我がオーディオ装置はオーデイオ・マニアが自慢する優秀録音のためではありません(別に悪い録音のマニアではないが。。。)。オーディオ自体その時代の記憶を再生するための装置ということが言えます。「哀愁のヨーロピアン・ジャズ」は、これまでジャズなどに全く興味を持たなかった筆者のボケとツッコミが綴られています。。。。の前に断って置きたいのは 1)自称「音源マニア」である(ソース保有数はモノラル:ステレオ=1:1です) 2)業務用機材に目がない(自主録音も多少やらかします) 3)メインのスピーカーはシングルコーンが基本で4台を使い分けてます 4)なぜかJBL+AltecのPA用スピーカーをモノラルで組んで悦には入ってます。 5)映画、アニメも大好きである(70年代のテレビまんがに闘志を燃やしてます) という特異な面を持ってますので、その辺は割り引いて閲覧してください。 |
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哀愁のヨーロピアン・ジャズ
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【ヨーロピアン・ジャズ事始め】 ジャズといえば、コンクリート・ジャングルで寂しくトランペットが泣いてる、または地下の酒場からドラムがドカスカ爆裂してくる、そういう抑圧された黒人の脂ぎった臭いが充満したもののように思われている。いや、私もそう思っていました。ところが20世紀も終わりになって、ヨーロッパのジャズが凄く面白いことにようやく気が付きました。ジャズが都会のカオスを演出するとすれば、今のヨーロッパほど混沌とした地域もないのでは?と思えてきたのです。 しかしそれ以前にもヨーロッパのジャズ・プレイヤーに興味がなかったわけではありません。 最初の波はジャンゴ・ラインハルト。そう戦前ジャズの大御所で、ジプシー・ギターの伝統を背景に、イギリスのユダヤ系ヴァイオリニストのステファン・グラッペリと強力タッグを組んで、ギターとヴァイオリン、ウッドベースだけのフランス・ホット・ファイブという五重奏団を組み、飛び切り上質なジャズを聴かせてくれる。有名な「ジャンゴロジー」というアルバムは戦後のイタリアで録音されたが、ここではエレキに持ち替え甘い最後の時間を記録している。 ふたつ目の波はスウィングル・シンガーズで、60年代に活躍したフランスの男女8人組のアカペラ・コーラス・グループ。「ジャズ・セバスチャン・バッハ」というアルバムで、バッハの名曲をスキャットにアレンジして、シュビシュビダバダバとこれまた上品にスウィングする。 このふたつのアルバムで私の場合は完全にノックアウトで、逆にいうとそれ以外のものをあまり受け付けないところがありました。キース・ジャレットで有名なECMレーベルさえ知らなかったのです。 【哀愁というキーワード】 なぜかヨーロピアン・ジャズには哀愁という言葉がよく似合う。そう自分では信じている。多分、アングラな酒場をハシゴするというよりは、陽の当たるカフェでの恋愛のやりとりが似合うからだろう。その意味でヨーロピアン・ジャズは太陽の光を十分に浴びた健康的なものが多い。そこでの哀愁というキーワードの本質は、東西冷戦の終結後に現われた行き場のない叫びのようなものが、場末のジャズとして音になってからのような気がする。私にとってのヨーロピアン・ジャズの第三の波は1990年代から始まってるようだ。 最初にその混沌の情況を知ったのはCDからではなく、なぜか映画からだった。ハンガリーのフェリケ・イボヤ監督「カフェ・ブダペスト」に出てくるロシア人サックス男のやるせないプレイが、ハンガリーの街をバックに静かに流れていく。それがなんとも切なく、そしてかっこいいのだ。その強烈な印象を頼りに「哀愁」というキーワードでヨーロピアン・ジャズを斬ってみたくなった。さてセンチメンタルでノスタルジアなヨーロッパ・ジャズの世界に旅立とう。
ページ最初へ 【未完成のパズル】 EUで統合されたヨーロッパといっても、実は多民族の寄合いで、そのテイストは巨大なエニグマ(謎)に満ちている。ヨーロピアン・ジャズをひときわ面白くしているのは、この多民族の対話というステージである。そのプレイに秘められたテイストは人生の流儀そのものを反映しており、それをアンサンブルで統合するのは知的なパズルに似ている。それがほぐれたとき、個人の力量を超えたところの愛情が芽生えてくるから不思議である。 こうしたパズルを解く前に、フランス映画のヌーベル・ヴァーグが行ったジャズ的手法が忘れられない。最初は難解に思えた映画も、日常のハプニングを切り取っていくといつしかメモリアルな映画となってしまうことに、なんとなく感動したものだ。とはいっても、よく判ったというより体験したという類のものである。そのハプニングひとつひとつの映像が耽美的表現に満ちており、一場面一場面が走馬燈のように焼付けられていくのだ。それはスチール写真で全編が構成されたSF短編映画「ラ・ジュテ」で美しい最後を遂げるのだが。ハードバップから影響を受けたようなヌーヴェル・バーグだが、ヨーロピアン・ジャズはハプニングが水晶玉のように転げ落ちる瞬間を追求しているように思う。 実はヨーロッパのジャズプレイヤーは、アメリカのそれに比べて音数が少ない。それを平凡とみるか、洗練とみるかで大きく印象が異なる。たしかにフランスのプレイヤーには洗練という言葉がよく似合う。先の先を読んだスタイリッシュな構築性まで魅せてくれる場面が多い。しかしもっとややこしいのが、北欧圏や東欧圏のプレイヤーの渋い印象である。プレイヤーが音数を制限することで、一音一音の意味を凝縮した感じに聞こえてくれば、ある種のもやもやが晴れた情況になる。つまり何を鳴らしたかではなく、何を弾かずに我慢したかの引き算が判らないと、ただ朴訥とした音楽が延々と続くだけである。それだけに聴き手に強い参加意識がないと困難な作品に度々出合うことになるのだ。それをジャズの閉塞と混迷と受け止めるか、混迷のなかから生まれた予定調和とみるかで、意見を真っ二つに分断する要素が残されていく。腕の無いミロのビーナス、2楽章で終わったシューベルトの交響曲、いつ終わったのか判らないサガンの小説、冗舌になる一歩手前で存在する美の追究は留まることがない。
ページ最初へ 【ラテン・コロニアルという罠】 実はジャズのうえでラテン系のテイストは個人的に凄く好きである。カフェといえばボッサという印象さえある。このラテン・テイストはスペイン・ポルトガルの植民地文化で、逆にジャズの源流はイギリスの植民地文化である。最近になってモード変奏の取り扱いは、スコッチ・アイリッシュ移民の讃美歌に源流をもつという説が出ているが、こうした文化的なミクスチャーを乗り越えていくパワーがジャズの足場であるように思う。その意味ではラテン音楽もジャズも同じコロニアル・ミュージックなのだ。
ページ最初へ 【ジャズ再生の裏路地】 1)機器のラインナップ
このなかでヨーロッパ製の機器は無味着色のイコライザーのみ。他は外掘から和製、アメリカンと攻めている。これもそれなりに意味があるようで、入口と出口を日本製の清楚で生真面目な音で締めて、アメリカ製のミキサーとパワーアンプで内なるエモーションを演出し、イギリス製のイコライザーで音調の味付けを行う感じです。このような機材で奏でるヨーロピアン・ジャズは、クールな表情からパッションを燻し出す感じで、プレイに秘められた表と裏を画く感じがします。このアウト・フォーカスな雰囲気が私はとても好きです。 2)音調をパステルトーンに ヨーロピアン・ジャズがアメリカンと違うトーンを明確に打ち出したのは、ドイツのECMというレーベルが出した「ケルン・コンサート」(1975)からだと言われます。もちろん内容的にアメリカン・ジャズの亜流から独立したという意味もあるが、ここでは録音方式の問題に焦点を当てたいと思います。それはブルーノート・レーベルでジャズ・サウンドを完成させたルディ・ヴァン・ゲルダーの近接マイクとは異なる、遠目のマイク設置でホール感を一緒に収録するというものでした。この録音が出始めた70年代中頃は、ちょうどジャズそのものが衰退期にあり、黒人ミュージシャンの多くがファンクやソウルに活路を見出していた矢先のことで、当時は録音の存在そのものを巡ってジャズ演奏論の是非が議論されたそうです。ちょうどビル・エヴァンス以降のインタープレイが成熟し、ジャズが個人のスタンドプレーからトリオによるアンサンブルの妙技を聴かせる時代のことで、録音方式もアンサンブル全体を客観視することで演奏の質を味わおうとしていたと思われます。録音としてもモノラルのように凝縮した音から、ステレオによる自然なサウンド・ステージがマルチマイクで構築できるようになった時代です。こうしてヨーロピアン・ジャズは淡いパステルトーンのスケッチのようなものになり、プレイそのものの繊細さを拾いだす能力とサウンド・ステージの描きだしの客観性を必要とします。問答無用に押し迫るジャズ的な録音と少し距離を置くようになったというべきでしょう。 しかし録音で使われたマイクは、ヨーロピアン・ジャズでもアメリカと変わりなく、ほぼ例外なくノイマン社の大型ダイヤフラムのコンデンサー・マイクが用いられていました(A図)。もちろんこれが全てのヨーロピアン・サウンドの源流です。このマイクはほぼフラットな特性のなかに中高域に幾分の輝きのあるキャラクターをもたせてありますが、これは精度の良い金属箔を用いたダイヤフラムを2way化することによって高域を持ち上げているからで、深く伸びた低音と明瞭な高域が得られ、大型ダイヤフラムだけがもつ、2kHzにあるリッチな艶はアナログテイストの代名詞として今も愛されています。一方で、低域の回り込みによるブーミーな膨れあがりや、中高域でのカサカサした音などを過敏に拾う癖もありました。 この他に使われたマイクは、高域により繊細な輝きのあるAKG社、タイトな打楽器の音圧に強いセンハイザー社、ラテン系の打楽器に暖かみのあるベイヤーダイナミック社のマイクが使われたりしていますが、ベイヤーダイナミックス社以外はノイマン型の特性をもっています。いわばノイマン社の音調は古典落語のようなもので、この辺がスタンダード・ジャズと通じるところです。 こうしたドイツ製マイクの特性を考慮してニュートラルな音調に整えるには、以下の方法が有効です。ひとつは実際の収録音圧と再生音圧の差分を補うためにラウドネス補正を掛けること、ふたつめはコンデンサー・マイクの近接効果をキャンセルして音調をスマートに収めることです。初期のHi−FiはB図のように音圧差のみを補正したカーブを使っていました。これに距離の差を加えてマイクに特徴的な近接効果(中低音が膨れあがる現象)を補正して聴感上フラットにしたのがC図です。(このことに関する仔細なデータはAES研究部会のBruce Bartlett氏の論文参照) C図から判ることは、一般にフラットなままの特性ではプレゼンスが強すぎて中高域がうるさく、逆に8kHz以上のアンビエンス成分が薄く感じられ音がくぐもることが判ります。実はヨーロッパ・トーンの最後の仕上げは、中高域の抑えた表情と高域の空気感にあり、両者のバランスが生命を分けるところがあります。B図のようにアメリカが中高域に強いアクセントがあるのとは反対ですが、これを逆手にとってステレオ初期のエラートやフィリップスは高域をブーストした(位相が反転するくらい)ブリリアントな録音が残されています。この方法で調整すると、柔らかさと天上の抜けの良さの両立が感じられ、アンサンブルの綾は絶妙になります。ヨーロピアン・ジャズの哀愁という色合いをさらにノスタルジックなパステル調にするのに、このノーマライズされた音調がどうしても必要です。
3)ジャズ再生の王道の逆手を取る 一般にジャズ再生の王道は生音の迫力を伝えることにあるので、イコライザー処理を加えずに録音し、上のB図のような音調で再生するのがベストです。JBLのD130とアルテック802Cとの組合せはそうしたサウンドの妙味を知らしめてくれました。しかしこれは同じ近接録音と近接試聴という関係で、音圧だけの違いで聴いているときに成り立つものです。もちろん機器と録音の時代の整合性が合うということもあるかもしれません。 一方でヨーロピアン・ジャズの場合は、これに距離の違いが加わってきます。つまり近接マイクで録った音を少し離れて鳥瞰するという行為が生じるので、C図のような補正カーブになるのです。これは単純にはクラシック録音と同じです。 最近はジャズの鋭角的なエッセンスを強化するアイテムは沢山あります。例えば高域の位相補正をして、パルス性の立ち上がりを鋭くしようとする機器があります。Aphexのオーラルエキサイター、BBEのソニックマキシマイザーなどです。あるいはコーン型に比べトランジェットの早いホーン型のツイーターを選ぶのもひとつの方法です。 逆にヨーロピアン・ジャズの場合は、アンサンブルの綾を明確に出すためにトランジェットの要求されるのは中域のほうで、高域は残響に包まれたアンビエンス成分として拡散されます。高域のトランジェットが早くても、本来のクリアネスは保持できず残響の渦に呑み込まれるのです。それがヨーロピアンと思われる一方で、ジャズ的なエモーションの聴き取りにくくなる原因にもなります。これはこれで意味のあることですが、ここは裏路地に入ってみたわけです。 ヨーロッパ製のスピーカーでも、最近のDynaudio、ATC、PMCなどはミッドレンジの開発から始まったメーカーで、3wayともなるとかなり通好みのものになりますが、こういうゴマカシの効かないところでのトランジェットの保証が卓越しています。私の場合は富士通テンTD512ですが、かなりコスト的な理由と折衷主義でこうなったという感じです。しかしツボを押さえてるものはあると思いまして、その辺が脱Hi-Fiの妙味ともいえます。 あとDACをCEC(オペアンプ)からSAGE音響(真空管)に変えただけでも、ジャズ本流の熱血漢の湯気がメラメラと増えていくのが判ります。真空管は帯域毎の音調の変化が古典的で、中低域がファット、中高域が艶々、高域はサラサラという感じです。これは好みなのでしょうが、ヨーロッパのプレイヤーには必死な感じが似合わないように感じてます。つまりクールなオペアンプが良いのです。 話は飛びますが、最近のジャズ・レーベルで最も元気のあるのは日本であり、澤野工房、ヴィーナスレコードなど、日本のジャズファンに応えてCD吹込みを行うジャズ・レーベルも少なくありません。それも演奏としては新規性はなくても、長年クラブ出演で磨いてきた熟年のジャズメンが日本でリコメンドされて、欧米で人気が出るという現象まで起きています。ここ10年の間に日本のジャズ・ミュージシャンも、つとに世界で活躍するようになりました。そういう意味でも日本にマスターテープが残る確率も高くなり、日本のオーディオの質を高めていくのではないかと期待しています。新鮮なマスターテープでプレスされるCDは、エンドユーザーに音楽の活力を伝えてくれる最も有効な手段です。 紹介したCDはあえて新しい順番から並べました。これは普通のジャズ・ファンが辿る歴史を語るためのものではなく、常にジャズが今という時代あってのものと思ってのことです。新しい物好きというより、自分の生きている時間とへその尾がつながったものから関わるのがジャズとして健全と思えます。 ページ最初へ |