20世紀的脱Hi-Fi音響論(シーズンオフ)


 我がオーディオ装置はオーデイオ・マニアが自慢する優秀録音のためではありません(別に悪い録音のマニアではないが。。。)。オーディオ自体その時代の記憶を再生するための装置ということが言えます。「モノラル・クリプティッド=ロンドン来襲」は、長年頭をもたげているブリティッシュ・ロックなるものに決着をつけるべく、忘れたい黒歴史を必死にこらえながら未来をみつめる初老のオヤジをモニターします。

モノラル・クリプティッド=ロンドン来襲
【根強い人気と都市伝説】
 ポップスの録音品質に見合わないオーディオ学
 録音スタジオのモニター環境
 BBCスタジオ
 EMIのDLSスピーカー
 UKロックが産声を上げた場所
【モノラルはカラフルだった】
 78回転盤への愛着
 電蓄の世界
 海賊ラジオ
 ローファイでも育つ音楽文化
【UKクリプティッドとの遭遇】
 60sロック界のダイナソー
 60sサウンドをニュートラルに聴く術
【ロック・ジェネレーション大喜利】
 マージー先史時代
 スタジオ録音
 BBC~ライブ音源
【日本の家電が担った音楽文化】
 ベストヒットUSAとウルフマンジャック
 ラジカセという強力な味方
 ウォール・オブ・サウンドとテレビCM
 オーディオマニア失格=ラジカセ最高
 進化しない聴覚とオーディオ
【おまけの苦言】
 モノラル録音はモノラル・スピーカーで聴け!
 CD規格への思い
 スピーカーのデザインについて
 フルレンジでおためしモノラル
冒険は続く
掲示板
。。。の前に断って置きたいのは
1)自称「音源マニア」である(ソース保有数はモノラル:ステレオ=1:1です)
2)業務用機材に目がない(自主録音も多少やらかします)
3)メインのスピーカーはシングルコーンが基本で4台を使い分けてます
4)映画、アニメも大好きである(70年代のテレビまんがに闘志を燃やしてます)
という特異な面を持ってますので、その辺は割り引いて閲覧してください。


モノラル・クリプティッド=ロンドン来襲

【根強い人気と都市伝説】

時代は1960年代である。ブリティッシュ・インヴェイジョン(イギリスの侵略)とか、マージー・ビート(マージー川岸のリズム)とか、色々と呼び方があって本当のところよく判らない。はたまたビートルマニアに揉まれた経験のある人なら、それが本当に音楽を聴くための集まりだったのか、色々と思うところがあるだろう。もともとアメリカのブルース歌手に憧れたらしいが、すぐそばにはブリル・ビルディングで盤石のポップスを売りまくっていたような気がするし、そこの違いを正しく把握している人がどれだけいるだろうか? こうした気分のようなものを味わうには、1960年代という不思議なパラレル・ワールドを理解しなければならない。しかして、そのパンドラの箱を開けるにはどうすればいいのか? 転職の準備期間で少し暇をもてあましてる私が考えてみた。

①ポップスの録音品質に見合わないオーディオ学
モノラル・アナログ盤をもてはやすマニアの間では、ビートルズの活動時期と1960年代を重ね合わせて、ブリティッシュ・サウンドの原点について想像を掻き立てられ、今でもビートルズ、ストーンズの人気は衰えることがない。それに加え、1960年代のイギリスと言えば、タンノイ、ガラード、クォード、オルトフォンと、並み居るHi-Fiオーディオのパイオニアを並びたて、Hi-Fiオーディオのメッカのように思ってる人が多く、それらを駆使した最高の音で聴きたいと願うわけだ。
非常に賢明なビートルズ蒐集家でも、希少なEPモノラル盤を聴くのに最大限の礼を尽くそうとするあまり、タンノイIIILz、クォードのアンプ、シュア TYPE-III(あるいはオルトフォンSPU)など、当時でも最高級のもので再生しようとする。いつぞやの「ビートルズはデッカffrrカーヴでリリース」という都市伝説は、あきらかに高域が出過ぎのオーバースペックなオーディオ装置で聴いた結果だったと言える。それも無理がないと思うのは、多くの人はアメリカ経由の赤盤&青盤のベスト盤の出た1970年代から本格的に聴き始めており、いわゆる進歩的なハードロックからプログレに霹靂としてやや保守的になった世代でもある。少しクラシック向きともいえる英国製オーディオで聴き込むのが本格的と思っても仕方ないといえよう。しかしこれから述べるのは、1960年代の録音スタジオのモニター環境は、けしてフラットではなかったという事実である。フラットなスピーカーでは高域が強すぎるので、タンノイだとトレブル・ロールオフでの調整が不可欠である。


タンノイ IIILz:ゴールド時代は高域が力強い(ロールオフ機能が必須)


これと反対に困るのは、デジタル対応にリニューアルしたオーディオ機器への過信である。1970年代に一端は姿を消えたモノラル・ミックスがCDでリイシューされた際に、現在のオーディオ技術は広帯域でフラットな再生は苦も無くできるため、そこを基準としてリマスター音源の音質について語りたがる人が多い。それも大変大勢の人が、CDから出る音はどのオーディオ装置で聴いても同じだと信じて、ステレオ録音と同じ試聴方法でモノラル音源を聴いているのだ。モノラルなので全部の音が中央に定位するように調整しろとか、ニアフィールドでスピーカーを正三角形に配置して顔面の前に展開する音の壁に酔えとか、結構プロ志向の人でもモノラル録音をモノラル・スピーカーで試聴する術(すべ)を知らない。そもそもモノラル録音に適した音響設計に基づいたモノラル・スピーカーを作るメーカーなど21世紀に存在しないのだが、これはモノラル・カートリッジ、モノラル・アンプが根強く製造されているのとは全く逆の冷めた待遇である。実際は、1950~60年代を通じてロックの録音はほぼモノラル・スピーカーでモニターしていた。それもスピーカーを正面に備えず、斜め横から聴くのが普通だった。ミュージシャンよりも録音品質に気を使うプロデューサー、ジョージ・マーチン、アーメット・アーティガンなど全ての人がスピーカーの正面には座ってない。

ジョージは片側のスピーカーの前に居座り、ポールは反対側のスピーカーを聴いている(1963)

モノラルでプレイバックに聴き入るエルヴィス(1956)クリームの面々(1967)

さらに現在のステレオ技術では、詳しくは後述するが、パルス波の再生を鋭く分離しすぎていて、ツイーターの先行音効果とウーハーの重たい反応とが相乗して、モノラル録音特有の一体感のあるサウンドが、高域と低域でバラバラになりトーンバランスまで狂ってしまう。1960年代のロックを聴いて、録音によって高域がキツかったり、逆にくぐもったりするのは、先行音効果を強調したツイーターの設計が合っていないからだ。この点はネットワーク回路のないフルレンジ、もしくは古い設計のフィックスドエッジ・スピーカーなどでは、素直な一波長での波形を画くので、バランスを見失わない。これは1960年代にはスクラッチノイズと混同するため、楽音としてはほとんどコントロールされていない帯域について、音像定位と引き換えにバルス成分をデフォルメして分解能を求めた結果でもある。特にロックのようにビートでの迫力を求めるときには、個人的にはタイムコヒレント特性が重要と考えていて、パルス性の音の立ち上がりにボディ感が伴うには素直な位相の一致が求められる。これは単にイコライザーの調整だけでは解決できず、端的に言うと、現在のステレオ装置はモノラル録音が醜く聞こえるように設計されているとしか考えられない。それはBBCだと1970年代後半から、アビー・ロードでは1980年代以降に採用されているモニターシステムでも同様である。

代表的なモニタースピーカーのステップ応答(左:小型2way、右:大型3way)
(各クロスオーバーで位相にねじれ→大口径ウーハーは200Hz以下が大幅に遅れて強調)


左:フルレンジのステップ応答(整合振動で全体をバランス)
右:我が家の2wayスピーカーのステップ応答(機械バネで強制的に戻す→その間は分割振動なし)


こうした事柄は、第一段階がフラットネスへの信仰、第二段階がステレオ装置への過信、第三段階でデジタル化に伴うパルス波への過剰な反応と、二重、三重の壁を乗り越えなければならない。さらには、モノラルLPとCDの再生方法でも食い違う事柄が多く、両者の溝は益々広がるばかりである(圧倒的にオリジナル盤所有者の地位が高い=入れ込み度の証明となっている)。これでは1960年代のラブ&ピースなど遠のくばかりで、モノラル録音を誰もが楽しめるものとはならないのである。
ところが原点回帰と言ったところで、「事実は小説よりも奇なり」という言葉どおり、1960年代イギリスのオーディオ事情はパラレルワールドそのものだと言っていい。最初にこの手の都市伝説の話の腰を折れるだけ折っておかないと先が進まないので、まずはプロシュマーのほうから言いたい放題での幕開けとする。


②録音スタジオのモニター環境
ちなみにアビー・ロードでは1950年代後半から、まだSP盤(78rpm)が主流だったポップス方面にもBTR1テープレコーダーなどモノラル時代のHi-Fi機材が流れてきて、後のLockwoodを彷彿させる謎のモニタースピーカーが登場する。EMIならタンノイと思いがちだが、1955年以降に英EMIは米キャピトルを完全子会社化しており、EMIは英国内でキャピトルブランドの家庭用ステレオ装置も売っていた(スタジオ2の階段脇にもぶら下がっている)ので、謎のスピーカーはキャピトルのハリウッド・スタジオと同様のEMI仕様のAltec 614タイプ箱かもしれない。
正史では、1955年にEMIスタジオ内にREDD結成 (Recording Engineer Development Department: レコーディング・エンジニア開発部)が結成され、1958年にはビートルズ最初のレコーディングに使われたREDD.37ミキサー(3世代目)が導入されたというが、Malcolm Addeyの記憶だと1959年頃までは最初のRS70ミキサー(1955年製)が使われていたし、1961年のクリフ・リチャードのセッションにはREDD.17(1958年製)が使用されていた。この点からみると、ポップスの録音が行われたスタジオ2では、常にクラシック部門でリニューアルした後のお下がりが回ってきたといえよう。別のアメリカ製機材では、下の中央の写真でのリミッターRS114はキャピトル・レコードのスタジオで使用されていたフェアチャイルド社リミッターの改造品で1957年から実装されたが、こちらはポップスの録音では必須のものなので一番最初から導入されているようだ。ちなみに卓上マイクはReslo RV型リボンマイク、録音マイクはノイマンU47とColes 4038型リボンマイクが2本ずつ一緒に映ってる。一方のプレイバックモニターは1本のみで、演奏の仕上がりの確認ならモノラルで十分だったし、結構大音量で等身大の音量で聴いていた。
ビートルズのスタジオモニターがアルテックだと一般的に知れたのは21世紀になってのことだが、実はEMIは米キャピトルを傘下に収めて以後の1957年頃から、徐々にアメリカナイズしたスタジオ機材でポップスを録音しはじめていた。クリフ・リチャード、あるいはヴァイパーズ・スキッフル・バンドなどが、この時期の成果にあたる。一方で、当時の課題はレコードのカッティングマシーンを駆動するアンプの出力が低かったので、アメリカ盤のようにエッジの効いた音にならず、ノーブルな感じになってしまうことだったという。ビートルズはちょうどその準備期間が終わった後にスタジオ入りしたというわけだ。

1957~59年頃と思わしきアビーロード スタジオ2の様子(既にAltecモニター導入か?)


1956年に新しく建てたキャピトル・レコード・タワー(映画での3chステレオ対応)

ビートルズ初期の1963年のレコーディングでは、主にAltec 605A+612箱でモニターされ、アルテックのシステムは「プレイバック」という商標通りの、録音したてのテープを生のまま聴くという段階のもの。この頃は2トラック・レコーダーでの一発録りなので、録音後にミックスバランスをいじることもほとんどできない。あくまでも演奏の善し悪しを判断するだけだった。そしてスピーカーはステレオ用に2本あったが、メンバーの座っている位置から、ミキサーの右手にあるスピーカー1本で試聴していたことも判ってくる。これはイギリスでもアメリカでもそれほど変わりなかった。

初アルバムのヒットに続くシングル再録セッション(1963、アビー・ロード)
この頃のモニター方法「斜め聴き」:右側のスピーカーでモノラルミックス。

スピーカー(モノラル)の周りで歓談するクリームの面々(1967、米アトランティック・レコード)

やや霹靂とするのは、アラン・パーソンズが「狂気」(1972年6月-1973年1月)をアビーロードでタンノイ(ロックウッド社のアッセンブリー製品)を使ってミキシングしたという噂で、ビートルズをはじめ「タンノイ推し」の虚像がずっと錯綜している。「狂気」が録音された頃には、アビーロードにJBL 4320が既に導入されていて、さらにモノラルチェック用にオーラトーン5cまで持ち込んでいる。様々な意味でプログレの最前線にあったのだが、英国のほとんどの若者が依然としてAMラジオとモノラル卓上プレーヤーで聴いているという実情を、よく呑み込んだ賢い選択ができる人でもあった。


新装したアビーロードで「狂気」編集中のアラン・パーソンズ(1972)
JBL 4320ステレオと中央にオーラトーン5cモノラル


ピンク・フロイドがロックウッドと一緒に写っているのは1968年にトライデント製ミキサーをスタジオ3に導入した頃で、さらにビートルズがアップル社を起業した頃、トライデント・スタジオのセッションではロックウッドでのモニターになる。このとき「ヘイ・ジュード」のセッションで問題が起きて、トライデントでトラックダウンしたアセテート盤(テープの規格違いではない)が、アビー・ロードで聴くとひどく高域が足らないことに気が付き、関係者でかなり揉めたという。
「レコーディング・ザ・ビートルズ」に記載されているケン・スコットの述懐では、トライデント・スタジオでは素晴らしいサウンドだったのが、アビー・ロードで聴くと凶悪な音に変わったので、ジョージ・マーチンに「これはどういうことかな?」 と録音の不備について問いただされた。スコット:「ええと、昨日聴いたときは目を見張るようなサウンドだったんですけど」、マーチン:「昨日は目を見張るようなサウンドだったって、キミはどういうつもりなんだね?」そこでポールが戻ってきて言った「ああ、そうだな。ケンはここのサウンドがクソみたいって思ってるんだ。」一同:「なんてこった」と言いながら(コントロールルームの)階段を下りてヒソヒソ相談しはじめたので、ケン・スコットはもうこれで死んだと思ったらしい。
結果的には録音はOKとなり、問題はアルテックのモニターに原因があるということが判り、イコライザーで補正することで事なきを得た。この件があって、アビーロード・スタジオは1968年に全モニターをLockwoodに変えることを決定した。

左:トライデント・スタジオ(1967)、右:アビー・ロード Studio3でのピンク・フロイド(1968)
共にトライデント社カスタムメイドのミキサーとロックウッド社のモニターを使用


これには2つの問題があって、EMIでのAltec 605Bは高域がロールオフしており、テープにトラックダウンしたトーンバランスは、フラットなモニター環境で聴くと高域が強めになっていた。これが1960年代初頭からのデフォルトの設定だったか、経年劣化で高域が落ちていたかは不明だ。
ちなみに1949年のAltec 604Bは以下のように高域が落ちて設計されていたし、タンノイのモニター・ゴールドでも民生機にはトレブル・ロールオフが付いていた。しかし、ほとんどのタンノイユーザーは、高域をロールオフなどさせるのは邪道だと思っているだろう。

左:Altec 604B(1949)、右:タンノイ モニター・ゴールド(1967)

別の面で捉えると、当時最も売れたステレオスピーカーである米アコースティック・リサーチ社には、「Flat」より高域を減じた特殊な「Nomal」モードがあり、よく東海岸のオーディオ理論の特異性が議論された。日本ではNHKモニターをはじめフラットでの検聴が基本だったので、高域をロールオフさせるのはHi-Flののイロハから免脱したものと理解されていたからだ。これも1970年代に日本を訪れたタンノイの重役が、日本のスピーカーの音調は高域が強すぎるとし、「日本のスピーカーエンジニアたちは、西欧のナマの音楽を、できるだけ多く聴かなくてはならないと思う」とコメントしたことと重なる。KEFに至っては「日本のスピーカーの音はとてもアグレッシブ(攻撃的)だ」と言った。いきなりハシゴを外された印象だが、実は1960年代から徐々に軌道が逸れていたと考えるのが妥当である。
ところで、モータウンをはじめ東海岸の録音エンジニアは、スタジオに置いてあるアルテックなどのモニタースピーカー(いわゆるプレイバックモニター)とは別に、テープを自宅に持って帰ってARやKLHなどのスピーカーで最後の音決めをしていた。モータウンの編集ルームは、演奏時のコントロールルームとは別室にあり、そこではAR-3がステレオで、Altec 604Eがモノラルで置いてあった。今でいうマスタリングのはしりのようなものだが、EMIではまだそういうことは行われていなかったと言えるだろう。

1960年代後半のモータウンのミキサー室
Studer C37 8chオープンリールでダビングしながらミックスダウン
両脇に逆さ置きのAR-3a、中央にAltec 604Eモノラル


アコースティック・リサーチ社の東海岸サウンド

一方で、レコード盤にカットする段階では、イコライザーで高域を落としているか、もしくは当時のポータブル・レコードプレイヤーの特性に合わせ高域を持ち上げたままにしたか、そうしたサジ加減がステレオLPとモノラルEPとのサウンドの差となっているかもしれないし、俗にいうデッカ・カーヴ伝説にも通じる話である。これがさらにデジタル・リマスターで最新のモニター環境となると、事柄はもっと複雑にならざるを得ない。このデジタル化に伴うモニター環境の変化は、パルス波による先行音効果のデフォルメとサウンドの一体感の喪失などがあり、これによる弊害は後ほど詳しく述べる

1960年代の英国では標準的だったポータブル・レコードプレイヤー

ソノトーン社 9Tステレオ・カートリッジの特性(78rpmコンパチ)

EMI 92390型ワイドレンジユニット


ちなみにデッカのスタジオ2では、コントロール・ルームのガラス窓の上壁に、タンノイでも民生機のコーナーヨークを横向きに固定しており、1967年のマリアンヌ・フェイスフルのアルバム製作で、ポールとミックが製作協力している様子と一緒に写り込んでいる。ここでもEMIと同時期にロックウッドを導入している。


デッカのロンドン・スタジオ:スタジオ2の窓の上にコーナーヨーク(1967)

1960年代末に機材を入れ替える前後のデッカ・スタジオ1(左:1962頃、右:1969頃)

お気付きの方もいるかもしれないが、この1968~69年にかけてUKロックの音質は洗練されたものへ変化した。何となくステレオ録音としてこなれてきたというか、違和感がないという人が多い。ここがマージー・ビートと呼ばれたド根性でロックを奏でた青春時代にピリオドを打つことになる。
よく1967年のサマー・オブ・ラブ以降のフラワームーブメントが、ロックの汗臭さを拭き取ったように言われるが、スタジオ内でもそうさせるファクト(事物)は存在したのである。あるいはミキサーが従来の真空管方式から、NEVE社をはじめとするトランジスター方式に変わったことにより、音が冷めてしまったとも言われるが、トーン・キャラクターまで変わったという事例は極めて稀だといえよう。色んな意味で1967年と1968年の間には、時代の変わり目を示すピリオドが打たれているのだ。一方で、それまでの5年余りの時間でポップスの世界地図がロック中心に変わり、ド根性サウンドはオルタナ系として何度も再起することになる。

③BBCスタジオ
よくヨーロピアン・サウンドを志向するオーディオマニアは、EMIとBBCは同一視されることが多い。理由は1970年代に開発されたLS3/5aやLS5/8などのBBCモニターが、タンノイ以外に見るべきものなかったHi-Fiスピーカーにいい意味でバリエーションの豊かさを与えているからだ。ハーベスHLコンパクトなどは、輸入品としては良心的な価格で日本の家屋にも丁度良いサイズであったことから人気があった。
それ以前の1960年代のBBCモニターは、EMIの協力のもと始めたFMステレオ放送の実験に際し、従来のLSU/10に変る新しいモニタースピーカーの開発に着手した。セレッション社はHF1300などの高性能なツイーターを開発し、自社製品のDittonシリーズのほか、BBCモニター三代目となるLS5/1に採用された。このとき周波数は13kHzまで。1960年代前半の放送はモノラルなので、モニター、ダビングすべて1本で行っていた。このLS5/1は250台ほどしか製作されず、基本的にはFMでのクラシック収録のために使用された。

BBC LS5/1(1960年)ウーハーはGoodmans製、ツイーターはCelestion製HF1300


これをさらにスリムにしてステレオ試聴しやすいように、スーパーツイーターを追加したのが、1969年開発のLS3/6(BC1)だ。この頃になると、レッド・ツェッペリンのライブ収録などが行われ、レコーディング技術も世の中と同じレベルに並ぶようになる。こうしたレコードは非売品ながら海外の放送局に配信され、世界中のFM放送で流れた。つまりポップスでも、Hi-Fiなステレオ放送を前提にした録音がBBCで始まったのだ。いわゆるオーディオのお手本のように言われているBBCモニタースピーカーは、1960年代にはあまり海外では知られず、1970年代のKEF、Rogersの新しいステレオ用スピーカーを指しているのだ。

FMステレオ放送が一般的になった1970年代初頭のBC1モニター


では、1960年代のBBCの軽音楽スタジオではどうかというと、ビートルズ時代のポップス番組の収録では、依然としてLSU/10が使われていた。これは1949年に開発されたモニタースピーカーで、パルメコ社の同軸2wayを搭載したものだが、このユニットは単体では8kHzまでが周波数の限界であり、AM放送のためには十分な帯域だった。同時期にテストされたタンノイ、アルテック、RCAのHi-Fi向けの最新同軸2wayはことごとく不合格となった。FMの試験放送が始まった1955年頃からは、よりHi-Fiのニーズを満たすために独ローレンツ社のツイーターを追加したが、1960年代のBBCの軽音楽番組はAM放送が中心だったので、LSU/10は帯域内を濃密に再生する点で、ちょうど良かったのかもしれない。

BBCの人気番組"Saturday club"で駆け出しの頃のBernie Andrews氏
左:合間にビートルズと談笑 右:最初はテープの頭出し係だった

Parmeko 単体の特性:50~8,000Hzという特性だが音のキレは強い


ビートルズ1963BBCパリ・シアター(ボーカルAKGD160、ドラムSTC 4017、LSU/10をPAとして使用?)


ちなみにLSU/10のエンクロージャーはLockwood社が製作し納品しており、後の1967年からタンノイのユニットを実装したモニタースピーカーがトライデント、アビー・ロード、デッカと幅広く導入された。この頃にはBBCは本格的なステレオ放送に向け独自のモニタースピーカーを研究していた。現在よく知られるLS3/5a、LS5/8、BC1などの一連のBBCモニターのシリーズである。よく1970年代のBBCモニターがブリティッシュ・サウンドの代表例として言われるが、ステレオ放送への移行後のことで、1960年代はまだモノラル音声との共存を模索していた、もしくは下位互換性に足をとられていたというべきかもしれない。
この1960年周辺のBBCのHi-Fiへの舵取りの加減が、実はイギリスの1960年代ロックの録音に大きく圧し掛かっているように思えるのだ。確かに、1947年開発のTANNOYのデュアル・コンセントリック型スピーカーの先進性が浮き彫りになり、Hi-Fi録音の創生期にDeccaに納入されたという伝説的な話とリンクしはじめるのだが、このような近代的なスピーカーで聴くと、60年代のロックはどう考えても周波数バランスがおかしい。その理由が、庶民向けのラジオとその延長線上にある電蓄スピーカーのようなのだ。

④EMIのDLSスピーカー
同じく1960年代初頭に、レコード会社であるEMIからは、電蓄スピーカーとの折衷的な製品が発売される。DLS(Dangerous Loud Speaker)と銘打ったシリーズで、ステレオ録音の普及が進まない状況に業を煮やして、1960年に店舗試聴用の小型で高性能なスピーカーを開発したのだ。よくアビーロード・スタジオで使われていたと言われるが、ビートルズのレコーディングにEMIのDLSスピーカーがスタジオに持ち込まれた写真が1枚だけあり、おそらくイギリスの家庭用に、と気を利かせたようだが、ほとんど使わなかったようだ。ただしキャピトル名義のスピーカーはトークバック用に使っていた形跡がある。

EMIが満を持して出したステレオ用DLSスピーカーシステム

初アルバムのヒットに続くシングル再録セッション(1963年)
ジョージが片方のスピーカーに陣取っているのはモノラルミックスのため。

ポールの後ろに置かれたEMI DLSスピーカー(目線は遠くのAltec)

Capitolスピーカーはトークバックで使用:プレイバックはコントロールルームで(1963)

ところで、DLSスピーカーのベースとなる92390型 楕円フルレンジは、大きさは13×8インチ(40×20cm)、中央辺りは金属製となっておりメカニカル2wayの一種だが、帯域は7kHzまで。EMIのDLSスピーカーに搭載された楕円フルレンジにはいくつかのバーションがあって、150はダブルコーンでツイーターなし、319は同軸2way、DLS529はツイーターを2個搭載した高級型だった。楕円フルレンジは1946年からHMV銘柄の電蓄に搭載されたもので、かつて最高級電蓄 Electrogram De Luxeにはデッカのリボン型ツイーターが搭載され、これはウォルター・レッグが世界最高のスピーカーを開発しろとの鶴の一声で始まったもので、その技術がステレオ時代に流用されたことになる。
後にこの楕円フルレンジは、デッカのステレオ電蓄 デコラにも使用され、五味康祐の78回転盤でも良い音で鳴るという話に戻るわけだ。しかし五味先生は根っからのクラシック党。同じ時代でも当時のポップスの話とゴチャマゼにすると、実は話が噛み合わないが、いわゆるSP盤との共存という意味では、イギリス人の一般的傾向と辻褄が合う。ラジオや78回転盤との相性を保持するため、低域はウーハー専用ユニットではなく、フルレンジ+ツイーターという折衷的な2wayが好まれた。このEMI製ユニットは日本にも輸入されたのだが、見掛けが国産テレビに付属のスピーカーと遜色なかったし、そのアンプ部もECL83のプッシュプルだとか、カートリッジもクリスタルカートリッジよりは少し良い程度。パーツだけみれば、同じ価格の国産品よりずっと劣るものばかりだった。

ステレオ時代のHMVショップ(1960年代)
オーディオ・コーナーの中心はEMI-Captol製ステレオセット、左隅にQUAD ESLモノラル


EMIが製造したCaptolプランドのステレオセット(1959)
EMI製楕円ユニットにECL83プッシュプル、プレーヤー部はガラードRC121 mk II


デッカ ステレオ・デコラにはEMI製ユニットが採用された(1959)

HMV Stereomaster 2018(1965年製、ジミ・ヘンドリックスはデビューした頃)
既にトランジスターを使用していた


EMIの同軸2way楕円スピーカーの特性(日本でも販売されていた)


⑤UKロックが産声を上げた場所
以上のように、ブリティシュ・インヴェイジョン以後のUKロックについて、最高の音で聴きたいという願望のもと、録音スタジオのモニター環境、BBCラジオのポップス番組、さらにはEMIとHMVの高級ステレオ電蓄などを散策したわけだが、個人的には当たらからず遠からずという感じだ。というのも、どの有名スタジオも家庭用オーディオを意識して高域のロールオフした特性だったと類推されるし、BBCモニターはまだAMモノラル放送、さらにEMIのDLSスピーカーはその意気込みとは反比例して、78rpm盤コンパチの下位互換の仕様をとるなど、スペックだけみると最高とはとても言い難い状況が浮かび上がる。喩えて言えば、それらはレコードの品質を保証するうえでひとつの基準となりうるものの、ちょうど産婦人科の病院と似て、産声を上げた場所が生まれ故郷と言えないように、むしろ子供時代に育った社会環境のほうが重要な意味をもつものと思えるのだ。その意味では、草の根のコンシュマーの側にこそ、その価値観を醸成した理由を見出す必要があると思う。



【モノラルはカラフルだった】

イギリスの若者のほとんどはモノラルでしかロックを聴かなかった。ではそれがセピア色の写真のようなのかと言うと、ジャケ絵のほとんどがそうであるように、カラフルな質感でしっかり残っている。実はモノラルに抱く印象がどうしてもAM放送の音色から離れられず、1960年代のリアルな存在とが乖離しているのが現状である。このため、サウンドのリアリティを求めるとき、最初の壁がこのモノラル録音の再生方法になる。




"Swinging London"を特集した米TIME誌1966.4.15号、Carnaby Streetの若者たち

少し年上のモッズ世代の三種の神器は、ピアッジオ社のスクーター「ヴェスパ」、ダンセット社のポータブルプレーヤー、マリー・クワントのミニスカートである。実はモッズの兄ちゃん姉ちゃんには、ファッションをはじめとする行動様式としての文化はあったが、文学とか映画というとカラッきしと言ったら失礼だろうか。マージー・ビートは、少し遅れてやってきた若者の本音というものをようやく言葉にしたともいえる。

スカのレコードに付属してたステップ指南、Dnasette社レコードプレーヤーの公告

左:ノッティングヒル・カーニバルでスカを踊るジャマイカ移民(1959):前年に人種暴動があった
右:カーニバルが公式に開催されたのは1968年から(写真は1972)


1960年代イギリスは経済成長率こそ低かったが失業率は低かった

では、1960年代のイギリスの若者がどうやってロックを楽しんでいたか、その家庭の事情も含めコンシュマーの側から60sクロニクルを編んでみよう。

①78回転盤への愛着
実は1960年代の英国の一般家庭は全然ケチんぼで、戦後の復興期から抜け出せず「イギリス病」ともいわれる経済成長率の低迷に悩まされていた。1960年代でも78回転盤はまだまだ売れていたし、英国内向けのシングル盤がモノラルであったというのは常識となっていえう。この難解きわまる前提に立ちはだかるのは、イギリス人に特有のSP盤への愛着だ。五味康祐「オーディオ巡礼」には、1963年にイギリスを訪れたときのこととして次のように述べている。

「英国というところは、電蓄に対しては大変保守的でケチンボな国である。アメリカや日本でステレオ全盛の今日でさえ、イギリスのレコード愛好家はまだ七十八回転のSP(LPのモノーラル盤ではない!)で聴いている。市販のカートリッジも、SP・LP両用でなければ売れないという。ロンドンにも現在シュアーのカートリッジは市販されているが、V15のⅡ型はおろか、V15すら部品カタログに載っていない。高価なV15など誰も買わないからだ。それほどケチンボな国だ。オルトフォンはさすがに出廻っている。しかし殆ど月賦販売用である。SPU/GTが二十三ポンド――邦貨にして二万四、五千円見当だろう――それを十ヵ月払いの月賦にしなければ誰も買ってくれない。そういう国民だ。」


ロンドンHMVショップの試聴コーナー(1950年代後半)
33/45回転は買った人だけ、78回転は無料で好きなだけ試聴できた


1955年の戯画「店頭で78回転もステレオも推すなんて!どう対処すりゃいいんだ?」

そのぬるま湯に浸かったような世相と、そこから尖った感性をもった若者とのジェネレーション・ギャップが音楽になったと思えば、なんとなく空気が読めるだろうか。欧州での戦争には勝ったが、それだけで年金生活に浸れる年齢層と、たいした仕事もなく未来も見通せない若者との世界観の溝でもある。その意味で、貧困と差別にあえぐ黒人ブルース歌手のダミ声が胸ぐらを掴まれるように響いたのは、何となく合点がいくのだ。

②電蓄の世界
百花繚乱にみえる英国のHi-Fiオーディオ機器のほとんどは、一部の上流階級か海外向けの特産物であり、イギリス国民のお茶の間に届くことは稀であったということ。そして多くの人が電蓄(Radiogram)を愛し、RIAAになった後も78rpm盤を大切に聴いてい。Garrardのプレイヤーに78rpmがあるのは当り前、QUADの1967年発売の33型プリアンプ(トランジスター式)にさえ5kHzのハイカットフィルターを装備していたくらい。それがレコードをこよなく愛するイギリス人の常識だったのだ。しかし、このポータブル・レコード・プレイヤー、結構いい味出していると思いませんか?


当時最も売れたDansette社 TempoとBermuda
 
自宅でレコードのチェックをするRoger Daltrey

ライフスタイルに馴染んだポータブルレコードプレーヤー

ポータブル・プレイヤーの多くは、BSR社のターンテーブル、セラミック・カートリッジ、ECL82のシングルアンプ、8x5インチの楕円フルレンジユニットの構成で、張り出している箱の部分からすると、卓上ラジオとターンテーブルが一体化したような構造だ。

セラミック・カートリッジは、78回転盤と33/45回転盤の両用で、ノブを回転させると切り替えられるタイプが長い間使われた。セラミック・カートリッジは、自身がイコライザーと同じような特性をもっており、イコライザー・アンプを必要としないため、廉価で済ませることができた。公称の周波数特性は30~15,000Hzだが、実際は8kHz前後で急激に減衰する。78回転盤の時代と違いはそれほど大きくないというのが実情で、ステレオ時代のカートリッジは、クロストークは20dB程度、6kHzより上はほとんど分離しないというものだ。これがピンポンステレオを再生していた初期ステレオ録音の限界だった。しかしこの仕様で、家庭用のポータブル・プレイヤーから商業施設のジュークボックスまで、皆が音楽を楽しんでいたのだ。それは実際に聴いてみると、高域も低域も過不足なく鳴り響くことが判る。

ソノトーン社 9Tステレオ・カートリッジの特性(この代替品Astatic 17DはRock-ola製ジュークボックスで使用)

アンプはECL82もしくはECC85+EL84のシングルで、1.5Wのとても簡素なアンプ。これで8x5インチの楕円フルレンジを鳴らしたのだ。楕円ユニットは当時のラジオにもよく使われていたもので、EMIの高級ユニットでも、6kHzから減衰して8kHzまでというもの。一方で、2~4kHzにピークがあり、これが音の明瞭度を上げている。

Dansette社のポータブル・プレイヤーのアンプとスピーカー

EMI 92390型ワイドレンジユニット

③海賊ラジオ
BBCラジオでビートルズの生演奏が流れたのが1963年以降。この頃、BBCが軽音楽を流すのは一日のうち45分だけ。それにレコード会社の売り上げが落ちるからと団体が政治的に圧力をかけ、レコードをそのまま放送することは硬く禁じられていた。いわゆるDJなるものはBBCにはいなかったのだ。これに飽き足らない若者たちはルクセンブルクのラジオを短波で試聴するのが流行だった。知っている人は判るが、短波は電波が安定しないと音声が波打ち際のように大きくなったり途切れたりで、音楽の試聴にはあまり向かない。これに目を付け、アメリカ風に24時間体制でレコードをかけまくるラジオ局のアイディアを実現すべく、英国の法律が行き届かない公海上の船舶からゲリラ的に放送したのが、1964年から始まった海賊ラジオRADIO CAROLINEだった。


Radio London 1137kHz(266m) 機材のメインはデモテープも兼ねた8トラック・カセットだった

またたく間に若者の心をつかんだ海賊ラジオは、当時20局以上も現れ、次第にレコード会社も売り出し前のバンドのデモテープを横流しするなどして、新しいポップシーンを牽引した。テープはオープンリールではなく、カーステレオ用に開発された堅牢な8トラックカセット(初期の業務用カラオケにも使われていた)で供給された。当時の船内スタジオには、山積みのカセットテープがみられる。

8トラックカセット エンドレスで再生できて便利だった

しかし試聴環境はここでもAM放送で、しかも電池で動く携帯ラジオが結構人気だった。使用スピーカーは電蓄と同じ楕円スピーカーで、8kHzの攻防は若者文化のなかで依然として根強く、最新のミュージックシーンを牽引していた。

当時人気だった英Bush社 TR82

英Roberts社のバッテリー駆動型 携帯ラジオ

海賊ラジオは1967年に法改正で一掃され、変ってBBCでトップギアなどのロック専門番組が、海賊ラジオの元DJによって始まった。この頃からBBCセッションは、アルバム発表前のスクープという様相を帯びるが、これこそ海賊ラジオのスタイルだったのだ。1960年代を通じてイギリスのポップシーンの牽引役はラジオだったが、おそらく、上記のポータブル・プレイヤーの立ち位置は、同じようなアンプ&スピーカーで聴いておりながら、AMラジオよりも鮮明な音という位置づけだろうか。それより高級なシステムでの試聴は、造り手からしても想定外だった。イギリスの若者は、最新のトレンドはラジオで味見して、気に入ったらレコードを買うというパターンで、それでも健全に音楽が育っていったのだから、時代特有の情熱があってのことだったと思う。

④ローファイでも育つ音楽文化
こうしてみると、イギリス国民が、LPの発売された1950年以降から1960年代の前半にかけて、立ちはだかる電蓄の巨大市場の壁を乗り越えるのに、かなりの時間を要したことが判る。ビートルズのLPを買おうと殺到した人の多くは、電蓄の名残が強い8kHzまでの音響をさまよっていたと考えられる。しかし上に見るように、そういうスピーカーでも生き生きと鳴る工夫が、60年代前半の個性あふれるサウンド(言いようによってはヘンテコな音)に秘められていたようにも思うのだ。こうした広いリスナーに聞かれた60年代の音楽は、オーディオ的な素養にピントを合わせるのが難しい。アラが見えないようにピンボケだと詰まらないし、何でもはっきり見えてもアバタだらけ。歪みを極端に嫌う今風の洗練されたステレオ機器で聴くことで、かえって評価を下げることも十分にありえるのだ。

よく「明るい音でポップス向け」という言葉を聞くが、ドンシャリの音を好むオーディオ初心者を揶揄しているような言い回しで、ポップスに理解のない(良識のない)人の上から目線の言葉と思ったほうが良い。むしろ話は逆で、ローファイな機材でも心地よく聞こえるように調整されたサウンドなのだ。それを20kHzまでフラットなシステムで大音量で聴いて批評するのだから、「こういう音を若者は好んでいるんだな」と勝手に思っているだけ。ポップスを聴くのに、1960年代のイギリスの若者は、ラジオやポータブル・プレイヤー以上の大げさな装置でレコードを聴かなかったし、それでもロックの変革を牽引できたのだ。

1980年代との僅かな違いは、1960年代が古い戦前の音響学に沿っていて、まがりなりにPAのような開かれた音響と歩調が合わされていた点だ。そこがインナー型ヘッドホンが音楽業界を牽引した1980年代とのサウンドの違いがあり、現在では周波数特性が全く逆の両翼が強調された録音が好まれている。こうして1960年代のサウンドは化石となっていった。どっちが正しいというよりも、現状を認識しておくことは必要だと思う。



【UKクリプティッドとの遭遇】

【60sロック界のダイナソー】
以上のような、電蓄、ラジオ、ステレオと、当時のイギリス人が聴いたであろう家電製品を眺めながらも、ビートルズと同じ世代のミュージシャンたちが最も憧れていたのは、アメリカ製のジュークボックスであったといえる。ジョン・レノンやリンゴ・スターは、自分でお気に入りのプレイリストを持っていて、ポールとジョージはWurlitzerのレプリカが出た1990年代にお揃いで購入している。他にはマーク・ボラン(T・レックス)も1960年代初頭に製造されたRock-ola製ジュークボックスと一緒に過ごした。この憧れの度数は、実はイギリス国内でのジュークボックスの台数の少なさと反比例していて、販売代理店が得られぬままレコード業界に阻まれてなかなか浸透しなかった経緯がある。以下の1940年代生まれのミュージシャンたちのまるで昔馴染みの親友のように打ち解けた表情をみれば、ジュークボックスがもつ魔性の響きがどういう意味をもったかを理解することができよう。そしてゆくゆくは、このリストのなかに自分のレコードが載ることを夢見ていたのだ。

グラムロックの教祖もRock-ola製のジュークボックスの前でてポーズ
ニューヨークに移り住んで念願のSeeberg社のジュークボックスを買ったジョン・レノン
Wurlitzer製のレプリカが発売された1990年代に購入したポール・マッカートニー


このように、ジュークボックスは当時のイギリスには数が少なかったため、生態を示す文化としては、ほぼ未確認生物(クリプティッド)に相当して見過ごされていたが、むしろ憧れの対象としては十分に魅力的なアイコンと化していた。変わり種のTV番組としてJuke Box Jury (BBC1 TV:David Jacobs司会1959-67)があり、最新のポップスをジュークボックスで聴いて、ヒットするかしないかをゲストのコメントを交えて判定しようとする番組だが、ビートルズやローリングストーンズなども審査員として出演していた。ただし採点のほうは全員そろってNGを出すなど、辛口なところもあったらしい。


ではジュークボックスはどういうパーツで組みあがっているかというと、電蓄と同じセラミック・カートリッジに、30cmのエクステンデッドレンジ・スピーカーを基本にコーンツイーターを足すだけというものだった。ただ音響規模のほうは、6L6やEL34のプッシュプルで30W相当、30cmユニットもPA用のものを2機搭載するなど、広めの店舗などの商業施設で使える出力をもっていた。



1960年代からセラミック磁石&コーンツイーターになったジュークボックス(Rock-ola Capri, 1963)
左上:ジュークボックスと一緒にポーズをとるレイ・ディヴィス(キンクス)(1984)
左下:マイク・マックギア(ポール・マッカートニーの弟)(1974)
右下:ノッティングヒルのパブ「ピス・ハウス(小便小屋)」(1969)

このため、この分岐点に立つ1960年代初頭の試聴スタイルに戻すために、具体的にはジュークボックスの音響設計に沿うことで、この1960年代のカオスを読み解こうというのが、ブリティッシュ・ロックと親密に触れ合うための私の見立てである。それは、腰でリズムを取るような、等身大のボディをもった、生のままにロックを再生できる装置の再構築である。結果としては、Tannyを買えるようなアッパーミドル層の嗜好とは少し距離を置いて、もっと貧しさと悦楽を共有していた1950年代との連続性への理解をもったシステム構成である。
つまり日本でのオーディオ観でどうしても越えられなかった壁は、まさにステレオを買えるかどうかの経済的な壁であり、ステレオを買える中流家庭以上のサラリーマン世帯は、それにふさわしい文化的向上心をクラシック鑑賞やジャズに向けていったところにある。そっちのほうが芸術的で一流に思えたといえば判りやすいだろう。一方では、R&BもR&Rも方向性は経済的には草の根から盛り上げようとする姿勢であり、裾野に広く根付く方向に向いている。自分なりのシングル盤のプレイリストの構築は、ミュージシャンの名刺代わりにもなったのだが、そのフィジカルな部分はジュークボックスを頂点として築かれていたのだ。残念ながらスタジオモニターではなかったといえよう。


【60sサウンドをニュートラルに聴く術】

さて、長々と前置きを書いて何を言いたいかというと、絶え間ない進化を求めてきたオーディオ業界にとって、1960年代の録音技術に普通という言葉が全く見当たらないという驚くべき事実である。これは私がこのホームページをはじめた切っ掛けともいえるが、世の中にある数多の名演奏の数々は、それらを一緒に聴いて自然に思わせる真のフィデリティに根差したオーディオ装置というものが、ほとんど存在しないのである。それはオーディオ製品が各自の美点を強調すれば強調するほど、音楽の録音された時代背景や文化形態から乖離していくというトラウマに包まれて行く歴史だったと言えよう。
そもそもアビーロード・スタジオでも、イギリス的な何かですべてが成り立っていたかというと、意外にアメリカンなテイストを取り入れながら、さらにバンド毎が独自のサウンドを目指していた。これにデッカ、フォンタナ、パイなど数多のレーベルが混ざり込んで、ブリティッシュ・ロックのサウンドキャラクターは、まるで玉虫色の状況だと言えよう。このようにステレオが当たり前、録音技術が成熟していた1960年代でさえも、ロックやポップスをできるだけ高音質で聴くということは想定外だった。
一方で、1970年代以降の録音技術の進展においては、タンノイもJBLもクラシックとジャズに限定した開発目標をもっていたわけではなく、新しい時代のロックや電子音楽を貪欲に取り入れていた。だからといって、これらのスタジオ機器が1960年代のブリティッシュ・ロックと相性が良いかというと、少し上から目線で録音品質を眺めているような気がする。反対に時代を遡って、ジャズ愛好家が好むようなアルテック、ジムラン、マッキントッシュというのは高価な割になんだかなぁと思うし、英国製のワーフェデールやグッドマンズも生ぬるい。というわけで私自身は、ジュークボックスの音響設計をお手本にしたポップスの再生を軸に、もっと安価で基本的なパーツ構成で自己流のサウンドポリシーを組み上げている。むしろ個性的なのは、それがどの時代の録音であってもニュートラルな音で聴けるという点である。

①使用機材のプロフィール
では、並み居る歴史的録音たちにニュートラルに接するための私のアプローチはというと、CDというデジタル音源をもとに、1950年代ミッドセンチュリーの音響スタイルを再現するというものだ。しかもモノラルで聴く、たとえステレオ音源であってもモノラルにミックスして聴くということで着地点を見出してる。


残念ながら現在、モノラル再生用のオーディオ装置なるものはどこにも売っていない。そこで私なりの経済感覚でモノラル・システムを組む、それも全て現在製造中の新品で揃えようと、バラバラの状態のものを取捨選択したのが現在のシステムである。CDプレーヤーだけ値が張るものを選んでいるが、キモとなるスピーカーはユニット代が1万円を切るし、アンプなどもっと安いものを購入してから、ゆっくり揃えていっても良いと思う。まさにプアマンズ・オーディオそのものであるが、むしろ広い時代の録音にフランクに付き合えることもあり、音楽ソフトの購入代金の捻出に励むべきだと思う。

品番 価格 用途
Jensen C12R \7,180 エクステンデッドレンジ・ウーハー
Visaton TW6NG \2,214 コーンツイーター
ウーハー用後面解放箱 約\30,000 Altec 618型(ヤフオクで購入)
サンスイトランス ST-17A \929 ライントランス
YAMAHA MG10XU \28,800 ステレオ→モノラル、リバーブ
BEHRINGER CX2310 \15,800 チャンネルデバイダー
DENON PMA-1500RE \69,800 ステレオアンプ(店頭価格)
Laxman D-03X \254,600 CDプレーヤー
ニトリ スタッキングスツール \6,990 ウーハー用足台
猫用エサ入れ \1,499 ツイーター用置台
総計 \417,812


音源をCDに絞っている理由は、再生方法を統一するためである。1980年代までのアナログ機器は、レコード盤だけでも10インチ78rpm、12インチ33rpm、7インチ45rpmと様々な規格があり、それぞれ蓄音機、電蓄、ステレオと、時代によって姿形が変わっている。放送音源だってラジオはAMモノラル、FMステレオ、テレビはFMモノラルと、家電の種類で違う。さらにはカセットテープ、オープリール、8トラ等々の録音機材による規格もあったり、これらを別々の再生装置を購入して聴いていたのだ。時代を経てこれらの再生機器も製造中止になった後、これらを同質の音楽ソースとして一元的に取り扱うのに、CDというフォーマットは実に便利な媒体だと思っている。このため私のこのサイトの話題は、CDでのアーカイヴ形成が根本にあり、そこから派生してオーディオ装置をどうしようか? ということで終始している。2020年代になってアナログ盤はブームとなり、新録音でも積極的にレコードでリリースするミュージシャンも増えているなか、私は未だにCD再生に固執していると言っていい。

CD音源を取り巻く骨格となるオーディオ機器は、生真面目な日本製品で固めている。
CDプレーヤーはラックスマン D-03Xを使っているが、かつてNHK-FMで聞いたような肉厚で物腰の柔らかい躍動感(デンオンの業務用CDプレーヤーDN-960FAを思わせるような安定感)が備わっており、古い録音でもニュートラルに再生できる点で重宝している。

プリメインアンプのデノン PMA-1500REは、モノラル2wayスピーカーをマルチアンプにして使っている。新しいサウンドシェフが入る直前のモデルで、ミッドロー帯域に腰の強さをもつ少しアメリカンな気質が気に入っている。

卓上ミキサーのヤマハ MG10XUは、ステレオ音源をモノラルミックスに使う用途と、簡易なデジタルリバーブで音場感をコントロールするのに使っている。もとはカラオケ大会でも使える簡易PA用なのだが、心臓部となるオペアンプは自家製チップを使いノイズレベルが低く音調がマットで落ち着いてる。


ちなみに私はステレオ録音もモノラル・ミックスして聴いている。1960年代のブリティッシュ・ロックについて「モノラルなのが残念」という言葉はようやく消え去ってせいせいしているのだが、60年代前半のステレオ録音というと「ピンポン・ステレオ」と揶揄されたように、左右が全く別々の2チャンネル・モノラルと言われるものだ。ボーカルもギターも左右のどちらかに振り分けられており、ステレオの音場感なんてクソくらえという感じのものだった。そのため、モノラルのほうが精神安定的にもよいわけで、なおかつ音像もしっかりして迫力があるとなれば、良いこと尽くめなのだ。
モノラル化をどういうやり方で処理しているか疑問におもうかもしれない。実はこの件は難問中の難問で、多くのベテランユーザー(特にビンテージ機器を所有している人たち)でも、なかなか満足のいく結果が得られないと嘆いている類のものだ。

ステレオ信号のモノラル合成の仕方は様々で、一番単純なのが2chを並行に結線して1chにまとめるもので、一般的には良く行われてきた。しかし、この方法の欠点は、ホールトーンの逆相成分がゴッソリ打ち消されることで、高域の不足した潤いのない音になる。多くのモノラル試聴への悪評は、むしろステレオ録音をモノラルで聴くときの、残響成分の劣化による。
次に大型モノラル・システムを構築しているオーディオ愛好家に人気があるのが、ビンテージのプッシュプル分割トランスを逆に接続して、2chをまとめる手法で、巻き線の誤差のあたりが良い塩梅におさまると、まろやかなモノラルにできあがる。しかし、これもプッシュプル分割用トランス自体が戦前に遡る古い物しかなく、そのコンディションもまちまちで、当たりクジを引くまで1台5~10万円もするトランスを取っ換え引っ換えしなければならず、一般の人にはお勧めできない。ひどいときには600Ωの電話用トランスをハイインピーダンスの機器につなげ、高域を持ち上げて音がよくなると勧める店もあったりと、イワシの頭も信心からと言わんばかりで、何事も自分の耳で確かめなければならない。
最後に私が実践しているのは、ミキサーの2chの高域成分をイコライザーで互い違いに3~6dBのレベル差を出して合成することで、昔の疑似ステレオの逆をいくやり方である。「逆疑似ステレオ合成方式」とでも名付けておこう。これだと情報量が過不足なくまとまって、高域の潤いも失われない。



次に1950年代ミッドセンチュリーという時代区分だが、この時期こそSP盤、モノラル、ステレオと、全ての録音フォーマットが混在したカオス状態にありながら、それらを全部包み込む骨格があるものと感じているからだ。私が当時の庶民的なオーディオ装置として注目したのは、アメリカのジュークボックス、ドイツの真空管ラジオ、日本のトランジスターラジオで、それぞれオールディーズ・ポップス、クラシック放送録音、懐メロ&歌謡曲と、一見してバラバラのジャンルの異種格闘技を、自分のオーディオ装置一台で再生しようと試みている。このため、ジュークボックスからJensen C12R 30cmエクステンデッドレンジ・スピーカー、ドイツ製真空管ラジオからはVisaton TW6NG コーンツイーター、日本製トランジスターラジオからはサンスイトランス ST-17Aと、当時のスペックのまま現在も製造を続けている音響パーツを選別している。

Jensen C12Rは、現在はギターアンプ用として売られているが、1960年代前半までは汎用のPAスピーカーとして、Rock-olaのジュークボックスにも搭載されるなど、ロックやソウルにあってレジェンド中のレジェンドである。それはライブステージでも商用レコードでも、このユニットで共通の地平線を画きながらサウンドキャラクターが確立していったことを示す。つまりブルースもロックも、このジェンセンのサウンドを見本にして育っていったのだ。このC12Rは、フィックスドエッジの機械バネが利いた強力なミッドローが特徴で、なおかつQts=2.0以上というガチガチのローコンプライアンス型のため、後面解放箱にそのまま収めてもビクともしない。一般的なウーハーに比べ少し腰が高いが、ドラムをドカッと蹴り上げる迫力など、音楽の躍動感を支える重要な役割を担っている。

Jensen C12Rと正面の周波数特性(斜め45度でフラットになる仕様)

Jensen C12Rは多くのジュークボックスで使用された(Rock-ola Capri, 1963)


ツイーターのVisaton TW6NGは、オーディオ用に使える数少ないコーンツイーターで、中央のキャップが樹脂製で少し70年代風の艶が載っているが、基本的にはドイツ製のラジオに標準装備されていた規格に準拠している。ちなみに、TW6NGの特性は以下のとおりで、5kHzと13kHzの共振でザワついているだけの、三味線でいうサワリに近い機構であり、現在のHi-Fiの基準からすれば極めていい加減な設計だと判る。現代のステレオ技術のように定位感を明瞭に出すようなニーズには全く応えられない。一方で、モノラルでの高域の拡散という意味では十分な機能性を有していて、これがジェンセンの切れ味スパッといくタイミングと、じわっと馴染んでくれるのだ。このコーンツイーターのお陰で、ジェンセンのキレキレの音にしっかり噛み込んだ粘りが出て、相性はバツグンである。

ドイツ製で格安のVisaton TW6NGコーンツイーター(試聴位置:仰角75°からの特性)

Visaton TW6NGのタイムコヒレント特性


ライントランスとして使用しているサンスイトランス ST-17Aは、昭和30年代から製造されているもので、機能としてはB級アンプの分割トランスなのだが、そのサウンドテイストがボーカル域にしっかりフォーカスされ、なおかつ中域に渋い艶が載るMMカートリッジのような味わいがある。

ラジカセ基板のB級プッシュプル段間トランス、サンスイトランス ST-17Aと特性

Jensen C12R+Visaton TW6NGの1kHzパルス応答特性(ライントランスで倍音補完)



②私のサウンドポリシーの具現化
以上はオーディオ機器の個々の特徴であるが、本当の課題は、これらをどのようなサウンドに仕立てるかという、私なりのサウンドポリシーの具現化である。

私はステレオ音源だろうとモノラルにミックスして聴く、モノラル原理主義に根差しているが、理由は部屋のスペースファクターがモノラル試聴にピッタリ納まるからである。以下の写真をみて欲しいが、30cm規模のモノラルスピーカーでもディスクサイドに置けば、このとおりコンパクトに収まる。この距離はちょうど人と人とが談話するのにちょうど良い距離であるが、実は洋の東西を問わず人間の住む家屋の多くは、人間の体格や声量に最適なようにできている。これは近代建築に大きな足跡を残したル・コルビュジエのモデュロールをみても明らかであるが、人間の大きさは部屋のレイアウトがスムーズに収まる。
もうひとつは、録音の歴史が始まった頃から、マイクと楽音の距離はほとんど1m以内に収まっており、音場感とか定位感というのは録音した後から取って付けたようなものである。つまり録音での音響的なスペースファクターの原位置はマイクと楽音との距離であり、そこに含まれた空気感で演奏のパフォーマンスのダイナミックレンジも決まるのである。モノラル試聴はステレオ感で分散されたマイク同士の距離を一度リセットして均等に聴く行為でもある。このように私にとってモノラル試聴とは、音楽家のパーソナリティと密接することであり、あたかも一流のミュージシャンが我が家に訪問しているかのような、近接感のある関係を音楽で築くことである。

モノラル試聴の奥儀は密接した対話関係にある

ル・コルビュジエのモデュロールと自作スピーカーの寸法関係

次に周波数特性であるが、私のオーディオ装置はフラットな特性ではなく、200~2,000Hzを中心にカマボコ型のカーブを画いている。これは大きなホールでの音響特性と近似しており、近接距離で聴くのに良い塩梅の特性である。多くのスピーカーでのフラット信仰は、定位感を出すためのパルス性信号を強調するためのもので、定位感のないモノラル試聴ではジャマなだけである。というのも、古い録音はパルス成分が少ないため、ほとんどの最新スピーカーでは高域の冴えないくぐもった音になりがちだし、逆にパルス成分を強調した最新録音は1980年以前の古い設計のスピーカーでは共振した歪みとなるため聞き苦しい。私は古い設計のスピーカーでも最新録音が聴けるような周波数特性を自分の耳で確かめて決めているだけだ。

カマボコだろうがなんだろうが私好み(点線&右側は1930年代のアカデミー曲線)



コンサートホールの周波数特性の調査結果(Patynen, Tervo, Lokki, 2013)


実際のホールトーンと我が家のスピーカーの比較
点線は1930年代のトーキーの音響規格


カマボコ特性のもうひとつの意味は、それが人間の声をリアルに表現する特性でもあることだ。スピーカーを30cmとした理由は、低音の増強のためではない。200Hz付近までコーン紙のダイレクトな振動で音が鳴る点だ。コーン紙を平面バッフルに見立てて最低周波数を計算すると、10cmで850Hz、20cmで425Hz、30cmで283Hzとなり、喉音、実声、胸声と次第に下がってくる。あえて言えば、唇、顔、胸像という風に声の描写の大きさも変わってくるのだ。それより下の周波数は、エンクロージャーの共振を利用した二次的な輻射音になる。小型フルレンジでは胸声が遅れて曖昧に出てくるため、表現のダイナミックさに欠ける。このボーカル域の要件を両方とも満たすのが、古いPA装置に使われていたJensen C12Rのようなエクステンデッドレンジ・スピーカーだ。喉声以上の帯域に対し遅れを出さずに胸声までタイミングが一致して鳴らせるようにするため、高域を多少犠牲にしても、スピーカー径を大きくすることで自然で実体感のある肉声が聴けるのだ。ツイーターを置いている猫の餌皿が15°と絶妙に傾いて良い感じだったので、スピーカーの軸に疑似的な消失点をつくってみた。胴体と頭部の骨格的な結び付きが明確になったことで、結果としてボーカルの発声がより立体的になって、音がポッカリ浮いた感じになった。


人体の発声機能と共振周波数の関係

人体の骨格とスピーカーユニットの軸線

30cmはハートの叫びがきこえるサイズ


このようにロックをフルボディの実在感に定義しなおすと、小型フルレンジでは胸声が遅れて曖昧に出てくるため、女性ボーカルなどがクリアな反面、腹から声の出るような表現のダイナミックさに欠けることが分かる。多くのオーディオ機器は実在感をプレゼンス、つまり中高域の鮮明度に注力するが、それではソウルの宿るボディが表現できない。このボーカル域の要件を両方とも満たすのが、古いPA装置に使われていたエクステンデッドレンジ・スピーカーだ。喉声以上の帯域に対し遅れを出さずに胸声までタイミングが一致して鳴らせるようにするため、高域を多少犠牲にしても、スピーカー径を大きくすることで自然で実体感のある肉声が聴けるのだ。

さらにマイクで拾った生音の勢いを元のままに保つために、私のスピーカーはタイムコヒレント特性をシンプルな1波長に収まるように整えている。インパルス応答とステップ応答を比較して並べてみても、きっちり1ms以内に収まっていることが判るだろう。これがDSPでの演算や複雑なネットワーク回路を使わずに、100~8,000Hzの帯域でピタッと保障されているのだ。一般にタイムコヒレント特性は、ステレオ音場や定位感の正確さと関連性があると言われているが、上記のように一般の2way、3wayスピーカーはツイーターのパルス波の鋭敏さ&正確さでも、定位感や音場感はコントロール可能である。では、モノラルでタイムコヒレント特性が正確だと何が起こるかというと、音楽表現の一体感というか実体感が一本筋の通ったようなものとなり、ボーカルは腹から出す躍動感にあふれる表現になるし、ドラムはドカッと蹴り上げる迫力あるサウンドを叩き出す。これがジャズのビッグバンドに混ざって生楽器と対峙していた1950年代のPA音響技術の実力でもある。

Jensen C12R+Visaton TW6NGのタイムコヒレント特性

さらに私はチャンネルデバイダーを使って2wayのマルチシステムを組んでいるが、これはチャンデバを使ったほうがクロスオーバーやレベルの調整が楽なのと、モノラルスピーカーにステレオアンプの2chを有効に使えるという、二重の「ついで」が重なってできたものである。一方で、アンプからみたスピーカーのインピーダンス負荷は素直なものに留まるため、反応がキビキビして見通しが良いのも利点である。フィルターがパッシブとアクティブで鶏か卵かの違いはないはずなのだが、アクティブ側のチャンデバでコントロールしたほうが、ビートのイン-アウトの見通しが遥かによくなる。「ついで」のはずが一石二鳥となったわけだ。ちなみにベリンガーのチャンデバの音色は、組込みICチップの音をいじらずに使っているため、全体に薄っぺらい音調になりがちであるが、私はビンテージ設計のサンスイトランスST-17Aを挿むことで中域の太い音調に整えている。
Jensen C12Rは3.5kHzで切っているが、これはボイスコイルで中高域に強い分割振動をもっていて制御が難しくピーキー鳴りやすいためで、なおかつ生きの良さを引き出すため帯域ギリギリまで引き延ばしたいというラインである。これとコーンツイーターVisaton TW6NGの鈍めの立ち上がりがピッタリのタイミングで、インパルス応答が見事な1波形のまま保持されている。実はツイーターを追加した効果というのはほんの少しで、これも耳で確かめながら良い塩梅を探った結果である。ステレオだと定位感を出すために、パルス音の先行音効果をデフォルメしないといけない場面でも、モノラルだと自然な音響バンランスでそのまま鳴らせばいい。

C12Rをチャンデバで3.5kHzカットする前後の周波数特性とステップ応答の比較(45°斜めから計測)


周波数特性(斜め45度計測)

インパルス特性


以上のように、1960年代のUKロックについて、新たな発掘音源がCDで次々出てくる状況にあって、「CDはアナログ盤に敵わない」という紋切り型な対応では、色々と困るだろう。しかし、上記のようにほんの3つのビンテージ設計のパーツを1万円程度で組み込むことで、俄然と雰囲気が変わる。どう変わるかと言うと、過去の懐かしさをブチ抜いて、今マイク越しに生中継で流している音として鳴っているという感じだ。リマスターの音質がどうこうと消費者意見を押し付ける前に、自分のオーディオ装置がそれにふさわしいかどうか、吟味してみることをお勧めする。



【ロック・ジェネレーション大喜利】

大喜利とは、トリとなる大物が出ない日に、本来の演目にはないアンコールのように芸を披露することなのだそうだ。実はブリティッシュ・ロックは、ビートルズファンだけが大きく取り沙汰して、本当のトリが誰なのかがハッキリしないまま、空中分解してしまったようなところがあり、周囲の音楽文化からの相互の影響を公平に評価していない向きがある。初期のスキッフルとロカビリー、ブルースやR&Bへの憧憬、ハードロックとサイケなど、様々な方向性があったし、以下のものだけ見ても、ビートルズとその他大勢なんて絶対に言えないし、その5年余りの短い期間で世界の音楽地図を書き換えたパッションそのものを再生したいという欲望に囚われる。私の場合はそこをCDからでも表出できるように修行しているわけだが、少し趣向をこらすだけで見違えるように改善する。

マージー先史時代(原酒の味わい)
ロンドンという街は階級意識の強い場所で、住む街から経済や文化が推し量れるくらいで、もちろんロックはアウトサイダーのほうから出てきた。よくマージー・ビートのミュージシャンが共感したとされるロバート・ジョンソンとマディ・ウォーターズばかりが取り沙汰されるが、いわゆるルーツ・ロックとしての参考資料(いわば化石)扱いで、真剣に鑑賞すべきようなものではないと思うのは大変な間違いである。逆にこちらのほうで、彫りの深い表現となるようにしっかりオーディオ装置を調整することをお勧めする。
改めてアメリカとイギリスの差をみると、アメリカが博物誌に近い雑多なジャンルを記録しているのに対し、イギリスは商業レコードとしての水準が安定している点だ。単純に言えば、金にならないものはやらない。そうしてみると、この時代の次にくるロック世代の混乱ぶりは、彼らの考えた自由の謳歌がルーツロックのなかにこそ蓄えられていることが判る。それは人種問題を抱えながら辛い労働の合間を縫って生まれた究極の娯楽(ユーモア=ヒューマニズム)であり、英国の労働階級の子息が感じた階級社会の壁を打ち抜く手段でもあったのだ。これが生き生きと感じられないと、その先の話が進まない。
もうひとつはイギリスならではのマントヴァーニ楽団をはじめとした幅広いライトミュージックで、この嗜好はUKチャートに昇ったアメリカン・ポップスにも反映されている。こちらはパブ文化に通じるスノッブなユーモアが溢れているが、何となく壁の向こうで鳴っているようではダメだ。鼻でクスッと笑うタイミングを逃さないように気を付けよう。
Good time Blues(1930~41)

戦前のジャグ・バンドを中心に、大恐慌を境に南部からシカゴへと移動をはじめた時期のジューク・ジョイント(黒人の盛り場)での陽気な楽曲を集めたもの。バケツに弦を張ったベース、洗濯板を打楽器に、煙突口をカズーにしたりと、そこら辺にあるものを何でも楽器にしては、大恐慌を乗り越えようとたくましく生きた時代の記録だ。よくブルースがロックの生みの親のような言い方がされるが、ロカビリーの陽気さはジャグ・バンドから引き継いでいるように思える。1950年代のイギリスではスキッフル・バンドが大流行し、これよりカントリー寄りながら楽器構成が似ていることで知られる。復刻はソニーが1988年に米コロムビアを吸収合併した後に、文化事業も兼ねてOkeh、Vocalionレコードを中心にアメリカ音楽のアーカイヴを良質な復刻でCD化したシリーズの一枚だ。
Aristocratレコード/ブルース録音集(1947~50)

ブルース・ファンなら泣く子も黙るチェスレコードの前身のレーベルによる、シカゴブルースの誕生を告げる戦後の録音集で、エレクトリック化の途上にある演奏記録でもある。まさにJensenスピーカーの第二期を象徴する録音だが、当時はまだSP録音、それもライブ同様にクリスタルマイクでのダイレクトカットで録音された。まだ南部デルタからシカゴに引っ越したばかりのマディ・ウォーターズも吹き込んでる。この時期と並行してテキサスのサン・レコードのロカビリー、さらにニューヨークのアトランティック・レコードのR&Bなど、新しいジャンルが産声を上げていたが、そのどれもがJensenの拡声技術と深く関わっている。まさにアメリカン・ポップスの原点となるサウンドである。
メンフィス・レコーディングスVol.1/サン・レコード(1952~57)

戦後のロックンロールの発展史を語るうえで、ニューヨークやロスのような大都会に加え、メンフィスという南部の町が外せないのは、まさにサム・フィリップスが個人営業していたアマチュア向けのレコード製作サービスがあったからである。地元のラジオDJをしながら黒人音楽を正統に認めてもらうべく追力した人で、このコンピにあるようにエルヴィス・プレスリー、ロイ・オービソン、カール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイス、ジョニー・キャッシュというスターたちのデビュー盤のほか、正式に会社として運営する以前に発掘したミュージシャンに、B.B.キング、ハウリン・ウルフなどブルース界の大物も控えていて、多くはサン・スタジオで録音したレコードを名刺代わりにキャリアを積んでいった。
このシリーズはサン・レコード設立後のシングル盤全てを復刻するものの1巻目にあたり、10枚組180曲という膨大な記録でありながら、そのどれもがジャンルの垣根を跳ね飛ばす個性あふれるタレント揃いであり、上記の大物スターはまさに玉石混交の状態で見出されたことが判る。初期の録音はリリースがSP盤なので、ハイファイ録音と勘違いすると少し面喰らうが、逆によくここまで状態よくコレクションしたものと感心する。
キャロル・キング ソングブック(1958-63)

ビートルズが尊敬していると言いながら、いざ会ってみるとジョンの無礼な振舞いで即座に退席されたというゴシップもあるが、後から聞いてみるとあまりに緊張して酒をあおったあげく、バカにされないように悪態を突いたということだったらしい。あとあまり注目されていないが、彼女の楽曲をアレンジするミュージシャンも多岐に渡り、フィル・スペクターもその一人に数えられている。若くして多くの人が目標に掲げていた天才だった。
1958年にデビュー以来、単なる白人のポップス作曲家という枠では収まらない、レーベルの枠組みを超えて活躍した売れっ子で、こうして集めてみると、アトランティックのようなR&B専門のようなレーベルもしかり、コロンビアのような大手から、リバティのようなサテライト・レーベルまで、所かまわず楽曲を提供して、ヒット曲を飛ばしていた。単に運が良かったという以上の才能の持ち主であるが、やはり誰でも口ずさめる自然な言葉のメロディーラインでありながら、それでいて誰の耳にも残る絶妙なバランスで成り立っている。
Best of Billy Cotton(1949~56)

ビートルズ以前の土曜枠、ラジオ・バラエティー・ショウの一番人気だった名バンド・マスターである。イギリス人の冗談音楽に掛ける情熱は、プロムスでも証明済みだが、年がら年中やってるとなると事情は大いに異なる。聞き物は、バンド全員を従えた大仕掛けなお茶らけっぷり。音楽の腕もそこそこあるのに、必ず一癖つくってくる。ちょうどこれが全てDecca ffrr録音である点が、もうひとつのミソである。マントヴァーニの甘いお菓子に飽きた方は、口直しにフィッシュ&フライでもどうぞ。そんな軽妙な語り口で押し切るアルバムは、何と言うか暖かい下町人情にでも触れたような、ホロリとさせるものがある。この伝統は、ビートルズにも確実に引き継がれていくのである。
トップ10オールディーズ・ヒット

1950年代アメリカのヒット曲を集めたものだが、UKチャートも併記してあって便利なコンピ物。いわゆるロックンロールが旋風を起こす前のポピュラー・ソング集でもある。ちょうど1955年にEMIがキャピトルを完全子会社化した時期と重なっており、ディーン・マーチン、ドリス・デイなど比較的スローな曲が選ばれているが、音質としては非常に安定している。下のジョージ・マーチンの仕事と比べると、その相関性が判るだろう。
ジョージ・マーチン初期録音集(1951-62)

ビートルズのプロデューサーとして有名な人だが、スタンダードからコミックソングまで器用にこなす才人でもあった。1950年代イギリス特有のトラッド・ジャズやスキッフルの録音もさりげなく入っているので、意外によく知っている人が編纂していることが判る。おそらくビートルズを充てられたのも、日本の外盤営業部の人がデビュー盤を聴いて「宇宙人」と評したのと同じ感想だったのかもしれない。後の放送録音でも判るが、ともかくあることないこと4人でペチャクチャ話し出す状況は、今でいうタレントの鏡のようなものだが、当時としては声が被るという意味で完全にマナー違反。それが音楽性にも現れると予想した時点で「マーチン氏なら」と白羽の矢が立てられたのかもしれない。何はともあれ、肉汁たっぷりのEMIサウンドを堪能できる1枚となっている。
The Original Hits of the Skiffle Generation(1954-62)

スキッフルは、アメリカ南部のジャグ・バンドを模したフォーク音楽の総称で、イギリスではバンジョー奏者のロニー・ドネガンが、ディキシーランド・ジャズ・ショウの幕間に演奏してから人気が徐々に出たといわれる。この3枚組CDは、立役者だったロニー・ドネガンを中心に、前身のケン・コリアのバンド、ライバルだったヴァイパーズ、その後のブルーグラス・バンド、クリフ・リチャードのロカビリーなどを織り交ぜている。音質は非常に鮮明で、英デッカの底力を感じるものとなっている。
スキッフルの楽器構成は、メインのフォークギターの他は、ウォッシュボードのドラム、紅茶箱を胴体にしたベースなど、誰でも手軽に楽器を持てたため、労働階級を中心にアマチュアバンドの人口も3~5万人ともいわれ、1956年のロニー・ドネガンのデッカ録音以来、スキッフルはUKチャートでも毎年上位を占めるほどの人気だった。その人気を打破したのがビートルズをはじめとするマージー・ビートだった。しかしこれをカントリー・ウェスタンの派生種だと片づけるには、あまりにロック魂が宿りすぎている。ロニー・ドネガンのボーカルのアクセントは、インテンポの喰い付きが強くてアウトビートの浅いもので、これはマージー・ビートのバンドが「プラスチック・ソウル」と揶揄された同類のものである。ビートルズのBBCライブと聴き比べれば、R&Bナンバーでも歌い口がほぼ同じテイストだと判るだろう。
ちなみにビートルズ絡みでは、リンゴ・スターも学校を辞めて工場務めをしていた頃にスキッフルバンドをやっていたし、ジョン・レノンが学生時代にはじめたクオリーメンというバンドもこれに類するものといわれる(というよりそれ以外の呼び名がはっきりしていなかった)。何よりもデビュー盤の「ラヴ・ミー・ドゥ」は、ロックンロールでもブルースでもなく、スキッフルというほうが合点がいくだろう。同時期に日本ではロカビリーのことをウェスタンと呼んでおり、米サン・レコードが発祥だったりするためカントリー音楽の派生形だと思われていた。ロックのカウンター・カルチャーとしての立ち位置を確認するうえでも重要だと思う。
ブルービート/スカの誕生(1959-60)

大英帝国から独立直前のジャマイカで流行ったスカの専門レーベル、ブルービート・レコードの初期シングルの復刻盤である。実はモッズ達の間では、このスカのレコードが一番ナウいもので、ピーター・バラカン氏が隣のきれいなお姉さんがスカのレコードをよく聞いていたことを懐述している。ノッティングヒルに多かったジャマイカ移民は、このレーベルと同時期からカーニバルを始めたのだが、ジャマイカ人をねらった人種暴動があったりして、1968年に至るまで公式の行事としては認可されない状態が続いていた。それまでのイギリスにおけるラヴ&ピースの思想は、個人的にはジャマイカ人から学んだのではないかと思える。ともかくリズムのノリが全てだが、それが単調に聞こえたときは、自分のオーディオ装置がどこか間違っていると考えなければならない。
スタジオ録音(カクテル・パーティー=闇鍋の脅威)
まずパーロフォンに属するビートルズ、アニマルズ、ハーマンズ・ハーミッツの3つのバンドで全く違うサウンドキャラクターなのにドン引きしそうだが、これにデッカのストーンズ、ブランズウィックのザ・フー、フォンタナのマンフレッド・マンと畳み掛けると、どのサウンドが正しいのか全く方向性がみえなくなる。エレキが凄いからロックっぽい、シタールが織り込まれるとサイケぽい、そういう聞き方だとまだ入り口にも達しない。このごった煮の状態を、闇鍋を突いたときの「ハズレ」感を楽しみつつ、みんなでワイワイやっている感覚を再現するのが、オーディオ装置の役目ともなるのだ。オーディオ装置のサウンド・ポリシーなんて、下ごしらえの出汁ほどの意味しかないが、何でも辛口や甘党にすれば無難と思うと失敗する。最近になって、アルバムとしての完成度や歴史的なインパクトよりも、生煮え状態のほうが人気が出てきたのは、60sならではの裏道を勝手に散策できる地図が出来上がりつつある証拠でもある。
ビートルズ 1962~66

通称「赤盤」。手持ちのはジョージ・マーティン監修CDである。まだリマスター技術が成熟してない時代のもので、自称オリジナルテープを元にイコライザーで高域を持ち上げただけでCD化。最初のラヴ・ミー・ドゥが鳴った途端に、音場の異質さがあり、パラレルワールドに迷い込む。その後は、セッション毎の音の違いに耳が行って、音楽に全く集中できない。これがジェンセンだと不思議なことに、最初のラヴ・ミー・ドゥのドラムからスタッと決まり、リズムの面白さに引き込まれていく。周波数バランスではなく、タイミングが大事なんだと思う。アビー・ロードでのセッションは、天井も高く広々したスタジオ2で互いに距離を取って録音しており、おそらく楽器の位相などもバラバラなんだと思うが、このことが清々しい響きと遠くまでよく通る演奏の勢いを生み出しているようにも思う。これはBBCのパリ・スタジオのひな壇にこじんまりまとまったセッションとの違う点である。
ロンドン・イヤーズ/ローリングストーンズ(1963-68)

とかくビートルズと比べられがちなストーンズだが、これはありそうでなかったモノラル・シングル盤のアンソロジーである。1960年代は黒人ブルースのリスペクトが目立ったが、当の黒人ミュージシャンからはプラスチック・ソウルなどと揶揄されるなど、なかなかその良さが判りにくい。実際、アニマルズのように本場も顔負けのソウルフルなボーカルもあったし、自分自身もこうしてシングル集を購入してみても、CDリイシュー盤は英デッカ特有のカチカチの音質に翻弄されて、チェス・レコードのブルースが臭いのきついバーボンなら、ストーンズはシェリー酒くらいに思ってた。ここに至ってようやくストレートなスコッチウイスキーのような切れ味が出せるようになった。シンプルなビートで奏でるブギは弾き語りに限る、エレクトリックバンドでやるならロック、という既成概念を振り払えば、この時代のストーンズの抗う気持ちが判る感じがする。
ザ・アニマルズ(1964)

「朝日のあたる家」のヒットをうけて編集されたUSデビュー・アルバムで、このバンドのソウルフルな味わいが色濃く出たものとなっている。その分、他のブリティッシュ・ロックのバンドに比べ、よりR&Bをしっかり鳴らせる度量がないと、2曲目の即興的なメドレーで何となくイギリスっぽくないと、つまづくことになる。米アトランティックのレイ・チャールズやアレサ・フランクリンなどと聞き比べて、遜色ない太いサウンドで鳴らせるといちよ成功である。
ハーマンズ・ハーミッツ登場!(1965)

コメディタッチの「ヘンリー8世君」など、少し斜めに物を見る感覚が、ロックというシリアスな雰囲気に馴染まないと思うだろうが、数あるパーロフォンの録音のなかでも、おそらく1、2位をあらそう優秀録音である。上のアニマルズ、下のビートルズと、本来のサウンドの立ち位置が判らないときは、まずこのCDを聴くことをお勧めする。甘い中域がほとばしり出るEMIトーンが堪能できる。
イエスタデイ・アンド・トゥデイ/ビートルズ(1966)

英オリジナル・アルバムの「ヘルプ」「ラバーソウル」「リボルバー」から数曲ずつ、つまみ食いしてこさえたベスト盤のようなもの。バンドの意向もおかまいなく勝手にアルバムを切り分けて利益優先で売りまくる米キャピトル社への抗議もふくめて、人形をバラバラ殺人事件にしたてた”ブッチャー・カバー”が最初に出回り、後に左のようなカバー絵をシールで張り直したものになった。ちなみにこの紙ジャケCD復刻は、そのシールもそのまま造り込んである。ジャケ絵のようによそ行きのビートルズ、それもコンサート引退宣言の後のことなので、ここぞとばかり売りに走ったキャピトル社の勇み足など、色んなことを考えてみると、意外におもしろく聴けたりする。
マイ・ジェネレーション/ザ・フー(1965)

なかなかスポンサーが決まらず迷走したザ・フーのデビューアルバム。IBCスタジオを借りてのモノラル録音は、癖のあるナロウレンジの録音である。おそらく演奏での音量がラウド過ぎて、収まりきっていない感じだが、そのはち切れんばかりの雰囲気がロックらしいというと語弊があるだろうか。大概の人が、ビートルズを中心にオーディオを調整するなかで、必ず躓くのが次の世代のバンドのサウンドが全く異質なことである。おそらくクリームやツェッペリンの登場する前の数年間は、ほとんど食指が伸びないし話題にもならない。ザ・フーの評価も、ウッドストックでのハードロック路線やリーズ大学ライブを経てのことだと思う。契約会社の関係もあって、半世紀ぶりのオリジナルでのリリースだが、歴史の一コマとして看過するのはもったいない、ブリティッシュ・ロックの基本的なエッセンスが詰まっている。
スモール・フェイセス(1966)

リアル・モッズで結成したバンドのデビュー盤だが、上記のザ・フーのほうが尖っている。アレ?と思う人もいるかと思うが、理由はスモール・フェイセスのほうが、よりハードなロックンロールとしてツボにはまっているからで、ザ・フーは自分たちの感情のほうが前に出て、楽曲としては十分に熟しきっていないからだ。ようするに枠に収まらないド根性の出方が尖って聞こえるというロック的な価値観かもしれない。一方で、こっちのほうが60sブリティッシュ・ビートの魅力をストレートにまとめていることも確かで、個人的にはこれを先に聴いていれば、これほど悩むこともなかったと少し後悔している。
マンネリズム シングルズ/マンフレッド・マン(1966-69)

結成は1962年だが、これは1966年からのフォンタナ時代のシングルを集めたもので、知的な戯れをたっぷり含む、ブリティッシュ・ロックのもう一面を示す。こうしたバラエティに富んだ嗜好は、後のクイーンの「オペラ座の夜」にも引き継がれる伝統でもある。一方で編纂は1976年の頃なので、ビートルズ「赤盤」、ビーチボーイズ「エンドレス・サマー」などの懐古的なベスト盤の同じ柳の下のドジョウのように企画されていることも判る。しかし、たった4年間で駆け抜けたアイディアの応酬は、このバンドの凄さと不可解さがさらに増す結果となっているように思える。ベスト盤のようでいて、まとまりがなく、さらに謎が増す意味では、実は最も60年代の風味を残しているような気もする。
バス・ストップ/ホリーズ(1966)

結成は1962年だが、「バスストップ」のヒットをうけて、1966年の「Would You Believe?」をベースに、急ごしらえで日米でリリースされたのが本盤となる。ちなみにジャケ絵は1967年の日本オデオン盤である。ところがこの後、強力なフォーク路線を意識した(それゆえディランを毛嫌いした)グラハム・ナッシュが1968年に脱退し、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング(CSN&Y)となる。この盤はサイケに突入する直前の、穏やかだが悩ましい心打ちを集めており、それでいて爽やかで甘酸っぱいテイストが詰まっている。田舎のバス停に降り立ったときの、その土地にしかない空気のようなものが、そのまま封入された感じだ。行先はディランが隠れ家にしていたウッドストックだ、と言っても別に驚かないでほしい。

キンクス/サムシング・エルス(1967)

キンクスの初期の最後を飾るアルバムで、これ以降の純文学的な題名の難解なコンセプトがあるわけではなく、題名通り気まぐれに様々なアイディアを盛るだけ盛った不思議なアルバムだ。それゆえにキンクスらしさがないように言われるが、どうも剛腕プロデューサーのシェル・タルミーの引力圏を脱して、レイ・ディヴィスが好きなようにできたアルバムだったらしい。この頃はまだアメリカでの放送禁止処置が解けないままだったが、それがブリティッシュらしさを深く自ら思索する結果になったと言えば皮肉である。本人は、家族写真のような他愛もないものと卑下しているが、実は様々な宣伝コピーにレッテルを貼られない「何でもない自分」こそが最も自由なのだと宣言しているように思える。個人的には、同時期にウッドストックに隠居していたボブ・ディランの地下室テープと似た臭いを感じるのだが、おそらく他人に縛られない空っぽな時間を大切に思う共感があるのだと思う。
イエローサブマリン リミックスVer/ビートルズ(1966-69 /1999)

フラワームーヴメントのお花畑気分いっぱいのアニメ映画のサウンドトラック用に録られた素材をもとに、1999年にリミックスしたアルバム。もともと別の本命のスタジオアルバムの余り物を寄せ集めたうえに、光学フィルムへトラックダウンした素材しかないので、リマスターしようにも限界の大きいことから、元のテープ素材まで遡って新たに起こしたという。これには賛否両論、旧来のコアなファンからは大変な批判を浴びたが、個人的にはビートルズの録音がどれだけの可能性があるかを示したことで、後のリマスターへの方向性を示したものと思っている。
BBC~ライブ音源(ブリティッシュ・ロック 虎の穴)
初期のビートルズ以降は、まさに乱戦状態。録音品質のバラツキもあり、しっかり聞き込めるようになるまで、相当の修行が必要な感じがしなくもない。ところが「虎穴に入らずんば虎子を得ず」の諺どおり、一度この世界に開眼すると、当時のブリティッシュ・ロックのドキュメンタリーとしての一面、つまり週刊ビートルズのようなアップデイトな情報の面白さに浸れる。それは一期一会の一発録りがなせる生煮えの緊張感とも重なっていて、ミュージシャンが作品ではなく、パフォーマンスアートとしてのロックの醍醐味を生きていたことが判る貴重な記録でもある。
ザ・ビートルズ/Live at the BBC(1962-65)

ビートルズが煩雑にライブ活動をしていた頃、BBCの土曜枠で1時間与えられていたスタジオライブで、これを切っ掛けに国民的アイドルにのしあがった。曲目はアメリカのR&Bやロカビリーのカバーが中心で、理由がレコード協会との紳士協定で販売されいるレコードをラジオで流してはいけないという法律の縛りがあったため。このためアメリカ風のDJ番組をやるため、国境の不明確な海洋の船から電波を流す海賊ラジオが増えていったというのは良く知られる話だ。ここでのビートルズは、若々しさと共にパフォーマンス・バンドとしての気迫と流れるような熟練度があり、いつ聞いても楽しい気分にさせられる。それとリボンマイクで収録した録音は、パーロフォンのようなデフォルメがなく、自然なバランスでバンド全体のサウンドが見渡せるように収録されている。ちなみに写真のメンバーが全てスーツ姿なのは、衣装ではなく当時のBBCへの立ち入りがネクタイを締めてないと許可されなかったから。
ローリング・ストーンズ/got LIVE if you want it!(1966)

ビートルズがライブ活動停止宣言をしたら、遅かれ早かれ解散するだろうと噂になり、様々な海賊盤が出回ったらしい。これはその余波ともいうべきもので、実際のロックのライブはこんなもんだぜっ!という感じのものを造り上げてしまったという迷盤。スタジオ録音にグルーピーの歓声をオーバーダブしたり、あの手この手で盛り上げてやった結果、日本において真のロックとはこれだっ!というような過剰な反応があり、ザ・タイガースのデビューアルバムにまで影響が及んだ。ちょうどサティスファクションがアメリカでヒットした後の凱旋講演に当たるが、当のストーンズのメンバーは自分たちの伺い知れないところで編集された当盤を公式には認めておらず、レコード会社の意向で造られた正式の海賊盤ということができるかもしれない。
Cream BBC Sessions(1966~68年)

新しいハードロックというジャンルの誕生秘話である。長尺のフリー・インプロビゼーションを収録したライブ録音で名を馳せたが、こちらのBBCでのセッション録音は短尺ながら、まだアイディア段階の未発表曲も含む、実験的な要素が多いもので、ギター、ベース、ドラムの3人がガッチリ組んで繰り出すサウンドは、エフェクターを噛ませずに乾いた生音をそのまま収録している。このため、普通のステレオで聴くと、収録毎の音質の違いなどが気になり、なかなか音楽に集中できない。正規録音のあるなかで、長らくお蔵入りしていた理由もうなずける。ともかく一発勝負の収録だったことの緊張感が先行しながらも、サウンドを手探りで紡ぎ上げていく感覚はBBCセッション独特のものだ。今の時代にこうした冒険的なセッション収録は許されないことを考え合わせると、オーディオも含めて音楽業界がビジネスにがっちり組み込まれたことの反省も感じる。
キング・クリムゾン~エピタフ(墓碑銘)~(1969)

1969年に「21世紀の精神異常者」で衝撃的なデビューを飾る直前に、BBCのトップギアに出演したときの音源から、解散前にアメリカで行ったライブ収録まで、一気に駆け抜けた第一期のクリムゾン。ファンがラジオでエアチェックしたものや、ステージ・スピーチなどに隠し撮り音源を含むなど、これまでの「非公式盤」と手を取り合って、1997年になって切り貼りで構成したドキュメントである。ともかくアルバム1枚を製作したのみで空中分解したプログレらしい潔さは、むしろこうしたドキュメントによって彼らの葛藤の中身が真実味を帯びてくる。同じフィルモア東西会場では、アル・クーパーとマイク・ブルームフィールドのスーパー・セッションが繰り広げられており、クリムゾンは創意工夫の枠を超えた演奏技術を求められていた。彼らはアメリカに渡って初めて、自分たちの先進性のみがコンサートで認められる手応えを感じたのかもしれない。この後のクリムゾンは名実共に、超絶セッション・バンドにカミングアウトしていくのであるが、そうした大気圏突入前の緊迫した面持ちが演奏に現れている。
デビッド・ボウイ BBCセッションズ(1968~72年)

デビッド・ボウイの第一期の最後を飾るジギー・スターダストのプロジェクトに至る軌跡をドキュメンタリー的に捉えたBBC放送ライブの断片。この頃のBBCは、レコードを放送で流せない法律を逆手にとって、有能な若手にまだ未発表の楽曲をテスト的に演奏させるという奇策を演じていた。その数多ある若いミュージシャンのなかにボウイがいたわけだが、アレンジもほとんど練られていないままのスケッチの段階で、若者がギター片手に語りだしたのは、宇宙から降り立った仮想のロックスター、ジギー・スターダストのおぼろげなイメージである。それが段々と実体化して、やがて自分自身が夢のなかに取り込まれて行く状況が、時系列で示されて行く。当時のラジオがもっていた報道性をフルに動員した第一級のエンターテインメントである。
ボブ・ディラン/ロイヤルアルバート・ホール・ライブ(1966)

フォークの歌詞をロックにしてやろうというジャンルを切り拓こうとしていたディランが、ロックの聖地イギリスに乗り込んで真偽を問うという公演の記録だ。UKロックの番外編ということで取り上げたが、イギリス国内にこれほど過剰なフォーク愛好家が居たのか? と不思議に思っていた。まさかアメリカからわざわざ追いかけてきて野次を飛ばしてんのか、と思いきや、マージー・ビート先史で紹介したスキッフルの流行を考えると、どうもイギリス国内のスキッフルとロックの新旧ファンが混ぜこぜになって、スキッフル陣営からの意趣返しを喰らったというところだろう。実はこのことが、UKロックに潜むジキルとハイド氏のような二重人格とつながっているように思えるのだ。その臨界点に立ったのがこの日のディラン様ということになろう。
海賊盤として長らく出回っていたが、マスターテープの修復と共に30年余りの月日を経てようやく正式リリースとなった。アメリカでフォーク団体の総スカンを喰らったエレクトリック化の問題は、ここでもまだ燃え上がっており、前半のアコースティック・セットの静寂とは打って変わって、後半のエレクトリック・セットでは、幕間で観衆から「ユダ!(裏切者)」と罵声を浴びたり、手拍子を延々と続けて演奏を妨害されたりと、まさに戦闘状態。バックバンドを務めたザ・バンドのメンバーもこの時期の嫌がらせや批判にショックを受けて、ディランの事故休養中に音楽活動をやめる人もいたというので、それなりの心の傷も負っていたと聞く。時代が求めたヒーローの意味と、背負うべきものとの乖離が、荒々しいロックとして鳴り響いているように感じる。




【日本の家電が担った音楽文化】


以上のごとくイギリスとアメリカの文化的混成によって、ブリティッシュ・ロックを語ってみたわけだが、ここで最後に日本での洋楽受容を、1970~80年代の家電オーディオの方面からみつめていこうと思う。
実は私は自分のオーディオマニアとしての天命を、モノラル&ローファイ難民弁務官と称している。その成り行きとは、昭和時代の庶民が嗜むオーディオと音楽の関係の猥雑さにあるともいえよう。むしろ昔の商店街のように軒並みを寄せ合って、生活必需品をひと揃えできる状態を正しく認識したうえで、音楽の醸し出す日常のあり方をオーディオ装置というカタチにするのが、私の天命と勝手に思い込んでいるのだ。それゆえ、私は昭和時代の家電オーディオが担った音楽文化と、その在りし日の生き生きした姿の再生に心血を注ぐのだ。それはけして古い懐かしいだけのものではなく、現在の音楽にも通じる地続きのものだと認識している。それはちょうど、1960年代のUKロックがエバーグリーンな印象と、1970年代の日本の家電オーディオとシンクロする部分があるからだ。実はこのことを正面から肯定的に話す人はほとんどいない。だから弁解しなければならないのだ。

さて、その家電サウンドへの愛について、やや複雑な成り立ちについて話すとしよう。

①ベストヒットUSAとウルフマンジャック
私は3つ年上の姉の影響もあり、中学までは洋楽にすっぽりハマっていた。年頃で言えばぶりっ子アイドルが選り取り見取りだったわけだが、どうもそれが子供っぽく思えて恥ずかしいように感じており、いわゆる中二病真っ盛りの年頃でもあった。そんな私にアメリカンな空気をお茶の間まで届けてくれた大きな転換点は、1981年から始まった小林克也さんの「ベストヒットUSA」だった。当時としてはまだ新しかったミュージックビデオ(後のMTV)をヒットチャートと一緒に紹介するという斬新なもので、来日アーチストと流暢にインタビューでやり取りする小林克也の姿は、それまで妄想的な憧れで埋め尽くされていた洋楽のキャッチフレーズから、リアルなニュース番組のようにアーチストの実像にせまるよく練られた構成だった。
これと並行して、平日8時はFENのウルフマンジャックで新旧のアメリカ音楽を堪能し、金曜の深夜をまちわびる感じだった。ちょうど土曜の午後はFM東京の邦楽&洋楽のTOP10と、FENのTOP40が重なることもあって、FMの後にTOP40の上位20位を聴いて、最新チャートをチェックしていた具合である。やはり本場のヒットチャートだけあって、日本のそれより反応が早いと思っていたが、実はラジオ局単独のものなので、ビルボード・チャートを紹介していた金曜のベストヒットUSAよりも早く紹介される曲も多かった。そんなこんなで、金曜から土曜は洋楽三昧だったのであるが、この頃は過去も未来もまだ一直線でつながっているように感じられた。その気運に包まれていたせいか、テレビはモノラル放送、FEM東京はAMラジオと、いずれも当時の最新オーディオとは隔絶したものだったが、不思議と音楽に没頭できたという思い出がある。この頃の記憶を辿って、現在の私のオーディオ・システムは練られてきたというべきかもしれない。


②ラジカセという強力な味方
ラジカセは中学進学したときに買ってもらえるような超初心者のアイテムで、少年マンガ誌などに広告が載るのが定番だった。1980年代のように水着のアイドルがラジカセを持ってるなんて、まだ刺激が強すぎて少年誌に載せるのはタブーで、がきデカ(山上たつひこ:松下電器)、男おいどん(松本零士:ソニー)、水原勇気(水島新司:東芝電機)など結構コアな漫画キャラが、アレやコレやのモテテクニックを喋るという結構面白い内容のものだ。これと少女漫画を合わせると、1980年代の恋愛至上主義の下地は、1970年代後半の少年少女に既に植え付けられていたことが判る。自分の好きな曲を詰め込んだカセットテープを女の子に渡した甘酸っぱい思い出のある人もいるだろう(妄想)。

現実は小説より奇なりという言葉通り、ラジカセを通じた音楽文化の広がりは、オーディオ技術の進化とは方向性が全く違う様相にある。原宿のホコテンで社会現象ともなった竹の子族に必須のアイテム、巨大バブルラジカセをみると、AMラジオとコンパチの仕様そのままである。同じストリート文化繋がりで、海の向こうのアメリカさんだって日本製ラジカセは必須アイテムだった。松下電器の凄いところは、日本ではCBSソニー扱いだったアース・ウィンド&ファイアーに堂々とバブルラジカセを担がせていることである。日本では石原真理子がかったるい顔で片手でぶら下げているが、サンヨーのおしゃれなテレコとは全く異なる営業戦略を引き摺っていた。これは松下電器らしからぬ戦略ミスであるが、米国内ではターンテーブルをはじめDJ関連機器で圧倒的信頼を勝ち得ていた自信の表れでもあったのだろう。サンスイの中の人も言っていたが、アメリカでは単品コンポはほとんど売れずレシーバー(チューナーとカセットデッキ、アンプが一体化したもの)が売れ線だったので、安くて高性能がウリの日本製コンポが入り込む余地はなかった。その延長上に巨大ステレオ・ラジカセはあったのであるが、あらゆるオーディオデバイスが自前で生産できた当時の日本に敵うものではなかった。これを凌駕しようとすると、色んなパーツを集めて組み上げなければならず、サウンドのまとまりとかを含めると、再現するのが案外むずかしいものである。


ところで、このラジカセの音響設計であるが、たとえそれが2wayスピーカーであっても、ウーハーはAM放送をカバーする100~6,000Hzのエクステンデッドレンジを中核として、これにFM放送に充てた1オクターヴ分の高域を足すだけの仕様が一般的であった。逆にいえば、1950年代の電蓄の音響設計は、1980年代初頭まで有効だった普遍的な要素をもっているということになる。

ストリート文化の起点となったステレオ・ラジカセの特性図
(フルレンジ80~6,000Hz+ツイーター7~12kHz)


③ウォール・オブ・サウンドとテレビCM

さてモノラル愛好家としてさらにもうひと推ししたいのが、ポップスで王道と言われるウォール・オブ・サウンドへのリスペクトである。一般にウォール・オブ・サウンドはステレオ録音の一大流派と見なされているが、エコーをたっぷり利かせて広がりのある音場感を出すとか、サウンドが壁一面にマッシブにそそり立つとか、色々と言葉のイメージだけが先走っているが、実は当人のフィル・スペクターは、1990年代に入って自身のサウンドを総括して「Back to MONO」という4枚組アルバムを発表しモノラル録音へのカミングアウトを果たした。実はウォール・オブ・サウンドの創生期だった1960年代は、モノラルミックスが主流で、これに続いて、ビートルズのモノアルバムが発売されるようになり、その後のブリティッシュ・ロックのリイシューの方向性も定まるようになる。さらに言えば「少年少女のためのワーグナー風ポケット・シンフォニー」という表現も、当時の若者で流行していた携帯ラジオでも立派に鳴る録音ということであり、1960年代の少年少女たちは電池駆動できるトランジスターラジオを、トランシーバーのように耳に充てて聴いていた。立派なステレオでこそ真価が発揮できるなんて言うひとは大きな勘違いである。

初期のトランジスターラジオの聞き方はトランシーバーのように耳にあててた(ヘッドホンへと発展?)

この1960年代初頭からのローファイ志向は1980年代まで続いており、電波で流れる音楽上の骨格は1960年代のトランジスターラジオとほとんど変わっていないのだ。その証拠に1980年代のヒット曲はテレビCMで聴くのがまず最初であり、さらにヒットした後にFMラジオでフルコーラスを聴くという順序だった(多くのニューミュージック系のシンガーソングライターはテレビ出演を断っていた)。アメリカではMTVだったものが、日本ではテレビCMという立て付けになるのだが、これらは短いサビの部分だけだったにせよ、小さいブラウン管テレビに付属しているモノラルスピーカーからでも立派に聴こえていたのである。これが偽物だとか、古い規格だとか文句を言う人などいなかったのは、不思議といえば不思議だが、テレビという媒体は常に事実に基づいているという信心あってのものだといえる。逆に、この報道性という常にアップデートされる音楽シーンから切り離して音楽を評価しようとすると、途端にボキャブラリーが貧しくなっていく。この歴史評価の壁を突き抜けるのも、モノラル&ローファイ難民弁務官のお役目である。


いわゆる卓上型テレビ。スピーカーはチャンネル下に申し訳なさそうに収まっていた

録音スタジオでいかにテレビ音声にキャッチアップするのに心配りしていたかということは、当時定番のサブモニターだったオーラトーン5cの特性をみると判る。規格上は50~18,000Hzだったが、実効では150~8,000Hzであり、それでもキャッチーなサウンドを保持し、バランスの崩れないミックスが必須だった。現在でも1980年代のギガヒットとして歴史に名を残すマイケル・ジャクソン「スリラー」でさえ、オーラトーン5cでバランスを整えた結果MTVでの成功につながった。CD規格の前のヒアリングでも、15kHz以上の周波数は楽音として必要ないというのが、大半の録音エンジニアの意見だった。まさか20kHzに溜まるデジタルノイズがこれほど問題になるとは誰も心に留めていなかったのだ。


Auratone 5Cと周波数特性(AM放送とFM放送のクロスチェックをしてた)


マイケル・ジャクソン/スリラーの録音されたWestlake Studio(1982年):
ほとんどの編集はオーラトーンで行い、メインモニターのカタログ上のスペックは16kHzまでだった


④オーディオマニア失格=ラジカセ最高
さて、問題はここから先なのだが、ラジカセから一足飛びにステレオ・コンポに向かった途端、それまで楽しんでいたテレビやラジカセの音が、けんもほろろにひと昔前のセピア色に霞んでしまう現象に巻き込まれる。いわば初心者に多い、重低音・超高音聞こえないとイヤイヤ症候群だ。超高音はパルス性のピンと立った音で、楽音に先行してピシピシ気配を振りまく。重低音は床に響くようなズンズンという音で、高音より遥か長く尾を引きながら鳴り響く。実は上記のオーラトーンに出ない音を引き算すると、重低音とパルス音が残り、それがステレオ装置の高性能を計る基準ともなっている。私はこの問題が、実は音楽のコアな周波数域をネグレクトする結果になっていると感じており、多くのオーディオマニアがはまる罠であると認識している。同じことはヘッドホン試聴にもいえ、空気を挟まず耳にダイレクトに音を押し込むと、個々人の外耳の共振の癖もダイレクトに出るため、外音の客観的比較が段々と難しくなる。普段以上に刺激的にしないと、音響として満足できない身体になってしまうのだ。

ではこのオーディオマニアが避けて通れないイヤイヤ期は、ごく最近はじまったのかというと、さにあらず、1967年に長岡鉄男が音楽の友誌に「原音再生」というコラムで、どうせ中途半端なステレオを買うくらいなら、真空管テレビの音のほうがいいという趣旨のことを述べている。

ではローコストで原音によく似た感じの音を出すにはどうればよいか、実例としてテレビの音声を上げてみます。家庭用の安直なアンサンブル型電蓄から出てくる声を、ナマの人間の声と聞きちがえる人はまずいないでしょう。ボソボソとした胴間声と相場はきまっているからです。ところが、アンプ部分にしろ、スピーカーにしろ、電蓄より一段も二段も下のはずのテレビ(卓上型で、だ円スピーカー1本のもの)の音声は意外と肉声に近く、となりの部屋で聞いていると、ナマの声とまちがえることがよくあります。

加えて、テレビの音声電波が音をあまりいじくることなく素直だとコメントし、長径18~25cmのテレビ用楕円スピーカーのうちできるだけ能率の高いものを1m四方の平面バッフルに取り付け、5極管シングルでジャリジャリ鳴らすのが良いのだとした。ラジオ用、テレビ用のスピーカーで能率の高いものは、一般にストンと低域が落ちていて、中音域のダンピングがよく、特に音の立ち上がりは、20~30cmのハイファイ・スピーカーをしのぐものがあるとも記している。

このことは何を指すかというと、テレビやラジオでは溌剌と鳴っていたあの歌謡曲たちは、すでに1960年代の頃から、ステレオ装置で聴くと死んだ魚のような目で歌っていたことになる。では何が足らなかったのか? という疑問だけが残され、現在に至るのだ。私の感想では、イヤイヤ期になった時点で、ちゃんと叱ってくれる大人がいなかったため、自己主張の方向がハズレていったのだと思う。一方で、ラジオやジュークボックスというのは、家電や飲食店という複数の人の耳に見守られているので、常識的な音声バランスを保持しえたといえよう。オーディオ・イヤイヤ期がこじれたのは、高級=平凡じゃない という思い込みによるものだと思う。

ちなみにここまでラジオ音声にこだわれば、私は普通にフルレンジ信託者になっても良いはずなのだが、結局のところアメリカン・ジュークボックスと同じ規模の30cmクラスの2wayスピーカーとなった。これは1970年代のラジカセの仕様と同じで、違いはウーハーに相当するエクステンデッドレンジ・スピーカーを16cmクラスから30cmにスケールアップしただけであるが、これはHi-Fi初期の1950年代に電蓄からグレードアップする方法として、AMラジオやSP盤の帯域に高域をプラスしたのと同じ手法がとられている。これは1960年代の英HMVのステレオ電蓄でも同様であった。一般的には、ウーハーの分割振動がうるさく嫌われる方法なのだが、私なりの推測では、ジュークボックスこそがラジカセのサウンドポリシーの生みの親であり、家電の音響設計に脈々と受け継がれてきたテイストなのだ。

ヤングの憧れの的だったコーンツイーター付モノラル・ラジカセ(1970年代)

HMV Stereomaster 2018

EMIの同軸2way楕円スピーカーの特性(かつては日本でも売られていた)


1960年代からセラミック磁石&コーンツイーターになったジュークボックス(Rock-ola Capri, 1963)

Jensen C12Rから出てくるアップテンポなリズム感は、他ではなかなか味わえないものがある。名目がギターアンプ用スピーカーとして売られているので、さぞかし歪みだらけの音と想像しがちだが、クリーントーンのエレキギターを思い浮かべると判るように、常識的な入力信号ではいたって艶やかで美しい音である。おそらくこのスピーカーに出会っていなかったら、ロカビリーやブルース、歌謡曲などは、まじめに聴こうとは思わなかっただろう。それだけ、かつて夢中になって聴いた昭和の頃の思い出が、そのまま再現されたのだ。

各々のスタイルでジュークボックスを囲んで楽しむ人々

⑤進化しない聴覚とオーディオ
このようにCDを中心としたデジタル音源を基本にしながら、聴感に即した音響設計はミッドセンチュリーまで戻すという作業は、一見すると懐古的な骨董趣味のように思われるかもしれない。しかし、現実的にみれば1950年代から21世紀を跨いだ現在に至るまで、人間の聴覚も音楽形式もほとんど進化していないという事実に突き当たる。つまり、フラットでワイドレンジな録音のアドヴァンテージを強調するため、本来の波形をパルス波と重低音に分けるような新しい要素を加えることは、けして進化といえるものではなく、元のマイクの波形を変化もしくは変容させていることに他ならない。私は20世紀後半から続くステレオ文化の発展なかで繰り広げられた音場感の変容の歴史は、むしろ音楽再生にとって無益だと思っている。むしろフラットでワイドレンジであることが、音楽文化とのブロードな付き合いに障壁を作ってしまっているのだ。その意味で、クインシー・ジョーンズが名立たる録音スタジオを渡り歩きながら、あえてローファイなオーラトーン5cをスタジオモニターとして勧めた理由のうちに、どのような再生環境でも楽曲のメッセージが届くことを第一目標としながら、本来あるべき音響設計のスタンダードを経験的に見抜いていたというべきだろう。逆に言えば、1970年代以降のアレンジャー兼作曲家で、オーディオ環境について提言した人は、クインシー・ジョーンズ以外にそれほど多くは存在しないことになる。その意味を掘り下げてみれば、私のオーディオ装置の見立てもそれほど間違っていないと思えるのだ。
縮めて言えば、大多数のオーディオマニアは、ラジカセから本格的なステレオにグレードアップする手順に失敗していて、あえて修羅の道に突き進んでいるようにみえる。どうしてそうなったかというと、常に新しい音響設計を提供する使命を帯びた「赤の女王」=オーディオメーカーの販売戦略に伸るか反るかの攻防戦に、ほとんどの時間を費やしているからだ。そしてそのこと自体が、音楽を堪能する時間を浪費しているとも思えるのだ。私の言うところのモノラル&ローファイが、ただの現実逃避や懐古的な思い出話に終始せず、今という現実のなかで歴史的演奏をフィジカルに体験するための手法であることが判るだろうか? それは人間が人生のうちで、耳で経験的に学習する言語体系という個性にどう向き合うか、という意外に複雑で多元的な課題にひとつの筋道をつけることでもある。そんなことをオーディオメーカーの責任として考えるのは間違っているし、それこそ自己責任で考えるべきことなのだが、私も含めオーディオマニアのほとんどは他人事のように話をするし、それが客観的評価だと思っている節もある。もちろんそれは妄想の域でしかない。

ジャパニーズ・モンドの世界
1960年代というよりは、昭和30年代から40年代を駆け抜けた和製ロックということで、点描的に集めてみた。アメリカのカバーポップスがテレビ歌謡ショウを沸かした時代から、ビートルズ来日以降のGSブーム、さらにエロ・グロ・ナンセンスまで、意外に時代にキャッチアップした幅広い切り口で攻めていたことが判る。実はムード歌謡に含まれるベンチャーズ歌謡は一種のフラワームーブメントへの資本主義的な応答だと思えるし、逆にフォークのほうがロックより言葉が尖っていたという逆転現象もみられる。こうしてロックの入り口から出口まで達観すると、片言の訳詞から自らの言葉で語りかけるまでには時間が掛かっているが、それがロックとは何かを日本語で説明するのに役立つことは言うまでもない。これらがそつなくニュートラルに聴けるかが、オーディオ本来のフィデリティを示している。
ウエスタン・カーニバルの時代(昭和33~37年)

東芝レコードの看板となったウエスタン・カーニバルの舞台を彷彿とさせるアーカイブで、オリジナルのモノラル録音を集めていて重宝する。山下敬二郎、釜萢ヒロシなど最初のロカビリーブームを牽引した人と、後半には越路吹雪、朝丘雪路、水島弘、坂本九、ジュリー藤尾など、正統派の歌手もそろえていて、聴きごたえも十分。
青山ミチ ゴールデンベスト(昭和37~41年)

カバーポップス全盛の頃に活躍したロカビリー娘のひとりで、弘田三枝子や中尾ミエなどと並んでパンチのある歌唱力で知られた人。ややコメディタッチの「ミッチー音頭」や、和製ポップスの先駆けとなったコニー・フランシス「涙の太陽」の日本語版、GSブームにのりそこねた「風吹く丘で(亜麻色の髪の乙女)」まで、たった5年間を駆け抜けた記録である。印象としては前後5年くらい長く活動していたように感じるのは、やはりひたむきに歌そのものに向き合っていた結果だと思う。
ローリング・ストーンズ/got LIVE if you want it!(1966)

ビートルズがライブ活動停止宣言をしたら、遅かれ早かれ解散するだろうと噂になり、様々な海賊盤が出回ったらしい。これはその余波ともいうべきもので、実際のロックのライブはこんなもんだぜっ!という感じのものを造り上げてしまったという迷盤。スタジオ録音にグルーピーの歓声をオーバーダブしたり、あの手この手で盛り上げてやった結果、日本において真のロックとはこれだっ!というような過剰な反応があり、ザ・タイガースのデビューアルバムにまで影響が及んだ。ちょうどサティスファクションがアメリカでヒットした後の凱旋講演に当たるが、当のストーンズのメンバーは自分たちの伺い知れないところで編集された当盤を公式には認めておらず、レコード会社の意向で造られた正式の海賊盤ということができるかもしれない。
ザ・タイガース 1967-1968 -レッド・ディスク-

GSブームを牽引したザ・タイガースの赤盤。ビートルズの後に続けと、ともかくチャラチャラしたサウンドで収録されたので、イミテーションの度合いも強い。フラワームーブメントの変態感覚はずっと抑えたまともなバンドだが、それでも十分にカオス状態が推しはかれる。マスメディアが求めた男子アイドルグループと、大人へと成長していくロックバンドとの葛藤が、切なくも甘辛い響きを帯びている。しかし、メンバーたちのその後の芸能界での活躍をみると、その悶え方ひとつとて無視できない。テレビ中継のアーカイヴなど、よくみつけたものと思うが、通常のロックバンドよりも露出度が高く、テレビ局との関係も良好だったことの裏付けでもある。しかし、当時の熱狂的な状況はスタジオ録音では絶対に理解できない。ロックとは作品ではなくパフォーマンスなのだと思い知らされる。
ピーター、ポール&マリー・ライヴ・イン・ジャパン 1967

来日した海外ミュージシャンでは、ビートルズがダントツの人気だろうが、このフォークグループの日本公演のほうがダントツに面白い。ひとつは、演奏中の観衆の驚くほどの行儀良さで、それでいてギター1本の弾き語りだけで思う存分歌うことのできる環境が整っていることである。それが素直に3本のマイクで脚色なく収められている。同じグループのアメリカ公演の騒々しさに比べると、そのアットホームぶりに驚くのである。そして極めつけは、日本語でのMCを務めた中村哲の渋い声で、ギター前奏で語るポエムがすでにカオス状態に入っている。そしてポール氏の声帯模写に入るとバラエティー満載。オマケは舞台写真での毛糸のワンピース。どれもが別々のアイディアから生まれた断片であるが、ひとつの現象として観衆が受け容れている。礼儀正しく知性のある国民性、という外面だけを見つめるには、このカオス状態を理解するには程遠い。自然であること、自由であること、何かを脱ぎ捨てる瞬間が詰まっている。
紀元貳阡年/ザ・フォーク・クルセダーズ(1968)

この時代のエロ・グロ・ナンセンスを代表する名盤で、アングラとフォークを牽引したURCレコードの資金源になったという意味でも、やはりエポックメーキングなアルバムだった。「帰って来たヨッパライ」ばかりが有名なので、音質にこだわるとバラバラに空中分解しそうだが、深夜放送の密やかで淫靡な気分を味わうには、ちょっとローファイなほうが似合う。
渚ゆう子 ゴールデンベスト(1970~97)

ベンチャーズ歌謡というジャンルで名を馳せた歌手だが、録音にベンチャーズのメンバーも参加させるなど、話題に事欠かないが、演歌というよりムード歌謡といったほうがしっくりくる。それもそのはずで、元はハワイアンを得意とする実力派。このベスト盤にもハワイアンが収録されるが、垂涎はハワイアンの大御所 大橋節夫と共演した「七夕の恋」だろう。ハワイアンの柔らかい抒情と、七夕のロマンチックな雰囲気がマッチした佳曲だ。東芝EMIのシルキーな録音は、演歌にはやや異色なタッチだが、渚ゆう子なら許せるという微妙な感じ。
村八分/ぶっつぶせ! ! 1971北区公会堂Live/村八分

恐るべきロックバンドである。今だとガレージパンクっぽい雰囲気と理解されるだろうが、この1971年には凡そそういうジャンルそのものがなかった時代を駆け抜けたバンドの壮絶な記録。本人たちはストーンズの進化形と思っていたかもしれないが、いきなり充実したロックンロール・サウンドを叩きだすポテンシャルは、全く凄いの一言につきる。海の向こう側ではギタープレイヤー専制主義のブルース・ロックが全盛期だったから、ちょっと見逃してしまったという感じである。あえていえばヴェルヴェットのそれと近いが、あっちがアート指向なのに対し、こっちは徹底した破壊主義。同時代の映画「薔薇の葬列」や「新宿泥棒日記」などと並べても、全く色あせないカウンターカルチャーの色彩を放っている。そういう意味でも、後に定式化されたパンクやヘヴィメタに近いのである。録音は典型的なブートレグだが、聞きやすい音質である。ちなみにJensenは、こうしたブートレグの再生に最も強みを発揮する。




【おまけの苦言】


日本の家電とロック世代だけでも、かなりのオマケのような気がするが、ここではモノラル・スピーカー、CD規格、オーディオ・デザインについて、自分なりの思いを呟いてみた。


おまけ1:モノラル録音はモノラル・スピーカーで聴け!】
今回はモノラル録音の多い1960年代ブリティッシュ・ロックについて書いているので、特別枠を設けて苦言を言わせてもらおう。色々と調べてみて判ったのだが、ほとんどのロック・ファンはモノラル録音をステレオ装置で聴いている。1990年にフィル・スペクターが「Back to MONO」というLP4枚組で、自らのウォール・オブ・サウンドの秘伝はモノラル録音にあると、モノラル・カミングアウトをして以降、多くの1960年代ポップスの愛好家は「モノラル・ミックスこそ本物」と賛辞を送ってきた。しかし現実はどうであろうか? 大多数の人がモノラル仕様のCDをステレオ装置で聴いて、今度のリマスターの音質がどうのと、さもご立派な批評をするのだ。え? ステレオ装置で聴いて何が悪いの? そう思ってる人がほとんどだろう。はっきり言おう。現在のステレオ装置はモノラル録音が悪く聞こえるように設計されている。

秘伝その壱:なぜステレオが良くないのか?
ステレオとモノラルとで一番最初に指摘されるのは「モノラルには音場感がない」ということだ。ところがこの定位感を出す仕組みは、パルス波形を鋭く出すことで先行音効果を強調することで成り立っている。先行音効果とは、人間の聴覚は音量の大小よりも時間軸で先行したカサッという物音のほうに敏感に反応し、たった0.9msの差を12dB以上明瞭に聞き分ける。このため現在のツイーターのほとんどは繊細なパルス信号を画き分けるように設計されている。一方でウーハーのほうは重低音を伸ばすために重たい振動板で作られているため、ツイーターよりも音の立ち上がりがずっと遅く、ツイーターだけがチッチッチッとリズムを先行して打つことになる。つまりステレオでの試聴は、音場感や定位感のほうに耳が先にいってしまい、楽曲の印象も結構左右されていることに気付く。つまりステレオは楽音よりも音場感のほうが優先される設計なのだ。そして人工的な音場感の多くは録音側のサジ加減で品質管理されているため、標準的な尺度が未だにないのが実情である。あえていえば、この曖昧なステレオ音場の形成のために、モノラルHi-Fi録音がもっていた一体感のあるサウンドが全く意味をなさなくなった。この音響設計で仕立てたスピーカーでは、たとえモノラルだからとスピーカーを1本にしても弊害が無くならない。それはBBCだと1970年代後半から、アビー・ロードでは1980年代以降に採用されているモニターシステムでも同様で、モニタースピーカーがフラットでニュートラルということは、モノラル音声については正しくない。

BBCでのステレオ音場のスケールダウン実験(1970年前半)

左:A-Bステレオ・マイクアレンジ
右:スピーカー位置の角度とパルス波の到達時間差による音量差の指標


代表的なモニタースピーカーのステップ応答(左:小型2way、右:大型3way)
(各クロスオーバーで位相にねじれ→大口径ウーハーは200Hz以下が大幅に遅れて強調)

さらに、高音と低音とで時間軸をずらした現在のステレオ・スピーカーの音響理論では、モノラル録音のトーンバランスまで崩れてしまう。特にビートの迫力を重視するロックでは、高域のプレゼンスがセッション毎にバラバラな印象を与えたり、低音を増せば増すほど迫力が減退するという逆転現象も生じる。これもニアフィールド・モニターでの音響設計で、ツイーターがパルス波形に傾倒し、ウーハーが反響音で存在感を増すという、サウンドステージ上での役割分担が進んだ結果である。ところがモノラル録音は直接音で一斉に畳み込んでくるので、スピーカーでの人工的な采配によってビートがバラバラに崩れる。ビートの迫力は、仮想音像の音場感で捉えてはダメで、ボディを伴ったストレートな一体感がなければならないのだ。
ちなみに、モノラル録音はスクラッチノイズの混同を避ける理由もあって、空間性を示す超高域のアンビエント領域をコントロールしていないし、8kHzまでの帯域を有効に使うため4kHz前後の中高域のプレゼンスを高めに収録している。これに対応する真空管からスピーカーまで高調波歪みの嵐だと言っていい。このためデジタル対応で精緻な音像定位を表現できる現在のスピーカーでモノラル録音を聴くと、ツイーターが野放図なパルス成分に過剰に反応してしまって、音場表現の錯誤が起きてしまうのだ。たとえば、エコーチェンバーを通したボーカルがビックマウスになってスピーカーの背後に漂っていたり、ドラムがまるで小さな箱のなかに詰まってるように鳴っていたり、ボディ感を失ったエレキギターはツイーターにペッタリ張り付き分身の術を披露したり、ミックスする前のマイク位置のデコボコ感がハンパない状態に再生する。これは録音が古いから悪いのではなく、ユーザー側の再生方法が人工的に偏っているから起こる過失ともいえる。

ステレオ装置で聴くモノラル録音を可視化するとトンデモないことに…
やっぱり等身大で楽しもう!!


さらに1960年代ポップスのステレオ録音は、俗にいう「ピンポン・ステレオ」と言われるもので、左右に楽器が別々に振り分けられただけの2chモノラルである。あえて言えば、1960年代までのポップス録音では、ステレオ化はモノラルの発展形としては捉えておらず、むしろモノラル録音の解体と考えていた点だ。当時のステレオ電蓄の大半はアンサンブル型と言って、ステレオラジカセを巨大にしたようなもので、当然ながら壁一面に広がって鳴るだけの音場感で十分にステレオっぽいと言っていたのだ。実際にステレオ電蓄に付属していたカートリッジは、クロストークは-20dB程度、6kHzより上はほとんど分離しないものだった。同じことはジュークボックスにも言えて、カートリッジはポータブル電蓄と同様のAstatic 17D、Sonotone 9Tといったセラミック型を使用、2本のスピーカーの配置は1つの箱に収まっており、商業店舗の部屋の大きさからすれば音響はほとんどモノラルである。デッカ製の最高級ステレオ電蓄は、さすがに最新のカートリッジを搭載していたが、ツイーターを無指向性に近い拡散配置したもので、定位感よりも音の広がり感に重きを置いた設計になっている。このような1960年代前半くらいの仕様が、オーディオでモノラルとステレオが共存した時代の分水嶺である。


最高級電蓄:デッカ社 ステレオ・デコラ(1959)とEMI製ユニットの特性



アメリカ製ステレオ・ジュークボックス:Rock-ola社 Capri(1963)

ソノトーン社 9Tステレオ・カートリッジの特性(Rock-ola社に実装されたAstatic 17Dと同等品)

秘伝その弐:モノラル録音の成長政略を見直す
かようなステレオ・シンドロームともいえる過誤に対し、元のマルチトラックのテープが残っていれば、再編集して今風にリミックスできるのだろうが、オーバーダブを重ねた初期のモノラル音源に関してはもはや帳尻を合わせることは不可能である。むしろマルチトラック録音に至るなかに、ステレオでの音場感のみではなく、モノラル・スピーカーでもよく鳴るノウハウが成長戦略として模索されていたというべきだろう。タラレバで話せば、1960年代のモノラル・サウンドがそのまま進化していけばどうなったか? そういう視点で将来像を見据えないと、デジタル時代のモノラル録音の存在意義は単なるブームで終わってしまうと思う。つまり1960年代に感じる発展途上のように試行錯誤したサウンド・メイキングは、まさに成長過程にあるがままの状態をライブな状態で再生することで、正しくモノラルで聴く必然性を問うことができるのである。
モノラル時代もマルチマイクで収録していたが、互いの音が少しずつ被るようにセッションを組むほか、ウォール・オブ・サウンドのように、楽器をすし詰めにして部屋の響きの縮退を利用しコンプレッサーと同じ効果を自然に出すような工夫もされた。つまりモノラル録音では、ライブステージと同じように各パートの繋がりが保たれたまま、ビートとサウンドの一体感が優先されていたのだ。これをステレオというパレットに移し替えて曖昧な音場感に喩えると、名前通りスクリーン状にそびえ立つ音の断崖絶壁と理解されたり、単なるスカスカなエコーに聞こえたりと、部屋全体がビートで波打つ躍動感とは程遠いものとなる。これはロカビリーを生んだサン・スタジオでも行われていた音響効果で、ロック特有のノリを作る重要な要素である。逆に言えば、バイロイト劇場の独特な地から湧き出るようなサウンドを、ロックに喩えたこと自体がフィル・スペクターの奇才ゆえである。

ビートルズ1963アビー・ロード(広い空間で互いに距離を取って演奏)


ビートルズ1963BBCパリ・シアター(ボーカルAKGD160、ドラムSTC 4017、LSU/10をPAとして使用?)

ローリング・ストーンズ1964チェス・スタジオ(標準的なポップスのセッション)

「ウォール・オブ・サウンド」1963ゴールドスター・スタジオ(すし詰め状態)

しかしながら、モノラル録音はモノラル・スピーカーで聴くべしと言ったところで、現在の多くの人が思い浮かべるモノラル音声はラジオの音である。これは1960年代から、家庭用に本格的なモノラル機器が製造されなくなり、ラジカセ以上のモノラルHi-Fi製品を見かけなくなったことによる。つまりステレオの普及に伴い、モノラル音声とは10~16cmのフルレンジで聴くもの、ということが常識となったのだ。かといって、上述したように1960年代までのモノラル録音は、現在のステレオ・スピーカーでは醜い音で鳴るようにしかできていないので、モノラル再生には専用のスピーカーが必要である。
ところが他のモノラル再生機器はモノラル・カートリッジからモノラルアンプまで新品で揃えられるのに、出口のモノラル・スピーカーだけは本格的な物がメーカー製の既製品にはないのだ。このためモノラル・スピーカーは保存状態の良いビンテージ機器を手に入れるか、新品ならば自作しなければならない。自作に関しては1950年代に最初にHi-Fi録音に接した大多数の人も同様で、ほとんどはDIYで凌いでいた。ただし、1950年代から半世紀以上経過した現在では、このモノラル・スピーカーに適したユニットが圧倒的に枯渇しており、ビンテージ品だとラジオ用のフルレンジ1本でも数万円、さらにHi-Fi用に整えられたものはその4~5倍、さらにマルチウェイとなればユニット数だけ費用が膨れ上がる。普通のサラリーマンには到底手の届かない代物だし、それ以前にオリジナルプレスのモノラルLPを大量に持ち合わせている人がどうするか悩むような異世界の物語である。
現状のモノラル・オーディオは、貧富の格差が極めて大きい現状があって、それは1960年代にも変わらず存在した。確かに言えることは、どの人も同じレコードを聴いているという事実のみで、他人のオーディオ環境の良否など検討しようとは考えようともしなかった。それをやると、あからさまに貧乏人をこき下ろすことになりかねないからだ。1960年代はブルースやロックという経済的には一番貧しい層の音楽が、レコード売り上げでは一番儲かる仕事へと変容していった。いわば、レコード業界における経済支配を底辺の社会層が支える民主主義の体裁が整ったのである。一方でのオーディオ環境は改善されることなく、古い電蓄をステレオに買い替えることでようやくリニューアルすることができたと言っていい。そこでモノラルよりもステレオのほうが立派という程度でやり過ごしたのだ。これが1970~80年代になると、モノラルHi-Fi製品を製造しなくなったこともあり、モノラル音源=ラジオ品質という思い込みが深まり、モノラル時代とのオーディオ理論の乖離も益々激しくなった。つまりモノラル録音されたブルースやロックのための家庭用オーディオは、子供のまま成長を止められたのである。
私個人はモノラル再生に適したフルレンジスピーカーでの試聴は、確かな時代背景をもったUKロックの原体験として否定はしないが、モノラル録音用の再生装置は、ステレオに移行せずにモノラルのままで成長する将来像を画く必要がある。これを現在のデジタル技術と組み合わせて考えるのが難しいのであるが、ただ大きくて高性能なスピーカーと高出力のアンプを選べばいいというわけではなく、モノラル録音された時代の音響技術に沿った知識が必要である。ここでの知識はいわば骨格のようなものだが、デジタル化で失われたものがあまりに多いので、そこを再現するための肉付けにセンスが必要である。その意味では現状でのモノラル再生は創造的な部分を多分に持っていると思う。なんと言ってもモノラル時代の音響技術に関する骨格さえあやしく、例えば、10kHz以上の高音が足りないからエレキの音が冴えないと考える人が多いことを勘定すると、1970年代のロックコンサートでJBL D130が重宝された理由を全く考えていない節がある。このようにロックのためのオーディオというのは、まだまだ初歩の段階にあると考えていいだろう。

ここでモノラル再生に必要な事柄として象徴的だったのは、1960年代末に録音スタジオのミキサー卓が真空管からソリッドステートに変わった際に、アメリカのロスでドアーズを担当していたエンジニア ブルース・ボトニックが、それまで天井の高いパンチのある音が失われたと絶望していた。このように、レコードになる前の素のままのテープの音は素っ気なく、それなりに再生オーディオ側から忖度をしないとパンチのある音が出ない。おそらく同じショックは、CD初期の「スタジオの音そのまま」のチープなコピー商品に失望させられた経験にも言えて、わざわざリマスターという仕事まで増やした歴史がある。だからといって同時代にきちんとしたかたちでリリースされなかった音源はアナログ盤として残されることがなかったわけで、アナログ盤でなければダメだとも言ってはいられないのだ。
このロスのブルース・ボトニックは、録音仕立てのテープを自らアセテート盤にカッティングして、知り合いのDJにそれとなくAM放送で掛けてもらい、深夜のカーラジオでコロムビアやビクターなどの大手のスタジオの録音と混ぜこぜで聞き流して、リスナーの反応を聴くのが楽しみだったという。同じことはイギリスの海賊ラジオでもやっており、8トラのカセットに入れたデモ音源を流し、今でいうプレリリース時にYoutubeでPVを流すようなことをやっていた。実はエルヴィス・プレスリーのデビューも、リリース前の最初の録音をサム・フィリップスが担当するラジオ番組で流したところ、レコードの問い合わせが殺到したので、急遽プレスを決定したのだという。モノラルのラジオ音源には、それだけ密な情報が詰まっているのである。
そのうえで1950~60年代に家庭用のオーディオ環境が、ラジオ以上に成長しなかった理由のひとつに、好きな曲を¢10で聴ける立派なジュークボックスがあったことが挙げられる。1950年代アメリカだけで言うと、レコード売り上げの75%がジュークボックスで占めていたというから、ほとんどの人はレコードをジュークボックスで楽しんでいたと言っていい。逆にモノラル時代の家庭用Hi-Fi機器は、高価なLPを買えるアッパーミドルの層に特化されており、長尺の作品が多いクラシックやジャズの愛好家に向けて発展していった。逆に言えば、1960年代までロックやブルースのレコードを聴くのに、最高のオーディオ環境は商業施設のジュークボックスだった。残念ながら家庭用の高級オーディオではない。ステレオLPをより良い条件で聴かんとするため、モノラル時代のジュークボックスを捨てたのは、まことに大きな過ちだったと言えよう。

秘伝その参:デジタル時代のモノラル・スピーカー入門
【プランA】ジュークボックスを模擬した2wayスピーカー
そこで私は、モノラル録音をCDベース(つまりカッティングされる前の素のままの音)で誰でも心ゆくまで楽しめるように、1960年代初頭のジュークボックスを念頭においてモノラル・スピーカーを組み立てた。しかも入門者でも楽しめるように、希少かつ高価なビンテージ品を使わずに、現在でも製造中のパーツで組むようにしている。この2個のスピーカー・ユニットを合わせても1万円を切るお値打ちものでもある。この手のビンテージ・オーディオが好きな人からは、あまりに安すぎるため結構バカにされるのだが、これ以上の音を求めるのはヤメにしている。
モノラル・スピーカーの要点は、上記のジュークボックスにみるように、大口径エクステンデッドレンジ・スピーカーとコーンツイーターで、この2つのユニットを後面解放箱に入れている。ただし普通に売っている大口径ウーハーとツイーターでモノラル・スピーカーを作っても、決してうまくいかない。このほうが重低音も超高域も出るが、ステレオ用のものは高域が鋭敏なパルス成分を多く拾い、低音が鈍重な反応の重低音を引きずるなど、音域の分業化をとことん進めており、、肝心のボーカル域の波形が二重三重に乱れて、モノラル時代とは音響理論が異なるからだ。ストレートなビートの立ち上がるなかに含まれるボディ感のある迫力は、ビンテージ仕様の大口径フィックスドエッジ・スピーカーからしか叩き出せないと私は思っている。


コーンツイーター
Visaton TW6NG

猫のエサ皿に固定

エクステンデッドレンジ・スピーカー
Jensen C12R(後面解放箱)
56cm高×43cm幅×29cm奥行

我が家の自作モノラル・スピーカー

エクステンデッドレンジとは、1920年代のアコースティック蓄音機の再生周波数100~4,000Hzを拡張した、100~8,000Hzを再生するための規格で、1950年代はAMラジオ、78回転SP盤、映画館と全ての音声フォーマットを横断する帯域だった。多くのエクステンデッドレンジ・スピーカーは当時のラウドネスの考え方(元は補聴器の理論)が反映されていて、100Hz付近と4kHzを膨らまして、少しドンシャリだが遠くまでよく声の通る特性をもたしている。ボーカル域を拡声するように特化したものとも言え、当時のPA機器にも流用された。
ちなみに一般に知られるフルレンジ・スピーカーは、このエクステンデッドレンジの両端をフラットに伸ばしたもので、フリーエッジにして低音はバスレフ箱で増強、狭い指向性で10kHz以上を伸ばすなど、ステレオ録音に適した仕様になっている。このため、フィックスドエッジのエクステンデッドレンジ・スピーカーが設計されたのは1940年代までである。例えばJBL D130は1970年代まで長く製造されたが、1950年代のフィックスドエッジと1970年代のフリーエッジでは全く異なる。よく言われるセンターのアルミドームの悪目立ちは、フリーエッジにして以降の特徴でもある。かといって1950年代のD130は希少なうえに、コンディションの良いものはステレオペアでしか売ってくれない。モノラルで見つかってもエッジにヒビの入ったものがほとんどで、ロックを引っ切り無しに聴くなど耐えられない。あと大口径のストレートコーンは乾いているときに最高のパフォーマンスになるように設計されていて、個人的には「曇りのち晴れの法則」と呼んでいるが、湿気に弱くて雨の日はどんより沈んだ音になり、センタードームだけカラ元気ではしゃぎ回る。口だけ動いて仕事しない典型となるので、それでも好ましいと思うのはユニットそのものに恋しているからだろう。

歴代エクステンデッドレンジ・スピーカー

私の使用しているJensen C12Rは、現在ではギターアンプ用として販売されているが、開発当時の1947年は電蓄からPAまで汎用性のあるスピーカーとして設計された。よくギターアンプ用というと歪みだらけの印象を抱く人が多いが、むしろクリーントーンで聴くような甘い倍音に特徴があり、最初に聴いたときはコーン紙そのものにリバーブ機能が備わっているかと思ったくらいである。これでもいちよプロ用のPAユニットで、通常のオーディオ信号ではびくともしない安定感があり、前身のアルニコ磁石のP12Rまで含めると、1956~64年までRock-ola社のジュークボックスで使われ続け、アメリカンポップスにおいてはまさにレジェンド中のレジェンドたるユニットである。これより高価なP12Nもあるが、ジュークボックスにはC12Rが使用された。さらにジェンセン社のエクステンデッドレンジ・スピーカーは、シカゴ・ブルースのPA装置としても、そのサウンド創成に深く関わっており、これがUKロックに合わないはずがない。
このユニットの特徴は、30cmという大口径にも関わらずフィックスドエッジでの機械バネを利用することで、200Hzくらいまで瞬発力のある中低域を叩き出す。モノラル期のアコースティックなドラムやベースを弾むように再生し、これ抜きではロカビリーは生命力が減退すると思えるくらいの効果がある。それにも増して凄いのは、ボーカルの腰から声の出るような実在感で、一般に中高域のプレゼンスだけで評価するリアルさではなく、まさにボディ感の伴う表現である。実際にここまで拡声しないとモノラルの面白さは半減するとも思っている。代わりにfoが80Hzと高いため、重低音の再生は10cmスピーカーとそれほど遜色ないが、それにも増してフルボディで再生されるモノラル録音の一体感は他に代え難い。
新品である良さは、万が一に壊れたときの交換が購入価格の点でも容易な点と、初期のエージングの過程で、日本の気候に馴染ませながら音調を整えることができることだ。ビンテージ品のもつ独特の雰囲気は、それが一期一会のものであるからで、逆に別の筐体に取り換えれば一からやり直しで、調整はスピーカーだけに留まらずアンプやプレーヤーにまで及び、調整期間はこれまでの修行の繰り返しとなる。ビンテージ・オーディオはこの使いこなしの熟練度で音が変わる点が面白いのだが、一般に音楽を観賞するための環境としては適さない。

Jensen C12Rと正面の周波数特性(斜め45度でフラットになる仕様)

スピーカーを30cmとした理由は、低音の増強のためではない。200Hz付近までコーン紙のダイレクトな振動で音が鳴る点だ。コーン紙を平面バッフルに見立てて最低周波数を計算すると、10cmで850Hz、20cmで425Hz、30cmで283Hzとなり、喉音、実声、胸声と次第に下がってくる。あえて言えば、唇、顔、胸像という風に声の描写の大きさも変わってくるのだ。それより下の周波数は、エンクロージャーの共振を利用した二次的な輻射音になる。小型フルレンジでは胸声が遅れて曖昧に出てくるため、表現のダイナミックさに欠ける。このボーカル域の要件を両方とも満たすのが、古いPA装置に使われていたJensen C12Rのようなエクステンデッドレンジ・スピーカーだ。喉声以上の帯域に対し遅れを出さずに胸声までタイミングが一致して鳴らせるようにするため、高域を多少犠牲にしても、スピーカー径を大きくすることで自然で実体感のある肉声が聴けるのだ。


人体の発声機能と共振周波数の関係


30cmはハートの叫びがきこえるサイズ

このJensen C12Rのエンクロージャーには後面解放箱を使用している。元はアルテック 618B型エンクロージャーを模したものだが、裏蓋を取って後面解放とした。
低音のバランスを整えるための箱の候補として思いついたのは、①後面開放型、②スーツケース型密閉箱、③Jensen推奨のUltraflex型、など。後面開放型は音の勢いを活かしたもので、ジュークボックスも実はこの方式になる。スーツケース型は、ギターアンプなみの小型PAで、ラジオ局のモニターにも使われた仕様だ。Ultraflexはショート・バックロードホーンの一種で、日本ではオンケン型として知られるもので、当時のカタログにはP12RXに使えると書いてあるので、それなりにまとまるような気がする。しかしC12R自体がFo=88Hz、Qo=2.47と、超の付くくらいのローコンプライアンス型なので、今風の共振で低音を稼ぐバスレフは合わない。稼ごうとしても、Fo付近のインピーダンスが大きな壁となって、100Hz付近がこんもり持ち上がるだけなのだ。


Jensenの箱プランにあるUltraflex型エンクロージャー(やはり30cm用で大振り)

ここで箱の低域特性を色々とシミュレーションをしてみると、このユニットの扱いの難しさが判る。机上の計算では、指定箱のバスレフでは共振点が45Hzと低すぎてほとんどカスリもしない。密閉箱ではfocが115Hz程度であり、逆に後面開放にしたほうが、見掛けの周波数が下がるということになった。試しに計算してみたC12Rの裸のまんまの特性もほぼ間違いないことが確認された。さらにC12Rの場合、Qo1=2.47と極端に高いユニットであることを勘定すると、箱のfoc付近で大きく盛り上がることが予想された。現在のカタログではDIN規格に基づいた2m強の平面バッフルを使っているが、これだけ大きくしてもユニットのfoが引っ掛かって90Hzで盛り上がり急降下している。ちなみにUltraflexにした場合も100Hz近傍の持ち上がりが目立つだけで、箱の大きさに比べそれほど大きな効果が期待できないことになる。


   裸特性 後面開放 密閉
618B
SBH
Ultraflex



fo(Hz) 88 88 88 88
Qo - - 2.47 2.47
mo(g) - - 29.5 29.5
a(cm) - - 12.5 12.5
H(cm) 30 56 56 74
W(cm) 30 43 43 54
D(cm) 0 29 29 39
V(L) - - 55 150
foc(Hz) 283 84 115 99



S(cm2) - - - 367
L(cm) - - - 20
fd(Hz) - - - 45.5

裏蓋を取って後面解放!


このような経緯でJensen C12Rは後面解放箱に入れるようにしたのだが、結果は中低音までバランスの取れたキビキビした反応で、高音から低音までの見通しが良いので、重低音も聞こえないわけではないという感じに収まっている。肝心なのは音楽の躍動感であって音の響きではない、という当たり前のことが判るだけでも目標は達成できたと言うべきだろう、


もうひとつのコーンツイーターだが、これは現在製造しているものでオーディオ用に使えるものが少なく、ようやく見つけたのがドイツのVisaton社のもので、おそらくラジオ用の代替品である。このコーンツイーターは測ってみると、5kHzと13kHzに分割振動のある、三味線でいうサワリのような機構であり、定位感とか出せるような代物ではない。逆に高域の主要な帯域(子音と奇数倍音)を部屋中に拡散するようにできている。しかしこれだけいい加減な設計にみえても、Jensen C12Rとの出音のタイミングがぴったりと噛み合っており、現代的な設計のツイーターではどこか違和感を感じていたものがスッキリ解消した。

ドイツ製で格安のVisaton TW6NGコーンツイーター(試聴位置:仰角75°からの特性)

Visaton TW6NGのタイムコヒレント特性(分割振動が多くいい加減)

ちなみにJensen C12Rは3.5kHzで切っているが、これはボイスコイルで中高域に強い分割振動をもっていて制御が難しくピーキー鳴りやすいためで、なおかつ生きの良さを引き出すため帯域ギリギリまで引き延ばしたいというラインである。よくエクステンデッドレンジは高域を切らずにそのまま使ったほうが、勢いを殺さないので良いと言われるが、ユニットによりケースバイケースだと思う。C12Rも2kHz以下まで切ると本当につまらない音になる点は一般のウーハーと同じなのだ。3.5kHzでクロスさせるとコーンツイーターVisaton TW6NGの鈍めの立ち上がりがピッタリのタイミングで、インパルス応答が見事な1波形のまま保持されている。実は測定上でみた限り、ツイーターを追加した効果というのはほんの少しで、これも耳で確かめながら良い塩梅を探った結果である。ステレオだと定位感を出すためにパルス音の先行音効果をデフォルメしないといけない場面でも、モノラルだとホールで得られる自然な音響バンランスでそのまま鳴らせばいい。

C12Rをチャンデバで3.5kHzカットする前後の周波数特性とステップ応答の比較(45°斜めから計測)


周波数特性(斜め45度計測)

インパルス特性


このエクステンデッドレンジ・スピーカーとコーンツイーターを3.5kHzでクロスさせ、両者のバランスをモノラル録音に合うように聴感を合わせたものが以下のとおりである。周波数特性は超の付くほどのカマボコ型だが、これがコンサートホールでの音響と瓜二つで、なおかつインパルス応答も綺麗な1波形に揃っている。これがDSPでの演算や複雑なネットワーク回路を介さずに実現できた、70年前のPA技術の本来の実力である。それもそのはず、開発当時はジャズのビッグバンドのホーンやドラムなどの生楽器と共演しても負けまいと、ボーカルやギターを拡声するために設計された。出音で遅れてはどんなに出力を上げても音が埋もれるだけである。しかもマイク1本立てるだけのシンプルな集音で効果的に拡声できるようにできており、モノラル録音の基本となる1楽器に1マイクという原則を保ちながら、ホールのようなライブ感を再現するバランスなのだ。

実際のホールトーンと我が家のスピーカーの比較


エクステンデッドレンジ・スピーカーはスウィングジャズ時代のPA機器ではじまった

これらにより、①近接マイクで収録した楽音をホールトーンと一緒にバランスを取るPA本来の音響を回復することと、②パルス波形の再生をボーカル域全体で一貫性を保った1波形に整えること、以上の2点の事柄が一致することで、モノラル録音の本来の音響特性が再現されることとなる。

【プランB】ポータブルプレーヤーを模擬したフルレンジ仕様
さてさてもうひとつ紹介したいのが、初心に戻ってブリティッシュの若者たちが好んで使用していたポータブルプレーヤーへの原点回帰サウンドである。ここでは昔の16cm古レンジ=エクステンデッドレンジ・スピーカーのJensen C6Vを選んでみた。このC6Vは現在製造しているJensenのギターアンプ用スピーカーとしては一番小さく、そしてデビューも1970年代と比較的遅い時期のユニットである。ところが他のギターアンプ用スピーカーの用途がそもそもPA拡声器用であったこともあり、結果的に古いラジオ電蓄の仕様のまま設計されている。フラットで草食系のフルレンジが多いなか、現在も製造し続けている新品ユニットとしてはガッツある貴重なキャラクターをもっているのだ。


中央のメッシュは埃よけで、ボイスコイルのリンギングがダイレクトに耳ざわりする機構をもっている。エッジはビスコロイドを塗布したフリーエッジの一種で(この辺がモダンな設計で20Wの耐入力がある)、最初はバスレフ箱に入れたが、Qts=0.91と比較的高いため、どうにもモゴモゴと暗い音でバランスが悪かった。そこでしばらくお蔵入りにしていたのだが、心機一転して後面解放箱に入れたところ、これまで抑え込んでいたモノが噴き出すようなサウンドに仕上がった。


後面解放箱は、近所のDIY店で切り売りしていた40×45cm、15mm厚のパイン集積材を基本に、周囲を15cm幅×45cm長、19mm厚の板で囲うようにしている。一般的なエンクロージャーと違い密閉性は要求されないので、木工ボンドでくっつけてしばらく手で押さえておけば完成である。仕上げはアサヒペンの水性ペンキで、モンドリアンルックの原色ツートンカラーでまとめている。


以下、試聴位置からの周波数特性をみると、500Hz辺りに大きなクビレがあるのは、ユニットからのダイレクトな振動から、バッフル面の反響音でのリカバリーへの移行するポイントである。これはステップ応答にも現れており、初発の波形から1ms遅れた山がそれに相当する。実はこの500~1,200Hzへと持ち上がる特性と、クリアに減衰するステップ応答とが、電気録音とラジオ放送が開始された1920年代から、アナログ末期の1970年代のラジカセまで引き継がれた家電音響製品の黄金比であり、かつそのオリジナルのバランスである。逆にクラシックやジャズのHi-Fiモノラルの優秀録音では高域が粗雑で歪みが目立つ傾向にある。こうした点が一般にオーディオマニアに好まれる音質とは異なる点である。

Jensen C6Vの周波数特性とステップ応答


このサウンドの隠し味は、サンスイトランスST-17Aという、昭和30年代のトランジスターラジオに実装されたライントランスである。 トランスには磁気飽和による高次歪みと僅かなコンプレッションがあって、実はLPからCDに変わった後に音楽が味気なくなったのは、単にマスタリングの問題だけでなく、パッシブに動作する磁気歪みが関与している。同じような効果は、テープヘッド、カートリッジにもあり、唯一スピーカーだけが磁気回路をもつオーディオ部品となってしまった。私の場合は、ギターアンプ用スピーカーの分割振動も含め、倍音成分(高次歪み)を大歓迎で混ぜこんでいる。ただ倍音の出やすいのは出音のパルス性の波形に対してであって、普通のサイン波はクリーンな音である。もちろん歪みが増大するブレークポイントがあるので、それ以上の音量を出さないのも使用上の注意としてあるが、小さなC6Vでさえ20Wの耐入力のあるプロ用ユニットなので家庭用として全く不便はない。

ラジカセ基板のB級プッシュプル段間トランス、サンスイトランス ST-17Aと特性

1kHzパルス波を再生したときの倍音(高調波歪み)



秘伝その四:モノラルは斜めから聴くべし
あとモノラル・スピーカーの聞き方は、真正面ではなく、斜め横から聴くのが基本である。多くの人は真正面で聴かないと両耳に均等に音が伝わらないと思っているが、これではスピーカーで聴く利点が減退してしまう。録音品質に責任をもつプロデューサーでもスピーカーの正面からなんて聴かない。ジョージ・マーチンやアーメット・アーティガンでさえ絶対に真正面には座らない。この二人のスピーカーと耳の位置がほぼ一致している点は注目に値する。

左:モノラルのプレイバックを聴くジョージ・マーチン(1963、アビー・ロード)
右:モノラルで聴き入るクリームの面々とアーメット・アーティガン(1967、アトランティック)

以下の図は、点音源の現実的な伝達のイメージである。モノラルからイメージする音は左のような感じだが、実際には右のような音の跳ね返りを伴っている。私たちはこの反響の音で、音源の遠近、場所の広さを無意識のうちに認識する。風船の割れる音で例えると、狭い場所で近くで鳴ると怖く、広い場所で遠くで鳴ると安全に感じる。


左;無響音室でのモノラル音源 右:部屋の響きを伴うモノラル音源

実際には両耳の僅かな時間差や周波数特性の差分で、モノラル音声は立体的に聴こえるようになる。人間の脳の演算速度は考えているよりずっと早く、右耳で聞いた音波が左耳に届くまでには、すでに最初に届いたパルス性の高域成分を脳内で感知していて、残りのもっとエネルギーの強い音響をより深いところで感じ取ることになる。実際のコンサートホールでも右側に席を取ったからと、右耳からバイオリンの音が聞こえないとは感じない、自然にトータルな音響を聞き取っているのだ。むしろ直線性の高いダイレクトな音のほうが珍しいだろう。ボーカルだって真正面に座られては目障りだし、ささやき声で話すときは顔を近づけるのではなく、耳に口を近寄せて反対から聞こえないことで内緒の伝達と認識するのだ。リアルな音響では両耳で同時に聞こえなくても、音響の不整合を脳内で勝手にモノラルにミックスしてしまうのだ。人間には耳が2つあってもハートはひとつである。この当たり前のことをモノラルは語っているのだ。

モノラル時代のスピーカーレイアウト(左:グンドラ・ヤノヴィッツ、右:クリント・イーストウッド)


【おまけ2:CD規格への思い】
少し余談になるが、私のようにCDでモノラル再生を味わい尽くすという企画に際し、CD規格のたちあがり前夜のオーディオ事情について話そうと思う。とはいえ、私自身は規格策定に関わった人間ではないので、あくまでもユーザーサイドからの横やり程度に考えてもらいたい。

現状では、CDのモノラル音源をその時代の音響設計に沿ったモノラル・スピーカーで聴いていない人があまりに多く、その原因をさぐると、そもそもCD周りのアナログ系統が新しいステレオ理論で固められ、もはやオーディオの進化について後戻りできないと信じ込んでいることに気が付いた。
最初に言っておくと、CDだからデジタルっぽい薄っぺらい音というのは全くの幻想で、アナログ部品を適度に使うとアナログっぽい音になる。同じことは真空管からトランジスターへの移行期にも言われ、その頃のNEVEのミキサー卓やEMTの鉄板リバーブなど、独特のアナログ的な味を出す機材でサウンドを整えていた。そもそもアナログテープをコピーしただけなのに、デジタルで音質が変質すると思っているところで、何かがおかしいと思わなければいけない。そしてその多くの原因はCDプレーヤーのアナログ伝送系の弱さに起因している。これはマイクアンプやアナログ・テープレコーダーのヘッドアンプに比べると、DA変換のロジックに重きを置き過ぎて、その後はまるで無策といえるほど弱い。安っぽいカートリッジで聴くアナログ盤と同じで、薄っぺらい音が出て当たり前なのだ。

CDの記録方式であるPCM44.1kHz/16bitの規格は、20kHzまで伸びきった高音と、S/N比90dB以上という驚異的な低ノイズによって、アナログテープのヒスノイズから解放されたようなことを言っていたがウソである。最初はアナログでは出せない高域のストレートなエナジー感を出そうと、見掛けのキラキラ感が先だって派手な音でないと困るようなイメージがあったが、もちろん制作側の演出でそうしていたのだ。1980年代にCDをロボットの発する音のように発案したのは誰かといえば、むしろコンシュマー市場のデジタル対応アナログ機器だったといえよう。私個人のCDそのものへの感想ではどちらかと言うと、どの周波数域でもニュートラルという印象で、むしろペッタンコすぎて表情が判りにくいきらいはある。むしろデジタル録音で問題になったのは、周波数レンジをカタログ通りに広げるために選んだシャープ・ロールオフのデジタル・フィルターのもつ非線形性で、パルス波の前後に微小ながら超高域のリンギング(ポスト&プリ・エコー)が乗ってくる。これがあらゆる波形に累積してくるのでデジタル録音にザラザラした印象を与える結果となっていたのだ。
1980~90年代のオーディオ機器で、「デジタル対応」として20kHzまで完璧に再生しますよ、という宣伝が巷に溢れた。酷いのは20kHz付近にハレーションを起こしたスピーカーがイギリスを中心に世界中に流布したことで、B&W、Celestion、Acoustic Energyなど名立たるメーカーが、この手のハードドームツイーターを採用し、デジタル時代の明瞭な音調として受け容れられたことだった。このスピーカーで耳ざわりの無いように忖度してパルス成分を研ぎ澄ました録音が増え、高域の精密なコントロールにケーブルの銅線1本の材質まで厳しく求められるようになっている。実際に異常に緊張感の漂うサウンドで、スピーカーの周りだけ別の空間がポッカリあるような感じで、いわゆるコワモテ上司が仕事を誰に投げようか身構えている雰囲気をプンプンさせている。こうした規格競争は、CD規格の策定時点で指摘されていたように、音楽の本質とはあまり関係のない(それ以前にDACのフィルターの非直線性からスピーカーの位相ねじれまで不自然な音響的課題を無視している)もので、最初から手詰まりだったような気がする。

デジタル録音に特有のポスト&プリ・エコー、1980年代のデジタル対応スピーカー


ところが、CD規格を策定した1970年代末の楽曲はFM放送での認知度が規準であり、超高域のデジタル・ノイズなどはFM波特有の2~15kHzの三角ノイズの霧のはるか向こうの話で、ほとんど問題にはならなかった。FM電波の特徴として「砂嵐」と称されるホワイトノイズがあり、特に耳に付きやすい高域方向にエンファシスを掛けてノイズリダクションを施している。送信側でプリ・エンファシスを+6dB/oct掛ければ、受信側で逆のディ・エンファシスを掛けて元に戻すのだが、エンファシスを掛け始める周波数に差があり、欧州では50μs、米国では75μsとそれぞれ規格の違いがあり、日本ではラジオで50μs、テレビで75μsという棲み分けをしていた。理由は75μsの音声を50μsの受信機で聴くと、中高域から+4dBカン高くした音で再生されるためで、エンファシスの時定数はいわば放送規格の砦だったといえる。


このようなプロモーション側の理由もあってか、CD規格を策定する際に多くの録音エンジニアにヒアリングした結果も16kHz以上は楽音として影響しないという結果だった。それどころかクインシー・ジョーンズのような怪物は、150~8,000Hzしか再生できないオーラトーン5Cという小型フルレンジでミキシングするように推奨していた。つまりこの状態で聞こえない帯域は、音楽のコアな部分としてあえて認めない作戦に出たのだ。1980年代のギガヒットであり誰もが憧れたマイケル・ジャクソン「スリラー」もこうして作られたのであるが、むしろ録音されたウェストレイク・スタジオの大型モニターを使用したからだと説明された。同じ時期の日本ではオーラトーンの役目は有線やラジオ向けのモノラル音声確認用としてしか使用されていなかった。日本もバブル崩壊に向かってまっしぐらのイケイケ状態のなか、音楽性を保持する戦線をどこかで見失ってしまったとも言える。私なりの意見では、スピーカーの超高域を伸ばして楽音のパルス成分を研ぎ澄ますよりも、規格立案の原点に立ち戻って、デジタルノイズをアナログ的に曖昧にしたほうが、楽音への実害がなくて良いと思う。

B&W実装前後のアビーロードスタジオ(1980年)
前面のコンソールはビートルズ解散直後に新調したもの


マイケル・ジャクソン/スリラーの録音されたWestlake Studio(1982年):
ほとんどの編集はオーラトーンで行い、メインモニターのカタログ上のスペックは16kHzまでだった


そこでFM放送=Hi-Fiという印象は、50~15.000Hzという控えめな帯域をちゃんと使いこなしていたからだということができる。FM放送に向けて開発されたモニタースピーカーに注目すると、JBL 4320(1972年)は、ロックのライブステージで培ったパワーハンドリングのタフな面をコンパクトに絞り込んで、ガッチリした重低音とどこまでも音圧の上がる中高域の強健さが巧くバランスしていた。このように放送規格という枠組みを規定されたなかでも、それぞれのメーカーがエンドユーザーに向けたサウンドデザインをしっかり主張できたし、その結果は今もなお生き続けているともいえる。

三菱 2S-305とJBL 4320:共に50~15,000HzというFM放送のスペックを死守している

BBCモニターとしては最後になったロジャース LS5/9(1983年)は、LS5/8をミッドサイズに収めたものだが、製作現場がサテライト化していくなかでの要望に沿ったものだったと思われる。ここではBBC特有のオーダーである「男性アナウンサーの声が明瞭に聞こえること」という基本形と、音楽制作でのフラットネスとをどうバランスさせるかの知恵比べが繰り広げられていて、ポリブレビン・ウーハーに独特のツヤを与える代わりに、かなり複雑なネットワーク回路を介して辻褄を合わせている。このため開発時にはバイアンプで鳴らすことが計画されていた。LS3/5が重たいネットワーク回路で有名だが、現在のように低能率のスピーカーでも難なく鳴らせるアンプが多数ある現在では、あまり問題にならないかもしれない。

BBCモニターの最後の作品LS5/9:中域の過度特性を重視してウーハーを設計した

このようにCD規格のサウンドポリシーは、FM放送を巡ったアナログ技術にあり、そのFM放送規格は1950年代からそれほど変わりなく存続していたのである。デッカのステレオ・デコラ、テレフンケンS8といった高級電蓄もまた、FM放送創成期のHi-Fi理論によっているし、もちろんその頃の規格は1980年代もそのまま使われていた。この事実関係を探ると、CD規格はモノラル時代から変わらぬアナログ規格の申し子なのである。その証拠に、CDプレーヤー以外のオーディオ機器は20年間以上もアナログ機器で囲まれていた。むしろ21世紀のパソコンやi-Podの普及により、デジタルでの音声伝送が認知されたというべきで、本格的なデジタルアンプなどはごく最近の出来事である。逆にCD以降を古いラジオ用のアナログデバイスで噛ますと、ふつうにラジオ風の暖かい音がする。CD規格の策定時のスタジオ環境もアナログ機器だらけだった。だから私はCDのアナログ臭い音がたまらなく好きなのだ。

その一方で、1950~60年代のモノラル音源について、CDならどんなプレーヤーでも同じように鳴っているだろうと思うひとは不幸だと思う。私の使っているラックスマンのD-03Xは、モノラル録音の再生には全くのお勧めで、かつて購入したCDが実は結構緻密な情報をもっていたんだと感心するような出来で、中域から湧き出るクリアネスというか、音の見通しの良さは、とかく団子状になりやすい収録帯域の狭いコンテンツには、かなりのアドバンテージになる。おそらくIV変換回路あたりからの丁寧なアナログ回路の造り込みが功を奏しているように思える。このD-03Xはただ高音質というだけではなく、BBC音源やライブ・ブートレグ盤のような一聴して雑な収録でも、かつてNHK-FMで聞いたような肉厚で物腰の柔らかい躍動感(デンオンの業務用CDプレーヤーDN-960FAを思わせるような安定感)が再現できているので、ラジオ規格との相性が良いのだと思う。よく最新オーディオというと音の定位感や立体感ということに注目が行きがちだが、中域の音像がクリアで芯がしっかりしているとか、音楽表現の基本的なものを律儀に求めている機種というのはそれほど多くない。このCDプレーヤーの開発者は、1990年にD-500X'sを開発した長妻雅一氏で、最近はネットワーク・オーディオのほうに専念していたが、フラッグシップのD-10Xの影でCD専用プレーヤーの開発を音質面・モデル面を一人で担当したというもの。D-500X'sとは違う意味でアナログ的なアプローチが徹底していながら、ラックス・トーンをやや封印した真面目な造り込みと、見た目にも業務用っぽい無粋な顔立ちでよろしい。

ちなみにD-03XのデジタルフィルターはMQA規格に準じたショートロールオフで、パソコン内のソフトウェアDACから発生させたシャープロールオフと比較すると、プリエコーのリンギングが少なく、パソコンのアナログ出力に感じた中高域のテカリとかドラム音の滲みのようなものは、デジタルフィルターのクリアネスと関連があるとみた。ただし、ラックスマンの開発者の話だとCD側のチューニングをシャープロールオフで行ったが、MQA規格のショートロールオフとの辻褄を合わせるのに苦慮したような言い方をしていたので、おそらくCDはシャープロールオフなのだろう。ただ以前に比べてエコーのレベルも低減されているだろうから、むしろ本来のCD音質(U-MATIC?)の性能に近づいているように感じる。

ライン出力でのインパルス特性の違い:D-03X-USB(左:ショート)、パソコンDAC(右:シャープ)




【おまけ3:スピーカーのデザインについて】
私の場合、スピーカーだけは自作になっているのだが、デザインはいろいろと試行錯誤したあげく、モンドリアン風のカラフルなものになった。気分はミッドセンチュリーのつもりだったが、年代的には同じ「デ・スティル誌」で活躍したアイリーン・グレイにみるように、アール・デコのさらに先をいくようなものだったらしい。とはいえ、こうした大胆な色使いは自作だからできると言えるだろう。1965年イヴ・サンローランのモンドリアン・コレクションは、ミニスカとモンドリアンを合体させたことで、「モンドリアン・ルック」と呼ばれたらしい。現代美術の厳めしい雰囲気とは違い、本来は広がりのある普遍的なデザインだったといえよう。



シュレーダー邸(リートフェルト1924)
モンドリアンのNYアトリエ(1940年代)

こっちは自作モノラルスピーカー


LOOKロードバイク(1985)、シンプリシティ型紙(1965)、イームズ ストレージユニット(1949)

モンドリアンといえば、作品名にも「ブロードウェイ~」とか「ヴィクトリー~」という風にブギウギの名を冠したものを残したように、晩年にアメリカへ移住したときにブギウギにひどく傾倒していた。いわゆるジャズではなく、なぜブギに特定したのか? よく明快なビートとリズムに触発されたと言われているが、モンドリアンがハーレム街の安酒場でリズムを取っているとはあまり想像できないし、ジュークボックスにコインを入れてじっと曲を選んでいるなんてのも愉快な絵柄だ。でも、もう少し長生きすればR&Bにもハマってたかもしれない。それほど時代が近いし、彼の画風が戦争の影をそれほど落とさずに、常に前向きだったことも功を奏したように思えるのだ。



これらの晩年の作品群は製作方法も特異で、色紙やカラーテープをキャンバスに貼り付けただけ、という誰でもマネできるものにまで昇華されていた。自身の美学に絶対的な自信があってのことだろうが、最近になって、紙テープでの試作品「ニューヨーク 1」が75年もの間、「逆さま」に展示されていたことが発覚して話題になった。そもそもアトリエから運び出し、裏側のサインを根拠に「逆さま」に展示した後、競売に掛けられて以降そのままだったと言われるが、それまでピッチの狭いほうが地平線で、そこから立ち上がるビル群を現わしたというような評論まで出ていたというのだから、難解な現代美術にさもありなんという事件に発展した。しかし美術館としては、元に戻すとテープが重力で垂れ下がりレイアウトが狂うので、もはやそのままにしておこうということだ。

モンドリアンの作品は、その単純なレイアウトのため模倣も多いのだが、現物をみるとそのキャンバスの厚みまでが作品と思わせる重量感がある。それはキャンバスの脇まで下地が均質に塗られているということもあるかもしれないが、ブロードウェイ・ブギウギにしても、近くで観ると色紙が捲れたり皺になっていたりと散々だが、たとえ小学生の切り絵のようなものであっても、その大きさという実在感がモノを言っているように思う。それはどんなにチープな造りでも「これが俺の芸術だ」という叫びが聴こえてくるのだ。
別の面では、モンドリアン自身は最先端のアーティストであったと同時に、バウハウスで教鞭を取るなどの教育者としての一面もあり、あるいはファインアートという唯一無二の存在から、より普遍的な美の追求をストイックに続けていた可能性もある。それが色紙やカラーテープのような誰でも手に入れることのできる素材での作品構成に向かわせたのかもしれない。ある意味では、ポップアートからミニマリズムまで網羅できるほどの幅広い可能性があったともいえるし、現在のコンピューター・グラフィックスのデジタルっぽいカクカク画はモンドリアン抜きには考えられない。

モンドリアンと同時代のモダンデザインとして有名なのが、ロンドン地下鉄の路線図で、インフォメーション・デザインの教科書には必ず出てくる名作である。同じ頃のシリル・パワー作の地下鉄に関連する版画は、イタリア未来派の流れを汲みながら、当時の衝撃をつたえている。アーリーン・グレイのE.1027邸は、もともとデ・スティル誌でも人気だったインテリアに加え、建築の方面でも才能を発揮したもので、ル・コルビュジエも嫉妬したと言われる名建築であった。いずれもアール・デコのようでありながら、少し先を行く洗練された雰囲気をもっている。

ロンドン地下鉄路線図(Harry Beck, 1933)

Tube Train(Cyril Edward Power,1930頃)

アイリーン・グレイのE.1027邸の内装(1934)


この戦前のモダニズムと比べ、1960年代のイギリスも負けず劣らずモダンな装いで、ブリジット・ライリーのような繊細な色彩を基調とした抽象画から、マルコム・イングリッシュのようなポップな画風まで、幅広く存在した。これにリチャード・ハミルトンやデヴィッド・ホックニーのようなポップアートの巨匠まで加われば、従来のイギリス絵画のマイナーな立ち位置をもう少し回復しそうな気がする。


デヴィッド・ホックニー、リチャード・ハミルトン
ブリジット・ライリー、マルコム・イングリッシュ

実は洗練された画風よりも、ネオダダに通じるような系譜のほうが、ブリティッシュ・ロックには似つかわしいように思えるのだが、ロックを反芸術的なムーヴメントと見なすのは、かなり一面的な見方のような気がする。例えば、究極のミニマリズムといえるビートルズのホワイトアルバムのデザインはリチャード・ハミルトンである。1960年代にはそうした聖と魔のような相反する二面性が常に同居しているのだ。さらにコアなオカルト趣味は1950年代(フランシス・ベーコン「叫ぶ教皇」)と1970年代(パンクやドゥームメタル)という奇数ジェネレーションにあり、以下のリチャード・ハミルトンのコラージュ作品は1960年代のポップカルチャーへの入り口にあたり、マルコム・イングリッシュはその出口にあたると言えば判りやすいだろう。


おまけ4:フルレンジでおためしモノラル】
おエゲレスの若者の大半が、ロックのレコードを卓上型のモノラル電蓄で聴いていたというのは、意外に取り上げることのないトピックスである。どうも英国人たちにとっても黒歴史だったらしく、いまさらモノラルのセラミックカートリッジでピックアップして、ECL83のような複合管1本で楕円スピーカーを鳴らしていた、なんてことには戻れない。とはいえ、上述のように30cmスピーカーを組めと言われても、二の足を踏む人が多いのも事実で、もっと敷居を低くして16cmフルレンジでモノラル・スピーカーを作ってみようと相成った。いわゆる1960年代のモノラル電蓄の追体験バージョンである。

自宅でレコードのチェックをするRoger Daltrey

Dansette社のポータブル・プレイヤーのアンプとスピーカー

EMI 92390型ワイドレンジユニット

私が選んだユニットは独Visaton FR6.5で、その理由は後面解放箱でも使用できるQts=1.96というガチガチのローコンプライアンス型の設計である点と、中高域に少しクセのあるビンテージなトーンをもっている点である。この2つの要件が、モノラル録音のポップスを開放的に輝かしく再生する。バスレフ箱などで無理に低域を伸ばさないほうが、ビートを明瞭に刻める。


後面解放箱の大きさは、エンクロージャーの最低共振周波数を100Hzより少し高めに設定し、ボーカルでの胸声の被りを軽減するようにした。板割りは、近所のDIY店で切り売りしている40×45cm、15mm厚のパイン集積材を基本に、周囲を15cm幅×45cm長、19mm厚の板で囲うようにしている。これも経験上のことで、薄いコーン紙のフルレンジでむやみに重低音を伸ばしても、ボヤっとした低音は音楽の躍動感を殺す結果を招きやすい。ここは省スペースも考えて大きさを抑えるようにした。




ちょっとキッチュなデザインにしたかったので、モンドリアン先生っぽいスピーカー第二弾!で攻めてみた。塗料は普通のアサヒペン水性ペンキで、発色が鮮やかで好みだ。ステレオ装置のように左右対称の意匠となると、こうしたデザインは煩い感じになる。モノラルだからこそ、贅を尽くすことができる。


試聴位置に近い斜め30°から計測した結果は以下のとおりである。200~5,000Hzでフラットというカマボコ型ながら、ステップ応答がかなり鋭いのが特徴で、AMラジオの帯域での一体感とリズム感がストレスなく押し出されてくる。低音と高音の立ち上がり波形が崩れないので、意外に低音も高音もピッタリ寄り添ってバランスよく聞こえる。意外に78rpmの復刻CDでも過不足なく楽しめるので、これがステレオ移行後も3スピード対応(33,45,78rpm)だった1960年代の英国ビンテージ・プレーヤーと遜色ないことが判る。

Visaton FR6.5の周波数特性とステップ応答(斜め30度から計測)


ソノトーン社 9Tステレオ・カートリッジの特性(78rpmコンパチ)

このフルレンジは1本でありながら、3つの帯域で特徴的なキャラクターをもっており、それらがバランスよく混ざることで、統一されたサウンドを造り上げている。
●低域~中低域)50~400Hz
中低域以下は、200Hz付近にボーカルの胸声が差し掛かっており、300Hz以下の低音は-12dB/octで落ちていくが、100Hz付近が全く聞こえないわけではなく、むしろQtsが高いことで制動が効いて、小刻みでアーティキュレーションが明瞭である。中低音の制動の効いていることは、ステップ応答がスレンダーに収まっていることからも判る。
●中域)500~2,500Hz
この帯域は、ボーカルで喉声にあたり、ソウル・バラードでは感情表現が最も濃厚に出るが、欧米言語では感情表現が子音の中高域になるのと、ウーハーの分割振動を極力抑え込むため、一般的なHi-Flスピーカーの設計では凹んでいることが多い。今回はユニットとバッフル板に爪楊枝で隙間をいれているので、400Hzで一端落ちるが、そこから+5dB/octで盛り上がるので、むしろ音が一歩前に出る力強いボーカルが聴ける。
●中高域~高域)3~15kHz
中高域の4&5kHzのピークは、サブコーンから発生するもので、これは角度を変えても消えないらしい。ステップ応答をみると、この共振はスレンダーな応答に収まっており、長引くような癖はそれほど感じない。印象としては2kHzから-12dB/octでロールオフしている感じだ。むしろ一般的なスピーカーよりも肉厚でな倍音が乗った感じに聞こえるくらいで、意外に真っ当な設計であることが判る。

個人的には、このスピーカーはFEN東京(AM810)で洋楽を聴いていたラジカセのモックアップのつもりで作ったのだが、FR6.5はPA用途にも使えるため耐入力が40Wもあるので、かつてのロクハンのように音量を上げるとグシャッと潰れるようなことはない。その点はロックを結構な音量で鳴らしても負けずに踏ん張ってくれる。Visaton社がFR6.5の用途をPAとか電子楽器用というのは、まんざらでもなさそうだ。
ライントランスは同じサンスイトランスでも、FMラジオ風に高域がスッキリ伸びたST-78にした。これを入れることで低音の被りがなくなり、歌の抑揚が明瞭になるし、ビートがガッチリしてくる。足元まできっちり決めたシルクのスーツではなく、綿パンのざっくりした履き心地のいい感覚だ。




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