20世紀的脱Hi-Fi音響論(シーズンオフ)


 我がオーディオ装置はオーデイオ・マニアが自慢する優秀録音のためではありません(別に悪い録音のマニアではないが。。。)。オーディオ自体その時代の記憶を再生するための装置ということが言えます。「アセテート紳士録」は、初老を迎えてアセテート盤の面白さに目覚めた情況をモニターします。


アセテート紳士録
【実際は短い恋の予感】
【アセテート盤ではじまった全国ネット】
【身体が資本のミュージシャンたち】
【アセテート復刻盤を復興する理】
冒険は続く
掲示板
。。。の前に断って置きたいのは
1)自称「音源マニア」である(ソース保有数はモノラル:ステレオ=1:1です)
2)業務用機材に目がない(自主録音も多少やらかします)
3)メインのスピーカーはシングルコーンが基本で4台を使い分けてます
4)映画、アニメも大好きである(70年代のテレビまんがに闘志を燃やしてます)
という特異な面を持ってますので、その辺は割り引いて閲覧してください。


アセテート紳士録

【実際は短い恋の予感】

アセテート盤とは1934年に米Presto社が開発したディスクレコーダーで、アルミ板に薄く塗りつけたアセテート樹脂をカッターレースで刻む方式で、33 1/3回転での長時間録音が可能なほか、従来のラッカー盤が温度を上げて柔らかくしてからカットしていたのに対し、常温(かなり冷えた場所でも)でカットでき、さらに回数は限られているがそのまま再生も可能という優れもので、英米の放送録音で1950年まで大活躍した。

なんでまた思い出したようにアセテート盤に噛り付いたかというと、フルトヴェングラーの「バイロイトの第九」の3番目の使徒となるスウェーデン放送所蔵のテープが、まさにアセテート盤での収録を生のままに残したもので、私のモノラル・システムとの相性があまりに良かった点という、かな~り家庭の事情が含まれている。ということで手元のCDをあれこれ探してみると、あることあること。よくもこれだけ集めていたものだと自分でも関心した。古くは1980年代にメンゲルベルク/ACOのライヴ録音(当時はLP)に圧倒されてから、その後も古いライヴ録音を手あたり次第に買い込んだ結果がこれである。


15年以上付き合ったのに20年目にして別れた、そんな甘酸っぱい恋などしたことはないが、戦中から戦後の混沌とした時代を駆け抜けた魂の記録を、懐かしい思い出としてあの手この手で美味しく頂こうという企画と相成ったのである。

ただし、かつてのLP復刻盤では針音厳禁だったので、アセテート復刻は高域に深くイコライザーを掛けることが常態化しており、あまり芳しくない音質だった。アセテート盤という名前を聞いた途端、ザラザラの雨音のなかでくすぶってる燃えカスのような音という感じで、今でも印象を悪くしている人も少なくないだろう。ところが21世紀に全面的にデジタル化された後は、データ上でのゴミ取りなども比較的容易になり、アセテート盤の本来の音質を堪能できるようになった。さらに時代が進むと針音上等!という復刻盤も増えてきて、かつての迫害的状況はかなりなくなったといえる。

アセテート盤の復興で一番恩恵を受けたのはスウィングジャズで、ラジオでの実況ライヴの多かったためレコード化が遅れた情況をようやく挽回できた感じだ。逆にポピュラー音楽のほうは、歌モノはシングル盤にカットしやすいし、ブルースなどのレイスレコードは放送では流しにくいため、SP盤でのコレクションがかなり広い範囲に及んでいるのとは対照的なのだ。大物ジャズメンはステレオ期に録音しているが、熟成どころか気の抜けたソーダという感じで、やはり壮年期に熱狂的な観衆に囲まれたときのノリの良さは得難いものがある。
次に多いのはクラシックのオーケストラ物で、SP録音での小編成オケのスタジオ録音ではなく、響きの良いホールでフルオーケストラのダイナミックな音が楽しめるほか、1940年代という戦中~戦後の執念の記録とも思えるパフォーマンスが聴ける。おそらく誰もがヨーロッパ文明の危機ということを肌で感じており、それを代表するクラシック音楽のミュージシャンが自分の存在を問い詰めた結果でもある。
皮肉なことに、アメリカ軍がヨーロッパ戦線で占領地を奪取したときは、ドイツでは退廃音楽として厳禁だったジャズの代表としてグレン・ミラーのムーンライトセレナーデが流れ、ドイツの放送局では帝国桂冠指揮者だったフルトヴェングラーのコンサート録音が流されていた。今では両者の音楽は何もなかったかのように聴き継がれており、本来の位置に戻ったというべきだろう。



【アセテート盤ではじまった全米ネット】

【実況から記録への進化】
米Presto社が1934年に発売したアセテート盤録音機は、1932年を前後して起こったスペック競争からすれば、実に控えめなスペックであるし、テープ録音が始まる以前の低規格品と思ってる人も少なくない。しかし今でいえばカセットテープやCDに匹敵するインパクトのある製品で、戦前のオーディオ史を語るうえで本来外せない代物だった。アセテート盤というと古い録音の代名詞のように思うかもしれないが、実際には1930年代末期から世界中のラジオ放送が国営化された頃から、戦後の1950年代中頃まで20年にも満たない短い時期に使われた。その間にスウィングジャズ、クルーン唱法、放送局専属オーケストラなど、様々な音楽がメディアのなかに飛び込んできて、国民的歌手などという言葉まで生まれた。一方で、ドイツでテープ録音機がHi-Fi対応になったのが1941年、戦中から戦後の非ナチス化裁判までの1950年くらいまでは、ドイツ国外にテープ録音機の普及は留められていたので、その合間を縫っての話だったことが判る。

1930年代から盛んになったラジオ局主催のライブ・ショウは、当時の法律もあって無料で視聴者を招待するものであった。トスカニーニ、グレン・ミラー・オーケストラ、ファッツ・ウォーラー、ビング・クロスビー、アンドリュース・シスターズなど綺羅星のラジオ・スターが活躍し、地方局への音源の配給のため番組ごと収録したアセテート盤が製作された。ラジオ・スターはいずれも既に名の売れたミュージシャンが多かったが、ビング・クロスビーがホワイトマン楽団から独立して以後、クルーン唱法に至ったのは1931年からはじまったCBSでのラジオ番組(ビング・クロスビー・ショウ)との関わりが強い。こうした状況もPresto社のレコーダーで記録されていた。
第二次世界大戦での戦場実況レポートの多くは小型化されたディスクレコーダーが使われ、潜水艦のソナー音の記録用にHi-Fi技術が一気に躍進した。実は天皇陛下の玉音放送もアセテート盤で行われていた。

1934年
 
Presto社が6D型ディスク・レコーダー発売。
(アセテート盤:16インチ、33 1/3 RPM)

1935年
NBCがPresto社のディスクレコーダーを採用。(1938年にはCBSにも納入される)

1939年のNBC Radio City内の8Hスタジオの様子
1941年
 
FMラジオ開局の年に発売された6N型ディスクレコーダーは1950年代まで製造された。

33回転での内周差に伴う高域低下を補うため"Automatic Diameter Equalizer"を使用(4, 6, 8, 10kHzでターンオーバーを調節可能)。


Presto社のディスク・レコーダーは急速に広まり、発売後3年目の1937年には年間50万枚ものBlank Disc(録音用アセテート盤)が売れた。これはラジオ放送の普及とともに、アマチュアによるエアチェックの流行も寄与していたが、NBCという大御所でも十分使用に耐える完成度を当時からもっていたことを物語っている。Presto社のディスクレコーダーがマーケティングに長けていたのは以下の理由による。
  • 通常の金属マスター原盤$100~150に対し、アセテート盤は$1.25~2.00でとても安価。(今の印刷の仕組みと似ている)
  • 当時の33 1/3回転は長時間というメリットよりエコノミーという宣伝で出発していた。(ビデオデッキ初期の長時間録画と似ている)
  • ダイレクトカット盤を使用するため通常の電蓄よりも高音質であった。アマチュアが手の届く製品のうち、実効周波数50Hz~8kHz、S/N比50dBを録音から再生まで保証した音響製品は当時でも非常に少なかった。
  • 収録音源のダビングが簡単に造れたおかげで地方局に同じ品質の音楽番組が提供できた。
1950年代にAmpex社のテープレコーダーが発売された後も、Presto社のディスクレコーダーはポピュラー音楽の分野で主流であった。まだテープもLPレコードが高価だった時代に、ラジオ用のデモの製作にアセテート盤は欠かせなかったため、高音質なジャズ録音で先鞭をつけた録音スタジオにも必ずPresto社のディスク・レコーダーが常備されていたし、SUN Recordsによるエルビス・プレスリーの初期録音は最初からアセテート収録だった。風来坊だった晩年のジャンゴ・ラインハルトをローマで見つけてセッションを記録したのもアセテート盤。さらにはビートルズが1962~65年に出演したBBC番組"Pop Goes to Beatles"もアセテート盤で配給された盤が多く残っている。

1950年代のレコーディング・ルーム左:Reeves Sound Studio、右:SUN Records Studio

こうした流れを達観してみても、Presto社の投げ掛けた録音技術のダウンサイズが、非常に広い範囲で文化的に広がっていることが判る。何よりもラジオという媒体がもっっていた情報の密度が、現在のそれとは比べものにならないほど、庶民の生活に影響を与えていた時代のことである。アセテート盤の放送音源の再生技術を抜きにしては、1930~50年代の音楽文化を語れないほど、奥の深いものであることを悟った次第である。

【AMラジオ局でのモニター環境】
戦前の放送業界に関する勝利者はRCA陣営であり、複雑な電気技術の民間へのダウンサイズを含め、ラジオ・ディズという懐かしい響きのもつ印象のほとんどは、RCAが1930~40年代に形造ったものである。RCAの録音再生技術は、基本的にフラット志向で高域を落としたもので、その後の東海岸のサウンド傾向(BOZAK、AR、BOSEなど)を引き継いでいる。その代わりに、録音側でピリッと辛めに仕上げるのが味付けの基本になる。トスカニーニの8Hスタジオの硬質な響きは、放送用の味付けをダイレクトに戦後のHi-Fi機器に持ち込んだことによる過誤と思われるし、1950年代のジャズ録音の多くも東海岸で収録されている。むしろアメリカ全土で聴かれるために、多少キャッチーな音造りをするのが放送業界の鉄則だし、リスナーに費用負担を掛けない点でも合理的である。これが戦後のアメリカン・サウンドの骨格ともなるのである。
そのRCAの音響技術を支えたオルソン氏の仕事のなかでユニークなのが、スピーカーに関する研究であろう。今となってはその影響をあまり感じないのだが、1930年代において音響学の仕組みを電気的模擬回路でシミュレーションする技術のパイオニアでもあった(例えば木下氏がTADを開発した頃に顧問を務めたLocanthi氏はよくメモでこの手のシミュレーションをしていたという)。戦後のリビング・ステレオ時代のLC-1Aモニタースピーカーが有名だが、それ以前に迷路型音響箱(ラビリンスと言われた)を使ったMI-4400モニタースピーカーをリリースして、これがラジオ局に広く導入された。1939年にリリースされたMI-4400は、高域の振動を制御するダブル・ボイスコイル(1934年発表)、低域の最低共振周波数を打ち消すバックロードホーン・キャビネット(1936年発表)、その他に高音用の拡散翼を設けるなど、多くの斬新なアイディアを投入した製品であった。このことにより8インチ径のシングルコーンで60Hz~10kHz(実験レベルでは12kHz)という、Hi-Fiの幕開けを告げるスペックを叩き出した。このモニタースピーカーは構造に懲りすぎたせいか、AltecやRCAから同軸2wayのモニターが発売された後は、メンテナンスされることなく1950年代にはほとんど姿を見なくなる。
以下の図で特に注目したいのは、1934年の論文でシングルコーンスピーカーの一般的な特性が比較されていることである。これは明らかにRice&Keloggのスピーカーの延長線上にあり、2~5kHzにピークをもたせたプレゼンス重視の特性である。これに対しMI-4400は完全にフラット再生を目指していたのだが、実際には高音が大人しい傾向のあることが判る。


1939年 RCA MI-4400(64-A)

1934年 Double Voice coil
上の一般的なフルレンジと高域の伸びが違う

1936年 Combination Horn(150Hzでホーンの共振を制御)

RCA MI-4400B(1947年にBBCが計測)
低域:200Hzから-10dB/octで減衰
高域:3.5kHzを頂点に-10dB/octで減衰
50Hz~12kHzというスペックは満たしている

NBC サンフランシスコ局のレコーディングルーム(奥にMI-4400)

英BBCで戦後まもなくドイツ製テープ録音機(マグネトフォン)の評価レポートをした時点では、敵国の技術をこき下ろしたい心理状態を差し引いたとしても、アセテート録音機のほうが良いとの結論を得ていた。ところがその直後に出現したLP時代の復刻盤は針音厳禁で、アセテート盤はその性格上プチノイズのクリーニングができず、ノイズ除去のため高域に深いイコライザーを掛けていた経緯がある。10kHzまで入った情報は5kHzでカットされていたのである。現在残されているほとんどのアセテート板は保存状態が悪く針音もザラザラだが、切りたてのアセテート盤は少しシュルシュルと音を立てる程度。さらに当時のテープ録音よりもダイナミックレンジが広く、少々のオーバーレンジでも歪みがそれほど目立たないため、たかがアセテート盤だからと侮れない。BBCのモニタースピーカーはGEC製のフルレンジだが、1.5~2.5kHzにピークをもち、その両端の300Hz以下と4kHz以上がラウンドする典型的なカマボコ型だが、戦後に世界各国のスピーカーとの聞き比べでは、アナウンスの声を自然に再生することで評価されていた。オーケストラの再生が良くても、金切り声を上げたり胸声でボソボソではNGで、これだけは譲れないことだったらしい。

戦前のBBC LSU/7型モニタースピーカーとアセテート録音機(1932年)


このように考え方によっては、アセテート盤=安い低品質録音ではなく、アセテート盤こそが市場に流通したSP盤より実音に近いものである可能性もある。あとアセテート盤の功績を挙げるとすれば、33 1/3回転のLPレコードの普及に寄与したと思われる点である。当初使われた33 1/3回転はもともとトーキーのヴァイタフォンで使用していたものであったが、トーキーでは1928年以降に光学式録音方式が普及していたことから、Presto社が長時間録音用の規格として復帰させたとみてよい。つまり放送業界でデフォルト・スタンダードとなっていたこの方式が、次世代メディアの基盤となったと考えるのが妥当である。ちょうどFMステレオ放送とカセットデッキがステレオ機器の牽引役になったのと同じである。その意味でも、アセテート盤の正当な取扱いと再生技術こそが、SP盤とLP盤の深い峡谷を結ぶ架け橋なのである。




【身体が資本のミュージシャンたち】

これだけの大物アーチストを集めて「体が資本」なんてプロレタリア労働者のように扱うのはどうかと思う人もいるかもしれないが、働き盛りで目がギラギラ光ってる年頃といえば納得していただけるだろうか。そしてそれぞれが歴史に残るパフォーマンスを繰り広げており、その現場に立ち会えた感動は何にも代えがたいものだ。そしてその体当たりのパフォーマンスを目の前で起きているように再現するのがオーディオ装置の役割なのだ。

【クラシック編】
フルトヴェングラー/バイロイト祝祭o:ベートーヴェン第九(1951)

有名な「バイロイトの第九」のスウェーデン放送版で、ミュンヘンの放送設備からデンマーク経由でヘルビー(スウェーデン南部)の放送局まで、有線回線を通じて実況されたものを、アセテート録音機で収録したものになる(発見時はテープにダビング済)。これが意外に音質が明瞭かつエネルギッシュなもので、ダイレクトカットされた音の勢いの強さも手伝って、当時の実況放送の実力に完全にノックダウンされた感じだ。残念ながら4楽章のクライマックスで放送事故があり、録音としての完成度を落としているが、ここがバイエルン放送テープの配信用アセテート盤コピー(トランスクリプション・ディスク)ではないことの証拠のようなものになっている。
日本のフルヴェン・ファンが発売時に注目したのは「本物の拍手」が収録されているかだったが、おもに宇野功芳の「虚無の中から聞こえて来るように」という名解説の真偽への興味であって、フルヴェンの演奏内容がそれで変わるものでもない。むしろ問題なのは、発売元のBISでは発見したテープの音量を元のままいじっていないとのことだが、聞こえにくいmpの音量とffに達したときの爆音との間で模索する不安定な音量の振れが、録音時のレベル操作なのか、そもそもフルヴェンの演奏の特徴によるものなのかの区別が付きにくく、本来はこっちのほうに注目したい内容だ。その鮮度といいエキセントリックな風情は印象としては1942年のベルリンの第九に近いのだ。
個人的に感動したのは、バイエルン放送のリミッターを深く掛けた録音姿勢とは逆に、中継点にあったベルリン、ハングルクが巨匠のダイナミズムを生のままでスウェーデンまで届けようとした心意気である。長らく音楽監督を務めていた地元ベルリンはともかく、ハンブルクには戦中から巨匠の録音を担当したシュナップ博士がいて、それぞれ巨匠の演奏を熟知した人たちがバトンを繋いだ。それがこの録音を単なる記録ではなく、フルトヴェングラーが行ったバイロイト再開の記念碑的な意義を十全に伝えている感じがする。
マーラー「復活」 クレンペラー/ACO(1951)

アムステルダム・コンセルトヘボウ管は、初演こそケルンやミュンヘンが多かったが、長く首席指揮者に君臨したメンゲルベルクの下、マーラー演奏に作曲家も認める手腕を発揮してきたことで知られる。この復活はクレンペラー自身がマーラーの助手として働いていた頃に何度か副指揮者として立った経験のある思い出深い曲。大変彫りの深い演奏で、オタケンのアセテート盤録音からのテストプレス盤の復刻もしっかりしたものになっている。アメリカでの就職活動が上手く行かず、ややムラっ気の多いこの時期のクレンペラーに対し、全てが整えられて準備されたうえでクレンペラーの統率が揃ったというべきかもしれない。テレビのインタビューでクレンペラーは、同じマーラー作品の偉大な指揮者だったワルターとの演奏の違いについて問われたところ、「ワルターは道徳主義者で、私は不道徳主義者だ」と答えたというが、実はお気に入りの言葉らしく、同じことをバレンボイムにもベートーヴェンのP協奏曲のセッションの合間に何度も言ってたらしい。こうした奇行の数々が功を奏してか、デモーニッシュな闇から徐々に光を放つこの作品のコントラストをよりハッキリと表現しているようにも感じる。ジャケ絵は聖母フェリアー様ではなく、クレンペラーが大腕を振り上げている姿にしてほしかった。
マーラー4番 メンゲルベルク/ACO(1939)

メンゲルベルクの超ロマンティックな演奏は、ベートーヴェンの交響曲全集やバッハのマタイ受難曲が殊に有名であるが、マーラーとは生前から友人のような関係にあったことでも知られる良き理解者でもあった。弟子のワルターやクレンペラーよりも一世代前の演奏理論に沿っている。私が青年期に最初にトラウマに取り付かれたのがこれ。戦前の放送用録音で、アセテート盤へのダイレクトカットだが、ともかくモノトーンで音が悪い。なのに演奏はアールヌーボーの版画に描かれるアイリスの花のようにどこまでも甘美。それもそのはず、中世からユダヤ人街を有していたアムステルダムで、ナチス侵攻前に行われたユダヤ系作曲家を取り上げたコンサートの一幕であり、その偽物めいた楽園の表出がこの時代の暗い部分を皮肉っているかのような、実に一世一代の名演技でもあったからだ。このギャップに悩まされたというかショックを受けた。何とか聴かねばならない。そう思い続けてきた録音である。
ベルク Vn協奏曲 クラスナー/ウェーベルン/BBC響(1936)

BBC放送の音源としては、米Presto社の録音機によるアセテート録音としても最初期のものである。15インチ&33回転盤での長時間録音を可能とした米Presto社の録音機は、こうしたクラシックの収録に革命を起こしたと言っていい。そしてウェーベルンの極度に集中した綿密な指揮ぶりを収録したうえで貴重である。ベルクの示した理性的で退廃的な人間像に迫る時代性を知るうえで欠かせないアイテムだ。上記のメンゲルベルクのマーラーと聴き比べると、その豊潤に香る同時代性というものが理解できよう。
タウバー/レハール 引退コンサート(1945)

ウィーン帝国歌劇場の花型テナーであったにも関わらず、ユダヤ系であったためにイギリスに亡命したタウバー。その逆にユダヤ人の妻が居ながらヒトラーの擁護を受けベルリンに移ったが、沈黙の抵抗のため筆を折ったレハール。この二人が戦後にスイスのチューリッヒで落ち合って、ラジオ番組で協演したのがこの録音。荒いアセテート盤の音質には、平和に満たされた喜びと強い気迫とが入れ混じった不思議な演奏が繰り広げられる。微笑みの国では神妙な悲しみが、チャルダーシュは血の吹き出すようなアッチェルランドが、音楽に命を掛けた二人の芸術の総決算である。
ラロ/スペイン交響曲 ティボー/アンセルメ/スイスロマンド管(1941)

このCD集はHMVの電気録音集を集めたものだが、オマケとして収録されたスペイン交響曲のライヴ録音が飛びきりの名演で、これまでストコフスキーとのアメリカ公演だけしか知られていなかったティボーの得意曲の全貌が初めて明らかになった。いわゆるフランスのエスプリのように誤魔化しているティボーの芸風とはケタ外れの、ラテンの血がたぎる熱演で、黒髪のジプシー娘が目の前で舞っているようなその妖艶さまでが心を鷲掴みにしてやまない。はたしてこれが芸術かと言われれば、「裸のマハ」を思い浮かべると理解が進むかと思う。
ブラームス/Vn協奏曲 ヌヴー/ドラティ/ハーグ響(1949)

黒髪の娘といえば、このヌヴーもまた妖艶さの化身のようなもので、気性の激しさでは右に出るものも少ない。何よりもあれほど技巧にうるさいカール・フレッシュが、その天賦の才能に見入ったというくらいなので、尋常ではないのは確かだろう。同じブラームスではオケの整ったハンブルクでのライヴのほうが有名だが、独奏バイオリンの血のほとばしり出るような勢いはアセテート収録の本盤が勝っている。ブラームスがこの演奏を聴いたら別の楽曲を用意したのではないかと思えるくらい、通常の解釈を飛びぬけてバイオリンの魔性へと惹き込んでいく。
チャイコフスキー P協奏曲 ホロヴィッツ/トスカニーニ/NBC響(1941)

若いホロヴィッツがトスカニーニ翁を煽ること煽ること。まるでサーカスを見ているようで爽快である。多分、例のごとく音符が楽譜より多くなっているような気がするが、競争曲ともいうべきスリル満点のアクロバットぶりは、オリンピックで世界記録を出した瞬間の興奮と同じ種類のものだ。ブルース歌手には悪魔に魂を売ったクロス・ロード伝説があるが、ロシアのピアニストにはそういう逸話がないのかしら? と思うほどに取り憑かれた打鍵ぶり。ホロヴィッツ選手9.99の演技をとくとご覧あれ。
ショパン P協奏曲1&2 ホフマン/バルビローリ(1936-38)

ロシア・ピアニズムといえば、上記のホロヴィッツやラフマニノフのような超絶技巧のオンパレードのように思う人も多いと思うが、ここに聴くヨーゼフ・ホフマンのそれは正統な貴族の血筋を感じさせる、繊細で気品のある芸術である。それこそチャイコフスキーがその死に際し三重奏曲を書いたアントン・ルービンシュタインの数少ない愛弟子であり、この録音時にはコンサート・ピアニストというよりはカーチス音楽院の教育者として身を費やしていたが、協奏曲1番の2楽章の入りで会場の空気を一変させるその至芸を前にして、その高貴さの違いに愕然とする演奏である。
【ジャズ・ポピュラー編】
ベニー・グッドマン カーネギーホール・コンサート(1938)

この録音の良さはちょい聴きでは全く判らない。RCA 44型マイクで収録したと解説しているが、実際はよりタフな設計でナロウレンジの50型であるし、録音はNBCの牙城だったカーネギーホールからCBSの局まで引き延ばした電話回線を使っている。このため、マイク配置は成り行き任せ、録音レベルはデコボコで統一感がない等、失敗に近いものであった。一方でこの時代には珍しく、放送後一度お蔵入りになった後、1950年になって初リリースされた経緯をもつ。ジャズの歴史を一巡するかたちで、芸術音楽としてのジャズの地位を決定付けた、ジャズの歴史のうえで非常に重要な位置をもつ録音でもある。この激しいギャップが、この録音との付き合い方を難しくしているような気がする。
グレン・ミラー楽団/アンドリュース・シスターズ チェスターフィールド・ブロードキャスト(1940)

グレン・ミラー楽団がタバコ会社のチェスターフィールドをスポンサーにして行った無料コンサートの実況で、スウィングジャズの黄金時代の熱狂が伝わる稀有な録音である。花を添えるのがアンドリュース・シスターズで、この後このコンビはヨーロッパ戦線での慰安コンサートで知られるようになる。今聴いてみると、実は戦勝パレードというよりは、ジャズを退廃音楽として迫害したナチス政権への当てつけとして政治利用しただけで、歌詞の内容も平和そのものである。現在だからこそ音楽の目指す本当の主張が聴けるような気がする。
キング・コール・トリオ/放送用録音集(1939-40年)

ナット・キング・コールがジャズピアニストとして活躍していた時期のアセテート録音で、スウィングジャズ全盛の時代に、シンプルなピアノトリオに自分たちのボーカルも織り交ぜての洒脱なアレンジを聴かせる。録音にも次世代規格を織り込んでウッドベースのソロパートを収録するなど、結構野心的なオーデイオ心も垣間見せる。ところが米デッカの復刻盤の音の悪さは折り紙付きで、高域をバッサりとカットした古い手法に頼っている。ここはナクソスの復刻シリーズで聴いてみよう。パワープレーが得意とされがちな黒人ジャズメンの印象とは真逆の、非常に洗練された知的な佇まいが持ち味であり、ビバップに移行する時代の狭間にあって評価のうえでとても損をしている。ともあれ極上の軽音楽をご堪能あれ。
ウッディ・ガスリー米国会図書館録音集(1940)

フィールド録音での研究によりアメリカ民族音楽の父とも言われるアラン・ローマックスが、フォーク歌手のウッディ・ガスリーを米国会図書館に招いて録音したもの。一時期ニューディール政策で脚光を浴びたが、各地の労働運動に加わった左寄りの発言に加え、難病を患ったこともあり、戦後に急速に活動を減らしていった。そういう意味でも伝説に近い存在なのだが、この録音でとても興味深いのは、商用録音と違い自伝的な語りを長く収録していること。これはガスリーのコンサートで特徴的なことで、何よりも自分がどこから来てどうやって生きてきたかを歌にすることが、フォークの本質だと言わんばかりの筋金入りのおしゃべりなのだ。
ジャンゴ・イン・ローマ(1949-50)

戦中はロマ族の迫害を逃れて旅芸人、戦後もしばらく行方をくらまして、ビング・クロスビーがテープ録音機を持って探し回ったが見つからず、このローマでのアセテート録音が最後のものとなった。このセッションはRCAから出てた抜粋アルバム「ジャンゴロジー」が有名だが、全部の録音を網羅したJSP盤を推すとしよう。戦前のホットファイヴ時代より覇気は後退しているものの、呑む前にグラスを傾けて熟成したワインの香りを楽しむような余裕が感じられる。
ラジオドラマ「ザ・シャドウ」(1938~48)

CD9枚組18話のかなりマニアックな音源だが、1937年からCBSで放送されたサスペンスドラマで、シャドウと名乗る謎の人物が電オツで悪事を暴き立てるという筋立て。当時はパルプ・マガジンから映画まで、今でいうメディアミックスの宣伝手法でスタートし、1954年まで続いた意外に人気のあったシリーズであった。初期のシリーズでオーソン・ウェルズがシャドウ役を演じたことでも知られるが、まさしく1938年に「宇宙戦争」を虚実織り交ぜて放送したときに当たり、怪しげな暗黒オーラを発するキャリアの転換期を記録している。オーディオ的には、ラジオの中の電話声、民衆のエキストラと主役の声の遠近感、懐かしいハモンド・オルガンの伴奏、これらの演出が1948年まで変わらず続けられている点が、このドラマの変わらぬ価値観を示している。同じサスペンスでもヒッチコックの効果音の多様性と比べると、ドラマ=言葉の構造という枠組みを保とうとする姿勢が顕著だと判る。
スウィンギング・ウィズ・ビング!(1944-54年)

ラジオ・ディズの看板番組ビング・クロスビー・ショウの名場面を散りばめたオムニバス3枚組。記録では1948年から番組をテープ収録開始したと言われるが、どうも解説を読む限りはアセテート盤のトランスクリプションで保存してあったらしい。このCDは多彩なゲストと歌芸を競い合うようにまとめられているのが特徴で、アンドリュース・シスターズ、ナット・キング・コール、サッチモ、エラ・フィッツジェラルドなど、肌の色に関わらずフランクに接するクロスビーのパーソネルも板に付いており、文字通り「音楽に人種も国境もなし」という言葉通りのハートフルな番組進行が聴かれる。まだ歌手としては売り出してまもないナット・キング・コールにいち早く目を付けて呼んでみたり(ナット自身は遠慮している様子が判る)、壮年期はやや力で押し切る傾向のあったサッチモのおどけたキャラクターを最大限に引き出した収録もある。この手の有名歌手が、何でも「オレさまの歌」という仰々しい態度を取り勝ちなところを、全米視聴率No.1番組でさえ、謙虚に新しい才能を発掘する態度は全く敬服する。利益主導型でプロモートするショウビズの世界を、彼なりの柔らかな身のこなしで泳ぎまわった勇姿の記録でもある。
エルヴィス・プレスリー
A Boy from Tupelo(1953-55)

サンレコードでの自腹アセテート録音から、初期のセッションのアウトテイク、ラジオ番組やライヴ録音など、サンからRCAに移籍する頃までの録音を集められるだけ集めた3枚組。サム・フィリップがアンペックス製テープレコーダーを導入するのが1954年とあり、RCAと契約するときには山積みのテープの前で握手しているので、半分以上はテープ録音と考えられる。驚くのはアウトテイクの質の高さで、どのテイクも聞き惚れてしまう。何となく感じるのは、この新人歌手が最高のテイクを出すまで、じっと暖かく見守るスタジオ・ミュージシャンの懐の広さで、大手レーベルに有り勝ちなせっかちにアレコレ売れ線を目指すプロデュースとは一線も二線も違うのだ。エルヴィスはアメリカンドリームの象徴とも言われるが、そもそも夢を抱かない人に大きいも小さいもないものだと思う。この頃のエルヴィスの声には、人間が一人で抱えきれるだけの夢でも十分に美しいものだと思わせるものが詰まっている。
ブル-・ビートの歴史Vol.1(1960)

イギリスから独立前のジャマイカで流行したスカの最有力レーベルのシングル1~25枚目を集めたもの。スカは英国のモッズたちの必須アイテムで、このレーベルもロンドン発で現地録音をリリースすることで出発した。後にダブプレートという独自にミックスしたダンスチューンをアセテート盤にカッティングして持ち歩くDJが増えるが、これはその前の時期のもので、現在は山積みのサウンドソシテムもスピーカー1本でやってた時代でもある。単純で脳天気なリズムが金太郎飴のように続くのだが、こうしたリズムのキレのようなものはアセテート盤でなきゃでにくいと感じるし、それなりのオーディオ再生のノウハウが必要に思う。
ボブ・ディラン The Witmark Demos(1962-64)

ディランがデビュー仕立ての頃、音楽出版社への著作権登録のために宅録したアセテート盤などを掻き集めたブートレグシリーズの一環で、一部テープ録音も含まれていると思うが丁寧に復刻されており、家庭で聴くディランという親近感の湧く距離感が心地いい。ローファイ仕様での録音は、かつてのSP盤時代のデルタブルースの黒人歌手たちのデジャヴとして重なり、おそらくダミ声もまねて効果を確かめているようにも思える。フォークの貴公子と言われ、多くのコンサートで引っ張りだこだったライヴと比べると、ルームガウンを着たままのディランがそっちにいて、無心にタイプライターに向かって自分の夢を画いているような感じだ。これがリリースされた当時はこれで公式ブートレグも打ち止めと思わせる捨て駒のような雰囲気が漂ったが、結局廉価版でのリイシューとなって長寿アルバムとなっているのがなんとも微笑ましい限り。



【アセテート復刻盤を復興する理(ことわり)】

【アセテート盤の彷徨える霊を宿せしもの】
現在市販されているオーディオ機器で、アセテート盤の再生に執着したものを私は知らない。これはアセテート復刻盤のリリース数が日ごとに増えていくのとは全く反比例していて、再生装置のほうは驚くほど暗中模索の手探り状態である。私自身も40年近くアセテート復刻盤と接しているが、LP関連のモノラル機器との格差も益々広がるばかりで、理由はと考えると、それがAMラジオ音源だったということに行き着く。つまり古ぼけたマグネチックスピーカーのAMラジオから聞こえる音という思い込みが、それ以上のことを求める心を萎えさせているのだ。この肉体の失われたアセテート盤の記録は、まさしく憑依すべき肉体を失った彷徨える霊魂そのもので、アセテート盤にヒビが入る不吉の前兆が起きる前に何か手を打たねばならぬといえよう。

ひび割れ剥離したアセテート盤、マグネチックスピーカー付き国民ラジオ

まず手がかりとなるのが、プレスト社純正の簡易PAシステムで、これに付属していたユニットこそジェンセンのPM10(25cmエクステンデッドレンジ)であり、2A3プッシュプルで500人くらいの会場で使える出力としていた。トランスクリプション・ディスクを製作する放送局のダビングルームでもこの手のモニターは併用されていた。以下のオーディオ業界誌の表紙は1947年と1950年であるが、1947年がアセテート盤のトランスクリプションを製作するのに大忙し、1950年はスカーリー製のLP用カッターレースを静かに操る構図である。実は同じ33 1/3回転での操作なのであるが、鮮度が命の報道現場での1947年のような状況は1930年代にも同じ光景がみられた。



この時代のもうひとつの目玉は、若いカップルのダンスパーティーで、いちいちバンドを雇う金のない場合は、レコードを掛けてダンスをしていた。これは生のビッグバンドでも、グレン・ミラーなどは歌手の拡声にこの手の簡易PA装置を使用して演奏旅行に出向いた。クルーン唱法が可能となった時代の寵児でもある。よくアメリカ映画で高校の卒業パーティーで誰とダンスを踊るかで大はしゃぎしているのは、まさにこの世代のカップルの2世か3世のことでそれほど古い時代のことでもないと判る。大型電蓄のチラシに登場するドレス姿の御婦人たちは、少し前までボールルームで青春を謳歌した世代である。おそらく家庭に入った後はそんなにハメを外すわけにも行かず、じれったい気持ちを持て余しているようにみえる。




これがもっと庶民的な黒人のコミュニティに入ると、ジュークポイントという掘立て小屋に集って歌い踊るの大騒ぎとなり、ここで供されるブルースやジャグが戦後のアメリカ音楽を牽引することとなる。1950年代から1960年代前半のオールディーズの象徴であるジュークボックスは、まさにこのためのものであり、ここでもジェンセン社のスピーカーは使用されていた。



以上のようにアセテート盤はラジオ放送のために記録されたが、それは貧しい庶民のためという意味ではなく、リアルなステージから大勢で踊るボウルルーム、場末のスナックバーまで、アメリカ中のあらゆる音楽と結び合っていた。こうしたコミュニティを結びつける力が、1930~50年代の音楽と音響装置の魅力ともなるのだ。一方で現在は、アセテート盤の持っていたフィジカルな身体能力が奪われ、歴史上の知識として収まっている。これは当時の音楽にとっても本望ではないことは確かだ。なので卓上ラジオという箱から取り出し実体化する再生装置を欲するのである。

【ジェンセン流の奥儀】
こうして、たかがラジオ用と思ってたアセテート盤でも、少し強化した業務用システム、商用PA装置など、フィジカルなかたちがみえてきたところで、私なりの答えを出すと、以下のようなジェンセン社のPA用スピーカーを中心としたシステムで、それこそスピーカーにアセテート録音機の純正パーツを投入できる優位性をもつ。ただし現代のリソースで試聴するため、CDプレーヤーからリバーブ付きミキサー、ラジオ用音声トランス、MOS-FETプリメインアンプ、そしてエクステンデッドレンジのスピーカーというリレー競技である。鍵となるヴィンテージ・デザインのパーツは、ジェンセン社のギターアンプ用スピーカーC12Rは6,000~8,000円程度、サンスイトランスST-17Aは1000円程度で、現在も製造し続けて新品で買える超お買い得なパーツである。もちろんこれより高級なヴィンテージ機器は無数にあるが、基本セットとしてこれ以上のものは必要ないほど充実している。


鍵となるジェンセン C12Rといえば、すごく安価なのでバカにする人が多いのだが、これとて1947年に開発されたプロ用PAユニットであり、1960年頃までジュークボックスにも使われていた隠れた銘品である。それがギターアンプ用ユニットとして当時の価格据え置きでイタリアで復刻生産されているのだ。古い設計のユニットなので、さぞかし柔らかくポッチャリした音で鳴ると思うだろうが、ジェンセンは全くその逆のメリハリの強いサウンドである。これを後面解放箱に入れることで、フィックスドエッジ特有の強力なスピードを誇る中低域の立ち上がりと、艶やかな中域とのバランスは、ボーカル域を自然な音のまま拡声する。まさにアセテート録音の起死回生のために存在し続けるレジェンドである。腰からスウィングする音楽は、こうした古い設計のユニットからしか生まれない。

ちなみにC12Rにした理由は、①ボイスコイル径が1インチと小さめで高域に伸びの出やすいこと、②センターキャップがフェルトでヴォイスコイルの共振を阻害していないこと、③Qts>2.0の超ガチガチのフィックスドエッジで平面バッフルで使用可能なこと、が挙げられる。①②は中高域に強い癖のあることと同義で、③はバスレフで低音の出にくい設計ということで、共にウーハーとしては失格なのだが、その間の中低域から中域までのボーカル域のレスポンスが均質で非常に優れている。

よくLP以前の古い録音を聞く際にはツイーターなど付けず、シングルコーンで聴くのが良いという意見も多いが、AM放送オンリーだった1930年代から2wayスピーカーを装備したHi-Fiラジオは存在しており、実況中継のほうがSP盤よりも高音質で聴けた経緯がある。かといってアルテックのようなトーキー用の大型ホーンを準備するまでもなく、ラジオ用にはそれにふさわしい音響規模があるのだが、今回のジェンセン+ツイーターというのは、まさしくその丁度いい塩梅にはまっている。チャンネルデバイダーを使って自分の耳で聞いて合わせた音響バランスを、試聴位置(斜め45°)から計測した周波数特性は見事なカマボコ型で、偶然ではあるが映画館のような広いホールでの音響特性(アカデミー曲線)と似ている。そのかわりインパルス応答、ステップ応答という微小時間での波形の応答はかなり素直なので、高音や低音が引っ込んで聞こえないということはない。サンスイトランスはAMラジオでのハムノイズ、高周波ノイズを潜り抜けアナウンサーの明瞭さが確保されるように最適化されていた。これらが人間に耳に最適化してボーカル域で音楽をじっくり燻りだすお膳立てになってる。

私のオーディオ装置の周波数特性(点線:アカデミー曲線)

ライントランスとして使用しているサンスイトランス ST-17Aは、トランジスターラジオの組込み用に1958年に開発されたパーツで、終段プッシュプルをB級動作させる際の分割トランスとして現在も製造されている。昔、ヨーロッパ系のヴィンテージオーディオを扱うショップを訪問したとき、修理中だった古いドイツ製真空管を使ったアンプについて質問すると、「9割はトランスの音だ」と豪語していた。その頃はあまりピンとこなかったが、米マッキントッシュのアンプのようにコッテリした東海岸サウンドはもとより、初期のNEVEコンソールに組み込まれていたマイクアンプもトランジスター回路を用いながらトランス独特の艶やかな倍音を沢山含んでおり、往年のブリティッシュサウンドの太い粘り気なども含め真空管っぽいテイストをもっている。この倍音や粘り気の出る理由は、トランスの磁気飽和による歪みや磁気ヒステリシスによるコンプレッションが発生するからであるが、現在のオーディオ用トランスは性能が著しく向上して、重低音も高調波もキッチリ変換して同じような効果はほとんど出ない。
サンスイトランスは、どういうわけかその辺を昔のスペックのまま出しており、まるでMMカートリッジでも聴くかのような野太さと艶やかな倍音を出してくれて、いい意味でラジオ的な親密なサウンドをもっているのだ。かといってそれほど味付けを強調するほど癖のある音でもなく、かつおだしの味わいのような感じが気に入っている。逆に2021年にBISから出たバイロイトの第九のような鮮度のいいアセテート盤の復刻では、フレーズの収まりが余韻で流れやすいところをスッと落として力感を出したり、過入力での高域のビリツキをうまく抑えてくれたりと、これが有ると無いとでは全く気合いの入りようが違う。やはり時代なりのチューニングが施してあるのだ。

ラジカセ基板のB級プッシュプル段間トランス、サンスイトランス ST-17Aと特性


トランスには磁気飽和による高次歪みと僅かなコンプレッションがあって、実はLPからCDに変わった後に音楽が味気なくなったのは、単にマスタリングの問題だけでなく、パッシブに動作する磁気歪みが関与している。同じような効果は、テープヘッド、カートリッジにもあり、唯一スピーカーだけが磁気回路をもつオーディオ部品となってしまった。ちなみに1980年前後のことだが、瀬川冬樹氏がデパートでオーディオ伝道師として自ら売り子になっていたが、そこで売り出されている大半のスピーカーがクラシックを再生するには歪みが多すぎるため、メーカーに改善を求めるべく事情を訊いたところ、大半のオーディオ初心者はテレビやラジカセで親しんでいる歌手の声を好んで選ぶ傾向があり、デパートではその音調をまねたスピーカーのほうが売れるし、他社さんに負けないように製造をやめられないとのことだった。
私の場合は、こうした事情は肯定的に捉え、ギターアンプ用スピーカーの分割振動も含め、倍音成分(高次歪み)を大歓迎で混ぜこんでいる。ただ倍音の出やすいのはパルス性の波形に対してであって、普通のサイン波はクリーンな音である。もちろん歪みが増大するブレークポイントがあるので、それ以上の音量を出さないのも使用上の注意としてあるが、Jensenとて70年前のプロ用ユニットなので家庭用として全く不便はない。

Jensen C12R+Fostex FD28Dのパルス応答特性(ライントランス有)


あとモノラル録音全般にいえるのは、モノラル・スピーカーを正面から聴くのではなく、ちょうど団欒を囲むように斜め45度から聴くことである。実はモノラルだとコンソール型のような大きい筐体でも、人間一人分のスペースがあれば十分である。以下の写真をみても、まるで家族のひとりのように団欒を形作っていることがわかる。


これは家庭だけではなく、プロの現場でも同様だった。まず左はエレキの開発者として有名なレスポール氏の自宅スタジオ風景。どうやら業務用ターンテーブルでLPを再生しているようだが、奥にみえるのはランシングのIconicシステム。今では常識的な正面配置ではなく、横に置いて聴いている。

レスポールの自宅スタジオ
同じような聴き方は、1963年版のAltec社カタログ、1950年代のBBCスタジオにも見られる。つまりモノラル試聴は斜め横からが正しい方向なのだ。

Altec 605Duplex

BBC LSU/10


モノラルのスペースは人ひとり分で済む(意外にニアフィールド試聴)


【さらに奥の間に】
ラジオ音源ということで、ラジオ並の音響規模(16cmスピーカー、1W真空管アンプetc)で事を荒立てずに穏便に済ます方法もあるのだが、スピーカーを30cmにするだけで驚くほどの世界が広がる。さらにマルチアンプにすることで迫力が倍増、CDプレーヤーのグレードを上げると放送グレードの精緻さが増す。さらにさらにリバーブを巧く使うことでモノラルでの臨場感をコントロールできる。ここではサウンドをさらに煮詰めるべくチューニングの方法について述べる。

①大は小を兼ねるの理(ことわり)
まず、なぜ16cmから30cmまで大きくしないといけないかの理由を述べる。
スピーカーが大きい理由は、低音の増強のためではない。200Hz付近までコーン紙のダイレクトな振動で音が鳴る点だ。コーン紙を平面バッフルに見立てて最低周波数を計算すると、10cmで850Hz、20cmで425Hz、30cmで283Hzとなり、喉音、実声、胸声と次第に下がってくる。あえて言えば、唇、顔、胸像という風に声の描写の大きさも変わってくるのだ。それより下の周波数は、エンクロージャーの共振を利用した二次的な輻射音になる。小型フルレンジでは胸声が遅れて曖昧に出てくるため、表現のダイナミックさに欠ける。このボーカル域の要件を両方とも満たすのが、古いPA装置に使われていたエクステンデッドレンジ・スピーカーだ。喉声以上の帯域に対し遅れを出さずに胸声までタイミングが一致して鳴らせるようにするため、高域を多少犠牲にしても、スピーカー径を大きくすることで自然で実体感のある肉声が聴けるのだ。 このようにスピーカーには電気的な性能よりも、ずっとフィジカルな条件が人間と同じく存在している。


人体の発声機能と共振周波数の関係

唇の動きに見とれるか、顔を眺めてうっとりするか…
やっぱり胸元まで見ないと実体感が湧かないでしょ!


②才色兼備、文武両道の理(ことわり)
よくモノラル試聴にはモノラルアンプを充ててと考えがちだが、私はチャンネルデバイダーを通じて普通のステレオ・プリメインアンプを2wayのマルチアンプで使用している。最初の理由は、最適な2wayのクロスオーバー周波数を探るのに、いちいちコンデンサーやコイルを入れ替えるのが面倒だと思ったからだが、使ってみると目から(耳から)鱗が落ちるほどの鮮度の高さに驚いた。これまでパッシヴネットワークに付き物だったインピーダンスや位相のねじれ等の引っ掛かりが感じられないのだ。おそらく私のクラスでマルチアンプで鳴らす人は皆無だろうが、一度試してみることをお勧めする。チャンデバもベリンガーやdbxから安価なものが出ていて十分すぎるほどの性能をもっている。ともかく竹を割ったようにスパッと音が出る。ただそれだけで快感なのだ。
一般的にエクステンデッドレンジはコイルでハイカットせずに、そのままにして伸び伸び鳴らし、指向性の狭い高域だけツイーターで足せば良いという人が多い。ところがJensenのユニットは、1950年代のスピーカーにありがちな中高域の暴れは良くも悪くもアクセントになっていて、私のシステムではJensenの高域を3.5kHzで切っているが、念のため測ってみると、中高域の暴れをスッポリ抜いていることが判った。3~6kHzの強い分割振動は強いパルス性の立ち上がりを示すが、そこをカットすると下の帯域までスムーズなステップ応答が画けるのだ。
逆に2kHz以下にするとモッサリして普通の音になり、エクステンデッドレンジ特有の歯切れの良さが出ない。簡単に言えば、ユニット単体で40万の法則が保てないと、どこかアンバランスなところが生じる。今回の場合は200~2,000Hzでダイレクトなレスポンスを保ち、その両端は緩やかにロールオフする感じでバランスさせていくようになっている。

チャンデバで3.5kHzカットする前後の周波数特性とステップ応答の比較(45°斜めから計測)


私のモノラル・システムのインパルス応答、ステップ応答という微小時間での波形の応答はかなり素直だ。デジタル的に観てもかなり正確な点でも、これが本当に75年前の音響技術なのかと驚くばかりであるが、高音で低音の出遅れをマスキングすることはないし、低音を必要以上にブーミーにする必要もないため、正確なタイミングでリズムを刻むようになる。ボーカル域の胸音(200~500Hz)、喉音(800~1500Hz)、子音(2.5~6kHz)が一息でスゥ~と自然に出てくるほか、ドラムを勢いよくドカッと蹴りだす音とか、普段聴くサウンドステージ中心のステレオ音場とは全く別の感触で、マイクで収録された時点での音の質感がそのまま再現された感触である。Jensenのエクステンデッドレンジが設計された1940年代は、スウィングジャズのビッグバンドのホーンやドラムの生音と対抗してボーカルやギターの音を拡声する必要性があったので、実は生楽器と同じ出音の俊敏さが必要だった。

私のモノラル・システムのステップ応答(理論的減衰カーブ)

以下のインパルス応答の波形をみても、MQA-DACからのライン出力とスピーカー出力とは全くの相似形である。これがDSP回路や複雑なネットワーク回路で作ったものでなく、スウィングジャズのビックバンドに混ざっても埋もれることなく、マイクの音を拡声しなければならなかった、70年前のPA装置の素のままの実力でもある。

ライン出力(左)とスピーカー出力(右)のインパルス特性の比較(MQA-DACの波形と相似)

③陰徳陽報の理(ことわり)
陰徳陽報とは、陰に隠れたる徳には必ずや陽の当たる報いがくるという諺で、一見どうでもいいところで頑張っておくと後で良いことがあるよ、という昔の苦労人の口癖のようなものである。1950年代までのローファイ音源について、CDならどんなプレーヤーでも同じように鳴っているだろうと思うひとは不幸だと思う。もともとCDは単なる記録媒体であって、特有の音があるわけではない。デジタルっぽい音の現況は、初期のデジタルフィルターのプリ&ポストエコーからくる高調波のザラザラした音と、それをマスキングしようとデジタル対応と言われた当時の高性能スピーカーの発する20kHzの強烈なリンギングによる。SACDが出るようになって、デジタル機器、スピーカーともに設計手法が修正されたが、1990年代までまで20年近く続いたデジタル対応の呪いは現在も続いている。重ねて言うがCDの音は非常にフラットで均質、逆に言うと無味乾燥な音質である。

デジタル録音に特有のポスト&プリ・エコー、1980年代のデジタル対応スピーカー

現在使用しているラックスマンD-03Xは、この手のローファイ録音の再生には全くのお勧めで、かつて購入したCDが実は結構緻密な情報をもっていたんだと感心するような出来で、中域から湧き出るクリアネスというか、音の見通しの良さは、とかく団子状になりやすい帯域の狭いコンテンツには、かなりのアドバンテージになる。おそらくIV変換回路あたりからの丁寧なアナログ回路の造り込みが功を奏しているように思える。トスカニーニ/NBC響も放送録音の規格品なのだが、かつてNHK-FMで聞いたような肉厚で物腰の柔らかい躍動感(デンオンの業務用CDプレーヤーDN-960FAを思わせるような安定感)が再現できているので、ラジオ規格との相性が良いのだと思う。よく最新オーディオというと音の定位感や立体感ということに注目が行きがちだが、中域の音像がクリアで芯がしっかりしているとか、音楽表現の基本的なものを律儀に求めている機種というのはそれほど多くない。このCDプレーヤーの開発者は、1990年にD-500X'sを開発した長妻雅一氏で、最近はネットワーク・オーディオのほうに専念していたが、フラッグシップのD-10Xの影でCD専用プレーヤーの開発を音質面・モデル面を一人で担当したというもの。D-500X'sとは違う意味でアナログ的なアプローチが徹底していながら、ラックス・トーンをやや封印した真面目な造り込みと、見た目にも業務用っぽい無粋な顔立ちでよろしい。


あと完全に黒子に徹しているのがフォステクスのツイーターFT28Dで、ソフトドームのとくに超俊足というわけでもないニュートラルな音色が持ち味である。これとてフォステクスのモニタースピーカーNF-1に搭載されたのと同じユニットなのだが、そのときの理由がHPダイアフラムのウーハーのハイスピードな反応に、同じハイスピードな金属ダイヤフラムのホーン型とかは音が尖り過ぎてバランスがとれないので、むしろ目立たないテイストのものを選んだという。私もホーンドライバー、リボンツイーターなど色々試したが、最終的にはFT28Dがしっくりきた。

④打てば響くの理(ことわり)
CD時代になって、トーンコントロールやラウドネスを省略して、できるだけストレートなサウンドで聴こうとする趣向が流行したが、デジタルだって全て正確で万能な道具なのではない、実際にはそこに含まれている音源のアナログ的な癖を取り切れないでいる。高域がツンツンしてる、ボーカルが奥に引っ込む、ベースラインがモヤモヤしてる、こうした症状とは常に闘いを挑むハメになるのだ。新しいリマスター盤が出るたびに賛否両論が出るのは、良い音の基準に関して試聴環境の統計を取っているだけで、ユーザーのオーディオ環境の根本的な改善には蓋をしてしまっているツケを支払っているだけに過ぎない。かといってアビーロードで使ってる最新のモニタースピーカーで聴くとか、逆に1960年代の真空管ミキサーを復活させてリマスターしたとか、広告のチラシにしかならないような内容を、あたかも本物志向と言わんばかりにやってみせるのもどうだろうか。聴くほうのスタンスで考えれば、イヤホンでの試聴が中心となった21世紀ではなおのこと、耳に響きやすい中高域のドライ&ウェットの調整は欠かせないように思う。
元の課題はモノラル再生での音場感の補正にあったのだが、実際には1970年代以降のポップスにおける人工的なサウンドステージは、作品観に大きな影響を与えていて、クラシカルな音楽ホールでのライブ感を出したいがために、ロックのドラムが遠鳴りして迫力が出なかったり、ボーカルとその他大勢という不自然なバランスになったり、作品の根幹にある演奏者のパフォーマンスがミキシング過程で冷めた目で達観的にバランスを取らされ失われている感じがしていた。逆に音数が多すぎてスシ詰め状態になり、テヌートとアクセントの差も整理できないままサウンドが濁って流れてしまう。この両極端な情況から、自分のオーディオ装置に合わせて音場感をタイトに引き締めたり、逆にライブにして流れを作るというのは、ニュートラルに音楽を聴く意味では重要なのだ。20年ほど前にはサウンドを調整する手段として、マスタリング用の6バンド・パラメトリック・イコライザーとか、デジタル・リバーブだとか、真空管式マイクプリだとか、1台10~20万円する単体エフェクターを色々買い込んでいたが、最近はヤマハの卓上ミキサーMG10XUでほぼ落ち着いている。もとはカラオケ大会でも使える簡易PA用なのだが、心臓部となるオペアンプは自家製チップを使いノイズレベルが低く音調がマットで落ち着いてるし、3バンド・イコライザー、デジタル・リバーブまで付いたオールインワンのサウンドコントローラーである。

ヤマハの簡易ミキサーに付属しているデジタルリバーブ(註釈は個人的な感想)

これのデジタル・リバーブは世界中の音楽ホールの響きをを長く研究してきたヤマハならではの見立てで、簡易とは言いながら24bit処理で昔の8bitに比べて雲泥の差があるし、思ったより高品位で気に入っている。リバーブというとエコーと勘違いする人が多いのだが、リバーブは高域に艶や潤いを与えると考えたほうが妥当で、EMT社のプレートリバーブ(鉄板エコー)は1970年代以降の録音には必ずと言っていいほど使われていた。残響時間とドライ・ウェットの調整(大概が40~60%の間で収まる)ができるので、録音状態に合わせてチョちょっといじるだけで聴き映えが変わる。ポップス用で気に入っているのが、4番目のルーム・リバーブNo.2で、中高域にエッジの効いた艶が加わり、なおかつイコライザーで持ち上げたような位相変化やザラツキもないので重宝している。あと5番目のステージ・リバーブNo.1は、リバーブのかかる周波数域を変化させられるので、高域の艶やかさが足りない録音でも低域のリズム感を犠牲にすることを抑えて聴くことができる。実はこのリバーブの後段にローファイなサンスイトランスを噛ましているのがミソで、ちょうどリバーブと磁気飽和したときの高次歪みがうまいことミックスされることで、楽音とタイミングのあった倍音が綺麗に出てくる。正確な再生というよりは、楽器のような鳴らし方が特徴的だ。
お遊びで2番目のホール・リバーブNo.2を掛けてみると、いわゆる大ホールでのライブのように奥行き感まで出る。1970年代風の厚化粧なサウンドが好きな人には、ある意味面白い嗜好だと思ってる。ちなみに後付けで盛ったリバーブ音は、テープ録音のように音質劣化しないでいつでも自分で加減できるのも特徴だ。

【自分の好みに忠実に】
さて、アセテート盤再生の奥の間まで行き着いたところで気づいたことがある。それは私のモノラル試聴システムが、ほぼ日本製で占められていることだ。ジェンセンだからとコテコテのヤンキー風に仕上げずに、どこかしらラジオ放送のようなニュートラルな雰囲気を探っていたら、結果ここに落ち着いたという感じだ。とはいえ、元が歌謡曲の再生のために日本製モノラル・ラジカセを手本に、アメリカンなグレードアップの方策を探っていたので、良い塩梅に仕上がったというべきだろう。

かつて1967年に長岡鉄男が音楽の友誌に「原音再生」というコラムで、どうせ中途半端なステレオを買うくらいなら、真空管テレビの音のほうがいいという趣旨のことを述べている。
ではローコストで原音によく似た感じの音を出すにはどうればよいか、実例としてテレビの音声を上げてみます。家庭用の安直なアンサンブル型電蓄から出てくる声を、ナマの人間の声と聞きちがえる人はまずいないでしょう。ボソボソとした胴間声と相場はきまっているからです。ところが、アンプ部分にしろ、スピーカーにしろ、電蓄より一段も二段も下のはずのテレビ(卓上型で、だ円スピーカー1本のもの)の音声は意外と肉声に近く、となりの部屋で聞いていると、ナマの声とまちがえることがよくあります。


加えて、テレビの音声電波が音をあまりいじくることなく素直だとコメントし、長径18~25cmのテレビ用楕円スピーカーのうちできるだけ能率の高いものを1m四方の平面バッフルに取り付け、5極管シングルでジャリジャリ鳴らすのが良いのだとした。ラジオ用、テレビ用のスピーカーで能率の高いものは、一般にストンと低域が落ちていて、中音域のダンピングがよく、特に音の立ち上がりは、20~30cmのハイファイ・スピーカーをしのぐものがあるとも記している。
やや残念なのは、16cmスピーカーを内蔵した古いモノラル・ラジカセには、外部入力がないため、ラジオとカセット以外のリソースを扱えないこと、AM放送やノーマルテープに合わせた音調に対しCDのエネルギーバランスは中高域が張り出しすぎるなど、本来の性能が発揮できないでいる。それとステレオ化されたCDラジカセは10cmまでスピーカーが小さくなってしまったので、音調が大分異なる。電子回路に詳しい人なら、古いラジカセにBluetoothを組み込んで無線で鳴らすみたいなことをやっている人もいたが、本来の味わいというものを市販品で得るのは40年以上も前の昔話になってしまった。

ラジオ音声を語るとき、NHK御謹製のロクハンは、1960年代から25年に渡り製造され、70~10,000Hzでの整合共振を究めたバランスの良さと手軽さの点で、Hi-Fi再生の基本を押さえた良い手本であることは間違いない。1950年代から存在するこのユニットは、FMステレオ時代にも四畳半オーディオのフナ竿のようにビギナーからベテランまで重宝されていた。アンプの音、カートリッジの音、チューナーの音を直感的に評価できるモニタースピーカーとして広く浸透していたのだ。一方で、音響出力が破綻するボーダーラインが低く、緩やかな低音と少し芯のある高域とのキャラクターの使い分けは、予定調和のなかで音楽の表情を抑え込む傾向があり、やはり音の輪郭だけなぞっているという感覚は拭えない。このNHK特有のサウンドポリシーを追い抜け追い越せで、1970年代のオーディオ発展史は彩られていたといっても過言ではない。

NHK BTS規格のロクハンの周波数特性とステップ応答(微妙にドンシャリ、ステップ応答は全体で調和)

ちなみにラジカセは日本の発明品である。ずいぶん昔からあるように思えるが、従来のホームラジオにカセットレコーダーを組み合わせた商品で、1970年頃からテープヘッドの加工技術をバネに世界市場をほぼ独占し、アングラ、サブカルというやや歪んだ社会の底辺に向かって情報発信していた。深夜放送、少年マンガというのは、昭和一ケタのオヤジからは社会生活に役の立たない時間の浪費として怪訝な顔で観られながら、暗黙のまま押し付けられた学歴社会のプレッシャーに生きる高校生から大学生までの必須アイテムだったし、高度成長期に時間と場所を選ばずに消費される小ネタの多くを提供していた。驚くことに、欧米でのサブカルが反社会的(カウンターカルチャー)という少数派のもののだったのが、日本では階級闘争のない平民の嗜好として根付いていた点だ。それはテレビ番組がメインなら、そこでは話してはいけない、見せちゃいけないものが、深夜放送や少年マンガには詰まってたのだと思う。

1970年前後の深夜放送とラジカセの広告


1970年代に少年マンガ紙に掲載されたラジカセの広告と周波数特性

生録を目的にしたオモチャのような外部マイク接続さえ、電池駆動できる簡易PA装置として1980年代のアメリカのラッパーに人気のものとなった。よくラジカセはモノラルからステレオに進化したと言われるが、むしろモノラルのなかでこそ音楽はクリエイティヴに生育した。理由は小さな箱からリアルに飛び出るサウンドこそが勝者となったからだ。ラジカセの小さな筐体は都会の地下で蠢くマグマのように流れるサブカルの噴火口となったのだ。日本のラジカセはクリエイティヴな活動に耐えられるという意味でも、最低限の機能=洗練された内容でもあったのだ。この流れが1930~50年代でのポピュラー音楽の進展を引き継ぐかたちで、1960~80年代の音楽シーンを牽引したともいえ、家電製品の本来の強みが発揮されたというべきだ。

1980年頃に始まったラップは日本製ラジカセをPA装置とした(ウーハーはフィックスドエッジ)


ところが、こうした家電製品でまとめられた音響設計を、ひとたびパーツから集めるとなると、結構大変な労力を要することになる。というのも、ボーカル域の自然なレスポンスを保持するのにQtsの高いユニットを後面解放箱に入れること、高域のギラ付きを抑えて少しホッコリした甘いテイストを出すのに小さなライントランスが決め手になっていたとか、普通のハイファイのルールを完全に無視している。普通に50Hzまで伸びるウーハーをバスレフ箱に入れる、広帯域で磁性コアの大きいトランスで信号を劣化させないなど、ハイファイのルールに沿って普段選ぶであろうパーツでは決して得られないテイストである。これが大量生産のなかで培ってきた百戦錬磨の強者なのであり、私自身が大衆文化においてニュートラルと考えるオーデイオのスペックでもある。スコッチ・ウィスキーのピートや樽の臭いが、不純物だといって抜くとどうなるか考えただけでもおかしいことに気付かない人には、この手の録音の熟成していく状況を再生方法として保存することに気を留めないのと同じような気がする。


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