20世紀的脱Hi-Fi音響論(延長13回)

 我がオーディオ装置はオーデイオ・マニアが自慢する優秀録音のためではありません(別に悪い録音のマニアではないが。。。)。オーディオ自体その時代の記憶を再生するための装置ということが言えます。「嗚呼、ロクハン!!」は、サブシステムをモノラルで再構築しようと奮闘する、いい加減なオーディオ体験がズルズルと綴られています。
嗚呼、ロクハン!!
【床屋さんのBGMのようなもの】 【再生装置】
【ながら族にはもってこい】 更なる奮闘へ→
自由気ままな独身時代
(延長戦)結婚とオーディオ
(延長10回)哀愁のヨーロピアン・ジャズ
(延長11回)PIEGA現わる!
(延長12回)静かにしなさい・・・
(延長13回裏)仁義なきウェスタン
(試合後会見)モノラル復権
掲示板
。。。の前に断って置きたいのは
1)自称「音源マニア」である(ソース保有数はモノラル:ステレオ=1:1です)
2)業務用機材に目がない(自主録音も多少やらかします)
3)メインのスピーカーはシングルコーンが基本で4台を使い分けてます
4)なぜかJBL+AltecのPA用スピーカーをモノラルで組んで悦には入ってます。
5)映画、アニメも大好きである(70年代のテレビまんがに闘志を燃やしてます)
という特異な面を持ってますので、その辺は割り引いて閲覧してください。



嗚呼、ロクハン!!


【床屋さんのBGMのようなもの】


 我が家を新築したが、しかしオーディオルームを作る経済的な余裕はない。一度はヘッドホンでパーソナルオーディオなるものを考えたものの、ヘッドホンの調子が悪い。片方だけがたびたび音信不通に。多分、寝っ転がりながら片肘立てて聞いていたのが災いして、内部配線を痛めてしまったらしい。
 ということで、最初はアンプ内蔵型のニアフィールド・スピーカーでもと考えていたのだが、机に向かって首ひとつ動かさずに聞くというのがどうも気にくわない。よくよく自分の要望を考えてみると、床屋さんの待合いで流れている有線みたいな感じがいい。ようするに、どことなく聞こえていて、なんとなく他のことをしてても勝手に音楽のほうが寄り添ってくれるようなあの感じ。そうだ!ステレオではなくモノラルなのだ!

 実際、かつてのモノラル再生はどうだったのか? まずは録音現場を見てみましょう。



レスポールの自宅スタジオ
 まず左はエレキの開発者として有名なレスポール氏の自宅スタジオ風景。どうやら業務用ターンテーブルでLPを再生しているようですが、奥にみえるのはランシングのIconicシステム。今では常識的な正面配置ではなく、横に置いて聴いているようです。
 同じような聴き方は、1963年版のAltec社カタログ、BBCスタジオにも見られます。

605Duplexでモニター中

BBCでのLSU/10の配置状況

 さらに戦前のラジオや電蓄の聴き方をみると、この斜め横から聴くというのが普通だったことが判ります。個人的な見解では、音響機器の正面に座るようになったのは、1950年代からテレビがお茶の間に出現してからではないかと思っています。


高級電蓄を聴くビング・クロスビー
当時の典型的なリビング風景



パーティーでラジオを囲む
前に立って独り占めしてはいけない




1950年代のテレビ広告
見事に正面に座っている
 つまり、モノラルでの試聴はスピーカー正面ではなく、斜め横から聞き流すのが、当時としては一般的なスタイルだったことが判ります。
 モノラル録音が「真ん中定位で気持ち悪い」と言ってる諸君! モノラルの試聴はスピーカーの斜め横に椅子を置いて、テーブルを囲むように聴くのが由緒正しき方法なのだ! コーヒーでも飲みながらくつろいで聴くべし。聴くべし。聴くべし。

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【再生装置】

 ということで、納戸部屋に赴きガラクタを物色していると、ロクハン(6.5インチ=16cm)のフルレンジスピーカーの入った箱がひとつ。マグネチック・スピーカー用に作ってもらった3極管シングル・アンプが1台。これで主役は決まったようなもの。いざ、モノラルでサブシステムの構築だ!

PE-16M (ヒカリ工芸 P-610BOX)

 発掘されたロクハンは、パイオニアのPE-16M。開発は1966年で、2000年に限定復刻生産されたものです。日本放送協会の放送技術規格 BTS−6121「中型コーンスピーカ」に準拠した仕様ですが、P-610に比べ艶のある音がします。
 よく放送局のモニターとしてこの手の16〜20cmのフルレンジが紹介されますが、本来の用途はレコーディング・モニターではなく、録音テープの頭出しや、映像と音声のシンクロを調整するときの簡易モニターです。(同じ用途はBBCのLS-3シリーズにもあります) ただしFM放送の音声規格が50〜15,000Hzなので、その周波数領域での異常に気づくための必要十分な帯域が確保されています。
 ところで、これはなぜか1本しか買ってなくて、何とも不思議な買い物をしたものです。箱はヒカリ工芸のP-610BOX(H:635×W:325×D:400mm、65リットル)。パイオニア純正箱より大きめで、開放的で大らかに鳴ります。普通にHi-Fiな音なので、アンプも今風のものに繋げて、なんの変哲もなく聴いていたのですが、今回は3極管による高級ラジオ風の音を目指してみました。斜め横から聴いたときの周波数特性は、3kHzからロールオフしていくやさしい音調になります。


 ロクハンが奏でるモノラルの音像は、ちょうど人の顔のサイズ。つまりボーカルの再生では、語りかけてくるような親密な感じになります。
3極管シングルアンプ
真空管:71A、37、80(NFBなし)



 アンプは横浜のWELCOMEというガレージメーカーさんに、マグネチックスピーカー用に特注して作ってもらったもの(1995年5月製作)。ヒーター&バイアスの電圧を切り替えることで、出力管を101、71A、45、10など、古いラジオ球に差し替え可能とし、マグネチックスピーカー用に5kΩで出力1W以下が基本になります。古い時代の設計そのものなので、当然ながらNFBは掛けていないため、真空管の差し替え時にハム音の調整が必要です。タムラ A-342(5kΩ:5kΩ)は、本来インターステージ用トランスで、元設計も出力管のチョーク代わりに使っていたのですが、マグネチック・スピーカー用ということで出力に使っています。

 これにUTC社のオートトランス 83204(250〜2500Ω:15Ω)をつないで、フルレンジにマッチングさせました。このオートトランスは音声出力用に使われた汎用のマッチングトランスで、比較的長い距離の電送に使われる250〜1000Ωがあることや、25Wの出力に耐えることから、屋外拡声器に取り付いていたものと思います。時折、WE製といって電話用トランスが売られているのと同じです。とはいえ軍需用だけあって、当時の量産品のレベルを反映して、中身のしっかり詰まった1940〜50年代の放送規格に近い特徴が出ていると思われます。
 出力管に使った71Aは、1925年に開発されたUX-171Aから続く3極管で、たまたま初段の37共にRAYTHEON製となっています。0.75Wという出力は、オーディオ用というよりはラジオ用の小型球という印象を持っている人も多いと思います。実際に2A3や45に比べ低音が足らない、線が細いなどあるですが、これがまた良い具合に中高域に張りのある、若々しい音でロクハンを鳴らしてくれます。まさにラジオ音源には最高の相性を魅せてくれます。
BEHRINGER EURORACK UB1002

 もうひとつの肝は、小型ミキサーです。簡単なイコライザーが使えること、パンミックスでステレオ録音のモノラル感を調整できることが利点です。ただ、BEHRINGERの音質は無味乾燥で、もっと良い物をあてがってもよいのですが、とりあえず。 

 ここでイコライザーの設定ですが、中高域を持ち上げて、ややプレゼンスを高めてカラッと揚げた感じに仕上げます。
 12kHz:-6dB
 2.5kHz: +6dB
 80Hz:-3dB

 これで、上記の斜め横から聴いたPE-16Mの音のバランスが取れます。

 また、左右chのパンミックスをほぼ中央に寄せて準モノラルに調整します。これだと、エコーのような逆相成分を完全に打ち消すことを防げますし、初期ステレオによくあるDuoステレオ(完全に左右の音が分かれた2ch録音)にも最適になります。
 一般には、1959年に開発されたOrtofon社のSPUカートリッジのチャンネルセパレーションが20dB以上となっているため、ステレオ再生はこの基準によっていると勘違いしやすいのですが、当時SPUはプロ仕様の超高級品。誰もがその恩恵を享受できたわけではありません。ひとつの例として、1964年の「音楽の友」7月号に長岡鉄男が寄稿したコラム「モノーラル再評価」に書かれていたのですが、当時のカートリッジのクロストークは最高機種で20dB、安物で7dB、高名な研究家の見解では3dBで十分という結果でした。これは、ステレオ=コンサートのような音の広がり感、という漠然とした指標からきたものです。またジョン・レノンも、ステレオ初期は聴き方が判らなくて、左右のスピーカーを縦と横に違えて並べてみたりと、変わった聴き方をしていたと回想しています。ジャズの録音で革新をもたらしたヴァン・ゲルダーに至っては、デジタル時代に過去の録音のリマスターを行った際に、当時と現代の機器のチャンネルセパレーションの違いから、ステレオの分離をあえてモノラルに近づけたといいます。こうしたことからも、モノラル→ステレオ移行期の録音は、両者をきっちり分けないで折衷的なスタイルで聴く方法を探るのが良いことになります。
SONY製DVDプレーヤー DVP-S717D

 最後の刺客は、2000年発売の何てことのないSONY製DVDプレーヤー DVP-S717D。サブシステムを組む際に納戸から引き出したものだが、タイマー発動(?)もなく問題なく起動。
 ところでこの頃のDVDプレーヤーには、ビギナー向けのおまけが付いていて、それがヴァーチャル・サラウンドなるもの。2ch再生でリアスピーカーが付いたような音の広がりが出るというまがい物。普通に使うと低音が薄くなり、鼻づまりのような音になり、オーディオ・ファンには不人気きわまりない。
 だが、これをステレオ→モノラルで使用すると、あら不思議。ステレオ録音を普通にモノラル合成すると、逆相成分が相殺されてエコー成分とともに潤いが失われるが、この潤いを温存したままモノラルで再生できるのです。これで、70年代の歌謡曲&フォークが蘇る。気分は完全に有線放送です。
と共に、最近のアンプラグド系のポップス(ノラ・ジョーンズ、エリック・プラクトンの1992年MTVライブ、MISIAの星空のライブなど)でも十分追いついていきます。考えてみれば、これらはアナログ時代の収録方法をトリビュートしたものなので、相性が良いのは当然なのです。

等感度曲線の110dB→80dB差分特性


さらにマイクの近接効果を加味した特性
 ところでラウドネス効果については、私は基本的に中高域持ち上げ派です(左の上図)。これは1950年代の家庭用ビンテージ・スピーカーに多い特性で、実音と家庭での音圧差を補正する目的で練られたもので、一般的にはアメリカン・サウンドと言われるものです。それと今回のモノラル&フルレンジというのは、基本的に小音量再生でのサブシステムにとても好都合な感じです。
 ただし上記のステレオ録音でヴァーチャル・サラウンドを使ったときに薄々気がついていたのですが、中高域を逆に落とした特性のほうが合っている録音の多いことも確かです。つまり旧来のラウドネス・スイッチでの補正方法です。
 これについて考えてみますと、実はマルチ・トラック録音とかなり関係の深いことが判ってきました。マルチ・トラックではほとんどの場合、マイクは録音対象に近い所に覗き込むように置いたり、ボーカルではマイクに唾の掛からないようにポップ・ガードなどを付けます。このときに生じるのが近接効果と呼ばれるもので、下のマイク特性で低音域が膨れているのがそれです。これを補正すると旧来のラウドネス補正とは全く逆になります(左の下図)。
 もうひとつは1960年代から普及したステレオ機材のうち、小型2wayスピーカーにおいて、2kHz前後でクロスオーバーさせることによって中高域の過度特性が落ち込むこととも関連しているように思います。つまりこのスタイルで試聴することが多くなった時代の録音は、中高域を引っ込めたほうが良いことになります。これは録音側で中高域を持ち上げたほうが自然に響く、よりキャッチーな音になるなどのことが起こったと考えられます。
 ここでやっかいなのが、古い録音のリマスターで音質改善を謳っているCDについては、こうした補正を知らず知らず実行している場合があることです。1970年代から数えて40年は立つわけで、オーディオ的に中高域でマスキングされた音を自然と感じる人が大多数になっています。このときには中高域を落としたほうが自然に響くようになります。


 
RCA 44リボンマイクの特性


Shure 55マイクの特性
 ところで周波数帯域6kHzまでというLow-Hi仕様でいいのだろうか? 実はこれで良いのです。
 例えばRCA社の有名なリボンマイク44型。これの特性は6kHzからロールオフします。再び12kHzで上昇するのは共振によるもので、直接音で反応しているものではないと思われます。しかしこのマイクは、今でもボーカルマイクの第一線で活躍できる実力を持っています。多くの人は、ノイマン社のコンデンサーマイクの音を中心にオーディオの評価をしますが、それとは違う世界もあったのです。
 実際に今回組んだフルレンジ・モノラルから聞こえてくる音は、シルキーでありながら、反応のよいレスポンスです。多分、能率がほどよく92dB/Wあるのと、NFBを掛けずにコーン紙の動きを制動しないのも功を奏していると思われます。PE-16Mの定格入力は3Wなので、実はラジオ球のシングルアンプが丁度良いのです。時代的には6V6や6BQ5がベストマッチなのでしょうが、3極管のふくよかな中低域も捨てがたい魅力があります。しかし今回は45のようなふんわりした音ではなく、71Aで小顔美人に仕立てたのがミソです。
 あと、最大の利点は、50cm先で聴いても、3m離れて聴いても、音の印象が変わらないことです。つまり聴く位置にこだわらず、自由な姿勢で聴くことが可能なわけです。PE-16Mの取り扱い説明書には「喫茶店やホールでお使いください」との文句もあるのですが、これが今回の最終目的だったような気がします。

今回のまとめ:
 ・モノラルを斜め横から試聴する
 ・周波数レンジを欲張らない
 ・高能率のスピーカーを3極管で素直に鳴らす(デジタルアンプでも良かった)
 ・場合によってイコライザー、エフェクターで化粧をほどこす

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【モノラルながら族】

 あえて言わせてもらえば、今回のモノラル再生の目的は「ながら族」です。そう、何か他のことをしながらでも音楽を楽しめる環境作り。そしてそれは、かつての時代において王道としてみなされており、天蓋にコーヒーカップの跡が付いた電蓄はあまたあります。ただし、今回のセットで得手不得手をはっきりしておくべきだと思います。
 フルレンジといえばボーカル。ストライク・ゾーンは50〜60年代のポップス。しかし、放送用スタンダードという看板は伊達ではない。普通なら劣悪音質と切り捨ててしまうマニア向け音源もなんのその、いま放送しているラジオのように自然に聴こけます。特に戦前のクラシック、ジャズの録音には、これまで相性の良い機材が皆無だっただけに、何でこれまで知らなかったのかと思うほど。これは、さらに古い機械式録音でも音響的な自然さを失わないという嬉しい結果となりました。

 逆にLP時代のジャズ、クラシックのように直球勝負を挑むような録音は苦手。これが、これまで「フルレンジでモノラル」というのが、ビンテージオーディオの間であまり流行らない理由のような気がします。モノラル録音の完成形から外れているからです。これは60年代からステレオ化の影響で、スピーカーが小型化されていく過程への批判と共に、フルレンジもまた批判の対象にあがるのではと思われます。
 それと中高域のプレゼンスを上げるという機材を、普通の人は持ちあわせないことも理由にあげられます。素のままのフルレンジは、電車の椅子のように実用的だがあまり面白くない。通勤電車にマイ・クッションを持ち込むような発想が必要なのです。それと、ステレオ録音をうまくモノラルミックスする方法が少ないこと。色々と知恵を出しても、ステレオ特有の包まれるような魅力に追いつくまでには至りません。

 しかし、ラジカセ以上、ピュア・オーディオ未満という品質で、「モノラルながら族」を営むには、ある種の割り切りが必要なのです。何でもできるということからくる不満よりは、あえて可能性を捨てることで得られるものもあるのです。そして、その割り切りによって、かつて日常生活で浪費された広大な音のフロンティアが待ち構えていたことを思い知ったのです。これを時代の息吹と呼ばずに何と言うのでしょうか?

@ラジオ放送音源  
Live at the BBC(1962〜65)
ザ・ビートルズ

BBCでのみ使われたColes 4048というリボンマイクで、しかも宙づりのオフマイクで録られた番組収録は、EMI正規録音に比べるとカビくさいモゴモゴした音で、軽トラックでAMラジオを聞くようなノスタルジックな録音。いくらコレクターズ・アイテムとはいえ、普通の人ならガッカリである。
ところがロクハンから聞こえるのは、放送局近くで安定してエアチェックできたような音。つまり、ビートルズが局に来ていて、スタジオ・ライブをやってます。だいたいそんな感じ。これを、ながらで聞き流す。なんと贅沢な時間なのだろう。ロカビリー中心でカバー曲を演奏するサービス精神旺盛な頃の若きビートルズ。ロックをイギリスのお茶の間に紹介したパフォーマンス・バンドでもあった。
ロイヤル・アルバート・ホール・ライブ(1966年)
ボブ・ディラン&ザ・バンド

この歴史的なコンサートも、当時の録音技術というか、現地での録音クルーの錯綜ぶりが災いして、前半のNAGRA製レコーダーのアコースティック・ステージはまだしも、後半のAmpex製マルチレコーダーでのエレクトリック・ステージはリミッター掛かり離しの潰れた音響で霹靂する。世に言う悪音ライブの典型である。
これを斜め横からモノラルで聞き流す。録音のアラは全く消えて、音楽だけが聞こえてくる。そして、辛辣な言葉で客をあおるトークも音楽と同様に自然に聞き取れる。まさにドキュメンタリー番組そのものである。
Cream BBC Sessions(1966〜68年)
クリーム

上記のディランの嵐が去って残したもの。それは新しいヘヴィ・メタルというジャンルの誕生である。それもあのイギリスで。BBCでのセッション録音は、まだアイディア段階の未発表曲も含む、実験的な要素が多いもので、ギター、ベース、ドラムの3人がガッチリ組んで繰り出すサウンドは、エフェクターを噛ませずに乾いた生音をそのまま収録している。このため、普通のステレオで聴くと、収録毎の音質の違いなどが気になり、なかなか音楽に集中できない。正規録音のあるなかで、長らくお蔵入りしていた理由もうなずける。蛇足ながら実験的というのは、セッション中の彼らのファッションがモッズ風で、サウンドの斬新さに追いついていなかったことも挙げられる。
これもモノラルで斜め横から聞き流す。するとトータルなバランスのなかで、バンドの目指すサウンドの全体像が把握できる。ともかく一発勝負の収録だったことの緊張感が先行しながらも、サウンドを手探りで紡ぎ上げていく感覚はBBCセッション独特のものだ。今の時代にこうした冒険的なセッション収録は許されないことを考え合わせると、オーディオも含めて音楽業界がビジネスにがっちり組み込まれたことの反省も感じる。
シングス・ララバイズ・オブ・バードランド(1954年)
クリス・コナー

ラジオ風のアナウンスで始まる、いかにもそれらしく装ったアルバム。モノラルで女声ボーカルといえば、フルレンジの王道である。2ch分所有している方は、ぜひ片チャンネルのみで聴いてほしい。そのときは椅子を移動して斜め横にかまえて。元の試聴位置には、コーヒーテーブルを置けば、これまでと違うリスニング空間ができること請け合い。
なつかしの昭和テレビ・ラジオ番組主題歌全集(1947〜75年)

ラジオといえば安っぽいイメージあるが、当時の日本の放送録音は、戦後になってアメリカ製の機材が大量に入ってきた時代のもので、音のほうはとても安定して保存状態も良い。1950年代の放送アーカイブで、ここまで品質の良いものは他の国でも珍しいと思う。PE-16Mとの相性はいうまでもない。まさしく、このために作られたモニタースピーカーだからだ。音の抜けだし、レンジ感がピッタリとはまっている。
25-Year Retrospective Concert(1958年)
John Cage

ジョン・ケージ45歳のときにニューヨークの公会堂で開かれた、作曲活動25周年記念コンサートのライブ録音。友人で画家のジャスパー・ジョーンズ、ロバート・ラウシェンバーグらが企画したという、筋金入りのケージ作品だけのコンサートだった。さすがに4'33"は収録されいないが、前期の作品がバランスよく配置されたプログラムである。公会堂でのコンサートは夜8:40から開始されたにも関わらず、聴衆のものすごい熱気に包まれた様相が伝わり、当時の前衛芸術に対するアグレッシブな一面が伺えて興味深い。
この歴史的な録音の状態は、ぶっつけ本番のライブ収録という割には良く録れたもので、周波数レンジも今回のシステムにぴったりである。ファースト・コンストラクションIII(メタル)の鮮明な音色感はともかく、他のシステムではあまり聞く気になれない、プリペアード・ピアノのためのソナタとインターリュードでも、静謐な印象が奥深く広がってくる。
Rock the Joint(1950年代)

ロカビリーのコンピレーション・アルバム3枚組。この時代の軽音楽はアセテート盤へのダイレクトカットが基本で、編集など全くなしの本番一発録りである。「監獄ロック」のプレスリーが新人デモのためテープ録りをしているが、当時としては破格の扱いで、多分プレスリー級のドル箱歌手が一般に使っている機材を集めたものと思う。素材はテープダビングか、ドーナッツ盤の復刻だが、これは後者のような感じがする。前から不思議に思っていたのは、RCA等の正規CDはイコライザーが強すぎてギンギンに鳴り、復刻組はモコモコしたレンジの狭いことでレトロな雰囲気を出した感じ。そんなトラウマだらけのサウンドを積極的に集めようとは思っていなかった。
今回の71A→ロクハンのコンビは、モコモコ・サウンドを吹き飛ばす勢いのある音で、全く驚きの連続である。なんだか昔年の埃を拭き取ったHi-Fiの王道を行くサウンドで、ちょっとしたジュークボックス感覚である。ポップ・コーンを頬張りながら聴くとさらにすばらしい。さらに収穫のあったのは、ビートルズのBBC音源とモッズの関わりが一気に開けたことである。ビートルズ以前の波乗りよろしく消え去った消費音楽を味わう。それも砂浜の貝殻集めではない、地引き網の生け捕り状態である。
A戦前のSP復刻
ブラームス:交響曲第2・4番(1938・40年)
ウィレム・メンゲルベルク指揮/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

いつも思っていたのだが、誰が好きこのんでSP時代のオーケストラ録音を聴くのだろう? こういう疑問は常々持っていて、面白い演奏があっても普段から試聴するということはありませんでした。しかし今回この感想は全く覆されました。普通のモノラル録音として聴いても違和感がないばかりか、欠点と思っていたスタジオ用に小構成に絞られたオケの音は、貧弱どころか筋肉質に引き締まっており、音楽の推進力が非常に強い。
The Delius Collection(1938・40年)
Geoffrey Toye指揮

さらに難解なのがHMVのモヤモヤトーン。それも管弦楽となれば、録音がヘタだったのではという疑念が湧いてくる。ところがどうだろう、この奥行きのある深い音は。他の録音でも検証してみたが、クリーミーでいて音楽のon/offを切り替えられる録音は、むしろ繊細さに満ちていたのだと、ようやく理解できた。折り目正しいBTS規格との相性が良い例のひとつかもしれない。
Biguine, Vol. 1 (1929-1940)
Biguine, Valse et Mazurka Creoles

これまで扱い方が難しかった戦前のラテン音楽。移民クレオールたちが奏でるビギンが、フランスで大人気を博したというのは、あまりピンと来ないかもしれない。世界恐慌の後の右翼勢力の台頭による政治的混乱に続き、1940年からのナチスドイツ占領により、パリのレビューを彩っていた移民色は一気に減退した。さらに戦後になると植民地の独立運動とともにシャンソン一色に染まったのだ(映画「シェルブールの雨傘」を観ると歴然としている)。その一時代を切り取ったこの録音は、フルレンジのモノラルで聴くと、色彩感の強い木管、シンプルでキレのいいパーカッション、おだやかな金管など、混血文化の粋が一気に見渡せる。どこからか音楽が聞こえ、次第に踊りの輪に加わっているかのような感覚にとらわれる。この押し付けがましさのなさは、ジャンゴ・ラインハルトにも通じる、ヨーロッピアン・ジャズの系譜に当てはまる。
Jelly Roll Morton (1926-1930)

19世紀に流行ったラグタイムやケークウォークなど、現在では民俗音楽にジャンル分けされる、ボードビル系の演目を演じ続けた芸人の貴重な記録。ジャズの流行はすでに始まっていた時代でありながら、ブルースを通じた戦後のブラック・コンテンポラリーとの繋がりを考えると、今聴くとかえって新鮮に聞こえる。電気式の始まった頃の録音にしては、腰の据わった音色で、切っても切っても金太郎飴のような、べたな芸風をしっかり捉えている。しかし、ホーンがリラックスして歌う感覚は、今ではほとんど聴かれなくなったことを痛感する。
White Country Blues, 1926-1938: A Lighter Shade Of Blue

戦前ブルースというとただでさえキワモノ扱いされやすいのだが、このアルバムは白人のカントリー・ブルースに光をあてたキワモノ中のキワモノ。とはいえ、当時は過酷な労働条件の下で抑圧されていたアイリッシュなどが居たわけで、そうしたなかから現代に通じる極上の娯楽音楽が生まれたというのも全く嘘ではない。この録音集は当時の商業録音をピックアップして2枚のCDに収めたものだが、ブルース&アイリッシュ&ボードビル…スライドギター、フィドル、ハープ(ハーモニカ)、ヨーデルなど、創生期のカオス状態がエッセンスとして記録されている。南部音楽への差別的な扱いもあって、録音状態は必ずしも良好ではないが、ソニーがUSAの御旗を掲げての事業とあって、かなり力の入った復刻となっている。最初のスライドギターの一音から1929年という古さは全く感じられない。
Bラッパ吹き込み
Music from the New York Stage, Vol. 3 (1890-1920)

英Pearlの復刻は全く謎だらけである。貴重なSPのコレクションを継続して販売し続けるその意気込みとは正反対に、その復刻ポリシーというかサウンドは、押し並べて高域カットしたモコモコしたトーンで批判も多い。しかし改めてモノラル時代の放送グレードで固めたシステムで聴くと、これが非常に心地よい。この時代のボーカルは拡声器を使わないで肉声で演じていたため、ラッパ吹き込みでもしっかり入っている。ちなみ黒塗りの男は、ワーナー映画で最初のトーキーに登場したアル・ジョンソン。彼もミュージカルとボードビルの間を飛び跳ねて、しのぎを削っていた芸人のひとりであった。
Eugene Ysaye Violinist & Conductor (1912-19)

フランコ・ベルギー派のヴァイオリストで、近代奏法の架け橋となったマエストロの貴重な記録である。しかし、ラッパ吹き込み時代のクラシックを演奏として鑑賞するとなるとどうだろうか? その答えがようやく見つかった感じがする。米Columbiaが自らのMaster Worksに加えることになったこのCDには、ただ貴重なだけでは済まされない、レコードという文化への思いが詰まっている。そう、エジソンの発明から始まる、アメリカの古きよき時代の夢が詰まっているように思えるのだ。
C歌謡曲&フォーク
恋人もいないのに (1971)
シモンズ

大阪出身の清潔さ1000%の女性フォーク・デュエット。有名な表題曲のほかに、瀬尾一三、谷村新司が曲を提供するなど、この時代にしか為しえない贅沢な布陣で2人をバックアップしている。録音はジャケ絵そのままの「お花畑」状態のソフトフォーカスで、マンシーニ風の甘いストリングス、ポール・モーリア風のチェンバロまで登場する。このエコー感タップリの音場は、今のステレオ機器で聴くと、ボーカルは奥に引っ込み、直径1mを超えるビックマウスになるという、とても初歩的なところで躓いてしまう。当たり前だがモノラル&フルレンジは、この難所を軽々と乗り越えてしまう。そもそも喫茶店風の風合いが得意な組み合わせであるので、これはこれで耳が自然に受け入れてしまう。
アドロ・サバの女王 (1973,75)
グラシェラ・スサーナ

当時は外タレとも言っていた外国人歌手。アルゼンチン出身のグラシェラ・スサーナは、一年に数人しかいない選ばれた存在である。歌唱力が日本人離れしているのは当前として、力で押し負かすのではなく、「誰もいない海」で魅せる静謐な歌い口は、むしろ日本人以上に日本語の美質にあふれている。このアルバムは優秀録音の典型で、アコースティック系のバンドの心憎い好サポートも相まって、どのシステムで聴いても深く破綻のない音が聴ける。で、なぜにモノラル&フルレンジなのかというと、上記のシモンズの録音と並べて比較しても違和感がない、そのことが凄いのだ。つまりスピーカーのもつ音響的な一貫性が、音楽をネグレクトすることなく自然に展開する。


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