20世紀的脱Hi-Fi音響論(特別編)


※モノラルを愛する人にはこのロゴの使用を許可?しまする


 我がオーディオ装置はオーデイオ・マニアが自慢する優秀録音のためではありません(別に悪い録音のマニアではないが。。。)。オーディオ自体その時代の記憶を再生するための装置ということが言えます。「モノラル・オーディオ超入門」は、モノラル・オーディオがあまりに流行らない(むしろ無視されてる?)ので業を煮やすオヤジの悲哀をモニターします。

モノラル・オーディオ超入門
【在りそうでないモノラル・オーディオ専門誌】
 モノラル録音って そもそもなんだろう?
 モノラル録音に対する誤解の山々
 まずはモノラル録音を取り揃えよう
【どこにも売ってないモノラル・システム】
 AMラジオのスペックを見直そう
 ラジオこそ一般家屋にふさわしい音響設計
 世界的に評価が高かった日本製ラジカセ
 モノラルラジカセの音を満喫するシステム
【21世紀の偏狂的モノラル専用オーディオシステム】
 モノラルスピーカー再入門
 失われたジュークボックスの音
 我が家のモノラル専用オーディオシステム
【モノラル・オーディオを巡る四方山話】
 モノラル試聴方法はレイアウトフリー
 モノラル・オーディオに不足している女子力
 唯一無二だったアルテック・プレイバックシステム
 懐かしき古ジェンセンの我が家
 ステレオ装置で聴くモノラル録音は汚い
【新しい録音もモノラルでしっぽり】
 ステレオ録音の歴史を変えたこの1枚をモノラルで味わう
 ステレオならではのマルチな表現をモノラルで解きほぐす
 デジタルなのにアナログ以上に柔らかい録音
 今も昔も変わらないムジークフェラインの響き
 肉体の極限まで鍛え上げられたパフォーマンス
 テクノサウンドが奏でる人間の質感
【クラシックにひそむモノラル伏魔殿】
 フルトヴェングラーをはじめとするライブ録音の偽装疑惑
 EMIとデッカのサウンドポリシーの違い
 SP復刻盤のトーンキャラクターの違い
冒険は続く
掲示板
。。。の前に断って置きたいのは
1)自称「音源マニア」である(ソース保有数はモノラル:ステレオ=1:1です)
2)業務用機材に目がない(自主録音も多少やらかします)
3)メインのスピーカーはシングルコーンが基本で4台を使い分けてます
4)映画、アニメも大好きである(70年代のテレビまんがに闘志を燃やしてます)
という特異な面を持ってますので、その辺は割り引いて閲覧してください。


モノラル・オーディオ超入門

【在りそうでないモノラル・オーディオ専門誌】

自分なりに不思議に思うことがあって、それは世にモノラル録音は色々とあるのに、モノラル・オーディオについて真正面から扱ったオーディオ誌のないことだ。「ステレオサウンド」は有ってもモノラルサウンドは無い、「ステレオ時代」は有ってもモノラル時代は無い、という具合である。時折見掛けるのがモノラルLPを聴くためのモノラル・カートリッジの話題ぐらいで、その試聴もステレオスピーカーで聴いていることがほとんど。それもモノラルなので中央にピタッと定位するのが正常なんて、実際には部屋いっぱいに響かせるモノラル・スピーカーの聴き方とは真逆のことが、当たり前のように語られている。

※こういう雑誌があったらいいなという妄想です(実際にはありません)

つまりモノラル・スピーカーでHi-Fi録音を本格的に聴くという行為は、1960年代に新譜が途絶えて以降に徐々に失われていき、さらに20世紀末になると危機遺産になったと思われる。モノラル録音そのものは、文化的遺産として今も再販され続けているが、純粋にモノラルのままで聴くためのオーディオ装置はなおざりになっているといえる。つまり再販はされても生き生きとは再生できていない人が結構多いのだ。これではリマスター盤で繰り返し音質改善を施したとしても、賛辞を贈る人と同じくらいの批判も沸き起こることと無関係ではない。それもこれも「モノラル・オーディオ専門誌」が存在しないため、啓蒙活動が足らないと思わざるを得ないのだ。
では、モノラル録音の試聴方法もしくはモノラル・システムの構築についてアレコレ語ってみよう。

モノラル・システムの構築順序は以下のとおりである。
①まずはモノラル録音のレコード(CD)を集めよう
 ・オーディオ進化論の虚構を知り20世紀の音楽文化の価値を究めよう
 ・モノラル録音の規格の変遷を正しく知ろう
 ・ジャズとクラシックに隔たったモノラル名盤主義から脱却しよう
 ・ポップスにもモノラル優秀録音があることを認識しよう
 ・デジタル音源の利便性を最大限に生かそう
②モノラル録音はモノラル・スピーカーで聴こう
 ・AMラジオとジュークボックスで知ったアメリカン・ポップスの愉悦
 ・ラジカセのスペックを押さえたフルレンジ・スピーカー
 ・ジュークボックスの音響規模に拡張した2wayスピーカー
③デジタル音源をアナログ風に整えよう
 ・人間工学に基づいたオーディオの再認識
 ・自然な響きはフラット&広帯域ではない
 ・デジタル対応とハイレゾ対応はHi-Fiの本質ではない
 ・ヘッドホンでの音楽鑑賞の弊害
④ステレオ録音もモノミックスして聴いてみよう
 ・モノミックスはマイクの生音をそのまま聴く方法
 ・モノラルは一人称で聴くミュージシャンとの対面
 ・時代を越えてニュートラルな試聴環境の獲得


モノラル録音って そもそもなんだろう?
最初にネタバレしてしまうと、「モノラル」とはステレオ録音が出てきたときの造語で、1950年代末からステレオLPとモノラルLPとを区別するために用いられた。それまではモノラルなんて言葉は存在しなかったのだ。なのでモノラルに対する説明は、ステレオが2chなのに対してモノラルは1chのみ、ステレオにはスピーカーが2本必要、ステレオはコンサートホールのような臨場感がある、などなどステレオの利点を述べるためにモノラルという言葉が使われてきた経緯がある。もともと一心同体だったモノラル録音とモノラル・オーディオは、まさにステレオによって分離されてしまったのだ。

逆に、モノラル録音のほうは時代ごとの録音規格の変化がはげしく、1910年代までの最も古いラッパ吹き込みは200~4,000Hz、1920年代からマイクを使った電気録音になって100~6,000Hz、1930年代にラジオ放送開始後のワイドレンジ化で50~10,000Hz、1950年代にFM放送とHi-Fi規格の登場で50~15,000Hzという変遷をたどっている。つまり1925年に電気録音が始まって以降の25年間は、モノラル録音は常に発展途上にあって、その後に現れたステレオ録音は完成形という考え方はあながち間違ってはいない。

1926年に登場した電気録音(100~6,000Hz)とラッパ吹込み(250~4,000Hz)の比較


1943年にテープレコーダーが開発された頃のモニタースピーカー(50~10,000Hz)

1949年にLP盤発売とFMi放送をにらんで展開したモニタースピーカー
(100Hz以下は-10dB/oct、5kHz以上は-6dB/octでラウンド)


ではオーディオ技術からではなく、音楽史の観点からモノラル録音をみてみると、実は現在ある音楽ジャンルの90%以上はモノラル時代に創成され、今にいたっていると言える。そこには20世紀に生まれたジャズ、ブルース、R&B、ロックというアメリカのポピュラー音楽はもとより、ラフマニノフからストラヴィンスキーにいたる近代クラシック音楽、懐メロから歌謡曲にいたる日本歌謡史など、レコードやラジオを通じて広まった音楽が含まれている。それに加え古いモノラル録音が、功成り名遂げた年老いたミュージシャンの演奏だけかというと、話は逆で、クラシックを除いてほとんどが20代のバリバリに若い時期の録音である。このことは何を示しているかというと、音楽を安定した高音質で聴きたいならステレオで聴くべきだし、ジャンル形成にいたるバイタリティを肌で感じたいならモノラル時代にさかのぼって聴くべきだという、全く異なる音楽鑑賞の方法が浮かび上がるのである。レコードで聴くモノラル録音は、生きた音楽史の宝庫なのだ。

そんなモノラル録音にとって暗黒時代があって、それは1970~90年代である。驚くことにステレオ機器の性能が日ごとに進化し最高潮に達していた時代に、陰惨なモノラルいじめが続いており、モノラルであること自体が悪とされていたと言っても過言ではない。どうしてそうなったかについては後に述べるが、どうもステレオ録音はコンサートホールの音響の正確な再現という大看板を立てておきながら、その中身のほうは後から詰め込むという方法を取ったようにも思えるのだ。ステレオがモノラルと違う価値を認識されるまで、実に1960年代の10年間を費やしており、なかなか広がらないマーケットに業を煮やしているなか、1970年代にFMステレオ放送が世界的に広がったことから、急激に需要が沸騰したといえる。1970年代にはFMチューナーとアンプを一体化させた日本製ステレオレシーバーが飛ぶように売れ、さらにはテープヘッドの加工技術に優れた日本製カセットテープレコーダーも世界シェアを独占するようになって、日本のオーディオ業界はまさに左うちわの大躍進を遂げたのだった。その後、1980年代にCD規格の立ち上げなどの布石を打って、1999年のSACD規格をもって一端終了したといえる。大局的にみると、パッケージ・メディアの新規格を立ち上げるごとに、レコード売り上げは倍増していることが判る。オーディオの進化が「打ち出の小槌」だと言う神話が、未だに衰えないのには、それなりに理由があるのだ。

国内における音楽メディア売上枚数の推移(日本レコード協会統計)

このように1970年代以降のステレオ録音が、文句の付けようのないほど音質も安定し、売れ行きも順調に伸びてきた一方で、そうなったらそうなったでステレオタイプというか没個性的になりやすい傾向があり、広告ひとつにしても、ただ音質がいいだけでは売れない、過当競争の雰囲気もでている。情報が溢れていること自体は、必ずしも音楽文化の豊かさを示しているとは言えないことなんて、誰でも気づいていることなのだが、成長戦略しか画けないエンタメ&オーディオ業界の問題でもある。


アメリカンジョーク満載だった1970年代のお茶目な日本製ステレオ広告

1970年代以降、ほとんどの人はモノラル録音をステレオ装置で聴いているのだが、単純にステレオのほうがモノラルより新しくて立派な物、という刷り込みがあるからで、21世紀に入り50年経った現在ともなると、小さなステレオより立派なモノラル装置を見たことも聞いたこともないという一言に尽きる。しかしスウィングジャズでの大型ラジオや電蓄、ロカビリーやR&Bでのジュークボックスが果たした社会的な役割を考えると、モノラル時代の音楽の聴き方は、コンサートの延長線にあるパブリックな趣きがあり、オーディオマニアに在りがちな個人が好きな音楽に浸るということは贅沢の極みだった。多くの人がレコードは高価で買えないなりに、楽しみ方は工夫次第で大きく広がるのだ。


1930年代のスウィングジャズから1950年代のロカビリー世代まで
パーティーに欠かせなかった大型ラジオ電蓄とジュークボックス


逆に1970年代のプライベートな空間でのステレオの楽しみとは、音楽鑑賞とは別の目的で独り占めしたい欲望が渦巻いていたことは暗黙の了解だった。1980年代以降にヘッドホンステレオが定着すると、音響的には完全にアイソレートされたかたちで音楽のパーソナル化が進んだというべきだろう。つまり、レコードの販売枚数の倍増は、高音質化による恩恵というよりは、音楽を聴くシチュエーションのパーソナル化という流れに沿っているというほうが正しいのだ。進化ではなく孤立化である。


大量消費=小型化&パーソナル化の方程式は人間関係に通じない?
音楽が輝いていたのは、けして若さゆえの勢いだけではなかったはずだが…


一方では、過去の録音も全てではないが再販が続いており、レコード売り上げは過去の録音遺産の積み増しなのではないかと思う部分もある。例えば「レコードコレクター」などは、基本的に過去の録音を再評価するというスタンスを貫いているし、ジャズやブルースの専門誌も基本的には古き良き時代を中心に巡っている。新譜だけで賑わっているのは、ポップスとクラシックだけだが、クラシック専門誌の「レコード芸術」は2023年に廃刊している。ネット配信が中心となった現在は、批評活動よりも口コミやダウンロード数で売り上げが決まる傾向にあり、じっくり自宅で音楽鑑賞なんてのは古い慣習なのだと思う。
ただ、私なりに好きな音楽と巡り合うには、サブスクの膨大なデータ量と、チープな検索機能では、どうも十分に機能しない感じがする。どうも、いまなにが注目を浴びているか? という興味にもっていきたいらしく、私が興味のあるミュージシャンのコミュニティがもつ、歴史的な関連性とか、文化的なつながりとか、そういうことはチンプンカンプンに推してくる。おそらく、レコードなら当たり前についてくるライナーノートや解説のたぐいが、データベースとして軽視されているからだと考えられる。たとえば、レコード屋にいって若い店員にロックの話題をふると、「今これが売れてるんスけど。お客さんこれで十分じゃね?」なんて言われているようなものである。まぁ昔のレコード屋のおやじのように「まずこれを聴け。聴かなきゃ音楽を知らんのと一緒。」みたいな強圧的な態度もどうかと思うが。とにもかくにも、対話の筋道がつかめないのは、現代社会の病のようなもので、万能と思われるAIといえども同じ穴のムジナなのだ。

このように、オーディオ技術とレコード市場の発展史として眺めた従来の説明は、明らかにレコードを消耗品としてみた消費社会を前提としたものである。一方で、レコード文化を音楽史として、その時代のそのときにしか記録しえなかった演奏家のパフォーマンスをアーカイヴし再生するには、新旧のオーディオ規格を平等に取り扱う手法の確立が急がれるのだ。個人的にはデジタル・フォーマットは、従来のアナログ音源(SP盤、LP盤、カセットテープなど)で再生機器そのものがないとないと聞くことも叶わない状態から解消してくれる反面、デジタルを新しい技術として過去の録音規格を斬り捨てるオーディオ進化論では対応できない。私なりのモノラル試聴システムの構築は、デジタル化されたレコード文化のなかでのモノラル録音の取り扱いをもとに、最高(パーフェクト)ではなく標準的(ニュートラル)に音楽鑑賞できるオーディオ環境について常々考えているものである。

モノラル録音に対する誤解の山々
まずは、モノラル録音を再生するに当たってよくある勘違いを述べよう。
昔日のオーディオマニアの好むモノラル優秀録音といえば、モダンジャズとクラシックの二大政党制で、いかに生々しく艶やかに再生するかを追求する極めてシビアな世界を醸し出していた。つまりモノラル再生機器は常に最高レベルのものでなければならないという主張がある。これに付随するのが、初期プレスLPの驚愕の高騰であり、当時の人々でさえほとんどお目に掛からなかった最高級ビンテージ機器の自慢話である。この王侯貴族サロンにお付き合いできるような経済的な余裕のない人は、そもそもモノラル時代の音楽など語っていけないような敷居の高さがあった。もちろんCDで聴くなんて以ての外である。


これでも入門用といわれるジャズオーディオの冥界の入り口

GY氏の巧みな筆舌で憧れの的になった黄金の組合せ

ところが、21世紀に入って戦前ジャズやクラシック放送ライブなどが、金属原盤やオリジナルテープまで遡って丁寧にリマスターされ、従来のLP盤では信じられないような鮮明な音で復刻され、デジタル時代に合わせたモノラル再生システムの構成を見直す切っ掛けとなるはずなのだが、こちらのほうは大半の人が手持ちのステレオ装置で聴いているのが実情だ。このため、音質にこだわりのあるオーディオマニアであっても、オーディオ・メーカー毎の超高音と重低音のサウンドポリシーに個体差の激しいステレオスピーカーで試聴した場合、リマスター音源に対する賛否両論は絶えず、結局は自分のステレオ装置に合わせた音源を高評価するという悪循環を繰り返している。これもモノラル時代のニュートラルなオーディオ環境について知識が乏しいからである。

シナトラ、ジャンゴ、フルトヴェングラー、シュターツカペレ・ドレスデン…どれも素晴らしい音質で聴ける

一方で、実際にドル箱として売れていたのはポピュラー音楽のほうで、こちらは気軽な庶民感覚で楽しむべきものだ。こちらのモノラル録音に対するオーディオ環境へのコダワリは、20世紀のうちはほとんど進展がなかったが、50年間の著作権切れで取り扱いが自由となったことで、版権をもつレコード会社も再販に二の足を踏んでいたようなレア音源を手軽に聴けるようになった。ところが、音質にこだわった途端、あろうことに大衆音楽の価値観を踏み外し、ジャズやクラシックのような初期プレスLPの蒐集というサロン主義に陥ろうとしている。これでは批評体系の基礎が腐り落ちて、モノラル録音のもつ広範な文化を支えきれないのだ。


1960年代末にピリオドを置いたブリティッシュ・ロックと好まれる名盤の数々




1960年代によく聞かれたが上記のマニアには手に負えない録音の数々

もうひとつ困るのは、オーディオ技術は常に新しく進化し続けているというオーディオ進化論者で、昔の録音技術は現在よりも劣っているので、現在のフラットで広帯域なステレオ装置で聴くと、何かしら変なバランスで聞こえるという、よくあるクレームに近いような論評である。ところが現在のステレオ技術は、静的な周波数特性は整っているものの、動的な波形再生をみると、微細なパルス波の先行音効果で定位感や音場感をコントロールし、実音より2ms(つまり500Hzの1波長分)もタイミングの遅れた重低音でバランスを取るという、ドンシャリ感の強い音響を前提に収録音をデフォルメにしている。これをデフォルメせずに録音していたモノラル時代は、パルス波がノイズに埋もれて暗い顔したカマボコ特性に聞こえたり、ドラムやベースが忍者のように姿を消して奥に引っ込んだり、エコーを被せたボーカルがビックマウスになって部屋を占拠したりと、不自然な怪奇現象に見舞われる。このようなオーディオ進化論からみたモノラル録音は、ふしぎ発見のパラレルワールドそのものである。逆にいえば進化したはずのオーディオ技術では、モノラル録音のコアな周波数領域をカスリもしないのだ。

最新リマスターが出るたびに話題になった英国某スタジオのモニター環境

例えば、米コロンビアや英EMIのスタジオに設置された真空管コンソールをみれば、最盛期にあったビンテージ真空管以外にも、トランスや抵抗器、コンデンサーに固有の音があり、当時は門外不出の技術だったそのブレンド具合を正しく再現することは難しい。1970年を前後してマルチトラック収録の導入に合わせ、NEVEやトライデントのソリッドステートに置き換わった途端、真空管コンソールに備わっていた天井の高い倍音とパンチのあるオーバーシュートが失われた。その後は、プレートリバーブを多用してミキシングする方向に代わり、ミキサー自体は低ノイズで色付けのないものが主流となった。すなわち録音スタジオの中でも、モノラル時代に必須とされた要素が立ち消えになったのだ。


真空管時代のEMIのREDコンソールとPatnam氏設計の610コンソール

さらに、1950年代のBBC研究報告書がモニタースピーカーの選抜試験でいみじくも指摘したように、器楽中心のジャズとクラシックでチューニングしたオーディオ環境では、金管楽器の耳をつんざくような音や、弦楽器のエコーたっぷりで艶やかな響きに気を取られて、何でもないボーカル物が不自然に醜く鳴り響くことが多々ある。当然、多くの人は芸術的な価値が認められているジャズやクラシックの名盤と、それにふさわしい高価なシステムで聴くほうが正調だと信じているので、ポップス系のモノラル録音は酷い音がするとネガキャンを続けてきたのだ。これも根っ子を掘り返すと、単なる流行の世代間ギャップであり、正常な精神で音楽に耳を傾けられないバイアスが大きいことに気付くであろう。そもそもパワハラが目的なので、まともに聴く気などないのだ。以下のモノラル時代の音楽の楽しみ方をみると、自分のライフスタイルと音楽とが自然に溶け合っていることが判る。コンサートホールの特等席で聴くなんて縛り付けなくとも、音楽は人々の心を豊かにできるのである。


モノラル時代の場所を選ばないポップな音楽な楽しみ方

このように、ポップス系のモノラル録音は、サロン主義、オーディオ進化論、世代間ギャップの板挟みに翻弄され、辿り着くべき目的地に接岸できないまま、歴史の波間で浮き沈みしてきたといえよう。この課題を解消するのが、モノラル・オーディオシステムの構築の目的である。

【まずはモノラル録音を取り揃えよう】
以下は、ポピュラー音楽で洋の東西を問わずお勧めする録音だが、モノラル録音でニュートラルな再生環境を整えたいなら、まずもってボーカル物を究めるべきである。では、上で述べたような汚れた世界を忘れ、心を真っ新にして華麗なる20世紀ポップスシーンを満喫することとしよう。

家庭に1セット置くべきモノラルBOX
Cruisin' Story 1955-60

1950年代のアメリカン・ポップスのヒット曲を75曲も集めたコンピで、復刻音源もしっかりしており万人にお勧めできる内容のもの。ともかくボーカルの質感がよくて、これでオーディオを調整するとまず間違いない。それとシンプルなツービートを主体にした生ドラムの生き生きしたリズムさばきもすばらしい。単純にリトル・リチャードのキレキレのボーカルセンスだけでも必聴だし、様々なドゥーワップ・グループのしなやかな色気を出し切れるかも評価基準になる。
昭和ビッグ・ヒット・デラックス(昭和37~42年)

日本コロムビアと日本ビクターが共同で編纂したオムニバスで、レコード大賞ものなども外さず入っていながら、モノラルがオリジナルのものは、ちゃんとモノラル音源を収録している点がポイント。青春歌謡にはじまり、演歌、GSまで網羅して、個性的な歌い口の歌手が揃っており、ボーカル域での装置の弱点を知る上でも、この手の録音を再生するためのリファンレンスとして持っていても良い感じだ。
これらの名曲の多くは、1970年代以降にステレオで再録音されており、各歌手のベスト盤にはステレオ再録音が収録されていることが多いのだが、あらためてモノラル初盤を聴くとその溌剌とした表情に驚きを禁じ得ない。
オーディオ調整用に向いてるモノラル名録音
エラ&ルイ(1956)

言わずと知れたジャズシンガーの鏡のような存在で、スタンダード中のスタンダードである。これで変な音が鳴るなんてことはまずない。しかし、サッチモおじさんのダミ声とトランペットが意外に引っ掛かるときがあって、そこでつぶさにチェックしてたりするし、エラおばさんの声の包容力のあるスケール感というのも出そうで出ないときもある。そういう機器は、低音が過剰でないか、中域のレスポンスが沈んでいないか、高域のタイミングが速すぎないかなど、どこに問題があるのかじっくり考えてみよう。
ジス・イズ・ミスター・トニー谷(1953~64)

問答無用の毒舌ボードビリアンの壮絶な記録である。同じおちゃらけぶりはエノケンにルーツをみることができるが、エノケンがいちよ放送作家のシナリオを立てて演じるのに対し、トニー谷は絶対に裏切る。この小悪魔的な振る舞いを、全くブレなくスタジオ収録してくるところ、実はすごく頭のいい人なのである。この笑いのツボをはずさないタイミングの良さは、しっかり押さえておきたいもののひとつである。50年経っても古さを感じさせない芸風は、まさにソロバン勘定だ。こればかりは幼い娘も喜んで聴く。
ハーマンズ・ハーミッツ登場!(1965)

コメディタッチの「ヘンリー8世君」など、少し斜めに物を見る感覚が、ロックというシリアスな雰囲気に馴染まないと思うだろうが、数あるパーロフォンの録音のなかでも、おそらく1、2位をあらそう優秀録音である。ビートルズの録音で本来あるべきサウンドの立ち位置が判らないときは、まずこのCDを聴くことをお勧めする。甘い中域がほとばしり出るEMIトーンが堪能できる。
スモール・フェイセス(1966)

リアル・モッズで結成したバンドのデビュー盤だが、ザ・フーのほうが尖っている。アレ?と思う人もいるかと思うが、理由はスモール・フェイセスのほうが、よりハードなロックンロールとしてツボにはまっているからで、ザ・フーは自分たちの感情のほうが前に出て、楽曲としては十分に熟しきっていないからだ。ようするに枠に収まらないド根性の出方が尖って聞こえるというロック的な価値観かもしれない。一方で、こっちのほうが60sブリティッシュ・ビートの魅力をストレートにまとめていることも確かで、個人的にはこれを先に聴いていれば、ブリティッシュ・ロックの扱いようでこれほど悩むこともなかったと少し後悔している。
オーティス・レディング:シングス・ソウル・バラード(1965)

レディングの歌い口はとても独特で、言葉を噛みしめ呻くように声を出すのだが、その声になるかならないかの間に漂うオフビートが、なんともソウルらしい味わいを出している。スタックス・スタジオは場末の映画館を改造したスタジオで、そこに残されていた巨大なAltec A5スピーカーで、これまた爆音でプレイバックしていた。このため拡販を受け持っていたアトランティック・レコードから「ボーカルの音が遠い」と再三苦情が出たが、今となっては繊細なボーカルをそのまま残した英断に感謝しよう。
シュープリームス:ア・ゴーゴー(1966)

まさに破竹の勢いでR&Bとポップスのチャートを総なめしたシュープリームスだが、このアウトテイクを含めた2枚組の拡張版は、色々な情報を補強してくれる。ひとつはモノラルLPバージョンで、演奏はステレオ盤と一緒なのだが、音のパンチは攻撃的とも言えるようにキレキレである。これはBob Olhsson氏の証言のように、モノラルでミックスした後にステレオに分解したというものと符合する。もうひとつは、ボツになったカバーソング集で、おそらくどれか当たるか分からないので、とりあえず時間の許す限り色々録り溜めとこう、という気の抜けたセッションのように見えながら、実は高度に訓練された鉄壁な状態で一発録りをこなしている様子も残されている。可愛いだけのガールズグループという思い込みはこれで卒業して、甲冑を着たジャンヌダルクのような強健さを讃えよう。
戦前SPの名録音
ジャンゴ・ラインハルト/初期録音集(1934~39)

ジャズ・ギターの分野では知らぬ人のいないミュージシャンだが、初期にホーンやドラムを使わないストリングだけのフランス・ホット・ファイヴを組んで、欧米各地を旅して演奏していた。フランス系ロマ人という民族的背景をもつ理由からか、神出鬼没のようなところがあり、録音場所もフランス、イギリス、アメリカと多岐に渡り、なかなかディスコグラフィの整理が難しいミュージシャンの一人ともいえる。これまでも最晩年にローマでアセテート盤に吹き込まれたRCA盤「ジャンゴロジー」でわずかに知られるのみでなかなか復刻が進まなかったが、この英JSPの復刻CDは、音質も曲数もとても充実しており、スウィングジャズ全盛の時代にギターセッションを浸透させた天才ギタリストの魅力を十二分に伝えている。
歌うエノケン大全集(1936~41)

浅草でジャズを取り入れた喜歌劇を専門とする劇団「ピエル・ブリヤント」の記録である。この頃はカジノ・フォーリーを脱退後、松竹座に場所を移して、舞台に映画にと一番油の乗っていた時期となる。映画出演の多かったエノケンなので、SP盤への録音集はほとんど顧みられなかったが、こうして聴くとちゃんと筋立てのしっかりしたミュージカルになっていることが判る。「またカフェーか喫茶店の女のところで粘ってやがんな…近頃の若けぇもんときた日にゃ浮ついてばかりいやがって…」とか、電話でデレデレする恋人たちの会話を演じた「恋は電話で」など、時事の話題も事欠かないのがモダンたる由縁である。録音が1936年以降なので、「ダイナ」や「ミュージック・ゴーズ・ラウンド」の最新のジャズナンバーのダジャレを交えた替え歌(サトウハチロー作詞)が収録されているのもご愛敬。
シナトラ・ウィズ・ドーシー/初期ヒットソング集(1940~42)

「マイウェイおじさん」として壮年期にポップス・スタンダードの代名詞となったフランク・シナトラが、若かりし頃にトミー・ドーシー楽団と共演した戦中かのSP盤を集成したもので、RCAがソニー(旧コロンビア)と同じ釜の飯を喰うようになってシナジー効果のでた復刻品質を誇る。娘のナンシー・シナトラが序文を寄せているように、特別なエフェクトやオーバーダブを施さず「まるでライブ演奏を聴くように」当時鳴っていた音そのままに復活したと大絶賛である。有名な歌手だけに状態の良いオリジナルSP盤を集めるなど個人ではほぼ不可能だが、こうして満を持して世に出たのは食わず嫌いも良いところだろう。しかしシナトラの何でもない歌い出しでも放つ色気のすごさは、女学生のアイドルという異名をもった若いこの時期だけのものである。個人的には1980年代のデヴィッド・ボウイに似ていなくもないと思うが、時代の差があっても変わらぬ男の色香を存分に放つ。
ラジオ音源の愉悦
グレン・ミラー楽団&アンドリュース・シスターズ:チェスターフィールド・ブロードキャスト(1939~40)

戦中に慰問団を組んでノルマンデー上陸作戦のときには、勝利の旗印としてラジオからグレン・ミラー楽団が音楽を流したと言われるが、それはジャズがナチス・ドイツから有色人種による退廃音楽として排除されていたからでもある。白人のジャズ・バンドというのは、二重の意味で血統主義を否定するプロパガンダとなった。
カラーフィルムで撮られた映画「グレンミラー物語」があるために、ベニー・グッドマンやサッチモのように戦後も長い芸歴のように思いがちだが、これは1942年に楽団を解散する前のライブ音源である。タバコ会社のチェスターフィールドが提供した無料コンサートで、当時はラジオで放送されるコンサートでは観客からお金を取ってはならないという法律があり、これは抽選で入場券の当たった人が観衆となっているが、スウィングジャズの盛況ぶりも伝える記録となっている。
元がアセテート盤の復刻なので、ザラッとした感じがデジタルとの相性が悪いように感じるだろうが、そこをしっかり鳴らせるバランスを見つけるまで辛抱してほしい音源である。
美空ひばり 青春アワー(1958)

美空ひばりがTBSラジオで持ってた「美空ひばりアワー」という番組で、芸能生活10周年という節目の年の記録でもある。リスナーのお便りコーナーでは、女学生が映画館への立ち入りを校則で禁止されてるなど、生活感のあるラジオらしい話題もあって面白い。あと、当時のSP盤を放送する際の音質も、トークとの違いで気になる点でもある。歌舞伎座での歌謡ショーの実況では、裏声、こぶしと入れ替わる七色の声は、ライブでも健在である。録音の帯域は狭いが、良質なモノラル音声に特有の中域に十分な倍音を含んでおり、これが抽出できるかが、この手の録音と長く付き合う試金石である。
ザ・ビートルズ/Live at the BBC(1962~65)

ビートルズが煩雑にライブ活動をしていた頃、BBCの土曜枠で1時間与えられていたスタジオライブで、これを切っ掛けに国民的アイドルにのしあがった。曲目はアメリカのR&Bやロカビリーのカバーが中心で、理由がレコード協会との紳士協定で販売されいるレコードをラジオで流してはいけないという法律の縛りがあったため。このためアメリカ風のDJ番組をやるため、国境の不明確な海洋の船から電波を流す海賊ラジオが増えていったというのは良く知られる話だ。ここでのビートルズは、若々しさと共にパフォーマンス・バンドとしての気迫と流れるような熟練度があり、いつ聞いても楽しい気分にさせられる。
それとリボンマイクで収録した録音は、パーロフォンのようなデフォルメがなく、自然なバランスでバンド全体のサウンドが見渡せるように収録されている。ちなみにこちらは当時はAMラジオでの提供だったが、残されたテープは普通にHi-Fi品質で録られている。1960年代のモノラル放送用のモニターはパルメコ製で、それにも聴き劣りしない音質だった。つまり、当時の人たちよりも高音質で聴けるお宝なのだ。




【どこにも売ってないモノラル・システム】


21世紀に入ってコンテンツも豊富になったモノラル録音を、本格的なHi-Fi機器で聴きたいと思っても、肝心のモノラル専用オーディオ・システムなるものは、どの店に行っても売っていない。あってもモノラルLPを再生するためのモノラル・カートリッジがあるぐらいで、アンプからスピーカーまでモノラル専用の機材など売ってはいないのだ。これは今にはじまったことではなく、1960年代初頭には大型のモノラル電蓄は製造しなくなっており、残ったモノラル音響機器は、卓上プレーヤー、ラジオ、ラジカセといった小型の家電製品のみで、安かろう〇×△□☆~の連発で、本格的なHi-Fiオーディオには不向きだとされてきた。このため、Hi-Fi再生に耐えうる本格的なオーディオ機器の製造期間は1940~50年代に限られ、ヴィンテージ機器として最高級の値段で取引されている。でもラジオの音はそんなに悪かったのだろうか? この矛盾に答えるためには、モノラル録音と再生機器の特性をちゃんと知っておく必要がある。そしてAMラジオ=ボーカル域の100~8,000Hzという周波数レンジで充実したサウンドを叩き出すのが、モノラル・オーディオの基本中の基本なのだ。

ステレオ以前のモノラル音響機器には豊富な選択肢があったのだが…今は全く見かけない


【AMラジオのスペックを見直そう】
モノラル時代に庶民が一番身近に聴いていたオーディオ機器はラジオである。真空管ラジオの仕様は1~3W程度のミニチュア管で16~20cmのフルレンジ単発を鳴らすものが一般的で、再生周波数も100~8,000Hzである。ちなみに現在のAMラジオも法律上は8kHzまで送信可能だが、混信を避けるため4kHz付近からフィルターが掛けられている。このラジオの仕様は、庶民の家屋に適したこじんまりとした音響にとどまり、モノラル録音のスペックを十全に発揮しているかの疑念がつきまとう。しかしAM放送でも夜間のライブ中継はHi-Fi仕様で電波を飛ばしていたし、戦後しばらくはモノラルのFM放送もあった。このため1940年代からツイーターを装備する高級なHi-Fiラジオが存在し、その時代の放送録音も多く残されている。実はAMラジオの音響規格には、限りないポテンシャルが秘められているのだ。

左:映画からラジオと引っ張りだこだったビング・クロスビー
右:ロックンロールの生みの親アラン・フリードとラジオショウ


ここでモノラル音声の最も中核でありながら、Hi-Fi技術においてほとんど顧みられない、ラジオ音声について述べよう。それも、ただ紹介するだけでなく、天動説を地動説に変えるくらいのことを考えている。つまり20世紀のHi-Fi録音は押し並べてモノラル・ラジオを中心に巡っていたという意見だ。この切っ掛けとなったのは、デジタル録音も軌道に乗った1980年代になって、1960年代から大ヒットと飛ばし続けていたポップス系の大御所が、大変なことを暴露したことで物議を醸しだした。オーディオマニアは一笑に付すようなことだったが、私は自分のモノラル・システムを構築するうえで金言のように考えている。

偉大なる奇人その1)フィル・スペクター
ステレオミックスの世界で最も尊敬されているウォール・オブ・サウンドの創始者フィル・スペクターは、1990年代に入ってすぐに自分のサウンドのオリジナルはモノラルだと宣言し、「Back to MONO」というレコード・ボックスを発売した。それまで映画館のスクリーン全面を覆うようなマッシブな音場感こそが本命だと思っていた擁護派の意見を全て否定するような行動に、最初は誰もが戸惑ったが、これを機に1960年代ロックのモノラル・ミックスが注目され、それまではゴミ当然に扱われていたイギリス製EP盤などは、ただでさえ高価で売買されていたステレオ盤の数倍もするプレミアがつくようになった。
スペクター自身が語った「ティーンズのためのワーグナー風のポケット・シンフォニー」というウォール・オブ・サウンドの実体とは、当時のティーンズなら誰もが持っていた携帯ラジオでの試聴がターゲットで、多くの人が思うようなワーグナー風のオペラハウスの再現ではなく、ポケットのほうに重心があったと言えよう。先見の明があったといえばそれまでだが、小さな音響スケールでもラウドに鳴るフィル・スペクターのサウンドは、1980年代になっても神のように崇められるのである。

初期のトランジスターラジオの聞き方はトランシーバーのように耳にあててた(ヘッドホンへと発展?)

偉大なる奇人その2)クインシー・ジョーンズ
もうひとりは、アメリカンポップスで長命かつ存在感を表しているアレンジャー クインシー・ジョーンズで、レコード史上最も売れたアルバムとなったマイケル・ジャクソン「スリラー」のミキシングで、ボーカルマイクはラジオDJ用のシュアーSM7Bを使用、モニタースピーカーはオーラトーン5cというAMラジオ検証用の10cmフルレンジでほとんど済ました、ということを暴露した。録音スタジオが4wayの豪華なラージモニターを開発した大本山ウェストレイク・スタジオだっただけに。ゴージャスな録音の代名詞のように扱われてきたし、サブモニターとしてJBL 4311がカタログにも写っているため、てっきりJBL系一色のコテコテのアメリカン・サウンドだとばかり思っていたが、実際にはオーラトーン5cでミックスされ、それがビデオクリップでの音響効果にも生かされることになったのだ。何を言おう、スリラーのセッションでの本命(そして最も費用を投じたもの)は、MTV用の長尺なバーションであり、ほとんどの人がテレビ放送のモノラル音声で視聴して見知っていたのである。


「スリラー」ビデオクリップとAuratone 5Cと周波数特性

日本のポップス業界での展開
このようなメディア戦略が日本の音楽業界を席巻するようになったのは1980年代で、それまでテレビの歌謡番組への出演を拒否していたニューミュージック系のシンガーソングライターたちが、キャッチーなコピーライトと印象的なメロディーに乗せたCMソングを書き出したことで、楽曲の知名度が従来と比べ物にならないほど上がった。CMソング=ヒット曲といえるような現象が起こったのだ。しかしこのCMソングを視聴していたテレビの多くはモノラル音声の小さいフルレンジが多勢を占めた。1980年代の国内スタジオでは、オーラトーン5cがモノラル検聴用に使われていたが、AMラジオや有線放送でのヒットを意識したものと説明されるものの、本命はテレビCMでの聴き映えのほうである。そっちのほうをしっかりミックスしたほうが売れ行きが良くなるのは必然的でもあった。


いわゆる卓上型テレビ。スピーカーはチャンネル下に申し訳なさそうに収まっていた


CDはFMラジオのスペック
もうひとつデジタル録音について言うと、アナログ派が時々言葉にする「CD特有の音」というのは、全くのデタラメだと思っている。私が感じるPCM 44.1kHz/16bitというフォーマットは、音質としてはマットで艶の無いもので、それ自体に特有の音というものはない。むしろあるとすれば、20kHz付近に累積したパルス状の量子化ノイズである。実はこれがCD規格の策定された1980年前後は、音楽のプロモーションの中心がFMラジオにあり、高域は15kHzを限界とし、かつ2kHz以上は三角ノイズで霧のかなたにある事柄に対し、多くの音楽関係者へのヒアリングでも、16kHz以上の高域は音楽表現に関係ないという意見が大勢を占めたことによる。つまりCD規格は、FMラジオの音質を家庭のオーディオ環境に安定して供給できるレコードとして企画されたものであり、そこをわざわざ「デジタル対応」と銘打って20kHzまで頑張って聞こえるようにデフォルメしたのが「CD特有の音」として都市伝説化したのだ。私なりの意見では、スピーカーの超高域を伸ばして楽音のパルス成分を研ぎ澄ますよりも、規格立案の原点に立ち戻って、デジタルノイズをアナログ的に曖昧にしたほうが、楽音への実害がなくて良いと思う。

B&W801実装前後のアビーロードスタジオ(1980年)
前面のコンソールはビートルズ解散直後に新調したもの


上記のソリッドステート化されたコンソールとJBL 4320がアビーロードに導入されたのは、アラン・パーソンズが「狂気」(1972~73年)を録音した頃でもあり、この頃には早くもモノラルチェック用にオーラトーン5cまで持ち込んでいる。様々な意味でプログレの最前線にあったのだが、英国のほとんどの若者が依然としてAMラジオとモノラル卓上プレーヤーで聴いているという実情を、よく呑み込んだ賢い選択ができる人でもあった。


新装したアビーロードで「狂気」編集中のアラン・パーソンズ(1972)
JBL 4320ステレオと中央にオーラトーン5cモノラル


こうしてポップスの録音史を紐解いてみると、音楽をモノラル・ラジオを聴くリスナーは、1950年代のオールディーズ世代までの話ではなく、1970~80年代においても本質的な部分では変わっていないことに気付かされる。音楽のもつ力というものは、ステレオだからどうなるというものではない。1本のマイクに音波が入った時点から、それを生のままに再生することで、全ては完結するのである。


【ラジオこそ一般家屋にふさわしい音響設計
偉大なポップス・プロデューサーが示した2つの事件が示すのは、音楽表現の基本は1960年代初頭のモノラル録音の頃とまるで変っていない事実である。マルチトラック録音が中心になりスケジュールや空間を問わずミックスできたり、デジタル・シーケンサーで様々な楽器の音を自由に使えるようになったとしても、音楽のもつ魅力というものは変わることがなかったのだ。音楽のエッセンスというのは、広帯域でダイナミックレンジの広いところではなく、もっとレンジの狭いボーカル域(200~6,000Hz)に集中しており、ダイナミックレンジも30dB程度に留まっているという事実に突き当たる。これは取りも直さず、人間が室内で会話するスペックに相当するのである。
つまり人間は言葉でコミュニケーションを取るように聴覚を発達させている以上、生物としてそれ以外の音に関しては必要以上の刺激を与えないと認識しづらいように出来ているのだ。ステレオで認識している様々なアドバンテージもまた、音楽のエッセンスとは別な何かをデフォルメし刺激することで成り立っている。それがもはやミュージシャンの手に負えないほど増強され、現実とは程遠い音となってはいないだろうか? 目の前で話している人間の声が左右で違うように聞こたら、何らかの聴覚異常を疑うと思うのだが、ステレオ録音では平気でそれが真実だとしてる。小さい部屋でコンサートホール並の音響を楽しむなんて幻想は、それ自体が自然の摂理に反したことだと誰も教えないことが問題なのだ。

こうした一般家屋の部屋のスケールに実用的な音響機器は、実は大型のステレオではなく、ラジカセ程度の大きさであることは、1930年代のHi-Fiラジオ規格の策定時期から織り込み済だった。スピーカーの能率が高かったということもあるが、出力が1~3Wで十分というのが一般的で、現在ではオーディオ管としてほとんど見向きもされない10、42、ECL82などのラジオ球が主流で、その後もトランジスターになり、ICチップ化されても、5Wを超えるものは稀だった。昭和50年代のラジカセなどは、その実用的な規格を大切に温存していたといえよう。


1934年ドイツの音響機器開発ロードマップと典型的なモノラル音声の聞き方
(部屋の反響音を中心に聴く、低音を補強するため床に寝転がって肘をついて聴く)


さらに1960年代のブリティッシュ・ロックを聴いた若者たちは、多くがダンゼット社などのポータブル・レコードプレイヤーを愛用しており、クリスタル・ピックアップにECL82などの複合管を直付けし、ラジオと同じ楕円スピーカーを鳴らすという、極めてシンプルで安上がりのシステムだった。こんなチープな仕様でも、世界を席巻するロックのサウンドを次々と発展させていったのは、この手の音響機器の力量を示すものだ。

1960年代の英国では標準的だったポータブル・レコードプレイヤー

ソノトーン社 9Tステレオ・カートリッジの特性(78rpmコンパチ)

EMI 92390型ワイドレンジユニット

【世界的に評価が高かった日本製ラジカセ】
1970年代に存在したモノラル・ラジカセについて、もはや覚えている人はそれほど多くないだろう。FMラジオにカセットが組み込まれたこと自体は、まさに日本の発明品で、パナソニックが1967年にアメリカで売り出したのが最初、続いて翌年にアイワが国内で生産し家電製品として定着した。当時の日本はFM放送の全国ネット化も完結し、さらにはAMでの深夜放送の流行もあって、中高生には必須のアイテムだったのだ。


スポーツに恋にいそがしい男子諸君をターゲットにしたラジカセの広告

ところで、このモノラル・ラジカセの音は結構心地よいもので、FM放送が高音質に聴けるのはもちろんのこと、AM放送の音もメリハリがあり、たとえばFEMのトップ40やウルフマンジャックなど本場の洋楽番組は、下手なステレオ装置よりラジカセで聴く方がずっと高音質で聴けた。この謎について考えてみると、スピーカーがボーカル域をカバーするエクステンデッドレンジが使われ、後面解放型で反応がキビキビしていること、さらにアンプ部にトランスが噛まされていて絹ごしのような滑らかな音が出ることなど、Hi-Fi初期の真空管ラジオの音響設計を律儀に踏襲していることだった。音離れがよく滑らかな音調というのは、実はとってもクレバーな音響機器なのだ。


1970年代のラジカセの音響特性:徐々にレンジは広がっていくが基本的にAM規格を元に拡張されてる
1956年の真空管ラジオ(参考):戦前の規格を引き摺っているがそれほど変わりない


ラジカセのスピーカー背面にあるスリット=後面解放箱

1970年代ラジカセの典型的な置き場所(勉強机の近くの窓際:FM波を良好に受信するため)

オーディオ批評家が家電の音響設計をちゃんと評価したものとして、1967年に長岡鉄男が音楽の友誌に「原音再生」というコラムでは、どうせ中途半端なステレオを買うくらいなら、真空管テレビの音のほうがいいという趣旨のことを述べている。

ローコストで原音によく似た感じの音を出すにはどうればよいか、実例としてテレビの音声を上げてみます。家庭用の安直なアンサンブル型電蓄から出てくる声を、ナマの人間の声と聞きちがえる人はまずいないでしょう。ボソボソとした胴間声と相場はきまっているからです。ところが、アンプ部分にしろ、スピーカーにしろ、電蓄より一段も二段も下のはずのテレビ(卓上型で、だ円スピーカー1本のもの)の音声は意外と肉声に近く、となりの部屋で聞いていると、ナマの声とまちがえることがよくあります。

加えて、テレビの音声電波が音をあまりいじくることなく素直だとコメントし、長径18~25cmのテレビ用楕円スピーカーのうちできるだけ能率の高いものを1m四方の平面バッフルに取り付け、5極管シングルでジャリジャリ鳴らすのが良いのだとした。ラジオ用、テレビ用のスピーカーで能率の高いものは、一般にストンと低域が落ちていて、中音域のダンピングがよく、特に音の立ち上がりは、20~30cmのハイファイ・スピーカーをしのぐものがあるとも記している。

1970年前後の当時は英グッドマンや独イゾフォンの16~20cmフルレンジが比較的安く輸入されていて、新進のフォステクスFE103が1600円のところ、1900~2700円で売られていた。今は昔の物語である。ドイツ製のSiemensやSABAなどのラジオ用フルレンジは1970年代末まで製造され、交換部品としてのデッドストックも豊富で、この手の入門用としては1980年代には5~6千円で手軽に手に入った(これでも元値の倍くらい)。しかし21世紀に入った今はどうだろうか。1本3~4万円と驚くほど高騰しているのだ。同じ値段で買える小型ブックシェルフに比べ帯域も狭く、自作エンクロージャーの仕上がりも悪いとなれば、一般の人がなかなか手の出せる代物ではない。

現在は高値で取引されるジーメンスやサバのラジオ用フルレンジ


【モノラルラジカセの音を満喫するシステム】
これだけ家電音響機器の優れた点を煽っておきながら、残念ながら現在はモノラルHi-Fi録音にふさわしい家電製品は製造されていない。通常のステレオ装置で聴くモノラル録音がひどい音がすることは後ほど述べるが、かつては手頃な価格で手に入った16cmスピーカーの入ったモノラルラジカセやポータブルプレイヤーも、数は少ないが中古で何とか手に入れられないこともないものの、FMラジオからモノラル音声が流れることは滅多にないし、アナログレコードやカセットテープも取りそろえるのに時間も労力も費やすことになる。サブスクやCDなど新しい録音ソースに対応するには、システムを再構築したほうが便利である。
そこで私なりに組み上げたのが以下のシステムである。モノラル専用と言ってもスピーカーとライントランス以外は汎用品を使っている。CDプレイヤーやプリメインアンプは、性能や価格もそれなりの中級機を投入しているが、逆に言えば何でも好きなものを使ってかまわないと思う。簡易ミキサーはステレオ録音もモノラルにミックスして聴くために使っている。


モノラル・ラジカセが、それほど周波数特性も広くないのに、なぜあれほどまでに明瞭な音を出せるのかというと、スピーカーユニットが後面解放型のフレームに取り付けられていて、コーン紙の空気抵抗が少なく軽やかに振動するからである。ただし後面解放箱にすれば何でも良いかというと、現在市販されているフルレンジユニットのほとんどは、バスレフ箱で低音を伸ばせるようにエッジを柔らかくしたQts=0.3~0.5のハイコンプライアンスのユニットで、これを後面解放箱に入れても低音が空振りして800Hz以上が目立つカスカスの音になる。このため平面バッフルでも使えるQts>1.0のローコンプライアンスのユニットを選ぶ必要があるのだ。幸いなことに、独Visaton社が、FR6.5というQts=1.96のフルレンジを製造していて、後面解放箱でも使用できるものと判断した。これはドイツ製のメリハリ系ラジオ用スピーカーをもとに設計されているものだ。しかも、お値段据え置きの2,800円。こんなおいしい話は放っておく手はない。


ちなみにVisaton社には、B200という古典的かつフラッグシップ的な20cmフルレンジと、BG17というバスレフ向けのダブルコーンがあるが、FR6.5は天井スピーカーとか構内アナウンスといった業務用の仕様となっており、一番安いということも相まって、ネットでもほとんど人気がない。一方では、中高域をデフォルメした音響設計は、Siemens 6Wなどとも共通した、ドイツでは古典的な音響設計であり、所詮PA的ともいわれる、高域のややドギツイ音調であると想像されるが、斜め横から試聴することの多いモノラルの場合にはこちらのほうが優位である。

さらに言えば、ロクハンのコーン紙の直径は約12cm、これを平面バッフルに換算すると700Hzからアクティブなピストンモーションが得られ、それ以下は箱の反射音という二次的な音で補うことになる。逆にアジア系言語で重要な800~3,000Hzの喉音の表現がスッポリ抜けよく再生されることとなる。実はこの辺の再生能力がボーカル再生の肝となるのだが、Visaton FR6.5は300~1.200Hzに向かって+4dB/octで盛り上がる特性が、ボーカル域をスピーカーから一歩前に出たように、音離れのいい状態にもっていく。このことが、一般のフラット志向のフルレンジとは違う、やや前のめりな積極性を生み出すことになるのだ。

後面解放箱の大きさは、エンクロージャーの最低共振周波数を100Hzより少し高めに設定し、ボーカルでの胸声の被りを軽減するようにした。板割りは、近所のDIY店で切り売りしている40×45cm、15mm厚のパイン集積材を基本に、周囲を15cm幅×45cm長、19mm厚の板で囲うようにしている。これも経験上のことで、薄いコーン紙のフルレンジでむやみに重低音を伸ばしても、ボヤっとした低音は音楽の躍動感を殺す結果を招きやすい。ここは省スペースも考えて大きさを抑えるようにした。見てのとおりエンクロージャーといっても、もぬけの殻の簡易なものである。ペンキで塗ったデザインは、最近マイブームとなったモンドリアン先生のツートンカラーを手本にしている。





斜め30°から計測した結果は以下のとおりである。周波数特性はカマボコ型だが、非常にスレンダーなステップ応答をしており、メリハリのある音離れの良いサウンドである。これはラジオ用モニターと思われているNHK謹製のロクハンとも異なるもので、ロクハンが少しスパイシーな中高音に対し緩い低音が付帯音として膨らんでいる、1958年の開発当時としては最新のステレオ向きのバランスだと分かる。BTS規格のユニットはフリーエッジでラジオの小さな筐体に入れても低音がスカスカなので、ダイヤトーンのラジオに実装されたスピーカーも、他のメーカーと同じくフィックスドエッジのスピーカーを使用していた。

後面解放箱に入れたVisaton FR6.5の周波数特性とステップ応答

NHK BTS規格のロクハンの周波数特性とステップ応答(微妙にドンシャリ、ステップ応答は全体で調和)

私はデジタル録音で足らない(というか理論上発生しない)高次倍音を出すアイテムとして、ライントランスを使用している。今回は時代感覚を1970年代までさかのぼってサンスイトランスのST-78を使用してみた。音調としてはFM放送がはじまった頃の澄んだ青空のような(ついでに飛行機雲が流れる)感じである。このトランスは、トランジスターラジオの組込み用パーツで、終段プッシュプルをB級動作させる際の分割トランスとして、1970年代にはラジカセの基盤組込み用に多く使われ、現在も製造されている。今回のサンスイトランス ST-78は、低域だけ僅かにロールオフするように設計されているが、不要な低音でコーン紙をばたつかせるのを防ぐほかに、ボーカル域で胸声の被りを抑えてスッキリとした倍音を出してくれるのだ。


上:ラジカセ基板のB級プッシュプル段間トランス、サンスイトランス ST-78と特性
下:パルス波1kHzに対するサンスイトランスST-78~Visaton FR6.5の倍音特性(サチュレーション)


昔、ヨーロッパ系のヴィンテージオーディオを扱うショップを訪問したとき、修理中だった古いドイツ製真空管を使ったアンプについて質問すると、店長は「9割はトランスの音だ」と豪語していた。その頃はあまりピンとこなかったが、初期のNEVEコンソールに組み込まれていたマイクアンプも、トランジスター回路を用いながらトランス独特の艶やかな倍音を沢山含んでおり、往年のブリティッシュサウンドの太い粘り気なども含め真空管っぽいテイストをもたしている。この倍音や粘り気の出る理由は、トランスの磁気飽和による歪みや磁気ヒステリシスによるコンプレッションが発生するからであるが、現在のオーディオ用トランスは性能が著しく向上して、重低音も高調波もキッチリ変換して同じような効果はほとんど出ない。やはり適材適所に砂糖も塩も使い分けて、おいしくいただくのがモノラル再生の道義なのだと思う。



【21世紀の偏狂的モノラル専用オーディオシステム】


【モノラルスピーカー再入門】
モノラル専用オーディオシステムの最大の鬼門は、何と言ってもモノラル・スピーカーである。モノラル入門としてフルレンジ一発ではじめる人は多くいるが、そこから先のグレードアップに進む前に飽きてしまうか、一足飛びにトーキーシステムに手を伸ばしてモダンジャズ専用のシステムに鞍替えしてしまうかの二択に迫られるのがオチである。その間はステレオ兼用でのモノラル試聴が大半を占める。いわゆる王侯貴族と貧民しかいない、いびつな王国の形成がモノラル社会の常となっている。王侯貴族を装う大型システムの大半は、モノラル録音をどれだけ愛しているかのグレードを上げるために投資をしているという感じもあり、既にLP盤を千枚単位で持っている人でもなければ宝の持ち腐れ、普通の人が踏み入れるとろくなことがない。つまりモノラル・オーディオに関しては、市井の人々が段階的にグレードアップできるような製造システムが、半世紀以上も前に崩壊しているとも言える。

ステレオ以前のモノラル音響機器には豊富な選択肢があったのだが…今は全く見かけない

さらに、現在製造しているスピーカーは別の進化の過程を進んだために、1950年代のミッドセンチュリー時代のオーディオ技術に比べて色々とデフォルメしたところがあり、モノラル録音を蔑む人々によって捻じ曲げられた方向へ進むように話を勝手に逸らしてしまう。オーディオの進化と呼ばれる過程では、パルス信号だけに敏感に反応するツイーター、中域の勢いを押し殺してまで重低音にこだわったウーハーなど、ボーカル域を中心に練られているモノラル録音にとっては余計なお世話が大前提に組み立てられている。このままでは1940~50年代の音楽文化の広がりをかなり狭めてしまうし、モノラル時代の活気を取り戻すように再構成するのは容易ではない。ここでは普通の音楽愛好家がモノラル録音を満喫すべく、フルレンジから一段上に進むために、大口径エクステンデッドレンジとコーンツイーターについて紹介することとする。

この後は少し長いので、要約すると以下のとおりである。
①手本となるビンテージ機器を定める
 ラジオでもトーキーでもない中間の音響規模
 モノラル時代はラジオもテレビも高級品は2wayスピーカーを搭載
 ポップス寄りの高級ビンテージ機器はジュークボックス
②モノラルスピーカーを制作する
 大口径エクステンデッドレンジ・スピーカーを買い求める
 コーンツイーターを買い求める
 後面開放箱にスピーカーを取り付ける
 チャンデバとステレオアンプでマルチアンプ接続する
③アナログ風に音調を整える
 ラジオ用ライントランスでCDの音調を整える
 トーンを古いトーキー規格に整える
 デジタルリバーブで部屋の音場感を整える

ちなみに私のシステムは、CDプレーヤーとステレオアンプを持っていれば、安価な現行品パーツを組み合わせて、モノラル・システムに組み直すことがことができる。人によっては一歩進んでサブスク中心に組んでいるかもしれないが、基本は一緒である。


【モノラル時代の高級家電のスピーカー構成】
まずエクステンデッドレンジ+コーンツイーターの組合せは、ステレオ出現以前の高級ラジオや家具調テレビではでおなじみの仕様であった。エクステンデッドレンジとは100~6,000HzというSP盤やAMラジオの再生のために設計されたもので、低音も高音も出ない中途半端な規格として1960年代を境にHi-Fiオーディオから姿を消していった。初期のHi-Fi機器では、家電レベルで20~25cmの楕円スピーカーにコーン・ツイーターを加えた中規模の製品が多くあり、1970年代以降に比べ真空管時代のほうが家電の音響性能は充実していた。1960年代の国産テレビはFM音声で歌番組、スポーツ中継と臨場感あふれる音響をいち早く届けるために精一杯奮闘していたし、ドイツ製真空管ラジオも1950年代初頭にはFMモノラル放送網が整備され、クラシック音楽のライブ録音をかなり大量に残している。

国産テレビの内部構造。左からナショナル、日立、ソニー。少し大型になるとツイーターが付属。


左上:ドイツ製ラジオの3D-klang方式(中央のメインに対し両横に小型スピーカー)
右上:音場をコントロールするリモコン 3D-Dirigent(1955)
下:中央のメインスピーカーはAM用、高域はエコー成分を担当


ヨーロッパでエクステンデッドレンジを使用した高級スピーカーには、ドイツ放送用モニターの定番だった独イゾフォン オーケストラや、テレフンケンのO85型レコーディング用モニターがある。日本では大型ホーンを備えたクラングフィルムのオイロダインが、アルテック A7に対抗するかたちで、家庭用でも使用できるトーキー用スピーカーとして人気があるが、実際には真空管FMラジオと同じコーンツイーターにPA用エクステンデッドレンジを足すだけで十分だった。さらにEMIのDLSシリーズやデッカのデコラ・ステレオ電蓄なども同じ仕様で、こちらはEMIとデッカという真逆のサウンドに対してニュートラルな音調として知られる。

テレフンケン O85aモニタースピーカー(1959?)、Isophonのスピーカーユニットの周波数特性

デッカ Decolaステレオ蓄音機とスピーカー部分(1959)、EMI DLSシステムのスピーカー特性


こうしてモノラル時代には、真空管ラジオやテレビでも2wayスピーカー付きのHi-Fi対応がなされたし、さらに最高級の電蓄や録音スタジオのモニターシステムも同じユニット構成で豊潤なサウンドを奏でていた。一般家屋の音響スケールに合わせて、かつラジオ音声=ボーカル域という枠組みのなかで、モノラルオーディオを正当にグレードアップする余地は、まだまだ残されていたのだ。

【失われたジュークボックスの音】

とは言いつつも、モノラルスピーカーをラジオ用フルレンジから2wayシステムにグレードアップするのは容易ではない。そもそも手本となるオーディオ機器の情報がほとんどないのだ。モノラル録音をスピーカー1本で聴くのが良いと言ってはみても、高域の指向性が狭くパルス音を鋭く出すことに特化されたツイーター、重低音のために重たいコーン紙で牛歩のように反応の鈍いウーハーでは、ボーカル域の躍動感に特徴のあるモノラル録音を巧く再生できないのは自明である。周波数特性がフラットで均質でも、音楽としてタイミングの合わないものは、音調が痩せぎすで醜かったり、単調で退屈なリズムを刻んだりと、昔の音楽ってそんなものと思われている典型的な例となっている。


ところが、モノラル時代にポップスを聴く若者が、レコードを貧乏くさい音でしか聴いていなかったかというと、さにあらず、ボウリング場やダイナーに出かけ高級電蓄よりずっと立派なジュークボックスでワイワイガヤガヤと聞いていたのである。1950年代においてレコード売り上げの9割はジュークボックスが占めており、ヒットチャートもジュークボックスでの再生数がカウントされていた。つまりトーキーがモノラル録音の帝王ならば、ジュークボックスは女王といえる存在だったのだ。コストパフォーマンスの点でも優秀で、例えば1950年代後半で、ジュークボックスの1曲¢10、¢25で3曲という値段は、シングル盤$3、映画館$2を2人分払って観るなどに比べ、ずと格安で楽しめるものだった。それよりラジオで聴く方が安上がりだったが、即座にリクエストできて女の子と踊れるなんて十分すぎるほどの魅力があった。

ボウリング場:Rock-ola ST39(1939)

ダイナー:AMI F120(1954)

ドライブイン:Wurlitzer 2300(1959)

1950年代のジャズとロカビリーのジェネレーションギャップは、エルビス・プレスリー主演「監獄ロック」にも出てくるように、ロックとは反抗期の青年の気まぐれのように扱われている感じもある。これはフランク・シナトラのようなポピュラーソングの帝王のような人でも、嫌悪感丸出しの発言をはばからないほどである。しかし、ロカビリー世代とは、黒人音楽として一括りにされていたブルース、R&Bなどの文化的価値を正しく認識していた世代でもあったことを忘れてはならないと思う。

左:AMカーラジオ、中央:SP盤時代のレコード屋(ジャケットなし)、右:ジュークボックス

さらにLPレコードが市場に出た1950年代は、シングル盤は78rpmのSP盤が主流であり、長時間の演奏を要しないポピュラー音楽は依然としてSP盤で販売された。例えば1950年代中頃までのジュークボックスはSP盤専用のものも製造されていたし、エルビス・プレスリーのデビュー盤もSP盤であったなど、AMラジオと連動していた時代の名残の強いものであった。モノラル時代のHi-Fiオーディオ(50~15,000Hz)は、AMラジオやSP盤の旧規格(100~8,000Hz)とのコンパチ仕様ではじまったのである。同じ爬虫類だからとトカゲと恐竜を仲間だと考えるような稚拙な思いで、ラジオからトーキーまで一気に駆け上がる前に、、ジュークボックスの仕様を中間に据えると、モノラル専用オーディオ・システムの立ち位置と正しい音響バランスが見えてくるのだ。

ジュークボックスの構成
ジュークボックスはアナログのシングル盤を大量に蓄えたレコードチェンジャーを備えた商業機器で、¢10コインを入れて選曲ボタンを押すと、勝手にレコードを選びだして演奏してくれる機械だ。これだけみるとジュークボックスの心臓部はレコードのストックにあるのだと言えよう。今でも「~ジュークボックス」というと、大量の楽曲がおもちゃ箱のように入ったCD-BOXやプレイリストのことを指すことが多い。



ジュークボックスのコインスロット、選曲リストとボタン、オートチェンジャー

一方で、ジュークボックスの音響性能については、大型電蓄と同じようなものだったこともあり、それほど知られていない。ともかくLPレコードの再生できないオーディオ機器には興味が薄いのだ。スピーカーは業務用PAで使われていた30~38cmのエクステンデッドレンジで、再生レンジが100~6,000Hz程度のJensen、Magnavox、University Audioなど屋外PAで実績のあるメーカーのものが使われた。78rpmのSP盤時代はこれ一発でOKだったが、1950年代後半にをHi-Fi対応の45rpmのEP盤を再生させるのにツイーターを追加した。アンプは6L6やEL34など多極管のプッシュプルで、30W級の大型アンプが使われた。ここまではマイクをつなげば普通のステージPA機器と全く同じである。カートリッジは完全に消耗品だったので、安くて出力の高いセラミック型が主流であり、MM型が実装されたのはステレオレコードが出て以降である。これだけみると、レコードチェンジャー以外の部分は、さしてお金を掛けるようなことはしていないことが判る。しかしちょっとしたファミリーレストランぐらいの広さなら、部屋の隅から隅までガッツリ鳴り響かせられる音響性能をもっていた。


Rock-ola製ジュークボックスの仕様

年代 No. Ex-range tweeter Amp
~1953 ~1436 1x12"Jensen F12N - 6L6pp
1954-56 1438-1454 1x15"Jensen P15N 1xHorn 6L6pp
1956-58 1455-1465 2x12"Jensen P12R 1xHorn 6L6GBpp
1959 1468-1475 2x12"Jensen P12P Duax - EL84pp
1960-62 1478-1497 2x12"Jensen P12R 1xHorn 6973pp
1963-64 404-418 2x12"Jensen C12R 4x2-1/4" 6973pp
1964-71 424-445 2x12"Utah 2- 5x8"oval Solid
1972-91 447-494 2x12"Utah 2x6" Solid


アメリカに高級電蓄がそれほど数がないのは、ジュークボックスが全土に広まったからである。これも30cmクラスのエクステンデッドレンジを中心に巡っていた。ジュークボックスのメーカーによって大口径エクステンデッドレンジの使い方も様々だが、試聴位置の決まっている家庭用の周波数レンジだけに注目したユニット区分ではなく、商業施設の広いエリアでの音響効果を狙ったギミックな組合せであり、Jensenのユニットは12インチという大口径にも関わらず概ねミッドレンジ用のユニットとして認識されていた。Rock-olaは素のままのJensenの音調だが、Seeburgは8インチフルレンジを基調にしてミッドローを補強した仕様、Wurlitzerはさらに低音をゴージャスに広げたワイドレンジ型であるが、これはMagnavoxの2wayにJensenが割って入ったような仕様である。

Rock-ola TempoII Seeburg KD Wurlitzer 2500
mid:2x12inch Jensen
high:1xHorn Jensen
low:2x12inch Utah Jensen
high:2x8inch Utah Jensen
mid:1x12inch Jensen
low:1x12inch Magnavox
high:1x7inch Magnavox


私の使用しているJensen C12Rは、1960年前後のRock-ola社をはじめとするジュークボックスで定番のように採用されていたユニットで、今でこそギターアンプ用のスピーカーとして知られるが、開発された1947年は汎用のPAスピーカーとしてあらゆる業務用機器に搭載されており、これなくしてはロカビリーやR&Bはあれほど盛り上がらなかったと思えるくらい活きのいいサウンドを叩き出す。1960年代半ばを最後にJensen社は事業撤退したが、イタリアSica社が1996年から復刻生産をはじめ、この手のユニットとしては一番安価でしかも新品で手に入るユニットのひとつである。

Jensen C12Rは多くのジュークボックスで使用された(Rock-ola Capri, 1963)

エクステンデッドレンジ・スピーカー
モノラル時代のウーハーに相当するものは、エクステンデッドレンジと呼ばれる規格に沿っていた。これはAM放送やSP盤の音声周波数(100~8,000Hz)をカバーできるようにしており、Hi-FiレコードやFM放送を再生するときにはツイーターを追加して対応した。さらにエッジはコーン紙と一体化したフィックスドエッジで、これはラジオ用の小さい出力のアンプでも躍動感のある音が出せるように、音を出したあとに機械バネの作用で瞬時に戻してくれる作用がある。この機械バネはスピーカーの機械的なインピーダンス(Qts)も高くしており、これは空気抵抗の少ない後面解放型の箱を前提につくられている。そのかわり重低音はそれほど伸びず、スペックだけみれば10cmフルレンジと同じような低音しか出ない。そのかわり、200~4,000Hzのボーカル域が一丸となってダイナミックに躍動するサウンドが得られる。これはスペックだけでは分からないが、音楽的な表現の違いとなって現れる。過去にはJBL D130など、高級なエクステンデッドレンジ・スピーカーが発売されていたが、現在ではギターアンプ用に製造されているJensenのビンテージ・シリーズがこれに該当する。しかし最も安いJensen C12Rでさえも、Rock-ola、Seeburg、Wurlitzerの三大ジュークボックスメーカーの覇者であった。


同じ大口径でも現在のウーハーの構造は、コーン紙の周辺を柔らかいゴムや布で支えているフリーエッジのものが主流で、これはバスレフ型エンクロージャーで重低音を伸ばすのに適したものだ。さらに重低音をかせぐ工夫として、コーン紙の重量(mo)を重たくして、中高域で余計な音を出さないようにデットニングしている。これではボーカル域は平板な反応しか得られなくなる。これよりずっと振動板が軽いフルレンジでボーカルの生々しさにハッとするのは、多くのウーハーがボーカルの喉音(母音)800~2,000Hzのニュアンスを押し殺してしまっているからだ。

ところが、モノラル時代の大口径エクステンデッドレンジは重低音を出すためではなく、まず第一に人間の声をリアルに表現することを大事にしている。大口径であるべき理由は低音の増強のためではなく、200Hz付近までコーン紙のダイレクトな振動で音が鳴る点だ。コーン紙を平面バッフルに見立てて最低周波数を計算すると、10cmで850Hz、20cmで425Hz、30cmで283Hzとなり、喉音、実声、胸声と次第に下がってくる。あえて言えば、唇、顔、胸像という風に声の描写の大きさも変わってくるのだ。それより下の周波数は、エンクロージャーの共振を利用した二次的な輻射音になる。小型フルレンジでは胸声が遅れて曖昧に出てくるため、表現のダイナミックさに欠ける。このボーカル域の要件を両方とも満たすのが、古いPA装置に使われていエクステンデッドレンジ・スピーカーだ。喉声以上の帯域に対し遅れを出さずに胸声までタイミングが一致して鳴らせるようにするため、高域を多少犠牲にしても、スピーカー径を大きくすることで自然で実体感のある肉声が聴けるのだ。よくスピーカーの再生能力としてフルボディという言葉が使われるが、モノラルの場合はスピーカーそのものの大きさが等身大であるべきだと思っている。


人体の発声機能と共振周波数の関係

これら30~38cmクラスの大口径エクステンデッドレンジが開発された背景は、1940年代に流行したスウィングジャズのビッグバンドにおいて、音量の小さいボーカルやギターを拡声するためのPA装置としてだった。このときホーンやドラムに負けない瞬発力をもって出音を弾かないからには、どんな大出力のアンプであろうと音が埋もれてしまうため、反応の良さは大口径エクステンデッドレンジの必須条件だった。つまりマイクで拾った音が、ステージ上での生楽器と競り合うほどの生々しい音響を目指して設計されていたのだ。

1940年代のエクステンデッドレンジ・スピーカーの簡易PAセットはグレンミラー楽団でも使われた

単純なリズムでもインテンポで疾走感が出せるかがPAの使命だった


後面解放箱
モノラル・スピーカーで意外に悩ましいのは、スピーカーを収めるエンクロージャーである。なにせモノラル時代の低音再生は実物大を目指していたので、38~45cmのウーハーを収める洋服タンスと同じ大きさの大型キャビネットが立ち並ぶなか、どれを選べばいいやら上を観ればキリがないのである。
逆に現在のエンクロージャーの設計は重低音再生を重視したバスレフ型が主流で、これはフリーエッジのウーハーに最適化されたもので、フィックスドエッジで機械インピーダンス(Qts)が絶壁のように高いエクステンデッドレンジでは100Hz付近がブーミーに膨らむだけで、低音増強の効果がほとんどない。

Hi-Fi初期の巨人たち:すべてにわたって最高級をめざした

このため、低音を伸ばすという方針はスッパリあきらめて、ラジオと同じように後面解放箱に収めたほうが、反応もキビキビして結果がよくなる。周波数特性をみると200Hz付近からダラ下がりだが、胸声が被らずボーカルが明瞭でスウィングするのと、低音が全く聞こえないというわけではなく、中高域まで素直に伸びた波形の時間軸での一体感のほうが勝って、キックドラムもドカッと迫力で蹴り上げ、ベースも音程が明瞭でノリノリである。
私の使用している後面解放箱の寸法は以下に示す通りで、アルテック618型エンクロージャーの裏蓋を外した状態で使用している。このアルテック618型エンクロージャーは、ちょうど1940年代にアルテックが放送業界に足場を伸ばした頃の設計で、400Bや600Bスピーカーを収めて壁に掛ける音声モニターとして使用されるはずだった(実際は映画館やレコーディング・スタジオほどではなかった)。なのでビンテージ品の多くは、Altecのロゴが狭い上面に逆さまに付いている。私のはオリジナル品ではなく、当然ながら米松の合板でつくった模造品で、Jensen C12Rを取り付けるのに過不足ないのでそのまま使っている。

Altec 618は当時としては一番小さい箱だった

コーンツイーター
高域をHi-Fi対応に拡張するコーンツイーターだが、これも現在のツイーターの性能基準とは全く違う。私の使用している独Visatone TW-6NGは、1950年代のドイツ製真空管ラジオに付いていたツイーターの代替品のようなもので、計測してみると、5kHzと13kHzで大きくリンギングしており、三味線でいうサワリのような役割をもっている。これではステレオ録音は、奥行き感のない平面的な音場感で展開するのだ。
しかし、これをモノラルで大口径エクステンデッドレンジに組わせると、波形のタイミングがぴったり息が合って、まるでシングルコーンのフルレンジのように一体感のあるサウンドを叩き出すのだ。このため、高域がかならず中域の支えと寄り添った厚みのある音であると同時に、エクステンデッドレンジの筋力を阻害せずにうまく伸ばす方向にいっている。これが新しい設計のツイーターだと、エクステンデッドレンジの波形の立ち上がりに割って入るように鳴って、少し雑然とした感覚が残ってしまう。


ドイツ製で格安のVisaton TW6NGコーンツイーター(試聴位置:仰角75°からの特性)

Visaton TW6NGのタイムコヒレント特性


周波数特性(斜め45度計測)

インパルス特性


このタイムコヒレント特性というのはデジタル時代にはじめて導入された測定項目だが、新しいだけに議論の余地も多いもので、この計測方法を提唱した人たちも「正確なステレオ音像」の再現のために必要だと言い続けているが、現在のほとんどのHi-Fiスピーカーのメーカーは、1970年代に発展したマルチトラック録音に適した周波数分割型の現状維持の方針をとっている。一方ではマイク本数の少ない古いセッションやライブ録音では、タイムコヒレントのズタズタに乱れたマルチウェイスピーカーは、高域のパルス波に耳が行ってバランスそのものも崩れるため、音楽鑑賞どころではなくなる。連続音ではフラットな特性でも、時間軸では鋭い高域と緩やかな重低音が既にデフォルメされているのだ。ネットワーク回路による位相の乱れのないという理由で、高級オーディオは古い録音には合わないとか、遥かに安いフルレンジのほうが幾分ましというのは、昔からよく言われてきたことである。


モニタースピーカーのステップ応答の例
(最初の立ち上がりがツイーター(+ミッドレンジ)
で残りがウーハー)


一方では、現在製造されているフルレンジ・ユニットの大半は、1960年代のステレオ期に開発された広帯域再生に対応したもので、シングルコーンでレンジを広げるために分割振動を多くもち、バスレフ箱の共振を使って低音を伸ばすことで、音量を増すとブレークアウトして音が濁ると言われてきた。これもステップ応答で可視化すると、確かにライトシェイプの自然なつながりがあるものの、分割振動によって波形が乱れていることが判る。

NHK BTS規格のロクハンの周波数特性とステップ応答(微妙にドンシャリ、ステップ応答は全体で調和)

フルレンジのステップ応答(0.5ms=1kHzでエッジの共振&くびれ)

これらを比べると、ギターアンプ用で壮大な歪みを出すと思われていたJensen社のエクステンデッドレンジ・ユニットのほうが、第一波の波形が素直で乱れがないのである。さらにフィックスドエッジの機械バネで反動を抑え、Qoの高いダンピングの効いたユニットを後面解放箱に取り付けて、スレンダーに収めている波形は、低音でのダブつきをタイトに抑えてくれて、下手な密閉型ヘッドホンよりもリズムの分解能がずっと素早くインテンポに進む。これは計測器などまともに無かった時代において、生楽器と直接比較して音響効果を切磋琢磨していた時代のPA機器の本当の実力でもある。実際にはモノラルだからこそ、タイムコヒレンス特性が素直に整ったスピーカーが必要であり、当時の人は自分の耳で熟知していたのである。これはジュークボックスのように草の根に広がり、オーディオに関してはズブの素人だった人々でも判るアキュレートな反応でもあった。

自宅のJensen C12R+Visaton TW6NGの美麗なタイムコヒレント特性
(上:インパルス、下:ステップ、どちらも手足がピンと伸びた10.0)


ライントランス
CDの音がどうのこうのという前に、まず音の入り口のほうから攻めてみよう。先にヴィンテージ機器がデジタル音源で惨敗する原因として、アナログ盤の再生に最適化されたシステムだからとサラッと流したが、その背景について考えることとしたい。単純にいえば、弱電部のアナログ信号の取り扱いと周波数帯域の最適化が不十分なのだ。

一般の人が聴けるCDプレーヤーは弱電部の扱いが雑で、DAコンバーターに付属するI/V変換オペアンプ(B級動作)の出力を抵抗器でインピーダンスを合わせただけでは、躍動感のない深みの無い音になっている例も少なくない。さらにサブスクともなればもっと雑で、背景を省略するMPEG4はもとより、FLACなどロスレスファイルを展開してコンピューターのソフトウェアで何とか音を出している程度で、音に深みを出すノイズ対策など無防備もいいところだ。アナログだと良いと感じるのは、更に電圧の低いカートリッジを増幅するイコライザー・アンプがそれなりに造り込まれているからである。モノラル時代にあってデジタル時代に抜けているのは、プリアンプ部でのインピーダンス負荷と電圧の安定度であるが、これはとりもなおさず20kHzという周波数帯域をクリアに通すためだけのために省略することが慣習化したのである。この帯域が不必要なモノラル録音には別の方策が必要となる。

もうひとつデジタル音源で難問なのが、パルス性のデジタルノイズの累積で、アナログだと音楽とタイミングのあったスクラッチノイズで心地よく躍動感のプラスされるところが、CDだとどの波長にも付随するパルス性ノイズが、砂でザラザラした感触や、曇った水滴がのっぺりと張り付いたように鳴る。これは20kHzまで無理に伸ばしたデジタルフィルターのポスト&プリエコーからも生じる。さらに追い打ちをかけてデジタル以降に開発されたスピーカーが、この超高域に過敏に反応するよう設計されているのに、モノラル録音の時代はこの帯域の音をコントロールせずに漫然と録っているからでもある。
このCD規格の策定時は、全てのレコードがFMステレオ放送でのプロモーションを前提にしており、周波数帯域が15kHzまでに制限されているうえ、FM変調特有の三角ノイズ(昔のアナログ波テレビに出現した砂嵐と呼ばれるアレ)に埋もれて、デジタルノイズははるか霧のかなたの存在であった。多くの録音エンジニアの事前のヒアリングでも16kHz以上は楽音として必要ないとの意見が多勢を占めていた。それがCDが出たとたんに、手のひらをかえしたように20kHzまで再生できないとデジタル対応とは言えないという意見が趨勢を占めてしまった。

インパルス応答の入力波とシャープロールオフのデジタルフィルターのインパルス応答

ちなみに、CDの音も15kHz以上を緩やかにカットしてやると、パルス性ノイズはなくなり安定してくる。デジタルでアナログ的な味わいを出したいなら、1950年代に設計されたラジオ用ライントランスを噛ませることで、デジタル特有のノイジーなサウンドをフィルタリングしつつ、音声信号にサチュレーション(高次倍音)を適度に加えることができる。私の愛用しているサンスイトランスST-17Aは、安くて小さくHi-Fiの基準を満たすような広帯域でもないが、初期のトランジスターラジオを真空管風の艶のある音に整えることを目的に設計されたもので、1970年代まで汎用品として使われていた。音調も磁気飽和によりMMカートリッジのように腰のある粘りがあり、CD直出しの浅い感じから脱してくれる。

ラジカセ基板のB級プッシュプル段間トランス、サンスイトランス ST-17Aと特性

Jensen C12R+Visaton TW6NGの1kHzパルス応答特性(ライントランスで倍音補完)


【我が家のモノラル専用オーディオシステム】
以下に我が家のモノラル・システムを紹介する。大まかには、CDで音楽アーカイヴを整えているので、モノラルとは言ってもアナログ盤の再生機構はない。自分でもモノラル・システムがどうあるべきか、色々と20余年悩みながら、ようやく納得いくようなものに近づいてきた。このシステム構成のピリオドは、ジェンセン製エクステンデッドレンジ・スピーカーを中心に据えた1960年代初頭のジュークボックスで、ちょうどビートルズが出現する前のオールド・アメリカン・スタイルである。ポップスに軸足をもつことで汎用性が増し、前後20年間の1940~80年の録音に対しニュートラルな質感を得ることとなった。
最もこだわった点は、誰でも新品で手に入れられる汎用品で構成することで、音源もCDで聴いてバランスの取れるようにしている。以下のミッドセンチュリー・スタイルのキーパーツとなるJensen C12R、Visaton TW6NG、サンスイトランス ST-17Aなどは、3つ合わせて12,000円ぐらいで手に入る庶民的な価格である。さらにCDもリマスター技術が段々と熟して価格もBOX物となると200~300円/枚など断然お買い得だ。
こうしたことは、少しでもモノラル・オーディオ装置を本格的なものにしようとすると、モノラル=古い録音=初期プレス盤&ヴィンテージ機器、という従来のモノラル再生の王道主義に散々に悩まされた結果、これでは本来Hi-Fi技術のもっていた、誰もが楽しめるオーディオという理想が、崩れ去るばかりだと思ったからである。単純にいえば、ほとんどのオーディオ装置はラジカセからの正統的なグレードアップに失敗している。いつもラジオ以上の音質であることを宣伝していながら、ラジオでバランスの取れていたサウンドを崩してしまっているのだ。現在の進化したオーディオ技術が喧伝する、フラットで広帯域、パルス音の先行音効果優先、極小デスクトップやマルチチャンネル・サラウンド、という流れからは全く逆の音響技術への原点回帰でもある。


自然な周波数バランス=コンサートホールの響き
モノラル専用の機材を取りそろえたうえで、システム全体のチューニングである。自分の耳で自宅において概ねのモノラル録音でニュートラルになるように決めた周波数バランスは、200~2,000Hzを中心としたカマボコ型になった。これは古い録音だからだけでなく、新しいデジタル録音をモノラルにして聴いても同様である。実はこれがコンサートホールの響きとほぼ同様のものであることが、最近になってようやく理解できた。古い録音をよく聞くので、高域にフィルターを掛けることが昔から行われていたが、そうではなく徐々にロールオフするのが正解だったのだ。それと共に、最新のデジタル録音も同じように自然なアコースティックで聴けるようになった。両者の間にある音質の違いは、1950年代から大きく変化しておらず、むしろ発展したのはコンピューターによる解析技術のほうであると私は思っている。人間の耳も音楽ジャンルも、それほど変化していないのだ。

それと共にコンサートホールでは200Hz以下のバランスが100~200ms遅れた反響音として滞留しており、これは現在のウーハーの鈍い反応の設計の主流となっていることも判る。録音がスピーカー固有のサウンドステージに押し込められる原因は、従来から静的なコンサートホールの周波数特性を重視したため、ウーハーの受け持つ帯域のタイミングが全部遅れるというアンビバレントな状況によるのだ。これもステージ上で生楽器と競り合ったミッドセンチュリー期のPA技術のほうが正しい結果を出している。

コンサートホールの周波数特性の調査結果(Patynen, Tervo, Lokki, 2013)

実際のホールトーンと我が家のスピーカーの比較
点線は1930年代のトーキーの音響規格


私自身はついこの前知ったのであるが、1970年代からアブソリュート・サウンド誌に参画していたオーディオライターのアート・ダドリーは、同誌を辞めた後にアルテックのヴァレンシア(後にフラメンコ)をリファレンスにして批評活動を再開したということだった。そこでは、オーディオに必要な要件について「タイミング」という言葉をしきりに使っており、生涯の敵は「性能に問題ないと繰り返す専門家」と「周波数特性の専制主義者」である。このことを深く悟ったのは、歴史的なソングライター アーヴィング・バーリンの自宅を訪問したときのことで、そこで聴いた長年使いこまれたポータブルの蓄音機と電蓄の音が、78rpm盤とLP盤のどちらにおいても、あまりに家のインテリアと馴染んでいて感服したという。ちなみにダドリー氏がオーディオ機器の批評に正式に参加するときは、盟友のジョン・アトキンソンがダドリー氏の好む音響特性についてフォローするお約束となっているが、1kHz以上は-3~4dB/octでロールオフする独特なカマボコ型である。(この音響特性の有効性については後ほど述べる)一方では、アメリカのライターらしくフォークやロックへの愛情をたっぷり注いでいた点も、オーディオ進化論が既に緩やかな漸近線を画いてピークに達していた20世紀末から21世紀において、一風変わっているけど趣味性の高いコラムとして読まれていた。実はこれが21世紀オーディオの最先端でもあったと思うのだが、あまり日本では話題にならなかった。この辺もモノラル専用オーディオシステムの難しさである。

アート・ダドリーのリスニング・ルーム(アルテック フラメンコが目印)と音響特性


一般家屋に合った音響規模=人間の等身大
我が家のスピーカーは30cmクラスの大口径スピーカーだが、色々な人に勧めてみても置き場に困ると思うことが多いらしい。ところが実際は人間と同じ大きさだと椅子ひとつ分のスペースに収まるのだ。私は30cmクラスのスピーカーをディスクサイドに置いて音楽鑑賞しているが、実はこれこそが人間と親密に会話している距離と音量となる。そして一般家屋において物の大きさの心地よさは、ル・コルビュジエのモデュロールに見る通り、胴体が椅子の上に座る程度の大きさにデザインすることで、くつろいだ空間のなかで語らう姿勢に落ち着く。これはブックシェルフで3π空間を空けてステレオ配置するよりも狭いスペースなのだ。

ル・コルビュジエのモデュロールと自作スピーカーの寸法関係

そしてモノラル音声の聞き方は、斜め横45度から聴くのが正調である。これはモノラル時代のスピーカーの設計には、正面から聴くと高域がしゃくれ上がった特性が多いが、これが斜め横ではフラットになるようになっていることと整合性がとれる。1950年代までの拡声技術は、ラジオからステージ用PAとが地続きで存在していたのだが、それは1930年代におけるスピーカー開発ロードマップを確認すれば明らかで、試聴する人数と会場の大きさでスピーカーの大きさ・出力を規定していた。これを度返しにして音場感を拡張してきたのが現在のステレオ機器の開発方針として根強く定着しているといえよう。


モノラルなら大口径でもディスクサイドでOK

BBCでのLSU/10の配置状況


アンプは真空管&モノラルでなくてもよい
もうひとつなかなか手に入らないのがモノラル・アンプで、例えばコンディションの良いモノラル時代の真空管アンプは、決まって2台ペアで売っており、モノラルで売っているのはほとんどが未整備のジャンクに近いものである。また現行品で売られているモノラルアンプは、大型スピーカーを駆動する300Wクラスの超弩級アンプなど、高能率のスピーカーには帯に長いものばかり。
私はチャンネルデバイダーを使って国産プリメイン・ステレオアンプをマルチアンプとして使用している。こっちのほうがコストが掛からない上、マルチアンプで一番苦労するネットワーク周波数とレベル調整をフレキシブルに調整できるうえ、音の反応もキビキビして都合がいい。昔からのオーディオファンには、超弩級の4~5wayホーンシステムなどのためのこれまた超高額な機材が頭にあるため、マルチチャンネルと訊いた途端に腰を抜かす人も見かけるが、今時のアクティブスピーカー(アンプ付きスタジオモニター)はマルチアンプが当たり前である。私は独ベリンガーの一番安い機種を使っているが、スピーカーユニットとのコストバランスも妥当で、ユニットごとのレベル調整、on/offスイッチ、正相/逆相切り替えなど、必要十分な機能を備えていて特に不便を感じないのでそのまま使っている。

チャンネルデバイダーの使用方法としては、私は基本的に様々な時代の録音を聞きながら、自分の耳で心地よいと思ったところでバランスを取っている。計測しているのは結果の確認のためであって、多くの人のように何が何でもフラットでなければならないという理屈はない。計測した結果分かったのは、私の愛用しているJensen C12Rは当時のPA機器によくある4.5kHzを中心に強いリンギングがあり、ステップ応答でも強いピーク波形となってメカニカル2wayのようになっている。これは広いステージでの音響効果を考えた古いPA機器に特有の設計である。これを3.5kHzまでギリギリに伸ばしてカットすることで中低域から中高域のボーカル域で素直な波形に整え、これにコーンツイーターを追加して200~8,000Hzまで同じタイミングで1波形になるように、タイムコヒレント特性を整えている。
これは従来のように周波数特性だけに注目してみれば、6kHzまでフラットになるのでツイーターのクロスオーバーは8kHz付近に持っていくことになるが、タイムコヒレンス特性はかなり乱れたものとなる。逆に安全側に逃げて2kHz以下まで下げると、普通の2wayスピーカーより質の悪い低音の出ないウーハーとなる。この辺のじゃじゃ馬ならしのノウハウの積み重ねが足らないまま、Jensen C12Rのようなエクステンデッドレンジ・スピーカーはHi-Fi用途では役に立たないものと判定されたのだ。


C12Rをチャンデバで3.5kHzカットする前後の周波数特性とステップ応答の比較(45°斜めから計測)


周波数特性(斜め45度計測)

インパルス特性


このように、生楽器と競合するライブステージで足腰を鍛えられたエクステンデッドレンジ・スピーカーは、マイクで拾った音をアンプに直接つないで拡声しても、自然な音響を提供できるポテンシャルをもっていた。このため、通常のマルチウェイスピーカーのようにユニット間の位相が分解することもなければ、Hi-Fi用にレンジを拡張したフルレンジスピーカーのように分割振動でキャラクターをつくることもない。ミッドセンチュリー時代のエクステンデッドレンジ・スピーカーは、戦前からのAMラジオやSP盤電蓄の音声規格を踏襲したかたちではあったが、波形を時間軸で整合性をもって正しく再生する基本がしっかり叩き込まれていたのである。これはデジタル時代において改めて明らかになったことであり、1msでの位相の乱れというアナログ計測では誤差といえる範疇で、人間が耳で経験的に感じていた事柄にようやく追いついたというべきだろう。




【モノラル・オーディオを巡る四方山話】


【モノラル試聴方法はレイアウトフリー】
昔ながらの本格的なステレオ機材を自宅に備えようとすると、壁一面をステレオスピーカーとオーディオラックが占拠することになる。そして部屋のど真ん中に特等席としてソファやリクライニングシートを設置する。いわゆるコンサート会場のS席での鑑賞を想定したのが、ステレオ用のリスニングルームの基本である。
しかしモノラル時代は状況が異なっていた。もっと生活空間に馴染んだものであったのだ。
まずモノラルスピーカーの聞き方であるが、ステレオのように正面に座って聴くのではなく、部屋全体に音が行き渡るようにして、斜め横から聴くのが正調である。これはShure社がステレオカートリッジの売り出しと並行して、正しいステレオ録音の聞き方を述べたガイドブックにも載っている。このモノラル音声の聞き方は、レコーディングやラジオ局のスタジオでも同じであり正式のものである。

Shure社1960年カタログでのスピーカー配置の模範例(モノラルは斜め横から)とモノラル期のBBCスタジオ

ただし写真でみるかぎり、Hi-Fi創成期にモノラル録音を聴くという行為は、実に大らかで自由だったことが判る。ステレオのようにスピーカーの真ん前に陣取って聴く人の方が珍しいと思えるほどだ。また人間と等身大の立派なモノラル装置ともなると、家族の一員または気の合う仲間のように、単なる機械ではなく、一人のパーソナリティとして扱われている様子が分かる。現在のパーソナル化の進んだステレオ機器のように、コンサート会場とミュージシャンを独り占めするなんてことは、そもそも考えること自体がおかしな話だったのだ。モノラル録音の試聴方法は、こうした文化から学ぶ点も少なくない。


モノラル時代の大らかな聞き方

モノラルは孤高の存在ではなく大衆のオープンな賑わいを作り出していた


【モノラル・オーディオに不足している女子力】
もうひとつの課題は、モノラル=モダンジャズというジャンルがもつ男社会のいかつさが、モノラル・オーディオ全体を何というか華の無い、色気のないものにしているような気がしている。それもスーツ姿のダンディな装いならまだしも、バラック小屋に置いてある作業道具となんら変わりない様相で、電子部品が剥き出しのまま陳列している状況だ。スチームパンクのようなデザインセンスとでも云おうか、科学技術を操るのにわき目を振らないマッドサイエンティストの秘密基地のような様相が一般化している。接客をモットーにするジャズ喫茶のほうがここら辺はずっと気をつかっていると言えるだろう。



しかし実際には、人類の半数は女性がいるわけで、音楽を聴く人の割合も同様である。モノラル時代だった1950~60年代の広告、写真などをみても、現在と同じように女の子だけで音楽を話題にしている姿がよくみられる。つまりモノラル時代もオーディオ機器は着飾っていたのだ。



ところがモノラルLPが新譜で売られていた時代に遡っても、モノラルスピーカーという単体で売っている製品というのは、セパレート型コンポが認知された現在のようにはいかない。むしろ電蓄という形で売られているものが趨勢を占め、SP盤からLP盤へ移行していく過程で蓄音機と電蓄は破棄され、さらにLP盤がモノラルからステレオに移行する過程でHi-Fi電蓄は破棄された。つまりHi-Fi対応のモノラルシステムの多くは、1950年代の10年間のみ製造されたように考えられ、ステレオに移行する間にもテレビなど他の家電製品の優先順位におされて買い控えに合った可能性も高い。この過度期のなかで、通販カタログをみるとスピーカーユニットを購入して自作箱に収めるDIY方式が全盛だった。そういう意味では、モノラルスピーカーで完成品となると、いわゆる業務用の立派なもの物しか見当たらないということになり、王道主義のヒエラルキーが出来上がるのだ。

LP初期のエンクロージャーキットと張りぼてDIYオーディオ


私のスピーカーは、ユニットとエンクロージャーを別々に購入した半分DIY方式だが、これは単純にモノラルに適した新品のスピーカーをメーカーが製作していないという理由による。そこで問題となるのが、自作系のエンクロージャーのデザインに全く華がないことである。私の箱も元はアルテック618B型で、業務用なだけあってオリジナルは銀箱と同じメタリックグレーの単色、録音機材や放送機器に囲まれた作業場のものである。こんなもの有難がっているのは日本のジャズファンくらいなもので、実際にアルテック社だって、家庭用ともなるとデザインに気を配っていた。これではミッドセンチュリーの名が廃る。

さすがのアルテック社も家庭用となればデザインは凝ってる

1950年代のオーディオ機器でモダンデザインを巧く取り入れた製品もないことはなく、イームズだとかディーター・ラムス(最近一部が復刻された)がデザインを手掛けたものも存在するが、一般の人が購入できる価格ではなかったため、個体数は圧倒的に少ない。クォードのESL(静電型スピーカー)はさらに30年近く製造されるが、全く古びないどころか先進性がさらに明らかになる始末である。つまりインテリアの世界と同じく、スピーカーのデザインもまたミッドセンチュリーの壁を越えなければならないのだ。

イームズがデザインしたステファン・トゥルーソニックEシリーズ(1956)

クォードESLとブラウン版LE1(1957-59)

というわけで、味気ない618型エンクロージャーに、モンドリアン風にペンキを塗ったのが現在の状況だ。使用前vs使用後の雰囲気がどう違うか比べてみれば分かると思う。
ツイーターを置いている猫の餌皿が15°と絶妙に傾いて良い感じだったので、スピーカーの軸に疑似的な消失点をつくってみた。いわゆるエルゴノミック・デザインでもあり、胴体と頭部の骨格的な結び付きが明確になったことで、結果としてボーカルの発声がより立体的になって、音がスピーカーからポッカリ浮いた感じになった。


吟遊詩人(デ・キリコ1915)



人体の骨格とスピーカーユニットの軸線

ツイーターの置台?


モンドリアンといえば、作品名にも「ブロードウェイ~」とか「ヴィクトリー~」という風にブギウギの名を冠したものを残したように、晩年にアメリカへ移住したときにブギウギにひどく傾倒していた。いわゆるジャズではなく、なぜブギに特定したのか? よく明快なビートとリズムに触発されたと言われているが、モンドリアンがハーレム街の安酒場でリズムを取っているとはあまり想像できないし、ジュークボックスにコインを入れてじっと曲を選んでいるなんてのも愉快な絵柄だ。でも、もう少し長生きすればR&Bにもハマってたかもしれない。それほど時代が近いし、彼の画風が戦争の影をそれほど落とさずに、常に前向きだったことも功を奏したように思えるのだ。



これらの晩年の作品群は製作方法も特異で、色紙やカラーテープをキャンバスに貼り付けただけ、という誰でもマネできるものにまで昇華されていた。自身の美学に絶対的な自信があってのことだろうが、最近になって、紙テープでの試作品「ニューヨーク 1」が75年もの間、「逆さま」に展示されていたことが発覚して話題になった。そもそもアトリエから運び出し、裏側のサインを根拠に「逆さま」に展示した後、競売に掛けられて以降そのままだったと言われるが、それまでピッチの狭いほうが地平線で、そこから立ち上がるビル群を現わしたというような評論まで出ていたというのだから、難解な現代美術にさもありなんという事件に発展した。しかし美術館としては、元に戻すとテープが重力で垂れ下がりレイアウトが狂うので、もはやそのままにしておこうということだ。

モンドリアンの作品は、その単純なレイアウトのため模倣も多いのだが、現物をみるとそのキャンバスの厚みまでが作品と思わせる重量感がある。それはキャンバスの脇まで下地が均質に塗られているということもあるかもしれないが、ブロードウェイ・ブギウギにしても、近くで観ると色紙が捲れたり皺になっていたりと散々だが、たとえ小学生の切り絵のようなものであっても、その大きさという実在感がモノを言っているように思う。それはどんなにチープな造りでも「これが俺の芸術だ」という叫びが聴こえてくるのだ。
別の面では、モンドリアン自身は最先端のアーティストであったと同時に、バウハウスで教鞭を取るなどの教育者としての一面もあり、あるいはファインアートという唯一無二の存在から、より普遍的な美の追求をストイックに続けていた可能性もある。それが色紙やカラーテープのような誰でも手に入れることのできる素材での作品構成に向かわせたのかもしれない。ある意味では、ポップアートからミニマリズムまで網羅できるほどの幅広い可能性があったともいえるし、現在のコンピューター・グラフィックスのデジタルっぽいカクカク画はモンドリアン抜きには考えられない。アール・デコ時代の先端だったデザインは、今もなお有効なデザインでもあるのだ。


シュレーダー邸(リートフェルト1924)

モンドリアンのNYアトリエ(1940年代)

【唯一無二だったアルテック・プレイバックシステム】
モノラル録音の愛好家のなかでも、モダンジャズを好むオジサマがたが、つとに褒めそやすのが、大口径ウーハーに大型ホーンを備えるトーキーシステムである。「管球王国」なる雑誌はまさに直球ストレートでこれを王道とすることで知られる。ところがこのシステムの問題点は、まずもって高価で希少だということにつきるが、それ以上に問題なのは、1950年代にプレスされたモノラルLPの再生でベストとなるように設計されていることだ。CDでの再生はおろか、サブスクなどで聴くと、全くひどい音で鳴りひびく。まさに宝の持ち腐れとなる。さらにこの手の大型シアターシステムは、アンプの規模から部屋の大きさまで、全てにおいてグレードを求められるものであり、誰でも平等にスピーカーを買ってすぐさま良い音で鳴らせるようなものではない。小音量でチマチマ聴いているようだとバランスを欠くのだ。
同じジャズでも戦前のSP盤の評価が著しく低いのは、LPとSPでは取り扱いがまるで違うこともあるが、フィルターを掛けないと針音が盛大に出てまともに聴けないことによる。これは同じ黒人歌手でもクルーン唱法のジャズ歌手は持ち上げるが、ダミ声で大声を張り上げるブルース歌手の評価の低さにもつながってくる。アメリカ音楽の一面しかみていないのが、なんとももどかしいばかりである。全く逆の方向では、コロンビアやマーキュリーのクラシック音楽も当時はアルテックのモニターシステムだったが、これが自然に鳴らないバランスに仕立てているのは、クラシック愛好家にとっても悲劇である。

ジャズ・オーディオでまず話題にのぼるヴァンゲルダーとヴィンテージ機器


アルテック・プレイバックシステムで試聴するグレン・グールド
セル&カサドシュのセッション風景(背後にアルテック800システム)


ジャズの嗜好性がステレオ期で変化したため、ことさらモノラル録音が高評価されたモダンジャズとは逆の現象として、ステレオのほうが正規盤だと思われていた1960年代のロックやソウルが、モノラル盤のほうが音の勢いが良いということで注目を集め、ウォール・オブ・サウンドの開祖フィル・スペクター自らが「Back to MONO」というモノラルLPセットを世に出し、自身の録音テクニックはそもそもモノラルミックスであったと、モノラル・カミングアウトというべきことを公言して以降、1960年代におけるモノラル>ステレオとなっていたパラレルワールドの扉を開けた。これはモータウンの録音エンジニアが「1960年代のアメリカ人の90%は音楽をモノラルで聴いていた」と公言してはばからず、自身もモノラルミックスしかできないことを社長にバレてクビになりかけたと懐古しているぐらいだ。

ウォール・オブ・サウンドの現場となったゴールドスター・スタジオのセッション風景をみると、スタジオ内のモニターはアルテックA7でも最も初期型のものを使用しており、最新の機材で録音されていたわけでもなかった。この頃のスピーカーは演奏の出来不出来を判断するプレイバックモニターとして使用していたためでもあるが、少なくとも1980年代に騒がれるほどステレオでの音場感を意識して聴くような環境ではなかったことは明白である。アルテックなんてジャズおやじだけの持ち物なんて思ってるだろうが、1960年はほとんどの録音スタジオがアルテックのモニターシステムを採用していた。オリジナルテープまで辿り着いてリマスターされた音源の再生で、本領を発揮するのがこれらのプレイバックモニターである。しかし、これを聴くような住環境に居ないのが、現代のポップス愛好家の悲劇の始まりでもある。

「ウォール・オブ・サウンド」1963ゴールドスター・スタジオ(すし詰め状態)


このようにAltec A7は、VOTTシアターシステムの小型版のように思われているが、実際には録音テープを演奏後に確認するプレイバックモニターとして機能しており、実音と同じ音圧レベルでの試聴が可能な点で、ほぼ唯一無二の選択肢だったことが判る。高域不足だとか、つんざくような音質だとか言われる理由は、ラウドネス曲線を見れば判るように、家庭で使う音量ではバランスが取りにくく、本領が発揮しにくい設計になっている。家庭用に使用するなら、JBL D130やAltec 600Bなど、小音量でも勢いの良い音で鳴るものと組み合わせたほうが巧くいくはずである。

【懐かしき古ジェンセンの我が家】
私が愛用しているモノラル・スピーカーのメインユニットはJensen製で、1947年に開発されたP12Rのセラミック磁石版C12Rである。現在はイタリアのSica社がライセンス生産しているが、ギター小僧の受容も見込んで8,000円ぐらいの格安の値段で売っている。その用途は1960年代のフェンダーやシルバートーンのエレキギターのギターアンプ用交換ユニットである。楽器や録音機材を取り扱う店でしか売っていないので、オーディオ用としてはほぼ認知されていないのが現状である。


Jensen C12Rの作りはJensenのビンテージ復刻スピーカーのなかでも一番チープなもので、薄い鉄板をプレス成型したフレーム、現在の10cmフルレンジとほぼ同じ大きさのマグネット、ロール成型で接着されたコーン紙、フェルトで穴埋めしただけのセンターキャップなど、安物の臭いがプンプンする。周波数レンジも、当時主流だったSP盤やAMラジオに合わせ100~8,000Hzに留まる。同じJensen社でも、WEのトーキーにも使われたオーディトリアムはもとより、戦前からコンサートシリーズとして売られたNシリーズよりも格下で、30cmの大きさにしては安かろう悪かろうの代表例のように言われてもいる。


ところがこのJensen P12Rが発売されていた当初は、汎用のPAスピーカー用ユニットとして、Presto社のアセテート録音機、Bell&Howell社の小型映写機、Rock-ola社のジュークボックスなど、アメリカのあらゆる音響設備に供給されていた。ロカビリー黄金時代のRock-ola社のジュークボックスに実装されたのは、高級なJBLやAltecのユニットではなく、P12R、C12Rのほうであった。FenderやSilvertoneのギターアンプはその流れで使われていたのだ。


この「1940~60年代アメリカのあらゆる音響設備」というのはとてつもない意味がある。例えばシカゴ・ブルースがエレアコを使い始めた時期、ジュークボックスを通じてロカビリーが大流行した時期など、現在のポップスの源流ともなるサウンドの全てのピリオドが、Jensenスピーカーを通じて創成されたと言っていい。AltecやJBLがハリウッドセレブの大舞台だとすれば、Jensenはメンフィスやシカゴの場末の安酒場である。この違いは、製作資金から宣伝までエンタメとして整えられたステージと、その日暮らしの一発勝負で挑むパフォーマンスとの違いであり、アメリカン・ポップスはむしろ後者のほうが大衆音楽の本来の立ち位置である。


1940年代のシルバートーン、ギブソンのギターアンプとPAシステム

では、JesnenのPAスピーカーの魅力はなにかと言えば、まずもって喰いつくような突進力にあると言っていいだろう。まるでアンプがもうひとつスピーカーボックスの中に入っているのではないか? と思うぐらい瞬発力のあるリズムを刻む。その理由は、フィックスドエッジの機械バネを利用した引き際のスマートさで、ステップ応答でも0.5msぐらいでスッと音が引く。これが力強いダウンステップを刻むのである。通常のスピーカーは低音の伸びを重視するので1.0~2.0msぐらいまで尾を引くのだが、ダウンステップなど重苦しい隅塗りで曖昧になってしまう。素朴なドラムとベースで奏でるワンステップ、ツービートのアレンジを、リズムの強力な引きで胸湧き躍る音楽として聴かせる素養が、Jensenスピーカーの骨格として備わっているのだ。

Jensen C12R+Visaton TW6NGのインパルス応答と1kHzパルス応答特性

次にサウンドキャラクターとして、コーン紙がプレートリバーブの代わりとして機能していた時代の名残りがあり、底抜けに明るいトーンをもっている。これは分割振動とか高調波歪みとか言って片づけるにはもったいない質感で、これこそがブルースギターやロカビリーの魅力の原点となったものだと判る。「レコーディングスタジオの伝説」という本で、サックスでも女性ボーカルでもなく、荒々しいブルースギターの音色をセクシーだと描いた音は、まさしくJensenのサウンドなのだ。原音主義者から言わせれば、ギターアンプの音をさらに歪みで上塗りしているのだと思うだろうが、ギターアンプの歪みは真空管B級アンプに過入力で歪ませた音が大半で、普通のオーディオ信号ではクリーントーンに近い音質に留まる。

このリズムとリバーブの魅力は、そもそもボーカルをステージで魅力的に拡声させるために考案されたものである。それは1920年代にクルーン唱法が発達した時期から付き添ってきた筋金入りのもので、ライブ録音のトークが胸声の被りなく鮮明に発音されることからも判る。つまり、Jensenスピーカーは、マイクの生音をそのままアンプに繋いで拡声することを、第一の目的として設計されているのである。

この100~8,000Hzの狭い帯域のなかに秘められた百戦錬磨のサウンドは、ただエレキギターのためだけに作られたのではなく、ポップスを形造るあらゆるエッセンスがJensenスピーカーに込められていると判る。Jensen C12Rはただ安いだけではない、マクドナルドのハンバーガーのように、アメリカの音楽文化のファーストフードのような存在なのだ。いわばアメリカのソウルフードともいえる、このアメリカン・サウンドの真のレジェンドに対し、これまでの認識は全く改めなければならないと強く思う。

【ステレオ装置で聴くモノラル録音は汚い】
先に書いてあるように、2020年代にはモノラル専用オーディオシステムは売っていない。つまり9割以上の人は、モノラル録音をステレオ装置で聴いているのだ。つまりメインはステレオ録音、モノラル録音はつまみ食いという程度にたしなむのが一般的である。では、モノラル録音はどうすれば、バリバリの生気に満ちあふれたサウンドで鳴ってくれるのだろうか? それはモノラル専用のオーディオ・システムで聴くことである。ステレオ装置でついでに聴こうなんて思ってはいけない。現在のステレオ装置はモノラル録音を汚い音で鳴らすようにようにできている。その理由についていくつか述べよう。

  1. ステレオ・スピーカーからはモノラル音声が仮想音像でしか聴けない
  2. 高音と低音がバラバラに分解してサウンドの一体感が削がれる
  3. 録音ごとの高域のキャラクターの違いがダイレクトに出る

これらの症状は、モノラルからステレオに移行する際に、「ステレオならではのサウンド」で何がデフォルメされて録音に反映されているかを知れば一目瞭然である。

①1960年代のステレオ=人工的な音場感
ステレオがステレオとして聞こえる周波数帯域は、人間の耳に敏感な中高域の3kHz以上に隔たっており、ツイーターがその役割に多くを担っている。
ステレオ録音の特徴として一番に挙げられるのが、音場感というコンサートホールの反響音を主体とするもので、例えばボーズ博士が言った「直接音:反響音=1.1:8.9」というもので、有名な901型スピーカーはその理論に沿って、正面に1個のユニット、背面に8個のユニットを配置して、部屋全体の音響をコントロールするようにしている。

部屋の壁一面に音場感を張り巡らせるボーズ博士の理論と実践

この音場感をスタジオ録音に反映させる手法として、1950~60年代にはエコー・チェンバーといったコンクリート打ちっぱなしの部屋でスピーカーを鳴らした音を混ぜて、2ch間で生じる逆相成分(音波の波が反対に作用する音)を増長させていた。1970年代にマルチトラック録音(別々にテープに録った演奏を後でミックスする手法)が増えていくと、エコーのように残響が低音まで伸びていると音が混濁するので、中高域に特化したプレートリバーブが使われるようになった。


エコー・チェンバーの内部

EMT #140ST プレート・リバーブ


②1970年代のステレオ=パルス音攻撃にさらす
ステレオ成分のうち人間の耳が特に敏感なのが、パルス音といったシュッとかパチッと鳴る音で、音の方向性はパルス音の先行音効果で決まる。ツイーターだけを鳴らすと判るが、気配のようなわずかな音が早い者勝ちで鳴った方向に、脳が過敏に反応するのである。これが明らかになったのは、1970年代半ばに英BBCの研究チームによるもので、その頃からステレオ録音の音の広がりと繊細な定位感が共存するようになった。


ツイーターの発するパルス波の先行音効果でサウンドステージを完成させたBBCの研究成果

このBBCの研究で有力だったのが、コンサートホールの響きの違いは主に8kHz以上のアンビエント成分によること、そしてステレオの先行音効果をより鮮明に出すためコンピューター解析を使ったインパルス応答というパラメータを導入してスピーカーを設計したことだった。このことにより8~15kHzという超高域でのツイーターの音のコントロールが必然的となり、それまで漠然としていたステレオ録音に、サウンドステージという仮想空間を提示することに成功した。この雛形になったのが、イギリスのキングズウェイ・ホールであり、英国内のFMステレオ放送ではお馴染みのものだったが、これはロックでもジャズでも同じサウンドステージの雛形に寄せられる状況となっている。いわゆるヨーロピアン・サウンドと言われるものである。かわりにツイーターはチャンネルセパレーションを良好にするため、指向性を30度以下に絞り込まれ、耳の高さに合わせるのは当たり前、首を振るだけでも音像がブレるぐらいにデリケートなものとなった。

③1980年代のステレオ=滑り出しで失敗したデジタル対応機器
さらにCDが市場に出た時点では、D/A変換するICチップの精度も大らかなもので、S/N比90dB以上、20~20.000Hzという数字だけが独り歩きして、特に後者の周波数レンジだけを保証したオーディオ製品が「デジタル対応」という旗印の下、音楽市場を進軍していったともいえる。最高級品のスピーカーでも極薄で強度を保ちやすいハードドームや、磁性透過ゲルなどで放熱効率を上げて振動板の軟化を抑制したりしたが、20kHzでブレークアウトして10dB近いリンギングを起こすなどで、デジタルノイズを曖昧にしようとしたこともあった。いわば耳を麻痺させてでも、音のなめらかさやサウンドステージの再現を優先させたのだ。

1980年代の高級ハードドームツイーター(20kHz付近に激しいリンギング)

高級ハードドームツイーターのインパルス応答(左:入力、右:出力)

これだけみれば、ステレオ装置における忠実度の高い(Hi-Fi)音響が、いかに歪んだキャラクターを伴って発展してきたかが分かるだろう。モノラル録音はナチュラルにマイクの音を反映しているゆえに、ステレオ装置では変なキャラクターに聞こえるのである。

④1990年代=ヘッドホン・ステレオの逆襲
これとは逆に、1990年代のJ-POPやヒップホップのミキシングは、より音圧を高くラウドに、さらにアグレッシブにアレンジしたのも確かで、旧来のHi-Fiオーディオでは過剰なサウンドとして嫌悪されるようにもなった。これには別の理由があって、携帯プレーヤーがデフォルトになった時点で、電車など通勤・通学での試聴では、電車の騒音に負けないサウンドを叩き出さないと見向きもされないという、これまた通常の試聴環境とは異なる事情がある。1990年代に急激にマーケットを携帯プレーヤーによって、録音スタジオのサウンドポリシーがひとつの強力なベクトルを持ったことに、やや不思議な感覚を覚えるかもしれないが、むしろHi-Fi技術をどこまで拡張するかの彼岸を指しているようにも思える。

9割方が電車の騒音というなかでの直接音の必然性

一方では、ヘッドホン試聴による過剰にデフォルメされたサウンドに歯止めを掛けようと、これまで基準のなかったヘッドホンの周波数特性について、ヨーロッパを中心に規格化が策定された。これは人間の外耳の共振特性を考慮した周波数補正を行うもので、人間の外耳の長さは25mm~30mmとされ、開管とした場合の共振周波数は、3kHzと9kHzにピークを生じさせ、この周波数を敏感に聞き取るようになっている。これをダミーヘッドに忍ばせた小型マイクでシミュレーションし、オープン型ヘッドホンでフラットに再生したときの周波数特性を、Diffuse Field Equalizationという名称で国際規格IEC 60268-7として1995年に公開した。つまり、ダミーヘッドで測定したヘッドホンの特性を、一般の音響と比較する際には、聴覚補正するべきカーブを規定したのだ。この規格にそった最初の製品は、AKG K240やゼンハイザーHD600だったが、いずれもオープン型で外騒音が筒抜けなので電車では使用不可、さらに録音スタジオ用の120~600Ωのハイインピーダンス仕様だったため電力供給力の小さい携帯プレーヤーには不向きだった。

B&K社のダミーヘッド4128C HATSとDiffuse Field Equalization補正曲線

こうしたHi-Fiの彼岸状態は、CDやMDのように小型で高音質な規格が立ちあがったのと反比例しているのも皮肉といえば皮肉で、Hi-Fi機器の取り扱いの「手軽さ」がもたらした好機ともいえる一方で、周辺の環境がそれにふさわしく発展していない事実にも突き当たる。ともかく、つい十余年前まではLP盤がHi-Fiの王者であり、持ち歩いて聴くなんて想像も付かなかったからだ。LP盤は大きくかさばるうえ取り扱いに丁寧さが求められるため、ほぼ必然的に家で聴くようなものだったからだ。LPレコードの大きさは、ステレオ装置が立派である必要性の第一条件だったともいえる。このLP盤の製造も1990年に一端終止符を打ったため、もはや好きな音楽を聴くのに家に引き留めておく理由がなくなったのだ。

1970年代末に急激に巨大化したステレオ・ラジカセ

1990年代には標準となったパーソナル・ステレオの潮目の移り変わり

⑤21世紀:ステレオの進化はモノラルに不適合
ここでステレオ装置がモノラル録音と相性が悪くなった理由は、もともと定位感に関するパルス成分の情報がないモノラル録音で無理にステレオ・スピーカーの中央で音像を結ぼうとしたり、重低音再生にシフトしたウーハーでボーカル域の反応が押し殺されたり、指向性の鋭いツイーターで音色をコントロールするためモノラル録音では不自然なキャラクターが乗りやすいなど、音響的に不自然さのほうが目立つようになった。これでたちが悪いのは、ステレオ・スピーカーの多くは、無響室で真正面から測定して周波数特性がフラットに整えられているため、自宅の部屋に置いたときもそうなっているはずだと勘違いされていることだ。このためモノラル録音のほうがバランスがおかしいと疑う人も多いのだが、実際には時間軸で音波がチグハグに鳴るようにできているため、パルス音の先行音効果がなければ重たいウーハーで表情は沈むし、ライブ録音では拍手や咳ばらいといったスクラッチ系の音が楽音よりもリアルに鳴るということが起きてくる。

このことを逆に考えると、モノラル録音にふさわしい音響設計の在り方があぶり出されてくる。あえていえば、現在のステレオ装置はモノラル録音が悪く聞こえるように作られているといっても過言ではない。

  1. 1本のスピーカーで仮想音像にごまかされない
  2. ボーカル域を中心に音響設計が組み上げられている
  3. 高域がパルス成分に過剰反応しない
  4. 高域の指向性が90度程度に広く設定されている
  5. 中低域から中高域まで時間軸でのタイミングが揃っている

このように、ステレオ録音での進化は、モノラル録音にとってかならずしも歓迎されるものではなかった。それは裏返すと、モノラル録音にはステレオ録音にはない魅力があるのであり、そこをしっかり把握することが重要となる。それは、実体がブレない音像、低音から高音まで一体感のあるサウンド、録音のエコーの違いに翻弄されないニュートラルな再現などである。そのツボとなるところを巧くおさえたオーディオ・システムが、モノラル専用システムということになる。




【新しい録音もモノラルでしっぽり】


さて、ここまできてモノラル録音の再生装置について書いてきたが、実はステレオ録音もモノラル・システムで聴いても、実に味わい深いことを知っているだろうか? 意外に思うだろうが、録音マイクのほとんど全てはモノラルで収録され、後ほどのミックス作業で仮想のステレオ空間に配置されただけなのだ。純粋な2chステレオはワンポイント収録と言われ、ステレオ録音のなかでもかなり希少な存在である。それよりも何よりも、ステレオ・レコードの45-45方式、FMステレオ復調方式は、いずれもモノラルへの下位互換を保証した規格である。

新しい録音でもモノラル試聴の勧め
ステレオ族の優性が語られる現代社会において、モノラル種のほうが演奏の真実を語っている、というと誰もが「え?」と思うだろう。単純に言えば、マイクで収録したゼロ地点での音声信号は、全てモノラル音声である。それに逆相成分などの環境音(アンビエント成分)を加えたのがステレオ音声である。
アンビエント成分は8~16kHzで大きく効いてくるので、ツイーターが繊細に反応しなければ音の広がりが途端に悪くなる。最近では音波の立ち上がり音(パルス成分)を収録することで、楽器の定位感を出すようにしているが、デジタル以前の録音は左右の信号の位相差ということで整理していたものである。これは10kHz以上の超高域の立ち上がりで決まるので、アンビエント成分と被る場合はパルス成分を過剰に収録しなければ再生が難しい。この矛盾に応えるべくオーディオは進化したというのが、現在のオーディオ界の常識となっている。一方で、昔のSF漫画に出てきたタコのような火星人のように、進化とはいびつな退化を代償として伴うものである。

これらアンビエントとパルスの画き分けは、ツイーターの性能で決まることが多く、低域方向の拡張よりもコストを掛けずに済むため、ハイレゾといえばこちらの話題になることがほとんどだ。
さらに問題になったのが、デジタルCDでの44.1kHzという規格で、これが策定された頃はアンビエント成分のことしか頭になかったのだが、デジタル録音で波形解析が容易になると、パルス成分にかなりのデジタルノイズが累積するということが判り、さらにはローパスフィルターで位相までぐちゃぐちゃになるということまで判ってきた。

一方の低域方向の拡張は、最初に期待していたほど進まず、そもそもアナログ時代は50Hz以下の周波数域での楽音はLPレコードではハウリングが起きるため御法度だったので、その領域での音楽表現はそれほど発展しなかったのだが、一番大きな問題はオーディオ機器を置く部屋の音響で、いくら低域の音圧を増やしても部屋の共振&反共振が折り重なり周波数特性が波打つだけで、ほとんど歯が立たない。しまいに能率80dB前半の大飯喰らいのウーハーが多くなり、アンプに要求される電力供給量もうなぎ登りになり、100Wでダンピングファクター200程度のプリメインアンプでは無理、200~300Wでダンピングファクター500以上でないと、低音の制御が利かないという事態にまで発展した。このため高級アンプには電源部分の強化が必須となり、筐体のコストと重量の80%はトランスとコンデンサーで占められるものが多くなった。

この軽く鋭敏な超高音と、重く地を這うような重低音を共存させようとした結果、収録音域とダイナミックレンジだけに注目したハリウッド型のエンタメ映画が席巻し、5.1chサラウンド規格の創成期に銃弾と爆発音がさく裂するサウンドに特化したAVオーディオ機器が増えて、これと峻別した旧来の音楽観賞をまじめに貫くピュアオーディオなる用語も生まれた。

一方で、この重低音と超高音を容易に再生できる方法として見直されたのがヘッドホン・オーディオである。従来のステレオ録音では漠然としたアンビエント成分だけで音場感を出していたため、ヘッドホンだと無指向性で定位感の分かりにくいことがあった。このためスピーカーを前方中央に置くコンサート鑑賞型の試聴方法が正式のステレオ再生方法となっていたのだが、サラウンド効果の研究の副産物として、人間の聴覚がパルス成分に過剰に反応することを発見して、この成分を使って楽器の定位を明瞭にする手法が発展した。パルス成分に過剰に反応するのは、音圧よりは時間軸での差で、先にパルス成分を出した方向を知覚する「マスキング効果」に依るものである。ヘッドホンでの試聴の場合、3~8kHzにある外耳の共振のため、その上の帯域が阻まれる傾向があったが、1995年にヘッドホンで試聴した音を外部の音と同じように平準化して評価するDiffuse Field Equalizationという国際規格IEC 60268-7が制定されたため、超高域までのフラットネスが見通せるようになった。この外耳共振の癖を取り除くことで、ヘッドホンでの音場感が正しく把握できるようになったというべきで、これは最初のステレオ録音(バイノーラル)を開発したブルムライン博士の理想をようやくカタチにしたといえよう。一方で、それ以前の録音には依然として違和感が残るため、リマスター音源の多くはリバーブや余計なノイズのゴミ取りなどで、それまでノイズで埋もれていたパルス成分をクリーンにする作業を欠かさないようにしている。
ところがこのリマスター音源の出た後に必ずと言っていいほど激しいクレームが散見されるのは、音がクリアになった反面それまで聞こえていた味わいや臭いのようなものがすっかり失われていたり、リバーブが過剰すぎてパンチが失われ音が遠くなったとか、データでは言い表せない些細な事柄が原因になっている。この課題を掘り下げると、ヘッドホン試聴によって敏感になったパルス成分の聞こえ方には個人差があり、マスタリングを担当するエンジニアにも全てを網羅できることは到底不可能である点である。

◆ステレオ録音の歴史を変えたこの1枚をモノラルで味わう
以下の録音をモノラルで聴くとは冒涜だと思う人も多いだろう。しかしラジオでふと流れてきたり、異世界ファンタジー映画のようなMTVを観たときは、そのインパクトの強さに誰もが驚愕したはずである。つまり録音が良いからという以前に、音楽として練り上げられた結果、このようなサウンドになったというスタンスがしっかり築き上げられているのである。モノラルで聴くと、その練り上げられる過程がより鮮明になって浮かび上がる。霧もやの中で、突然出合った賢人のようなものだ。

ケルン・コンサート
キース・ジャレット
(1975)
アヴァロン
ロキシー・ミュージック
(1982)
この録音をはじめて聴いたときは、なんて孤独は美しいことかと感嘆していたのだが、今聴き返してみると、むしろ暖かい観衆との幸福な結び付きのほうの印象が強い。というのも、クラシックの大ホールをピアノ即興だけで観客を埋めるというビジネス的な敷居の高さが宣伝される一方で、むしろポップス寄りのキーボード奏者にカミングアウトしたジャズピアニストの姿が見えてしまうからだ。それは同じ時代のプログレや電子音楽家が既にやっていたことなのだが、音量規模と聴いている視聴者層の違いから話題として上らないだけに過ぎない。それはエレキギターを演奏するのでフォーク・フェスに出られなかった黒人ブルース歌手にも似た古い慣習である。
一方で、この録音がヨーロピアン・ジャズの方向性を決定付けたのも確かで、後光を射すような柔らかい残響に包まれて、リリシズムという女性的な繊細さをもってしても、ジャズはジャズで在り続けるという別の信念も感じられる。そのピアノを弾く以外に何でもない無垢な自分を模索している姿こそが、このパフォーマンスの立ち位置なのだが、傑出した個性だけを崇める周囲のざわめきが災いしていると思う。
ちなみにステレオで聴くと、部屋全体がピアノに呑み込まれたような独特の音場になるが、モノラルに仕立て直すと、ピアノの前に独り座る孤独な男の姿が浮かび上がる。暖かい拍手に包まれるコンサートではなく、「ピアノと私」だけが存在する世界に入り込むのだ。
一介の録音エンジニアだったボブ・クリアマウンテンをアーチストの身分にまで高め、ニアフィールド・リスニングでミキシング・バランスを整える手法を確立したアルバムである。最もモノラルで聴きたくないアルバムのように思うだろうが、このプログレバンドのインストの切れ味は、むしろモノラルでこそ味わってもらいたい。ボブクリのマイクアレンジも個々の音質は非常にまじめに録られており、むしろイコライザーやコンプレッサーで遊んだりしない点で、スタンダードとなるべく素養をもっていたと言うべきだろう。
アヴァロンとはアーサー王が死んで葬られた伝説の島のことで、いわばこのアルバム全体が「死者の踊り」を象っている。実際に霧の遥か向こうで鳴る音は、有り体な言い方をすれば彼岸の音とも解せる。しかしこのアルバムを録音した後バンドメンバーは解散、誰しもこのセッションに関してはムカつくだけで硬く口を閉ざしているので、そもそも何でアーサー王の死をモチーフにしなければならなかったのか?と疑問符だけが残った。
私見を述べると、どうも恋人との別離をモチーフにしたほろ苦い思いを綴っている間に「愛の死」というイメージに引き摺られ、さらにはイギリスを象徴するアーサー王の死に引っ掛けて「ロックの彼岸」にまで連れ去ったというべきだろう。この後に流行するオルタナ系などのことを思うと、彼岸の地はそのまま流行から切り離され伝説と化したともいえ、この二重のメタファーがこのアルバムを唯一無二の存在へと押し上げている。


以上のような、超高域、重低音と拡張されたオーディオ性能には、人間の聴覚を刺激する様々な効果も発掘されたのだが、それだけに繊細なコントロールを要求するようになっている。しかし音楽の聴き方として、そのような気遣いは必要かというと、実は自然なアコースティックの状態では、もっとリラックスして聴いているように思う。つまり超高域のパルス波に支配されたオーディオ表現は、どこか緊張感が優先してヒリヒリしているのだ。最初にそれを感じたのは、1990年代に20kHzにリンギングを起こすツイーターを搭載したイギリス製スピーカーで、絶対的に静止したサウンドステージをスピーカーの周囲で現出させる一方で、そこから楽音が解放されない気持ち悪さが同居していた。まるで映像でもみるように楽器の定位が手に取るように判る一方で、コンサートホールで聴くような開放感がない。これと同じことはヘッドホンでの試聴でも起こる。楽音のひとつひとつは明瞭に聞こえるのに、どこかリズムやメロディーに一体感が得られない。体感を削ぎ落した知覚だけの音というのが、音響効果の臨床試験のような気がして気持ち悪いのだ。
このような、音の開放感や一体感が無くなる現象は、1970年代にトランジスター製のミキサーが標準化された頃から話題になったもので、これを解消するためにプレートリバーブで倍音を累加したり、高調波歪みの大きいライントランスを使ったりと、録音スタジオでは工夫を重ねてきたが、いよいよミキサーがデジタルになると、楽音同士の干渉が皆無になり、この手の誤魔化しが利かなくなってくる。真空管を入れると適度な歪みとコンプレッションが得られるとして導入する事例も増えてきた。このことは、オーディオのスピーカーやヘッドホンといった変換装置は、デジタル化されるよりずっと以前の状態からそれほど進化しておらず、ましてやマイクさえもノイマンやAKGといった旧式のコンデンサーマイクが中心に使われている。つまり入口と出口が変わらないまま、途中の規格を変えても限界は既にみえているのだ。

このようにステレオとデジタル、超高音と重低音という、20世紀に起きたオーディオ技術の拡張論に沿って話を進めていくと、そこで求めてきた高音質であることの本末転倒な事態も把握されてくるのだ。私自身は、これらの拡張論をリセットし、Hi-Fi技術を原点回帰する方法として、モノラル・スピーカーでの再生を勧める。それもノイマン製コンデンサーマイクの開発された当時の拡声技術に注目して再現を試みている。

ところでステレオ録音のモノラル化をどういうやり方で処理しているか疑問におもうかもしれない。実はこの件は難問中の難問で、多くのベテランユーザー(特にビンテージ機器を所有している人たち)でも、なかなか満足のいく結果が得られないと嘆いている類のものだ。

ステレオ信号のモノラル合成の仕方は様々で、一番単純なのが2chを並行に結線して1chにまとめるもので、よく「ステレオ⇔モノラル変換ケーブル」として売られている良く行われている方法である。しかし、この方法の欠点は、ホールトーンの逆相成分がゴッソリ打ち消されることで、高域の不足した潤いのない音になる。多くのモノラル試聴への悪評は、むしろステレオ録音をモノラルで聴くときの、残響成分の劣化による。
次に大型モノラル・システムを構築しているオーディオ愛好家に人気があるのが、ビンテージのプッシュプル分割トランスを逆に接続して、2chをまとめる手法で、巻き線の誤差のあたりが良い塩梅におさまると、まろやかなモノラルにできあがる。しかし、これもプッシュプル分割用トランス自体が戦前に遡る古い物しかなく、そのコンディションもまちまちで、当たりクジを引くまで1台5~10万円もするトランスを取っ換え引っ換えしなければならず、一般の人にはお勧めできない。ひどいときには600Ωの電話用トランスをハイインピーダンスの機器につなげ、高域を持ち上げて音がよくなると勧める店もあったりと、イワシの頭も信心からと言わんばかりで、何事も自分の耳で確かめなければならない。
最後に私が実践しているのは、ミキサーの2chの高域成分をイコライザーで互い違いに3~6dBのレベル差を出して合成することで、昔の疑似ステレオの逆をいくやり方である。「逆疑似ステレオ合成方式」とでも名付けておこう。これだと情報量が過不足なくまとまって、高域の潤いも失われない。

◆ステレオならではのマルチな表現をモノラルで解きほぐす
マルチトラック録音は、1970年代後半から人工的なサウンドステージを得て以来、仮想のコンサート会場をステレオ音場として展開してきたが、それを構築するストーリーが大切な鍵となって、新しい世界観を構築するようになる機会はそうざらにあるものではない。アニメの世界では当たり前の背景画やキャラクター設定など設定資料に相当する書き込みの緻密さを、各トラックをサウンドステージから取り出して平等に配置することで味わえるのがモノラルで聴く醍醐味でもある。

魔物語
ケイト・ブッシュ
(1980)

ガイガーカウンターカルチャー
アーバンギャルド
(2012)
ブリテン島に残るゴシックホラー趣味をそのまま音にしたようなアルバムで、アナログ全盛期の音質とミキシングのマジックに満ちているにも関わらず、その質感を正しく認識されているとは思えない感じがいつもしていた。
一番理解し難いのは、ケイト自身の細く可愛らしい声で、少女のようでありながら、どこか大人びた毒舌をサラッと口走ってしまう、小悪魔的なキャラ作りに対し、いかにほろ苦さを加味できるか、という無い物ねだりの要求度の高さである。それは実際の体格からくる胸声をサッと隠そうとする狡さを見逃さないことであるが、それが一端判ると、実に嘘の巧い女ぶりが逆に共感を呼ぶという、このアルバムの真相に至るのだ。同じ共感は、ダンテの神曲に出てくる数々の苦役を課せられた人々が、意外にも現実世界の人々に思い重なるのと似ている。
「不思議の国のアリス」の続編とも思える、この世離れした夢想家の様相が深いのは、煉獄のような現代社会でモヤモヤしている人間への愛情の裏返しのようにも感じる。ウーマンリブとかフェミニズムとか、そういう生き様を笑い飛ばすような気概はジャケ絵をみれば一目瞭然である。
モノラルでこのアルバムを聴くと、ミックスに時間を掛け構成されたように感じたものが、実は理路整然と並んでから配置されていることが判る。
時代は世紀末である。ノストラダムスの大予言も何もないまま10年経っちゃったし、その後どうしろということもなく前世紀的な価値観が市場を独占。夢を売るエンタメ商売も楽ではない。
この手のアーチストで、ライバルはアイドルと正直に言える人も希少なのだが、別のアングラな部分は東京事変のような巨大な重圧に負けないアイデンティティの形成が大きな課題として残っている。その板挟みのなかで吐き出された言葉はほぼ全てがテンプレート。それで前世紀にお別れを告げようと言うのだから実にアッパレである。
それと相反する言葉の並び替えで、敵対するステークホルダー(利害関係者)を同じ部屋のなかに閉じ込めて、一緒に食事でもするように仕向けるイタズラな仕掛けがほぼ全編を覆ってることも特徴でもある。それがネット社会という狭隘な噂話で作り出された世界観と向き合って、嘘も本当もあなた次第という責任を正しく主張するように筋を通している。
モノラルにして聴くと、敵対する世界観の交雑した都会の姿が、むしろ一直線の意志をもって成長してきたように幻惑させられる。つまりフェイクの度が強まっているのだ。そこでテロ攻撃のように、キスマークのキノコ雲で街を満たせたら、という願いは決して古びることはないと思う。


モノラルは真実を語る
それはマイクで空気振動を電気信号に代えた後、それを再び電気信号を空気振動へと拡声することから始まる。この単純な事柄がHi-Fi再生の原理であるが、このことでその場に居なくても演奏が聴ける、多くの人と同じ音楽を共有できるという、音のエネルギーの理(エントロピーの法則)に反した方法での試聴が可能となったのだ。しかしその原理を生み出した時代のバイタリティーは、時代を経るごとに失われていく、文化としてのエントロピー崩壊が起こっているように感じる。音の実在感が段々と遠のいていく感覚さえ覚えるのだ。

その理由を説明すると、パルス波に頼った定位感の創出は、実は超高域の非常に小さい音響エネルギーに依存しており、楽音のもつエネルギーは仮想のサウンドステージに分散して整理される。音の実体が遠のくのは、ミュージシャンの演奏テクニックのせいではなく、マルチトラックでの編集過程で起きているのだ。ではそのバラバラに分解された楽音を再び集結させ、本来の演奏のバイタリティーに戻す(再生する)にはどうすればいいか? 答えはモノラルにして聴くことである。

オーケストラやパイプオルガンの収録でもないかぎり、楽器とマイクの距離は1m以内にセットされており、そうしないと楽器の音像は曖昧になりプレゼンスを失う。これが現在のHi-Fi技術の限界であり、広大なダイナミックレンジと周波数を誇っても、それを再生する部屋の環境が整わない限り、ほとんど無駄になるものである。ではそのマイクの収録音はどうかというと、原理的にモノラルで収音される。つまりマイクで認識できる音はモノラルなのに、それを2chに分散しているのがステレオ録音ということになる。その分散方法もリバーブを配したり、イコライザーでプレゼンスを制御したり、元の近接距離で録った音を加工することで、全体のバランスを整えているのである。そう考えるならば、マイクで収録した原音はすべからずモノラルなのだ。

プレイヤーの配置は様々でも楽器とマイクの距離は全て1m以内の距離で保たれる

人間には耳が2つある。だから2ch再生が理想的な原音再生なのだと、よく説明される。しかし実際には、かなり離れた距離で聴くソロで演奏される楽音に対し、人間の耳は会場の広さと楽器の音響規模を瞬時に感じ取ることができる。これは音像が豆粒ほど小さくてモノラルに近い状態でも、経験則でオーディオでのステレオ定位以上の音響特性を聴くことができることを示している。つまり2chでなくとも、人間の耳はあらゆる音を立体的に感じ取っているのである。逆にステレオ録音の時代的変遷をみると、その音場感にはかなりの隔たりのあることが判る。マルチトラック初期の音場感は壁一面に広がるスクリーン状のもので奥行きなどなかった。それより古いワンポイント収録の時代のほうが、定位感に関する情報が豊かに残っていると評価されたのは、収録されて半世紀近くも経った20世紀末のことで、それもマスターテープをデジタル変換してようやく気が付いた程度である。それまではスクリーン状でマッシブなサウンドのほうが優秀と信じられてきたのだ。同じ会場で録音されたオーケストラでさえ、デッカとグラモフォン、さらにEMIやフィリップスでも、全く違う音響で鳴る。これはマイクのセッテイング、レーベルのサウンドポリシー、さらには指揮者の違いなど様々な条件が折り重なって出来上がるのだが、どれが正解というわけでもなく、どれも真実のサウンドを伝えてはいないのは明らかである。なぜか? それは自分の使用しているオーディオ環境が不十分だからである。劣悪というわけではなく、例えば楽器の放射する音の方向性でさえ、高域の不十分な指向特性に阻まれてエコーの反射を正しくは再現できない。

◆デジタルなのにアナログ以上に柔らかい録音
デジタルの音は硬いという感想はよく聞くが、それはパルス波に過剰に反応するオーディオ環境に居るからだ。以下の録音を聴いて硬いと感じるなら、それはオーディオ装置に問題がある。

フランス・バロック・リュート作品集
佐藤豊彦
(1995)

テレマン
6つの四重奏曲
有田・寺神戸・上村・ヒル
(1995)
17世紀パリのバロックといえば華やかな宮廷文化を思い浮かべるだろうが、このアルバムは驚くほど質素で、曲目も「Tombeau=墓碑」をもつものが多い。それを1613年から伝わる南ドイツ製リュートを使って演奏するという、とてもとても渋い企画である。
この楽器の実際の音なんて想像もつかないが、音のひとつひとつに何とも言えない陰りがあって、コアラのような優しい佐藤さんの面持ちとも不思議と重なり合ってくる。楽器がもつ特性を自然にうけとめ、音それ自身に語らせようとする手腕というのは、禅や風水にも似た東洋的な宗教感とも織り重なって、アラブから伝わったというリュートのもつ数奇な運命とも共鳴しているように感じる。
ステレオでこの録音を聴くと、低域と高域の音像がデタラメになって、まるでアーチリュートのような巨大な楽器を聴いているように錯覚していしまう。高音がスレンダーで直進し、低音がホールいっぱいに反響するという、オーケストラの音響を想定しているからだ。そこをモノラルにすると、仮想音像のブレは全くなく、音楽運びも安定している。
フランスの片田舎にある小さな聖堂でB&K社製の無指向性マイクでワンポイント収録した古楽器の四重奏。イタリア風コンチェルト、ドイツ風ソナタ、フランス風組曲と、国際色豊かなテレマンらしいアイディアを盛り込んだ楽曲だが、使用楽器も1755年イギリス製フラウト・トラベルソ、1691年イタリア製ヴァイオリン、ドイツ製ガンバ(レプリカ)、1751年フランス製クラヴサンと、国際色あふれるオリジナル楽器の競演ともなっており、作品に花を添えている。
ともすると標題的な外見に囚われて楽曲構成でガッチリ固めがちなところを、日本人の古楽器奏者にみられる丁寧なタッチで音楽の流れを物語のように紡いでいくさまは、自由な飛翔をもって音を解放するスピリチャルな喜びに満ちている。
これもステレオで聴くと、天使たちが広大な空間に雲の上で戯れているように聞こえるが、モノラルにすると、音像が奥に縮小されるガンバとクラブサンが前に出てきて、トラベルソの音もシェイプされ、バロック・ヴァイオリンもキーキーしない。つまりどの楽器も等距離で収録された、四重奏本来の音像に戻るのだ。



ではモノラルで聴くとどうなるかというか? というと、これらの不十分なステレオ効果がリセットされて、マイクとの距離感や音響規模が比較的明瞭に聞こえるようになる。つまり楽音の躍動感は、モノラルのほうが遥かに正確に表現できているのだ。ちなみに1950年代初頭にムジークフェラインで収録されたEMIのフルトヴェングラーとウィーンフィルのベートーヴェンと、2010年代後半に同じ会場で録音されたフィリップ・ジョルダンとウィーン響の演奏を聴き比べても、会場の音響特性をシンフォニックに鳴らす手法はほとんど変わらないことが判る。世評では、フルヴェンは超ロマンチックな演奏、ジョルダンJrは古楽器奏法を取り入れた機敏な演奏なのだが、19世紀後半に建造されたホールのアコースティックそのものの違いは録音年代から想像するほど大きくない。ステレオスピーカーだと、モノラルとステレオの違い、マイクで拾っているパルス成分やアンビエント成分の違い、さらにはHi-Fi初期のアナログテープ録音とハイレゾ規格でのデジタル録音の違いなど、両者のオーディオ性能の違いだけが鮮明になり、演奏そのものの鑑賞まで辿り着けないことが判る。それがモノラルだとムジークフェラインで演奏されたベートーヴェンという同質性のほうが際立っているのだ。このどちらがニュートラルなオーディオ環境であるかは明白である。つまり、ステレオ再生はその性格上、パルス波やアンビエント成分を実際よりもデフォルメすることで、小さい部屋でもコンサートホールのような響きを出すようにステレオ感を補完しており、モノラル再生はマイクに入ってきた音をそのままスピーカーから放射しているのだ。

◆今も昔も変わらないムジークフェラインの響き
モノラル録音とデジタル録音では全く違うと思うだろうが、どちらも高忠実度をねらった録音ならば、同じ録音会場で違うふうに聞こえるなら、それは自分のオーディオ装置が人工的なキャラクターをもっていると疑ったほうがいいだろう。

ベートーヴェン
「田園」
フルトヴェングラー
VPO
(1952)
ベートーヴェン
交響曲全集
Ph.ジョルダン
ウィーン響(
2017)
戦前は運命と悲愴のみで知られた指揮者だったフルトヴェングラーも、戦後に行われたこのVPOとの全集チクルス(2,8番が未収録)によって、一気にベートーヴェン解釈のランドマークへと評価が変わった。英雄と第七、第九は言わずと知れたロマン派解釈の到達点で、フルトヴェングラーの代表盤でもある。
その一方であまり人気のない田園を選んだのは、まさしくこれこそ「ウィーン・フィルの田園」と呼べる特質を備えている美演だと信じて疑わないからだ。おそらくシャルクやクリップスのような生粋のウィーンっ子が振っても同じような結果になったであろうと思われるが、フルトヴェングラーが無作為の作為でそれを良しとしたことが重要なような気がする。一般的には、ワルターやベーム、あるいはE.クライバーのほうに、より能動的な造形の方向性が見出せるだろうが、そうではない純粋な血筋のみがもつ自然な情感がこの録音には横溢しているのだ。フルトヴェングラーが戦時中も必死になって護りたかったものが何かということの答えのひとつかもしれない。
久々にスカッとするベト全の登場だ。ウィーン響初のベト全で、しかもオケの自主製作レーベルによる2017年のライブ録音だ。楽員全員がベートーヴェンをこれほど楽しく演奏している例は今どきすごく珍しい。
ジョルダン息子のほうはパリ・オペラ座やウィーン国立歌劇場などでオペラを得意とする指揮者で、全部アレグロ・アッサイに聞こえるようなインテンポで進めながら、短いフレージングでもきっちり納めて性格描写も的確。キレのあるスタッカートから爆発的なアッチェルランドは、ハンガリーのジプシー楽団を思い起こさせるし。単純な2ビートまでがウキウキして沸き立つのも、ブッファを血肉としてしっかり身に着けた証拠である。
本来なら本拠地コンチェルトハウスなのだろうが、あえてムジークフェラインの空間を伸び伸びと埋め尽くす愉悦に溢れた演奏になった。個人的には、空間の鳴らし方がフルヴェン時代のティタニアパレストとベルリンフィルと似たような感じがして、癖のあるホールでも特徴に合わせてオケを鳴らし切る感性をもっていることが判る。連打音のなかのビートの浮き沈み、キレのあるスタッカートをオケが全力で弾き切っているかどうかの差が判るシステムでないと、なかなか良さの判らない演奏かもしれない。


これと全く逆のことが言えるのは、スピーカーの違いによる演奏の印象の違いで、人間の耳につきやすいパルス波やアンビエント成分のデフォルメの違いにより、響きが豊潤なのか、音像のエッジが強いのかの差が出てくる。以前なら前者がクラシック向きのヨーロピアン、後者がジャズ向きのアメリカンというふうに、スピーカーのもつサウンドポリシー=性格の違いを表現していたのだが、オーディオ機器の違いで聴く音楽のジャンルを分けるのは、Hi-Fiの原則から大きく外れていることも確かだ。今では録音方式もデジタル化を跨いで平準化されており、タンノイでジャズを聴く、JBLでクラシックを聴くというのが、それほど苦ではなくなっているが、古い録音に遡れば遡るほど、残響音の潤いの有無で決定的に性格付けられていることが判る。こうしたオーディオ装置がもたらす演奏への印象操作は、オーディオ機器と録音方式の不完全さから来ていると説明されているが、それは周波数特性もダイナミックレンジも格段に上がった現在のオーディオ技術をもってしても、なお超えることのできない壁である。このためメーカー毎に事前に繕うサウンドポリシーが、演奏のもつ印象を支配するようになりがちなのだ。これは出口のない迷路のようなもので、そういうものだと達観すれば良いものを、いざ正確さを競うといくつもの迷路の壁にぶつかって迷い込むのである。私はそういう迷いや妄信はユーザー側で強いと思う一方で、プロの作り手のほうでも明確な答えを持たないまま自転車操業に巻き込まれていると感じている。これはモノラルでもステレオでも変わりないことで、視聴しているスピーカーの性格を把握して実際の音響がどうなっているのかを知ることが重要なのだと思っている。その近道がモノラルで録音全体の鳥瞰を見据えて聴くことでもあるのだ。

◆肉体の極限まで鍛え上げられたパフォーマンス
音楽のフィジカルな部分に触れるのは、コンサート会場を遠くから傍観しているだけでは伝わらないものがある。ライブ会場で隣にボーカルが歌ってたり、ドラムを間近で聴くようなことはないが、実は稀代のエンターテイナーは会場にいる誰もがそう思わせるような、とてつもないエネルギーを発散してバンド全体を引っ張っている。それを手に取るように判るのがモノラル試聴の醍醐味でもある。

ジェームズ・ブラウン
SAY IT LIVE & LOUD
(1968)
平凡
ドレスコーズ
(2017)
録音されて半世紀後になってリリースされたダラスでのライブで、まだケネディ大統領とキング牧師の暗殺の記憶も生々しいなかで、観衆に「黒いのを誇れ」と叫ばせるのは凄い力だと思う。ともかく1960年代で最大のエンターテイナーと言われたのがジェームズ・ブラウン当人である。そのステージの凄さは全く敬服するほかない。単なるボーカリストというよりは、バンドを盛り上げる仕切り方ひとつからして恐ろしい統率力で、あまりに厳しかったので賃金面での不満を切っ掛けにメンバーがストライキをおこし、逆ギレしたJBが全員クビにして振り出しに戻したという伝説のバンドでもある。長らくリリースされなかった理由は、おそらくこの時期のパフォーマンスが頂点だったということを、周囲からアレコレ詮索されたくなかったからかもしれない。ステージ中頃でのダブル・ドラムとベースのファンキーな殴打はまさしくベストパフォーマンスに数えられるだろう。 時代はファンクである。それが日常であってほしい。そういう願いの結集したアルバムである。本人いわくデヴィッド・ボウイの追悼盤ということらしいが、真似したのは髪型くらいで、発想は常に斜め上を向いている。というのもボウイを突き抜けてファンクの帝王JBに匹敵するサウンドを叩きだしてしまったのだ。大概、この手のテンションの高い曲はアルバムに2曲くらいあってテキトーなのだが、かつてのJB'sを思わせる不屈のリズム隊は、打ち込み主流のプロダクションのなかにあって、いまや天然記念物なみの存在である。JB'sのリズム隊はラテンとジャズのツーマンセルだったが、一人で演じるのはなかなかの曲者でござる。忍者ドラムとでも呼んでおこう。ジャケ絵は「オーディション」のほうが良いのだが、内容的にはこちらのほうが煮詰まっている。この後の数年間でスタンダード指向へと回帰していくのだが、志摩殿がリーマンの恰好して音楽の引き立て役に扮したいというのだから、アジテーションとも取れる素敵な詩もろとも立派に仕事したといえるだろう。


◆テクノサウンドが奏でる人間の質感
テクノ・ミュージックとコンピューター技術は切っても切れない関係にあると思いがちだが、実際にはコンピューターにも負けない正確無比な演奏をするには、おどろくべき修練が必要でもある。以下はアナログ・シンセの質感を保ちながら生身の人間がコンピューター社会と格闘した時代の音楽遺産である。

放射能
クラフトワーク
(1975)
YMO
BGM
(1981)
舞台で四角いシンセサイザーの前にロボットとなって立つネクタイ姿の男たち、という特異なパフォーマンスで一世を風靡した電子音楽のパイオニアのような存在だが、日本では必ずしも熱狂的に迎えられたわけではなかったように思う。というのも、ユリゲラーやブルースリーに熱狂していた当時の日本において、感情を殺したテクノポップスは夢物語では片づけられない、四角い満員電車で追体験するただの正夢だったのだと思う。
標題のRadio-Activityというのは、古いドイツ製真空管ラジオを模したジャケデザインにもあるように、レトロなテクノロジーと化したラジオ放送を活性化する物質とも解せるが、原子力が一種の錬金術として機能した時代が過ぎ去りつつある現在において、二重の意味でレトロフューチャー化している状況をどう読み取るか、その表裏の意味の薄い境目にディスクが埋まっているようにみえる。
例えば、放射能と電子を掛け合わせたものは原子力発電による核の平和利用なのだが、そのエレクトリック技術に全面的に依存した音楽を進行させたのち、終曲のOHM Sweet OHM(埴生の宿のパロディ)に辿り着いたとき、電子データ化された人間の魂の浄化を語っているようにも見えるが、楽観的なテーマ設定が何とも不気味でもあるのだ。おそらくナチスが政治的利用のためにドイツ国民の全世帯に配った国民ラジオのデザインと符合するだろう。
一端 日本発のテクノポップのジャンルを決定付けた後に、元の電子音楽風の凝ったアレンジに挑んだ問題作。同じ頃にハービー・ハンコックがヒップホップをおいしく利用した迷作を送り出しているだけに、ラップを揶揄する楽曲もあったり、むしろ混沌とした都市像を再び見つめ直す点で、マイルス・デイヴィスのビッチに似た感触も感じられる。
これについてメンバーの座談会で「YMOのノイズ化」と言っていたが、当時沸騰しつつあったノイズ系の電子音楽、後に「ジャパノイズ」と呼ばれるものを意識しての発言だったが、もちろん現在の用語とは全く異なる。いわゆるテクノの理路整然とした都市像を変革する意味に捉えていいと思うが、ジャケ絵のようにブラッシュアップという日常的なものに留まっているという諧謔的な意味でもある。
録音のほうは、一端は3Mデジタルマルチで収録した素材を、アマチュア用のアナログオープンリール(タスカム80-8)に通して音調を整えたという。結果は細野晴臣が言う深く柔らかい低音と、アナログシンセのような豊かなグラテーションで混ざりあった有機的なサウンドに仕上がった。コンピューター音を使用することで個性が失われがちと捉えられたテクノ音楽に対し、結局音楽を作り出すのは人間自身であるという解答ともいえる。



このように、モノラル・スピーカーで試聴する意義は、マイクの収録音を脚色なしで聴くこと、逆に録音会場のもつライブ感を達観すること、この2つの行動により正確な距離感と演奏のダイナミックさを把握することができるのである。そして、この収録時の音響特性を把握する行為そのものは、人間にしかできないことでもある。オーディオ技術はそれを補助する程度の役割に徹するべきだと思うのだ。
もうひとつは自然なアコースティックはフラットではないという驚くべき事実である。Hi-Fiの原則として、広帯域でフラットというのは、今や当たり前のようになっているが、デジタル時代を経て品質の整ったスピーカーで聴いてなお、録音の得意不得意があり不自然な感覚におそわれるのは、フラットに聴こえるために高域が不自然にデフォルメされているからである。つまり本来はエネルギーが小さく空気を挟むと減衰しやすい高域を、自然の原理を突き破って鮮明に聞こえるようにしているのだ。


ということで
さらばステレオ!
と参りましょう。



【クラシックにひそむモノラル伏魔殿】


上記でクラシック・オーディオの王道主義についてケチョンケチョンに言ったが、実は私はクラシック音楽も大好きである。しかしながら、カラヤン、ベーム、バーンスタインのベト全も持っていなければ、テバルディやデルモナコの演じるイタリアオペラの全曲盤も持っていない。むしろ金を持っていなかった青年時代に出会ったバジェット盤のほうに愛着があり、モノラル時代の演奏家に知識があるのは、まさに安くて濃い口の演奏が聴けたからであった。そういう意味では大分ひねくれたクラシックファンだといえるだろう。それがこじれたのがステレオ至上主義への反発であるが、さらに怒りを覚えるのがモノラルスピーカーでちゃんと再生するようなことを、クラシック愛好家がほとんど関心をもたないことである。しかし自分の胸に手を当ててみれば、そうなる理由も別なところにあったと言える。むしろ古い録音と古い電蓄にいつまでもしがみつかないように、レコード会社とオーディオ業界が結託して、そのように誘導されていた面も否めない。そこにブラックホールのようなクラシック演奏史の深淵がのぞき込んでいるのである。


さてモノラル録音において攻略しがたいラスボスが潜む伏魔殿とは、戦後のクラシック録音である。クラシックで問題となるのが、生楽器をコンサートホールで聴くという基本があるわけで、レコードの音質に関して比較対象が明確な点である。しかしてモノラルに向けられた疑念は、一番の売れ筋であるオーケストラ作品の再生で、これが恰幅よく部屋で鳴りひびかないことにはお話にならない。ところが、モノラル時代というのは録音技術が日進月歩で、10年置きに規格そのものが変更される。特別にやっかいなのが、フルトヴェングラーをはじめとするライブ録音の音質、次にデッカvsEMIのサウンドポリシー、さらにSP復刻盤のトーンキャラクターである。


①フルトヴェングラーをはじめとするライブ録音の偽装疑惑
戦後ドイツで大量に残されたクラシック音楽のライブ録音は、超絶にロマンチックな戦前派と、ノイエ・ザハリヒカイト(新即物主義)な戦後派が舞台上で格闘した、大変ユニークな演奏が残されている。特に前者の超絶ロマンチックな演奏のほうは、レコード批評家の宇野功芳氏が推したフルトヴェングラー、クナッパーツブッシュなどがその筆頭に挙げられるだろう。問題となるのがその音質で、AMラジオのエアチェックか?と思えるような寂しい音が遠鳴りに聞こえるようなもので、いかにも戦後の廃墟と化したドイツを連想させるようなものだった。これに比べ、英HMVやデッカのスタジオ録音は驚くほど鮮明だが、どちらかというと落ち着き払った紳士な演奏で、ライブに比べて燃焼温度はあきらかに低い。この穴を埋めようと、必死に想像を掻き立てて(むしろ根性で)聴いていたのが実際である。

ところが1990年代から、仏ターラや独オルフェオが放送局に眠っていたオリジナルテープからの復刻盤をリリースするにいたって、その鮮明な音にびっくりした。そして稀代のマエストロの没後50年を経た21世紀に入って、英米のレコード会社がアーチスト契約で封印していたこれらのオリジナルテープが自由に使えるようになり、スタジオ録音と遜色ない音質で聴けるようになった。

高音質の理由は、ドイツ国内では1940年からコンデンサーマイクとテープ録音によるHi-Fi技術が確立されており、この時点で交流バイアス化は周波数50~10,000Hz、ダナミックレンジ60dBという実用段階に達していた。1940年12月16日にフルトヴェングラーがブラームス第1番を録音したときには、AEG社のマグネトフォン開発担当だったハンス・シーサーの証言では、「フルトヴェングラーはその録音品質に興奮し、何度も何度も録音を聴き返しました。録音中や録音直後にそのような品質で聞くことができることを、彼は経験したことがなかったのです」とある。この録音はクラングフィルムも協賛したテープコンサートでも、実物大のオーケストラ演奏に迫る実力を示したのだった。戦後の怒涛のようなライブ録音は、そうしたHi-Fi録音技術の延長線にあり、英米諸国のHi-Fiレコードの雛形になったのだ。


上:マグネトフォン・コンサートのチラシ(表紙と演目、1941年6月)
左下:オリンピック映画上映の頃開発されたKlangifilm社 Europa Klarton(1938年以降)
右下:UFA Palast am Zooの外観と内装(1936年以前)


もうひとつのトリビアは、戦後ドイツのラジオ放送は、敗戦国のペナルティとして到達距離の長い中波~短波の使用を制限されたため、逆転の発想でまだ欧州では使用実績のなかったVHF帯でのFMモノラル放送を一気に全国展開した。ここで大量に残ったのがクラシック音楽のライブ録音で、フルトヴェングラーのディスコグラフィのほぼ9割は晩年の7年間に集中し伝説と化している状態である。

Neumann Ela M301(1931) AEG Magnetophon K1 (1935)

1947年のベルリン放送協会大ホール(Funkhaus)の復帰演奏会ライブ収録
Neumann CMV3を天吊りマイク1本で収録


ところがフルトヴェングラーは英EMIと専属契約を結んでおり、ラジオ用の録音は繰り返し放送したりレコードとしてリリースするのは御法度。バイロイトの第九なんて、音楽祭そのものを買い取ったEMIの怠慢で、当時の楽劇の録音まで封印されるしまつだった。ところが生前はリリースされなかった、バイロイトの第九、復帰演奏会の運命など、ライブでのフルトヴェングラーの鬼気迫る演奏が話題になると、他にはないかと世界中で大捜索がはじまったが、放送局所蔵のオリジナルテープのほうは訴訟を嫌って公式には出せない。なので当時の放送をエアチェックした愛好家所蔵のテープというのが主なリソースとなった。そこで生まれたのが、この手の海賊盤で特別な伝手をもっていたユニコーン社をEMIが買収し、エリザベート夫人の了解を得て大量のライブ録音をリリースすることになった。この音質が噛ませ犬で、エアチェックのもとはAM放送と偽装し、周波数レンジはせまく、音もつぶれ気味のものが大半で、正規のスタジオ録音がいかにも貴重であるかを演出するものだった。それでも唯一無二の存在としてありがたく拝聴していたのである。

ところでフルトヴェングラーの録音の再生機器といえば、タンノイ、ガラード、オルトフォンなどイギリス製の恰幅の良いビンテージ物が主流のように思われているが、これは明らかにEMIの正規盤レコードの再生を前提にしたチョイスである。では本場のドイツはどうかというと、真空管ラジオである。それもFMモノラル放送を前提にした2way仕様のHi-Fi対応であり、音場感を出すために3D-Klang方式といって、ツイーターを筐体の両脇に配置するものが造られた。ドイツ国内にかぎっていえば、下手にレコードを買い集めるよりも、ラジオのほうが安くて高音質、しかも演奏もずっと面白いものが聴けたのだ。

左上:ドイツ製ラジオの3D-klang方式(中央のメインに対し両横に小型スピーカー)
右上:音場をコントロールするリモコン 3D-Dirigent(1955)
下:中央のメインスピーカーはAM用、高域はエコー成分を担当


放送用ライブのうち高音質な録音として以下のものを挙げる。レーベル毎にサウンドポリシーが異なるLP盤に四苦八苦するより、シンプルなマイクアレンジでニュートラルに録音された放送録音のほうが、オーディオの調整には適していると思われる。それも1950年代にドイツ国内限定でFM放送されたライブ録音の実力と、その時代のHi-Fiラジオの音響設計を見直すことで、道が開けていくと思う。

フルトヴェングラー/ベルリンフィル;RIAS音源集(1947~54)

戦後の復帰演奏会から最晩年までの定期演奏会の録音を、ほぼ1年ごとに紹介していくBOXセットで、2008年にリリースされたときには78cmオリジナルテープの音質のクリアさも注目された。ベートーヴェン第九、ブラームス1番などの得意曲が収録されていないのと、英雄、運命、田園、未完成、ブラ3など重複する曲目も幾つかあるが、それが戦後の演奏スタイルの変換を知るうえでも的を得ている。個人的に面白いと思うのが、ヒンデミット、ブラッハー、フォルトナーなどの新古典主義のドイツ現代作曲家を取り上げていることで、それも意外にフォルムをいじらず忠実に演奏していることだ。フルトヴェングラーが自身の芸風と人気に溺れることなく、ドイツ音楽の全貌に気を配っていることの一面を伺える。
ブルックナー交響曲7番:クナッパーツブッシュ/ウィーンフィル(1949)

この演奏を最初に聴いたのは米Music&Arts経由のセブンシーズ盤だが、1983年にリリースされたLPを購入した頃は、すっかりAM放送用録音と思い込むような音質の遠く彼方から聴こえる、ムジークフェラインの幽玄な響きのなかを天空を舞うようなウィーンフィルの音に憧れていたものだった(実際はザルツブルク音楽祭劇場)。これが「聖なる恍惚」とも評されたクナ将軍の芸風に初めて触れたレコードでもあった。演奏は良いのに音が悪いという放送ライブの特徴をもつ代表例でもある。その後CD化されたときも購入したが、いかんせん高音の丸まった音は挽回できず、単に悠然としたドイツ的な演奏の代表とされ、ブルックナーの人懐っこい田舎臭さまで比喩に出す有様で、そういう箇所がスケルツォの間奏部分なだけに違和感が大きかった。その後2006年になって、独オルフェオが本家のオーストリア放送協会(ORF)のオリジナルテープをリマスターしたCDが出るやいなや、今度は英デッカもあわやと言わんばかりの艶やかなウィーンフィルの音色で迫ってくる。今までの苦労はいったい何だったのかと首を傾げたくなるような、まるで狐に包まれた状態になった。実は正式なライセンスを受けていたはずの墺プライザーの音質もキングレコードと似たり寄ったりで、1940年代の録音だからそういうもんだと誰もが信じて疑わなかったところに、まさに青天の霹靂ともいうべき出来事だった。こうなるとどれが本物か? という疑問よりは、時代はマグネトフォンによる放送録音こそが、Hi-Fi録音の真打、本家本元であると語っているように思えたのである。
ケンペ/ドレスデン国立歌劇場:ウェーバー「魔弾の射手」(1951)

再建してまもないドレスデン歌劇場でのウェーバー没後125周年を記念してMDR(中部ドイツ放送)によるセッション録音で、遠巻きのオケを背景に近接マイクの歌手陣が演じるという、まさにラジオ的なバランスの録音なのだが、鮮明に録られた音はこの時代のオペラ録音でも1、2を争う出来である。1948年から若くして老舗オペラハウスの音楽監督に就任したケンペは、このオペラ・シリーズの録音を通じて世界的に知られるようになり、その後のキャリアを築くことになる。1970年代に同楽団と収録したR.シュトラウス作品集における知情のバランスに長けたスタイルは、既にこの時期に完成しており、ベートーヴェン「フィデリオ」に比べ録音機会に恵まれない初期ロマン派オペラの傑作を、ワーグナー~R.シュトラウスへと続くドイツ・オペラ史の正統な位置に導くことに成功している。よく考えると、前任のライナー、F.ブッシュ、ベームなど、既に新即物主義の指揮者によって下地は十分にあったわけで、そのなかでR.シュトラウスの新作オペラを取り込んでいくアンサンブルを保持していたともいえよう。綴じ込みのブックレットが豪華で、ウェーバーの生前に起草された舞台演出の設定資料など、百聞は一見にしかずの豊富なカラー図版を惜しみなく盛り込んでいる。
フリッチャイ/RIAS響:バルトーク管弦楽・協奏曲集(1950~53)

退廃音楽家の烙印を自ら背負って亡命先のアメリカで逝去した20世紀を代表する作曲家バルトークだが、自身が精力的に録音に挑んだピアノ曲以外は、なかなかレコーディングの機会に恵まれなかった。ここではハンガリーで薫陶を受けた演奏家がベルリンに集結して演奏が残されている。一部はグラモフォンのLP盤でも知られるが、モノラル録音ゆえ再発される機会は少なく、訳知りの好事家が名演として挙げるに留まっていた。オリジナル音源に行き着いたリマスター盤は、驚くほどの躍動感に溢れた演奏で、ショルティやライナーの演奏とは異なる弾力性のある柔軟なアンサンブルは、かつてベルクのヴォツェックを初演した頃のベルリン国立歌劇場のモダニズムを彷彿とさせるものだ。
ロスバウト/南西ドイツ放送響:シューマン交響曲・協奏曲集(1957~62)

ロスバウトは現代物を一番得意としたことで有名な指揮者だが、マーラーやブルックナーをはじめとするロマン派の曲目も結構熱心に取り組んでいた。ここで1,4番のみ入れたシューマン交響曲も、もう少し長生きしていれば全集に発展したのだろうが、むしろフルニエ、シェリング、アニー・フィッシャーと手堅く滋味深い名手を迎えた3つの協奏曲と一緒にまとめてもらったことで、当時はまだ管弦楽法の欠点ばかり挙げ連ねてばかりで、レパーリーに乗ることの少なかったシューマンの交響作品の全貌が見通しよく提示されている。演奏のほうは、この時代に期待しがちなド迫力というわけにはいかないが、むしろ室内楽的な緊密さからシューマンの書法を明らかにしていこうとする姿勢がみられ、どこを切ってもシューマン独特の内声の絡みついた陰影の深い世界が展開されている。
クリュイタンス/バイロイト祝祭劇場:ワーグナー「ローエングリン」(1958)

パリ音楽院管でのフランス物を得意としたクリュイタンスだが、ベルギー出身という地域性もあってドイツ語で音楽教育を受けて育ったらしい。バイロイトには1955年から出演しており、ロマン派オペラの枠組みを守った前期作品に強みをみせた。クリュイタンスの故郷アントウェルペンでの中世奇譚を扱ったこのオペラでは、これまでバイロイトに抱いていた陰鬱な森を分け入る印象とは異なり、柔らかく漂いながら変化する色彩感でフランドル絵画のような明確な具象性をもって各シーンを画いてみせる。この上演での聴きどころは、これがバイロイト・デビューだったコーンヤのタイトルロールで、卵肌のようにツルンとして初々しい声が「汚れなき愚者」の印象を深めている。多くの人はヴィントガッセンの神々しい声を望むだろうが、終幕の「わが愛しき白鳥よ」を歌いだすあたり、オケの団員も固唾をのんで静かに見守っている様子も伺え、新たなヒーローを生み出す瞬間の祝福を味わうこともできる。この頃から当たり役になっていたヴァルナイの魔女オルトルートなど、ドラマとしての配役を弁えたオペラ全体のまとまりも上々だ。ちなみにこのときエルザ役を歌っていたリザネクは、後のレヴァイン盤(映像付)ではオルトルート役を担っていて、ワーグナーを巡る世代間の太い繋がりをも実感することだろう。
シェルヘン/北西ドイツ・フィル:レーガー管弦楽曲集(1960)

シェルヘンが1959年から2年間だけ音楽監督を務めた時代の録音で、驚くほど鮮明な音で録られているのにモノラルという変わり種である。どうやらラジオ・ブレーメンの委託で録音されたらしく、同時期のセッションで独Wergoからシェーンベルク「期待」などがリリースされている。ここでのシェルヘンはあまり爆発せずまじめに取り組んでおり、CPOレーベルのお眼鏡にかなっただけの内容を備えている。フリッチャイ/RIAS響の録音にも言えるが、モノラル録音というだけでレコード化が見送られた放送録音が結構あるのだと思わされる。
マーラー交響曲3番
ミトロプーロス/ケルンWDR響(1960)

ケルン放送響はどちらかというとアヴァンギャルド系の作品も難なくこなす現代オケの筆頭だが、そこから見事なパッションを導き出すのは、死の2日前というミトロプーロスの完全燃焼しきった統率力の賜物である。この年のミトロプーロスはマーラー生誕100周年のため、ニューヨーク(1,5,9番)、ウィーン(8,9番)、ケルン(3番)など世界中を駆け回っており、この後のスカラ座のリハーサル中に倒れたという。一方で過密なスケジュールのなかでも、どの団体でも感じるオケの響きの充実と、カロリーたっぷりの歌心との同居は、正式なレコーディングへのオファーよりもオーケストラ自身が共演を望んでいたと思わせるに足る充実ぶりである。ケルンという街自体はマーラーが頻繁に楽曲の初演をおこなった土地で、いわゆる進歩的な考えをもった人が集まって、20世紀初頭のマーラーへの関心を呼んでいたのかもしれないが、ウィーンの保守層との対立など色々と考えさせられる。


②EMIとデッカのサウンドポリシーの違い
これもモノラルLPでは必ず話題になることだが、EMIが霧のロンドンを思わせるような柔らかいサウンドなら、デッカは金で飾ったロイヤルブルーの高貴なサウンドで、共に同じイギリスのレーベルなのに好対照なことで知られる。特にデッカは独自の録音規格ffrrを立ちあげていたので、トーンの違いはデッカカーブの名残だと思われている。しかし、元のテープまで遡ると、同じノイマン製マイクとテープ録音機を使用したモノラル録音に関しては両者にそれほど大きな差を感じない。むしろHMVとデッカの高級電蓄をみると、自分たちの録音が一番よく聞こえるように調整してあるはずなのに、ほぼ共通の部品を使用しているのだ。それもEMI製の大きな楕円スピーカーにコーンツイーターを付けた、スペック上は当時のラジオとほとんど遜色ない仕様である。これも五味康祐氏に言わせると、イギリス人はけちんぼでモノラルのSP盤が巧く鳴らないことにはオーディオ機器は売れないとまで記している。このEMIのユニットはドイツのジーメンスやイゾフォン、オランダのフィリップスなどと同様に、日本でも良心的な価格で販売されたが、テレビについているような楕円スピーカーとコーンツイーターから良い音など出るわけがないと思われ、安かろう悪かろうで市場から消えていった。

デッカ Decolaステレオ蓄音機とスピーカー部分(1959)、EMI DLSシステムのスピーカー特性

何がおかしいかと気付くかと思うが、実はタンノイ神話は、稀代のオーディオマニア五味康祐氏の影響がかなり大きいことがわかる。あの名文のような陶酔の音を是が非でも聴いてみたいという思いが先行して、デッカのデコラ電蓄のように弘法筆を選ばずというわけにはいかなかったのだ。同じ神話は瀬川冬樹氏のAXIOM80にもあって、どのような録音を聴いていたというよりも、AXIOM80の音色そのものに憧れをもった諸氏も多かったことだろう。実際には当時の瀬川氏はJBL 4344とBBC LS5/1の両刀使いのオーディオ猛者の筆頭であり、オーディオ機器の使いこなしの重要性について語りたかったのが本音というところだと思う。

GY氏の筆舌によって鉄板メニューとなった黄金の組合せ


AXIOM80とまったり過ごす瀬川冬樹氏(高域の正面特性が過激なのは当初の印象通り)

ちなみにモノラル期からのタンノイの使い方として、トレブル・ロールオフという機能がネットワーク回路に仕込んであって、旧来では2kHzから最大-6dB/octまで減衰させることができる(現在は5kHzから)。これは実際のコンサートホールでの音響と近似しており、部屋の残響などに合わせて調整するべき機構である。Hi-Fiの前提といわれるフラットで広帯域ということとは違う事実である。

タンノイのトレブル・ロールオフ機能

コンサートホールの周波数特性の調査結果(Patynen, Tervo, Lokki, 2013)


さらにいえば、モノラル時代の部屋のレイアウトはスピーカーを真正面には据えず、斜め横から聴くようにしている。これはラジオを囲んで団欒した時期の名残で、シュアー社がステレオカートリッジの販売にあたり、ステレオとモノラルに最適なスピーカーのレイアウトでも解説される公式のものでもある。そもそもコーナー型エンクロージャーはそういうレイアウトになるが、そこでも高域は減衰する格好になる。これらは初期のHi-Fiがコンサートホールで生演奏とスピーカーとのすり替え実験で検証していたのと似ており、近接マイクで録った音をホールの響きに馴染ませることで、本来のバランスに戻るというロジックである。すべての機材の特性をフラットに整えたうえで、レコードに刻まれた音を細分漏らさず聴くというのとは方向性が違うのだ。それはレコード品質の検聴であって、音楽の鑑賞ではない。


モノラル時代のインテリア配置

Shure社1960年カタログでのスピーカー配置の模範例(モノラルは斜め横から)

EMIとデッカのサウンドが真逆だというのは、どちらかというとステレオ録音になって顕著になったと思えるフシがある。モノラル期のHMVの音質はマットだがビロードのような深い艶があるし、デッカの音も木質のニスのような深みのある艶である。そのアナログ的な味わいを取り戻すには、従来のフラットモニターの考えを一端捨てなければならない。いずれも最適なトーンバランスはコンサートホールの響きを追っており、楽器ごとの音質に執着したジャズ的な聞き方が良い結果をもたらさないことは自明である。

読売ジャイアンツより不滅のEMI名盤
フルトヴェングラー/グレートEMIレコーディングス
1948-54,ウィーン他(EMI 9 07878 2)

21枚組のBOXセットは、ほとんどがSACDで発売されたリマスター音源と同一なので、カタログ的なニュアンスで聴くとしても、かなりお徳用と思える。注目したいのは、1949~54年に行われたムジークフェラインでのセッション録音で、この時代のウィーン・フィルの上質な響きが記録されている。ORFの録音と比べても残響音を多く含んだユニークな音で、有名な「英雄」交響曲はともかく、「田園」「ハンガリー舞曲」「ティル」「驚愕」など、フルトヴェングラーとしてはイマイチな演奏のほうが、ウィーン情緒の色合いが濃くなるのも面白い。個人的にはベルリン・フィルとのライブのほうが、フルヴェンらしく自由闊達な感じで好きだが、ウィーン・フィルのポートレートと考えれば、意外に素直に受け入れられる。
モーツァルト/ホルン協奏曲:デニス・ブレイン(1953-54)

昔からよく知られた名盤のひとつで、バルブ式ホルンでの問題点を一気にクリアし、天衣無為に天上の音楽に仕上げた点がすばらしい。おそらくプロデューサーのレッグの演出も含まれているのだろうと思うが、カラヤンも出しゃばらずに室内楽風にまとめ上げており、むしろブレインが一団員としても活躍していたフィルハーモニア管との完璧なアンサンブルが功を奏している。結果として牧神とヴィーナスの戯れるバロック絵画のような趣があり、そこを上品にかわすキューピットの茶目っ気まで感じられる演奏となった。
カラス コロラトゥーラ・オペラ・アリア集
1954,ロンドン(東芝EMI TOCE-55472)

並み居るカラスのEMI録音のうち何を選ぼうかと悩むのだが、個人的にはガラ・コンサート的なものが、純粋に歌唱を楽しむ意味で好きだ。それもやや大味な本場イタリアの歌劇場での収録よりは、フィルハーモニアのように小粒でも伴奏オケに徹したほうが聞きやすい。ここでは戦前の録音を良く知るレッグ氏の良識がうまく機能した感じだ。本盤の収録曲は、リリコとコロラトゥーラのアリアを、カラスのドラマティックな個性で貫いた非常に燃焼度の高いもの。これが全曲盤の中だと役どころのバランスを失いひとり浮いてしまうところだが、単独のアリアなので全力投球しても問題ない。老練なセラフィンのオケ判が華を添える。
レハール 喜歌劇メリーウィドウ/シュヴァルツコップ クンツ アッカーマン指揮 フィルハーモニア管
1953,ロンドン(東芝EMI CE30-5562)

モノラル録音でのオペラは、ともすると面白みに欠けるものだが、この録音は劇場の再現というよりは、一種のラジオドラマのように仕立てた点で好感の持てるもの。シュヴァルツコップが夫君のレッグをそそのかして作らせたのではないか、と思えるほど、通好みの面白い配役である。指揮者、歌手共にドイツでオペレッタ経験の豊富な人を集めて見事なアンサンブルを展開しているなかで、そこにロシア系のニコライ・ゲッダを伊達男に起用するなど、遊び心も忘れない心憎さ。録音後の打ち上げまで想像したくなる楽しさに満ちている。
サン=サーンス ピアノ協奏曲全集/ダルレ
1955-57,パリ(仏EMI 5 69470 2)

戦前から近代フランス音楽を得意とする女流ピアニストのジャンヌ=マリー・ダルレをソリストに迎えた録音。サン=サーンスのピアノ協奏曲は、同時代のリストやルビンシュタインらと互角に渡り合ったビルトゥオーゾの典型でありながら、フランス音楽の範疇に入れられるため、当のフランス人ピアニストがあまり見あたらないという不幸な関係にある。ダルレは晩年のサン=サーンスにも直接教えを受けるなどの縁もあり、1926年には既に全曲演奏会を行ったというから、この時期に収録したのは機が熟したというべきか。伴奏を務めるルイ・フレスティエもあまり知名度は無いが、ギルマン、デュカス、ダンディに作曲を学ぶなど、各曲のシンフォニックな性格を知り尽くした知的なサポートで好演。フランスEMIの明るく澄んだ音調とダルレの均整の取れたタッチとが巧くバランスした良い録音である。


欲望の赴くままに購入したデッカ・モノラルCD-BOX
実はこのBOXセット発売当時の私は、デッカの音質にトラウマを抱えたままだったので、気にはなったが18,000円と高価(とはいえ1枚400円を切る破格値)だったこともあり購入をパスしていた。ようやくそのトラウマも晴れて遅まきながら手に入れた次第だ。LP初期はEP盤(25cm)のものも多く、CD53枚とはいえ実質100枚近いボリュームとなる。箱を開いてみると、モダンな多色刷りの艶やかなオリジナルジャケで埋め尽くされており、我ながらおもちゃ箱をひっくり返した子供のような気分だ。
デッカのffrr時代というのは、ロンドンの地場産業という以上に広範な活動範囲を誇る。戦後になってヨーロッパ各地に録音に出かけ、クラシックのレパートリーが急激に膨らんだのも、高音質録音での収録を武器に交渉がスムーズに進んだからと思われる。
一方で、あまりに急いで録音するあまり、一人のマエストロに収斂して全集になるまでじっくり待つことができず、つまみ食いでLPを製造していた傾向がある。例えばベト全やブラ全という交響曲の必須レパートリーは、指揮者毎でみると見事な虫食い状態で一貫性がないので集めるのに苦労する。こうした悪癖はステレオ時代に収まるが、モノラル時代のレーベルがもつポリシーを判りにくくしているように感じる。とはいえ、行き当たりばったりで掴んだ幸運の数々は、デッカを一流のクラシック・レーベルへと育て上げるのであった。
しかし8割方は、録音の存在も知らなかったばかりか、初めて聴く楽曲もあったりで、単独じゃ絶対買わないだろうと思うものがほとんどだ。そういう意味では、並み居るアーティストBOXを購入しても、なお喰い足りない超マニア向けの商品とみた。このためロマン派以降の管弦楽曲が結構な量を占め、交響曲は10本の指にとどまるのも、一般のクラシックファンには触手が伸びにくい。ただし音質を聴く限りちゃんとリマスターされたものばかりで、ただの詰め込み商品でもないところが凄いというか恐れ入ったというべきか。ここでは幅広い演目なかから比較すると面白いものをピックアップして、ffrr時代のデッカの少し斜め上をいく志向について考えてみた。

プーランク:牝鹿/デゾルミエール&パリ音楽院o
オネゲル:典礼風/デンツラー&パリ音楽院o

デッカのフランス物といえば、アンセルメが一手に引き受けていた印象があるが、ffrr時代にはパリ音楽院oを中心に幅広い指揮者を記録していた。この2曲はフランス六人組の管弦楽曲を作曲家に近しい指揮者に振らせたという好企画で、フランス風のエスプリなんて簡単に片づけられないぎっしり中身の詰まった演奏である。
デゾルミエールは、ディアギレフのロシアバレエ団での演奏経験のある人で、同バレエ団と関係のあるモントゥー、アンセルメ、マルケヴィッチのいずれも、シンフォニックで恰幅の良い演奏を志向するのに対し、お尻の切れあがった見事なステップを披露してくれる。それはプレートル盤と比べても同様の感想を抱く。LP時代に購入したときはイベールの喜遊曲のカップリングだったが、これもサティのパレードと並んで面白い曲だった。
オネゲルの終末論的な楽曲は、ミュンシュの熱気溢れた演奏がよく知られるが、デンツラーの指揮はもっと精緻で作品のポリフォニックな絡みを明瞭に表出している。スイスの片田舎の指揮者のように見られがちだが、同じスイスには現代曲のメッカのひとつ、ザッヒャー/バーゼル室内管などがあり、その伝統のなかにしっかり組み込まれている。

ベートーヴェン:田園/E.クライバー&ロンドンフィル
プロコフィエフ:3つのオレンジへの恋/ボールト&ロンドンフィル

デッカが本来の拠点にしていたロンドンフィルでの録音は、当時としては国際的な名声のなかったこのオケの多彩な活動を記録している。
クライバー親父の田園は再録したACOではないというのがマニアックだが、ここでしか聴けないということでの選択だったとみた。演奏はロンドン風の平坦なオルガンのような響きから一皮むけたキビキビしたもので、トスカニーニやワルターとは味わいの異なる、すこぶるスタンダードな演奏に仕上がっている。そもそもロンドンフィルはベートーヴェンに第九を委嘱した経歴をもつ欧州でも長い伝統をもつオケだが、その名に恥じない演奏だと思う。
プロコフィエフを指揮したボールトは、近現代イギリス音楽のエキスパートという感じにみられているが、そのベースにあるのはニキシュ譲りの適格なスコアリーディングである。その意味では同じロンドンを拠点にしていたビーチャムとは正反対の性格で、やや好き嫌いの激しいビーチャム卿のハチャメチャな言動のなか、黙々と仕事をこなしていく職人気質がここにはみられる。それは同じ気質のエルガーだけでなく、オカルト好きなホルスト、冒険家気取りのヴォーン=ウィリアムズの作品を演奏する際にも、平等に発揮される美質である。

パガニーニ:Vn協奏曲1&2/リッチ&コリンズ
エルガー:Vn協奏曲/カンポーリ&ボールト

リッチはカルフォルニア出身、カンポーリはロンドン育ちと、いずれも英語圏においてイタリア系移民として育った。ヨアヒム~アウアー派だのフランコ=ベルギー派だのと、血筋に厳しいバイオリニストの世界にあっては異色のキャリアに見えるが、結果はみての通りである。これを録音したデッカに感謝せねばなるまい。
リッチは史上初のパガニーニのカプリース全曲を録音した神童で、ここでのコンチェルトでも持前の美音と的確なテクニック(老年になるまで全く衰えなかった)を何の衒いもなく披露している。アンソニー・コリンズのややオーバー・ジェスチャーな伴奏も花を添えている。
カンポーリのエルガーは、伴奏にボールトを控えた万全な備えで、このシンフォニックで長尺な作品に対し、入念に音を紡いで飽きさせることがない。一世代若いリッチやフェラスに比べ華やかさはないが、年少の頃にネリー・メルバやクララ・バットと演奏旅行に随行したというサロン風のマナーは、もっと古いエルマンなどに通じるものでもある。

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタNo.29、No.26/グルダ
グラナドス:ゴイエカス/マガロフ

モノラル録音で鬼門とされるピアノ独奏だが、これはマイク1本だけだとピアノのパースペクティブが捕らえにくいということもあるかもしれないが、一番大きな問題はモノラル期の録音では高域のパルス成分をノイズと見なしていたので、ステレオスピーカーの欲する音とタイミングが噛み合わないということだろうと思う。
ここでの課題はもうひとつあって、スタインウェイかベーゼンドルファーかの音色の違いで、演奏の質感もかなり影響を受けると感じる点である。例えばウィーン録音のグルダNo.29はベーゼンドルファーで、木質の響きとカマボコ型で冴えない音の紙一重である。続けてNo.26はジュネーヴ録音で、マガロフのゴイエカスと合わせてスタインウェイの煌びやかな音で収録されている。おそらくグルダの最初のベト全でそこまで気にする人はいないと思うが、小ソナタのNo.26のほうが威勢がいいのは、明らかに楽器の違いである。ただし、これがグルダの本意だったかといえば別のような気がする。それはウィーン三羽カラスのもつウィーン風の人懐っこさにも通じるものであり、ベートーヴェンも日課として散歩し、シューベルトが家庭音楽会を催してた、等身大の作曲家の姿だろうと思われる。
同じスタインウェイでも、グルダとマガロフではピアニストの芸風がかなり違っており、打鍵の鮮明さやカラフルな音色の変化は、ジャケ絵のようにマガロフのほうが数段上である。これにベーゼンドルファー弾きとして知られるバックハウス(例えばブラームスP協1番とか)を交えると、ベーゼンドルファーの真価は、本来は強靭なタッチを誇るリスト派のためのものであった感じもする。その違いも若いグルダの芸風として記録されているのだ。


この手の古い録音には所有するオーディオ機器との相性が付き物で、誰もが目にした音楽批評家 宇野功芳氏のオーディオ・システムはと言うと、アンプはマランツModel.7プリとQUAD IIパワー、アナログはトーレンスのプレーヤーとSMEのトーンアーム、カートリッジはシュアーM44-7が古い録音にちょうどいいとした。スピーカーはグッドマンズAXIOM 80を中心に両脇をワーフェデールのコーンツイーター(Super3)とウーハー(W15/RS)で補強した自作スピーカー(ネットワークはリチャードアレンCN1284?1.1kHz、5kHzクロス、箱はワーフェデール EG15?)で、完成品での輸入関税が高かった昔は、部品で購入して組み立てるのが通常だったし、エンクロージャーは自作で組み立てるのが一番効率が良かった。ネットワークは同じユニット構成のために出していたリチャードアレン製を当てがったが、元の構成が12インチ+8インチ+3インチのところを、ワーフェデール Super8が中高域がきついからとAxiom 80(1970年代復刻版)に換えて、さらに低音を増強するためウーハーを15インチに換えた。ただしW15/RSは800Hzからロールオフする特性なので1kHz付近が少し凹んでいたかもしれない。


かように宇野氏は今でいうヴィンテージ機器を新品で購入した当時から愛用しており、これにCDプレーヤーとしてラックスマンのD500X's(後に同じラックスマンD7、スチューダーD730に買い替え)が加わるわけだが、例えばポリーニのような新しいピアニズムをちゃんと聴けていなかったように言われる。ことフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュ、ワルター、メンゲルベルクのライブ録音への偏愛ぶりは、むしろオーディオの発展史から一歩身を引いた試聴環境にあったように思う。そういう意味では、宇野功芳氏の音楽批評は、一見すると失われた個性的クラシック演奏への懐古のように聞こえるが、実は1960年代のレコード文化の価値観を背負って論陣を張っていた数少ない人でもあったといえる。これでないと音楽の批評ができないとも言っているので、相当のお気に入りなのだと思う一方で、クラシックのレコード批評家のなかではオーディオと録音の相性に関するヴィンテージな課題を早くから認識していた最初の人でもあった。ときおり自宅のオーディオの音質改善の話題を振られても「これ以上音が良くなってもらうと困るから」という断りの言葉が多かった。案外、繊細なバランスの上に立っていたのかもしれない。


③SP復刻盤のトーンキャラクターの違い
SP盤とは蓄音機で再生できる78rpmのシェラック盤のことだが、割れやすくスクラッチノイズが盛大に乗ることで知られる。ただしスクラッチノイズは、蓄音機だとそれほど気にならないので、電気録音にコピーする際のピックアップの相性の悪さが原因だと思われてきた。このため、1980年代までのSP復刻盤の多くは、スクラッチノイズを最小限にしようと高域をまるまるカットしてしまうという暴挙にでていた。
SP盤のレパートリーは、主に戦前の演奏が主流であるが、戦後の重要な録音もLP発売のニアミスで録音方式が78rpm盤を前提に収録されたものがある。トスカニーニのオテロ、フルトヴェングラーのグレート、ワルターのマーラー五番などがそれにあたり、ケンプのベートーヴェン・ピアノソナタ全集(モノラル)もステレオ再録音の影に隠れた存在である。
SP盤の取り扱いは、まず良質なSP盤を蒐集するコレクターの存在が欠かせず、そのうえで復刻の技術が問われるが、英EMIのGRシリーズ、ラッパ吹き込みに強い英パール、ウィーン物を中心に取りそろえる墺プライザーなど、揃いも揃ってカマボコのトーンで古き良き時代を演出していた。こうした聴けるだけでもありがたい古株のアンソロジーから、もっと録音の良さに注目した復刻盤が1990年代から次第に増えて、21世紀に入ってかなり音質も安定してきたように感じる。

ただしSP盤の再生に適した蓄音機にあって、Hi-Fiオーディオに欠けているのは、蓄音機のサウンドボックスがもつ高次倍音とホーンがもつ反響音の絶妙な組合せである。特に蓄音機の女王とうたわれたビクトローラ・クレデンザの音質が心地よいことには昔から関心が高く、例えば「40万の法則」という再生音の低域と高域の黄金比の議論は、その出発点をスレデンザ蓄音機にもとめている。

ビクター蓄音機の銘機クレデンザの周波数特性。確かに狭い。しかし音は良い。


ちなみに、クレデンザの音は「貴婦人の子宮の音」とも喩えられた優雅なものだが、それは長い音道のエクスポーネンシャルホーンの反響音によるものである。無響室での無駄のない音を目指す現在のHi-Fiスピーカーの理想とはかけ離れている。SP盤を電気ピックアップの音そのままのソリッドな音響機器で再生するのは正確な音ではないのだ。
また再生音の主要帯域は200~2,000Hzで、それ以上は激しい倍音で補っていることが判る。つまり鉄板リバーブのような役割を自ら持っているのである。
真空管の倍音でさえ、1960年代末にミキサーがトランジスターに変わっただけで、天井が低くなりパンチが無くなった、とロサンゼルスのエンジニアが嘆いたほどだ。高次歪みは、現在の録音現場では積極的に加えなければいけない要素になっているのだが、理不尽な原音主義が道理をねじまげてSP盤の音を悪く仕立てていたのだといえよう。

複雑な音響迷路をもったクレデンザのホーン構造と高次倍音を多分に含む周波数特性

以下はSP復刻盤のうち録音技術として境界線にあるもので、モノラル時代のほうが技術革新のスピードが遥かに速かったと実感させるものでもある。ただし、その正当な音質にたどり着くまでには、従来のオーディオ技術とは異なる技術も含まれていることに注視すべきである。

ティボー HMV録音集
1929-36,パリ~ロンドン(APR 7028)

ラテン系の小品を中心に集めたもので、リズムの切れと歌い回しの妙が楽しめる。復刻が優れており鮮烈かつガット弦の質感を存分に聴ける一方で、その分だけ仏パテ時代の幽玄さが減じた感じ。1933年のロンドン・セッションからWE47型マイクに変わり、ホールトーンも加わりピアノの粒だちが良くなるが、ヴァイオリンの音色の軍配は旧式のほうが質感が良い。多分、旧来のボタンマイクの使いこなしと距離を幾分近めにしている点の違いだろう。さらに1936年セッションはEMIのHB1B型マイクが使用され、乾いたギスギスした感じになっている。放送録音である1941年ライブのスペイン交響曲は、素晴らしく情熱的な演奏で、この時期のティボーの総決算のような演奏ぶり。
コルトー 戦後録音集
1947-54,ロンドン(EMI 0946 351857 2 0)

ショパン、シューマン、ドビュッシーなど昔から得意にしていた作品を録音したもの。ほとんどはLP以前の1940年代末の録音だが、奇跡に近い復刻状態で、19世紀のサロンに迷い込んだかのような堂々とした弾きっぷりに脱帽。この当時、ロシア系やリスト系の技巧的なピアニストがほとんどを占めるなかで、コルトーの演奏は弱めの打鍵でサラッと弾く奏法であり、この状態で録音として残っていたのが不思議な感じである。ちょうどコルトーは戦時中のナチスとの関係で演奏活動が途絶えていた時期で、世評でいう技巧の衰えがどうのという以上に、ピアノを弾く喜びに満ちた表情が印象的である。
ストラヴィンスキー自作自演集
Vol.I(1928-47)、Vol.II(1930-50)

英Andanteの復刻したアンソロジー集だが、大半がパリ時代のSP盤で占めている。もちろんアメリカへ亡命後のNYPを振った力強い演奏も面白いが、やはりストラヴィンスキーの活躍の場はパリにあったのだと確信させる内容である。仏コロンビアに吹き込んだ演奏は、ややおっとりした感じもあるが、その柔軟なリズム運びは後の時代には得難いものがあり、それはこの時期にピアノ演奏まで精力的にこなしていたことも含め、ストラヴィンスキーの目指した新古典主義のフィジカルな部分に接する感じがする。ちょうど、油彩のモンドリアンを見るような、カンバスのエッジの厚みまでが作品のうちという面白味がある。
バルトーク/ピアノ録音集(1929-45)

ピアノの名手だったバルトークがプタペスト、ロンドン、アメリカと住居を移動しながら残した録音の全体を網羅したフンガトロンの意地を感じる6枚組CDである。最初にヴェルテ=ミニョンのピアノロールの録音(これは普通にテープ収録)から始まり、その後にSP盤の復刻が続くが、ちゃんとトーンを合わせて丁寧に復刻していることが判る。このアンソロジーの面白いのは、自作自演だけでも初期の「アレグロ・バルバロ」から晩年の「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」まで器楽作品の変遷を画いている以外に、コダーイと共同で編曲したハンガリー民謡集なども律儀に網羅している点である。こちらはカントループ編曲オーヴェルニュの歌とやや似た趣があり、バルトークのピアノが絶妙なルバートを交えて非常に雄弁に背景を画いている。

トスカニーニ生誕150周年記念BOX(1929-52)

生涯現役で録音歴も非常に長い指揮者でありながら、戦後のNBC放送局向けのソリッドな音響が実にアメリカ的な演奏として知られ、その本質がなかなか伝わりにくい録音のひとつである。このうち生涯敬愛してやまなかったヴェルディのオテロ、そして初演をつとめたプッチーニのボエームなどが、SP盤を前提に組まれたセッション録音である。これらは過度なエコーを掛けたものや、音の硬さだけを強調したレコードが出回っていたが、ようやくオリジナルの原盤まで辿り着いて、オケと歌手が室内楽のように緊密に結びついた原寸大のサウンドになったと思う。またフィラデルフィア管とのシューベルト「グレート」、ドビュッシー「海」なども復刻としてよくできていて、NBC響とは違う恰幅のいい演奏が聴けて貴重である。
マーラー交響曲5番
ワルター/ニューヨークフィル(1947)

アダージェットだけが切り取られて、マーラーの曲のなかで一番人気を誇るのだが、ワルターが戦後にNYPと録音したマーラーで2番目に取り上げたのがこの曲の全曲録音だった。しかしSP盤からLP盤へと移行する直前のセッションだったため、中々評価の難しい録音になった(同じことはトスカニーニのオテロ、フルヴェンのグレイトなどが存在する)。今回は金属マスター盤を探し当ててのリマスターでようやく日の目を見たという感じだ。この頃のワルターの新境地ともいうべきマッチョで前向きなナイスガイという設定に誰もが困惑するだろうが、この楽曲の純器楽的な構造性を気を緩めることなく成し遂げたのは、思ったよりも苦労の多い仕事でもある。この演奏についてクレンペラーは「自分でもユダヤ人的すぎると感じる」とコメントしたように、どんな苦労もユーモアに変えるユダヤ気質を皮肉っていた(そもそもクレンペラーはこの曲の終楽章のハッピーエンドが嫌いだと公言していた)。一方で、この後に続くことになるニューヨークでのマーラー・ルネサンスの試金石ともなった演奏のように感じる。
ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ全集:ケンプ(1951, 56)

ケンプの弾くベートーヴェンで有名なのはファンタジーの表出に秀でたスレテオ録音のほうだが、ここでは戦前のベルリン楽派の強固な造形性を代表する演奏としてモノラル録音のほうを挙げることにする。ほとんどの録音年が1951年というのが微妙で、この時期に生じたSP盤からLPへの切り替えに遭遇して、やや不利な立場にあるように思う。コンサートホールのように開かれた音響ではなく、むしろ書斎で小説を読むような思索的な表現が目立つが、最近になって自宅のモノラル録音の再生環境が整ってきたので、この録音が室内楽的な精緻さをもつ点で、ポリーニに負けないスタイリッシュな演奏であることがようやく理解できるようになった。逆の見方をすれば、ここでやり尽くすことはやり尽くしたので、後年のロマン派風情にシフトしたのかと思うくらいである。


以上のように、モノラルのクラシック音楽のオーディオ的センスについて、大いに悩ましい状況を説明したが、
①ボーカル域中心のスピーカー構成
②コンサートホールと同じ音響特性
③スピーカーを部屋の角に置く試聴レイアウト
④高次倍音と反響音の付加
などなど、現在のHi-Fiオーディオからは免脱した方法がとられていた。これらをひとつひとつ解決していくことが重要であり、個人的にはCD音源でも十分に美しい音で鳴るようになったと思っている。




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