセットが部屋の壁一面を占拠すると、試聴者はスピーカーを底辺とした三角形の頂点にソファを置き陣取る。そうするとその三角形の空間がステレオ空間となるのだが、その間を人が通るのは鑑賞の妨げになるので、必然的にステレオセットが部屋を占拠することになるのだ。昔のオーディオ機器の広告で麗しい御婦人が佇んでいるのがよくあるのは、奥さんを納得させられないとリビングルームへの搬入が難しいことを物語っているのかもしれない。自分の気に入ったオーディオと音楽を好きなだけという、一国主の理屈が夫婦生活に支障をきたす可能性のあることは、高級機器になればなるほどリスクが高まることをよくご存知だったといえる。
我が家の真の支配者が誰かは自ずと知れたもの
1950年代といえばHi-Fi録音が解禁されたばかりで、そっち方面では花盛りのように言われるが、実際にはアメリカでさえテレビが一番目新しく家電製品の花形だった。野球中継や歌謡ショウはもちろんのこと、オペラの生中継も試みられた。オーディオ専門誌でも多くの場面で壁面の書棚にテレビとオーディオセットを融合させるデザインが提案されており、そこでのスピーカーサイズはブックシェルフの言葉通りのものである。古いスピーカーの箱をエンクロージャーと呼ばずキャビネット(箪笥)と呼んでいた理由は、オーディオ装置が他の家具の雰囲気を壊さず、いかに上手に隠すかを念頭に置いていたことが判る。
このテレビ放送とHi-Fiオーディオとの連携に最も力を入れていたのが米RCA Victorで、その最高機種は、オルソン博士が生オーケストラとのすげ替え実験で成功を収めたバークシャー音楽祭にちなんで”Berkshire”と名付けられ、実験で使われたオルソンアンプ、LC-1同軸2wayスピーカー、FMチューナーなど最高級の機材が導入された。一方でこのバークシャー・コンポはオーダーメイドで決まった形が無く、作り置き家具としてセットアップされるものから、コロニアル風の大型タンスとして製作されたものまで、幅広く存在した。38cm径のLC-1型スピーカーは天井から見下ろすように設置された。
RCA Victorが放つ最高級オーディオコンポ”Berkshire”(1948)
ソファに座っているのはボストン響音楽監督のクーセヴィツキー
【アナログっぽい音の正体】
モノラル時代の伝送系は全て真空管を使用していたが、それに伴い2つのサウンドキャラクターが加わる。ひとつは真空管のガラスが共振するリンギングであり、ふたつめはトランスによる磁気ヒステリシスおよび高次倍音である。真空管のリンギングは、方形波を再生した際に生じるオーバーシュートとして聞こえ、音に艶を与えたり、全体に隈取りを強くするものとなる。トランスのほうは、磁性体の飽和によって微妙なコンプレッションが加わり音に粘りが出るほか、パルス成分に対し高次倍音を出す癖がある。このため計測技術が進むにつれ、これらは原音を損なう悪者とみなされ、トランジスター&トランスレスに向かっていった。
このとき起きたのが「ソリッドステードの洗礼」と呼ばれた現象で、これまで知らず知らずのうちに付きまとっていた艶と倍音が、ミキサーをトランジスターに取り換えた途端、パンチのない天井の低い音にしぼんでいったというのである。そもそもトランジスターに変わった理由は、マルチトラック録音が標準になったためで、真空管のサーモノイズがトラック数の限界をもたらしていたのに対し、消費電力の少ないトランジスターはS/N比を稼げるからだった。事前に相談もなくミキサーを取り換えられたエンジニアが、それまで溜め込んでいたテープが無駄になったと嘆く結果となったのである。
この事態の緩和策として、NEVEの初期のコンソールには倍音が豊かに出るトランスが噛ませてあったし、艶やかさを出すためにEMT社のプレートリバーブがよく使われた。トランスのほうは全てのチャンネルに入るとミキシング時点で混濁する原因となるので、やがて排除されるようになったが、鉄板をシンバルのように鳴らして艶を与えるリバーブは、収録条件の異なるマルチトラックの音を馴染ませるのに有効なため、音場感を演出するため必須のものになった。
初期のWilliamsonアンプ、NEVE 1073、マッキントッシュのパワーアンプ…トランスの味わい
エコー・チェンバーの内部 |
EMT #140ST プレート・リバーブ |
実は同じことが、デジタル・リマスター音源についても言えて、LP再生するカートリッジやカセットテープにはまだ残っていた磁気ヒステリシスが全く生じなくなり、艶もハリも失われ、暖かみも重みもないスカスカの音に成り下がるのが常である。確かにオリジナルテープに何も加えているわけではないのだが、モノラル時代には前提条件となっていた真空管とトランスの味付けがない状態では、気の抜けたソーダのようなものだと思っても仕方ない。ジャズでもECMのようなレーベルは、デジタルリバーブを深く掛けることで有名で、それ自体がヨーロピアン・サウンドの特徴のようになっている。最近ではモノラル録音でもリマスターの段階でリバーブを付加することが当たり前になっているが、ヘッドホンで試聴する人が多くなったこともあり、かつての疑似ステレオまではいかなくとも、同じモノラルでも賛否両論は常にある。
21世紀に入ってモノラル録音のリマスター盤が出回り、これまでゴミクズ当然だった録音が聴きやすくなったと思う人も多いだろう。ひとつはSP盤のスクラッチノイズをイコライザーでカットするのではなく、デジタル編集で細かくゴミ掃除できる点もあるが、リバーブを掛けて音に潤いを与えているものが多い。単純に言えば、マルチトラック録音でミキシングされた音場感とか定位感のようなものは、全てリバーブやイコライザーで作り込まれた仮想のサウンドステージなのである。モノラル録音を薬漬けのない状態で聴く生音は、実は汚い音に聞こえるのが現在のオーディオ技術である。ところがこれに対する賛否両論も激しく、新しいリマスターが出る度に我先に万歳三唱をする人が居るかと思えば、糞味噌にけなして金を返せと言わんばかりに悪評の限りを尽くす人も居る。これもモノラル再生にちゃんと整えたオーディオ装置を持たずに、ステレオ装置でつまみ食いしているからで、俺様の癖の強いステレオ装置に合わせて音質を調整しろと言っているに過ぎない。
私の場合は、このデジタル・リマスターの方法論が固まる以前のCDも多く持っているので、リバーブで音調を整えて帳尻を合わせることにしている。といっても録音スタジオで使うような立派なものでなく、ヤマハの卓上ミキサーMG10XUでほぼ落ち着いている。もとはカラオケ大会でも使える簡易PA用なのだが、心臓部となるオペアンプは自家製チップを使いノイズレベルが低く音調がマットで落ち着いてるし、3バンド・イコライザー、デジタル・リバーブまで付いたオールインワンのサウンドコントローラーである。
ヤマハの簡易ミキサーに付属しているデジタルリバーブ(註釈は個人的な感想)
これのデジタル・リバーブは世界中の音楽ホールの響きをを長く研究してきたヤマハならではの見立てで、簡易とは言いながら24bit処理で昔の8bitに比べて雲泥の差があるし、思ったより高品位で気に入っている。リバーブというとエコーと勘違いする人が多いのだが、リバーブは高域に艶や潤いを与えると考えたほうが妥当で、EMT社のプレートリバーブ(鉄板エコー)は1970年代以降の録音には必ずと言っていいほど使われていた。残響時間とドライ・ウェットの調整(大概が30~40%の間で収まる)ができるので、録音状態に合わせてチョちょっといじるだけで聴き映えが変わる。 クラシック用で気に入っているのが、2番目のホール・リバーブNo.2で、高域がブライトなデッカやテレフンケンなどの録音で、中域からニスで磨いた木肌のようなヨーロピアンな艶が加わり、なおかつイコライザーで持ち上げたような位相変化やザラツキもないので重宝している。逆に1番目のホール・リバーブNo.1は、アメリカンなマットなテープ録音の雰囲気をもった音色で、少し音が生硬い米コロンビアや独グラモフォンの録音などで、よりシリアスでマッシブな力感を出したいとき、低域のリズム感を犠牲にすることなくニュートラルに整えることができる。面白いのが6番目のステージ・リバーブNo.2で、EMIのようなくぐもったエコーが掛かり、例えばデッカの録音でもEMI風に変貌する。これと反対なのが5番目のステージ・リバーブNo.1で、中高域に艶を与えるような効果があり、なおかつリズムをタイトに引き締めてくれるため、フォッギーなEMIの録音でブリリアントなサウンドに調整したいときに役立つ。
実はこれらのリバーブの後段にローファイなサンスイトランスを噛ましているのがミソで、ちょうどリバーブと磁気飽和したときの高次歪みがうまいことミックスされることで、楽音とタイミングのあった倍音が綺麗に出てくる。正確な再生というよりは、楽器のような鳴らし方が特徴的だ。
【デジタル臭さに関する誤解】
デジタル録音というと、出てきた当初は正確無比=全周波数でフラットで均一なダイナミックレンジという宣伝があり、その反面、無機質で味気ないという印象も付きまとっている。しかし、それはデジタル=コンピューター演算=正確無比&無機質という思い込みから来ているもので、実際は自転車操業のアバウトな精度のアナログ信号への変換が軸になる技術でもある。驚くなかれ、これだけデジタル処理技術の進んだ現在であっても、入力するマイクと出力するスピーカー(ヘッドホン)はアナログ信号しか受け付けないのである。もちろん、デジタル的な正確性を吟味したマイクやスピーカーは存在するが、おそらく音楽を聴く99%の人はその違いが分からない低品質なアナログ環境に身を置いているのが現実である。ピュアオーディオを標榜するマニアでさえ、デジタル=正確な音という刷り込みから脱しえない人が多いのだが、その多くはオーディオ機器のスペック表示を鵜呑みにして自らの基準にしているからに他ならない。
CDがアルミ蒸着したメッキなので、さぞかしキラキラの音がするものと思いがちだが、CD規格が策定された頃はFM放送での試聴がデフォルトになっていて、大部分の録音エンジニアの意見では16kHz以上の高音は楽音として不要ということだった。実際にFM波は2kHzから徐々に三角ノイズ(砂嵐と呼ばれるアレ)が増えていき、20kHz近傍に累積するデジタルノイズなど、はるか雲の上の話であった。
ところが、CDがリリースされて、いざ蓋を開けてみると20kHzまで再生できなければデジタル対応とは言えないという気運に包まれ、当初は予定になかったデジタルノイズへの格闘に追い込まれるようになった。改めて気付いたのがICチップで組み込まれたシャープロールオフのデジタルフィルターの粗雑さで、パルス波が来るたびにプリ&ポストエコーというビリビリ、ザラザラしたノイズを発生する。ひどい場合には、英国製のハードドームツイーターなどは20kHz近傍をわざとリンギングを起こさせ、聴覚を麻痺させてマスキングするようなことをしていた。このため、微動だにしないサウンドステージが組み上がり、スピーカーの周辺だけ別の音響が浮かび上がるような感じに聞こえていたが、これこそ新しい時代のステレオ表現だと飛びついたことは言うまでもない。現在ではその辺のノイズはマスタリング時にシェルピングされ目立たなくなっているが、過度期のデジタル対応機器の課題として知られてしかるべきである。
デジタル録音に特有のポスト&プリ・エコー、1980年代の英国製デジタル対応スピーカー
で、問題はデジタル録音とモノラル時代のテープとの相性であるが、ほとんどの問題は再生側の手抜きのために、干からびた味気ない音になっているように思える。デジタル=正確だという過信とブラックボックス化したハイテク用語に呑まれて、CDプレーヤーのアナログ出力をできるだけ何も加えずに聴くのがピュアだと誉める周囲の意見に逆らうことなどできず、CDプレーヤー内臓オペアンプのドライブ能力のない=覇気のない電圧変化だけの信号をそのまま大きな音で聴いているのだから、鳴ってる音が味気ないのは当たり前である。DACチップと隣接したIV変換チップはB級動作というのも少なからずあり、弱電内でスイッチング歪みの嵐となる。モノラル録音をCDで聴くと味気ないのは、レコードのカッティングから自宅のイコライザーアンプまでのアナログ的なルートを省略して、、モノラル時代の前提となっていた高次倍音や磁気ヒステリシスが足らなくなったからで、原音再生と言いつつピュアなサウンドを善しとしたところで、味噌も醤油も腐っていると言ってるのと同じで、塩気も甘みもないものを自然食として有難がっているだけの単なる痩せ我慢である。それを他人のせいにして責任の押し付け合っているだけなのだ。
そこでデジタル臭さを覗く秘術としてライントランスなるものも出てきたが、デジタル特有のパルス性ノイスを少し和らげる程度の薄味で、御多分に漏れず20kHzまで伸びきった特性をもっている。もちろん磁気ヒステリシスも高次倍音も全くない、アナログっぽい音とは全く無縁のものである。私が推奨するサンスイトランスは1950年代に開発されたラジオ用トランスで、コアボリュームも小さく低音も高音もすぐに磁気飽和して周波数特性もラウンドするが、これがMMカートリッジの粘り気があり腰の強い音と似ていて気に入っている。デジタル臭さは消臭するだけでは足りず、アロマオイルで香りをつけるぐらいでないと、落ち着いて鑑賞などできないのだ。
ラジカセ基板のB級プッシュプル段間トランス、サンスイトランス ST-17Aと特性
【周波数レンジより大事な躍動感】
もうひとつモノラル録音の取り扱いで注意したいのが、モノラル時代には当たり前だった高能率なスピーカーの存在である。それもただ高能率なだけではなく、フィックスドエッジやスパイラル板バネの付いたウーハーでなければ、本来の躍動感が出ない。現在のウーハーの大半は、重低音再生を宿命として引きずられているため、重たいコーン紙をフラフラのフリーエッジで支えるようになっており、音の引き際の切れが悪い。音が出たらテヌートが掛かったみたいにズドーンとだらしなく出っ放しで、単純には100~800Hz辺りでリズムをしっかり取れていないのだ。それもステレオ録音には多分に含まれているパルス信号が少ないモノラル録音に当たると、まさに暗雲立ち込めるように暗い顔で演奏し続けることになる。このことは現在のオーディオ技術とモノラル時代の大きな違いで、レンジを広げることで高音と低音の役割分担を明確にしたステレオ録音と、主要な楽音が100~8,000Hzに押し込められているモノラル録音とでは、むしろ高音と低音が一体感をもって鳴り響いたほうが、本来の迫力あるサウンドを堪能できるようになる。
モノラル録音に対応できる周波数帯域のバランスが悪い設計
Hi-Fi初期のオーディオ機器は過度期の形態が多く、バスレフ箱と言っても容積が大きく、バスレフポートもただバッフル板を切り落としただけのものが主流だった。単純にスピーカーの裏面から出る低音をバスレフで正相に戻して足し合わせるという程度のものだったのだ。それよりも当時の主流はエンクロージャーを持たない後面開放箱であり、低音のエネルギーを溜め込まずに、息も軽やかにスパスパ前のめりに進むようなものである。パルス音の少ないモノラル録音は、中低音からしっかり音が立ち上がることで、アインザッツのタイミングが合ったサウンドを叩き出すことができるのである。さらに録音で足りないパルス成分を加える要素として、真空管のオーバーシュートも加勢していたのだ。
自宅のJensen C12R+Visaton TW6NGの周波数特性とタイムコヒレント特性
上:周波数特性はコンサートホールと似たカマボコ型特性
中:インパルス、下:ステップ、どちらも手足がピンと伸びた10.0
このように現在のオーディオ技術では正統と見なされている事柄でも、モノラル録音にとっては好ましくないことも多いわけで、モノラル録音にはステレオとは別のモノラル専用システムの構築が必要だ。無理にステレオ装置で聴くことに固執しなくなるだけで、心が晴れやかになること請け合いである。
【ピュア・モノラルのすすめ】
モノラル沼にハマった人なら誰もが経験することだが、モノラル録音のほうは時代ごとの録音規格の変化がはげしく、1910年代までのラッパ吹き込みは200~4,000Hz、1920年代からマイクを使った電気録音になって100~6,000Hz、1930年代にラジオ放送開始後にワイドレンジ化して50~10,000Hz、1950年代にFM放送とHi-Fi規格の登場で50~15,000Hzという変遷をたどっている。ステレオはその最後に現れたため、比較的安定した音質で聴けるのである。
1900~1940年代まで同じ78rpm盤でも3つ以上の録音規格の変遷があった(上記は全てHMVの蓄音機)
しかしよく見て欲しい。モノラル時代に拡張を続けた周波数バランスをみると、1940年代まではラッパ吹き込み以来の200~4,000Hzの周辺をウロウロしていることが判る。つまりボーカルの再生を無視したスピーカーは、スピーカー足り得なかったのだ。
1926年に登場した電気録音(100~6,000Hz)とラッパ吹込み(250~4,000Hz)の比較
1949年にLP盤発売とFMi放送をにらんで展開したモニタースピーカー
(100Hz以下は-10dB/oct、5kHz以上は-6dB/octでラウンド)
重ねて言うが、ステレオ装置で「ついでに」モノラル録音を聴くのはもうやめたほうがいい。そこを起点とするモノラル録音への批判はもう聞き飽きたし、いくらレコード会社側で音質改善を企てたところでまったく進展などしないからだ。過去50年以上にわたるステレオ録音から見下したモノラル録音への失言の数々は、あやまちとして素直に認め、ユーザー側で責任をもって方向転換を図るべきだ。つまり、モノラル録音はモノラルスピーカーで聴くという原点に立ち戻るべきなのだ。
モノラルスピーカーは立派でなければならない。とは、昔からよく言われてきたことだ。なぜかというと、ステレオなら小さいサイズでもスピーカーの間隔距離を広げると、スクリーンのように音場が広がるが、モノラルだとスピーカーの音自体の恰幅が良くないと迫力が出ないからだ。ボーズ博士がコンサートホールの響きを測定したところ、直接音:残響音=11%:89%ということで、有名なBOSE
901スピーカーシステムが誕生したぐらいだ。ところが音場感の定義が曖昧なモノラルは、直接音:間接音=7:3ぐらいに逆転する。ステレオスピーカーでモノラル録音がスレンダーで痩せぎすに聞こえやすい原因はまずここにある。
部屋の壁一面に音場感を張り巡らせるボーズ博士の理論
ではどれだけ大きければいいか?というと、それはウーハーの大きさが12インチ以上である。これには理由があって、スピーカーを平面バッフルに喩えると、最低共振周波数はfo=4250/L (L:半径cm)となる。つまり、アクティブに直接振動させている領域はスピーカーの半径に依存し、それ以下はバッフル面なりバスレフポートなりの柔らかい二次反射波で構成される。人間の聴覚は言語体系によって社会性を身に付けていくので、男声の胸音のフォルマントをカバーする30cm径が妥当ということになり、それ以下は緩やかな感覚で聴き取っている。よく小型フルレンジで女性ボーカルが綺麗に聞こえるのは、猫撫で声のような喉音の繊細な変化がクリアに反応するからである。
左:スピーカー径とアクティブな周波数領域、右:人間の母音のフォルマント
これはコンサートホールの音響においても同じで、出音からホールのエコーで200Hz以下の低音が返ってくるまで100msぐらいは遅れていることが判る。モノラル時代にコーナー型のバックロードホーンが流行したのはこの理由がある。これを見るとボーズ博士の理論は、音響エネルギーの大きい低音におけるものだと判る。逆に高音のほうは比較的低いレベルで残響音が累積しており、BBCが1970年代に研究した結果でも、高域での繊細な反応がホールの響きの特徴を左右していることが判る。
コンサートホールの周波数特性の調査結果(Patynen, Tervo, Lokki, 2013)
1970年代のBBCでのミニホール音響実験 |
BBC LS3/5a |
つまり、1970年代にBOSEやBBCが提言したステレオ音響理論に沿って、ステレオ録音のバランスも重低音と超高域のデフォルメが進展しているとも言え、それ以前の録音のバランスもおかしく聞こえる現象がおきているのである。Hi-Fi初期のモノラル録音のように、規格そのものが曖昧だった時代においては、モノラル録音そのものがデフォルメされているように誤解されている。これは広帯域化を前提にしたオーディオ装置が、人間の聴覚のコアとなるボーカル域でのアクティビティを見失って、その両端を押し広げていくことを技術の進化と呼んでいるからでもある。
では新しい録音で聴けば良いじゃないかと思うだろうが、クラシック音楽のように同曲異演が歴史的に重層するジャンルでは、1曲1枚ということでは飽き足らず、様々な解釈や演奏を楽しめるのだが、実際のコンサートステージのほうは地続きで演奏されているのに、録音形式やサウンドポリシーの違いで敬遠されるのは、日々修練しながら演奏している人々への敬意というものが足らないと思うのだ。
【プランその1】モノラル・マルチアンプ・システム
ここではモノラル録音のクラシック音楽を心ゆくまで堪能したいという人のために、お財布にやさしいモノラル・システムの構築について提案したい。それはモノラルで録音された時代の音響理論に沿った最低限のプランであって、当時の人がHi-Fi録音の魅力に憑りつかれたテイストを正しく継承するシステムでもある。私はこの課題に対し40年あまり悩み続けたが、21世紀に入ってこれからクラシックのモノラル録音を聴いてみたいと思いあぐねている人のために、今あるステレオ装置を解体して呪いを解いて、以下のようなルートでオーディオシステムをモノラル化する方法をを提案している。
・今持っているステレオ装置を解体する
・モノラル録音専用のオーディオ環境を整備する
・CDを始めとするデジタル音源を活用する
・新品で手に入るオーディオ機器を選ぶ
・ホームユースに適した大きさに整える
・誰でも手を出しやすいコストに抑える
Step-1:ステレオの解体 まずモノラル録音と真剣に向き合う最初のステップは、ステレオ装置で聴くことをやめることだ。その覚悟としてステレオ・システムを解体して、モノラル専用システムにすることである。使えるのはメディアプレーヤーとアンプだけ。その他は思い切って部屋から出してしまうがいい。
ひと口にステレオと言っても色々ござんす…広告では全部が本物だと主張するのですが
昭和末期(=アナログ全盛期)のシステムコンポは凄まじく複雑だった。なにせLPレコード、FMチューナー、カセットデッキ、CDプレーヤー、さらにテレビ音声やビデオデッキまで繋げてのメディア争奪戦を一手に引き受けていたのだ。この風習は単体オーディオという呼び名で現在も続いており、ステレオグランプリとか名機賞などでジャンルごとに優秀な機材を選んでいる。デジタル以降では少なくなったが、アナログ時代には機器同士の相性があり、黄金の組合せと称していた。猫に小判ではないが、タンノイにラックスマン、ジムランにマッキンという風に、聴く音楽ジャンルに合わせ誰もが納得する組合せがあった。しかしそれはステレオ以降の話であって、モノラルには通用しないのだ。例えば、1950年代のタンノイやアルテックのユニットをビンテージ市場で見かけることはほとんどない。モノラル・カートリッジもそうだ。あるのはLP盤と真空管アンプだけである。つまり入口と出口は1960年代以降のスタイル、ウレタンやゴムのフリーエッジのウーハーと、ステレオ盤を傷つけないように設計されたローコンプライアンス針のカートリッジで占められ、何とか時代の連続性を謳っているだけなのだ。躍動感が命のモノラル録音に対し、中域に艶も欠片もなく、低域がズドーン+高域がキラキラのフラット再生で、レーベル毎のサウンドポリシー(=イコライザー・カーブ)を評価する。こんなものはHi-Fiモノラルでも何でもない、ステレオのオマケで聴くためのものだ。
もうひとつの課題は、21世紀に入って版権の切れたモノラル録音が大量にBOXセットでデジタル・リマスターされていることである。実はこれらの録音はLP盤で求めようとしても高額なオークションに掛けられているものも多く、全て揃えようものなら1セットで100万円もくだらない投資を強いられる。それがオリジナルテープもしくはメタル原盤がらリマスターされて、従来の擦れ枯らしのコピーテープで作ったヘナチョコな再販LP&CDの音質とは様相の異なる鮮度を保っているうえ、1枚1000円以下という超お買い得価格で量販されている。上述したように、これに対する備えは、長年のレコードマニア、オーディオマニアの双方でもできていないのだ。世の中で起きているデジタルの情報量についていけず、悔しまぎれに入手した貴重なモノラルLP盤をビンテージ・オーディオと共にブログで紹介するのが精々である。
もし貴方がモノラル録音に興味を抱き、システムコンポのようにメディアプレーヤーとアンプが分離しているオーディオシステムをお持ちなら、心を鬼にしてステレオシステムを解体して、モノラルシステムへの鞍替えをお勧めする。折角揃えたステレオシステムだからと未練を残すと、モノラルの聖杯を受け取るチャンスを逃したまま、老後を迎えることになる。
モノラル時代のクラシック音楽は極めてマジメである。1970年代のフラワームーヴメントに毒されたクラシックなんて、それを基準にしていたらナイーブな感傷主義に陥るだけである。私が1980年代にレコード屋でメンゲルベルクの復刻盤を店頭に持ってくと、、店主ととぐろを巻いていたおじ様たちから「お兄ちゃん、シブいのを買うねぇ」と冷やかされたのを覚えている。私としては新譜で1枚2800円のところ、同じ値段で演奏も良く2~3枚買えるモノラル盤は宝物だった。チャラチャラしたステレオ装置でモノラル時代の演奏をまともに聴けないなら、人生の半分を失ったくらいに思った方がいい。今はそれに比べると遥かにメディア環境がよくなったと言えるが、肝心のオーディオ環境は悪いままである。
モノラル盤は今や旬を通り越して乱獲の時代=オーマンディ120枚、ドラティ31枚、アンセルメ26枚…天文学的な情報量
爆発的に増殖するモノラル録音のデジタル・アーカイヴの大海原を制するため、通常のステレオ・システムからモノラル化に移行するために必要な機材をリストにすると以下のとおりである。CDプレーヤーやアンプなど基本的な機材を差し引けばおおよそ6万円でモノラル化は間に合う。価格的にみてビギナー向けとは言え、曲がりなりにも30cmクラスのチャンデバ付マルチアンプ・システムで、レコードコンサートを開けるPA機器の基準を満たしており、オーケストラ録音でもガツンと鳴らせる底力を持ち合わせる。
機材 |
メーカー・機種名 |
価格 |
デジタル再生機器 |
ラックスマン製CDプレーヤー |
- |
イコライザー&リバーブ |
ヤマハ MG10XU |
\27,000 |
ライントランス |
サンスイトランス ST-17A |
\1,100 |
チャンネルデバイダー |
ベリンガー CX2310 |
\18,500 |
ステレオアンプ |
デノン製プリメインアンプ |
- |
ウーハー |
Jensen C12R |
\8,300 |
ツイーター |
Visaton TW6NG |
\2.300 |
スピーカー箱 |
後面解放箱 |
- |
|
モノラル化費用 |
\57.200 |
左:システム全体の周波数特性(試聴位置でコンサートホールの響きに近似)
右:インパルス応答(出音が綺麗な1波形に整っている)
Step-2:モノラルスピーカーの購入
モノラルスピーカーってステレオを1本にしただけでしょ? そう思うのは勝手である。しかし1本だけでバランスよく鳴り響くスピーカーとなると、そうは問屋が卸さない。現在売られているステレオスピーカーの多くは、両耳から聞こえる高域のパルス成分の分解性能を重視するので、ツイーターの指向性が極端に狭く敏感である。逆にウーハーはほぼ全方面に広がるように設計される。つまり高域と低域の性格分けがキッチリ整理されたマルチトラック録音でないとバランスが取れない。モノラル録音の多くはシンプルなマイク設置で入った音をそのまま収録しているので、高域のパルス成分は楽音と関係ないノイズであったり、低音も楽器から出る直接音をコンパクトなままで収録している。低域がズドーン+高域がチカチカのステレオスピーカーで聴くモノラル録音は、大概は単調で芯の硬い痩せぎすの音で再生される。つまりモノラル録音を再生するスピーカーは、コーン紙がパンパンに張ったフィックスドエッジのウーハーを基準に、低音と高音の躍動感が同じタイミングで鳴りつつ、それ自体がコンサートホールの響きと同じバランスが取れていないと具合が悪いのだ。
そうとなれば、兎にも角にもモノラルスピーカーがないことには始まらない。しかし肝心のモノラル・スピーカーは、どのオーディオ店に行っても売ってないと言ったが、これは本当である。ビンテージショップに行っても、状態の良いものはステレオペアでしか売らない。モノラルであったとしても程度の悪い余り物である。なので私は現在も製造を続けており、新品で揃えることのできるユニットで自作できるように見繕った。エンクロージャーは後面開放箱なので難しい設計も製作精度もいらない。ただしユニットは新品なのでエージングには数か月かかるが、保存状態の悪いユニットのご機嫌を伺って音楽鑑賞を続けるよりかはずっとましである。
そこでモノラル時代のビンテージ感を残しつつ、現在も製造を続けて新品かつ安価に購入できるスピーカーユニットとして、コーン紙がパンパンに張ったフィックスドエッジのJensen C12Rと、艶やかな倍音を奏でるコーンツイーターVisaton
TW6NGを選んだ。これを後面開放箱に入れるだけのシンプルなスピーカーを推奨する。このユニットの選択に至った経緯はダラダラと後述することとする。
結論からいうと、スピーカーユニットをアメリカ製Jensenとドイツ製Visatonにした組合せは、アメリカンな力強さとヨーロピアンな艶やかさがブレンドしたサウンドである。創業者のPeter Jensen氏はドイツの隣国デンマークからの移民で、独SABAと同じような辛口のトーンをもっている。それがソリッドなシカゴ・サウンドとして全米に広がるようになったのだ。対してVisatonは先に述べたように、1950~60年代の真空管ラジオで使用していた規格に沿いながら、センターキャップが樹脂製で、1970年代風のヨーロピアンな甘い艶が乗っている。このふたつが折り重なることで、アメリカンな筋力とヨーロピアンな気品が一緒になった、両者の良いとこ取りのサウンドになった。おかげで、以前はソリッドすぎて苦手だった米コロンビアやマーキュリーが残したアメリカのオーケストラのモノラル録音が、足腰がしっかりすることで躍動感のあるサウンドで楽しめるようになり、いよいよアーカイヴの幅が広がった感じだ。
そして何よりもこの二人の息がぴったり合っていることが重要である。ツイーターはホーン型、リボン型、ソフトドーム型と色々試してきたが、結局はコーンツイーターが一番相性がよかった。よく考えてほしいのは、1950年代の高級電蓄はコスト重視でしょうがなくコーンツイーターを使っていたのではなく、それが家庭で使うのに一番最適だと確信していたからに他ならないことだ。
・モノラル録音での重要なコア領域
モノラル録音で古さを感じさせないオーディオ機器の基本中の基本は、AMラジオ=ボーカル域の100~8,000Hzという周波数レンジで充実したサウンドを叩き出すことだ。AM放送など聴くと、立派なステレオよりも古いラジカセのほうがアナウンサーの声が自然で良い音で鳴るが、それには理由がある。それはラジカセに付属しているスピーカーのタイムコヒレント特性(波形の時間的整合性)が素直で、波形が整って一体感が出るからである。逆に立派なステレオのほうはボーカル域が重低音に足を引きずられ、高域のパルス波は支えを失って空中分解して、高域不足でモゴモゴした声になる。
このため、モノラル録音のために選ぶべきなのは、重低音を重視するウーハーではなく、ボーカル域の一体感を重視したエクステンデッドレンジを選ぶべきである。よくフルレンジかウーハーかで悩むことは多いのだが、低音も高音も出ないエクステンデッドレンジを選ぶことは勧めていない。これは大変な勘違いである。このバランスを最初に見誤ると、鈍重なウーハーに対しツイーターのキャラクターにシステム全体のトーンが引きずられ、レーベル毎のサウンドポリシーとの相性に一喜一憂する事態に陥る。よく勘違いしているのが、レコード会社ごとのサウンドポリシーが明瞭に分かるから音が正確なのではなく、むしろどのレーベルでもHi-Fiでニュートラルに聴こえることが正常なのだ。その基準がコンサートホールの響きにあることは先に述べたとおりである。
聴きたいのはレーベルの音ではなく演奏者のパフォーマンス
自宅のモノラル・システムに行き着くのにまず参考にしたのは、1950年代のドイツ製真空管ラジオである。フルトヴェングラーをはじめとする1950年代のクラシック放送用ライブを、なんとかまともに聴きたかったからである。このラジオ放送用ライブは、1980年代まではAMラジオをエアチェックしたような寂れた音の海賊版が主流だったが、21世紀に入ると本来のFM放送音質のオリジナルテープが放送局の保管庫から大量に放出されるようになり、モノラル録音のリファレンスとすべき音質がかなり変わった。一番変わった点は、それまで放送用音源のオリジナルテープの音など誰も聴いたことがないため、旧来のレコードマニアが比較対象としていた初期プレス盤の存在がリセットされた状態で、ニュートラルな状態でモノラル録音のサウンドに向き合うことができた点だった。
21世紀になって本来のFM放送グレードで蘇った1950年代のライブ録音
ところでこの時代のFMモノラルHi-Fiラジオは、どんなに高級でもAM放送やSP盤と切っても切れない関係にあったため、フルレンジに相当するスピーカーに旧規格の100~8,000Hzの音声を受け持つエクステンデッドレンジ・スピーカーを配置し、ボーカル域全体でフィックスドエッジに支えられた瞬発力のある反応を保持しており、重低音よりも中域の明晰さを重視したものであった。このエクステンデッドレンジ・スピーカーに対し、Hi-Fiに対応する高域をコーンツイーターで補っていた。実は1970年代の日本製モノラル・ラジカセも同じ規格のもとで設計されており、少年時代の思い出と共にモノラル・システムの再構築をはじめたのだ。
上:ドイツ製ラジオTelefunken Cocertino 7(1956-57)
下:中央のメインスピーカーはAM用、高域はエコー成分を担当
・卓上ラジオからPA機器へのグレードアップ
ラジオからのグレードアップとくれば、通常なら38cmウーハーの大型システムと行くところだが、私はデジタル対応で改良が加えられたステレオスピーカーがモノラル録音と相性が悪いのは百も承知だったので、こちらのほうはパス。そこでグレードアップの方向性を変えてみつけたのが、1950年代末の高級ラジオ電蓄の仕様である。実はこれがAM・FMのどちらでも音声が明瞭に聞こえるようなコンパチ仕様で、ウーハーに相当するユニットはラジオと同じエクステンデッドレンジ・スピーカーを大口径にしただけで、最高級だったテレフンケンやデッカも、当時の真空管ラジオで使っていたのと同じコーンツイーターを採用していた。日本でコーンツイーターといえば、最安のステレオセットに付いているようなイメージがあり、そのほうが安く手に入ったので、EMIもイソフォンも物品税を上乗せされた海外製品をわざわざ買うような魅力に至らなかったとみるべきだろう。
ところがこの大口径エクステンデッドレンジというのが強力な再生能力をもっており、それだけでちょっとしたレコードコンサートが開けるぐらいのグレードをもっていた。ラジオ用と大型電蓄用のユニットでの大きな違いは音響出力で、ラジオ用が2~3Wで天張ってしまうのに対し、大型電蓄やPA用は20~30Wクラスとなり、通常の家庭用ならおこるスピーカー側でビリついたり磁気飽和してコンプレッションが掛かることはない。入ってくる波形電流を間髪なくスカッと空気振動に代えてくれる。これがツイーターではなく、ウーハーから吐き出してくるのだから、ピアノの打鍵からオケのトゥッティの一体感までグッと盛り上がるのだ。
Siemens Z59M(1955年)
オープンリール、LPプレイヤー、チューナーを装備 |
6 Ruf lsp. 23a (ウーハー4本、ツイーター6個)を
EL34プッシュプルで鳴らす |
テレフンケン O85aモニタースピーカー(1959?)、Isophonのスピーカーユニットの周波数特性
デッカ Decolaステレオ蓄音機とスピーカー部分(1959)、EMI DLSシステムのスピーカー特性
EMIの同軸2way楕円スピーカーの特性(日本でも販売されていた)
こうしてみると、ジャズにはアルテック、クラシックにはタンノイという、オーディオマニアに向けた黄金の組合せを指南したオーディオ評論は、家庭用に設計された高級電蓄の世界とは異なる価値観、つまり他では滅多に聴けない特別なサウンドという見立てが成り立つ。常識的な範疇では、ラジオと同じレンジ感でモノラル録音が十分に鑑賞できたのである。そこにボーカル域でのグレードを語るだけの度量がなかっただけなのだ。例のコントラバスがシンバルがという、ドンシャリ好きなオーディオマニアの戯言が毎度のことながら筆頭に立つのである。
面白いことに、ラジオや電蓄で使用されたエクステンデッドレンジ・スピーカ-は、10cmでも30cmでも同じ周波数レンジなのだが、ラジオや卓上電蓄はフルレンジ、大型システムに組み込まれたものはウーハーと見なされ、実はそう呼んだほうが便宜上分かりやすいためそうしているに過ぎない。しかし、このフルレンジからウーハーにグレードアップしようとしたところ、1950年代の仕様で造られた大口径エクステンデッドレンジは、ビンテージ市場でも見つけるのが困難で、急に奈落の底に落ちたように冥界を彷徨うことになるのだ。まさにモノラル録音の再生は、煉獄にいるマエストロを訪問するような感じに受け止められているかもしれない。
さらに追い打ちを掛けるように、1980年を境にデジタル対応の波がオーディオ業界に押し寄せて、旧来のボーカル域を中核とした音響設計はほとんど顧みられなくなった。つまりモノラル録音を聴くための入り口さえ閉ざされた状態になったのだ。それ以前にモノラル録音に最適なエクステンデッドレンジ・スピーカーはラジオ用の10~16cmフルレンジとしてしか製造されておらず、大口径エクステンデッドレンジは1960年代初頭には製造をやめている。このためサバイバーとして生き残ったビンテージ品は製造から60年以上経ったものがほとんどで、その間にコーン紙が全く劣化しないはずもなく、電蓄から取り出したスピーカーの多くは干からびてエッジがバリバリ割れている状況である。
・現代におけるビンテージ設計のスピーカーユニットの選抜
このため、設計方針を大型Hi-Fi電蓄に焦点をあてつつ、1950年代の音響設計を保ちつつ現在も製造を続けていて、新品で手に入るスピーカーユニットとして選んだのが、Jensen
C12RとVisaton TW6NGである。
Jensen C12Rはギターアンプ用として売られているが、製造開始した1947年時点では、コンサートシリーズという汎用のPAスピーカーであり、フィックスドエッジの大口径エクステンデッドレンジという仕様のもつ、中低域から中高域にかけての(つまりボーカル域での)出音の波形がストレートで綺麗に出揃う快感は、クラシックにおいても大きなアドバンテージとなる。このユニットは1940年代にはScott社の高級ラジオ電蓄にも搭載されていたし、1960年代初頭ではRock-olaのジュークボックスとFenderのギターアンプに同じC12Rが搭載されていた。つまりオーディオ用としてもパフォーマンスは折り紙付きなのだ。JBLやアルテックでも1950年代のフィックスドエッジともなれば、なかなかお目に掛かれないレア物であることを考えれば、これは大変なお買い得品ということになる。
一方でビンテージ品で出回るのは、家庭用の電蓄に使われた格下のスタンダード・シリーズのP12SやP12Tか、WE向けに設計されたずっと格上のAuditoriumなどの両極端に分かれており、その中間にあたるコンサート・シリーズがオーディオ用として出回ることはない。P12RとP12Sは見た目もそっくりなので、性能も変わりないようにみえるが、RのほうがS,Tより磁束密度が1.5~2倍あり、この辺から反応の速さでじわじわと違いをみせてくるのである。この中級機というのが安いコストでパフォーマンスを妥協しない狙い目なのだ。
このC12Rを後面開放箱に入れることで、中低域の200Hzから中高域の4kHzにかけて出音がスパッと揃い、モノラル期の新即物主義のキビキビした演奏の機知が味わえる。これは普通のフリーエッジのウーハーだとQts=0.3に抑えてあるため後面開放箱に入れると空気抵抗がないとフラフラしてしまうが、Jensen
C12RはQts=2を超えるガチガチのフィックスドエッジで、なおかつ機械バネのように瞬時にコーン紙を戻してしまうため、中低音がまごつかず瞬発力の高いまま音楽を保持する。これは同じJesnenの上位機種であるP12Nでは、Qts=0.8まで下がっていくため、バスレフに入れても大丈夫なぐらいのスペックになる。同じフィックスドエッジでも料理のしかたが違うのだ。
そしてC12Rの機敏な中低域は、モノラルのライブ録音のようなシンプルなマイクアレンジで本領を発揮する。これはラジカセでAM放送を聴いた世代なら、発音のイントネーションが正確なまま、スピーカー径を大きくすることの難しさが判るかと思う。大体は胸声でモゴモゴした得体の知れない不自然な声に変容するのだが、これはパルス成分を抜いたときウーハーだけの実力が伴ってない証拠である。モノラル録音では重低音だけの誤魔化しでは役に立たない。
さらにはコーン紙自体がリバーブのよう役割をもっていて中域から深い艶を出す。これを3.5kHzで斬る理由は、C12Rのセンターキャップはボイスコイルにフェルトを貼り付けただけのもので、ボスコイルの共振を派手に出すことで中高域の輪郭を強める、メカニカル2wayのような役割をもたしている。これが非常に耳につくピーキーした音なのだが、チャンデバで斬るとスッキリした波形に整うのだ。
Jensen C12Rをチャンデバで3.5kHzカットする前後の周波数特性とステップ応答の比較(45°斜めから計測)
対するVisaton TW6NGは1950年代のドイツ製真空管ラジオに実装されたコーンツイーターと同等のものであり、中央のセンターキャップが樹脂製で甘い艶のある音を出す。ところが周波数特性を調べると、5kHzと13kHzでザワつくだけのもので、現在のツイーターとは役割そのものが違うようである。
ドイツ製で格安のVisaton TW6NGコーンツイーター(試聴位置:仰角75°からの特性)
Visaton TW6NGのタイムコヒレント特性
この2つのユニットはあくまでも部品であって、トータルなサウンドとして整えるにはさらにひと工夫いる。自分の耳でバランスを整えた2wayスピーカーの特性をみると、ツイーターの役割はかなり控えめで200~1,200Hzを中心に両端はロールオフするカマボコ特性である。だが、インパルス特性は100~6,000Hzがスマートな1波長に整っている。これだとピアノの打鍵やオケのアインザッツがしっかり噛み合っているのと、弦楽器のボウイングのふくよかな躍動感など、腰の据わった表現が聴ける。これがモノラル時代の人たちが日常的に触れていたサウンドの本領である。
周波数特性(斜め45度計測) |
インパルス特性 |
音調を整えた後のJensen C12R+Visaton TW6NGの周波数特性とインパルス特性
・部屋の音響に合ったサイズ
モノラルスピーカー選びの盲点は、適度な大きさに留めることである。1950年代のハイエンドのスピーカーをみると、ともかくガタイが大きい。まさに横綱級といったところだが、ウーハーは15~18インチ(38~45cm)でエンクロージャーも300ℓを優に超えて、タンスとどっこいどっこいの大きさで、しかも重たい。多くの人が6畳間のプライベートルームを確保できるのがやっとな状況で、低音の制御も考えると選択肢からまず外すべきだと自分は考える。
アメリカでも問題になったコーナーホーンの置き場、日本のオートグラフ伝道師の大部屋
これとは正反対に20cm(8インチ)クラスのフルレンジも人気で、ブックシェルフの箱に収まるのと、多くはモノラル~ステレオ移行期に設計されたため、低域と高域のバランスが良いのが特徴だ。しかしこの問題点は、スピーカーがモノラル再生に特化したものでないだけに、高域の指向性が狭く設計されているため1本だけだと音に広がりが出ない、ステレオ配置にしたらしたで最近の小型ブックシェルフに性能面で見劣りがする(別の欲が湧いてくる)。例えば英ワーフェデール社は、Omni-directionalという全方位型スピーカーを長い間製造しており、一般家庭での音の広がりについて執着していた。フルレンジは各メーカーのサウンドポリシーが大きく作用しているので、1960年代にかなり執着心がないと幸せな結末にはいたらないだろう。当時も20cm径の両端を広げる3wayのスピーカーキットが売られており、宇野功芳さんはこれでずっと試聴していた。
ステレオのもつ空間性を無視したスピーカーの配置は1960年代の特権か?
宇野功芳さんも愛用したフルレンジ拡張キット(右はワーフェデールW70初期型)
ワーフェデール社が推し進めていたOmni-directional型スピーカーAiredaleと実証実験
しかし私が勧めたいのは、その中間の30cm(12インチ)径のエクステンデッドレンジで、これが1950年代のホームユースで最もポピュラーなサイズである。何が良いかと言うと、小音量でもバランスが崩れないうえ、パワーハンドリングのうえでもキッチリ吹き上がりの良い音を出してくれからだ。
ちなみに我が家ではモノラルスピーカーをディスクサイドに置いている。30cmクラスのスピーカーはステレオだと仰々しい大きさに思えるのだが、ちょうど人間が一人分、椅子に座っているようなスペースに収まる。これはル・コルビジュエのモデュロールをみても明らかなのであるが、一般家屋のスペースファクターは押し並べて人間の身体の大きさに最適にできている。
これを無理にコンサートホールのように錯覚させるのがステレオということになるのだが、ステレオだと壁一面を占拠し、なおかつ三角形となるように空間を空けなければいけない。6畳間でも狭いのだが、スピーカーの背面を含めて3π空間を空けるとなるとさらに難しくなる。
モノラルスピーカーでの試聴は、人間中心にレイアウトして心地よさが増すのだと思った。
ル・コルビュジエのモデュロールと自作スピーカーの寸法関係
Step-3:アナログ的な味付け
ここまではモノラルスピーカーの構築について述べたが、実はCDそのままの音をこのスピーカーにぶつけても決して良い音では鳴らない。つまりスタジオで真空管カッターレースを操る職人さんから、自宅のカートリッジ~真空管アンプまでに含まれたアナログ的な味付けが無いと、じつに味気なくなるのだ。
そこで味付けのエッセンスとして加えているのが、サンスイトランスST-17Aとヤマハのミキサーに付属しているデジタル・リバーブである。
サンスイトランスは1960年代初頭にトランジスター・ラジオに組み込むために設計されたもので、わずかにラウンドしたカマボコ特性は、録音年代によってサウンドポリシーの激変するモノラル録音のコアな周波数領域を炙りだしてくれるし、さらに電圧の低いライン出力でもMMカートリッジのような良い塩梅のサチュレーション(高次倍音)が加わってくれる。
Jensen C12R+Visaton TW6NGの1kHzパルス応答特性(ライントランスで倍音補完)
ヤマハの卓上ミキサーMG10XUは、カラオケ大会でも使える簡易PA用だが、心臓部となるオペアンプは自家製チップを使いノイズレベルが低く音調がマットで落ち着いてるし、3バンド・イコライザー、デジタル・リバーブまで付いたオールインワンのサウンドコントローラーである。ヤマハのデジタル・リバーブは24bit換算の精緻なもので、リマスター時点でかけて16bitに落とすよりずっと自然なニュアンスで艶や音場感を調整できる。
ヤマハの簡易ミキサーに付属しているデジタルリバーブ(註釈は個人的な感想)
これのデジタル・リバーブは、世界中の音楽ホールの響きをを長く研究してきたヤマハならではの見立てで、簡易とは言いながら24bit処理で昔の8bitに比べて雲泥の差があるし、思ったより高品位で気に入っている。リバーブというとエコーと勘違いする人が多いのだが、リバーブは高域に艶や潤いを与えると考えたほうが妥当で、EMT社のプレートリバーブ(鉄板エコー)は1970年代以降の録音には必ずと言っていいほど使われていた。残響時間とドライ・ウェットの調整(大概が30~40%の間で収まる)ができるので、録音状態に合わせてチョちょっといじるだけで聴き映えが変わる。
クラシック用で気に入っているのが、2番目のホール・リバーブNo.2で、高域がブライトなデッカやテレフンケンなどの録音で、中域からニスで磨いた木肌のようなヨーロピアンな艶が加わり、なおかつイコライザーで持ち上げたような位相変化やザラツキもないので重宝している。逆に1番目のホール・リバーブNo.1は、アメリカンなマットなテープ録音の雰囲気をもった音色で、少し音が生硬い米コロンビアや独グラモフォンの録音などで、よりシリアスでマッシブな力感を出したいとき、低域のリズム感を犠牲にすることなくニュートラルに整えることができる。面白いのが6番目のステージ・リバーブNo.2で、EMIのようなくぐもったエコーが掛かり、例えばデッカの録音でもEMI風に変貌する。これと反対なのが5番目のステージ・リバーブNo.1で、中高域に艶を与えるような効果があり、なおかつリズムをタイトに引き締めてくれるため、フォッギーなEMIの録音でブリリアントなサウンドに調整したいときに役立つ。
実はこれらのリバーブの後段にローファイなサンスイトランスを噛ましているのがミソで、ちょうどリバーブと磁気飽和したときの高次歪みがうまいことミックスされることで、楽音とタイミングのあった倍音が綺麗に出てくる。正確な再生というよりは、楽器のような鳴らし方が特徴的だ。
【プランその2】ドイツ製フルレンジ・セット
ところで卓上ラジオやラジカセなる便利な音響機器に接したことが無く、お試しでモノラル・スピーカーでの試聴をしてみたい人には、ラジオ用に設計されたフルレンジでの試聴をお勧めする。それも後面開放箱に入れた状態がよく、これに耐えられるQtsの高いユニットを選択することになる。普通に売られているQtsが低いフルレンジはバスレフ箱に適した設計となっており、背面に空気抵抗のない後面開放箱に入れるとフラフラ揺れて低音がからっきし出ない。かといってバスレフ箱に入れると、柔らかい低音と指向性の狭い高音とがアンバランスに鳴って、モノラル録音を盆栽のように狭い音場感に閉じ込めてしまう。モノラル録音では、後面開放箱に入れたスピーカーの歯切れがよく躍動感のある音で、ぜひ堪能してもらいたいのだ。
後面開放箱に入れても大丈夫なフルレンジとしては、1980年代までは手軽に手に入ったジーメンス14gやSABAグリーンコーンなどのドイツ製フルレンジがあって、平面バッフルや後面解放箱に取り付けるだけで、モノラル録音をハキハキとした音調で聴かせてくれる定番アイテムだった。ところが30世紀を跨ぐ頃から、ラジオ保守部品としてデッドストックしていたユニットも枯渇し、中古市場で1本3~4万円で取引され、ヘタな小型2wayよりも高価になってしまって、初心者用というよりはベテラン向けの嗜好品になってしまった。これでは手段が目的になるオーディオマニアの悪しき習慣に陥る可能性が大きいのだ。
左:ジーメンス14g、右:SABAグリーンコーン
現在製造されているほとんどのフルレンジは、バスレフ箱に入れることを前提にQts=0.3~0.5に設定されており、これだと後面開放箱に入れてもフラフラするだけで全く低音が出ない。そのうえ高域もステレオ用に指向性を狭くしており、モノラル1本で使うとレーベル毎でトーンキャラクターがブレやすい。現在製造されているものでお勧めなのは、独Visaton
FR6.5という16cmフルレンジで、Qts=1.96というローコンプライアンス設計は後面解放箱に付けても大丈夫な固さであり、5kHz付近に強いリンギングがあるため斜めから聴いてもブリリアンスが落ちることがない。
周波数特性をみると300~5,000Hzを中心としたカマボコ型だが、ステップ応答はクリーンかつスレンダーに収まっており、入力信号に対し機敏に反応していることが判る。録音の質で一喜一憂することなく、破綻のないバランスで聴き通せる。6kHz以上の高音はレベルはガクッと落ちるが、ステップ応答でみるように先行音として役割を果たしており、思ったほど高域が減衰しているような印象はない。ただしライントランスは高域の伸びたST-78にし、これ以上高域のレベルを落とさないようにしている。一方では低域不足のようにみえるが、これで未完成交響曲の冒頭のコントラバスなど音程も明確に判る程度に再生できる。ちなみにこのスピーカーの設置は、QUAD
ESL57がそうだったように、基本的に床置きである。机やカラーボックスの上に置いたりして、スピーカーの中央が耳に向くようなことはせず、部屋全体に響きが充満する位置を捜すことである。やれSACDだのハイレゾだとかうつつを抜かす前に、この帯域バランスと機敏なレスポンスで、モノラル録音を心ゆくまで堪能してほしい。
Visaton FR6.5の斜め30°から計測した周波数特性とステップ応答
自作した後面解放箱は、板割りを近所のDIY店で切り売りしている40×45cm、15mm厚のパイン集積材を基本に、周囲を15cm幅×45cm長、19mm厚の板で囲うようにしている。この大きさはエンクロージャーの最低共振周波数を100Hzより少し高めに設定し、ボーカル域での胸声の被りを軽減するようにした。これも経験上のことで、薄いコーン紙のフルレンジでむやみに重低音を伸ばしても、ボヤっとした低音は音楽の躍動感を殺す結果を招きやすい。ここは省スペースも考えて大きさを抑えるようにした。
実はこの16cmフルレンジと30cm2wayの周波数特性はそれほど変わらない。むしろ16cmのほうが低音はファットに膨らんでいる。では何が一番違うかというと、30cmクラスになると中低域からスピーカーのダイレクトな波形が再生されるため、音楽の腰が据わったように安定するのである。対する16cmのほうは500Hz以下は箱の反射を通じて遅れて発せられる柔らかい低音である。トータルなトーンは変わりないが、音楽の流れが違う。
この些細なグレードアップができないまま、低音を重たくし、高域を鋭くしたのが、現在のオーディオ技術といえる。ピアノの打鍵と反響音のタイミングが合わず高域不足になる、オケのアインザッツが揃わず低音不足に陥る、そういうステレオ装置で聴くモノラル録音は確かに音が悪い。しかしその原因は、録音にあるのではなく、所持しているオーディオ装置の裸特性が悪いのである。
【モノラル録音に潜む伏魔殿】
【評価の難しいSP復刻盤】
LP以前の78回転盤の時代は。高額なクラシック演奏家に払えるレコード会社も限られ、英HMV、米コロンビア、米RCAビクターの3社以外のレーベルは、盤質も含め不十分であったと考えていいだろう。独グラモフォン、独テレフンケン、仏パテなどは、味わい深い演奏が多くとも、世界的に大恐慌に見舞われた時代にプレスされたSP盤自体が希少なうえ、復刻盤では本当の音がどうなのかも判らない感じである。さらにラッパ吹き込みの時代までいくと、その演奏が聴けるだけでも有難いということになり、音質のことなど二の次でもある。
ここで、高級蓄音機だったビクトローラ・クレンザとEMG Mark.Xについて取り上げてみよう。
クレデンザは蓄音機の女王と呼ばれるような名器で、ベル研究所が開発した電気録音のために設計された最初にして最後の蓄音機でもある。というのも、その後にビクトローラ社はRCAに買収され、元の開発したWE社とは縁が切れたばかりか、ラジオとの連携を保つため電蓄の製造に方向転換したからである。その開発時の資料をみると、従来は200~4,000Hzで山なりだった蓄音機に対し、100~6,000Hzでフラットな特性を保つという新時代のものだった。逆に言えばアコースティックなラッパ吹き込みではコントロールできなかったレコードの周波数特性が、電気的に可変ができるようになったと考える方が普通である。
ビクター蓄音機の銘機クレデンザの周波数特性。確かに狭い。しかし音は良い。
これとは逆にEMG Mark.Xは、ラッパ吹き込みのレコードを最大限に鳴らすように設計されたもので、クレデンザとは全く逆の発想であった。しかして両者の周波数特性を比較してみると、クレデンザがリプロデューサーの金属板でリバーブのように倍音を付加しているのに対し、EMGは雲母の振動板でナチュラルに鳴らすようにできている。そして特性はフラットではなく、コンサートホールの響きに似たロールオフするものとなっているのだ。つまり長い音道のホーンのなかで響きをつくって、中低域にふくらみをもたせるように設計している。
ところでこれらをCD復刻盤でそれなりに聴こうとすれば、まさに課題が山積みとなる。ひとつはアコースティックな蓄音機のホーンで醸し出すエコー成分が、電気的な復刻盤だとまるっきり抜け落ちてしまう。もうひとつは針音を避けるために掛けた電気的なフィルターのせいで、音の艶がまったく失われてしまっていることだ。これはイギリスの復刻盤に多くあるもので、例えばEMIが出していたGRシリーズ、さらには英Parl盤などがそれに該当し、この音を正しいと思っているのかと不思議でならなかった。
最近になって理解できるようになったのだが、この手のコレクターは中高域が強めの古いフルレンジのスピーカーを内蔵した電蓄を大切に使い続けて、そのパツンパツンのキャラクターに合うようにしているのであろうという筋立てである。私自身も壊れかけの真空管ラジオを通して聴いた感想では、通常は高域が渋めなイギリス製のスピーカーだが、むしろ威勢が良い下町のあんちゃんのような音なので驚いた。これには、スピーカー自身が分割振動を多く出しており、それ自体がリバーブのような働きをもっていることが挙げられる。
実はこのリバーブのような機能は、今日ではギターアンプ用のスピーカーとして売られており、ジェンセンやセレッションというメーカーが昔の仕様のまま製造されている。ジェンセンの12インチスピーカーはジュークボックスに使用され、セレッションG12シリーズは、もともと高級ラジオ電蓄用に開発されたユニットであった。むしろその過剰な色付けがHi-Fiステレオでは仇になったきらいがあるものの、それ以前の録音に対してはむしろ有効な機能でもあったのだ。
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ティボー 英HMV録音集
仏パテでの幽玄な趣きがフランスのエスプリと評されるティボーだが、この英HMVでの電気録音は、鮮明な録音であるにも関わらず、多くの人が味気ないと毛嫌いする傾向があり残念だ。ラテン系の小品を集めているため、やや人気の出ない感じだが、巻末のラロ
スペイン協奏曲は、ティボーの十八番であったにも関わらず正規盤のないまま戦後のストコフスキー共演盤が出回っていたが、ここにきて戦中のアンセルメ共演盤がでて万全の収録となった。 |
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コルトー 戦後録音集(1947-54)
戦後ロンドンに渡り、ショパン、シューマン、ドビュッシーなど昔から得意にしていた作品を録音したもの。ほとんどはLP以前の1940年代末の録音だが、奇跡に近い復刻状態で、19世紀のサロンに迷い込んだかのような堂々とした弾きっぷりに脱帽。この当時、ロシア系やリスト系の技巧的なピアニストがほとんどを占めるなかで、コルトーの演奏は弱めの打鍵でサラッと弾く奏法であり、この状態で録音として残っていたのが不思議な感じである。ちょうどコルトーは戦時中のナチスとの関係で演奏活動が途絶えていた時期で、世評でいう技巧の衰えがどうのという以上に、ピアノを弾く喜びに満ちた表情が印象的である。 |
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ストラヴィンスキー自作自演集
Vol.I(1928-47)、Vol.II(1930-50)
英Andanteの復刻したアンソロジー集だが、大半がパリ時代のSP盤で占めている。もちろんアメリカへ亡命後のNYPを振った力強い演奏も面白いが、やはりストラヴィンスキーの活躍の場はパリにあったのだと確信させる内容である。仏コロンビアに吹き込んだ演奏は、ややおっとりした感じもあるが、その柔軟なリズム運びは後の時代には得難いものがあり、それはこの時期にピアノ演奏まで精力的にこなしていたことも含め、ストラヴィンスキーの目指した新古典主義のフィジカルな部分に接する感じがする。ちょうど、油彩のモンドリアンを見るような、カンバスのエッジの厚みまでが作品のうちという面白味がある。 |
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ロジンスキ/クリーヴランド管 コロンビア録音集
コロンビアレコードがソニー傘下にはいって、一番幸福だと思えるのが古い録音のデジタル・アーカイヴである。詳細は分からないが金属原盤から復刻したと思わしき鮮明な音で、本当に1940年代初頭の録音なのかと思うほどである。しかしLPでもあまり出回らなかったマイナーなアーチストを丁寧に掘り起こし、文字だけなら数行で終わるようなクリーヴランド管の原点ともいうべき事件に出会ったかのような驚きがある。個人的に目当てだったのは初演者クラスナーとのベルクVn協奏曲で、英BBCでのウェーベルンとの共演では判りづらかったディテールが、最良のかたちで蘇ったというべきだ。 |
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ジネット・ヌヴー EMI録音集
30歳に飛行機事故で夭折した天才バイオリニストとして伝説化しているヌヴーだが、1940年代に行われたヌヴーのEMIセッションは、ほとんどが78rpmのSP盤用に録音された。従来はLP用にコピーされたテープが使い回しされてきたが、ここにきてようやくSP原盤から復刻されるようになった。これまではアビーロード・スタジオが専属でEMIのリマスターを手掛けていたが、ワーナーグループに入ることで、仏Art&Son
Studioに委ねられるようになり、より客観的に当時の録音品質を問うことができるようになったと思う。 |
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マーラー交響曲4番/メンゲルベルク アムステルダム・コンセルトヘボウ管(1939)
メンゲルベルクはマーラーが生前最も信頼していた指揮者で、同じ曲を2人で午前と午後で分けて演奏して互いの解釈を聴き比べたという逸話も残っているし、交響曲5~7番は共同でオーケストラ譜の校訂まで行っていたし、作曲家の死後に招待されたウィーンでの「大地の歌」は、コンマスのアルノルト・ロゼーをして「はじめてこの曲の真価に触れた」と言わしめ、さらに演奏後にアルマ夫人より直々に手譜稿を寄贈されるなど、様々な伝説をもつ。おそらくマーラーの死後に全曲演奏会を遂行した最初の指揮者だったかもしれず、戦前にマーラーの交響曲を500回以上も演奏した、まさにマーラー作品のパイオニアでもある。このライブもブロッホをはじめユダヤ人作曲家の作品を集めた演奏会の一幕だった。アールヌーボーのガラス細工を見るような作り物めいた雰囲気は、この世の楽園の虚構性も突いていて中々に辛辣な一面も持っている。 |
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チャイコフスキー P協奏曲 ホロヴィッツ/トスカニーニ/NBC響(1941)
若いホロヴィッツがトスカニーニ翁を煽ること煽ること。まるでサーカスを見ているようで爽快である。多分、例のごとく音符が楽譜より多くなっているような気がするが、競争曲ともいうべきスリル満点のアクロバットぶりは、オリンピックで世界記録を出した瞬間の興奮と同じ種類のものだ。ブルース歌手には悪魔に魂を売ったクロス・ロード伝説があるが、ロシアのピアニストにはそういう逸話がないのかしら? と思うほどに取り憑かれた打鍵ぶり。ホロヴィッツ選手9.99の演技をとくとご覧あれ。 |
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マーラー交響曲2番「復活」/クレンペラー アムステルダム・コンセルトヘボウ管(1951)
アムステルダム・コンセルトヘボウ管は、初演こそケルンやミュンヘンが多かったが、長く首席指揮者に君臨したメンゲルベルクの下、マーラー演奏に作曲家も認める手腕を発揮してきたことで知られる。この復活はクレンペラー自身がマーラーの助手として働いていた頃に何度か副指揮者として立った経験のある思い出深い曲。大変彫りの深い演奏で、オタケンのアセテート盤録音からのテストプレス盤の復刻もしっかりしたものになっている。アメリカでの就職活動が上手く行かず、ややムラっ気の多いこの時期のクレンペラーに対し、全てが整えられて準備されたうえでクレンペラーの統率が揃ったというべきかもしれない。テレビのインタビューでクレンペラーは、同じマーラー作品の偉大な指揮者だったワルターとの演奏の違いについて問われたところ、「ワルターは道徳主義者で、私は不道徳主義者だ」と答えたというが、実はお気に入りの言葉らしく、同じことをバレンボイムにもベートーヴェンのP協奏曲のセッションの合間に何度も言ってたらしい。こうした奇行の数々が功を奏してか、デモーニッシュな闇から徐々に光を放つこの作品のコントラストをよりハッキリと表現しているようにも感じる。ジャケ絵は聖母フェリアー様ではなく、クレンペラーが大腕を振り上げている姿にしてほしかった。 |
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トスカニーニ生誕150周年記念ボックス
既に大量のCD復刻を終えているだけに、150周年はトスカニーニの長い録音歴をたどるエッセンスを集めた控えめなセットとなったが、このなかに収められている戦前のフィラデルフィア管とのセッション録音が非常に良い復刻で、高域を10kHzまで伸ばした正統なHi-Fi録音であるにも関わらず、ストコフスキーの大げさなパフォーマンスで盛り上げる感じではなく、トスカニーニがまじめに大オーケストラを振るとこんな感じになるという、面白い化学反応が味わえる。
もうひとつのお祝い品は、フォルスタッフ、オテロ、ラ・ボエームなど1940年代のイタリアオペラの録音が元のSP原盤から復刻されたことである。これらの録音はLP発売以前に78rpm盤で企画されて録音がはじまったが、いざ発売しようとした段に入ってLP販売がアナウンスされてリリースにストップがかかり、紆余曲折のうちにエコーやイコライザーでの音質改善(?)が付加されてテープ編纂され、元のキレキレのアンサンブルが失われたと批判されていた。この記念ボックスには、その原盤と思わしき音源を収録してあり、その割に話題にならなかった不思議なセットとなった。ご多分に漏れず、悪評高い8Hスタジオでのドライな音ということが前面に出ているため、敬遠している人も多いのだと推察される。
結果はどうかと言うと、ともすると力で押し負かそうとする感じも無きにしも非ずなトスカニーニの激情が、実はドラマの転換に機敏に対応した歌手とオケの一体感のあるアンサンブルを目指していたことが判る。それは歌手の大見得を切ったパフォーマンス毎に拍手喝采で遮られることもなく、プロンプターのささやき声を待って歌い出すようなこともない、理想的な状態でのオペラ上演のかたちを願ってやまなかった、トスカニーニの熱情そのものである。ルネサンス期のフレスコ画になぞらえると、太い筆でなぞり描きしたような修復が施されていたのが従来の盤、その上塗りされた油絵具を丁寧にふき取って本来のディテールと色彩を取り戻したのが本盤ということになろうか。いずれにせよ、ちゃんとしたモノラル試聴環境を整えてから聴くことをお勧めする。 |
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フルトヴェングラー/バイロイト祝祭o:ベートーヴェン第九(1951)
戦後バイロイトのこけら落とし公演となった世紀の名盤「バイロイトの第九」と同じ演奏のスウェーデン放送版で、ミュンヘンの放送設備からデンマーク経由でヘルビー(スウェーデン南部)の放送局まで、有線回線を通じて実況されたものを、アセテート録音機で収録したものになる(発見時はテープにダビング済)。これが意外に音質が明瞭かつエネルギッシュなもので、ダイレクトカットされた音の勢いの強さも手伝って、当時の実況放送の実力に完全にノックダウンされた感じだ。残念ながら4楽章のクライマックスで放送事故があり、録音としての完成度を落としているが、ここがバイエルン放送テープの配信用アセテート盤コピー(トランスクリプション・ディスク)ではないことの証拠のようなものになっている。
日本のフルヴェン・ファンが発売時に注目したのは「本物の拍手」が収録されているかだったが、おもに宇野功芳の「虚無の中から聞こえて来るように」という名解説の真偽への興味であって、フルヴェンの演奏内容がそれで変わるものでもない。むしろ問題なのは、発売元のBISでは発見したテープの音量を元のままいじっていないとのことだが、聞こえにくいmpの音量とffに達したときの爆音との間で模索する不安定な音量の振れが、録音時のレベル操作なのか、そもそもフルヴェンの演奏の特徴によるものなのかの区別が付きにくく、本来はこっちのほうに注目したい内容だ。その鮮度といいエキセントリックな風情は印象としては1942年のベルリンの第九に近いのだ。
個人的に感動したのは、バイエルン放送のリミッターを深く掛けた録音姿勢とは逆に、中継点にあったベルリン、ハンブルクで巨匠のダイナミズムを生のままでスウェーデンまで届けようとした心意気である。長らく音楽監督を務めていた地元ベルリンはともかく、ハンブルクには戦中から巨匠の録音を担当したシュナップ博士がいて、それぞれ巨匠の演奏を熟知した人たちがバトンを繋いだ。それがこの録音を単なる記録ではなく、フルトヴェングラーが行ったバイロイト再開の記念碑的な意義を十全に伝えている感じがする。 |
【不死鳥のように蘇った放送用ライブ録音】
21世紀になってモノラル録音のコンテンツが豊富になった理由として、当時のレコード会社がもっていた独占的なアーチスト契約により、レコード会社の専売特許品のように扱われ、他社での録音も厳禁となっていた。このため売れないモノラル録音のリリースはレコード会社でも積極的ではなかったし、ラジオで放送されたライブ演奏は非売品として扱われ、流出すれば裁判で訴えられることになっていた。そうしたモノラル録音の数々が21世紀に大量に出回るようになったのは、50年間というアーチスト契約の年季が切れたことで、他社でも自由に販売が可能になったことと、倉庫に眠っているアナログテープの経年劣化が避けがたいため、音楽資産をデジタルアーカイブする方向に舵を切ったことによる。
そのなかで一番の驚きだったのは、フルトヴェングラーをはじめとするライブ音源が、実はFM放送を前提としたHi-Fi録音だったことである。これは当たり前といえば当たり前で、Hi-Fi録音の前提となった磁気テープ録音の開発元がドイツだったわけで、ノイマン社のコンデンサーマイクをはじめ、1940年末から交流バイアス方式が使用されたAEG社のマグネトフォンにより技術的に完成していた。その再生装置もクラングフィルムのトーキーシステムで、実物大のコンサートが模擬できるような音質を保っており、マグネトフォン・コンサートと銘打って放送されていたのだ。
実はフルトヴェングラーは1940年末に、出来立てほやほやの交流バイアス方式のマグネトフォンに出会っており、AEG社のマグネトフォン開発担当だったハンス・シーサーの証言では、「フルトヴェングラーはその録音品質に興奮し、何度も何度も録音を聴き返しました。録音中や録音直後にそのような品質で聞くことができることを、彼は経験したことがなかったのです」とある。当時のワックス盤への録音では聞き返せるのが2回までで、それを越えると溝が擦り切れてしまいレコードの製作に支障をきたす。そのうえ録音した演奏に問題があれば、その箇所を含む4分間のセッションを繰り返さなければならない。ライブでの即興的な楽想の繋がりを大切にする巨匠にとっては、これが全くの苦痛だったらしく(1927年の最初の録音では音盤を破棄してほしいと希望)、マグネトフォンはこうした課題を一気に解決する手段だったのだ。
さらにクルト・リース著「フルトヴェングラー 音楽と政治」では、スキーでの骨折した入院先でウィーンからのラジオ放送(ベルリンフィルとのブルックナー7番、1941年2月2日ウィーン公演の録音)で自分の演奏をはじめて聴いたとあり、それまで演奏中は忘我の状態であったのを客観的に評価するためだったという。実際にはそれより前の1940年12月16日の録音に関しては、巨匠自身で録音状態を確認しており、リースの記述には演奏をウィーンフィルとするなど齟齬がある。ただし1940年12月のときは演奏中や演奏直後にテープの内容を確認していることから、12月15~17日の公演の合間にリハーサルを兼ねたセッション録音と同様の環境で収録したと考えられ、逆にウィーンでの録音はステージ本番のみとするなら、リースの記述は正しいことになる。あるいは2月23日までの間にマグネトフォン収録での録音テープの放送がRRGより4回あったのだが、巨匠はいずれも試聴しなかったということなのだろう。いずれにせよ、それはまず第一義的に、フルトヴェングラーの戦中録音が政治的プロパガンダによって始まったのではなく、巨匠自身の心境の変化にあったとする点において正しいのだ。現実には1942年以降ベルリン空襲が日増しに激化していく最中、ラジオでコンサート実況中継はせずに録音テープを放送するようになっていたし、それらの録音に巨匠が同意して無観客のコンサートでも協力的だったのは、それ以前のレコード嫌いとは全く違う対応だった。少なくとも1937年のインタビューで、コンサートでレコード向けの演奏をする音楽家への軽蔑を口にしていた頃からは、大きな心境の変化があったのだ。クルト・リースはその切っ掛けを入院中に聴いたラジオ放送としているが、実際にはそれより前からマグネトフォンでの録音品質に新しいプロセスの進展を感じ取っていたのだと言える。
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Neumann Ela M301(1931) |
AEG Magnetophon K1 (1935) |
Beyer DT48ヘッドホン(1937) |
上:マグネトフォン・コンサートのチラシ(表紙と演目、1941年6月)
左下:オリンピック映画上映の頃開発されたKlangifilm社 Europa Klarton(1938年以降)
右下:UFA Palast am Zooの外観と内装(1936年以前)
これに加え戦後に中・短波でのラジオ放送が制限されたドイツでは、VHF帯域のFM放送が整備されるようになり、既に1950年には全国ネットで放送網が完成していた。つまり、ドイツ国内ではフルトヴェングラーの演奏をモノラルFM放送で試聴していたわけで、レコードを買うよりも遥かに安く高音質で聴けたのだ。
1950年代のドイツ製ラジオは、卓上サイズのものでも20cm程度のスピーカーが付いた幅60cm×高40cm程度の大型が多く、受信の安定度と音の良さで海外でも人気の商品だった。Grundig社が1954年に開発した3D-klang方式は他社の高級ラジオにも用いられたもので、中央のメインスピーカーに対しサイドパネルに高域拡散用のツイーターを備えており、モノラル音源でも高域を拡散してステレオ同様の音場感を出すように工夫されていた。しかも、その音場感は音楽の種類に応じて、スピーチ、オーケストラ、ソロ、ジャズと切り替えられた。ドイツ製フルレンジでも5~10cm程度のものは、小型ラジオ用ではなく、サイド・スピーカーとして使われていたものである。これらは10年以上前に開発されたマグネトフォン時代のハイファイ再生用モニタースピーカーの仕様をダウンサイズしたもので、同時代の他国ではラジオ=AM放送、ハイファイ=LP販売限定だったのに対して、ドイツでのハイファイ機器の流通はずっと裾野が広かったということができよう。このことがレコード化されない大量のライブ録音の収録に繋がっていたのである。
左上:ドイツ製ラジオの3D-klang方式(中央のメインに対し両横に小型スピーカー)
右上:音場をコントロールするリモコン 3D-Dirigent(1955)
下:中央のメインスピーカーはAM用、高域はエコー成分を担当
これが従来AM放送のエアチェックのように偽装された音源が出回っていたのだが、その心は正規のスタジオ録音の格を上げるために行われたものでもあった。つまりライブ録音は音質が著しく悪く、レコード用に録音された演奏が本物だということを主張してきたのだ。ところがフルトヴェングラーのライブ演奏が熱狂的に迎えられると、EMIはユニコーン社という海賊盤レーベルを買収し、フルトヴェングラーの演奏記録全体を取り仕切るようにした。同様なことは、アーチスト契約を盾にした訴訟を回避するためもあり、墺プライザー、伊チェトラ、米Music&Artでも行われ、フルトヴェングラーのライブ録音=音質が最悪というレッテルが完成したのである。
このカラクリがバレたのが、独オルフェオなどがバイエルン放送協会、ウィーンORF放送協会に残されたライブ演奏のアーカイブを公開したり、仏THARAがオープンリールにコピーされた個人蔵のHi-Fi録音の発掘を始めたり、さらには正規のテープ保管庫を持たなかったベルリンのRIAS放送局の音源を整備するなどのことが重なり、フルトヴェングラーの演奏記録に関しては、9割近いものが戦後の放送用ライブで占められる事態にまで発展している。しかし、その音調を正しく評価する装置が不在のまま、リマスター音源の良否についてアレコレ批評する人があまりに多くてウンザリする。基本的に真空管FMラジオで試聴して正常に聞こえるように調整した収録であるが、それをスケールアップする方法が不在なため、アインザッツさえ揃わないまま試聴している悲惨な状況が、現在のオーディオ技術の進化のどん詰まり状態なのである。
さて以下のライブ録音は、ただの演奏記録ではなく、その広範なレパートリーから察するように、この時代のクラシック音楽界のシーン全般を見渡すような、生きたドキュメントとしても機能しうる内容をもっている。おそらくこれらのトピックスを元にすれば、従来からレコードの名曲名盤を中心に構築してきたクラシック演奏史は、簡単に転覆してしまうだろうと思う。チェリビダッケがカラヤンについていみじくも言ったように「コカコーラだって売れてるじゃないか」ということになりかねないのだ。Hi-Fi品質で記録されたこの手のモノラル録音を堪能できるオーディオ環境を整える意義は、むしろこれからの課題であるように思える。
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フルトヴェングラー/ベルリンフィル;RIAS音源集(1947~54)
戦後の復帰演奏会から最晩年までの定期演奏会の録音を、ほぼ1年ごとに紹介していくBOXセットで、2008年にリリースされたときには78cmオリジナルテープの音質のクリアさも注目された。それ以前のフルヴェンのライヴ録音といえば、AM放送をエアチェックしたような音質でも有難がっていたものだが、こうして聴くとFM放送で流れていたという本当の実力に完全にノックダウンされるだろう。オケそのものを部屋に入れるのは不可能だが、天吊り1本マイクでガチで録られた指揮者の位置で聴く音楽の躍動感が心を震わすのだ。得意曲のベートーヴェン第九、ブラームス1番などが収録されていないのと、英雄、運命、田園、未完成、ブラ3など重複する曲目も幾つかあるが、それが戦後の演奏スタイルの変換を知るうえでも的を得ている。個人的に面白いと思うのが、ヒンデミット、ブラッハー、フォルトナーなどの新古典主義のドイツ現代作曲家を取り上げていることで、それも意外にフォルムをいじらず忠実に演奏していることだ。フルトヴェングラーが自身の芸風と人気に溺れることなく、ドイツ音楽の全貌に気を配っていることの一面を伺える。 |
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マーラー交響曲3番/ミトロプーロス/ケルンWDR響(1960)
ケルン放送響はどちらかというとアヴァンギャルド系の作品も難なくこなす現代オケの筆頭だが、そこから見事なパッションを導き出すのは、死の2日前というミトロプーロスの完全燃焼しきった統率力の賜物である。この年のミトロプーロスはマーラー生誕100周年のため、ニューヨーク(1,5,9番)、ウィーン(8,9番)、ケルン(3番)など世界中を駆け回っており、この後のスカラ座のリハーサル中に倒れたという。一方で過密なスケジュールのなかでも、どの団体でも感じるオケの響きの充実と、カロリーたっぷりの歌心との同居は、正式なレコーディングへのオファーよりもオーケストラ自身が共演を望んでいたと思わせるに足る充実ぶりである。ケルンという街自体はマーラーが頻繁に楽曲の初演をおこなった土地で、いわゆる進歩的な考えをもった人が集まって、20世紀初頭のマーラーへの関心を呼んでいたのかもしれないが、ウィーンの保守層との対立など色々と考えさせられる。 |
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バルトーク管弦楽・協奏曲集:フリッチャイ/RIAS響(1950-53)
退廃音楽家の烙印を自ら背負って亡命先のアメリカで逝去した20世紀を代表する作曲家バルトークだが、自身が精力的に録音に挑んだピアノ曲以外は、なかなかレコーディングの機会に恵まれなかった。ここではハンガリーで薫陶を受けた演奏家がベルリンに集結して演奏が残されている。一部はグラモフォンのLP盤でも知られるが、モノラル録音ゆえ再発される機会は少なく、訳知りの好事家が名演として挙げるに留まっていた。オリジナル音源に行き着いたリマスター盤は、驚くほどの躍動感に溢れた演奏で、ショルティやライナーの演奏とは異なる弾力性のある柔軟なアンサンブルは、かつてベルクのヴォツェックを初演した頃のベルリン国立歌劇場のモダニズムを彷彿とさせるものだ。 |
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ロスバウト/南西ドイツ放送響:シューマン交響曲・協奏曲集(1957~62)
ロスバウトは現代物を一番得意としたことで有名な指揮者だが、マーラーやブルックナーをはじめとするロマン派の曲目も結構熱心に取り組んでいた。ここで1,4番のみ入れたシューマン交響曲も、もう少し長生きしていれば全集に発展したのだろうが、むしろフルニエ、シェリング、アニー・フィッシャーと手堅く滋味深い名手を迎えた3つの協奏曲と一緒にまとめてもらったことで、当時はまだ管弦楽法の欠点ばかり挙げ連ねてばかりで、レパーリーに乗ることの少なかったシューマンの管弦楽作品の全貌が見通しよく提示されている。演奏のほうは、この時代に期待しがちなド迫力というわけにはいかないが、むしろ室内楽的な緊密さからシューマンの書法を明らかにしていこうとする姿勢がみられ、どこを切ってもシューマン独特の内声の絡みついた陰影の深い世界が展開されている。 |
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ストラヴィンスキー自作自演集(1954-55)
晩年の隠居先にしたヴェネチアとほど近い、スイス・イタリア語放送局に招かれての自作自演プログラム。戦後に世界中を駆け巡り、老年になっても録音機会の多かった作曲家だが、3大バレエばかり選ばれる大舞台とは違い、ここでは中期の新古典主義の作品をまとめて演奏している。リハーサルではフランス語を使いながら、アクセントを丁寧に指示しつつ、自らの音楽言語を組み上げていく様が聴かれる。結果は、イタリアらしい晴れ晴れとした色彩感のあるアンサンブルで、ブラックの静物画のように、デフォルメを巧く使ったキュビズムにも通底する、明瞭なフォルムが提示される。これはアメリカでの緑青色の冷たい雰囲気とは全く異なるものだ。招待演奏のときのような燕尾服ではなく、ベレー帽を被る老匠の写真は、どことなくピカソに似ていて微笑ましい。 |
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パーシー・グレインジャー:グリーグ没後50周年演奏会(1957)
ドイツと隣国のデンマークでもほぼ同じ時期にFM放送が導入されたが、録音技術も一緒にドイツから導入したと考えるのが妥当である。オーストラリアの国民楽派、と言ってもイギリス民謡を愛した牛糞派に属するパーシー・グレインジャーだが、ピアノのヴィルトゥオーゾとしても一角の名を残す人で、ここではゲスト出演してグリーグのピアノ協奏曲と自作を披露している。最晩年のグリーグと面会し、以後の作曲活動について方向性を決めたほどの影響を受けたというので、実はグレインジャーにとってもグリーグとの出会いの50周年記念なのである。グリーグの協奏曲では、初っ端から壮大なミスタッチで始まるが、そんなことは些細なことと何食わぬ顔で豪快に弾き切り、どのフレーズを切り取っても絶妙なテンポルバートで激情をもって高揚感を作るところは、19世紀のサロン文化をそのまま時間を止めたかのように、自身の内に大切に取って置いた生き様と関連があるように思える。後半の茶目っ気たっぷりの自作自演は、カントリーマンとしての誇りというべき余裕のあるステージマナーの一環を観る感じだ。 |
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モーツァルト&ベートーヴェン Vnソナタ集
グリュミオー/ハスキル(1957)
ブサンソン音楽祭でのライヴで、何とも言えない雅な調和が何のストレスもなく続くのに感心する。それがモーツァルトだからベートーヴェンだからという分け隔てもなく、全てが自然体に流れていくのである。よくハスキルはモーツァルト弾きで、ベートーヴェンはどうもとか、そういう隔たった意見も聞かれるが、こうして同じステージに上がると、どちらもヴァイオリンとピアノの奥ゆかしい対話を基調にしており、その時間を慈しむかのように音楽が奏でられていく。この時間の流れにベストとか順位は付けたくない。 |
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アラウ:ベートーヴェン・ソナタ集(1960)
バックハウスと同じリスト直系のピアニストでも、なかなか正規録音に恵まれずにいた、壮年期のアラウのストックホルムでのライブ録音で、31,32,23番を収録している。やや大味ながら背筋のまっすぐ伸びた構成力の強さは、奇抜な解釈や早弾きで驚かせるようとするパフォーマンスからほど遠く、むしろベートーヴェンのピアノ曲をフィジカルに体現することに執心している正統派そのものの演奏である。むしろその職人気質のコダワリが、当時の録音ではダナミックを捉え切れずに判りにくい一面があり、この時期のアラウの評価を遅らせたように思う。このCDはその限界ギリギリの迫力を捉えた数少ないものである。
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ケンプ:シュヴェツィンゲン音楽祭ライヴ(1962)
有名なベートーヴェン・ソナタ全集(ステレオ)の少し前に収録されたステージで、ラモーなどフランスバロックからはじまり、ベートーヴェンでも一番地味な22番ソナタ、そして締めがシューベルトの中期作品16番ソナタという、個々に見ると何とも冴えない演目なのだが、ケンプの手に掛かれば全てが名匠の陶磁器のように「いい仕事してますねぇ~」という見立てに変わるのだから不思議だ。骨董屋の親父のように無理に高いお金を吹っ掛けないところが、まさに霞みを喰って生きる仙人たる余裕とも言うべきか。 |
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ジュリアードSQ;ザルツブルク音楽祭ライヴ(1965)
戦後まもなくして新進気鋭の現代的クアルテットとして出発したジュリアードSQだが、ここではザルツブルク音楽祭に招待されてのライヴ録音である。第2Vnにカザルス祝祭管やコロンビアのストラヴィンスキー全集でコンマスを務めていたイシドール・コーエンを向かえての2期目のメンバーだが、ここではウィーン風というものの解体新書ともいうべき渋いプログラムを展開している。モーツァルトのホフマイスター四重奏曲は「ハイドン・セット」と「プロシャ王セット」の合間に敬愛する出版社へのお礼として作曲されたもの、バルトークの3番はフィラデルフィアの作曲家コンクールへの提出曲、ドボルザークの11番にいたっては約束もしていないのに新聞広告にヘルメスベルガー四重奏団演奏会での新作発表が載ったため、職業音楽家としての意地をみせて急遽しつらえたもの、等々と作曲家が十全な情況で挑めなかった端曲ばかり集めているが、これがどの曲でも作曲家の個性を余すところなく示すものとして構造的に示されている点に注目される。ジュリアードSQの珍しいヨーロッパ公演で、しかも筆のすさびともいうべきウィットに富んだ演奏会として記憶されるべきである。 |
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クリュイタンス/バイロイト祝祭劇場:ワーグナー「ローエングリン」(1958)
パリ音楽院管でのフランス物を得意としたクリュイタンスだが、ベルギー出身という地域性もあってドイツ語で音楽教育を受けて育ったらしい。バイロイトには1955年から出演しており、ロマン派オペラの枠組みを守った前期作品に強みをみせた。クリュイタンスの故郷アントウェルペンでの中世奇譚を扱ったこのオペラでは、これまでバイロイトに抱いていた陰鬱な森を分け入る印象とは異なり、柔らかく漂いながら変化する色彩感でフランドル絵画のような明確な具象性をもって各シーンを画いてみせる。この上演での聴きどころは、これがバイロイト・デビューだったコーンヤのタイトルロールで、卵肌のようにツルンとして初々しい声が「汚れなき愚者」の印象を深めている。多くの人はヴィントガッセンの神々しい声を望むだろうが、終幕の「わが愛しき白鳥よ」を歌いだすあたり、オケの団員も固唾をのんで静かに見守っている様子も伺え、新たなヒーローを生み出す瞬間の祝福を味わうこともできる。この頃から当たり役になっていたヴァルナイの魔女オルトルートなど、ドラマとしての配役を弁えたオペラ全体のまとまりも上々だ。ちなみにこのときエルザ役を歌っていたリザネクは、後のレヴァイン盤(映像付)ではオルトルート役を担っていて、ワーグナーを巡る世代間の太い繋がりをも実感することだろう。 |
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アイネム「審判」:ベーム/ウィーン国立歌劇場(1953)
ザルツブルク音楽祭で委嘱されたカフカの長編小説「審判」を元にした新作オペラで、これが初演である。もとの小説は1915年に書かれたものだが、1938年にアイネム自身がゲシュタポに一時的にせよ拘束された経験もあってか、ややサスペンスタッチの緊張感のある音楽となっている。そのなかにジャズや12音技法など、戦時中の退廃音楽の要素を盛り込み、グレーゾーンの折衷主義という自身の作曲家としての立場も混ぜこぜになった、人間誰もが叩けば埃がたつような実存の危うさを表現している。ベルク「ヴォツェック」でも実証済のベームのキビキビした指揮ぶりに加え、実は演技派だったローレンツの主役ヨーゼフ・K、仕事熱心なゆえに冷徹にならざるを得ない警察官フランツを演じるワルター・ベリー、裁判官の妻の立場ながら被告人への慈愛を人間のなすべき務めとして精一杯歌うデラ・カーザなど、自分の社会的立場に一生懸命になればなるほど悲劇へと空回りする人間関係のブラックな一面を巧く炙りだしている。 |
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ジョン・ケージ:25周年記念公演(1958)
ジョン・ケージ45歳のときにニューヨークの公会堂で開かれた、作曲活動25周年記念コンサートのライブ録音。友人で画家のジャスパー・ジョーンズ、ロバート・ラウシェンバーグらが企画したという、筋金入りのケージ作品だけのコンサートだった。さすがに4'33"は収録されいないが、ファースト・コンストラクションIII(メタル)、プリペアード・ピアノのためのソナタとインターリュードなど、楽器構成に隔たりなく前期の作品がバランスよく配置されたプログラムである。公会堂でのコンサートは夜8:40から開始されたにも関わらず、聴衆のものすごい熱気に包まれた様相が伝わり、当時の前衛芸術に対するアグレッシブな一面が伺えて興味深い。 |
【ド根性モノラル・オーディオセット】
さてオマケと言っては何だが、私にも少し苦手で攻略に手をこまねいている録音群があって、それは1960年代のドイツ&オーストリアでのラジオ放送用クラシック・ライブ音源である。この仕様がやっかいで、特に1990年代からオルフェオを通じてリリースされたORF(オーストリア放送協会)音源がそうなのだが、高音が強すぎて何とも御しがたいジャジャ馬ぶりをみせるのだ。
独往のラジオ局は、1950年代に世界でもいち早くFMモノラル放送の全国ネットが実行されており基本的にHi-Fiなのだが、おおむねノイマン社製の大型ダイヤフラム・コンデンサーマイクが使われていて、ふくよかというか、むしろ野太い音で収録されていて、むしろ高域不足と揶揄されるような感じもあった。
一方で10年も月日が進んでいくと、音の明瞭度を上げるためか、会場ノイズの抑制のためか、AKGやゼンハイザーといった細いペンシル形で指向性の強い小型コンデンサーマイクを使用するようになった。それとテープレコーダーのほうもステレオ録音に相性の良い広帯域でフラットな音調に変化している。ようするに、ソリッドステート化されたときほどの衝撃はないものの、段々とそれに近づいているのが判るのだ。そして困ったことに音質が放送録音特有のカッチリとした高域寄りで潤いのないヤセギス。ちょうどクリムトの豊潤な油絵から、エゴン・シーレのガリガリの裸体を見せられているようで、やや困惑していた。それは、たとえウィーンフィルがムジークフェラインで演奏しようとも、ソリッドな硬い音で収録される結果となっている。同じような収録でもステレオだと音場感が一気に増すので、最近の「録音がモノラルなので残念」という陰口は、ここから生まれたのではないかと思うくらいだ。
ワルター/ウィーンフィル(1960)、グルダ/ウィーンフィル(1959):共にAKG C28マイクを使用
そこで心機一転して考案したのが、以下の「ド根性モノラル・セット」である。Jensen C6Vという16cmエクステンデッドレンジを後面開放箱に入れただけのものだが、これこそまさに真空管ラジオや卓上レコードプレーヤーの音そのものなのだ。それでいて屋外PAでも使用できる耐入力20Wというものなので、家庭で比較的大きな音量で鳴らしてもビクともしない。
ここで古い真空管ラジオ時代と同じ設計でつくられているJensen C6Vを後面解放箱に入れた特性は以下のとおりである。一見すると極度にカマボコ型の特性にみえるが、コンサートホールのアコースティックに比べてフィットしている。このことからみても、古いラジオのカマボコ特性は、普段から耳にしていたコンサートホールの響きを模倣したものだと判る。つまりステージ上でのオケの生音をホールの響きで放出するという筋書きがあったのだ。このメディア全体でのトータルなトーンキャラクターの設定は、独往の国内ローカル局での規格と考えていいかもしれない。
もうひとつの特徴は、周波数特性がカマボコ型なのに、ステップ応答は500~6,000Hzが綺麗な1波形に整っていることだ。このため混濁しがちなライブでのオーケストラ録音でも、アインザッツがきっちり揃っていながら、うねりも躍動感もある音が聴ける。
このJensen C6Vは、同じシリーズに入るC8Rと比べると、音色がマットでつまらない。同じJensen製なのだが、C8RからC12Rのような暴れがほとんどなく、じっと押し黙っているようなのだ。しかしこれも小音量で聴いているからそうなのであって、比較的大きな音量で聴くと、相撲取りのようにガップリと組んだ音運びになる。これは通常のフルレンジだと、ここ一番のフォルテに達したときに高音がブレークアウトしてかしがましく鳴る音量で、ようやく本領を発揮するような感じである。例えば、1950年以前の米コロンビアの録音がそうなのだが、少しザラザラした音質なのに天井の低い詰まった感覚があるところ、そこをグワッと背負い投げするような大技に転じる感じである。
Jensen C6Vの周波数特性:コンサートホールのトーンを同じように設計
ステップ応答は500~6,000Hzが綺麗に1波形に整って中低域のバッフル板の反射波が後を追う
さて、ド根性モノラルで聴くクラシック録音はトリビアの連続である。まさに悪路を難なく走るオフロードバイクのような感じだ。ではモノラル珍道中と参りましょうか。
人跡未踏&玉石混交のトレジャーハンター
もうとっくにステレオ録音されていておかしくない時代なのに、FMラジオ放送のためのライブ収録ということでモノラル録音だった名舞台の数々。これがお茶の間で日常的に流れていたなんて誰が想像できましょうか。舞台で繰り広げられた名人たちの艶姿、とくとご堪能あれ。 |
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ベーム/BPO:ザルツブルク音楽祭ライヴ(1962)
ベームはこの公演を前後して、モーツァルト40番(1961)、マーラー「亡き子をしのぶ歌」(1963)、R.シュトラウス「ツァラトゥストラ」(1958)をいずれもBPOとステレオ録音しており、モノラル実況録音は職人気質のベームにとって実演での力量を推し量るリトマス試験紙のように見られがちである。それもカラヤン統治下のBPO&ザルツブルクとなれば外様大名の参勤交代のようなものである。
ところがこの頃のベームは、レコード史上初のモーツァルト交響曲全集を上り詰める途上であったし、フィッシャー=ディースカウとのマーラーも、R.シュトラウスをはじめとする20世紀オペラの経験深い名解釈と共に初めての披露(ディースカウもこの歌曲の難解な部分が解けて涙したとか)、ツァラトゥストラに至ってはそれまでマイナーだったこの楽曲を管弦楽の王道にまで登り詰めさせた張本人となる。これら全てが演奏史のなかに確実な足跡(音楽作品を演奏するうえでのオーソドックスな評価基準を創生するオリジナリティ)を構築していく現在進行形のベームの芸風を知るのに恰好の機会となっている。単純には、音楽祭のライブという打ち上げ花火のような情況においても、レコーディングと同じくらいの周到な準備を怠らない企画力と実行力を兼ね備えていたといえる。
しかしよくもまぁこれだけの内容を1時間半のなかに押し込んだものだと関心するが、最も緊張していたのはBPOの団員だったのではないかと、最初のモーツァルトから伝わってくる。その後の楽曲での流麗な音楽の流れは、楽曲の歴史的な評価を築き上げるために従事する強靭な精神の賜物である。 |
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マーラー「千人の交響曲」/ミトロプーロス&VPO(1960)
この年はマーラーの生誕100周年の記念年で、ワルターの告別演奏会が有名だが、ここにきてウィーンフィルが意地をみせて行った演奏会でもある。というのも戦前は、こうした冒険的なプログラムはもっぱらウィーン響が受け持っており、ウィーンフィルとしてもおそらく最初に挑んだ大スペキュタルだからでもある。モノラルながらマルチマイクで収録されており、8重唱が前列のピックアップ、オケは標準的な3点分散、合唱が遠巻きに背後を固めるという設定で行われている。ところがこのマルチマイクの時系列の整理が難しく、通常のマルチウェイスピーカーで聴くと、マイクとの距離が近い8重唱からスタートして、最後に合唱がエコーのように追いかけるという、不思議なバランスになる。ところが1本のスピーカーで聴くと、この時系列の縦線が矛盾なく揃って、オールキャストが一丸となって広大な響きの大伽藍の建造に挑んでいる様子が判る。さしずめド根性モノラルとでも言っておこう。もちろんモノラル録音としては臨界点にある一品である。 |
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コンヴィチュニー/SKB:ザルツブルク音楽祭ライブ(1961)
この頃のザルツブルク音楽祭は客演オーケストラを招いてウィーンフィルと分担するようにしていいたが、この年はシュターツカペレ・ドレスデンが担当していた。ベートーヴェン4番、モーツァルトP協23番、R.シュトラウス「家庭交響曲」と上記のプログラムとほとんど変わらない構成なのに、緊張感と格式の重い雰囲気とは大違いのリラックスした風情で、ザルツブルク音楽祭の観光的な側面が満喫できる。コンヴィチュニー、ドレスデンと共に重量級の作品を得意とするようにみえるが、グルダとのモーツァルトでは構成を縮めるなど、歴史の長い宮廷楽団として作品観を弁えて対応している。もちろん大取の家庭交響曲も、この作品を献呈された楽団だけあって、横綱相撲のような安定した曲運びで、20世紀初頭にはまだ残っていた家長の威厳と家族の平和なるものの存在を、ユーモアをもって演出している。ちなみにこの録音は大型システムで聴いても恰幅のいい音質である。 |
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クナッパーツブッシュ/VPO:ORF戦後ライブ録音集(1957~62)
これらは放送局アルヒーフから音源提供をうけた正規盤で、昔のセブンシーズ盤や最近のオルフェオ盤で疑問に思っていたことが氷解した感じのリマスターになっている。ターラやアウディーテでさえ若干のリバーブを入れてくるところを、「何も足さない、何も引かない」というウィスキーのCMのような良い音、良い演奏の見本のようなものである。ラジオぽいスレンダーな収録は1960~62年のブルックナー3番と8番、「死と変容」、シューマン4番であるが、いずれもムジークフェラインの収録とは思えないほどタイトな響きである。自分の芸風が収まらないと録音嫌いだったのは、こうしたところから来ていたのかもしれないが、雲の彼方の存在ではなく、人情味あるクナ将軍のもうひとつの側面を知る手掛かりとなる貴重な記録である。 |
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メンデルスゾーン&ブラームスVn協奏曲:ヨハンナ・マルツィ(1959,65)
ヨハンナ・マルツィはハンガリー出身の女性バイオリニスト。ブラームス作品の初演者として名を連ねるイェネー・フバイの晩年の愛弟子で、10歳の少女の頃から薫陶を受けて育ったサラブレッド中のサラブレッドである。一方で主に教師としての道を選んだことから、コンサートになかなか顔を出さない幻の演奏者ともなっている。このメンコン&ブラコンの2曲ともEMIにスタジオ録音を残しているが、シュトゥットガルトでの放送ライブもなかなか良い味を出している。音色こそ細いが、無駄のない磨き抜かれたフレージングは、これらの楽曲が大オーケストラを相手に競争するのではなく、じっくりアンサンブルを構築しながら調和の世界に導いていく姿が、意外に芯の強さを感じるものとなっている。 |
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ベルク&ストラヴィンスキーVn協奏曲:フェラス/アンセルメ(1957, 66)
ベルクはフェラスの得意曲で、その耽美ともいえる音色を存分に発揮している。様々な録音が残されているが、今回のは12音技法を心底嫌っていたアンセルメの伴奏というのが聴きどころ。何と言っても旧友だったストラヴィンスキーと喧嘩別れした原因のひとつが12音技法での作曲だったからだが、ここでの演奏はさすがモダン音楽の守護神ともいえるような出来栄えで、感情を押し殺したような雰囲気が曲想と合っている。カップリング曲のストラヴィンスキーは新古典主義の真っただ中のもので、バレエ上演にも用いられた目鼻立ちのいい楽曲である。録音年代は離れているがどちらもモノラルで、独奏ヴァイオリンとオーケストラのバランスは良好に見通しよく録られている。 |
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フランチェスカッティ:ザルツブルク音楽祭ライヴ(1958)
マルセイユ出身のフランチェスカッティは、世界的には珍しいパガニーニの孫弟子となる父フォルトゥナート・フランチェスカッティから手ほどきを受けたことや、ティボー門下とはいえ戦前にはパリを離れアメリカに移住したなど、フランコ=ベルギー派とは異なる経歴のため、名前から想像するフランス風という括りではその本来の評価が判りにくいヴァイオリニストでもある。このリサイタルでのブラームスやラヴェルにみられる艶やかで華麗な技巧は、同じような演目を得意としたハイフェッツと比べ情熱的であり、それでいてラテン系奏者には珍しい確かな造形性も備えているという、いいとこ取りの様相である。米コロンビアの青白い音や、なにかと華やかな協奏曲のリリースの多いなかで、本来のヴァイオリンの音に集中して聴ける点も見逃せない。 |
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ジュリアードSQ;ザルツブルク音楽祭ライヴ(1965)
戦後まもなくして新進気鋭の現代的クアルテットとして出発したジュリアードSQだが、ここではザルツブルク音楽祭に招待されてのライヴ録音である。第2Vnにカザルス祝祭管やコロンビアのストラヴィンスキー全集でコンマスを務めていたイシドール・コーエンを向かえての2期目のメンバーだが、ここではウィーン風というものの解体新書ともいうべき渋いプログラムを展開している。モーツァルトのホフマイスター四重奏曲は「ハイドン・セット」と「プロシャ王セット」の合間に敬愛する出版社へのお礼として作曲されたもの、バルトークの3番はフィラデルフィアの作曲家コンクールへの提出曲、ドボルザークの11番にいたっては約束もしていないのに新聞広告にヘルメスベルガー四重奏団演奏会での新作発表が載ったため、職業音楽家としての意地をみせて急遽しつらえたもの、等々と作曲家が十全な情況で挑めなかった端曲ばかり集めているが、これがどの曲でも作曲家の個性を余すところなく示すものとして構造的に示されている点に注目される。ジュリアードSQの珍しいヨーロッパ公演で、しかも筆のすさびともいうべきウィットに富んだ演奏会として記憶されるべきである。 |
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ケンプ:シュヴェツィンゲン音楽祭ライヴ(1962)
有名なベートーヴェン・ソナタ全集(ステレオ)の少し前に収録されたステージで、ラモーなどフランスバロックからはじまり、ベートーヴェンでも一番地味な22番ソナタ、そして締めがシューベルトの中期作品16番ソナタという、個々に見ると何とも冴えない演目なのだが、ケンプの手に掛かれば全てが名匠の陶磁器のように「いい仕事してますねぇ~」という見立てに変わるのだから不思議だ。骨董屋の親父のように無理に高いお金を吹っ掛けないところが、まさに霞みを喰って生きる仙人たる余裕とも言うべきか。 |
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ワーグナー「ローエングリン」:クリュイタンス/バイロイト祝祭劇場(1958)
パリ音楽院管でのフランス物を得意としたクリュイタンスだが、ベルギー出身という地域性もあってドイツ語で音楽教育を受けて育ったらしい。バイロイトには1955年から出演しており、ロマン派オペラの枠組みを守った前期作品に強みをみせた。クリュイタンスの故郷アントウェルペンでの中世奇譚を扱ったこのオペラでは、これまでバイロイトに抱いていた陰鬱な森を分け入る印象とは異なり、柔らかく漂いながら変化する色彩感でフランドル絵画のような明確な具象性をもって各シーンを画いてみせる。この上演での聴きどころは、これがバイロイト・デビューだったコーンヤのタイトルロールで、卵肌のようにツルンとして初々しい声が「汚れなき愚者」の印象を深めている。多くの人はヴィントガッセンの神々しい声を望むだろうが、終幕の「わが愛しき白鳥よ」を歌いだすあたり、オケの団員も固唾をのんで静かに見守っている様子も伺え、新たなヒーローを生み出す瞬間の祝福を味わうこともできる。この頃から当たり役になっていたヴァルナイの魔女オルトルートなど、ドラマとしての配役を弁えたオペラ全体のまとまりも上々だ。ちなみにこのときエルザ役を歌っていたリザネクは、後のレヴァイン盤(映像付)ではオルトルート役を担っていて、ワーグナーを巡る世代間の太い繋がりをも実感することだろう。 |
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R.シュトラウス「ばらの騎士」:カイルベルト/バイエルン国立歌劇場(1965)
ウィーンでの上演ばかりカタログで浮かぶ「ばらの騎士」だが、元帥夫人の座を巡るシュヴァルツコップとデラ・カーザの鞘当てなど、たとえ帝王カラヤンであっても手に余るような政治的な思惑を気にしなければならないのがウィーンでもある。この点、バイエルンでの演奏は各歌手が自分の役どころに思う存分集中して舞台そのものを盛り立てているように感じる。貴族社会特有のややこじれた人間関係が主役のこのオペラにおいては、誰が主役というわけでもなく配役のバランスが重要だと思わせるに十分な内容で、クレア・ワトソンの元帥夫人は盛りを過ぎてなお美貌を誇る花として自信に満ち溢れているし、ヴンダーリッヒもやや羽目を外しながら美声を轟かせている。ベテラン陣としては、オックス男爵のクルト・ベーメ、ウィーンから移籍したばかりのゾフィー役のエリカ・ケート、バイエルン以外ではあまり観ないヘルタ・テッパーのオクタヴィアンと、脇を固めるうえでも抜かりない。まだ駆け出しのファスベンダーがアンニーナ役で出演している(後にC.クライバー盤でオクタヴィアン役を演じる)など、この時期から安定した演目として次世代に引き継がれていたことが判る。たとえライブでもステレオ録音の多かったカイルベルトだが、モノラルで見通しのいい演奏は、いかに完成度が高かったかを物語っている。この後の1972年からのC.クライバーの名演の数々はこの遺産をゴッソリいただいた結果だと判る。 |
バランスが可笑しいと思うならジェンセンに聞いてみろ!
モノラル録音が未完成だとおもわれがちなのは、ただ録音が古いというだけではない。1930~60年の間で10年毎に規格を変えていたため、音質が不統一だというのが正直なところだ。その最後の変更でステレオへ滑り込んだため、同じモノラルでも音質には大きなバラツキがある。ところが当時の人は呑気なもので、何でも最新の機材で聴いていたのではなく、SP盤とLP盤が混在するオーディオ環境で過ごしていた。そして以下のバランスがおかしな録音の狙い目も、そこにあったのだと理解できるのである。 |
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J.シュトラウス:こうもり/C.クラウス&VPO(1950)
意外に思うかもしれないが、高音質を謳われたデッカffrrは古い電蓄と相性が良い。それもそのはず、当時の人は立派なHi-Fi機器で聴いていたのではなく、ほとんどがセラミック・カートリッジと楕円スピーカーをつないだだけの卓上プレーヤーが主流だった。それでも高音質だと感じた理由にはそんなカラクリがあったのだ。これを高域のフラットに伸びたスピーカーで聴くのは明らかにやりすぎである。
ウィーン歌劇場のキャストが総出演したオペレッタだが、ベテラン歌手といえども誰もが一度は演じる歌舞伎の大一番のようなもので、出演者もお手本となるよう手抜きなく挑んでいる。この盤に負けまいとカラヤン、C.クライバーが柄にも合わずレパートリーに加えているのは、錦を飾る何かがこの作品にはあるのだろう。その分この演奏が、立派な大額縁に収めた油絵のように、恰幅良く仕上がっていることにもなるのだが、オペレッタにはもっとリラックスした雰囲気のほうを好む向きもあるだろう。よくウィーンフィルの音を絹のようなストリングに魅惑を感じる人も多いのだが、この録音ではうら寂しいが艶やかな木管の響きに明らかな特徴がある。 |
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タンゴ&ワルツ名曲集/マントヴァーニ・オーケストラ(1952-53)
デッカの高音質録音が最も知れ渡ったのは、クラシックの録音というよりは、本盤のような軽音楽の分野である。カスケード奏法そのものがムードミュージックの代名詞となった以上に、初来日公演ではそれが本当に実演可能なのかで、新聞も賑わす大騒ぎとなった。それだけ世間の興味を引いていたわけだが、その顛末を知ってか、10年後に来日したポール・モーリアはPA音響を入念にチェックしKYを実行したことで不動の地位を得た。英VocallionのCDは、必要以上に明瞭な音で収録されており、少し議論の余地がありそうだ。 |
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バッハ:無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ
シゲティ(1955年)
19世紀も終わりの頃、ヨアヒムの御前でこの曲を演奏して激賞された神童こそシゲティであり、イザイがそのインスピレーションと共に無伴奏ソナタの献呈者のひとりにも選び、それ以降このレパートリーを大切にしてきた第一人者の初の全曲録音である。このセッションも、アメリカのバッハ協会からの正式のオファーのあった格式高いものとなるはずであった。
ところが、出だしの音が鳴り響いた途端に誰もが感じるのは、この世の終わりを告げるかのような干からびた音、荒行を成し遂げた禅の修行僧を感じさせるような厳しい表情である。ギスギスした音色で作品の本質だけを炙りだそうとした演奏は、よく精神性の深い演奏のひとつとして挙げられる。おそらく輝かしいストラディバリウスではなく、陰湿なガルネリで演奏していれば、この解釈がもっと普通に受け容れられたかもしれないのだが、戦争中にアメリカでのドイツ人演奏家へのネガティブキャンペーンに怒った演奏活動の停止に始まる根っからのヒューマニズムと、戦争によって崩壊したヨーロッパ文化へのレクイエムのような哀愁とが入れ混じった、複雑な味わいの録音になった。
ところで最近気付いたのは、この録音をリリースしているヴァンガードは、基本的にマイクの音をそのままテープレコーダーに高出力で突っ込む、とてもアメリカンな方針を貫いており、それが良くも悪くもレーベルの持ち味にもなっている。これの成功例はダヴラツのオーベルニュの歌だろう。試しにこのシゲティ盤にEMI風のリバーブ(ヤマハの6番
REV. STAGE 2)を掛けてみると、コロンビア時代のシゲティに戻った。しかし、それまで心に突き刺さっていた棘のようなものが消えてしまったのも確かである。シゲティにしてみれば、バッハは古い昔の作曲家ではなく、プロコフィエフやバルトークと同じ現代人と同じ心をもった人間であり、作品を通じて痛みも悲しみも共感できると信じて疑わなかったと思えるのだ。だったらベルクのVn協奏曲でやれと言う声も聞こえてきそうだが、バッハを演奏しているなかでも感極まって、世の退廃した姿を映し出してしまうのが、シゲティというマエストロの芸風だと考えるのも一興ではないだろうか。
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マーラー:交響曲5番/ワルター&ニューヨークフィル(1947)
アダージェットだけが切り取られて、マーラーの曲のなかで一番人気を誇るのだが、ワルターが戦後にNYPと録音したマーラーで2番目に取り上げたのがこの曲の全曲録音だった。しかしSP盤からLP盤へと移行する直前のセッションだったため、中々評価の難しい録音になった(同じことはトスカニーニのオテロ、フルヴェンのグレイトなどが存在する)。今回は金属マスター盤を探し当ててのリマスターでようやく日の目を見たという感じだ。
この頃のワルターの新境地ともいうべきマッチョで前向きなナイスガイという設定に誰もが困惑するだろうが、この楽曲の純器楽的な構造性を気を緩めることなく成し遂げたのは、思ったよりも苦労の多い仕事でもある。この演奏についてクレンペラーは「自分でもユダヤ人的すぎると感じる」とコメントしたように、どんな苦労もユーモアに変えるユダヤ気質を皮肉っていた(そもそもクレンペラーはこの曲の終楽章のハッピーエンドが嫌いだと公言していた)。一方で、この後に続くことになるニューヨークでのマーラー・ルネサンスの試金石ともなった演奏のように感じる。 |
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バッハ・ゴルドベルク変奏曲/グレン・グールド(1955)
別名「グールドベルク」とも言われる奇演で知られる本盤だが、やや精彩に欠く録音は、グールドの鼻歌を回避するために頭上はるか高くにマイクを置いたからとも考えられなくもない。1950年代のモノラルなら他に名録音は沢山あるだろうし、同じ演奏家なら最後のデジタル再録盤もあるのに…と思いつつも、私の朝の目覚めは大概この曲でスタートする。つまり日頃の愛聴盤なのだ。
作曲の云われはカイザーリンク伯爵の不眠症のためにとの逸話もあるが、クラヴィーア練習曲の総仕上げであることからも、やはりこの曲は鍵盤奏者にとっても(オーディオマニアにとっても)腕試しの楽曲、つまり骨肉にエンジンをかける夜明けの音楽なのだと思う。最近になってこの最終リリースにまとめられるまでの膨大なテイクをまとめてリリースされたが、何だか興味を持てなかったのは、グールドの頭のなかには既に一貫した完成図があって、そのスケッチをずっとなぞっているようにしか想像できなかったからだ。
この録音のチェックッポイントは、帯域の丸まったピアノ音が、腰のピンと立った音に聞こえているかどうか、低音域と高音域の掛け合いが平等に聞こえるかなど、様々な課題を一度にぶちまけてくる。もちろんそんなことなど気にせずに聴いてるときが、オーディオ的に最も調子のいい状態だと思う。 |
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ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ全集:ケンプ(1951, 56)
ケンプの弾くベートーヴェンで有名なのはファンタジーの表出に秀でたステレオ録音のほうだが、ここでは戦前のベルリン楽派の強固な造形性を代表する演奏としてモノラル録音のほうを挙げることにする。ほとんどの録音年が1951年というのが微妙で、この時期に生じたSP盤からLPへの切り替えに遭遇して、やや不利な立場にあるように思う。人によってはベーゼンドルファーの音色だからくすんでいるとか、色々な憶測が立っているが、ハノーファースタジオなのでハンブルク・スタインウェイだろうと思う。セッションもコンサートホールのように開かれた音響ではなく、むしろ書斎で小説を読むような思索的な表現が目立つが、最近になってモノラル録音の再生環境が整ってきたので、この録音が室内楽的な精緻さをもつ点で、ポリーニに負けないスタイリッシュな演奏であることがようやく理解できるようになった。例えばブレンデルが評したように、当時のケンプは「リストの『小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ』をミスタッチなしで録音することに成功した最初のピアニスト」という新即物主義の筆頭でもあったのだ。逆の見方をすれば、ここでやり尽くすことはやり尽くしたので、後年のロマン派風情にシフトしたのかと思うくらいである。 |
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ウィーン・コンチェルトハウスSQ:ハイドン四重奏曲集(1957~59)
墺プライザーはORF(オーストリア放送協会)のアルヒーフをほぼ独占的に販売してきた実績がある一方で、今でもモニター環境にアルテック604Eをはじめヴィンテージ機材を用いており、結果的には高域の丸いカマボコ型のサウンドをずっとリリースし続けている。これもオーディオ環境をモノラル録音用に見直すことで、ベコベコの輸入LPをせっせこ集めていた時代を思い起こさせる艶やかな音が再現できた。この四重奏団の録音は米ウェストミンスターでの鮮明な録音のほうが知られ、墺プライザーのほうは再発されないまま記憶のかなたにあるものの、ウェストミンスター盤が余所行きのスーツケースを担いだビジネスマン風だとすれば、プライザー盤は地場のワインを片手に田舎の郷土料理を嗜んでいるようなリラックスした風情がある。もともとウィーンの甘いショコラのようなポルタメントが魅力の演奏だが、同郷のよしみのような息の合った機能性も兼ね備えた点がなければ、ハイドンらしい襟を正したユーモアは伝わりにくかっただろう。 |
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ワーグナー ニーベルングの指輪
フルトヴェングラー/RAIローマo(1953)
フルトヴェングラーのバイロイトと言えば「第九」という言葉が突いて出て、なおかつフルトヴェングラーのワーグナーと言えば「トリスタン」となってしまう。しかし、この指輪のドラマ性は、ゲルマンの森の奥から精霊の声を聞くようなものではなく、古代ギリシアの彫刻のようなリアルな神々の群像で構成された、新しいワーグナー像である。それでいて、同時代のメトロポリタン歌劇場でのマッチョな自尊心に溢れるわけでもない、どことなく指輪のもつ魔力に憑かれた人間の悲劇も浮き彫りにされ、権力へのあくなき欲望に翻弄された世界大戦のことも見え透いてくる。同じ年のバイロイトの指輪は、C.クラウス(ウィーン宮廷風)とカイベルト(新即物主義)で、どちらも伝統的なワーグナー像とはやや異なる方向性を示しているが、そういう新しい解釈の熱病に捕らえられた年だったのかもしれない。今は2~3千円で安価にこのような多様性を聞き比べられるのだから、なんとも贅沢な時代である。モノラル録音用にオーディオ装置を整えておくことが肝要だとつくづく思う。 |
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シベリス歴史的録音集/カヤヌス&LPOほか(1928~45)
カヤヌスがロンドンで収録したシベリウスの4曲の交響曲は、もはや伝説と化した演奏となっているが、1930年の1&2番は急ごしらえのセッションとされ、録音が悪いことでも有名なものだ。今回は生誕150周年ということで、新しく盤質も厳選してのリマスターということで期待したのだが、それほど大きくは変わっていない。これはラフマニノフの自作自演したピアノ協奏曲と同じく、原盤は失われて迷宮入りとなるパターンである。
しかし、最近知った情報だと、フィンランド政府がじきじきに資金を出して依頼したオフィシャルなセッションだったらしく、何かが抜けていると感じるようになった。1&2番の収録された1930年は、アビーロードスタジオを新設する1931年の前年のこともあり、1932年の3&5番の全パートが見通せるような録音とは明らかに異なる。おそらく1930年時点ではWE 1A型カーボンマイクでフルオーケストラを収録し、1932年にはWE 47型コンデンサーマイクで構成をしぼったオケで収録したと考えるのが妥当だろう。しかし結果はどうだろうか? ボンヤリと遠目から眺めたような旧セッションのほうが、作品の本質を突いているように聴こえるのだ。
その理由について考えてみると、ひとつは1930年はメソジスト・セントラル・ホールを貸し切ってフルオーケストラで演奏していることで、作品のもつ豪傑さが十二分に表現されている点である。それは録音技術を云々する以前の段階で、演奏の質というかパッションを高めているといえる。今でこそシベリウスは20世紀を代表するシンフォニストだが、第1番交響曲を聴く限りでは、ドビュッシーやシェーンベルクもあわやと思えるような前衛的な表現主義であり、その本領をレコードで伝えようと気持ちが先走った結果が、音質の問題として残されたように思うのだ。ちなみにこのCDボックスは、初盤はリリース年を基準に1948年までとなっていたが、手持ちのCDは録音年から起算して1945年までと訂正されている。そんなこともあり、これは録音史上の事件といえるセッションである。 |
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バッハ:マタイ受難曲
ラミン&聖トーマス聖歌隊、ライプチヒ・ゲヴァントハウス管(1941)
第二次世界大戦中の独エレクトローラによるセッション録音で、福音史家にカール・エルプ、イエス役にゲルハルト・ヒュッシュなど、錚々たるメンバーを揃えての演奏。エルプの福音史家はメンゲルベルクのライブ録音でも聴かれるが、こちらでは折り目正しい楷書体で、歌唱の安定性ゆえにメンゲルベルク盤でのロマンチックなアプローチに対応できたものと思われる。おそらくマタイ受難曲の全曲録音としては初のもので、SP盤31枚でドイツ国内では1942~43年まで、イギリスでは1947~54年まで販売されていたが、1960年に復刻盤LPで発売されて以降は全く忘れられた録音となった。1994年に初CD化となったときはドイツレコード批評家賞をもらっているが、その間に世界大戦の終戦、東西冷戦があり、さらに東西ドイツ統一など、歴史が大きく変わったことを思うと、このレコードは様々な運命に翻弄されていたと思う。
セッションの様子を示す写真では、マイクが英EMI製のHB1型ダイナミックマイクを使用。ということは録音はラッカー盤で行われていたことになる。つまり敵国の外資系企業にはマグネトフォンをはじめドイツ製の最新機材は使わせてもらえなかったと考えられる一方で、交流バイアスによる高音質化がされていなかったテープ収録はあまり好まれなかったと言うべきだろう。というのも独AEG社のテスト録音にいち早く参加したのがEMIとビーチャム/ロンドン響だったからだ。BBCの戦後のマグネトフォンの評価レポートでもバッサリ斬り捨てるように批判意見を書いているくらいなので、おそらく同じ理由による不採用だったと思われる。
で、何が因縁かというと、戦中のナチスがどうのということは全く関係なくて、このCDを購入した1990年代は自分もまだヴィンテージ・オーディオについて全く知識がなく、この音のこもった貧相な録音をいかに良い音で聴けるものかと、欧州系のヴィンテージ機器を扱う店を訪れて、オイロダインから流れる威風堂々とした音に驚いた後、その値段を聞いてガックリ失望してしまった。どうみてもベンツやポルシェを乗り回す王侯貴族の持ち物なのだ。どうもこの気持ちが顔に出てしまったようで、哀れに思った店主が「これなら特別に安く」と言って売ってくれたのが、1930年代の英ステントリアン・ジュニアという20cmフルレンジで、袴付きのユニットの平面バッフルへの取り付け方など、色々と教えてもらったのだが、どうにも使いこなせなくてさらに心の傷を広げていたということもあり、苦い青春の思い出としていつも心の奥に突き刺さっている。
あれから四半世紀過ぎた今はどうかというと、安いジェンセンのユニットで幸せにやってますと言っておこう。 |
【ステレオ装置でモノラル再生はNG】
ここではモノラル再生に立ちはだかる障害について2つほど述べさせていただく。その2つとは「オーディオ進化論」と「ヴィンテージ神話」である。この2つの罠に陥らないように心して読んでほしい。
◆ステレオがダメな理由
ステレオがもつ不正確な音場感/ヘッドホンはもっとダメ/モノラルを修羅の道にしちゃダメ/ジャズはアメリカ、クラシックはイギリスというレッテルの張り直し
【ステレオがもつ不正確な音場感】
よくモノラルとステレオについて言われるのが、音場感の違いである。特にクラシックのオーケストラについては、ステレオ録音とはオーケストラのサウンドを再現するために開発されたのではないか?と思えるほどである。その意味でレコードの花形は交響曲であると言っても過言ではない。ところがクラシックのモノラル録音を鑑賞するにあたっての障壁の9割方は、ステレオ・スピーカーでモノラル録音を試聴していることによる。つまりほとんどの人がモノラル録音をスピーカー1本で聴くことをしておらず、ステレオらしい逆相成分とパルス波の多い録音でないと満足しないような状況に陥っているのだ。
では現在のステレオ再生における音場感とはどうやって進化してきたのかというと、初期は壁一面にスクリーンのように広がるウォール・オブ・サウンドで、これは最初のステレオ録音がストコフスキーが出演したディズニー映画「ファンタジア」のように、映画館での上映を元に開発されたからである。RCAのリビング・ステレオに3chテープが存在するのは、映画館のトーキーシステムでの鑑賞を目論んでいたからである。1950年代のアメリカの録音スタジオの写真に3台以上のモニタースピーカーが常設されているのは、映画音楽の録音も行われていたことを示している。おおむね1968年ぐらいまでの録音がこの音場感によっている。
1940年公開のステレオ映画「ファンタジア」とアルテックのステレオフォニック広告
日本では本格的なHi-Fi録音がスタートしたのがステレオ以降だったため、NHK技研の指導のもとフラット再生がオーディオの基本だと言い続けられてきた。これは1960年を前後して研究開発のはじまったFMステレオ放送のための布石であって、同じ傾向はBBCの新世代モニタースピーカーのLS5/1などにも言える。一方で正面から60°も逸れると高域はなだらかにロールオフしていく。LS5/1と2S-305の計測は無響室で行っているので、部屋のアコースティックを考慮すると、ロールオフしたほうが部屋に置いたときの実態的な音響だと言えるだろう。いずれにしても、ステレオらしい左右の定位感を明瞭にさせるためには、実際のホールの音響に何かをプラスしなければ成り立たないことが判る。しかしこれがモノラル録音となると、録音側でコントロールされていない超高域のトーンキャラクターに踊らされて一喜一憂することになる。つまりデコボコ道を走るのに車体のスペック通りの最高スピードを求めるのと同じで、Hi-Fi再生が産声をあげたばかりの状況に対応しきれていないのだ。
上:1958年に導入されたNHK 2S-305、広帯域でフラットネスを保持、5kHz以上でステレオ感を演出
中:同じく1958年に開発されたBBC LS5/1、高域の設計はNHKと似ている
下:BBCで1949年まで使用していたGEC製エクステンデッドレンジ
現在のサウンドステージの再現については、1970年代にステレオ放送を本格化させたBBCの研究チームが明らかにしたものだが、一般家屋のような小さい部屋でコンサートホールのような音場感を出すために必要な事柄を突き詰めていくと、8kHz以上の超高域でのキャラクターの違いがホールの響きの違いを表現しており、さらにはインパルス応答が鋭くコンパクトに収まった方が楽器の定位感を明瞭に出せることが判った。これらをひっくるめてサウンドステージと呼んでいるが、ほとんどの場合フルオーケストラが演奏できる大ホールを標準としている。
1970年代のBBCでのミニホール音響実験(LS3/5a開発時) |
BBC LS3/5a |
音場感以外にも、ステレオ録音にはステレオならではの色彩感があって、それはそれで演奏も含めた個性として聴き取っている。モノラル録音の再生の問題点は、音場感に加え色彩感の違いと言ってもいいかもしれない。しかしステレオなら出やすい音場感&色彩感が、モノラルになると忽然と表情が暗くなったり、耳をつんざくほどかしがましく鳴るのはどうしてだろうか? それは使用しているスピーカーがステレオ録音の再生に特化したデフォルメをしているからである。
ステレオに特化したデフォルメとは、音場感を増すために中高域に左右逆相のエコーを追加したり、左右の楽器配置を高音から低音に並べるとか、色々な工夫を加えてはモノラルとの違いを判りやすくしている。このため、音場感に関しては指向性の出しやすい4kHz以上の帯域でツイーターに大きな負担をかけることとなり、色彩感を示す中高域のキャラクターもまたツイーターの音色に左右されるのである。ちなみにツイーターの音を単独で聴くとカシャカシャした音だけであり、その正体がパルス成分で占められていることが判る。つまり楽音そのものというよりも、音の出だしに注力した成分が大半を占めており、これは先行音効果といって、人間の耳がパルス性の音に敏感で、時間的に先に耳に到達した音のほうが大きく聞こえる(逆に遅れた音はマスキングされる)ため、定位感を引き立たせる効果もある。
このため、ツイーターの受け持つはずだったパルス成分が少ないモノラル録音に当たると、ウーハーだけで実音を出すことになるため、高域不足のくもった音になる。逆に1970~80年代の過敏なツイーターでデジタルリマスター盤を聴くと、20kHz付近に累積したデジタルノイズでザラザラした感触に襲われることになる。これらの原因はツイーターの先行音効果に過度な期待を寄せたステレオ・スピーカーの設計によるものなのだ。
モノラル録音のような古い録音といえば、JBLやタンノイといった老舗オーディオ・メーカーの話がチラチラ出てくるが、身の回りにあるものは1970年代以降のステレオ用に周波数レンジを広げたものばかりで、牛歩のような重低音に蚊の鳴くような高域を加えた感じで、基本的にモノラル録音とは相性が悪い。というよりモノラル録音が汚く聞こえるように設計されていると言ってもいいぐらいだ。これはモノラル録音のリマスター音源に対する賛否両論をみれば明らかである。
このように現在のオーディオ技術は、ステレオでの定位感や音場感を優先するため、超低音のグランドノイズや超高域のパルス波を強調するように設計される。もちろん行き届いたデジタル録音はそういう音響成分を多分に含んでいるのだが、モノラル時代の録音は実音だけで収録されたものが多く、むやみにレンジを広げたところで楽音とは関係なくコントロールされていないノイズ成分が増えるだけになる。結果的に雑然として天井の低い遠鳴りしたような感じに聞こえるのである。スピーカーをいくら大きく立派にしようとも、モノラル録音を正調に聴けるオーディオ環境から遠のくばかりである。
10kHz以上に角を生やして現代のオーディオ技術にキャッチアアップした老舗メーカーの意地
こうしたステレオ再生におけるサウンドステージの固定観念を生んだ結果、管弦楽曲レコードの更盛に比して、室内楽や器楽曲の気難しさや閑古鳥の状態は、まさにクラシック音楽の何たるかを見逃している感じがする。音楽サロンにおける私的演奏会は作曲家のエッセンスを披露する絶好の機会だったのだが、そこで演奏されたのが室内楽でありピアノ独奏曲だった。モノラル録音はむしろピアノや室内楽のほうに向いており、それは直接音の多いSP盤の時代から地続きのトーンで録られていた。ところが現在のピアノや室内楽は、あたかも大ホールで聴くようなサウンドステージのなかに置かれて、味わいよりも物量で押し切るシンフォニックな解釈が主流になっている。これはレコード批評にオーディオ的な嗜好が加わった事例であり、個人的にはレコード批評によって本来あるべき音楽文化が歪められたものと考えている。
19世紀のサロンと現在のコンサートでは音場感の基準が異なる
【ヘッドホンはもっとダメ】
ここでヘッドホンでモノラル録音を聴くことに関して言うと、ヘッドノホンはマイクで拾った直接音のみを試聴することになる。それこそ原音だと思うかもしれない。しかし、モノラル録音は部屋のエコーをブレンドしてサウンドを醸成することでニュートラルになることを想定しているので、当時の規格からは想定外の音で聴いていると考えた方が良い。さらに人間の聴覚が過敏な3~6kHzの中高域は、その人固有の外耳の形状による共振現象で大きく変化するため、録音のトーンキャラクターに対する印象の個人差がもっと顕著に現れる。これはフラットなスピーカーで聴くよりもさらに過激な悪影響を与える。最近増えたリマスター音源に対する両極端な賛否両論は、ヘッドホンでの試聴を基準にした外耳の形状の個人差からきているのではないかと睨んでいる。普通にモノラルスピーカーで聴いている限り、そんな極端な感想は出てこないからだ。
9割方が電車の騒音というなかでの直接音の必然性
外耳の共振の研究は、1940年代に補聴器の研究分野で進んでおり(米国特許 US 2552800 A)、人間の 外耳の長さは25mm~30mmとされ、開管とした場合の共振周波数は、3kHzと9kHzにピークを生じさせ、この周波数を敏感に聞き取るようになっている。これはオープン型ヘッドホンをフラットに再生したときのもので、1995年にはDiffuse
Field Equalizationという名称で、国際規格IEC 60268-7とされた。つまり、ダミーヘッドで測定したヘッドホンの特性を、一般の音響と比較する際に、聴覚補正のカーブを規定したのだが、これをみると判る通り、ヘッドホンで聞いた際の中高域の持ち上がりは20dBにも達する差となって現れる。通常3dBも違えばかなりの差が判るのに、その50倍もの音響出力の差となるのだ。ヘッドホンは録音のトーンキャラクターを豹変させると言っても過言ではない。
B&K社のダミーヘッド4128C HATSとDiffuse Field Equalization補正曲線(参照サイト)
以下の図は、点音源の現実的な伝達イメージである。モノラルからイメージする音は左のような感じだが、実際には右のような音の跳ね返りを伴っている。私たちはこの反響の音で、音源の遠近、場所の広さを無意識のうちに認識する。風船の割れる音で例えると、狭い場所で近くで鳴ると怖く感じ、広い場所で遠くで鳴ると安全に感じる。 こうした無意識に感じ取る音響の違いは、左右の音の位相差だけではないことは明白である。つまり、壁や天井の反響を勘定に入れた音響こそが自然な音であり、部屋の響きを基準にして録音会場の音響を聞き分けることで、元の音響の違いに明瞭な線引きが可能となる。このため、ヘッドホンで部屋の響きを無くして直接音だけを聴くことは、モノラル録音では想定されていないと考えていい。
左;無響音室でのモノラル音源 右:部屋の響きを伴うモノラル音源 |
これに加え、ヘッドホンでの試聴はパルス波を耳に直接届けることになるので、これに慣れると聴覚そのものの基準が変わってしまう。通常のフラットな音響より、もっと過激なパルス波の刺激がないと、ヘッドホンと同じようには聞こえなくなるのだ。個人的に言うと、ヘッドホンでの試聴は耳を延命させるために避けたほうがいいと思っている。
【モノラルを修羅の道にしちゃダメ】
21世紀に入ってこんなにもコンテンツが豊富になったモノラル録音を、本格的なオーディオ機器で聴きたいと思っても、肝心のモノラル専用オーディオ・システムなるものは、どの店に行っても売っていない。あってもモノラルLPを再生するためのモノラル・カートリッジがあるぐらいで、CDで大量に復刻されたモノラル録音を購入しても、それを再生するためのアンプからスピーカーまでモノラル専用の機材など売ってはいないのだ。
これは今にはじまったことではなく、1960年代初頭には大型のモノラル電蓄は製造しなくなっており、残ったモノラル音響機器は、卓上プレーヤー、ラジオ、ラジカセといった小型の家電製品のみで、安かろう〇×△□☆~の連発で、本格的なHi-Fiオーディオには不向きだとされてきた。しかし、その身分というか階級というか、最上級と底辺の差は埋まらないまま、現在にいたっているのだ。 このため、モノラル再生に耐えうる本格的なオーディオ機器の製造期間は1950年代までに限られ、ビンテージ機器として高値で取引されている。かといって、1950年代に製造された15インチクラスのスピーカーシステムは、頑丈なアルテック、JBL、タンノイぐらいしかなく、それも今ではほとんど枯渇状態で、何とか見つけた1960年代のものでも1台100万円超えをするのは当たり前、しかも店のほうでもステレオペアでないと売らないという代物ばかり。さらにそれを駆動する真空管アンプ、アナログプレーヤー、プリアンプなどまで揃えるとなると、モノラル・システム構築の敷居は益々高くなるばかりである。
ワインのように年月が経つにつれ熟成されるという伝説の機械たち
GY氏の巧みな筆舌で憧れの的になった黄金の組合せ
クラシック音楽=ヨーロピアン・サウンドという刷り込みは今も健在
しかし、高級なビンテージ機器はアナログのLP盤を再生して最高の音が鳴るようにできており、これまた高騰し続けるアナログ盤を買い集めなければ宝の持ち腐れになる。その逆のこともあり、貴重なレコードのコレクションも再生できるオーディオ機器がなければどうしようもない。レコード・マニアとオーディオ・マニアの骨肉相食む争いは昔から絶えないのだが、この道楽に喰いつけるようになるには金銭的な課題も多いのだ。しかも、ビンテージ機器にはコンディションの良し悪しが判るような目利きがないとダメだし、分けも判らず百万円単位で投資するのは敷居が高すぎる。ビンテージ機器は買ってポン置きで良い音では鳴らない。レコード蒐集と並行して10数年の年月を捧げる覚悟がないと、道半ばで行き倒れになる修羅の道だと心得るべきだ。
レコードが先かオーディオが先か…どこか迷路に迷い込むようでもある
まずモノラル録音そのものについて言うと、Hi-Fi録音の始まった1950年代前半における百花繚乱ぶりは、まさに迷宮入りの事件のように、数多くの資料がうず高く積まれたままの状態であると言っていいだろう。このことの解明のために各社が採用したイコライザー・カーブの違いを延々と記述するマニアも多いが、これはオリジナルの初期プレス盤を持っている人だけの特権であるし、当時の大多数を占めたセラミック・カートリッジをみても、モノラル・カートリッジの多くは78rpmと33
1/3rpmのコンパチ(針の太さが違うだけ)だったし、イコライザーカーブに気を遣うようなことは不可能だった。オルトフォンのカタログに載っている他社のカートリッジをみても、カッターヘッドから開発できるメーカーじゃないと、ちゃんとした物を提供する意欲がほぼ皆無だったことが判る。
Hi-Fi初期のカートリッジの特性:トーンキャラクターが目立つのが当たり前
レバーを切り替えると裏表でLPとSPの針が入れ替わる機構
さらにLP盤でリリースされた音は、当時のオーディオ環境を前提に練り込まれているが、1950年代のHi-FiオーディオはLP以上に混乱した状態にあり、何が本当なのか判らないということである。つまりモノラル時代の録音の多くは、漠然と広帯域化だけがトレードマークとなって録音規格そのものが統一されておらず、それを再生する機器もまた超個性的なものが多く、本来の音が何なのか評価できる状態にない。例えばスタジオモニターにしても、米コロンビアはアルテックA7の前身の800システム、米RCAはオルソン博士の開発したLC-1A(リブ&羽なし)、英EMIは自社開発したElectrogram
De Luxe 3000型電蓄(グッドマンズ製ウーハー+デッカ=ケリー製リボンツイーター)からHMV 3052型3wayスピーカーに拡張され、蘭フィリップスはQUAD
ESLなど、そのサウンドポリシーも多様で幅広く存在する。これだけ見ると何を基準にして良いか分からないだろうし、多くの人は家庭に1セットのオーディオセットを置けるのが精々で、結局は好みの問題として片づけているのではないかと思うだろう。
日本人が苦手なコロンビア、マーキュリーの録音はアルテックが主流
1960年前後にアルテック・プレイバックシステムで試聴するグレン・グールド
セル&カサドシュのセッション風景(背後にアルテック800システム)
RCAスタジオのLC-1A型モニターでプレイバックに聴き入るエルヴィス(1956)
左:幻の電蓄 HMV 3000型 Electrogram De Luxe(1946)
右:ピアノ録音でのプレイバックに使われた Electrogram De Luxeのスピーカー(1947頃)
アビーロードに設置されたHMV 3052型スピーカー(奥の壁にある黒いアレ、1953年頃?)
12インチ・ウーハー3本、6インチ・スコーカー2本、リボン型スーパーツイーターを装備
それに対し、当時の人は実際のコンサートの音との比較を繰り返しており、よく公会堂でレコードコンサートなる催し物もやっていた。さらにコンサートホールで生のオーケストラとテープ録音のすげ替え実験によって(音をチェンジした間も楽員は弾いたふりをした)、どのタイミングで入れ替わったかについて観衆にジャッジしてもらうようなことをして、オーディオ装置の再生能力をデモすることもしていた。Hi-Fiという意味を言葉通りに捉え、録音品質についてはあまり妥協をしていなかったのだ。
しかし、クラシックのHi-Fiモノラル録音ってそんなに気難しいものだったかしら? ふと、その疑問に立ち戻ったとき、なにかと こじらせているだけではないか? そう思うようになった。もっと自然に接して良い音を満喫してもおかしくないのだ。少なくとも、2020年代に入って膨大に増えたモノラル録音のコンテンツ量を指をくわえて見ているだけで済ますのは、クラシック音楽愛好家の名折れというものである。
【ジャズはアメリカ、クラシックはイギリスというレッテルの張り直し】
いわゆるビンテージ機器の二大潮流ともいうべき、アメリカンとヨーロピアンの区分だが、これが大変ややこしい結果を生んでいる。というのも、日本でクラシックの本場といえば、ウィーン、ベルリン、パリ、ロンドン、ミラノと、ヨーロッパのオーケストラもしくはオペラ座が浮かび上がってくる。そしてそれを情緒豊かに再生するオーディオ機器といえば、ほぼイギリス製に行き着くのである。知ってのとおり、ヨーロッパのレコードレーベルだけみても、EMI、デッカ、グラモフォンと、そのサウンドポリシーが大幅に異なるにも関わらず、イギリス的なサウンドに全て集約していくのだ。そして多くの人はヨーロピアン・サウンドの特徴として、柔らかい重低音と上品に伸びた超高音を指摘することが多い。
繊細極まりないヨーロピアン・トーンの名盤
もちろんモノラルにだって豊潤な香りがござります
1960年代末のタンノイ モニターゴールド
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瀬川冬樹氏がこよなく愛したBBC LS5/1
そして多くの人はアメリカンなサウンド、アルテックやJBLはジャズやロックに適しているが、クラシックには乱暴でいまいち、という評価を与えがちである。この評価で割を食っていたのが、アメリカで録音されたクラシック音楽で、レコードの盤質もピークギリギリまでカッティングするため、雑音も多く全体にザラザラしていることもあって、神経を逆なでするような印象がもたれていた。つまりアメリカのクラシック楽壇はヨーロッパからみれば亜流であると思われていたのである。
自宅にイギリス製のスピーカーを備えヨーロピンサウンドを規範としていた人、五味康祐氏や宇野功芳氏は、トスカニーニはおろか、セル/クリーブランド管やライナー/シカゴ響、オーマンディ/フィラデルフィア管などをほとんど評価していなかったし、瀬川冬樹氏などはアメリカンサウンドを熱心にフォローしはじめたのは1970年代からである。つまりヨーロッパ贔屓というフィルターをかけてみたクラシック音楽の勢力地図は、アメリカ抜きで成り立っていることになる。そこで隔たった視点からみたクラシック音楽の殿堂入りをはたせた演奏といえば、ホロヴィッツやハイフェッツのような超絶技巧の演奏、グールドのバッハやルービンシュタインのショパンといった隔たったレパートリーになる。
モノラル録音で必ず話題になる超有名曲の歴史的名演奏
では、モノラル期のアメリカ楽壇はといえば、トスカニーニ/NBC響とワルター/ニューヨークフィルだけに留まらず、モントゥー/サンフランシスコ響、ミュンシュ/ボストン響など、芸風も多種多様なタレントに恵まれていたといえよう。しかしこれらの勢力地図は、ステレオ録音されたモントゥー/ロンドン響、ミュンシュ/パリ管、ワルター/コロンビア響で集約されている。はたしてこれが正統な評価と言えるだろうか? つまり20世紀のクラシック楽壇の記憶のうち半分が抜け落ちていることになるのだ。
最晩年のステレオ録音が高評価のマエストロたち
各々が特色あるレパートリーで攻めていた壮年期の録音
これには聴き手の問題以外にも、ステレオで再録されると、モノラル録音をカタログから早々に撤回したアメリカのレーベルにも問題があったといえ、1940年代から50年代にかけて記録された演奏が復活したのは21世紀に入ってからといって過言ではない。しかし半世紀以上も時代の隔たったため、モノラル
→ ステレオ → デジタルと、オーディオの進化に取り残された録音形式の違いを正しく把握して、そこに込められたサウンドを十全に再生する術など、今さら誰も興味などもたないと言えるだろう。
ところが実際のアメリカン・サウンドはと言えば、AR(アコースティック・リサーチ)やBOZAK、BOSEなど、1960年代に主流だったアメリカ東海岸のフォッギーなサウンドは、アルテックやJBLに代表されるアメリカン・サウンドとは全く異なる様相をみせる。よくこれは特殊な事情だと言われるが、1970年代のUREIなどの録音機材の多くは尖った音とは正反対のマットでくすんだ音質のものが多い。同じ傾向はマッキントッシュのアンプにも言えるだろう。さらに1950年前後のLP盤が出始めの頃のモニタースピーカーは、概ね高域が東海岸サウンドと同傾向を示している。これをさらに遡ると、映画館(と言ってもコンサートホールと同じ規模)での音響特性に行き着く。つまりHi-Fi再生の基準がフラットな周波数特性ではなく、実際のコンサートホールの音響特性に準じていたのだ。それはRCAやAR、BOSEがよく行っていたオーケストラの生演奏とのすげ替え実験において、実証性をもって評価の基準としていた伝統でもある。
いわゆる東海岸サウンドのスピーカー(1960年代AR、フラットより高域の落ちたノーマルがある)
左:1970年代にVOTTを壁掛け用に設計した1218Aモニター
右:1949年にLP盤発売とFMi放送をにらんで展開した604B同軸2way
RCA LC-1Aのスタジ使用例(1952年)と周波数特性(1947年時点はSP盤用フィルター装備)
J.B.ランシングの開発したVoice of the Theatreとトーキー劇場の音声規格(アカデミー・カーブ)
コンサートホールの周波数特性の調査結果(Patynen, Tervo, Lokki, 2013)
そこで私なりに考えているのは、ヨーロピアンでもアメリカンでもない、中立的なモノラル再生装置の構築である。これは考えてみれば当たり前なのだが、五味康祐氏のアンプはプリ・パワー共にマッキントッシュだったし、宇野功芳氏のプリアンプはマランツ、カートリッジはシュアーである。つまり性能的に安定感のあるアメリカ製品を取り入れながら、ヨーロピアンと称していたのだ。
自分のオーディオ装置は、スピーカーはアメリカとドイツの混血、他はCDプレイヤー、ミキサー、アンプは全て日本製である。CD時代だからこその組合せだが、元がドイツのFMモノラル放送用ライブ録音を再生するために練り上げたものなので、レコードレーベル毎のサウンドポリシーの違いにはあまり左右されないで、自分のオーディオ装置の音質を判断してきたといえる。
コンサートホールの音響と基本に忠実なモノラルスピーカー
あらためて、1940~50年代に残されたアメリカのクラシック録音を聴くと、ロジンスキー/クリーブランド管、クーベリック/シカゴ響のように短命ながら燃焼度の高い演奏を残してくれたり、結成したてのジュリアードSQの尖がったレパートリーなど、最高の音質で堪能できるとなると、モノラル再生において最高を評するよりも、ニュートラルな装置を目指したほうが実り多いこと請け合いである。モノラル録音において普通にHi-Fiな音を楽しめる時代が来たのだ。
キミは続々と現れるアメリカン・サウンドの洪水に耐えられるか?
【モノラルで断捨離決行】
さて、ここまで散々にモノラル録音はモノラル・スピーカーで聴けと主張してきたが、実はステレオ録音もモノラルミックスして聴いても大丈夫。大丈夫どころか、そのほうが20世紀クラシック音楽の演奏史を連続的に鑑賞するのに都合が良いのだ。意外に忘れられていることだが、ステレオレコードはモノラル装置への下位互換を担保した規格だった。逆にステレオ装置はモノラル再生に対応しているか? と問われれば、上位互換を補償せず進化してきたといえる。ところが実際には、ステレオ装置でモノラル録音を聴くことは広く認められ、モノラル装置でステレオ録音を聴くのは異端視されるという、真逆のことが行われているのだ。
このモノラルとステレオを分断する演奏史の誤解は、実はラジオ放送用アーカイヴを聴いて改めて気付いたのだが、1950年代だけみてもレコードで取り上げる演目よりも遥かに広大なレパートリーを誇っており、現実のクラシック音楽史そのものが刻まれていると言って過言ではない。これは従来からレコードというパッケージ化される時点で、個別の作品とその演奏論という批評スタイルを貫いていたが、実はコンサート批評のほうが19世紀から続く長い伝統を持っていたのだ。それもシューマン、ドビュッシーなど気鋭の作曲家が筆を振るうだけの価値あるものだった。つまり音楽史がレコード活動と連動したのは、むしろステレオ以降のことだと言ってもいいかもしれない。
モノラル放送用ライブは現代曲の分野でも広いレパートリーを記録している
しかし、これには弊害もあり、例えばオーマンディやセルは、戦前のモノラル録音の時代から活躍していたが、ステレオでの安定した演奏のほうで理解され、ケンプなどはステレオ期に芸風を変えたため、晩年の演奏スタイルの評価で定着し、バックハウスと対照的なピアニストと誤解されている。ベームも壮年期の録音に比べステレオ期のものは、カラヤンとの政治闘争に敗けた老兵のような感じである。こうした影響は、ステレオで聴くほうが音質も正確だという既成概念から派生したものであることは確実である。つまり実際の演奏史を正しく反映できていない、正確な判断を阻害していることとなる。
そこで自宅のモノラル試聴環境が整った段階で、ステレオ録音もモノラルにミックスして聴くと、なんと印象が揃ったのである。考えてみれば当たり前である。同じようなノイマン製のコンデンサーマイクを使い、スチューダー製のテープレコーダーで編集しているのである。つまりレコードレーベル毎に異なるサウンドポリシーの多くは、音場感というかエコーの取り扱いに起因している部分が結構なウェイトを占めていたことになる。
ところでステレオ録音のモノラル化をどういうやり方で処理しているか疑問におもうかもしれない。実はこの件は難問中の難問で、多くのベテランユーザー(特にビンテージ機器を所有している人たち)でも、なかなか満足のいく結果が得られないと嘆いている類のものだ。
ステレオ信号のモノラル合成の仕方は様々で、一番単純なのが2chを並行に結線して1chにまとめるもので、よく「ステレオ⇔モノラル変換ケーブル」として売られている良く行われている方法である。しかし、この方法の欠点は、ホールトーンの逆相成分がゴッソリ打ち消されることで、高域の不足した潤いのない音になる。多くのモノラル試聴への悪評は、むしろステレオ録音をモノラルで聴くときの、残響成分の劣化による。
次に大型モノラル・システムを構築しているオーディオ愛好家に人気があるのが、ビンテージのプッシュプル分割トランスを逆に接続して、2chをまとめる手法で、巻き線の誤差のあたりが良い塩梅におさまると、まろやかなモノラルにできあがる。しかし、これもプッシュプル分割用トランス自体が戦前に遡る古い物しかなく、そのコンディションもまちまちで、当たりクジを引くまで1台5~10万円もするトランスを取っ換え引っ換えしなければならず、一般の人にはお勧めできない。ひどいときには600Ωの電話用トランスをハイインピーダンスの機器につなげ、高域を持ち上げて音がよくなると勧める店もあったりと、イワシの頭も信心からと言わんばかりで、何事も自分の耳で確かめなければならない。
最後に私が実践しているのは、ミキサーの2chの高域成分をイコライザーで互い違いに3~6dBのレベル差を出して合成することで、昔の疑似ステレオの逆をいくやり方である。「逆疑似ステレオ合成方式」とでも名付けておこう。これだと情報量が過不足なくまとまって、高域の潤いも失われない。
ちなみにこのモノラル・ミックスで苦手なのは、マルチトラック方式で録音されたオーケストラ作品である。ちょうど1970年代から1990年代のメジャーレーベルの録音といえば、カラヤン、バースタイン、ショルティ、マゼールなどの大御所が、ゴージャスなサウンドで押しまくる演奏が多く、FMステレオ放送開始以降にステレオ・システムを購入した人たちにとっては、この時代の演奏が一番よかったと思う人も多いだろう。
デジタル時代のデッカのセッション風景とエミール・ベルリナー・スタジオ
一方で、こうしたコンサートの在り方に真っ向勝負したのが古楽演奏の人々で、1980年代にホグウッドのモーツァルト交響曲全集が出ると、もはや古典からバロックは古楽器での演奏以外にあり得ないかのようにリリースの方向性が変わった。一方では、古楽器オケの音が高域寄りでキーキーうるさいと感じる人も多かったようで、これはマルチトラック録音にあわせたチューニング、つまり重低音がブーミーで、パルス成分に過敏なキャラクターをもつ、カートリッジおよびスピーカーが原因である。じゃあどんなスピーカーが良いのかのいえば、デジタル録音が板に付いた1990年頃には、古楽系のレーベルはどんなモニタースピーカーでも独特のキャラクターがあるので採用を断念し、スタックスのコンデンサーヘッドホン、AKGやゼンハイザーのDiffuse Field Equalization対応のオープン型ヘッドホンで音質確認するようになった。それでもデンオンのようにスレンダーなワンポイント収録にこだわる派閥と、独ハルモニアムンディのようにマルチトラックを便利に扱う派閥とがあって、録音場所のシチュエーションの違いなど含めるとステレオ感の定義も様々である。
そこで私が勧めるのは、オーディオ環境を全てモノラルにリセットして、20世紀のクラシック演奏の記録全般をニュートラルに評価することである。ここで断捨離とは、ステレオセットを捨ててモノラル1本で筋を通すことである。
1980年代のデジタル・ショックを経て、クラシック(孫子兵法)とオーセンティック(孔子儒教)の春秋戦国時代の間をかき分けるように、私のような老荘思想のモノラル派が介入する余地などなさそうだが、実は20世紀全般を達観するとそういう聴き方もありだと思うようになった。もっといえば、アナログとデジタルの境界も楽々と越えていく、足腰の強さがあるオーディオ・システム構築があって、はじめて達成される新境地でもある。
以下その感想である。いちよ各レーベルの録音の特徴をよくとらえた盤ということも踏まえて選んでいるが、一般には話題にならないマイナーな作品&演奏が多いのも、モノラルで断捨離したクラシック街道の奥の細道たる由縁である。
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シベリウス:「ペレアスとメリザンド」、交響曲7番ほか
ビーチャム/ロイヤルフィル(1955)
シベリウスの演奏にかけてはまさに伝道師というべき働きをしたビーチャムだが、これはシベリウス90歳のアニバーサリーとして録音されたもので、EMIが特許をもっていたブルムライン方式でステレオ収録された事例としても貴重なものとなった。実はビーチャムは1936年にドイツ演奏旅行の途上で、独BASF社の招きで磁気テープでのステレオ録音を行っており、その芸歴の長さと共に楽曲を新しいメディアで配信する努力も欠かさなかった人であった。
このシベリウスに関してもそうだが、誰もが演奏する有名曲は他人にまかせ、あまり知られない楽曲に光を当てることをモットーとするようなところがあり、この誕生日記念のセッションでも地味な選曲ながら、劇音楽という伝統的なロマンチシズムに沿った作品から、シンフォニックな語法を宇宙的な広がりに解放していく過程に至るまで、シベリウスの芸術観をあますところなく紹介する務めを果たしている。
一方で、この録音に関しては、規模の大きいフルオーケストラをワンポイントマイクに収めるという実験的な要素があり、靄の掛かったEMI特有のサウンドポリシーも相まって、なかなか評価の難しい感じもする。個人的にはHMV製の電蓄でラジオ的なバランスで鳴らすことを前提にして、低音をファットに膨らましているように感じるが、それがシベリウスの交響作品の本来のバランスかもしれない。現在ではもっとエスニックな奇音を特徴的に捉えた録音が増えているように思うが、演奏史と録音史の両面からもしっかりリマスターしてほしい1枚でもある。 |
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メシアン:アーメンの幻想 作曲家&ロリオ夫妻(1958)
仏Adesはフランス近代物を作曲家ゆかりの演奏家による歴史的な録音を積極的にリリースしているが、日本では輸入盤でしか手に入らないうえ、今も昔もドイツ物に比べ楽曲そのものが知らないものが多いせいか、私も高田馬場の小さいレコード屋でみつけては、LP盤を宝物のように持って帰った記憶がある。難曲でも知られるメシアンのピアノ曲で、さらに連弾ともなると、なかなか演奏会どころか録音の前の弾き込みだけでも相当な労力が強いられるが、そこは作曲家夫妻のこと、色彩感あふれるロリオ夫人の第1ピアノと、力強い確信に満ちた打鍵で地盤を固めるメシアンの第2ピアノとが、まさに阿吽の呼吸でコラボしている。オルガンの名手としてのメシアンは良く知られるが、ピアノにおいても結構な腕前で、ダイナミックかつニュートラルな録音と合わせて貴重な記録でもある。 |
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デュリュフレ:レクィエム/作曲家&ラムルー管(1959)
エラートの場合、ミシェル・コルボが大量に古今東西のレクイエムを録音していることから、どうしても影に埋もれがちだが、この自作自演は第二次世界大戦を生き延びた人たちの思いに溢れた演奏となっているように思える。ともかく最初の序唱でグレゴリオ聖歌が流れるなか、徐々に感極まって世界終末の審判のラッパの音が鳴り響くとき、その時代の人が感じ取った救いの意味が深く胸に突き刺さるのである。それは単なる戦争の終結ではなく、人間のもつ残虐性が様々な形で露わになった20世紀において、これを根源的に浄化できるのは、天から下されるただひとつの力でしかないという恐るべき選択を願っているからに他ならない。ほぼ同じ時代にトスカニーニがヴェルディのレクィエムで見せつけた暴力性と一種のカタルシスとは違うかたちで、デュリュフレの本来の曲想からかなり拡張されたかたちで示される。大オーケストラだから大味で力で押しまくるというのではなく、この作品が置かれたコンテンポラリーな時事が重なって響き合っている様子が記録されている。 |
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カントループ:オーヴェルニュの歌/ダヴラツ&ド・ラ・ローシュ(1961-63)
これを編纂した当時のカントループはほとんど無名の音楽学者といったところで、南フランスに暮らす少数言語のオック語の話者として、パリを中心とするフランス楽壇とは距離を置く関係にあった。オーヴェルニュ出身の音楽家は、ポピュラー音楽の分野でのミュゼット弾きとしてパリに入り込んでおり、むしろシャンソンの伴奏として馴染んでいる風でもあった。この2つの条件を跳ね飛ばすのは至難の業であったが、この録音はダヴラツの純朴な田舎娘を思わせる歌い口と、ド・ラ・ローシュの色彩感あふれるオーケストラ伴奏によって、この歌曲集を一気にスタンダードなレパートリーに押し上げてしまった。現代人が忘れた自然にまかせるままに生きる人間の美しさを味合わせてくれる。 |
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ブリテン:セレナーデ/作曲家&ピアーズ(1964)
誰だか知らないが、20世紀イギリスの保守的楽壇について牛糞派(Cow Pat School)と言ったらしいが、ブリテンはこの言葉をことのほか気に入っていたらしい。キングズウェイホールの周りの草むらを仲睦まじく散策する二人の姿は、何かと窮屈なルールに縛られたこの時代のなかにあって、自由に生きる術とは何かを問うのに十分な存在感を示す。それは冷戦の最中にあってショスタコーヴィチと結んだ友情でも発揮された、人間を平等にみつめるヒューマニズムあふれた紳士の姿でもある。
そんなブリテンが、ルネサンスからロマン派まで様々な英詩を選んで、ひとつの花束にまとめたのがこの歌集である。その作品観にふさわしく、キングズウェイホールの木の温もりのする響きのなかで収録された当録音は、弦楽器を中心とした精緻なコントロールの効いた演奏を隅々まで捉えていて、何度聞いても飽きない味わい深さがある。 |
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グリーグ:抒情小曲集/エミール・ギレリス(1974)
ギレリスの師匠のネイガウスは、第一次大戦前にウィーンやベルリンでゴドフスキーに入門して研鑽したピアニストで、シマノフスキー、スクリャービンと同じ時代に生きた人でもあった。
ギレリスは1950年代に西側デビューしたとき、鉄のカーテンの向こうからきた鋼鉄のピアニストという異名をもったが、1970年代に入るとそのレッテルを返上するかのように、師匠譲りのリリシズムと構成力のバランスのとれた演奏を録音するようになった。グリーグは、そういう意味ではコンサート・プログラムには乗りにくいものの、19世紀末の穏やかな時間の流れを伝えるレコードならではの素晴らしい体験を残す名盤である。
そして何よりも、スウェーデンのカール・ラーションの家族画をあしらったジャケ絵が、この演奏の全てを物語っている。淡い水彩画に浮かぶ画家の妻の姿は、浮世絵を彷彿とさせる大胆な構図で大輪の花に囲まれ、ふと振り向いたときの幸せそうな表情を見事に捉えている。これがハンマースホイの絵だったら、全く別な印象をもったことだろう。 |
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ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ全集/シェリング&ヘブラー(1978~79)
色々なバイオリニストが挑戦するなかで、可もなく不可もなしだが、噛めば噛むほど味が出るという全集が、このコンビのものだと思う。アナログ末期の蜜も滴るような音質で1980年のレコード・アカデミー賞録音部門にも選ばれた盤だが、クレーメル/アルゲリッチの録音以降は急速に忘れられていったのが何とも惜しい。逆にグリュミオーやシュナダーハンがモノとステレオで2回入れているのに対し、シェリングはルービンシュタインと一部を録音したきりなかなか全集録音をしなかった。
この録音の特筆すべきは室内楽に求められる家庭的で内面的な調和である。ウィーンとパリで研鑽しながら国際様式を身に着けた二人の出自も似通っており、ベートーヴェンのヴァイオリン曲にみられる少し洒脱な雰囲気が熟成したワインのように豊潤に流れ込むのが判る。モーツァルトの演奏で名が売れてる反面、なかなかベートーヴェン録音にお声の掛からなかったヘブラーが、待ってましたとばかり初期から後期にかけての解釈の幅などなかなかの好演をしており、バッハの演奏でも知られるシェリングの几帳面な解釈を巧く盛り立てている。
ステレオで聴くと、ピアノが柔らかく比較的ボンヤリと音像の広がるなか、渋い艶のあるヴァイオリンがクローズアップされたような感じになるが、これは使っているスピーカーによって印象が異なるだろう。当時のフィリップスはまだ低音がスレンダーなQUAD ESL57を使用しており、このボンヤリ感は低音のコントロールの甘いほとんどのスピーカーで生じる。モノラルにして聴くと、むしろヘブラーのほうが溌剌とした表情で録音に挑み、シェリングがそれをやさしく受け止めるような、少し面白い関係を築ていることが判る。それがベートーヴェンの描いたシンフォニックなピアノ伴奏の意図と巧くマッチングしているのだ。 |
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ブラームス:ドイツ・レクイエム/ブレーメン大聖堂聖歌隊(1980)
もともとブラームスのレクイエムはコンサート用のオラトリオと同様の位置にあるもので、いわゆる典礼のためのものではない。なのでエコーの深いゴシック聖堂での演奏例はあまりないのだが、この録音は1868年初演団体である聖ペトリ大聖堂の聖歌隊とハノーヴァー放送響による演奏で、何かと優越を争うトップレベルの演奏団体とは異なる、風光明媚な丘の上からみた景観を前に食べる郷土料理のようなリラックスした自然さがあって、聴いてて優しい気持ちにさせられる演奏だ。
大聖堂の深いエコーを含んだ録音は、逆相成分を敏感に拾うスピーカーでは団子状になりやすいところがあって不満に思う人も多いらしいが、モノラルで聴くとマイクセッティングに凝らずに自然に録られた録音であることが判る。最初の渋いヴィオラの音色から、柔らかいコーラスの入りまで、爽やかな空気が吹き抜けるような感覚は、アナログ録音でないと出にくい表情だ。 |
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フォーレ宗教曲集/La Chapelle du Quebec(1989)
レクイエムのほかになかなか聴く機会のないラテン語モテットを、カナダの団体が小構成の合唱で歌いあげている。作風としては独唱を含む女子修道会寄宿学校などのアマチュア向けの小品であり、生活の安定のため引き受けていたとされる聖マドレーヌ寺院のオルガニストの肩書に相応する質素なものである。そこには教会関係者への音楽のレッスンという副業もさらに呼応していたかもしれない。本職がパリ音楽院楽長に移って以降はこのジャンルでの作曲は途絶えていくからである。そういう意味ではこのモテットたちは礼拝という実用の目的から離れて存在していたと思われ、リスト晩年の宗教曲とほぼ同じような感じに秘め置かれていたといえる。
ここではカナダで広範に広がった聖ウルスラ会との関連で、パリのような大都会とは異なるかたちでフォーレの姿が伝わっていた可能性が伺える。それは単純に大作曲家が身寄りのない兄弟姉妹に向けた平等な眼差しであり、作品そのものの価値とは全く異なるコミュニケーションの豊かさである。「赤毛のアン」の舞台は英語圏のプロテスタント地域だが、ケベック州と隣り合った地域での女子高等教育についての偏見のなさは共通しているのだ。伴奏に用いられているのが、ジャケ絵にある足踏みオルガン「ハルモニウム」で、澄んだハーモニーでさり気なく歌を支えており、家庭的で親しみ深い雰囲気で満たしてくれる。
録音は小構成なだけにマルチトラックで不自然な切り貼りせず、FM実況録音のような昔ながらの現場でバランスを取ったそのままで収録した自然なステレオ録音である。それだけにソロ歌手の定位感が、奥に引っ込んだり、ビッグマウスになったりと、仮想のサウンドステージで右往左往しそうだが、モノラルではマイクからの距離感だけで示されるため、合唱とソロが実演と同じ距離感で適切に録られていることが判る。 |
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マガロフ、ワルツを弾く(1990)
20世紀末にソ連が崩壊した後、19世紀末のロマノフ王朝時代を懐かしむように、ロマン派ヴィルトゥオーゾのピアノ演奏が続々と現れた。それも80~90歳のおじいちゃんを捕まえて小品集をおねだりする嗜好である。冷戦時代は唯一無二のロマン派ヴィルトゥオーゾだったホロヴィッツ爺は、初来日時に「ひび割れた骨董」とまで揶揄されたが、このマガロフ爺は78歳にして堅牢そのものの色彩感豊かなピアノを披露してくれる。タウジッヒ編曲「舞台への勧誘」など、ドルチェとスタッカートの音色の繊細な使い分け、青空のように澄んだフォルテの響きなど、デジタル録音のダイナミックレンジの広さを往々に示した名演奏のひとつだと思う。
仏Adesの録音エンジニアが自身の最高傑作として挙げる一品なのだが、小品集のためなかなか知名度は上がらない。ひとつは低音のガッチリしたアタックが正確なタイミングで再生できるスピーカーを持ってる人が少ないことで、演奏のすごさがあまりよく分からない。高域のパルス波に過敏な一方で、中音域の音色のパレットが沈んだ灰色にくすんでしまうスピーカーの多いことも確かである。加えてコンサートホールで聴くような定位感まで求めると完全に破たんしてしまう。これをモノラルで聴くと、ピアノの蓋をのぞき込むような元のマイクに戻り、どの帯域の打鍵のタイミングも綺麗に出揃うので、微妙なルバートで調整する音色のタッチの違いも明瞭である。 |
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レーガー:ヒラーの主題による変奏曲 Op.100
ホルスト・シュタイン/バンベルク響(1991)
レーガーは様々な楽器のための変奏曲を作曲しているが、これはオーケストラのためのもの。古くはコンビチュニー指揮のもと、ライプチヒ・ゲヴァントハウス管も録音していたが、ロマン派を得意とするオーケストラにとって、色とりどりのコスチュームに着替えてコスプレ気分で遊べる、セルフポートレートとして魅力的な作品である。
録音は放送品質に近い奥行き感のない平面的な音像配置で、いわゆるメジャーレーベルのような広大な音場感を期待すると、やや面食らうかもしれない。これはモノラルで聴くとというよりは、1本のスピーカーでバランスのとれた音響でないと、木管楽器のソロパートに重点を置いたこの作品の面白さがほとんど伝わらないと思う。そう考えると平面的だと感じた録音も、木管と弦の均等な配置など、むしろ各楽器が肉厚な感じで良く録れていると思う。20世紀末になって国際化(機能的だが無個性)の進むメジャーオケに対し、希少なドイツ的な響きを残すといわれるバンベルク響にとって、後期ロマン派を名残惜しむようなこの作品は、しっかりしたポートレートになっている。
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テレマン:6つの四重奏曲/有田・寺神戸・上村・ヒル(1995)
フランスの片田舎にある小さな聖堂でB&K社製の無指向性マイクでワンポイント収録した古楽器の四重奏。イタリア風コンチェルト、ドイツ風ソナタ、フランス風組曲と、国際色豊かなテレマンらしいアイディアを盛り込んだ楽曲だが、使用楽器も1755年イギリス製フラウト・トラベルソ、1691年イタリア製ヴァイオリン、ドイツ製ガンバ(レプリカ)、1751年フランス製クラヴサンと、国際色あふれるオリジナル楽器の競演ともなっており、作品に花を添えている。
ともすると標題的な外見に囚われて楽曲構成でガッチリ固めがちなところを、日本人の古楽器奏者にみられる丁寧なタッチで音楽の流れを物語のように紡いでいくさまは、自由な飛翔をもって音を解放するスピリチャルな喜びに満ちている。
これもステレオで聴くと、天使たちが広大な空間に雲の中で戯れているように聞こえるが、モノラルにすると、音像が奥に縮小されるガンバとクラブサンが前に出てきて、トラベルソの音もシェイプされ、バロック・ヴァイオリンもキーキーしない。つまりどの楽器も等距離で収録された、四重奏本来の音像に戻るのだ。 |
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吉松隆:メモフローラ 田部京子&藤岡幸夫(1998)
こちらは極上の新ロマン主義風の作品で、基本的にピアノ協奏曲の体裁をとっているが、そういうジャンル分けなどどうでもいいほど、音楽としての美しさが際立っている。まずは吉松作品の紹介に務めてきた田部京子のリリシズム溢れるピアノで、この澄んだクリスタルのような響きがないと作品が生きてこないような感じがする。それだけ精神的な結び付きの強い演奏で、単なるアルペッジオの連続する箇所でも、作品のリリシズムを外れることがない名演奏を繰り広げる。もうひとつは音楽監督に就任以来マンチェスター管に吉松作品を推した藤岡幸夫の目利きのよさで、フランス印象派風のパステルカラーのような管楽器の扱いといい、とても品の良いオーケストレーションを提示している。
ちなみにこの録音はマルチトラック録音の典型のようなものなのだが、ピアニッシモの繊細なタッチを細大漏らさずピックアップされたピアノの音の扱いが、昔のポール・モーリア楽団のチェンバロと同質のものだと判るだろう。つまりポストモダンのデフォルメされたデザインの意味を理解したうえで、録音に挑んでいることが判るのだ。しかしジャケ絵でも示されるように、そのデフォルメは金箔の夕暮れの空を舞う朱鷺のように、琳派のようなジャポニズムの美学とも相通じるものとなっている。 |
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ショパニアーナ/福田進一(1999)
ショパンのピアノ曲を近代ギター奏法の父タレガが編曲したアルバム。これがなぜ古楽かというと、編曲者のタレガが所有していた1864年製作のギターで演奏しているからで、立派なオリジナル楽器での演奏である。これがまた見事にはまっていて、トレース製ギターの暗く甘い音色が功を奏し、夜想曲などは恋人の部屋の窓の下で結婚を申し込むメキシコのセレナータそのもの。実に静かでエロティックである。
この演奏で思い出すのが、戦前のセゴビアの暖かい音色で、戦後の米デッカの録音との対比もあった、当然ながらHMVの録音なのでそうなのだと思い込んでいたが、こうして聴くと楽器の違い、特にガット弦の使用が影響していたことが改めて判った。 |
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マーラー:交響曲4番(シュタイン編曲:1921年室内楽版)
リノス・アンサンブル(1999-2000)
20世紀初頭にシェーンベルク率いる新ウィーン楽派が、当時の「現代曲」を中心に演奏するために起こした「私的演奏会」のプログラム用に1921年に編曲されたもの。このコンサートのために154作品がレパートリーされたというから、これはまさに氷山の一角に過ぎないのだ。師と仰いだマーラーの没後10年であると同時に、この演奏会の最後の年でもあり、ウィーン世紀末の残り香を漂わせながら、儚い天国への憧憬を画いた作品像が、第一次大戦で崩壊したヨーロッパの亡骸をいたわるような、どこかグロテスクな感覚もある。一般にシェーンベルクの室内交響曲が、マーラーの肥大したオーケストレーションへのモダニズムの反動だと言われるが、この編曲を聴くと最低限の構成で同じ効果のある作品を狙っていたことが判る。なんたってこの頃のシェーンベルクはウィーン大学で作曲の教鞭をとっており、単なる反体制的な芸術家とは違うのだ。論争的になったのは12音技法に走ったときからで、その頃の芸術家としての姿勢が預言的に存在していたかのように描かれるのは、残された作品像を見誤る原因ともなる。カップリングはシェーンベルク編曲の「若人の歌」で、こちらはピアノ伴奏でも十分な歌曲なので、構成の間引き方も自然に聞こえる。
さてこの録音の立ち位置だが、ジャケ絵のアールヌーボーの版画がしっくりくる、耽美にデザインされた調度品のように、室内を満たす感覚がたまらなくいい。 |
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ベートーヴェン交響曲全集/Ph.ジョルダン ウィーン響(2017)
久々にスカッとするベト全の登場だ。実はこれがウィーン響初のベト全で、しかもオケの自主製作レーベルによる2017年のライブ録音だ。楽員全員がベートーヴェンをこれほど楽しく演奏している例は今どきすごく珍しい。
ジョルダン息子のほうはパリ・オペラ座やウィーン国立歌劇場などでオペラを得意とする指揮者で、全部アレグロ・アッサイに聞こえるようなインテンポで進めながら、短いフレージングでもきっちり納めて性格描写も的確。キレのあるスタッカートから爆発的なアッチェルランドは、ハンガリーのジプシー楽団を思い起こさせるし。単純な2ビートまでがウキウキして沸き立つのも、ブッファを血肉としてしっかり身に着けた証拠である。
本来なら本拠地コンチェルトハウスなのだろうが、あえてムジークフェラインの空間を伸び伸びと埋め尽くす愉悦に溢れた演奏になった。個人的には、空間の鳴らし方がフルヴェン時代のティタニアパレストとベルリンフィルと似たような感じがして、癖のあるホールでも特徴に合わせてオケを鳴らし切る感性をもっていることが判る。連打音のなかのビートの浮き沈み、キレのあるスタッカートをオケが全力で弾き切っているかどうかの差が判るシステムでないと、なかなか良さの判らない演奏かもしれない。 |
※モノラルを愛する人にはこのロゴの使用を許可?しまする
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