20世紀的脱Hi-Fi音響論(シーズンオフ)


 我がオーディオ装置はオーデイオ・マニアが自慢する優秀録音のためではありません(別に悪い録音のマニアではないが。。。)。オーディオ自体その時代の記憶を再生するための装置ということが言えます。「由緒正しきモノラル再生」は、従来の家電vsピュアオーディオの対立軸に、否の答えを突き返し、誰もがストレスなく20世紀全般の音楽遺産を堪能できる時代のくることをひたすら願う情況をモニターします。

由緒正しきモノラル再生
【モノラルを形作った2つの伝統】
【デジタル時代の音楽アーカイブについて】
【広範な録音に合わせた音響機器の整備】
【全てモノラルで全てハッピー】
【モノラルが繋ぐ音楽的多様性】
冒険は続く
掲示板
。。。の前に断って置きたいのは
1)自称「音源マニア」である(ソース保有数はモノラル:ステレオ=1:1です)
2)業務用機材に目がない(自主録音も多少やらかします)
3)メインのスピーカーはシングルコーンが基本で4台を使い分けてます
4)映画、アニメも大好きである(70年代のテレビまんがに闘志を燃やしてます)
という特異な面を持ってますので、その辺は割り引いて閲覧してください。


由緒正しきモノラル再生

【モノラルを形作った2つの伝統】

モノラルというと古いというイメージがあると思う。エジソンが発明したといわれる19世紀のラッパ吹き込みまで遡るレコードの歴史からすれば確かに古いが、それから80年経た1960年代というと現代にかなり近くなる。さらにオールナイトニッポンのようなラジオパーソナリティ中心のトーク番組となると、現在でもモノラル音声は便利に使われ、ゲストを迎えた対話型の番組構成でも、音声を左右に分けるなんてことは御法度なのだ。同じことは映画にも言えて、臨場感たっぷりの4DXのコンテンツだって、主人公たちのセリフは本人がクローズアップされた画面いっぱいの音で再生される。むしろ脇役の声や効果音という余計な事柄に臨場感の注意が向けられる。つまりモノラル音声は全ての音響的な可能性のなかにあって、人間の存在感を正しく把握する手段でもあるのだ。

【戦前の音響機器の二大勢力図】
ちょうどラジオと映画の話が出たので、これにまつわるアメリカでの規格競争について述べよう。今ではトーキーの王様のように言われるWestern Electtic(WE)社だが、その母体がベル研究所つまり有線での電話だったことを考慮すると、あらゆる音声にまつわる研究に事欠かない(金に糸目をつけない)探求心の塊のような集団でもある。もちろんラジオにも興味をもっていて、初期の真空管の開発から無線の通信設備一式は、有線と同じくらい力を入れていた。ところがその宿敵にGeneral Electoric(GE)社がいて、こちらは発電機の製造をもとに急成長した会社で、その先の家庭用電化製品についてもビジネスの領域を広げようと画策していた。このWEとGEの文字通り火花を散らす対決姿勢は、1945年までの様々な局面でみられた。

Round-01 ラジオ放送
まずラジオに至っては、英マルコーニ社が発電機に続きラジオ局の大型送信機まで納品しようとしたとき、国家の重要インフラが英国資本に支配されるのではないかと危惧したアメリカ合衆国政府が、急遽RCAという共同出資会社を立ち上げ、その筆頭にGE社を掲げたのである。これにはそれまで自由奔放にやってきたWEの無線機器は過去のものに追いやられ、有線はWE、無線はRCAという棲み分けを余儀なくされた。



Round-02 蓄音機
次の主戦場は電気蓄音機で、元々トーキーの開発と同時に電気式録音方式をSP盤に取り入れることに成功したWEは、ビクター社と共同して蓄音機の女王とも言われるクレデンザを発表した。ところが電気録音のラジオ方面との協働に活路を見いだしたビクターはRCAに合併、クレデンザはアコースティックな蓄音機としては最後の製品という憂き目に遭い、それ以降の伝説と化するようになった。メディア王なる人物を輩出するのもこの時代であり、WEは研究熱心な点は認めるが、ともかく出口戦略が悪いとしか言いようがない。


Round-03 映画館
さらなる主戦場は映画館にも及び、光学録音帯(サウンドトラック)の特許をめぐり、WEは縞々模様のデンシチ式、RCAは波模様のエリア式と、別々の方式でフィルムの配給を行い、映画館もどちらの系列かで演目が分かれていた。どちらかというと、WEのほうがミュージカル映画に強い感じで、RCAのほうはスペクタル映画に強い傾向があったように言われるが、製作者側からみればそれほど気にするものでもない違いである。
例えば、最初に興行的成功したトーキー映画「ジャズシンガー」を製作したワーナー・ブラザーズは、初期にWE製Vitaphoneでスタートしたが、後に最初のステレオ&フルカラー映画「ファンタジア」の頃にはRCAに乗り換えている。この「ファンタジア」に出演したストコフスキーは、WEの遠距離Hi-Fi有線中継の実験にも協力したし、有線でのライブ中継はラジオ・ネットワークにとっても有益な取り組みだった。独立系のユナイテッドアクターズは、チャップリンの「独裁者」、ジョン・フォード「駅馬車」などRCAのサウンドシステムで配給して歴史に残る映画を製作した。有名な1935年のJBLのVOTT賞の獲得は、MGM社がWEとRCAの確執の合間を縫って起こした事件で、これまで独占的な地位を得ていた2社の技術競争に、一種のパイオニア精神とかアメリカンドリームの在りかを質したともいえる。


こうしてラジオ、蓄音機、トーキーとあらゆる音響製品で繰り広げられたWEとRCAの確執は、第二次世界大戦後に両社の大半は独占禁止法で解体され今では知る由もないのだが、平家物語と同様にその傷跡というか怨念は、今でも続いていると言って良いだろう。簡単にいえば、ハリウッドを中心とする西海岸サウンド、ボストンやニューヨークを中心とする東海岸サウンドに分かれており、WEはピュアオーディオ、RCAは家電業界という感じの、ありきたりな棲み分けでオーディオの発展史を画こうとする傾向があるのだ。ちなみに日本はRCAの技術をラジオを通じて仕入れていたので、日本の家電は東海岸寄りといえば判りやすいだろう。それゆえ舶来品としての価値は、安く手に入る東海岸よりは、JBLのような西海岸サウンドが代表的になる。

さて、あなたがオーディオ沼に落とした探し物は、古ぼけたラジオとトーキーシステムのどっちだろうか? 落としたものが真空管の6L6か300Bくらいの差なら良いのだが、欲望に敗け致命的な間違いをして大損する前に、正直に自分に問い掛け、時間をかけて考えてみよう。

どっちの蜜が甘いかは貴方自身が決めること

【戦後の東西横綱対決】
東西といっても大西洋を挟んだ英米のことで、いわゆるアメリカンとヨーロピアンの両サウンドを特徴を、そのままアメリカン=ジャズ向け、ヨーロピアン=クラシック向けという紋切り型で系統図を作っているだけである。一方でこうした違いがハッキリ現れてきたのは1970年代からで、それ以前はジャズファンで立派なステレオ装置を購入できる層は少なく、ジャズ喫茶に入り浸る人のほうが多かったわけで、逆にステレオ一式を買えるならそれが商売にもなったため、これがジャズでアルテックの業務用機器が尊ばれる下地となっている。またタンノイはGRFをアメリカに出展した頃には、クリプッシュホーンの特許に抵触していたため、アメリカンGRFという普通のバックロードホーンに様変わりしていたし、どこかというとロックでもいけそうなストレートなレスポンスが持ち味だ。
このアメリカンvsヨーロピアンの縮図を録音で例えれば、ジャズでヨーロピアンといえばECMで代表するようなホールトーンを多分に含んだアコースティックな響きになり、クラシックでアメリカンといえばテラークやデロスで代表されるようにマッシヴな音の塊で押し切るような感じになる。しかし、ジャズでもデキシーランドやスウィングジャズになるとアコーステックな味わいも大切になってくるし、クラシックでもデッカの手掛けたシカゴ響の録音などは欧米の違いを乗り越えてどちらの良さも引き出してくれる。


ジャズもクラシックもサウンドだけでは整理がつきにくいグレーゾーンがある

これに難があるのは、R&Bやロックの扱いで、イギリスこそロック・ジェネレーションの中心地だったし、そこで必死に真似しようとしてた米国のソウル・ミュージシャンからは「プラスチック・ソウル」と陰口をたたかれるなど、アメリカンvsヨーロピアンで片を付けようとするのは困難だし、今でも混乱は続いているといえる。これは1960年代という時代の扱いそのものにも通じる文化的カオスである。
その一方では、デジタル録音でこれらのアナログテイストというかレーベルのサウンドポリシーは白紙にリセットされて、録音品質は押し並べて平均点が上がったものの、逆にオーディオ機器も個性を演出できなくなって面白くなくなったと思う人も少なくないだろう。全てが真っ白な部屋に住んで楽しい人は多くないと思う。

どちらかというとアメリカに大きな市場価値を見出したブリティッシュロック

1960年代のアメリカは多様な主張と広いジャンルがぶつかりあってた

【オーディオ史の本当の主役】
WEとRCAにおける安直な寸評で家電とオーディオの棲み分けが始まったことに、私自身が大変迷惑をこうむっているのは、実は世の中に残されたレコードの多くは、その演奏が凄いか面白いかで音楽を記録に残しているのであって、けして高音質だから録音したわけではないという当たり前の事実である。その面白い演奏に水を差すようなオーディオ技術の進展に甚だウンザリしている。私として音楽メディアの革新に導いた技術として注目しているのは、テープレコーダー(マグネトフォン)とジュークボックスであり、その周辺技術を押さえることで、従来から言われていた録音とオーディオの相性のようなものから解放されたことである。結局、普通のラジオとトーキーの子孫での比較ではなく、それとは異なる血筋でアプローチするほうが普通だったのである。1位じゃだめなら2位とかそういうものではなく、70年前には平凡だったことを日常のなかで確かにすることが、実はオーディオにとって難しいことなのだと痛感している。私は放送業界のこうした平凡さにむけた日頃の努力に敬意を抱いているくらいで、多くは1950年代のスタンダード(規格)に根差したオーディオ環境の整備を志している。

①クラシックのラジオ中継で活躍したマグネトフォン
まずテープレコーダー(マグネトフォン)であるが、これは1940年代にドイツで実用化された技術で、録音後の音声チェックと編集が従来のディスク録音方式に比べ格段に向上し、長尺の楽曲の多いクラシック音楽において、1942年からテープ収録した演奏を再放送するなどラジオ番組において重宝された。これのテスト機をフルトヴェングラーは1940年12月に体験しており、リハーサルを含めた3日間の演奏を収録するなか、AEG社のマグネトフォン開発担当だったハンス・シーサーの証言では、「フルトヴェングラーはその録音品質に興奮し、何度も何度も録音を聴き返しました。録音中や録音直後にそのような品質で聞くことができることを、彼は経験したことがなかったのです」とある。当時のワックス盤への録音では聞き返せるのが2回までで、それを越えると溝が擦り切れてしまいレコードの製作に支障をきたす。そのうえ録音した演奏に問題があれば、その箇所を含む4分間のセッションを繰り返さなければならない。ライブでの即興的な楽想の繋がりを大切にする巨匠にとっては、これが全くの苦痛だったらしく(1927年の最初の録音では音盤を破棄してほしいと希望)、マグネトフォンはこうした課題を一気に解決する手段だったのだ。この1940年12月のブラームス1番4楽章の録音は、翌年6月に映画会社UFAと共同で、千人規模の映画館に取り付けられたKlangfilmのトーキーシステムでのテープコンサートに使用され、新聞各社も新しい磁気テープによる音質が好評であったと伝えた。以後、フルトヴェングラーの放送用録音は「マグネトフォン・コンサート」と命名され、今にも残されているのである。

当時のラジオ受信機はAM放送とはいえ、高級機種はスーパーヘテロダインで2wayスピーカーを装備したHi-Fi仕様であり、欧州全域に張り巡らされた有線中継回線の音質もかなり良質であった。それは1951年に録音されたフルトヴェングラーの「バイロイトの第九」でも判るように、現地で直接収録されたEMI盤、バイロイトから少し離れたミュンヘンで新しいFM放送用回線で収録されたバイエルン放送盤、そして旧来のAM放送用回線を経由してスウェーデン放送で収録されたBIS盤の三者を聴き比べて、録音中の回線不具合を除くとそれほど大きな音質の違いはなく、基本的にAM用回線でも電波状況さえ良好ならHi-Fiで聴けたのである。


ただし、戦後のベルリンフィルの本拠地ティタニアパラストでは、フルトヴェングラー自身が天吊り1本マイクでの収録にこだわっており、利点としてオケの一体感と共に低弦楽器のディテールが明瞭で推進力の強いサウンドが得られる反面、会場ノイズを拾いやすく録音レベルのピークで歪みやすいという欠点がある。ステレオではパルス性の環境音として聴衆ノイズがやけにリアルに聞こえる弊害があり、よく咳払いの有無で収録日の同定をするくらいである。

1947年ベルリン復帰演奏会(ノイマンCMV3型1本)
左:1日目ティタニアパラスト、右: 3日目フンクハウス(旧RRG)


もうひとつの誤解は、1942年にHi-Fi仕様として完成したマグネトフォンの録音技術は、戦後も切れ目なく続いており、1944年の「ウラニアのエロイカ」として流布されたマグネトフォン・コンサートのように現在とそれほど遜色ない音質で聴けたのだ。そして1947年からはドイツ全国でFM放送網が整備され、誰もがHi-Fi録音を身近に聴くことができた。これにはDIN規格で統一されたドイツらしい船団方式で挑んだ安価で質の高い製造ラインも功を奏していた。ところが、同時代を代表する1950年代の放送用ライブの99%は、レコード会社のアーチスト契約に阻まれて海賊盤として流布したため、音質は同時代の英米でAMラジオをエアチェックしたような音質ばかりで、ラジオといえば蓄音機以下と想像しがちな日本の常識を超えることができなかったのである。21世紀にこうしたしがらみから解き放たれた録音テープは、かつてのデッカもあわやと思うようなHi-Fiでダイナミックな演奏を聴かせてくれる。むしろノイマン製コンデンサーマイクを始めとしてオリジナルの録音技術はこっちにあったのだから当然である。


②ジュークボックスが開いたポピュラー音楽の扉
次にジュークボックスであるが、第二次世界大戦後のポピュラー音楽を語るうえで、この音響機器を抜きにして語れないほどの影響があった。それだけジュークボックスは通常の電蓄以上に音質にも十分配慮されたものだったし、コストパフォーマンスの点でも優秀だったのだ。例えば1950年代後半で、ジュークボックスの1曲¢10、¢25で3曲という値段は、シングル盤$3、映画館$2を2人分払って観るなどに比べ、格安で楽しめるものだった。それよりラジオで聴く方が安上がりだったが、即座にリクエストできて女の子と踊れるなんて十分すぎるほどの魅力があった。ビルボードのチャートに、ラジオ・リクエスト、レコード販売と並んで、ジュークボックスの再生回数が含まれていたのは、それだけの影響力がこの機械にはあったのだ。


アメリカ国内のポピュラー音楽といえば、1955年頃まではSP盤(78rpm)が販売の主流だったのに対し、1960年頃にはドーナッツ盤(45rpm)に移行したが、その間の録音技術そのものは大きく変わったわけではないというトリビアがある。例えばエルヴィス・プレスリーのサン・レコードからのデビューシングルはSP盤、RCA移籍後はドーナッツ盤という違いがある。一方でレコードマニアにとってみれば、両者の扱いは再生機器からして全く異なり、コレクターの棲み分けも断崖絶壁のように険しい。日本ではSP盤は懐メロ、ドーナッツ盤は歌謡曲というふうに分かれているが、ごく最近までその存在さえ知られないスウィングジャズやブルースの録音が目白押しなのだ。映画ブルースブラザーズに出演したキャブ・キャロウェイのコットンクラブ時代の全盛期の録音、南部からシカゴに移り住んで間もないマディ・ウォーターズやロバート・ナイトホークの録音も1960年代のものとは違う味わい深いものだ。

ところが1950年代のジュークボックスをみると、いずれもカートリッジはセラミック型が主流、スピーカーも30~38cm径エクステンデッドレンジにツイーターを付けた2way仕様であった。これはラジオでもトーキーでもない、商業用PAによくあった仕様であり、ジュークボックス1台にしても一般の人がホイホイ買えるような安物ではなく、今でも製作すれば100万円はくだらない費用のかかるプロ用機器である。つまりアメリカ人のほとんどは、ジュークボックスかラジオ以外では、ポピュラー音楽を聴く機会がそれほどなかったともいえる。このため、流行とともに中身が変わっていくジュークボックスで鳴っていた音のことなど、誰も思い出せないまま21世紀まで跨いでしまったというところだろう。



以上のラジオとジュークボックスの音響設計から、家庭用オーディオが分離して独自の価値観を標榜する背景には、ラジオとジュークボックスが圧倒的に世の中に氾濫していて、大金をはたいて特別な所有欲を満たす道具とは見なせないという、他愛もない理由が大いにある。単純にいえば、1950年代の放送用ライブやオールディーズの録音は、高級機器で聴いても劇的な変化は出ないのだ。一方で、デジタル時代に入ってようやく排除できたラジオとジュークボックスを失ってみると、そこにあった音響デザインのレガシーの大きさに気付いたというべきだし、私は25年掛かってようやくここまで辿り着いた。それだけデジタルという看板はアナログからの変革だけを追い続けていたが、全く変わらないものだけを集めて質感を磨き上げるだけで、音楽鑑賞という趣味はもっと楽しいものになるのだと思う。



【デジタル時代の音楽アーカイブについて】

【オーディオ進化論の弊害から脱却すべき】
20世紀に残された音楽をレコードで辿ることは、かつてならばSP盤、LP盤、オープンリール、カセットデッキなど様々なフォーマットに対応した専用プレイヤーが必要だった。1980年代初頭に普通に音楽を聴こうとしても、プリメインアンプにレコードプレーヤー、カセットデッキ、FMチューナーをそれぞれつなげて、録音・再生を行うのが普通だった。これにCDが加わって、さらにビデオ、DVDなど際限なく音響機器が増えていったのが20世紀でいう発展の姿であった。

1980年代にピークに達したオーディオ機器の複雑怪奇な進化形態

これの理由を問えば、ひとつは音質の改善が進んだり、より使い勝手が良くなったりという、性能面での違いが確かにあったのだが、オーディオという音だけの問題に限っていえば、常に下位互換性を保持して10年程の移行期間を経て規格の変更が進むので、実は思っているほど大きな変更点はないのである。むしろ質(たち)の悪いのが、新参者が古株に対しネガティブキャンペーンを垂れ流しながら、市場に割り込んでくる邪まな実態があり、このことに一喜一憂する当時の人々の姿を事実誤認しているマニアが実に多いことだ。スーパー〇×、ウルトラ△◇の文字が躍る製品カタログはポエムと化し、単なる違いと進化とは全く異なる現象である。科学の発展に波乗りして利ザヤを得るというのは進化とは呼ばない。

一方では、私個人はこうしたフォーマットによる音質の違いよりも、元の音楽情報の所有権の壁のほうがよっぽど大きいように思っている。元を辿れば全てミュージシャン本人に帰属するはずの音楽が、レコード契約にはじまり、コンサートの興行主、はてはその放映権など、ショウビズにまつわるあらゆる利権に群がる人々の姿があり、それが20世紀の音楽では当たり前になってしまった。つまり発展とは多くの場合、経済的な拡張のことを指しているのであり、音楽の質ではないのだ。

1950~70年代までアンプ出力は10年置きに10倍に上がっていった(ショウビズも好調?)

では、私たちは残された録音の何を再生して聴こうとしているのか? ヒットチャートで何枚売れたとか、観客動員数がどうだったとか、実はそういうことは一時代過ぎてしまえば、演奏の価値とはほとんど関係がないのである。
例えばジャズギター奏者のジャンゴ・ラインハルトは、ロマ族が欧州で抱える民族的な差別によって第二次世界大戦の間は流浪の生活を余儀なくされたが、弦楽器だけのフランス・ホット・ファイヴの演奏は、どんなジャズバンドにも負けない質の高い音楽を残している。
フルトヴェングラー/ベルリンフィルの戦後RIAS放送局に残された定期演奏会のテープは、放送自体がベルリン以外ではされなかったことに加え、EMIと結んでいたアーチスト契約と反ナチスとしてドイツ人オケへの嫌悪が重なり粗悪な海賊盤としてしか流通せず、死後50年の時を経てようやくオリジナルの音質でCD化されるようになった。
1960年代末期のヴェルベット・アンダーグラウンドの西海岸ツアーも、ウォーホル・ファミリーからの脱退に加え放送業界から追放されて無名になった頃のもので、場末のライブハウスで観客10名くらいでの演奏が残されているが、30分以上に渡る長尺のインプロビゼーションでは、彼ら以外には絶対になしえない構造的なロックを残している。
旧ソ連のフォーク歌手ウラジミール・ヴィソツキーは、反体制的な歌をだと烙印を押されたため、ラジオ放送はともかくレコードの流通はせずに、ほとんどは市民の手で極秘にカセットテープにコピーされて聴き継がれた。私が持っているのは、1977年にフランスで録音されたLP2枚分の録音で、これが正規録音のほぼ全てとなる。
これらの録音はヒットチャートはおろか、記憶ごと抹消され存在さえ危ぶまれる状態にあったが、その音楽のもつ力ゆえ現在でも十分に聴きごたえのあるものとなっている。これは現在の音楽にも共通に流れる情熱の岩脈である。

古くて癖のある録音は押し並べてオーディオマニアに人気がない?

一方で、これらの録音品質をみると、ジャンゴは1930年代のSP録音、フルトヴェングラーは天吊りマイク1本の放送用モノラル録音、ヴェルベットは最初は会場にいたロバート・クワインによるカセットレコーダーでその存在が知られ、2015年なって会場の据え付けのオープンリールに残された3ステージ分の記録が発掘されたもの。ヴィソツキーはアコギ2名の伴奏にのせてダミ声を機関銃のように浴びせる、民族音楽によくある脚色なしの音声標本である。このように音楽ジャンルも録音方式もバラバラな音楽遺産を同じ土俵で聴くなど、20世紀には考えられなかったことであるが、デジタル化されCDでフォーマットを整えた結果、同じ装置で均質に聴けるようになったのだ。音楽を演奏するミュージシャンのパッションに、新旧も優劣もないものと本当に言えるような、本当のフィデリティ(忠実性)が備わっているかが、自分のオーディオ環境の整備には必然となっている。

こうしてひとつのオーディオ機器で、様々な録音方式を縦断しながら試聴できるオーディオ環境を整えると、デジタル録音された新しい演奏に関しても幅広い対応力が備わる。例えば、以下の録音は音楽ジャンルの違いに応じて音場感が全く異なるように設定されている。ジャスは中規模のナイトクラブだし、バロック音楽は宮廷の舞踏会場、J-POPは数千人を収容できるアリーナ、ディスコは天井の低い密閉された空間である。これらは、前2者が奥行き感を重視したヨーロピアン、後2者は楽音をマッシヴに鳴らすアメリカンなのだが、それぞれのサウンドステージに合わせてスピーカーのセッティングや部屋のアコースティックを変えるべきだと思う人はほとんどいないだろう。一方でそのような再生環境は、録音の忠実性ではなく違いを表現しているに過ぎないのだが、音場再生=原音再生というロジックにこだわると、実は演奏会場の入り口にも立てないことが判る。一番の原点はミュージシャンが演奏する行為にあり、マイクに入ってきた音そのものを再生することなのだ。

日本人アーチストだって同じ血肉の通った音楽を!

では現在、録音の新旧にまたがる録音方式の峻別は、どこから生まれたのだろうか? 大きく分けて、ステレオにおけるサウンドステージの再現性と、デジタル特有の高周波ノイズへの対応策が、デジタル録音が担保していた下位互換性を無意味なものにしてしまったのである。

【実は曖昧なステレオの音場感】

21世紀現在のスピーカーは、もともとハイ落ちなステージ音響で臨場感を出すために、ピンの落ちるようなパルス音が鋭敏に出るようにできている。現在のステレオ理論での定位感は、単純な左右の音量差ではなく、高域のパルス音の到達時間の差で表現される。人間の両耳の距離は精々30cmにも満たないが、その差0.9msの差を12dB以上明瞭に聞き分ける。ただし周波数にすれば1100Hzの中音域であり、それ以上の周波数では位相差のようなものでも認識する。このため現在のツイーターのほとんどは繊細なパルス信号を画き分けるように設計されている。一方でウーハーのほうは重低音を伸ばすために重たい振動板で作られているため、ツイーターよりも音の立ち上がりがずっと遅く、ツイーターだけがチッチッチッとリズムを先行して打つことになる。

左:A-Bステレオ・マイクアレンジ
右:スピーカー位置の角度とパルス波の到達時間差による音量差の指標


代表的なモニタースピーカーのステップ応答(左:小型2way、右:大型3way)
各クロスオーバーで位相にねじれ→大口径ウーハーは200Hz以下が大幅に遅れて強調


この高域に隔たるパルス波の正確な再生によって、ステレオの定位感を再現することに真剣に取り組んだのは英BBCが最初であった。1970年から「Acoustic Scaling」という題材でいくつかの研究レポートを書いている。その理由は、始まったばかりのFMステレオ放送の家庭での試聴方法について最適化を図ろうとするもので、自社のオーケストラ録音用ホールのミニチュア模型を製作し、そこで音響特性の縮小化を模索したのである。

BBCで1969年に行われたミニホール音響実験(50年後の巣籠の研究?)

 この実験の成果として得られたものは以下のような事柄である。

  • この実験はFMステレオ放送を狭い部屋で正確に再生するために実施された。
  • ヘッドホンでのバイノーラル録音用に開発されたブルムライン方式によるワンポイント・ステレオ録音を、小型スピーカーでのニアフィールド・リスニングで最適化できるようにした。このことにより箱庭的な試聴環境でも広々とした音場感を体験することが可能となった。
  • ステレオの定位感に奥行き感を加えたサウンドステージを発見した。様々なホールによる残響音の違いが主に8kHz以上の帯域の差に現れること、定位感は左右のパルス成分のミリ秒単位の僅かなタイミングの違いによって決まることが判り、スピーカー測定にインパルス特性というパラメータが導入された。
  • このとき開発されたスピーカーがLS3/5aであり、規格上はトーク用ではあるものの、デスクトップにも置ける小型モニターとしてその後のステレオ録音の標準的な試聴方法を決定した。


小さな巨人LS3/5aと使用例(1976年):地方局のDJブースは机ひとつしかないことも多い

以上の1970年代後半を通じて発展したステレオ技術においては、これまで平面的に展開していたステレオの音場感を、奥行き感のあるサウンドステージへと変化させた。その一方で、それまでノイズに埋もれていた超高域のパルス波について、通常では聴き取れないくらいのレベルの音量を遥かに超えて強調するようになった。自然なパルス音では、音楽で息の合っているというとき、ある種の気配を感じてリズムを自然に合わせているのだが、最近の録音では定位感を出すためにその帯域だけ特別にデフォルメして収録している。逆に言えば、パルス成分の取り扱いがいい加減で、ノイズとみなしていた古い録音は、音場感のないウーハーに楽音の大部分を委ねられるようになり、途端にメッキが剥がれるのである。
これを聴いて大半の人は、自分のステレオ装置は万全で古い録音が悪いと判定してる。私は歴代の演奏を記録した録音には、ステレオ装置の費用では贖えない文化的価値があると思っているので、オーディオ環境を見直すべきだと主張する。どっちが正しいかは良く考えて欲しい。


【実は正確ではなかったデジタル対応オーディオ】
CDが発売開始されて間もない頃の初期のDAコンバーターは、デジタルフィルターに特有な癖としてポスト&プリエコーによるパルス性高周波ノイズが乗っかり、これは楽音と関係なく累積して鳴り続けていた。このため1980年代にはCDから流れ出る「マスターテープの音」を流した途端、リンギングなどで悲鳴を上げるツイーターが多かったことを考慮すると、秋の小春日和に浮かぶ絹雲のように薄く霞んで伸びている高域がアナログ時代の目標とするスペックだったところに、デジタルでいきなりバリバリと鳴り響く雷が落ちてきたようなものだった。1980年代はまだデジタル音源の受け入れ準備ができていなかったのに、精密測定器を持ち出してCDの音をノイズも含めてダイレクトに再生することが第一目標になってしまっていた。これが1980年代以降のオーディオ業界の最大の誤算だったように思う。

多くの誤解は明らかに、デジタル導入前後の録音スタジオのサウンドデザインの保守性と、家庭向けに「デジタル対応」に設計されたオーディオ製品の未来志向のズレがもたらしていると考えられる。無意味な原音主義によって20kHzまでの再生能力に固執した結果、特に1980年代後半からデジタル対応製品として世に出た英国製の金属ドームツイーターがひどく、デジタルの高周波パルスノイズをマスキングするため、わざと20kHz付近に強いリンギングを起こして、それ以下の周波数領域を麻痺させるという大技を買って出て、ピタッと身じろぎもしないサウンドステージを出現させてみせた。これには巨大な電力供給能力をもつアンプを必要とし、スピーカー本体よりもアンプ代に2倍以上掛けないと本領が出ないという大飯喰らいだった。それでも多くのオーディオマニアはこれに喰いついたのだ。



【録音スタジオは大衆性=保守性を堅持】
一方で1980年代にCDが登場した頃の録音スタジオは、すぐさまデジタルに飛びつくようなことはしなかったし、人間の耳が20kHzそのものの実効性を必要としているわけではなく、実際のスタジオでもエリアシング歪みが聞こえない環境にあったことが伺える。20kHzまでフラットに伸びている必要がないばかりか、そのような議論がナンセンスと思えるのは、おそらくMTVでのプロモーションに成功した1980年代のスーパーヒット曲が、1960年代はおろか1970年代とは桁違いのアルバム1000万枚台のマーケット規模になったからだと思う。マイケル・ジャクソンのスリラーでも魔導師ぶりを発揮したクインシー・ジョーンズの耳に従えば、15kHz以下、さらには8kHz以下のスペックで音楽をしっかり押さえなければ、そもそも音質以前の問題だということができるだろう。そういう意味でCDの音質を捉え直すと、16bit/44.1kHzというフォーマットは50~15,000HzというFM放送のスペックに準じて制定されたものだったと思うのが自然で、本来は超高域を15kHzでフィルタリングして、さらに三角ノイズでやさしく包み込んであげるのが妥当だったのだ。

B&W実装前後のアビーロードスタジオ(1980年)
前面のコンソールはビートルズ解散直後に新調したもの


マイケル・ジャクソン/スリラーの録音されたWestlake Studio(1982年):
ほとんどの編集はオーラトーンで行い、メインモニターのカタログ上のスペックは16kHzまでだった


FM放送=Hi-Fiという印象は、50~15.000Hzという控えめな帯域をちゃんと使いこなしていたからだということができる。FM放送に向けて開発されたモニタースピーカーに注目すると、JBL 4320(1972年)は、ロックのライブステージで培ったパワーハンドリングのタフな面をコンパクトに絞り込んで、ガッチリした重低音とどこまでも音圧の上がる中高域の強健さが巧くバランスしていた。このように放送規格という枠組みを規定されたなかでも、それぞれのメーカーがエンドユーザーに向けたサウンドデザインをしっかり主張できたし、その結果は今もなお生き続けているともいえる。


JBL 4320とオーラトーン5C:ラジオ用にFM放送とAM放送のコンパチ仕様のスペックを死守


さらにもうひと押ししたいのが、ウォール・オブ・サウンドへのリスペクトである。一般にウォール・オブ・サウンドはステレオ録音の一大流派と見なされているが、エコーをたっぷり利かせて広がりのある音場感を出すとか、サウンドが壁一面にマッシブにそそり立つとか、色々と言葉のイメージだけが先走っているが、実は当人のフィル・スペクターは、1990年代に入って自身のサウンドを総括して「Back to MONO」という4枚組アルバムを発表し「モノラル録音へのカミングアウト」を果たした。実はウォール・オブ・サウンドの創生期だった1960年代は、モノラルミックスが主流で、これに続いて、ビートルズのモノアルバムが発売されるようになり、その後のブリティッシュ・ロックのリイシューの方向性も定まるようになる。さらに言えば「少年少女のためのワーグナー風ポケット・シンフォニー」という表現も、当時の若者で流行していた携帯ラジオでも立派に鳴る録音ということであり、1960年代の少年少女たちは電池駆動できるトランジスターラジオを、トランシーバーのように耳に充てて聴いていた。立派なステレオでこそ真価が発揮できるなんて言うひとは大きな勘違いである。

初期のトランジスターラジオの聞き方はトランシーバーのように耳にあててた(ヘッドホンへと発展?)

これがどう1980年代とつながるかというと、電波で流れる音楽上の骨格は1960年代のトランジスターラジオとほとんど変わっていないのだ。その証拠に1980年代のヒット曲はテレビCMで聴くのがまず最初であり、さらにヒットした後にFMラジオでフルコーラスを聴くという順序だった(多くのニューミュージック系のシンガーソングライターはテレビ出演を断っていた)。アメリカではMTVだったものが、日本ではテレビCMという立て付けになるのだが、これらは短いサビの部分だけだったにせよ、小さいブラウン管テレビに付属しているモノラルスピーカーからでも立派に聴こえていたのである。これが偽物だとか、古い規格だとか文句を言う人などいなかったのは、不思議といえば不思議だが、テレビという媒体は常に事実に基づいているという信心あってのものだといえる。逆に、この報道性という常にアップデートされる音楽シーンから切り離して音楽を評価しようとすると、途端にボキャブラリーが貧しくなっていく。この歴史評価の壁を突き抜けるのが意外に難しいのだ。


いわゆる卓上型テレビ。スピーカーはチャンネル下に申し訳なさそうに収まっていた


こうした難題に対処すべく、1980年代初頭にデパート売り場で棚積みしていた家電ステレオは、中高域にリンギングをわざと起こすような、当時の安物フルンレジの音響を真似たものが多かったという。このことにオーディオ批評家の瀬川冬樹はオーディオメーカーに抗議したが、メーカーのほうも引き下がらず「それじゃ売れない」の一点張り。ついにはたまりかねて先生自らデパートの電気売場に立ってステレオ購入の相談員として過ごしたという。これにはJBLやアルテック、タンノイで聴く艶歌やニューミュージックが、良い感じでしっかり鳴るという手ごたえあってのことだったが、はたして小市民の少ない予算でどこまで理想に迫れたかは難しい判断だっただろう。まさか録音スタジオでの本命がオーラトーン5Cやヤマハのテンモニだとかは、口が裂けても言えなかったのだと御推察する。

”いわゆる量販店(大型家庭電器店、大量販売店)の店頭に積み上げたスピーカーを聴きにくる人達の半数以上は、歌謡曲、艶歌、またはニューミュージックの、つまり日本の歌の愛好家が多いという。そして、スピーカーを聴きくらべるとき、その人たちが頭に浮かべるイメージは、日頃コンサートやテレビやラジオで聴き馴れた、ごひいきの歌い手の声である。そこで、店頭で鳴らされたとき、できるかぎり、テレビのスピーカーを通じて耳にしみこんだタレント歌手たちの声のイメージに近い音づくりをしたスピーカーが、よく売れる、というのである。スピーカーを作る側のある大手メーカーの責任者から直接聞いた話だから、作り話などではない。”(ステレオサウンド1980年9月号)

こうしたスピーカーはCDを再生するとけたたましい音に豹変するので、次第に忘れ去られていったが、家電らしい小音量でもリーズナブルなサウンドはミニコンポやCDラジカセに引き継がれていった。このサウンド・デザインは1970年代のカセットやFMチューナーの登場では変わらなかったので、CDによってサウンド・デザインの根幹が1980年代を通じて変わっていったというのが正しいだろう。デジタルっぽい音は、デジタル録音そのものに原因があったのではなく、オーディオ業界が作り上げたセールスポイントだったのだ。

【音源と再生装置は心技一体】
こうしてみると、録音方式の劇的な変化は1970年を起点にして後、現在にいたっていることが判るし、音楽業界の興行成績もケタ違いに膨らんでいく。しかし音楽スタイルの変換でみると、アコースティック楽器が電子化されただけで、ほとんど変化していないのである。これは人間のパフォーマンスを基準にするかぎり、出せる音の数も聴き取れる音の数もある種の制限が加わるということに他ならない。むしろ電子機器という未来技術に特有の、進歩しなければならないという「赤の女王」を演じているだけなのだ。改めて言うと、デジタル技術で音楽は変わっていないのだ。もちろん、人間の耳もオーディオ装置で進化を遂げたりしない。

赤の女王「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない」
身体の変化への欲求はコスプレに顕著だが、オーディオ装置では変化は起きない


そこでオーディオ機器の進化論の過程をリセットし、道具として機能性の高かったジュークボックスと真空管ラジオの音響を模擬したモノラル・システムを自分なりに構築したところ、驚くことに1960年代ロックのライブ録音とも相性がよく、こっちのほうがスタジオ録音より生々しいとさえ感じるようになった。できるだけLPの音に近づけてとか、レーベル毎のサウンドポリシーやイコライザー設定の研究とか、そういうことを抜きにバンドのノリの良さをストレートに聴けるようになったと思っている。それは古くも新しくもない、現在も変わらないミュージシャンのパッションであり、音楽の発展をオーディオ機器のスペックで語りたがる人の言い訳など、全く必要ないことがつくづく実感できる。しかしオーディオ環境に全く頓着しないというのではなく、むしろ録音のコンディションに頓着しないで聴ける環境を、かなり時間をかけて整えたというべきだろう。

以下に私の現状のオーディオ装置を示すが、CDでの音楽鑑賞を基準に、ジュークボックス用の30cmエクステンデッドレンジ・スピーカー Jensen C12Rをはじめ、ラジオ用の独Visaton TW6NGコーンツイーターとサンスイトランス ST-17Aを混ぜ合わせて、全体のサウンドの要としている。これらは1950年代の音響設計を留めていながら、現在も製造を続けている超ロングセラー製品であり、しかも安価で手に入る点でも頼りになるものだ。他は質実剛健な音のする機材を集めているが、どれが良いからどうなるというレベルのものではなく、普通に仕事をソツなくこなしてくれる信頼度が選んだ理由の全てだ。

私なりに、1950年代のドイツ・クラシックや、1960年代の英米ロックの放送用ライブを、ちゃんとしたHi-Fi録音として聴けるようにオーディオ環境を整備していくと、クラシック向き、ロック向きというジャンル分けにこだわる必要のなくなったことも重なって、他のHi-Fi録音でも安定した音質で聴けるようになった。それはラジオの音響規模をジュークボックスまで引き上げるだけだったのだが、どちらに共通するものは、マイクで収録した生音を直接拡声してもバランスの崩れない、かつての放送用機器やPA機器のもっていたニュートラルでタフな勘所を習得したと言える。このスーパーノーマルといえるバランスは、オーディオにとって本当のフィデリティ(忠実度)とは何か? ということにも色々と示唆を与えてくれるのだ。

以上、20世紀の音楽遺産を最適なオーディオ環境で鑑賞するには、音源のカタログ的な網羅では不十分で、その再生装置のニュートラルな性能が求められる。ただしニュートラルな再生能力とは、ステレオやデジタル録音でアドバンテージして喧伝された、超高域のパルス波を先行分離しただけのツイーターの分解能や、20kHzまで無理に伸ばした周波数特性は、それ以前の録音に対し下位互換性を担保せずに峻別を迫るものであるため、この新たに追加された性能は音楽鑑賞の妨げになる。ステレオ効果の広がりで表現の多用さを生んでいるようにみえて、ミュージシャンたちのパフォーマンスがもつ歴史的な連続性をわざわざ遮る弊害をもたらしたともいえよう。ゆえに歴代の音響技術者が未来に音楽を託す手段としてケアし続けた下位互換のもつ本来の意味を、由緒正しく継承して行かなければならないのだ。




【広範な録音に合わせた音響機器の整備】

こうして私なりに20世紀全般の音楽遺産とニュートラルに付き合う方法として、パルス波のデフォルメ排除とデジタルノイズの抑制が有効と判断した。逆にいえば現代のオーディオのリソース(費用)は、音場感と周波数帯域にほとんどを費やしていて、音楽表現に行き着くまでかなり遠回りしているともいえる。私はこれゆえにステレオ再生とデジタルスペックをバッサリ斬り落として、モノラルでローファイ規格での充実度に賭けたのである。結果はどのようなステレオ録音も、元はモノラル・マイクで収録しているわけで、演奏者の前に立てたマイクの音だけが、演奏のパッションを伝える原点となるのである。

例えば、ヨーロッパ市場でオーディオに何を重視するかというと、パワフルなのは当然として、タイミングとボディが次にきて、最後がサウンドステージである。つまり、前者はアメリカと同様の価値観に基づき、ヨーロッパらしいと言われるサウンドステージはあればあったで越したことは無いという扱いになる。そもそもクラシックそのものも聴かない人が多いというので、ステレオ購入者の目的はロックやポップスを聴くために必要な要件を挙げているともいえる。ライブな会場を模擬したからといって、ドラムがどんより後ろで鳴ってたり、小人が躍ってるようなものは誰も望んでいない。タイミングやボディの実体感で音楽のパッションが伝わることがまず求められているのである。

オーディオ装置の周波数特性については、一般にはフラットで広帯域であればあるほど高性能だと言われるが、そもそも人間の聴覚そのものがフラットではない。外耳の管共鳴によって中高域に強いピークをもつことで言葉の子音が聞こえやすいようにできていて、逆にいえば、人間の言語は、人間の耳に聞こえやすいようにできているのである。この外耳の共鳴の標準化が決まったのはラウドネス曲線から半世紀後の1990年代で、ヨーロッパでヘッドホンの音の計測方法をダミーヘッドで行うDiffuse Field Equalization補正曲線として、1995年に国際規格IEC 60268-7とされた。この1995年というのが微妙な時期で、CDウォークマンをはじめとする携帯型パーソナルオーディオのデジタル化により、それまでカセットテープの薄い高音を強調する方向でチューニングしていたヘッドホンに対し、デジタル録音で拡張された高域のダイナミックレンジをそのまま出してしまうと、若年性の難聴になってしまう危険性も出てきたからだ。

Diffuse Field Equalization補正曲線


ちなみに私は音楽鑑賞をヘッドホンではしないことに決めている。理由はヘッドホン試聴での中高域の強いプレッシャーに慣れてしまうと、高域の聴き取り能力が徐々に落ちるからである。これはスピーカーの周波数特性の調整でも、必要以上に高域を張り出させないように留意している。単純に耳ざわりという以上に、2kHz以下に集中する音楽の躍動感を聴き取りにくくなるからだ。その意味では、私のオーディオ装置は常に、音楽は自分の部屋でどう鳴り響くべきか? という問いのなかに存在している。実はその一般家屋の設計が人間のスケールに合わせて造られており、それは音響的にも人間の聴覚に適したようになっているのだ。その聴覚は、人間の話し声というコミュニケーションに適したかたちで成長していく。そこを人工的な超低音、超高音で晒すのは不自然なことであるが、実は現在のオーディオ機器の大半は、ボーカル域以外の帯域の性能にお金を注ぎ込むようにできている。もちろん音の違いは出るが、音楽によるコミュニケーションの本質とは掛け離れたところでの音響現象について語ったものだといえよう。

ここでは、比較的狭い部屋での自然なアコースティックの最適化、正確な波形再生に必要なタイムコヒレント特性の確保、ステレオ録音もモノラルで聴くノウハウについて述べる。


①デジタルのトゲトゲを取る
デジタル録音のエネルギーバランスをアナログ的に最適化するアイテムとして、私は古い設計のライントランスを使用している。といっても大げさなビンテージ物ではなく、サンスイトランス ST-17Aは、トランジスターラジオの組込み用に1958年に開発されたパーツで、終段プッシュプルをB級動作させる際の分割トランスとして、現在も製造され1,000円弱で売っている。これも1980年代には、ICアンプの登場によりOTL回路が主流になったが、FM放送やカセットテープという媒体を通じて聴く分には少し鮮明さが増したという感じだろう。しかしCDのDACチップから直出しの信号はあからさまで品がないのだ。
昔、ヨーロッパ系のヴィンテージオーディオを扱うショップを訪問したとき、修理中だった古いドイツ製真空管を使ったアンプについて質問すると、「9割はトランスの音だ」と豪語していた。その頃はあまりピンとこなかったが、初期のNEVEコンソールに組み込まれていたマイクアンプも、トランジスター回路を用いながらトランス独特の艶やかな倍音を沢山含んでおり、往年のブリティッシュサウンドの太い粘り気なども含め真空管っぽいテイストをもっている。この倍音や粘り気の出る理由は、トランスの磁気飽和による歪みや磁気ヒステリシスによるコンプレッションが発生するからであるが、現在のオーディオ用トランスは性能が著しく向上して、重低音も高調波もキッチリ変換して同じような効果はほとんど出ない。サンスイトランスは、どういうわけかその辺を昔のスペックのまま出しており、まるでMMカートリッジでも聴くかのような野太さと艶やかな倍音を出してくれるのだ。かといってそれほど味付けを強調するほど癖のある音でもなく、かつおだしの味わいのような感じが気に入っている。

ラジカセ基板のB級プッシュプル段間トランス、サンスイトランス ST-17Aと特性

トランスには磁気飽和による高次歪みと僅かなコンプレッションがあって、実はLPからCDに変わった後に音楽が味気なくなったのは、単にマスタリングの問題だけでなく、パッシブに動作する磁気歪みの排除が関与している。同じような効果は、テープヘッド、カートリッジにもあり、唯一スピーカーだけが磁気回路をもつオーディオ部品となってしまった。ピュアだからと生野菜や生魚をかじってばかりもいられまい。同じ素材でもトゲや骨を抜いて美味しくいただこう。

②コンサートホールと同じアコースティックな特性

昔のスピーカー理論に「40万の法則」というものがあった。事の始まりはHi-Fi録音が騒がれ始めた1950年代の日本で、高域の伸びが顕著な新しいオーディオ機器に対し、100~4,000Hzしか出ないクレデンザという高級蓄音機のほうが良い音がするのはなぜか? という疑問が頭をもたげていた。結局、人間の聴覚は20~20,000Hzまであるが、高域と低域の端を掛け合わせて40万になるとバランスよく聞こえるという理屈に辿り着いた。都市伝説のように言う人もいるが、私はこのことはひとつの道理を得ていると思っている。

WEホーン技術を使ったビクトローラ・クレデンザ:キッチリ100~4,000Hz

私はスピーカーを耳から1mくらいの距離で聴いているが、いわゆるニアフィールド試聴にあたる。通常はニアフィールドというと高域が減衰しないから正確に聴けると言われるが、私がちょうどいいバランスを探ると、1930年代に広い映画館での音響特性を決めたアカデミー曲線とほぼ一緒になった。アカデミー曲線はよく古い音響設備だからしょうがなくという話をきくが、一般のコンサートホールを測っても同じである。つまり近接距離にスピーカーを置いた場合は、高域を少し抑え気味にしたほうが自然なのだ。
結果、私のスピーカーは見事なカマボコ特性なのであるが、いちよ「40万の法則」に沿って200~2,000Hzを中心に両端へ減衰しながら2オクターヴ伸びる対称形になっている。このせいか、古いSP盤復刻も新しいデジタル録音も、ひとつの音響バランスのなかにまとまって、同じ人間の奏でる音楽として比較試聴しながら楽しめる。単純にいえばマイクの音をそのまま拡声する所作が、録音方式の新旧を問わず一律に達成できるバランスなのだ。
それでも次の項で述べるタイムコヒレント特性が、正確で音の立ち上がりの見通しがいいため、高域や低域が不足しているとは感じない。現在主流の設計だとウーハーのドロドロした反応を押し分けながら、高域のパルス成分の立ち上がりを際立たせるようにしているため、パルス成分をノイズとみなしていた古い時代の録音は高域不足に聞こえるのだ。逆にボーカルのリップノイズを盛大に拾うため、収録にかなり神経を使うことになる。むしろ再生バランスがカマボコ型でも帯域全体の波形再生が整っていたほうが、実際のアコースティックに近い自然な印象をうけるし、100~8,000Hzが一体感をもって一斉に鳴るド迫力の世界に没入することになる。


私のオーディオ装置の周波数特性(点線:アカデミー曲線)


③肉厚でエッジの立ったサウンド
モノラルで音楽を再生するとき、特に気を遣うのは、中低域まで肉厚でボディ感がしっかりしているのと同様に、そのエッジがキッチリ立っていることである。それはリズム感が活き活きしていることにもつながり、ボーカルが体いっぱいでリズムを取っている姿が実体感をもって再現されることでもある。現在のようにプヨプヨに肉太りした鈍重な体でどっかりソファに構えて、何を聴いても同じような表情ではだめだ。
ウーハーとして使っているJensen C12Rは、現在はギターアンプ用のスピーカーとして売られているが、元はRock-olaのジュークボックスにも使われた汎用のPAスピーカーだった。ちなみにC12Rはエクステンデッドレンジと言われる規格のスピーカーで、100~8,000Hzというボーカル域を明瞭に拡声できるように設計されている。ウーハーでもフルレンジでもないこの規格は、1940~50年代にスウィングジャズ全盛期の頃、ジャズバンドのホーンやドラムに負けないように、ボーカルやギターの音を拡声できるように開発されたもので、JBL D130やAltec 600Bなども同じ目的でPAスピーカーとしても使えるように設計されている。この時代のスピーカーの能率の表記に、10フィートや30フィートのものがあるのは、PAスピーカーとしての能力が求められた結果でもある。

Jensen C12RはQts>2.0以上とガチガチなローコンプライアンス型で、低音が伸びないかわりに、後面解放箱に入れることで、入力信号に対する波形の立ち上がりがすこぶる速い。30cmという大口径であるにも関わらず、ヘタな密閉型ヘッドホンよりも低音のスピードが速い。そしてフィックスドエッジが機械的なバネとして働いて、音を出した後にスッと引いていき、それが200Hzくらいまでリニアに動く点である。

全てはこいつC12Rからはじまった

これはタイムコヒレント特性をみても明らかで、ステップ応答が1ms以内に収まるくらいスレンダーに反応していて、しかも最初の出だしがクリーンであり、デジタル時代においてさえも正確な波形再生能力をもっている。これがDSP演算や複雑なネットワークでの補正なしで、素のままで実現されること自体、とても70年も前の技術とは思えないほどである。このことで、ボーカルが胸声までしっかりボディ感をもつことや、ドラムのさく裂音がものすごいリアルに刻まれる。1950年代のロカビリーやR&Bが驚くほど活き活きと鳴るのは、まさに腰を揺らすくらいにリズムの機敏さを保てることによる。

Jensen C12R+Visaton TW6NGのタイムコヒレント特性(左:インパルス、右:ステップ)

ちなみにタイムコヒレント特性とは、波形の時間的整合性のことを言うのだが、実はオーディオ機器のうちタイムコヒレント特性が一番いい加減なのがスピーカーである。このうち「ステップ応答」とは、ステップという名のとおり階段状に上がる波形の再生波を測るのだが、理論的には超高域からピンと立って滑らかな右肩下がりで低域まで行き着く。最近は低音から高音にずり上がるスイープ音から勝手に演算してくれるパソコンソフトがあるため、かつてよりは計測がしやすくなった。ところが1980年代末に始まったこの計測項目によると、世の中にある9割のマルチウェィスピーカーは、ネットワーク回路によりツイーターとウーハーの波形を完全に分けていて、それをさらにスムーズに繋げるため位相まで逆転しているものも多い。このネジレ現象を規準にステレオの音場感や臨場感を策定していたのだが、実音が出る前から殺気だけ振り撒く情況は、やはりオーディオ機器特有の不自然さが拭えないと思う。そして高域のパルス波は、それより低い帯域をマスキングして、音楽の躍動感を抑制するのだ。

ステップ波形と理論的な応答特性(超高域から直流まで滑らかな右肩下がり)

一般的にエクステンデッドレンジはハイカットせずに、そのままにして伸び伸び鳴らし、指向性の狭い高域だけツイーターで足せば良いという人が多い。もともとJensenは1950年代のスピーカーにありがちな中高域の暴れは良くも悪くもアクセントになっていて、私のシステムでは高域を3.5kHzで切っているが、念のため測ってみると、中高域の暴れをスッポリ抜いていることが判った。この3~6kHzの強い分割振動はボイスコイルの共振で、強いパルス性の立ち上がりを示すが、そこをカットすると下の帯域までスムーズなステップ応答が画けるのだ。今までJensenのヴィンテージ・シリーズは癖があって使いにくいという評価は、鋼製の甲冑のトゲトゲをみて強そうだと誤解するのと同じで、それを身に纏ってなお剣を振り回せる筋力に気付かずにいるだけだ。
逆に2kHz以下までカットするとモッサリした普通の音になり、エクステンデッドレンジ特有の歯切れの良さが出ない。JBL D130が2.5kHz、Altec 604Eが1.5kHzということから考えると、かなり高い周波数になるわけで、いわゆる大型ホーンとの組合せができない。ここがウーハーとして使い物にならないという評価につながるのだが、そもそもエクステンデッドレンジがボーカル域を分割せずに再生する規格だということにあまり留意していないことと重なっている。

チャンデバで3.5kHzカットする前後の周波数特性とステップ応答の比較(45°斜めから計測)

切れ味の鋭いジェンセンと組み合わせるツイーターの選択であるが、ホーン型にはじまり、ソフトドーム、リボン型と色々と試したが、一番しっくりしたのが独Visatonのコーンツイーターだった。なんというかギアがしっかり噛み込んだという印象で、それ以外のものは少しスピードが速くピンと立った新しい設計なので空振りが目立っていた。その点Visatonのコーンツイーターは、古いドイツ製真空管ラジオの交換部品として作られたと思われた。一方で、中央のキャップが樹脂でできていて、70年代風の艶が少し乗った音になっている。

ドイツ製で格安のVisaton TW6NGコーンツイーター(試聴位置:仰角75°からの特性)

ちなみに、TW6NGのタムコヒレントは以下のとおりで、5kHzと13kHzの共振でザワついているだけの、三味線でいうサワリに近い機構であり、極めていい加減な設計だと判る。現代のステレオ技術のように定位感を明瞭に出すようなニーズには全く応えられない。一方で、高域の拡散という意味では十分な機能性を有していて、これがジェンセンの切れ味スパッといくタイミングと、じわっと馴染んでくれるのだ。ただし、CDの音に対し前述のラジオ用ライントランスで少し鈍すことでバランスが取れており、私としては、ジェンセン、サンスイトランスに続くアナログ時代のミッシングリンクがさらに増えたことになる。

Visaton TW6NGのタイムコヒレント特性(実にいい加減)

④音響のスケーラビリティの最適化
ついでに言えば、私はモノラルであれば何でも良いというようなことは否定する。むしろ日本人の大半が暮らすウサギ小屋にふさわしい音響のスケールがあり、ほとんどのオーディオマニアは理想に合っていない部屋の音響特性に悩んでいると言っていい。つまりオーディオ機器の性能についてあれだけ精緻に語ることができるのに、自分の部屋の響きについてはほとんど言及できないのだ。このため無響室で計ってフラットな特性と同じようにしようと奮闘するのだが、これは間違った思い込みに過ぎない。無響室で聴いて良い音と感じる人は誰もいないのだ。
一般家屋のなかで、いかに最適な音響を得るかと言えば、それは人間そのものに還元していく。 私自身はオーディオ装置には大きさも重要だと考えていて、家庭用オーディオという一般家屋にフィットした大きさは、人間以上に最適なものはないという認識にいたった。それ以上大きくても、それ以下に小さくても、どこか不自然な音響をつくりだすのだ。以下のル・コルビュジエのモデュロールと比較しても、私のオーディオ装置のアプローチが、機械的なヒューマノイドとして始まっていて、一種のパーソナリティを獲得させようとしていることが理解できるだろうか。人間そのものの声を再生するためのアプローチとして、できるだけ近いカタチからスタートしている。これは電気的というより機械的な問題なのだ。

ル・コルビュジエのモデュロールと自作スピーカーの寸法関係

スピーカーを30cmとした理由は、低音の増強のためではない。正直いうとJensen C12RはFo=88Hzと大口径の割に高めで、スペック上はバスレフ箱に入れた10cmフルレンジとそれほど変わりない。むしろ大きく違うのは中低域のリニアニティが高域と変わらず、200Hz付近までコーン紙のダイレクトな振動で音が鳴る点だ。コーン紙を平面バッフルに見立てて最低周波数を計算すると、10cmで850Hz、20cmで425Hz、30cmで283Hzとなり、喉音、実声、胸声と次第に下がってくる。あえて言えば、唇、顔、胸像という風に声の描写の大きさも変わってくるのだ。それより下の周波数は、エンクロージャーの共振を利用した二次的な輻射音になる。小型フルレンジでは胸声が遅れて曖昧に出てくるため、女性ボーカルなどがクリアな反面、腹から声の出るような表現のダイナミックさに欠ける。このボーカル域の要件を両方とも満たすのが、古いPA装置に使われていたエクステンデッドレンジ・スピーカーだ。喉声以上の帯域に対し遅れを出さずに胸声までタイミングが一致して鳴らせるようにするため、高域を多少犠牲にしても、スピーカー径を大きくすることで自然で実体感のある肉声が聴けるのだ。ついでにツイーターを置いている猫の餌皿が15°と絶妙に傾いて良い感じだったので、スピーカーの軸に疑似的な消失点をつくっている。胴体と頭部の骨格的な結び付きが明確になったことで、結果としてボーカルの発声がより立体的になって、音がポッカリ浮いた感じになった。


人体の発声機能と共振周波数の関係

人体の骨格とスピーカーユニットの軸線

裏蓋を取って後面解放!

唇の動きに見とれるか、顔を眺めてうっとりするか…
やっぱり胸元まで見ないと実体感が湧かないでしょ!


モノラルにしたもうひとつの理由は、結婚して子供も大きくなると、居間にステレオを置いて自分だけ音楽を聴くなんてことは不可能になったので、机と椅子の脇に置けるモノラル試聴が一番しっくりきたからだ。
モノラル試聴にすることで30cmスピーカーでも、ディスクサイドに置いて人間ひとり分のスペースしかとらない、とても省スペースなオーディオになる。机など含めても2畳くらいで十分なんじゃないだろうか? それでいて、しっかり実体感の強い音で鳴るのだから、なかなかのものである。これがステレオだと壁一面を占拠し、なおかつ三角形となるように空間を空けなければいけない。6畳間でも狭いのだが、スピーカーの背面を含めて3π空間を空けるとなるとさらに難しくなる。狭い日本の家屋には人間の大きさが実にいい感じに納まるのだ。


⑤どんな録音もモノラルで聴いてやる

私のはステレオ録音もモノラル・ミックスして聴くというと、どういうやり方で処理しているか疑問におもうかもしれない。実はこの件は難問中の難問で、多くのベテランユーザー(特にビンテージ機器を所有している人たち)でも、なかなか満足のいく結果が得られないと嘆いているものだ。

ステレオ信号のモノラル合成の仕方は様々で、一番単純なのが2chを並行に結線して1chにまとめるもので、一般的には良く行われてきた。しかし、この方法の欠点は、ホールトーンの逆相成分がゴッソリ打ち消されることで、高域の不足した潤いのない音になる。多くのモノラル試聴への悪評は、むしろステレオ録音をモノラルで聴くときの、残響成分の劣化による。
次に大型モノラル・システムを構築しているオーディオ愛好家に人気があるのが、ビンテージのプッシュプル分割トランスを逆に接続して、2chをまとめる手法で、巻き線の誤差のあたりが良い塩梅におさまると、まろやかなモノラルにできあがる。しかし、これもプッシュプル分割用トランス自体が戦前に遡る古い物しかなく、そのコンディションもまちまちで、当たりクジを引くまで1台5~10万円もするトランスを取っ換え引っ換えしなければならず、一般の人にはお勧めできない。ひどいときには600Ωの電話用トランスをハイインピーダンスの機器につなげ、高域を持ち上げて音がよくなると勧める店もあったりと、イワシの頭も信心からと言わんばかりで、何事も自分の耳で確かめなければならない。
最後に私が実践しているのは、ミキサーの2chの高域成分をイコライザーで互い違いに3~6dBのレベル差を出して合成することで、昔の疑似ステレオの逆をいくやり方である。「逆疑似ステレオ合成方式」とでも名付けておこう。これだと情報量が過不足なくまとまって、高域の潤いも失われない。


よくモノラル・システムを組む際に、モノラル・アンプがなかなか見つからず難儀すると聞くのだが、私の場合はチャンデバを噛まして、ステレオ・プリメインをマルチアンプとして便利に使わせてもらっている。最初の発想は、クロスオーバー周波数とレベル合わせのために、ネットワーク回路用の部品を買って試行錯誤するのが面倒くさかったので、安いベリンガー製のチャンデバでテストしようと思ったのだが、使ってみるとドンピシャだったのでそのままにしてる。

※チャンデバのLRとウーハー、ツイーターは繋ぐ線を間違えないように!

一番のおいしいところは、アンプとスピーカーの間にネットワーク回路の負荷がないので、非常にストレートに音が出ることである。チャンデバでも位相歪みはあるので、後でも先でも一緒のはずなのだが、いざ音を出してみるとアンプ側からみたスピーカーの負荷は理屈通りのシンプルなものとなるらしく、出音に引っ掛かりがまったくない。これは先に示したタイムコヒレント特性にも現れていて、波形再生の時間的整合性はデジタル並みに正確なのだ。


CD時代になって、トーンコントロールやラウドネスを省略して、できるだけストレートなサウンドで聴こうとする趣向が流行したが、デジタルだって全て正確で万能な道具なのではない、実際にはそこに含まれている音源のアナログ的な癖を取り切れないでいる。高域がツンツンしてる、ボーカルが奥に引っ込む、ベースラインがモヤモヤしてる、こうした症状とは常に闘いを挑むハメになるのだ。新しいリマスター盤が出るたびに賛否両論が出るのは、良い音の基準に関して試聴環境の統計を取っているだけで、ユーザーのオーディオ環境の根本的な改善には蓋をしてしまっているツケを支払っているだけに過ぎない。かといってアビーロードで使ってる最新のモニタースピーカーで聴くとか、逆に1960年代の真空管ミキサーを復活させてリマスターしたとか、広告のチラシにしかならないような内容を、あたかも本物志向と言わんばかりにやってみせるのもどうだろうか。聴くほうのスタンスで考えれば、イヤホンでの試聴が中心となった21世紀ではなおのこと、耳に響きやすい中高域のドライ&ウェットの調整は欠かせないように思う。

実際には1970年代以降のポップスにおける人工的なサウンドステージは、作品観に大きな影響を与えていて、クラシカルな音楽ホールでのライブ感を出したいがために、ロックのドラムが遠鳴りして迫力が出なかったり、ボーカルとその他大勢という不自然なバランスになったり、作品の根幹にある演奏者のパフォーマンスがミキシング過程で冷めた目で達観的にバランスを取らされ失われている感じがしていた。逆に音数が多すぎてスシ詰め状態になり、テヌートとアクセントの差も整理できないままサウンドが濁って流れてしまう。この両極端な情況から、自分のオーディオ装置に合わせて音場感をタイトに引き締めたり、逆にライブにして流れを作るというのは、ニュートラルに音楽を聴く意味では重要なのだ。もとはカラオケ大会でも使える簡易PA用なのだが、心臓部となるオペアンプは自家製チップを使いノイズレベルが低く音調がマットで落ち着いてるし、3バンド・イコライザー、デジタル・リバーブまで付いたオールインワンのサウンドコントローラーである。

ヤマハの簡易ミキサーに付属しているデジタルリバーブ(註釈は個人的な感想)

これのデジタル・リバーブは世界中の音楽ホールの響きをを長く研究してきたヤマハならではの見立てで、簡易とは言いながら24bit処理で昔の8bitに比べて雲泥の差があるし、思ったより高品位で気に入っている。リバーブというとエコーと勘違いする人が多いのだが、リバーブは高域に艶や潤いを与えると考えたほうが妥当で、EMT社のプレートリバーブ(鉄板エコー)は1970年代以降の録音には必ずと言っていいほど使われていた。残響時間とドライ・ウェットの調整(大概が40~60%の間で収まる)ができるので、録音状態に合わせてチョちょっといじるだけで聴き映えが変わる。24種類もあるエフェクターのうち、よく使用しているのは最初の6種類のリバーブで、1,2番のホール系は高域に潤いを与える、逆に3,4番のルーム系は響きをタイトに引き締める、5,6番のステージ系は高域を艶を与える、という感じで、奇数がアメリカン、偶数がヨーロピアンと勝手に思い込んでいる。いずれも元音に4割程度加えるくらいでちょうどいい隠し味になる。


【適度なコストパフォーマンス】
こうしてモノラル試聴環境を整えるにあたり、様々なノウハウを書き並べているが、私には同時にこだわりをもっていることがあって、それはこれらのモノラルシステムの構築に現在製造中の新品で揃えるということだ。CDで聴くということからはじまり、モノラルミックスするミキサー、昔ながらの音響設計のスピーカーとライントランスの選別などは、そうしたことの現われで、妙なプレミア価格でモノラル製品を求めることは避けている。CDの音がトゲトゲしいと嫌う人は、録りたてのアナログテープだってもっと鮮烈であり、レコードにカッティングする時点である程度イコライザーでいじって心地よくしているだけのことである。デジタル録音そのものはむしろペッタンコでマットな音であり、高域や重低音の強調はCDらしさを出すコマーシャル的な意図が働いているか、そもそも味付けなしのテープの音が魅力的でないかのどちらかである。そこにアナログ的ノウハウをどの程度注ぎ込むべきかのサジ加減も考えて選んでいる。

私なりの経済感覚でモノラル・システムを組む、それもコンディションの良否に泣かされないように、全て現在製造中の新品で揃えようと、バラバラの状態のものを取捨選択したのが現在のシステムである。

品番 価格 用途
Jensen C12R \7,180 エクステンデッドレンジ・ウーハー
Visaton FR6.5 \2,214 コーンツイーター
サンスイトランス ST-17A \929 ライントランス
YAMAHA MG10XU \28,800 ステレオ→モノラル、リバーブ
小計 \39,123
※以下は他機種で代替可能
DENON PMA-1500RE \69,800 ステレオアンプ(店頭価格)
BEHRINGER CX2310 \15,800 チャンネルデバイダー
Laxman D-03X \254,600 CDプレーヤー
ウーハー用後面解放箱 約\30,000 Altec 618型(ヤフオクで購入)
ニトリ スタッキングスツール \6,990 ウーハー用足台
猫用エサ入れ \1,499 ツイーター用置台
総計 \417,812


やはりスピーカーユニットだけで1万円という選定と、それがモノラル音響の醍醐味を持ち合わせているというだけで、残りの機材の煮詰め方が楽になる。これが10cmクラスの小型スピーカーでスタートした場合は、グレードアップに相当に遠回りを強いられることになるし、大概の人はモノラルで聴く理由が分からなくなり次第にリタイアするだろう。広帯域とかに騙されず、30cmエクステンデッドレンジのもつ実体感を味わってほしい。チャンデバはクロスオーバー固定ならコイルとコンデーサー、アッテネーターで済むし、箱も自作すれば合板+カット代で1万円もいかないだろう。アンプやCDプレイヤーはもっと安いものでもそれなりに音楽は楽しめるが、モノラル・ミックスするミキサーとバイアンプ接続は外さずにいてもらいたい。
これで頑張れば総額で10万円をどうにか切るわけだが、それなりにアンプやCDプレイヤーに投資すれば、それに応えてくれるポテンシャルをもっている。つまりモノラルなりにグレードアップが楽しめる良いスタートが切れるのだ。




【全てモノラルで全てハッピー】


モノラルはLOVEでできている】
まず最初に断って置かなきゃいけないのが、私は音楽鑑賞をモノラルでしか聴かない。それもモノラル録音だけのためのシステムではなく、あらゆるステレオ録音もモノラルにミックスして聴いている。なので、モノラルLPを再生するノウハウはないし、ステレオで定位感などいう戯言も捨てている。なぜならステレオ録音の評価は、音場感や定位感のほうにほとんどのリソースが費やされており、ミュージシャンのパフォーマンスの質を正しく評価するものではないからだ。録音を介したミュージシャンのパフォーマンスとの接点は、マイクから拾った音をスピーカーで拡声する、ただそれだけである。

なぜモノラルで聴く音楽がこれほどまでに愛しいのか。このことについて話さなければなるまい。ひとつはモノラルは独りで寂しいという意味ではなく、個人と密接になる親しい間柄を意味していることだ。そしてモノラルであるということは、広いステージのなかに立つ個人ではなく、同じ部屋にいる個人としてそのパーソナリティが明瞭に立つことである。つまり大勢と居ると叶わない恋のチャンスは、いつもモノラル同士の出会いから始まる。考えてもみたまえ、世の中の歌の9割以上はラヴソングである。ここにトキメキのないオーディオなどほとんど意味がないのだ。つまりモノラルで流れるラヴソングは、1対1の関係で告白を聴いているのである。それはただ甘い言葉だけではない、怒りや悲しみ、様々な感情を聴くことになるのだが、相手が好きなら別にそれは気にならない。むしろ本音で話してくれたことに、より親近感というか許し合えることの大切さを知るのである。


モノラルで感じられる親近感というものは、実は室内で聴くという前提に立っている。そこで音場感がないとかモノラル音声へのパッシングに繋がるのだが、多くのステレオ技術は室内では感じられない広大な空間に連れ出すことが前提になっている。つまり異世界のファンタジーばかり演出しようとするのだが、そこで失うものもあるのではないだろうか。1980年代末にユーミンや中島みゆきの歌を事細かく話題にする女子大生が多かったが、ほとんどがラジカセでしか聴いていなかった。後で考えてみると、重たいウーハーでは800~1500Hzの中域が沈んでしまうのに対し、安いフルレンジのほうが喉音の反応がスムーズでメッセージが伝わっていたのである。彼女たちにとっては10kHz以上のSFスペクタルよりも、4kHz以下の現実味のある恋愛相談のほうがずっと大切だったのだ。

ラジカセが人間の言葉の再生に特化しているというのは確かだが、それだからと楽器という人間の発音機構を遥かに超える楽音が苦手ということだけで斬り捨てることはできず、音楽の言語的な構造を感じ取るためにもっと重視されていい事項なのだ。ルネサンス時代の音楽の指針に、ムジカ・フマーナ(Musica Humana)つまり人間の魂の調律というものがあるが、その下位にあるムジカ・インストゥルメンターリスつまり現実の楽音の奴隷と化した世界を軽視したものがあった。これはオーディオ技術においては逆で、心の琴線に触れるには、徹底的に楽音を正確に再現しなければならないという考え方が主流だ。1980年代以降にツギハギだらけのデジタル・ゾンビが大量に湧いてきたのは、新しい録音方式のカタチに囚われすぎて、人間の精神の在りかを見失い血肉を求めて彷徨う人々のことを指すのだ。その意味でもオーディオ技術は、人間の言語感覚に似せたコミュニケーション・ツールとして見直されなければならないと思う。

こうしたオーディオ技術が何のために必要なのか、音楽とは人間にとって何なのか、様々な疑問を突き詰めていくと、人間の感性に最も訴えかけるものは人間の肉声であり、人間の耳は社会生活を営むにあたり、人の話を聴く機能をかなり発展させてきたのである。それは愛情表現という複雑な感情でさえも、セックスと同じくらい大切なこととして扱ってきたことと重なる。それゆえに肉声の表現はフィジカルなイメージをもって再現されないと人間の感情に入り込んでこない。この音声を肉体の実体感をもって繰り返し再生する機械こそ、オーデイオの本質なのだと思う。そして肉声から発する感情は周辺の雰囲気や音環境で変わるものではなく、究極的には独りのパーソナリティに帰依するのである。そこをブレずに聴き取ることがモノラル試聴の狙いどころでもある。

【モノラルは物事の本質を映し出す】
私のモノラル愛がボーカルの再生能力からはじまり、その帯域内でのウェルバランスを追求しているのだが、そこでは人間の聴覚に適したオーディオの在り方も追求している。つまり多くのオーディオ機器は再生限界、つまり重低音と超高域と大出力という三種の神器で物事を動かしてきた。ところが人間の住む家屋に照らし合わせると、10Wもあれば十分、周波数の大半は100~8,000Hzに集約されている。これは主要なスペックに留まって味を濃厚に煮詰めるのではなく、甘みと辛みの調味料に高級な雰囲気をもたせ、質より量で客を驚かせるような手法に似ている。そのほうが手間をかけずに面白くできるからだ。しかし重低音と超高域のアプローチは、ツイーターとウーハーの性格の分離、すなわち拳銃音と地響きにシフトしているし、大出力の必要性は引き算でフラットネスを追求して能率が1/4に減ったスピーカーのために必然となった。このスペックに留まって音質を語るとき、まさにドングリの背比べとなるのだ。
しかし、モノラル最盛期だった1950年代のオーディオ理論は逆で、いかに小さい電流でラウドな音が出せるかを競っていた。例えばJBL D130は「1mWでも動作する」とか30フィート先で52dB/Wの能率表示だとか、普通のオーディオでは考えられないエネルギー変換率を誇っていた。これにはオーディオ装置がステージでのPA機器の役割も兼務していたので、まだ10Wに届かない真空管アンプでも恰幅良く鳴らしきれるように、少々荒っぽい方法でも耳につく音のほうが好まれたというべきだろう。ちなみにD130のアルミ製センターキャップの鳴きが気になるというのは、決まってコーン紙が湿気で重たくなっているときである。ところが、当時のPA装置はただ大音量で鳴り響くという以上に、スウィングジャズのホーンやドラムの生楽器に混ざって、ボーカルやギターを拡声する能力が求められたところがあり、そうした用途に耐えうる機材は、今から見ても優秀なリプロデューサーと言っていい。まさにマイクの音をそのまま拡声して、ジャズオーケストラに負けないスピードで食いついていけるポテンシャルを持っていたのだ。この能力は1970年代のロックコンサートでも不死鳥のように蘇ったD130の威力をみれば明らかである。私のJensen C12Rは、これよりもっと小さい規模のライブハウスやジュークボックスで重用された、ブルースやロックの生みの親のような存在である。


単純なリズムでもインテンポで疾走感が出せるかがPAの使命だった

モノラル再生のもうひとつの特徴は、ステレオの定位感に必須のパルス成分を相殺して音楽を再生することにより、本来のミュージシャンとマイクとの間にある空間的な距離(まさに空気しか存在しない状態)に正しく戻すことができることである。いわば、リバーブを掛けステレオ配置する前の原位置にリセットすることで、ミキシングで序列化された抑圧から解放され、ミュージシャンの本来のエモーションが平等に鳴り響くことになる
ただし、これで音楽が団子状に混濁するようなスピーカーではだめで、やはりちゃんとしたPA対応機器でないと、マイクの生音の圧に負けてしまう。混濁する原因は、ツイーターのパルス成分でリズムのタイミングや音色の解像度を担保しすぎた結果、中域以下の帯域の反応が遅いため、パルス成分が抜けてしまうと途端にモゴモゴこもった感じになってしまうからだ。逆に超高域まで伸ばす理由も、持続音として楽音が存在しているからではなく、パルス成分をスレンダーに鋭敏に立たせないと、他の音域のもつれを巧くマスキングできないからに他ならない。モノラル再生として信頼できるPA対応機器とは、一般家屋での近接距離でならハッキリ聞き取れるパルス音が、距離が離れているため聞き取れないステージ上でも、音響バランスの保てるポテンシャルをもったものをいう。この音響バランスはフラットではなく、むしろ比較的広いホールの音響と同じカマボコ型であることも、私なりの見解である。つまり中高域から中低域まで素直に整った波形のタイムコヒレント(時間的整合性)を保証したほうが、周波数がフラットであるよりも音響バランスが自然に聞こえる。


上段:超有名モニタースピーカー、下段;自分のシステム(45度斜め試聴)
スコーカーの領域をいかにして500Hz→200Hzまで下ろすかはかなり難題
パルス成分のデフォルメを目的とした超高域のリンギングは有害(現行製品は修正済み)


こうして考えるとステレオ録音とは、リアリティのためではなくプロモーションの技術であって、マイクで拾った音にある種の序列を加えているにすぎない。パルス音というティアラに似た王冠をどの楽音に与え、どの楽音をぼかして背景に追いやるかを、ミキシング作業で裁いているのである。
このフェイクな秩序を再現するのにステレオ技術の発展があるのだが、改めて言うとそれは音楽文化の発展とはほとんど関係がない。本来マイクロフォンとミュージシャンの間に生じた空気だけしかなかった楽音に、様々な社会秩序を押し被せてサウンドステージという箱に閉じ込める行為は、演奏技術ではなくプロモーションの仕事であって、それは真剣に再生すべき対象ではない。またそれを再生すべく盛り込まれた新進奇天烈なオーディオ技術の発展も、もちろんミュージシャン本人のためではなく、周囲を取り巻く人たちのテクノクラート的な経済支配の構造に依存しているのだが、こんな小説にもならないシナリオなど演じる前から読みたくないだろう。集客力に没頭した音楽の演出も1,000人を超えるともはや飽和状態だが、それでも前進しなければ後退を意味するという強迫観念だけが支配していたのである。

近年に再評価されたライブ録音は観客の声援などなくても十分な情熱が伝わるパフォーマンスだ

こうしてモノラル再生とは、ステレオ録音にまつわる、楽音の序列化、お仕着せのプロモーション技術、架空のコンサートホールなど、様々なカラクリを脱ぎ去って、元のマイクとミュージシャンの距離までリセットする行為となる。これで100年近くに渡るミュージシャンの演奏記録が同じ土俵で堪能できるというのだから、音楽鑑賞のアプローチとして楽しいことこの上ない。

【ラジカセで感じた至福の時間を取り戻せ!】
ここではポップスやロックを聴くにあたって、レコードマニアがオーディオマニアを排除した悲しい歴史について述べなければならない。これを整理すると、1960年代末に起こったGSブーム以降に洋楽ロックの新しい波が押し寄せてくるようになった頃を起点として、60年代の延長上にあったなまくらな国産コンソールステレオで聴くよりも、ラジカセの機敏な音で聴くほうが歌謡曲やロックは楽しかったこととも関連している。その頃のオーディオマニアと言われた人たちの言動といえば、シンバルの音がどうとか、コントラバスの低音が良く聞こえるとか、ボーカル中心のロックや歌謡曲にはほとんど関係のないものだったので、それに数十万円もかけるくらいならレコード何枚買えるのかという本音があった。しかし現実はもっと草の根のところにあったのだ。

ロックやポップスが20世紀音楽の中心として広がる頃は、アメリカだってイギリスだって、ほとんどの音楽情報はラジオから得ていた。AM放送のほうが情報のアンテナ感度がよかったということもあり、モノラルで音楽を聴きかじるラジオ少年少女が多く存在したのだ。60年代モータウンの有名エンジニアでさえ、当時のアメリカ人の9割はモノラルで音楽を試聴していたと確言しているくらいで、スタジオを見学に来た社長の目の前でモノラルでしかミックスできないのでクビになりかけたと回想している。ロスアンゼルスでドアーズの録音を担当していたエンジニアは、セッションを終えた後にアセテート盤にカットした試聴盤を、知り合いのラジオDJに頼んでコッソリ深夜放送で流してもらい、車のAMラジオで他の曲と混ざりながら再度リクエストの掛かるリスナーの反応を楽しんでいたという。プログレ最前線にいたアラン・パーソンズもラジオや卓上プレイヤーで聴く英国のティーンズのことを想定して、オーラトーン5Cでモノラル音声チェックをしていた。逆に言えば、それだけラジオのリスナーを大切にした音づくりをしていたともいえる。

左:モータウンのミキシングルーム(1960年代):両脇にAR-3a(逆さ置き)、中央にアルテック604Eモノラル
右:「狂気」ミキシング中のアラン・パーソンズ(1972年):両脇にJBL 4320、中央にオーラトーン5Cが1台

私のモノラル体験は、これより10年ほど遅れて、昭和も後半戦に行った頃、FEN東京から流れてきたアメリカ音楽による。当然AM放送だったが、ウィークディの夜8時から始まるウルフマンジャック・ショウを何とも面白く聴いた。それは長いキャリアをもつ名物DJならではの味のある選曲で、古い音楽も最新のヒット曲も混ぜこぜで流す番組だった。英語なんて分からなかったが、音質のことなど気にせず無心に聴いていたように思う。私はこの体験をいつも心に留めてオーディオ環境の整備を続けている。

そしてAM放送に限っては、ステレオのチューナーで聴くよりは、ラジカセで聴いたほうが遥かに音がよかった。ステレオだとAM放送は胸声に傾いてモゴモゴ言うのに、ラジカセだとすっきりとバランスが取れる。それでいてFM放送との音質の違いも明瞭に判る。これがいつも不思議に思っていたものだ。

この理由について、長岡鉄男が1967年のコラムで書いており、なるほどそういうことかと、膝をたたいたものだ。

ではローコストで原音によく似た感じの音を出すにはどうればよいか、実例としてテレビの音声を上げてみます。家庭用の安直なアンサンブル型電蓄から出てくる声を、ナマの人間の声と聞きちがえる人はまずいないでしょう。ボソボソとした胴間声と相場はきまっているからです。ところが、アンプ部分にしろ、スピーカーにしろ、電蓄より一段も二段も下のはずのテレビ(卓上型で、だ円スピーカー1本のもの)の音声は意外と肉声に近く、となりの部屋で聞いていると、ナマの声とまちがえることがよくあります。

加えて、テレビの音声電波が音をあまりいじくることなく素直だとコメントし、長径18~25cmのテレビ用楕円スピーカーのうちできるだけ能率の高いものを1m四方の平面バッフルに取り付け、5極管シングルでジャリジャリ鳴らすのが良いのだとした。ラジオ用、テレビ用のスピーカーで能率の高いものは、一般にストンと低域が落ちていて、中音域のダンピングがよく、特に音の立ち上がりは、20~30cmのハイファイ・スピーカーをしのぐものがあるとも記している。

さらに1980年代のヒップホップは、電池でも大音量を出せる日本製ラジカセが人気だった。日本ではオモチャのように思われていたマイク入力端子は、そのままラップの拡声器として使用できるタフな音響機器として重宝された。日本製ラジカセのどこが良かったかというと、実はAM放送とのコンパチでFM放送を楽しめるように、1950年代のエクステンデッドレンジの音響設計を長く引き継いでおり、それがマイクの生音の拡声でもボヤけない明瞭度を保っていられる理由でもあった。ストリート文化とは、従来の企業のプロモーションを受けられない人たちの、セルフプロデュースの手段である。レコードはおろかラジオでも流れない音楽を、自分たちの文化として育むのに適したサウンドでもある。

ジェンセンはこうした庶民的な音楽体験の最初の頃に開発された、いわば祖父母のような存在で、しかもステージとリビングとを横断しながらポップスの文化を作りあげたレジェンドそのものでもある。ただし、それを自分の生活環境に取り込むまでには、それなりに時間もかかったが、終わることのない音楽への興味を引き立てる道具としては、Jensen C12Rはもっとも頼りになる存在である。

このようにレコードマニア未満でオーディオマニアでもなかったラジオ少年が、オーディオの正統な継承権について考えたとき、ジェンセンに行き着いた。そしてモノラル音響に踏みとどまるべき大義についても目覚めたのである。

【同類は相哀れまない=団栗の背比べor恋の鞘当て】
ところがこうしたやり方は、モノラル愛好家の間ではあまり人気がない。それよりもモノラルLPとその時代のビンテージ機器を揃えたほうが、オリジナルでの再現という点では汚点がないと考えているからである。しかし、ビンテージの時代感というのは、私からみればかなり狭い時期のものを指していて、1950年代以降のオーディオ技術の進展は5年置きに徐々に変わっており、大概の人は10年置きには確実に買い替えてきた実態がある。オーディオ機器の耐久性というか賞味期限は、精々そのようなものであり、それは機能の劣化と同様に流行の違いにも顕著に表れている。
一方で、音楽文化の歩みというのは、もっとゆっくりしていて、ヒットチャートだけみると1年ももたないものばかりに見えるが、ミュージシャンの寿命から考えると20~30年で1世代が動く鈍重さである。ところが1950~70年代のオーディオ機器をみても、ビンテージの定義はこれより遥かに狭いことが判るだろう。つまりはこうである。50年前に録音された音楽を現在聴くという行為は、昔のミュージシャンの生きた姿を再現することであって、そこにはオーディオ技術の流行り廃りを超えた、もっと重要な決まり事というか技術基盤があるのだ。

ステレオの決まり事=妄想のリアル?

私はそれを、部屋の大きさに合わせた自然なアコースティックとか、タイムコヒレント特性を煮詰めた波形再生のタイミングの正確さと呼んでいるが、いずれも再生周波数が広いから良いとか、高域の分解能が繊細だから良いとか、スペックの優劣では話していない。むしろ人間の聴覚に合った性能に絞り込んで音響特性を整える方法を取っている。むしろ現在のオーディオ理論は、人間に過度の期待と可能性を求めて、20Hzの重低音、40kHzのパルス成分など、楽曲に含まれない帯域について、コンピューター以上の正確さで聴きとるように強要しているようにも思える。実際の20Hzは風圧とか広大な会場で感じ取るもので、40kHzの持続音は脳に障害を与える危険なものである。そこのスペックを押さえるよりも、胸声がスムーズに出るように200Hzのタイムコヒレントを整える、近接試聴でも子音が自然に聞こえるように3~6kHzの中高域を絞ることを優先すべきだ。人間の聴覚が、言語機能に合わせて発達していることに、もっと注目すべきなのだ。
これらはビンテージ機器の特性を知っている人なら、耳にタコができるくらい知っていることなのだが、いざCDなどのデジタル音源に接すると、いきなり全否定型のネガティブな態度になることが多い。単純に自分のオーディオ環境を、デジタル音源に合わせてチューニングしていないだけで、これでは事柄は何も進まないと思う。

もうひとつ苦言を呈したいのは、21世紀に入って様々な方法でリマスター音源が出ているが、多くの人は自分のオーディオ装置のことは黙秘権を行使して伏せたうえで、リマスターの出来についてご立派に批評している。それも自分のオーディオ装置との相性だけで「音がいい」「音が悪い」という、極めて乱雑な意見に集約されるものだ。そして自分の感想が多数決で解決するかのような、間違った民主主義の色合いさえ帯びているのだ。それはポピュリズムとかデマゴーグとか呼ぶ類いのものであって、音楽の価値とはほとんど関係のないものでもある。つまりレコードマニアのふりをしているが、オーディオマニアよりたちの悪い集団だと言えるだろう。
こうしたレコードマニアがもつ大きな誤解が、自分のオーディオ機器について、スペック上はどの録音にも対応できる広帯域の再生能力があり、アンプの出力も十分にあったとしても、それが音楽表現の全てではないという当たり前のことが理解できていないことが多い。40kHzまで高域が伸びているからといって、動きの鈍重なウーハーでは音量を上げても磁気飽和して迫力が出ないし、いかに高調波歪みが少なくサウンドステージが描けても、ドラムが遠鳴りして歌手がちゃんとリズムを取っているかも分からないようでは、それが音楽と言えるのかどうか疑問に思えるのだ。音はそれが聴こえるだけでは不十分で、音楽として生きて表現されていなければ、そのオーディオ装置の価値は低いと言えよう。それでも自分の耳は確かだという前提でリマスター音源の良否について批評したがる。
一方で、多数決の思惑には市場原理というものがあって、レコードの製造は基本的に売れる量を見込んだうえで始まる。問題なのは、昔はカタログの堅持、つまりレパートリーに穴を空けないことが、レコード会社にあったが、自身では原盤製作に関わらない資本により合併吸収が繰り返された結果、レコードが文化であるというモラルが希薄になっていったように感じる。リマスター音源はその隙間を突いた商売として始まっているが、レコード会社の雑な原盤管理と同様に、ユーザー側のオーディオ機器に関する無知も、それに輪をかけて悪循環を起こしている。おもにEMIのビートルズとフルトヴェングラーの周辺で起きていることであるが、フルトヴェングラーはフランスのリマスター専門会社に委ねられ呪縛から離脱することを決意したが、ビートルズはアビーロードごと博物館となっている。一時期アビーロードで使っているB&Wモニターで聴くとスタジオと同じ環境で聴けると試聴会まで開かれたが、現在も製造されているAltec 604を真空管アンプで鳴らすという発想に行き着かないだけで、何かを見失っていると言えよう。



現代なら音源より以降はこんな感じになるはずなのだが・・・しかしビートルズはスタジオでのお行儀が悪い

あるいはBBC LS3/5aの復刻版をビートルズ時代のスピーカーと紹介したオーディオ批評家もいたが、そもそも普段からロックなんて聴いていないことを露呈しただけだ。コアなファンの間で数年前までタンノイがEMIのモニターだと信じてゴールドⅢLzを高騰させたり、イコライザーカーブをデッカに代えてみたり、この手の迷走は尽きることがない。これらも英国内のモノラル盤の文化的価値に話題が移って概ねリセットされ、他のブリティッシュ・ロックも平等に評価してくれるかどうかは、今後の行方次第である。少なくともBBCセッションでみせたR&Bに賭ける情熱を蘇らせることなしに何も始まらないように思うのだが、従来のレコードセールスにしがみついたリサーチ手法を脱却して、ビートルズがリスペクトしたアメリカン・ポピュラー音楽を評価できる地盤が育つまでに、さらに四半世紀掛かるような気がする。ジョージがハードロックに歩み寄ったのは良く言われるが、リンゴがラテンリズムに切れをみせることで新境地を開いたなんて誰も書かないだろうから、それだけ筋力の弱いオーディオ・システムが世の中に多いということだ。

ちなみにビートルズのメンバーが古いロックンロールを一番気にしていた例として、ジョン・レノンが1965年頃にレコードチェンジャーに収めたシングル盤コレクションがあり、その後ニューヨークに移った後に念願のジュークボックスを購入しその写真が残っている。ちょうど「ロックンロール」の録音が蒸発した頃で、次のアルバムの策を練っていた時期にあたる。これとナイアガラ期の大瀧詠一の同時代性にも思いを寄せることができよう。ちなみに1970年代のジュークボックスは真空管からトランジスターに移行しており、スピーカーはUtahの廉価なPA用が使われていた。同じようなシングル・コレクションはリンゴ・スターのものがあったり、ポールとジョージは1990年代のWuritzer社のレプリカ品を仲良く購入したりと、日本での「ビートルズがオールディーズを駆逐した」というような寸評は根も葉もない都市伝説という感じがする。それよりも時代の分裂より一体感のほうを強く意識していたのだ。

ジョン・レノンが1973年にニューヨークで購入したSeeburg社のジュークボックス
中身のほうは1965年頃に既に持っていた1950年代のシングル盤コレクションだったらしい


あるいはクラシックの方面ではSACD信者というのもあって、同じリマスターのCDレイヤーを聴けば分かるが、高域にリバーブを掛けて耳障りな部分を和らげてあり、これはパルス成分に敏感な現代のスピーカーで聴いて心地良いように音をいじった結果である。あとSACDにして、デジタルノイズが可聴帯域の遥か外縁に押しやられた可能性もあり、もともとその帯域を雑に扱っていた機材との相性も存在する。逆にリバーブ成分が耳に付いてクレームを付ける人も多く、デフォルトで奥行き感を出すために残響成分に敏感なためである。このどちらも録音当時にはなかったものであり、今でもエコーとリバーブの差が分からずに話している人をよく見かける。いずれにしてもツイーターの受け持つ些細なパルス成分のサジ加減で音像まで揺れ動く課題を、現在の大半のスピーカーは抱えているということである。現在のデジタル技術をもってすれば、パルス成分を後付けでライブ映像に合わせて合成するイマーシブオーディオという手法もあり、臨場感の定義も変わってくるであろう。ベルリンフィルがかつてのマンシーニ楽団のように、レコードと同じ音が鳴らないと大騒ぎにならないことを祈るだけである。

こうしてみると、あらゆる録音をモノラルにシェイプアップして聴くということは、音楽文化の在りようと深く結びついていると考えるのが、私の持論である。そしてこれまで多くの人が言っていたステレオの特質である音場感とか定位感が、音楽表現の脇役であって、けして主役ではないことが判るだろう。それは単純にムジークフェラインで演奏すればどんな演奏でも良く聞こえると言っているのと一緒で、いかに乱暴な意見であるかが分かるだろう。



【モノラルが繋ぐ音楽的多様性】

まぁ言いたいことはこうだ。ステレオの衣を脱ぎ去って洗いざらい聞いちゃえ。ただそれだけだ。

①新旧パフォーマンスの聞き比べ
Cruisin' Story 1955-1960

いわゆるロカビリーのコンピ3枚組で、この頃のアメリカン・ポップスの有名曲がひと揃え聴ける点で非常に重宝する。この時代のロカビリーは、ベンチャー企業のようにサテライト・レーベルが乱発されるなかでのヒット曲の量産体制に入っていたので、実はドーナッツ盤以外の元テープまで遡れるものはほとんどない。この企画盤の背後には強力なレコードコレクターが控えており、ジュークボックスで擦り切れた盤ではなく、ちゃんと保存された良質な盤を使用していることが効を奏している。さて以下のビートルズが示すR&Bへの愛情たっぷりのパフォーマンスと一緒に楽しんでくだされ。
ザ・ビートルズ:Live at the BBC(1962-65)

ビートルズが煩雑にライブ活動をしていた頃、BBCの土曜枠で1時間与えられていたスタジオライブで、これを切っ掛けに国民的アイドルにのしあがった。曲目はアメリカのR&Bやロカビリーのカバーが中心で、理由がレコード協会との紳士協定で販売されいるレコードをラジオで流してはいけないという法律の縛りがあったため。このためアメリカ風のDJ番組をやるため、国境の不明確な海洋の船から電波を流す海賊ラジオが増えていったというのは良く知られる話だ。ここでのビートルズは、若々しさと共にパフォーマンス・バンドとしての気迫と流れるような熟練度があり、いつ聞いても楽しい気分にさせられる。それとリボンマイクで収録した録音は、パーロフォンのようなデフォルメがなく、自然なバランスでバンド全体のサウンドが見渡せるように収録されている。ちなみに写真のメンバーが全てスーツ姿なのは、衣装ではなく当時のBBCへの立ち入りがネクタイを締めてないと許可されなかったから。
ジェームズ・ブラウン:SAY IT LIVE & LOUD(1968)

録音されて半世紀後になってリリースされたダラスでのライブで、まだケネディ大統領とキング牧師の暗殺の記憶も生々しいなかで、観衆に「黒いのを誇れ」と叫ばせるのは凄い力だと思う。ともかく1960年代で最大のエンターテイナーと言われたのがジェームズ・ブラウン当人である。そのステージの凄さは全く敬服するほかない。単なるボーカリストというよりは、バンドを盛り上げる仕切り方ひとつからして恐ろしい統率力で、あまりに厳しかったので賃金面での不満を切っ掛けにメンバーがストライキをおこし、逆ギレしたJBが全員クビにして振り出しに戻したという伝説のバンドでもある。長らくリリースされなかった理由は、おそらくこの時期のパフォーマンスが頂点だったということを、周囲からアレコレ詮索されたくなかったからかもしれない。ステージ中頃でのダブル・ドラムとベースのファンキーな殴打はまさしくベストパフォーマンスに数えられるだろう。
ドレスコーズ:平凡(2017)

時代はファンクである。それが日常であってほしい。そういう願いの結集したアルバムである。本人いわくデヴィッド・ボウイの追悼盤ということらしいが、真似したのは髪型くらいで、発想は常に斜め上を向いている。というのもボウイを突き抜けてファンクの帝王JBに匹敵するサウンドを叩きだしてしまったのだ。大概、この手のテンションの高い曲はアルバムに2曲くらいあってテキトーなのだが、かつてのJB'sを思わせる不屈のリズム隊は、打ち込み主流のプロダクションのなかにあって、いまや天然記念物なみの存在である。JB'sのリズム隊はラテンとジャズのツーマンセルだったが、一人で演じるのはなかなかの曲者でござる。忍者ドラムとでも呼んでおこう。
ジャケ絵は「オーディション」のほうが良いのだが、内容的にはこちらのほうが煮詰まっている。この後の数年間でスタンダード指向へと回帰していくのだが、志摩殿がリーマンの恰好して音楽の引き立て役に扮したいというのだから、アジテーションとも取れる素敵な詩もろとも立派に仕事したといえるだろう。この後ちょっと挑んでみた映画人としては、田口トモロヲと共演できるくらいに、リアリストを発奮してほしい。
昭和ビッグ・ヒット・デラックス(1962-69)

日本コロムビアとビクター音楽産業とが1960年代の昭和歌謡の名曲を持ち寄っての2枚組だが、ヒットした時期のモノラル音源も豊富に揃っているのが貴重でもある。これらの名曲の多くは、1970年代以降にステレオで再録音されており、各歌手のベスト盤にはステレオ再録が収録されていることが多いのだが、あらためてモノラル初盤を聴くと、その溌剌とした表情に驚きを禁じ得ない。50年以上も昔の録音というと、何かとセピア色に色あせた印象をもつことが多いのだが、各歌手の個性やカラーが出せるかという以外に、リボンマイクを中心にして録られた歌声が、いかに自然な息遣いで再生できるかというのも重要である。
ジェンセンとご対面すると、この時代のエコーの癖が強調されず、折り目正しい舞台衣装のように音像にブレがない(声が膨れたり痩せたりしない)のに加え、冒頭の「いつでも夢を」の歌詞のように、まだ見ない未来にむかって声を投げかける、当時の人の心境まで伝わってくるようだ。果たして歌詞にあるように、世の中キレイに整っていくのか、そういう不安も少し混じりながら、衒いもなく恋愛カオスのなかに身を焦がす若者の初々しい姿でもある。何だかオジサンまで恥ずかしくなってきた。
キャンディーズ:ゴールデンベスト(1973~78)

1970年代のアイドルブームを大人になることなく綺麗に終わらせることができた見事な解散劇をみせたという点で、「普通の女の子に戻りたい!」という名言はどんな政治家の言葉よりも深く誰の心にも刺さった。その体当たりで疾走する姿をロックテイストでまとめたのが実は平凡なアイドルを凌駕できた隠し味である。このベスト盤の再生が難しいところは、歌手の軽い表情の変化をしっかり出す一方で、バックバンドの切れ味や録音毎に移ろうステレオ感など、レンズでいえば小さいピンナップ写真から大判の風景を取り込んだブロマイドまで、乱雑に壁にベタベタ並べたような結果になりやすい。ここが絶妙なバランスで破綻なく再生できるのが実に得難い資質なのだと思う。
山口百恵:花ざかり(1977)

ただの歌謡曲と思いきや、宇崎竜童をはじめ、さだまさし、谷村新司、松本隆、岸田 智史など、ニューミュージック系の楽曲を束ねたブーケのようなアルバム。この頃には、ニューミュージックもアングラの世界から這い出て、商業的にアカ抜けてきたことが判る。山口百恵が普通のアイドルと違うのは、女優として語り掛けが真に入っている点で、低めの声ながら味のある歌い口である。1970年代のアイドル歌謡全盛期の只中で、引退する前に大人の女性になることを許された、稀有な存在でもあった。それを支えるのがNEVE卓で録られたサウンドであることには、あまり気にする人はいないだろうが、オーディオマニアとしては要チェックである。
当山ひとみ:セクシィ・ロボット?(1983)

何と言ってもそのファッションセンスが、20年ほど早かったゴスロリ&サイバーパンクであり、沖縄出身のバイリンガル女子の歌い口もツンデレ風だったり、今じゃアニメで全然フツウ(例えば「デート・ア・ライブ」の時崎狂三(くるみ)とか)なんだけど、どうも当時は他に類例がない。ガッツリしたダンスチューンから、メロウなソウル・バラードを聴くにつれ、アングラシーンを駆け巡ったパンクやデスメタという男性優位の世界観を撃ち抜くだけの力が周囲に足らなかった気がする。
そこをジェンセンで鳴らしまくると、まさに胸をドキュンと一発くらったような、古い傷がうごめきだす。そう、これこそ1970年代から徐々に姿を消していったソウルテイストであり、ぶ厚いステーキをかきこむような肉汁たっぷりのアナログサウンドでもある。
②乾ききった音こそ生き生きと
Aristocratレコード/ブルース録音集(1947-50)

ブルース・ファンなら泣く子も黙るチェスレコードの前身のレーベルによる、シカゴブルースの誕生を告げる戦後の録音集で、エレクトリック化の途上にある演奏記録でもある。まさにJensenスピーカーの第二期を象徴する録音だが、当時はまだSP録音、それもライブ同様にクリスタルマイクでのダイレクトカットで録音された。この時期と並行してテキサスのサン・レコードのロカビリー、さらにニューヨークのアトランティック・レコードのR&Bなど、新しいジャンルが産声を上げていたが、そのどれもがジェンセンの拡声技術と深く関わっている。まさにアメリカン・ポップスの原点となるサウンドである。
ボブ・ディラン/ベースメント・テープス完全版(1967)

本来なら1966年の英国ツアーを選ぶべきだろうが、ひねくれたチョイスをしてみた。1966年夏のオートバイ事故以降、表舞台から姿を消していたディランが、ザ・バンドの面々を集めて楽曲の構想を練っていた、というもの。ディラン自身は、自分の詩と楽曲に対する独自性をデビュー当初から認識していて、著作権登録用の宅録を欠かさない人でもあったから、そうした作家業としての営みが専任となった時期にあたる。もしかすると自らをパフォーマーとしての活動は停止し、作家として余生を過ごそうとしていたのかもしれない。
しかし、このスケッチブックの断片は、楽曲のアウトラインを知らせるためのテスト盤がブートレグ盤として大量に出回り、それを先を競ってレコーディングした多くのミュージシャンたちと共に、ウッドストックという片田舎をロックの自由を信託する人々の巡業地と化した。今どきだとYouTubeで音楽配信するようなことを、情報統制されていた半世紀前にやってのけたという自負と、ぶっきらぼうな彼なりの伝言のように思える。
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド/Live at MAX's(1970)

ウォーホル・ファミリーとしてデビューした後、流れ流れてカンザスで開いた最後のパーティの様子。録音したのは、ウォーホル・ガールズの一人であるブリジッド・ベルリン女史で、ソニー製のカセットレコーダーで録ったというもので、この種のブートレグでは中の上という音質。当時のカセットレコーダーは、ポラロイドのインスタントカメラと同じく若者の三種の神器だったらしい。しかしこれが解散ライブとなったため、このカセットはとても貴重なものとなった。録音品質の枯れ具合がまたよく、場末のライブハウスという感じを上手く出しているし、なんだか1960年代そのものとのお別れパーティーみたいな甘酸っぱい切なさが流れていく。
ジュディ・シル:BBC Recordings(1972-73)

コカイン中毒で亡くなったという異形のゴスペルシンガー、ジュディ・シルの弾き語りスタジオライブ。イギリスに移住した時期のもので、時折ダジャレを噛ますのだが聞きに来た観衆の反応がイマイチで、それだけに歌に込めた感情移入が半端でない。正規アルバムがオケをバックに厚化粧な造りなのに対し、こちらはシンプルな弾き語りで、むしろシルの繊細な声使いがクローズアップされ、それだけで完成された世界を感じさせる。当時のイギリスは、ハード・ロック、サイケ、プログレなど新しい楽曲が次々に出たが、そういうものに疲れた人々を癒す方向も模索されていた。21世紀に入って、その良さが再認識されたと言っていいだろう。
シュガーベイブ:シングズ(1975)

短命に終わったこのバンドの最初で最後のアルバムだが、この後にこの業界に入った人は全員聴いていたといういわくつきのアルバムである。大きな原因は「人ごみ」「都会の絵具」というような、都会生活についての否定的な言葉ではなく、楽観的な未来志向を画いた点にあり、そこがニューミュージックあるいはシティポップスというジャンルの発端となっている点である。
もうひとつは、当時流行だったリバーブをかましてオーバーダブを重ねたマルチ録音ではなく、ドライな一発どりで終始している点で、いわゆるガレージバンド的なテイストをもった録音となっている。録音を担当した大瀧詠一も、どのレコード会社からもデモテープのようだと悪口を叩かれながら、結果的には、バンドメンバーの山下達郎も証言しているように、時代が経っても古びない演奏として残るようになった。
ヴィソーツキイ:大地の歌(1977)

酒の飲みすぎで潰したようなダミ声で機関銃のように言葉をがなりたてる旧ソ連の国民的シンガーソングライター。日本ではウィスキーのCMにも起用されたが、それ以前はほとんど知られることがなかった。共産主義国でのブルースということ自体がマイナーなうえ、政府批判とも取れる歌詞のゆえ当然のように発禁となったが、市民はこっそりカセットにコピーして聴いていたという。この録音はフランスでのセッションだが、実質的に残された最良の録音ということになろう。

シカゴ・ブルースと地元を共にするジェンセンにとって、この不良中年の歌はまさにうってつけで、ヤケ酒の意味がストレートに伝わってくるのである。そしてどこか寂しい宿命を背負ったかのような影も同じくらい鮮明になる。
③時代を切り取るコンセプトアルバム
フォーク・クルセイダーズ:紀元二千年(1968)

深夜放送とアングラフォークを席巻した、今でいうインディーズ系のはじまりというか教祖のような存在でもある。裏表紙は寺山修司のアングラ劇団でポスターを担当していた横尾忠則の書下ろしイラストがあり、このアルバムにみせた気合いを感じる。大学生活の思い出に1年だけの活動という契約をそのまま実行し解散したが、実は「帰って来たヨッパライ」がダメなら「イムジン河」があるという真面目路線も検討していたというので、短い時間のゲリラ・デビューの慌ただしさは尋常ではなかっただろう。解散ライブ「破廉恥大宴会」ではアイドルと同じ黄色い歓声で包まれていたが、このアルバムの原盤収入でURC(アングラ・レコード・クラブ)が運営開始され、その後に無数の四畳半フォークを生み出したことはあまり大きく宣伝はされない。この辺は「秘すれば花」のように古式の美徳を抱いていたのだろう。
あがた森魚:乙女の儚夢(ろまん)(1972)

この珍盤がどういういきさつで作られたかは理解しがたい。林静一氏のマンガに影響を受けたというが、全然上品にならないエロチシズムは、どちらかというと、つげ義春氏のほうが近いのではないか。音楽的にはフォークというよりは、アングラ劇団のサントラのようでもあるし、かといって明確なシナリオがあるわけでもない。しかし、結果として1970年代の日本で孤高のコンセプトアルバムになっているのだから、全く恐れ入るばかりである。おおよそ、日本的なものと問うと、男っぷりを発揮する幕末維新だとか戦国時代とかに傾きがちであるが、この盤は大正ロマン、それも女学校の世界をオヤジが撫でるように歌う。オーディオ的に結構難しいと思うのは、生録のような素のままの音が多く、いわゆる高域や低域に癖のある機材だと、おかしなバランスで再生されること。もともとオカシイので気づかないかもしれないが…。
吉田美奈子:FLAPPER(1976)

ティンパンアレイ系のミュージシャンが一同に会したセッションアルバム。ともかくファンシーなアイディアの音像化は、ケイト・ブッシュの先取りなのでは? と思うほどの多彩さ。ファンシーさの根元は、吉田美奈子の移り気で儚い少女のような振舞いに現れているが、それをプログレのスタイルを一端呑み込んだうえでアレンジしている点がすごいのである。特に演奏テクニックを誇示するような箇所はないが、スマートに洗練された演奏の手堅さが、このアルバムを永遠の耀きで満たしている。
ケイト・ブッシュ:魔物語(1980)

数あるブリティッシュ・ポップのアルバムの中でも、個人的に5本の指に入る名盤(オペラ座の夜、狂気、アヴァロン、ホモジェニックなど)だが、音響の多彩さからアプローチに戸惑うもののひとつでもある。ここでのアプローチは、ミックスに溶け込ませた素材音のリアリティであり、それが個々に自然な音調を保つという意味で、近接効果を補正するのみのシンプルなイコライジングにした。神出鬼没な素材音のコンセプトを虫眼鏡でのぞき込むようにしたことで、子供が画く絵のように遠近感のない等間隔に散りばめられた感覚が生まれ、このアルバムのもつ無邪気さや不可思議さを十分に表現できているように思う。
ビョーク:ホモジェニック(1997)

ロンドンでの活動に終止符をうってアイスランドに引きこもった時期に書かれたアルバムで、ダンス・チューンをコアに据えているようにみえて、実はミニマル・ミュージックの系譜を踏んでいると勝手に思っている。日本のシャーマンを装ったジャケ絵も含めて、輪廻を含めた崩壊と再生というテーマを背負っているが、出だしの動機が執拗に繰り返され粘菌や樹木のフラクタル・パターンのように展開していくとき、歌そのものが豊かな伝染力をもってデジタル回路に広がっていくかのような錯覚に陥る。
アーバンギャルド:ガイガーカウンターカルチャー (2012)

時代は世紀末である。ノストラダムスの大予言も何もないまま10年経っちゃったし、その後どうしろということもなく前世紀的な価値観が市場を独占。夢を売るエンタメ商売も楽ではない。
この手のアーチストでライバルはアイドルと正直に言える人も希少なのだが、別のアングラな部分は東京事変のような巨大な重圧に負けないアイデンティティの形成が大きな課題として残っている。その板挟みのなかで吐き出された言葉はほぼ全てがテンプレート。それで前世紀にお別れを告げようと言うのだから実にアッパレである。2人のボーカルに注目しがちだが、楽曲アレンジの手堅さがテンプレ感を一層磨きを上げている。
それと相反する言葉の並び替えで、敵対するステークホルダー(利害関係者)を同じ部屋のなかに閉じ込めて、一緒に食事でもするように仕向けるイタズラな仕掛けがほぼ全編を覆ってることも特徴でもある。それがネット社会という狭隘な噂話で作り出された世界観と向き合って、嘘も本当もあなた次第という責任を正しく主張するように筋を通している。個人的には情報設計の鏡というべき内容だと思っている。
それからさらに10年後、2020東京オリンピックで空中分解した1990年代のサブカル・ヒーローとヒロインの宴を肴にして聴くと、役所もテンプレという壮大なフィクション国造りの構造が見えてくる。キスマークのキノコ雲で街を満たせたら、という願いは決して古びることはないと思う。
さて、かようなすし詰め状態のJ-POPサウンドも、ジェンセンとご対面するとアラ不思議、ドラムの粒立ちもしっかり補完されて、細い声の女性ボーカルも距離が遠のかない、全てがあるべきスケールの音像で再現される。ある意味ジェンセンこそデジタル世代のニューカマーである。
④インスト中心のポップスはいかが?
クラフトワーク:放射能(1975)

舞台で四角いシンセサイザーの前にロボットとなって立つネクタイ姿の男たち、という特異なパフォーマンスで一世を風靡した電子音楽のパイオニアのような存在だが、日本では必ずしも熱狂的に迎えられたわけではなかったように思う。というのも、ユリゲラーやブルースリーに熱狂していた当時の日本において、感情を殺したテクノポップスは夢物語では片づけられない、四角い満員電車で追体験するただの正夢だったのだ。
標題のRadio-Activityというのは、古いドイツ製真空管ラジオを模したジャケデザインにもあるように、レトロなテクノロジーと化したラジオ放送を活性化する物質とも解せるが、原子力が一種の錬金術として機能した時代が過ぎ去りつつある現在において、二重の意味でレトロフューチャー化している状況をどう読み取るか、その表裏の意味の薄い境目にディスクが埋まっているようにみえる。例えば、放射能と電子を掛け合わせたものは原子力発電による核の平和利用なのだが、そのエレクトリック技術に全面的に依存した音楽を進行させたのち、終曲のOHM Sweet OHM(埴生の宿のパロディ)に辿り着いたとき、電子データ化された人間の魂の浄化を語っているようにも見えるが、その楽観的なテーマ設定が何とも不気味でもあるのだ。おそらくナチスが政治的利用のためにドイツ国民の全世帯に配った国民ラジオのデザインと符合するだろう。
YMO:BGM(1981)

一端 日本発のテクノポップのジャンルを決定付けた後に、元の電子音楽風の凝ったアレンジに挑んだ問題作。同じ頃にハービー・ハンコックがヒップホップをおいしく利用した迷作を送り出しているだけに、ラップを揶揄する楽曲もあったり、むしろ混沌とした都市像を再び見つめ直す点で、マイルス・デイヴィスのビッチに似た感触も感じられる。録音のほうは、一端は3Mデジタルマルチで収録した素材を、アマチュア用のアナログオープンリール(タスカム80-8)に通して音調を整えたという。結果は細野晴臣が言う深く柔らかい低音と、アナログシンセのような豊かなグラテーションで混ざりあった有機的なサウンドに仕上がった。コンピューター音を使用することで個性が失われがちと捉えられたテクノ音楽に対し、結局音楽を作り出すのは人間自身であるという解答ともいえる。
木住野佳子:プラハ(2003)

ジャズ・ピアニストと言えば、アクロバットなアドリブを思い浮かべるかもしれないが、チェコの弦楽四重奏団とのコラボということもあって、どちらかというとムーディーなアレンジ力で聴かせるアルバムだ。ジャケットが茶色なのでチョコレートのように甘い感じを想像するかもしれないが、冷戦後の東欧の少し陰湿で苦いコーヒーを呑んでいる感じ。この時期の東欧ジャズの怪しい雰囲気のなかに女性ひとりで乗り込んだときの緊張感を知りたい人は、映画「カフェ・ブダペスト」などで予習しておくことをオススメする。音楽が人間同士の心の触れ合いから生まれることの意味を改めて味わうことになるだろうから。
ECHOSYSTEM:Madaga(2007)

フィンランド産のラテン・ジャズ・アルバムなんだけど、ダンス・エレクトロニカやクラブミュージックのカテゴリーに属する、というとかなりいい加減な感じに思えるかもしれない。しかしKimmo SalminenとJenne Auvinenの正確無比なパーカッションの切れ味を一度味わうと、ほとんどのオーディオ・システムが打ち込みの電子音との違いを描き分けられないで、良質なBGMのように流しているのに気付かされる。ドラムの打音からさらに深みを目指して、ベースの唸りとリズムのキレまで出るようにオーディオのコンディションを調整できると申し分ない。




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