20世紀的脱Hi-Fi音響論(延長13回裏)

 我がオーディオ装置はオーデイオ・マニアが自慢する優秀録音のためではありません(別に悪い録音のマニアではないが。。。)。オーディオ自体その時代の記憶を再生するための装置ということが言えます。「EMI vs Decca戦術史」は、かつてアメリカ製と日本製のフルレンジでモノラルのサブシステムを構築してから、13回裏のいつ終わるとも果てない泥試合のなか七転八倒しながら、英EMIとDeccaのサウンドに同時に覚醒するオーディオさよならホームランを打ち放ち、全世界のクラシック愛好家と共に「ルール・ブリタニア」を合唱して我が家に帰るオーディオ珍道中が綴られています。
※このページは「仁義なきウェスタン」「嗚呼ロクハン」から切り抜き加筆したものです。ちなみに背景はカナダ・パテ社のマグネチック・スピーカーWestminsterです。
EMI vs Decca戦術史
【嗚呼、霧の倫敦(ロンドン)】
【クレデンザの隠し子?】
【BBCとの婚約解消劇】
【蜜月やいずこ】
【嗚呼!無冠のデッカffrr】
【超Hi-Fi狂想曲】
【誰がための高音質録音】
【曇りのち晴れの法則】
ローファイ狂騒曲へ→
自由気ままな独身時代
(延長戦)結婚とオーディオ
(延長10回)哀愁のヨーロピアン・ジャズ
(延長11回)PIEGA現わる!
(延長12回)静かにしなさい・・・
(延長13回)嗚呼!ロクハン!!
(試合後会見)モノラル復権
掲示板
。。。の前に断って置きたいのは
1)自称「音源マニア」である(ソース保有数はモノラル:ステレオ=1:1です)
2)業務用機材に目がない(自主録音も多少やらかします)
3)メインのスピーカーはシングルコーンが基本で4台を使い分けてます
4)なぜかJBL+AltecのPA用スピーカーをモノラルで組んで悦には入ってます。
5)映画、アニメも大好きである(70年代のテレビまんがに闘志を燃やしてます)
という特異な面を持ってますので、その辺は割り引いて閲覧してください。


EMI vs Decca戦術史


 まず最初に謝っておきたいのは、私自身がモノラル時代のEMIかDeccaかのどっちが正しいサウンドなのかのトラウマに囚われていて、モノラル録音のクラシックを心ゆくまで楽しんでいたわけではなかった。それらはヨーロピアン・サウンドの創成期であったにも関わらず、両者のHi-Fiに対するアプローチを単なる小競り合いのようにしか見ていなかったし、どちらに与(くみ)するかの判断も留保していた。つまり、真正面からこれらの録音技術にアプローチして、モノラルHi-Fiの王道とは何かを追求し雌雄を決することを避けてきたのだ。もちろん最新のステレオスピーカーで聴いて、モノラル録音をけなすという恥ずべきことは慎んでいたが、さりとてちゃんと評価できるようなオーディオ環境にはなかった。
 とはいえ私自身は、昔日の初期プレスLPを蒐集するのはおろか、タンノイやクラングフィルムといった貴族階級の持ち物に手を出すなど毛頭もなく、庶民が嗜むレコード鑑賞なるものに密着したオーディオ装置を夢見ていたのも確かである。というのも、先人が歴史的名盤という評価を下した数々の演奏は、けして立派なステレオ装置で判断したわけではなかったからだ。そういう意味では、ここ数年までモノラル録音のクラシックは、耳年寄りのまま知識でカバーしていたと言っていいだろう。そのことによる弊害は、観賞する対象が有名な演奏に隔たることは言うまでもない。モノラルHi-Fi録音という、1948年からほんの10年弱のピリオドでレコード文化を形成したパッションを、正しく評価していないことにもなる。知っている人は知っているが、モノラル時代にも大作曲家の全集録音はもちろんのこと、近現代曲の珍しいレパートリーまで大量に録音されている。むしろ私を含め多くの人にとって、モノラル録音を万全に再生するオーディオ環境が整っておらず、コレクションとして蒐集するには二の足を踏むことが多かったといえよう。それは大方、五味康祐氏のように金に糸目を付けぬオーディオ御殿を構築していくさまを、1960年代に読み聞かせられた名残りでもある。これに比べ国産の電蓄はおろか、海外製のアンサンブル型ステレオは歴史の海の藻屑と消え去ってしまったのだ。
GY氏の筆舌によって鉄板メニューとなった黄金の組合せ(これの反省会は後ほど明らかにする)

 この弊害に気付かせてくれたのは、1950年代のドイツ放送録音で、21世紀になってラジオ局が大事にアーカイヴしていたオリジナルテープを蔵出しし始めた(レコード会社の専属アーチスト契約が半世紀で切れた)ことで、当時のクラシック・コンサートがもつ幅広い音楽文化が、FM放送並みの高音質で再現できるようになったことだ。これにはもうひとつオマケがあって、これらの音源について昔日のLPの多くは海賊盤としてリリースされたため、AM放送以下の音質で演奏のディテールが判りにくかったが、オリジナルテープまで遡ったリマスター音源は見違えるような音質で鑑賞できるようになったことだ。つまり、それまでLPに比べデジタル・トランスファーがうまくいかず散々に批判を浴びてきたCDでの再生音が、部分的にせよトップランナーに躍り出たのだ。しかも当時のドイツでは、2wayに拡張されながら机に乗る中型の真空管FMラジオが量販されており、その音質もまた良い塩梅に鳴り響いてくれたのだ。この混乱した情報を解きほぐして矛盾を解決するには、失われた50年の時を慎重に読み返さなければならない。その見返りは、言わずもがなモノラル時代の音楽文化に広く触れることが叶うことである。



ドイツは1940年代からマグネトフォンで録音していた=FM全国ネットと共に戦後のHi-Fi規格の基準となった

 これを機にモノラル音声の在り方を紐解いてみると、従来のSP盤用の電蓄で標準だった16〜20cm古レンジの世界から、一気に30cm&2wayのHi-Fi仕様へと突き進むことになった。これは1950年代の大型電蓄が12インチを標準としていたことと連なる。とはいえ、このグレードアップは単に広帯域化というものではなく、むしろミッドローからの波形再生が中高域並みにストレートに再生されることで、一体感のある自然なバランスが取れるようになり、周波数特性としてはむしろローファイと呼べるものへと落ち着いていった。自宅のモノラル・システムを、この1950年代のHi-Fi放送グレードに合わせて見直すことによって、EMIやDeccaという区別をすることなく、モノラルLP向けにHi-Fi録音されたテープのリマスター音源に、平等に接することができるようになったといえる。つまりずっと夢見ていたモノラル再生の黄金比、いや桃源郷を見出したのだ。

我が家のディスクサイドのモノラル・スピーカーと周波数特性(斜め45度計測)

 実は、この真空管ラジオの目線でみたHi-Fi規格の良い塩梅が、これまでのモノラル再生では長らく見落とされていたというのが、このページの最大の読みどころである。つまり昔の人は、Hi-Fiモノラルレコードを清貧の心をもって我慢して聴いていたのではなく、そこそこ安い機材でも高音質を楽しめる状況にあった。私はこのモノラル時代の文化的な豊かさもろともCDで再生したいと思っているのだ。



【嗚呼、霧の倫敦(ロンドン)】

 恥ずかしながら、モノラル時代の英EMIといえば霧に包まれたような音、そういう印象があった。よく言えば上品なのだが、何か奥歯に物が挟まったような、スノッブな物の言い方が鼻につく、ともかく最後まではっきり言わないのである。同じイギリスでもDeccaは全く逆で、社交的でペチャクチャしゃべる化粧美人。この両者の極端なサウンドの違いゆえに、ブリティッシュ・サウンドは誤解に誤解を重ねているように思う。
 もうひとつの誤解は、イギリスの音楽界そのものに対するもので、他国に比べ自国の音楽文化が弱体化しているようにみえる点である。しかしロンドンといえば、モーツァルトの時代からの一大商業都市で、世界中の音楽家が集まってきた音楽の都である。晩年のハイドンは自分の略歴で最も栄誉あるものとして、オックスフォード大学からの音楽博士を第一に挙げるくらいであった。そもそもクラシック音楽という概念自体も18世紀の英国貴族が考え出した(Ancient Musiks)もので、当時でいえばコレッリやヴィヴァルディ、ヘンデルがそれに相当し、時代が下るに従って古典派、ロマン派とレパートリーを増やしていった。この文化遺産を記録に残そうとしたのが、英HMV〜EMIの本来の強みである。
 このため、英HMVと言えばレコード業界では老舗中の老舗で、失礼な言い方をすれば、アメリカの本家Victorが金に物を言わせて大物アーチストを収録したのに比べ、英HMVはどちらかというと音楽家が自ら評価を得るために録音する、そういう趣のあるレーベルである。ともかくアメリカで赤色と黒でアーチストを区別していたが、英HMVにはそうしたものが無い。あえていえば全てが錦の帯を締めた一級品である。


 こうしたレコードマニアの心にさらに油を注いだのが、大物プロデューサーのウォルター・レッグ氏が起こした協会盤レコードで、普段聞けないレパートリーを先行予約制で数を満たしたところでリリースするというもの。1932年のヴォルフ歌曲集を皮切りに、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集、交響曲全集など、それまでのレコーディングでは考えられない膨大なアーカイヴを築くこととなった。
 戦後になっても、フィルハーモニア管弦楽団の設立、カラヤン、リパッティ、カラス、そして妻となったシュヴァルツコップなど大物アーチストを次々にマネージメントし、後世に残るレコードを残したのだから恐れ入る。マーケティングに長けていて意見をズバズバ言う豪腕なところから、寡作家で芸術肌の人(ミケランジェリ、ポリーニなど)から疎んじられて長期契約に失敗したり、逆に戦後のベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集の収録に2度失敗(ソロモン、ギーゼキング)したことなど、この人らしくない後日談もある。ともかく、戦前からの大看板を背負って大物アーチストと対等に渡り合えたのは、後にも先にもこの人くらいなものであろう。それと共に、1963年にEMIを離れるまでの30年以上に渡るキャリアを通じて、従来の散発的なパフォーマンスに徹していたレコードという媒体に、芸術性と殿堂入りの名誉を与えることのできた功績は計り知れない。

 
左:ジョージ5世とマリー王妃の銀婚式を祝うHMVショップ(1935年)
右:Radiogramのディスプレイ(1936年)

 さらにEMIにおいて楽しみなのが、各国に張り巡らされた支社網での現地録音である。そこでは自由な裁量でレコーディングをできたため、通常の名曲名盤には該当しないレパートリーも多く存在する。実はEMIグループの強さは、米国流儀の利益誘導型とは異なるローカルルールを尊重したところだろう。独エレクトローラ、仏パテ、西イスパヴォックスなど、独自企画で優秀な録音が多く存在する。
 モノラル期の録音を挙げると、ウィーンを中心としてフルトヴェングラーを収録したクルーは、明らかに戦前からのマグネトフォンを使っており、それをわざわざ78rpmのラッカー盤にダビングしたというもの。やや高域の堅い音質は、Decca録音にも負けない艶を持っている。仏パテは名録音技師であるアンドレ・シャルランも加わり、フランス物を中心に洒脱な音を残している。スペインのイスパヴォックスは、技術提供をロンドンから受けていたらしく、ややくすんだ音色ながら静謐な音楽を奏でる。逆に米Voxなどには、明らかにEMI系のクルーを使って録音したものが存在する。各地の録音クルーは新聞でいえば特派員のようなもので、録音の企画さえあれば機材、人材に融通を利かしていた可能性もある。


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ステレオ時代のHMVショップ(1960年代)

 はたしてモノラル期のEMIのビロードのような肌触りは、どこから来るのであろうか。特に木管の中域の艶やかさは、他のレーベルでは得難く、オーケストラでの対話を豊かにしている。声楽での柔らかく自然なイントネーション、ピアノの凹凸のない均質な響き、飴色のバイオリンの音色など、美点を挙げると色々ある。だからこそ、このどんよりした「霧の倫敦の響き」には違和感を覚えるのである。とある英国の老エンジニアは、LPの音を料理に例えて「EMIは燻製で、Deccaは直火焼き」と言ったとか。今となっては煙にまかれて一緒に燻製にならないように用心しなければなるまい。


【クレデンザの隠し子?】

 
蓄音機の女王とも讃えられるクレデンザ。その優雅な音ゆえに、誰もが英HMVの印象と結びつけるが、実はこれが大きな勘違いである。これこそがアメリカン・サウンドに君臨するWE社が、1925年に電気録音方式と共に世界に送り出した刺客であり、デザイン、ネーミング共にヴィクトリア趣味に彩られているが、立派なアメリカ製の蓄音機である。それ以前の蓄音機の周波数特性が中高域のしゃくれ上がったカン高い音なのに対し、クレデンザのそれは低域から中高域までフラットに再生できる音響特性を持っていた。これは一般的に考えられているヨーロピアン・サウンドと同じ志向であって、むしろ古い英グラモフォンの音がカン高い音で調整されていたことにも気付かされるのである。ではHMV純正の蓄音機はというと、少しカン高さを残しながら低音の増強を図ったバランスを取っており、両者の仲立ちをする折衷的なスタイルであったことが判る。



Orthophonic Victrolaの取扱説明書(1926)
この時代のアメリカがヴィクトリア趣味の最期だったことが判る



従来型(破線)と新しいOrthophonicシステムの再生特性の比較(1926年)
100〜4000Hzをフラットネスに拡張している




Western Electric 1B ダブルボタンマイクと特性
基本的にフラットな特性をもっている

 一方で、同じ時期にトーキー用のマイクとしてよく使われたのが、ドイツのReisz社が開発したカーボンマイクで、1930年代のBBCやPatheスタジオで使用された。特性は高域の子音が明瞭に録れるようにできており、以下の光学録音でもその良さは十分に出ている。HMVの録音風景でよく見られるWE製ボタンマイクは、これとはかなり違うフラットネスであることに注意したい。


ロンドンのパテ・スタジオで収録するAl Bowlly(1930年代)
Marconi-Reisz製カーボンマイクを使用

BBCでも1935年頃まで使われたという


Marconi-Reisz製カーボンマイクの特性
かなりの高域上がりだがラジオやトーキーでは優位

 ここでブリティッシュ・サウンドにみる2つの潮流が見えてくる。つまり1900年から続く高域の強い音調を好むグループと、1925年以降の恰幅の良い音調を好むグループである。戦後のスピーカー・メーカーで言えば、カン高い音の代表はLowtherであり、柔らかい音の代表はGoodmannである。TANNOYやQUADはこのふたつの中間といったところだろう。よくイギリスのオーディオは典雅なヨーロピアン・サウンドと評されることが多いのだが、実はとてもバラエティーに富んでいるのである。そしてTANNOYを民生用のエンクロージャーそのままで使用していたのはDeccaのほうで、EMIは響きがタイトなLockwwod社のバスレフ箱を使っていた。



 電気録音初期の英HMVが、クレデンザを中心とするWEサウンドと重なるのだが、一方の米Victorのほうはどうかというと、例えばカザルスのチェロを聴く限りでは同じようなトーンをもっている。大きく違うのはオーケストラ作品の録音で、米Victorは直接音を多く含みダイナミックな音を志向するのに対し、英HMVはホールの響きを混ぜた柔らかい音で収録している。このような傾向は、1931年のEMI創設において、アビーロード・スタジオを立ち上げる際には、当時開発したてのWE47型コンデンサーマイクと共に、あきらかにWEスタイルのダイナミックな録音に変貌を遂げるのである。

 
EMI アビーロード・スタジオの除幕式(1931年)
エルガーの指揮で管弦楽を披露
録音にはWE 47型マイクロフォンが3本使われた




 ちなみにモノラル時代のEMIのオーケストラのマイキングだが、天吊りの無指向性マイク(高域に指向性あり)をオーケストラ前面の両翼に2本、弦と木管の中央に1本の計3本を使用したものとなる。デッカツリーと比べると、マイク間の距離が大きいため、オーケストラの音場感をパースフェクティヴに捉える一方で、躍動感についてはやや潰れた感じになりやすい。1931年にアビーロードが新装され、米WE社の電気録音方式が導入された頃からのもので、もしかすると米WE方式と言ったほうが良いのかもしれない。こちらは戦前のエレクトローラの時代からムジークフェラインでの演奏はほぼこの方法で録られている。


左上:1931年エルガー&ロンドン響(アビーロード、WE47A型3本)
右上:1951年フルトヴェングラー&ウィーンフィル(ムジークフェライン、ノイマンCMV3型3本)
左下:1940年代末フルトヴェングラー&ウィーンフィル(ムジークフェライン、EMI HB1型3本)
右下:1960年代ボスコフスキー&ウィーンフィル(ムジークフェライン、AKG C28型?3本+α)


 その一方で、WE製のカッターヘッドでプレスしたレコードは、初回プレス250万枚まで1枚につき¢1の特許料を請求されたため、国際的にレコード販売しているEMIにとっては重たいものとなっていた。これに加え構造が繊細で故障も多かったWE47型マイクは、同時期にBlumlein博士により開発されたムービングコイル方式のHB1型マイク(開発者のHolmanとBlumleinの頭文字をとったといわれる)へと徐々に変わり、おそらくWEとの契約更新を打ち切る1935年あたりから、HB1B型マイクの芯の強い音へと変わっていく。これはBlumlein博士がもともと英Columbia出身のエンジニアであり、もともとタイトな音が好みであったこともあったと思うが、文献では5kHzを+4dB持ち上げたことでとても好ましいサウンドとなったとあり、ピアノの収録に優れていたらしい。英HMVや仏Patheの幽玄な音が好きな人には、往年のマエストロの再録音が夢から覚めたように感じ気に入らない人が多いのではないだろうか。見た目の周波数特性も、英国内の当時のあらゆるメディアの性能を凌駕したHi-Fi仕様であり、同じ時期の独ノイマン社への対抗意識が見え隠れする。
 しかし1936年から開始されたBBCのテレビ収録(Alexandra Palace)ではよく使われたところをみると、出力の高いことからコードの引き回しが長くてもノイズに強いという側面と、中高域の持ち上げはShure社のボーカルマイクと同様にLow-Fi機器でも明瞭度の高い音と感じるかもしれない。今では信じがたいが、このムービングコイル式マイクは非常に高価で、BBCのリボン式マイクが£9だったのに対し£40もしたという。考えてみればリボン箔はデリケートながら材料費はあまり掛からず、ムービングコイルは振動板とコイル、エッジサスペンションなど結構な組み付け精度が要求される。1930年の初期型HB1Aはサスペンションの調整がうまくいかずにコイルが擦ってしまい、バイノーラル収録の実験で思ったような成果が得られなかったと云われる。このマイクはHB1Eまでバージョンを重ね、1955年頃まで使われた。



HB1B型ムービングコイル式マイク



左:ファッツ・ウォーラー(1938年)
右:カスリーン・フェリアー(1940年代)
下:メニューヒン&エルガー(1932年)



BBCテレビでのHB1型マイク(1946年頃)

 こうして、EMIのサウンドには、@英HMV-Patheの柔らかいトーン、A米WEのキレのあるダイナミックな音、BBlumlein氏の録音技術の改革、C戦後のドイツのマグネトフォンの技術、等々が交錯しており、世界一のレコード会社ならではの複雑な綱引きがあったと言える。これらのEMIという巨大なジグソーパズルの駒を巧く組み上げる作業が難解きわまるのである。




HMVショップの試聴ブース(1950年代、ロンドン)
こちらは78rpmで自由に試聴


 
33〜45rpm盤は買った人だけ試聴?
 
 さらに難解きわまることとして、イギリス人に特有のSP盤への愛着も挙げられよう。五味康祐「オーディオ巡礼」には、1963年にイギリスを訪れたときのこととして「英国というところは、電蓄に対しては大変保守的でケチンボな国である。アメリカや日本でステレオ全盛の今日でさえ、イギリスのレコード愛好家はまだ七十八回転のSP(LPのモノーラル盤ではない!)で聴いている。市販のカートリッジも、SP・LP両用でなければ売れないという。ロンドンにも現在シュアーのカートリッジは市販されているが、V15のU型はおろか、V15すら部品カタログに載っていない。高価なV15など誰も買わないからだ。それほどケチンボな国だ。オルトフォンはさすがに出廻っている。しかし殆ど月賦販売用である。SPU/GTが二十三ポンド――邦貨にして二万四、五千円見当だろう――それを十ヵ月払いの月賦にしなければ誰も買ってくれない。そういう国民だ。」と記してある。この点を考慮して、Decca社の高級ステレオ・コンソールDecolaが78回転盤でも見事な音を奏でると賞賛している。
 このことは何を示しているかと言えば、百花繚乱にみえる英国オーディオ機器のほとんどは、一部の上流階級か海外向けの特産物であり、イギリス国民のお茶の間に届くことは稀であったということ。そして多くの人が電蓄(Radiogram)を愛し、RIAAになった後も78rpm盤を大切に聴いていたのである。QUADでさえ、1967年発売の33型プリアンプ(トランジスター式)に5kHzのハイカットフィルターを装備していたくらいである。こうしたこともEMIのサウンドについて「霧の向こうのような音」と誤解を生む原因となっていると思う。イギリス製のオーディオだから英国プレスのレコードを最高の音で鳴らしてくれるだろうと誰もが考えるが、多くのイギリス国民が聴いたサウンドは、SP録音の延長線ともとれる特性が好まれたといえよう。それでも英国プレスが珍重されるのは、既にEMIの魔の手に墜ちているのである。
 日本でこの誤解に拍車を掛けたのが、SP復刻盤(GRシリーズ)であろう。日本では1957年から発売された一連の復刻シリーズは、SP盤のスクラッチを回避するため、強力な高域フィルターを掛けており、これがカマボコ型で躍動感のない音の原因ともなっている。これが長らくSP録音と云えば帯域の狭い詰まらない音という誤解を深めてきた。最近になって、大元の版権が切れてアーカイヴが開放されたことにより、コレクターによる良質な盤の復刻や、倉庫に眠っていた金属マスターを復刻したりすることも可能になったため、78rpm盤への評価が大分変わってきたと思うのだ。CD時代になって原盤にあるスクラッチノイズに対し寛容になったことも幸いしているかもしれない。

 
1950年代後半のHMVショップ
まだまだ78rpm盤が現役

 モノラル期のリマスターも、21世紀に入ってかなり整備されてきており、当時のマスターテープを当たることや、初期プレスの盤起こしなど、様々な手法を使って聞き比べられるようになった。このことがEMIのサウンドの在り方に光を当て、一人相撲に終始していた本家の正規盤を客観的に検証できる機会が与えられたと思う。結局EMIもマスターテープの再調査や、機材の整備、リマスターの方法などに財力を注ぐようになった。こうしたことが、例えCDでもクオリティの向上が図られ、在りし日のEMIサウンドを再発見する機会になったと思っている。
 こうしてEMIのサウンド面での切り口を様々な角度から検証することができるようになったため、これまで議論の余地のないものと思われてきた演奏への評価も含めて、かなり新鮮な雰囲気で受け止めることができたことは間違いない。改めて「EMIの時代」というものにクローズしていくのも面白いだろう。



【BBCとの婚約解消劇】

 ところでどうしても一言付け加えて起きたいのが、BBCとEMIの関係である。多くの人はBBCモニターとEMIの録音を一心同体だと信じている。しかし同じブルムライン方式のワンポイントマイクでの収録だったのは、精々1950年代まで。ステレオLPを発売する前に、EMIはとうにノイマン製マイクを使ったマルチ録音に移行していた。それ以前はどうかというと、アビーロード・スタジオを1931年に立ち上げた際には、録音にはWEが開発したばかりの 47型コンデンサーマイクが使われた。一方で、同じ頃のBBCはGE社のモニタースピーカー、英Marconi社のリボンマイク、米Presto社のアセテート録音機を使用していた。つまりBBCはRCA系からの技術提携を受けており、WE系のEMIとはサウンド傾向が全く異なる。両者が近づいたのは、モノラル中期からステレオ初期に至るわずか5、6年というのが実際である。おそらくBBCがEMIからブルムライン方式のステレオ技術の提供を受けるため、双方の技術交流が行われたと思われる。

 モノラル期からモニターに採用したTANNOYについても、BBCは戦後まもない頃に検討しただけで、EMIがDeccaの後を追って1951年に導入したときとは重なっていない。戦後に開発された小型スピーカーでLorenz社のツイーターを使った経緯も、BBCはParmekoが7kHzまでの帯域しかないため、Lorenz製ツイーターを折衷的に足したのに対し、EMIはホーン型ツイーターは採用せずLorenz社の元の仕様を踏襲している。後にDeccaはDecolaステレオでEMIの楕円フルレンジユニットを採用した。このように対局的に語られるDeccaとは、同じTANNOY製スピーカーをモニターに使うなど、ハードウェアの面ではより緊密な関係にある。
 またBBCが戦後まもなくのドイツ製品を使ったテープ収録に批判的だったことも当時の技術資料から判っている。(これはEckmillerスピーカーに対しても同様である) これに対し、EMIは独エレクトローラのスタッフからマグネトフォンの録音技術をいち早く導入し、1949年からイギリス国内でもテープ録音を行った。
 このように漠然と技術関係が一致していても、時間軸や方法論が噛み合っていないのである。アメリカにはDJという職業があるが、イギリスではレコード業界の権利を放送局が侵さないため、1960年代までレコードで販売している楽曲の放送に制限が掛けられていた。あえて言えば、EMIとBBCの技術陣は、レコード業界と放送業界、民営と国営という違いもあり、微妙に距離を置いていたよう思う。

BBC EMI

LSU/10(1947年)
Parmeko社の同軸型に加え
Lorenz社のツイーターを追加
(ネット上側に貼り付いてる)


Marconi-EMI 31006(1949年?)
Lorenz社ツイーターをダブル使用
最初はHMV高級電蓄に搭載
 

 よくブリティッシュ・サウンドの特徴としてフラットネスが挙げられるが、素直な特性であれば相性が良いというわけではない。日本製に多いフラットな特性のスピーカー(例えばBTS規格のロクハン)ではあまり良い効果が得られない。かつての東芝盤に多く寄せられる意見と似ていて、プレス時にイコライジングしない素直な特性がアダになって、中高域の凹んだインパクトのない音に仕上がっていまうのだ。ただNHKの録音は今の基準でみると音に癖のない良質なもので、オーディオ的には面白くないものの、むしろ実演の状況を巧く捉えているかもしれない。同じことはBBCにも言えるのだが、EMIのサウンドとは若干違うように思う。
 イコライジングをほとんどせずに放送するBBCモニターの特性をみると、ウーハーの800〜2,000Hzの中高域に5dB程度のアクセントを与えていることが判る。フラットネスを旨としながらも、料理としてはやや辛めに仕上げてあるのだ。代わりに高域が大人しく暴れが少ないのである。これは古くは英グラモフォンの蓄音機から続く伝統的な周波数バランスを拡張した結果であり、中域に独特の質感をもたせる秘訣なのではないだろうか。BBCモニターの特性の歴史を紐解くと、1930年代を起点としたアメリカのオーディオ技術に結びついていくのである。


LS5/9のユニットの裸特性(1983年)


Parmeko単体の特性(1947年)
最終形のLSU/10にはLorenz製ツイーターを追加



GEC製フルレンジスピーカーの特性( 1930〜40年代)


1920年代の蓄音機の特性(破線)



 以下はBBCがParmekoを採用する際に比較試聴したTANNOYとEMIの特性だが、上記のBBCモニターの系譜とは異なり、中高域が大人しい特性である。違いはTANNOY(Decca)が高域方向を持ち上げるのに対し、EMIの高級電蓄は高域がなだらかに下降する特性(BBCの感想では暗い音)となっている。このときEMIはKelly製リボンツイーターを採用していたらしく、パワーレンジの必要ない家庭用システムに最適化していたことが判る。EMIは1931年のアビーロード・スタジオ建設時から第二次世界大戦を通じて、技術の保守性が顕著になり、それを突き抜けようとしたDeccaとのサウンド面の乖離が激しいのではないだろうか。イギリス人の合理的な物の言い方からすると、より忠実度が高いということになるが、実のところ最初の基準となった技術からの積み上げに際し、感性的なものがより大きく働いているとも言える。


TANNOY Black 12"(1947年)


EMI Electrogram 高級電蓄(1947年)

 ちなみに1948年のBBCレポートM008に出てくるEMI製のスピーカーとは、楕円ユニット2本とホーン付リボンツイーター(おそらくKelly製)を使用していると記載され、1946年にHMVが開発した3000型電蓄Electrogram De Luxeと呼ばれた機種で、最初のAbbey Roadでのお披露目式についてはGramophone誌1946年9月号に記事が載っている。QUADが最初に開発したコーナーリボンというスピーカーと構成が似ており、30Hz〜15kHzまでの再生レンジを誇った。1948年当時の価格で£395とあり、レッグ氏が最高の再生機器の開発を指示したといわれるのは、おそらくこの機種であったと思われる。EMI最初のテープ録音機 BTR1を導入した際に、プレイバックモニターとして使用されている様子も残っている。この3000型はEMIの技術力を誇示するために、コスト度外視で設計されたせいか、非常に台数が少なかったと思われ、お披露目式の後は1948年にErnest Fisk卿により買い取られ、オーストラリアでレコードコンサートなどに使われた。最初のキャンベラでのコンサートは、シュナーベルとフィルハーモニア管によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番が再生されたと云われ、この時期の録音、リパッティやヌヴーなど1940年代に夭折した音楽家を好む人たちには、ひとつの方向性を示すことになるだろう。この3000型Electrogram De Luxeは1952年のSydney Morning Herald誌で中古販売の広告(£60)が出されたのを最後に、歴史上から姿を消しており幻の高級電蓄といえる。

左:幻の電蓄 HMV 3000型 Electrogram De Luxe(1946)
右:ピアノ録音でのプレイバックに使われた Electrogram De Luxeのスピーカー(1947頃)


QUAD コーナー・リボン・スピーカー(1951年)

 さらに不可解なのは、1950年代のEMIスタジオに置いてあった巨大モニタースピーカーで、15インチ×3本に楕円スピーカーも付いている変わった構成のものだ。Tannoyは1980年代にBuckinghamという巨大スピーカーを造っていたが、手前のRS70型ミキサーとHMV 2350型リボンマイクからして1950年代のものである。ただこのスタジオ2は、後のビートルズがそうであったように、新しい機材を持ち込んでは実験的なアレンジをする場所でもあったので、Hi-Fiの限界を試すようなことをしていたのかもしれない。

Abbey Road スタジオ2で使われていた謎の巨大モニタースピーカー(1950年代)

 以下にそれぞれの年代の写真を並べて比較すると、興味深いことが色々と判ってくる。おそらく新型テープ録音機のデモのために撮影されたものとみられる。1947年頃ならリパッティ、1953年頃だとデニス・ブレインの活躍していた時期にあたる。一番の不思議は1947年頃にピアノを弾いている人で、EMIのディスコグラフィをみてもなかなか見つからないので難儀していたところ、なんとEMIのエンジニアの一人だった。1953年頃にはフルスコアをめくって指示するチーフエンジニアもいるはで、大手のレコード会社だけあって、EMIにはそこそこ音楽の嗜みのある人材がエンジニアとして雇われていたとみた。
1947年頃 1953年頃
場所 Abbey Road Studio2 Abbey Road Studio2
全景
録音機 BTR1 BTR2
卓上マイク STC Type 4017 HMV 2350
ミキサー RS70 RS70改
モニター
スピーカー
Electrogram De Luxe
EMI楕円x2+リボンTW
特注品?
3x15"+EMI楕円+α
録音対象 ピアノ独奏 オーケストラ
バランス
エンジニア
謎の技師

 さらに1950年代後半になると、まだSP盤が主流だったポップス方面にもBTR1などモノラル時代のHi-Fi機材が流れてきて、後のLockwoodを彷彿させる謎のモニタースピーカーが登場する。EMIならタンノイと思いがちだが、1955年以降に英EMIは米キャピトルを完全子会社化しており、EMIは英国内でキャピトルブランドの家庭用ステレオ装置も売っていた(スタジオ2の階段脇にもぶら下がっている)ので、謎のスピーカーはEMI仕様のAltec 614タイプ箱かもしれない。別のアメリカ製機材では、下の中央の写真でのリミッターRS114はキャピトル・レコードのスタジオで使用されていたフェアチャイルド社リミッターの改造品で1957年から実装された。ちなみに卓上マイクはReslo RV型リボンマイク、録音マイクはノイマンU47とColes 4038型リボンマイクが2本ずつ一緒に映ってる。一方のプレイバックモニターは1本のみで、当時はグレン・グールドもそうだったが、演奏の仕上がりの確認ならモノラルで十分だったし、結構大音量で等身大の音量で聴いていた。

1957〜59年頃と思わしきアビーロード スタジオ2の様子(既にAltecモニター導入か?)

キャピトル名義で売られたEMI製ステレオセットとHMV本店のオーディオコーナー

 EMIでのLorenz製ツイーターの使用は、Kelly製リボンツイーターのコストや保守の関係から妥協したのではないかと思われ、1949年のHMV Radiogram 1609(価格:£103)から搭載された。この時期になるとEMIはドイツ・エレクトローラからテープ録音技術を吸収し、自社にテープ録音機(英BTH社製)を置くようになっていた。カラヤンは戦中からマグネトフォンとノイマン製マイク、Eckmillerモニタースピーカーという組み合わせで、バイノーラル録音の実験に参加していたため、こうした技術に習熟していたし、レッグ氏も優れた録音技術に早くから注目していたと思われる。

 EMIの92390型楕円フルレンジスピーカーは、1960年代のステレオ用スピーカーとして有名だが、1940年代のスタジオ写真からみてもっと早い時期に開発されており、1937年の高級電蓄Autoradiogram 801でほぼ同様のユニット(この時点では励磁型)が搭載されていた。こうした高級電蓄はギニー金貨での価格表示であることから、貴族かそれに準ずる富裕層の持ち物という考えの強いことが判る。EMIがブルムライン博士を先頭に技術革新に邁進していた時期の所産であり興味深いが、それ以前にも1934年にMarconi社が高級電蓄Marconiphone 292で同様のユニットが搭載されていたため、本来はMarconi社が高級電蓄での使用を目的に開発されたユニットを、EMIがモニターに使用したというのが実際だろう。その後のHMVブランドの電蓄にはこのスピーカーがよく使われており、プロフェッショナルな現場でありながらホームユースのための技術開発という側面が強いことが判る。1944年にBBCがM004レポートでこの楕円スピーカーを単体で測定した結果では、4.5kHzにピークを持たせたワイドレンジ・スピーカーであったことが判る。そのときのBBCの評価は、EMIのユニットは高音にピークがあると一蹴しており、GEC製ユニットの2.5kHzにピークをもつ特性と峻別している。一方で、楕円スピーカーにリボンツイーターを付けた高級電蓄Electrogramには「暗い音」という評価なので、あるいはBBCの技術者がEMIを毛嫌いしていたことは想像に難くない。
 同じ時期のDeccaの高級電蓄Decolaは、最初はGoodmann社のフルレンジ+ダブルウーハー、1949年にはTANNOY社の12"同軸2way+ダブルウーハーになっている。おそらくこれらは、アメリカでのLP発売に合わせて製作されており、イギリスの家庭にはほとんど届かなかっただろうと思われる。


Abbey Roadスタジオの5chミキサー(1940年代?)
モニターに楕円スピーカー

HMV 801高級電蓄(1937年)
3台の楕円スピーカーを配した大型電蓄

EMIの楕円スピーカーの特性(単体:1944年、BBCレポートより)



 BBCの大きな功績は、クラシック音楽を良質なステレオ放送で送り続けたことで、ブルムライン方式のワンポイント・マイクによる録音は、ステレオシステムの定位感やサウンドステージの標準化に繋がった。後にブリティッシュ・ロックの優れたミキシングも、こうした文化的背景から生まれたといえよう。つまりイギリスでステレオ録音のノウハウが熟成するまでには、無料で聞ける国営放送の助力が必要だったといえる。ちなみにこのブルムライン方式は1930年代にEMIで開発されたもので、特許の関係も含め自由に使えるようになるまでの間が、BBCとEMIの蜜月であったと思われる。
 その意味では、BBCはEMIの良き継承者のように思われるが、最近になってBBC収録音源が解禁され、市場に出てくるようになって改めて判ったのは、EMIの録音とBBCのそれとは、暖色系では共通しているが、サウンドステージの造りが大きく異なる。BBCモニターとしてLS5/1がリリースされた1960年頃には、BBCはステレオ収録の方法も含め既製メーカーから離れて独自規格を歩み始めており、従来から高域は広く拡散されたほうが良いスピーカーという常識から離れて、チャンネルセパレーションを重視した設計へと移行している。今だから比較して言えるのは、BBCがやや残響が多いながら自然な音場をそのまま収録しているのに対し、EMIは1960年代のステレオ期にアメリカ市場を意識したせいか、マルチマイクによる人工的なバランスが目立つ。

BBC EMI

Coles 4038のステレオ・セッティング
ブルムライン方式で収録

カラヤン/フィルハーモニア管
ノイマン製マイクでマルチマイク収録

 1960年代を通じ、BBCがイギリスの家庭に素直なステレオを送り続けた結果、LPの音質も大人しいものに変化していった可能性も否定できない。1950年代のプレスと1970年代のそれとの違いは、カッティングマシーンの違いもさることながら、好ましいと思われるサウンドの変化も大きいように思う。

 ここまでくると、モノラル期、ステレオ期の両方において、EMIとBBCが異なるスタイルを持っていたことが判る。しかしながら、1970年代以降はこの平行線は解消されたのは言うまでもない。日本のオーディオが一般家庭に根付いたのは1970年代であるから、両者を結びつけることに大きな矛盾はないが、1930年代から1960年代にかけては明らかに結びつかない。EMIとBBCはつかの間の愛をゴシップ記事にされたに過ぎないのかもしれない。


Lockwood製のモニターを使ったアビーロード・スタジオ1 (1970年頃)


ポップス向けにAltec Lancingのモニターを使ったスタジオ2 (1960年代後半)



【蜜月やいずこ】

 ここで英EMIの足跡を辿ると、幾つかの難題がのしかかる。
1925年の電気録音から1952年のLP発売までに、少なくとも戦前で3つ、戦後で2つのジェネレーション・ギャップが存在し、そのどれもがステレオ期に曇り空のようなサウンドポリシーで一括りにされたという過去がある。
  • 1925〜35年の英HMV〜EMIは米WEの録音機材を使用していたが、米Victorとの音質の違いについて説明できる資料がなく、英国風サウンドの実態が判りづらい。
  • 1935年から1940年代に続くブルムライン博士らの録音方式の改革については、全容が判りづらく戦後の録音との溝を埋めることが難しい。
  • 戦後の英国製オーディオ機器の多彩なバリエーションから、本来のEMIのサウンドがどういうものなのかを推測することは難しい。DeccaとEMIの高級電蓄の比較でも同様である。
  • 1960年代初頭のイギリスの状況に倣い、戦前の78rpm盤と戦後のLPとのサウンド面での連続性をもたせることは到底難しい。
  • 1980年代までのモノラル期の復刻盤は、著しいノイズカットのため録音の鮮度が低く、かつ1960年代のコピーテープが繰り返し使用されたため、古い録音への悪いイメージが定着している。
  • Testamentなどのリマスター盤、初期LPの盤起こしなどと、従来の正規盤とに整合性をもたせることは新たな課題となる。(例えばマスタリング・スタジオではモニターにB&Wが使われているなど)
 こうした過去の遺産に対する扱いがぞんざいになったのは、一般的にはステレオ録音を市場で展開したためだと思われているが、EMIは既に1955年からステレオ・テープを量産するほどのパイオニア的な活動もしており、おそらくレッグ氏がEMIを去った1963年以降に顕著になったように思われる。この時代のイギリスは、戦後の復興が遅れて「英国病」ともいわれる慢性的な経済悪化を辿っており、英国民の78rpm盤への執着もそうした経済力の低迷が産み出したともいえる。レッグ氏の不満は、かつてのような大盤振る舞いをできなくした経営陣との確執だろうし、彼の考えるレコードのもつ歴史観との乖離ともいえる。この時点でレコードのもつ有り難さも減り、実際に重量も減ったのだから、やはり悪いときには悪いことが重なるものである。
 こうした問題から何が生まれるかというと、世界一のレコード会社として多彩なアーチストを擁しているにも関わらず、演奏のもつ本来のサウンドが、何か太いクレヨンで塗り潰されているような印象が拭えないのである。ヴィクトリア朝の画家ターナーのような画風といえばいいのだろうか。もちろんこれはDeccaにもあって、本物より美しく響くウィーンフィルなどはその代表例であるし、どの録音もスタインウェイみたいに聞こえるというのは暗黙の了解であろう。こちらはフランスの新古典派画家ダビッドのような感じ。逆にコルトーが録音で使ったピアノのほとんどがスタインウェイであるにも関わらず、プレイエルのように聞こえるというのがEMI。やはりこの課題を乗り越えるサムシングエルスが必要なのだ。しかし両社の高級電蓄は、スピーカーユニットさえ共通していることもしばしばあり、ここからサウンドの違いを説明することは難しい。



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Joseph Mallord William Turner(1775 -1851)


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Jacques-Louis David(1748 -1825)






HMV 1609型Radiogram (1949年)
1946年のElectrogramではKelly製リボンツイーターを使用






Decca Decola (1946年)
ステレオ版ではEMIの楕円フルレンジを使用

EMI No.16ピックアップの特性(1948年)
高域上がりでフィルターが必須

初代ピックアップのゲンコツの特性(1947年)
10kHzまでスムーズに伸びている

EMI Electrogramのスピーカー部(1947年)
高域はなだらかに下降

TANNOY Black 12"(1947年)
おおむねフラットな特性




 今回、英EMIについてアレコレ書く切っ掛けになったのは、アメリカン・サウンドの一翼を担うエレボイで聴いたEMIの録音がことのほか綺麗だった、という単純な理由だった。何と言うか一目惚れなのである。目の詰んだオーク材を奢ってビロードのような光沢に包まれた椅子に座らされたようなリッチな気分。こうした雰囲気は他のレーベルでは味わえないし、この音を中心にトーンを調整しておくと、他のほとんどのソースが落ち着いた感じになる。さすが戦前からスタンダードとして君臨してきたことだけはある。


 個人的な感想だが、モノラル期の英EMIの再生については、アメリカ製品での再生というのもひとつの良識だと思う。というのは、@1950年代の英国製のビンテージ機器で良質なものが少なく、交換部品数も残数がなく修理が困難なこと。Aアビーロードにモニターとして導入されたTANNOYにしても、Deccaのように民生用をそのままスタジオに導入したのとは事情が異なるし、両者のサウンドの違いを説明しがたい。B最終的には戦後のEMIの最も大きなお得意様はアメリカ市場であり、アメリカのオーディオ機器にキャッチアップするように技術改良を重ねていること、などが挙げられよう。
 もちろんジョンブルの心意気がヤンキーに理解できるのか? そういう疑問は常々あった。しかし本心は理解できなくとも、穏やかにコミュニケーションくらいはできるだろう。その結果がこれである。




上:Parmeko、下:Baronet(SP8B)


 まず私が現在使っているエレボイのSP8Bは、サブコーン付のメカニカル2wayで、英国であればリチャードアレンのニューゴールデン8に似た音調であり、ともかく暗く響きがちなEMIの音を艶やかに蘇らせてくれる。かといってLowtherほどキレやすい奴でもない。Deccaを鳴らしてもなんとか踏ん張ってくれる。アンプはEL84を使用しており、高域の繊細なヨーロピアンのテイストが少し加わる。BBCのParmekoと比べると、エレボイの暴れん坊の音は辛口が好みのBBC風であることも判る。これもイギリスのオーディオ機器にみられるアンチEMIの発想を展開していくと、なんとなく合点が行くのだ。


  
1952年のシカゴ・オーディオ・フェアで展覧されたBaronet試作機
EMI製ポータブルレコーダーとWilliamsonアンプでデモされた
  
 ちなみに1952年のシカゴ・オーディオフェアで、EMIが開発したてのL2型ポータブル・テープレコーダー(電池駆動型)を紹介する際、10W出力のWilliamsonアンプ(NBC楽団員のDavid Sarser氏がトスカニーニに寄贈したMusician's Amp.と同じ807PP)と、エレボイの8インチフルレンジを搭載したBaronetがデモで協演した。ちょうどEMIがLPの発売と同時にReel to Reelのミュージックテープ販売を始めた時期であり、Baronetのカタログにある理想的なオーディオ環境の一端を示すものでもあった。
 EMIにしてももっと適当なイギリスのスピーカーメーカーもあっただろうが、同じ会場の英国オーディオ機器の輸入商社は、@TANNOY製スピーカー+QUAD製アンプ+米Weathers製ピックアップ、AGarrard製オートチェンジャー+LEAK製アンプ+Wharfedale製スピーカー、等々の組み合わせを展示していたとうことなので、現在知られる黄金の組み合わせが当時からあったことも判る。しかしエレボイのブースは、単なる購買者向けのHi-Fi技術の陳列ではなく、WQXR局のステレオ放送(AM、FM波の同時放送)のスピーカー試聴デモと共に、近未来技術としてEMIのミュージックテープ販売の紹介をしていたことになる。この後EMIは1955年にステレオテープの販売に踏み切ることになるので、多くの米オーディオ誌が注目したこのオーディオ・フェアが、大手レコード会社が取るべき道に手応えを与えた可能性も否定できない。




 EMIの録音の中核は、やはりLP発売の1952からステレオ収録の始まる1955年頃に集中するが、リマスター盤が乱立するフルヴェンのことはさておいて、辺境のレパートリーにこそ味わい深いものがある。ともかく大きな本棚の定番ブリタニカ百科事典を定期的に発行するお国柄、これでもかとあらゆる楽曲が湧き出てきて、これがEMIのもつ奥深いところなのだ。戦前の電気録音では、ボタンマイクのHMV時代、1931年からのEMI(WE47型マイク使用)ではやはり音は異なり、1935年から自社製HB1B型マイクが使われサウンドがさらに変わる。この戦前の3期を一緒に論じると、EMIサウンドへのアプローチは混迷に陥る。

ディーリアス作品集/Geoffey Toye指揮LSO他
1928−29,ロンドン(DUTTON CDAX8006)

作品も作品なので、典型的な霞掛かったHMVサウンドが聴ける。しかしこの上品な質感はなんだろうか。ブリッグ・フェアの冒頭のフルートから朝靄の田舎道を散歩しているような静けさに支配される。ディーリアスの愛弟子による地味だが揺るぎない思いに貫かれた演奏で、キングズウェイ・ホールのやさしい響きに包まれながら安心してディーリアスの世界に浸れる。
ティボー HMV録音集
1929−36,パリ〜ロンドン(APR 7028)

ラテン系の小品を中心に集めたもので、リズムの切れと歌い回しの妙が楽しめる。復刻が優れており鮮烈かつガット弦の質感を存分に聴ける一方で、その分だけ仏パテ時代の幽玄さが減じた感じ。1933年のロンドン・セッションからWE47型マイクに変わり、ホールトーンも加わりピアノの粒だちが良くなるが、ヴァイオリンの音色の軍配は旧式のほうが質感が良い。多分、旧来のボタンマイクの使いこなしと距離を幾分近めにしている点の違いだろう。さらに1936年セッションはEMIのHB1B型マイクが使用され、乾いたギスギスした感じになっている。放送録音である1941年ライブのスペイン交響曲は、素晴らしく情熱的な演奏で、この時期のティボーの総決算のような演奏ぶり。
シベリス 交響曲2番他/カヤヌス指揮LSO
1930−32,ロンドン(KOCH 3-7131-2 H1)

1930年のものは、当時のフィンランド政府が15,000マルクの資金をつぎ込んで英Columbiaに録音させた世界初のシベリス作品集。カヤヌス自身はライプチヒでハンス・リヒターに学んだ人で、シベリス作品を古典的な棒さばきで引っ張っている。あえて言えば英Columbiaの音はHMVとは異なり、アメリカ流にダイレクトな音を収録するもので、後になってEMIに合併されたため誤解されている面がある。1933年はレッグ方式で設立された”シベリウス協会盤”であり、WE47型マイクを使った効果が良く現れて、キリッとした面持ちのサウンドに変わっている。
コメディアン・ハーモニスツ
1930−37,パリ〜ベルリン(EPM 983782)

ドイツの人気ボーカルグループだが、仏グラモフォンへ珍しくフランス語で吹き込んだもの。仏パテの名残を感じさせる柔らかい音で、戦後の仏EMIの高域寄りの音調とは全く趣きが異なる。一般的にこの時代の録音では、男声コーラスはもっさりした響きになりやすいのだが、無難にまとめた復刻だと思う。独エレクトローラのものは盤質が悪いのか、一昔前の録音に聞こえる。
Biguine, Vol. 1-Biguine, Valse et Mazurka Creoles
1929-1940,パリ(Fremeaux & Assosies FA007)

ほとんどがOdeonレーベルの収録で、上のコメディアン・ハーモニスツより色艶がとても良く、在りし日のパリでのビギン・ブームが偲ばれる。世界恐慌の後の右翼勢力の台頭による政治的混乱に続き、1940年からのナチスドイツ占領により、パリのレビューを彩っていた移民色は一気に減退した。さらに戦後になると植民地の独立運動とともに移民社会への視線は冷たくなる一方で、シャンソン一色に染まったのだ(映画「シェルブールの雨傘」を観ると歴然としている)。下のピアソラのタンゴとの比較で良く判るが、クラシックほど録音年代の差は感じられず、何よりも移民クレオールたちが奏でる音楽の勢いがよい。色彩感の強い木管、シンプルでキレのいいパーカッション、おだやかな金管など、混血文化の粋が一気に見渡せる。どこからか音楽が聞こえ、次第に踊りの輪に加わっているかのような感覚にとらわれる。この押し付けがましさのなさは、ジャンゴ・ラインハルトにも通じる、ヨーロッピアン・ジャズの系譜に当てはまる。
バッハ マタイ受難曲/ラミン指揮 聖トマス教会聖歌隊 ライプチヒ・ゲバントハウス管
1941,ライプチヒ(CARIG CAL50859/60)

戦前の独エレクトローラの録音では、ほぼ最後にあたる録音。メンデルスゾーン時代からの慣習でコンサート作品として伝承されたこの曲を、この時代には珍しくボーイソプラノを含む聖歌隊(ラミン自身がカントールを務めていた)を起用するなど、この時代なりのバッハ復興の考え方が判る。ドイツ国内に名だたる歌手の少なくなっているなかで、福音史家にカール・エルプ、イエス役にゲルハルト・ヒュッシュを充てるなど万全の配役で挑んだもので、至って正統派の演奏である。カール・エルプはメンゲルベルク盤でも福音史家を務めているが、こちらではカッチリと決めている。録音は同時代のテレフンケンと比べると、外資系レーベルゆえかノイマン製マイクやマグネトフォンが使われず、EMI製のHB1型マイクが使われたこと、独唱者5人がひとつのマイクを囲う形で遠目に収録しているので、旧ゲヴァントハウスの残響を多めに拾っていることなど、色々と興味深い。
アストル・ピアソラ/ブエノスアイレスな夜
1945−56,ブエノスアイレス(東芝EMI TOCP-50668)

OdeonレーベルのSP盤復刻で、ピアソラが自分のオルケストラを結成した初期の演奏を収めている。いわゆる伝統的なタンゴ楽団のスタイルから、次第に自分のスタイルを模索していく時期にあたるもので、舞踏曲としての形式はまだかなり残している。録音は中域のたっぷりしたEMIサウンドで、おそらくこの時期の録音で最良の状態を保っている。
コルトー 戦後録音集
1947−54,ロンドン(EMI 0946 351857 2 0)

ショパン、シューマン、ドビュッシーなど昔から得意にしていた作品を録音したもの。ほとんどはLP以前の1940年代末の録音だが、奇跡に近い復刻状態で、19世紀のサロンに迷い込んだかのような堂々とした弾きっぷりに脱帽。この当時、ロシア系やリスト系の技巧的なピアニストがほとんどを占めるなかで、コルトーの演奏は弱めの打鍵でサラッと弾く奏法であり、この状態で録音として残っていたのが不思議な感じである。ちょうどコルトーは戦時中のナチスとの関係で演奏活動が途絶えていた時期で、世評でいう技巧の衰えがどうのという以上に、ピアノを弾く喜びに満ちた表情が印象的である。
セゴビア 1949年録音集
1949,ロンドン(Testament SBT1043)

セゴビアが戦後EMIに録音した小品集で、後の米Deccal時代の録音に比べ、技巧が安定しており、立派なポートレートになっている。おそらくEMIがスタジオにテープ録音機を置いたことによる招待だったのだろう。しかしこの頃のEMIの量販はSP盤であり、一部に復刻音源が含まれている。録音は、ナイロン弦を使い出した頃のセゴビアの丹念な表情付けを良く捉えており、EMI特有の濃い中域の音が肉汁のようにジュワっと染み出すようだ。最後に収録されたカステヌオーヴォ・テデスコのギター協奏曲では、木管の美しい響きが華を添えてとても楽しめる。
フルトヴェングラー/グレートEMIレコーディングス
1948−54,ウィーン他(EMI 9 07878 2)

21枚組のBOXセットは、ほとんどがSACDで発売されたリマスター音源と同一なので、カタログ的なニュアンスで聴くとしても、かなりお徳用と思える。注目したいのは、1949〜54年に行われたムジークフェラインでのセッション録音で、この時代のウィーン・フィルの上質な響きが記録されている。ORFの録音と比べても残響音を多く含んだユニークな音で、有名な「英雄」交響曲はともかく、「田園」「ハンガリー舞曲」「ティル」「驚愕」など、フルトヴェングラーとしてはイマイチな演奏のほうが、ウィーン情緒の色合いが濃くなるのも面白い。個人的にはベルリン・フィルとのライブのほうが、フルヴェンらしく自由闊達な感じで好きだが、ウィーン・フィルのポートレートと考えれば、意外に素直に受け入れられる。
モーツァルト ホルン協奏曲/ブレイン カラヤン指揮 フィルハーモニア管
1953,ロンドン(EMI 9 65936 2)

この時期のEMIの管弦楽録音を代表するようなエレガントな音で、ブレインの天衣無縫なホルンといい、キングズウェイ・ホールの木質の響きが巧くブレンドされて美しいことこのうえない。
レハール 喜歌劇メリーウィドウ/シュヴァルツコップ クンツ アッカーマン指揮 フィルハーモニア管
1953,ロンドン(東芝EMI CE30-5562)

モノラル録音でのオペラは、ともすると面白みに欠けるものだが、この録音は劇場の再現というよりは、一種のラジオドラマのように仕立てた点で好感の持てるもの。シュヴァルツコップが夫君のレッグをそそのかして作らせたのではないか、と思えるほど、通好みの面白い配役である。指揮者、歌手共にドイツでオペレッタ経験の豊富な人を集めて見事なアンサンブルを展開しているなかで、そこにロシア系のニコライ・ゲッダを伊達男に起用するなど、遊び心も忘れない心憎さ。録音後の打ち上げまで想像したくなる楽しさに満ちている。
カラス コロラトゥーラ・オペラ・アリア集
1954,ロンドン(東芝EMI TOCE-55472)

並み居るカラスのEMI録音のうち何を選ぼうかと悩むのだが、個人的にはガラ・コンサート的なものが、純粋に歌唱を楽しむ意味で好きだ。それもやや大味な本場イタリアの歌劇場での収録よりは、フィルハーモニアのように小粒でも伴奏オケに徹したほうが聞きやすい。ここでは戦前の録音を良く知るレッグ氏の良識がうまく機能した感じだ。本盤の収録曲は、リリコとコロラトゥーラのアリアを、カラスのドラマティックな個性で貫いた非常に燃焼度の高いもの。これが全曲盤の中だと役どころのバランスを失いひとり浮いてしまうところだが、単独のアリアなので全力投球しても問題ない。老練なセラフィンのオケ判が華を添える。
サン=サーンス ピアノ協奏曲全集/ダルレ
1955−57,パリ(仏EMI 5 69470 2)

戦前から近代フランス音楽を得意とする女流ピアニストのジャンヌ=マリー・ダルレをソリストに迎えた録音。サン=サーンスのピアノ協奏曲は、同時代のリストやルビンシュタインらと互角に渡り合ったビルトゥオーゾの典型でありながら、フランス音楽の範疇に入れられるため、当のフランス人ピアニストがあまり見あたらないという不幸な関係にある。ダルレは晩年のサン=サーンスにも直接教えを受けるなどの縁もあり、1926年には既に全曲演奏会を行ったというから、この時期に収録したのは機が熟したというべきか。伴奏を務めるルイ・フレスティエもあまり知名度は無いが、ギルマン、デュカス、ダンディに作曲を学ぶなど、各曲のシンフォニックな性格を知り尽くした知的なサポートで好演。フランスEMIの明るく澄んだ音調とダルレの均整の取れたタッチとが巧くバランスした良い録音である。
モンポウ作品集/Gonzalo Soriano、Carmen Bravo
1958,バルセロナ(EMI CDM 7 64470 2)

スペインのイスパヴォックスによる、この頃まだマイナーだったモンポウだけのアルバムという意味で珍しい録音。後半を演奏するCarmen Bravoはモンポウの30才年下の奥さんで、録音の5年前に結婚したばかり。この頃のスペイン音楽というと、ファリャやロドリーゴ、あるいはグラナドスという色彩感の強い作品が好まれたが、この録音はスペイン人が本来もっている静謐で内向的な面を象徴するもので、家庭のなかで静かに見つめ合う夫婦の団欒を、柔らかな響きが日だまりのように包み込んでいる。なんとなく幸せにしてくれるアルバムである。
ラヴェル ピアノ曲全集/ペルルミュテール
1955,パリ(Vox CDX2 5507)

おそらく仏Patheのスタジオで録音したと思われるもののひとつ。明確なことは、ペルルミュテールは1956年のモーツァルト生誕200年祭に合わせて、Patheがギーゼキングと被るためと二の足を踏んでいたところでVoxが録音企画を持ち出し、モーツァルトのピアノ・ソナタ全集をパリのパテ・スタジオで録音している。この関係からすると、既に現地でのコネクションは十分に成立していると思われる。ペルルミュテールはラヴェルに直接師事した数少ないピアニストで、ポーランド系でありながらフランスのテイストも加味した安定した奏法が聴ける。
ジョージ・マーチン初期録音集(1951-62)

ビートルズのプロデューサーとして有名な人だが、スタンダードからコミックソングまで器用にこなす才人でもあった。おそらくビートルズを充てられたのも、日本の外盤営業部の人がデビュー盤を聴いて「宇宙人」と評したのと同じ感想だったのかもしれない。後の放送録音でも判るが、ともかくあることないこと4人でペチャクチャ話し出す状況は、今でいうタレントの鏡のようなものだが、当時としては声が被るという意味で完全にマナー違反。それが音楽性にも現れると予想した時点で「マーチン氏なら」と白羽の矢が立てられたのかもしれない。何はともあれ、肉汁たっぷりのEMIサウンドを堪能できる1枚となっている。



【嗚呼!無冠のデッカffrr】

 モノラル録音を扱う際に必ず話題になるもの。それはLP創生期の規格の乱立状態である。もともとHi-Fi技術は純粋に音楽のために研究されたのではなく、軍事産業的な側面が強いもので、ほとんどはドイツの潜水艦Uボートを警戒するためのソナー音の試聴のために開発された。このため、各国の協力メーカーが軍事機密のヴェールのもとに独自規格に走ったと思われる。そして戦後にHi-Fiが急激に広がったのは、軍需産業の平和利用ということになる。同じことは戦後のアルミニウムの流通やベニヤ板の普及にもいえる。
 という前口上は置いといて、その規格乱立を象徴するのが英DECCA社のffrr(Full Frequency Range Recordingsの略称)である。SP盤時代の1945年にいち早くffrrの規格を打ち出したデッカ社は、周波数特性80〜15,000Hz、S/N比60dBというのが売りで、その後に他社がHi-Fi規格を打ち出すとロゴに"True High Fidelity"と銘打つなど、相当の自信をもっていた。そのサウンドも華やいだもので、ウィーン・フィルを録音したときの他社との音の違いについても議論が尽きない。デッカ社のこだわりは、ステレオ初期の縦横振動盤(V-L方式)にも現れ、専用のカートリッジまで製造販売したが、その後に45-45方式に統一された後もマトリックス方式で合成して製造し続けた。こうしたデッカによる挑戦は、ジョン・カルショウによる「ニーベルンゲンの指輪」の録音によって決定的となり、以後デッカの栄冠は続くのである。しかしそれ以前はどうであったか? 実は様々な先進的な活動は、そのほとんどがボツ規格になっているのである。ffrrのイコライザー・カーブ、V-L方式、リボンツイーター…それらの意味するところは、パーツだけ寄せ集めてみても現在となってはほとんど理解不能である。

 ここでよく問題にされるffrrの周波数特性であるが、以下のようなことが言われてきた。1960年頃のレコードに記された断り書きでは、ffrrとRIAAの周波数特性の違いをもとに、試聴上フラットになるように調整してくれとの注意喚起がなされていた。多分、古いffrr規格のレコードを購入した人のクレームを回避する方便のようにもみえる。

参照元:http://www7a.biglobe.ne.jp/~yosh/oldeq.htm

 これは裏を返せば、デッカ社が売っていたレコードはあらゆるユーザーに対してであって、必ずしも自社製品でしか聞けないような類のものではなかった。つまりデッカ社は、英HMVや米RCAのような巨大企業ではなかったし、ffrr規格のレコードが販売されたのは、SP盤で1946〜50年の5年、LP盤で1951〜58年の8年に過ぎない。しかもAssociation for Recorded Sound Collections (ARSC、1966年設立)のジャーナルVol.20(1988年)によると、デッカ・カーブはLP以降も3〜4回は変更がなされたという。これらのことを勘定すると、ffrrは独自規格によるユーザーの囲い込みというよりは、デッカの目指すサウンドそのものという感じもする。というのも、ffrrレコードが売り出された時期に、これらの違いを高忠実に再現できたシステムは、特殊な業務用を除いて皆無に近く、例えばイコライザー・カーブとは無縁のクリスタル・ピックアップが一般的だった時代にあって、カーブの切り分けはマニア中のマニアの話題であった。普通なら「○×社のレコードは高音が綺麗」という程度のもので、それよりも自宅のオーディオ・システムの音質のほうが相当あやしかったとみるべきだろう。

 私が青年時代(1980年代)に聴いたキングレコード盤は、当の昔にRIAAになっているにも関わらず、ワルター指揮の「大地の歌」、C.クレメンス指揮の「シュトラウス・ファミリー・コンサート」などは、独特の高域に癖のある感じだった(今思えば、プレス時にffrrカーブを意識しすぎたのではないかと思う)。さらに話をややこしくしているのが、近年になって英デッカ社が盛んに取り上げ始めたデジタル・リマスターの存在である。特に日本では、半世紀を通じてキングレコードから配給されたロンドン・レーベルの暖色系の音と比べ、サウンド志向が180度転換したというか、本家デッカの鋭い音調に変わっている。これはLP愛好家からみても違和感が強いらしく、私のようなCDしか持ち合わせない一般愛好家からすれば、青年時代のトラウマが更に増し加えられた感じであり、この時期のデッカ音源の購入を控えていたというのが本音である。このことにいつかは決着を付けたい…そう頭の片隅で思いながらも、生理的に受け付けない何かがあった。多分、デッカ・サウンドに対する憧れと、自分のシステムの不整合が大きかったからだと思っている。「大地の歌」は内容が不条理であるばかりか、そのサウンドの不整合ゆえに、青春時代のトラウマとして心の奥深くに刻まれているのである。

 この時代のLP収集家には王道パターンがあって、プレーヤー:ガラード社、トーンアーム:SME社、カートリッジ:デッカ社(またはオルトフォン社)、アンプ:クォード社、スピーカー:タンノイ社というもので、五味康祐氏の著書と共に今も記憶に残されている。
 ffrrを考え直すために、1947年に発売された統合型コンソール・システムDecolaを観てみよう。ラジオとレコードが一緒になったいわゆる高級電蓄の一種で、デッカ社が色んなメーカーから部品を調達してアッセンブリーした。1947年からのデッカの高級モノラル電蓄には3種あり、通常モノラル・デコラと称されるものは中央フルレンジ1台+両脇ウーハー2台のもの、それと最高級のDecola Knightsbridgeと称した6スピーカーのものと、これらより小型で8インチ・フルレンジ3台のBeau Deccaとなる。

Decca Decola(1947〜58年)

モノラル版Decola(£220)

最高級Decola Knightsbridge(£530)

中級機Beau Decca
プレーヤー:ガラード社RC65(後にLP用のRC75に変更)


カートリッジ:デッカ社 XMS(SP時代のffrr用ピックアップ) 1951年からはMK-Iに変わったが、素直な特性の汎用品である。


アンプ:PX25プッシュプル(L63×6、PX25X2、5U4G×2) 出力5Wで当時の電蓄なら必ずあるトーン・コントロールが付属。


スピーカー:中央のフルレンジは初期にグッドマンズ社のを搭載していたが、後にTANNOY社同軸型12インチに変わった。両脇のグッドマンズ社12インチ・ウーハー2台はそのままである。キャビネットの下袖はレコード棚になっており、スピーカー箱は小さい。限りなく後面解放形に近いもので、埃避けに布でくるんである。

こちらは最高級機種のKnightsbridgeの背面。スピーカー3台×2列の豪華版。レコード棚は両脇に増えている。

 いずれの機種も初期のスピーカーは、ツイーターはなしのフルレンジのみである。有名なAxiom80はまだ販売される以前で、30〜15,000Hzのフラットな特性を示している。これはイギリスでのHi-Fiの発展において特徴的なことで、アメリカでは音響心理学を応用したラウドネス効果の付いた(中高域を持ち上げた)スピーカーが好まれたのに対し、特に癖のない音が基準となっていた。これはフラットネスへの信仰ともいえるものだが、通常の家庭で鳴らす音量では奥に引っ込んだ音になることは必須で、高音が比較的おとなしい感じになる。1949年からタンノイ社の12インチ“モニター・シルバー”が採用されたが、その後のユニットに比べほの暗い音調であると言われる。Decolaはオートグラフはおろか他のTANNOY社の箱と比べものにならないほど容積が小さく、アッセンブリーでは両脇に12インチのウーハー2本を並べて、高域とのバランスは低音:高音=3:1とかなり絞られていた。1959年にステレオ化されたDecolaでは、EMIがステレオ録音の店頭デモ用に開発した楕円形フルレンジスピーカーに、6個のコーン・ツイーターを分散配置したものになった。いずれにしても、アメリカのHi-Fiシーンとは正反対のフラット志向であり、ffrrはイギリスの家庭によくあるおとなしい音調を意識して構築されたように思える。
  
 ところで、Goodmans社のAxiette 101は、一時期BBCの汎用音声モニター(LS1/1)として使われていた。この特性図をみて思い出すのは、何を隠そう日本のBTS規格である。フラット試行で押さえ気味の高音、80〜15,000Hzというffrrの規格にもスッポリ当てはまる。PE-16Mを実測してみたところ、素の正面特性は1〜4kHzに山をもつ辛めの音であるのに対し、私の好みの試聴位置とイコライジングでは500Hzピークに緩やかにロールオフする特性だった。要するに、単に斜め45°だと中高域の張りが残るところを、高域を絞ることで、中域との繋がりを滑らかにした感じだ。


PE-16M(軸上)

PE-16M(斜め45°&高域絞り)

 パイオニアのフルレンジPE-16Mで聴くffrr時代のモノラル録音は、他レーベルの録音を遙かに抜き出ている。かといって、キング・レコードの配給のように飴色の木質系サウンドもあり、日本のレコード各社がデッカ・サウンドを目指したとも言い難い。それに当時のDeccaのリファレンスといえばTANNOYという思いも強い。そこが盲点だったのである。実はデッカffrrの大きな功績は、ローファイ仕様の電蓄を通じてさえHi-Fiを身近にした、という逆説的な理屈が成り立つのではないだろうか。このことを考えると、規格としては悲運続きだったffrrは「Hi-Fi初期の無冠の帝王」といえよう。




【超Hi-Fi狂想曲】

 高音質録音で知られるDecca社がffrrを喧伝する前、1930年代にイギリスのオーディオ界はある意味異常な発展を遂げる。それはアメリカでもHi-Fiラジオというのがあったり、ドイツでマグネトフォン録音を中心とした音響技術の更盛があったわけだが、これらは通信技術を担っていたほぼ1社の革新的な技術がもたらしたものだった。ところがイギリスのそれは、ベンチャー企業のような革新技術が竹の子のように生え出ているのが特徴でもある。ともかく戦前において100〜8,000Hzの壁をいきなり突き抜け、ステレオ録音が実行されるなど、20年先の技術がコンシュマー市場で隆起しているのである。

 Lowtherの前身であるPaul Voigtのスピーカーなどはその最たるもので、1933年に開発したユニットは、サブコーン、糸吊りダンパーなど先進的な機能を満載したフルレンジで、Domestic Corner Hornという広帯域ホーンに装着した。最初は特許事務所としてスタートしたVoigt氏のスピーカーは、明らかにハンドメイドの試作品で、まだマルチウェイの実験で10kHz再生が議論されていた時代に、12kHzまでの広帯域再生を実現していた(ランシングのIconicでさえ1937年である)。これに追いつく規格は1945年のDecca ffrrであり、まさにぶっちぎりの発想であった。

Paul Voigtの開発したDomestic Corner Hornとユニット(1934年)

 同じ時期にはテープ録音の創生期でもあり、既に1924年にドイツでテープ録音機を開発したKurt Stille博士はMarconi社と提携し、1932年にBBCに向けスチールテープ録音機を納品した。この当時のスペックは再生周波数100Hz〜6kHz、S/N比35dBというもので、32分の番組収録に25パウンド(約11kg)のリールを装着した。1937年には磁気ヘッドを改良し、帯域を8kHzと伸ばし当時のSP盤のレベルまで追いついたが、米Presto社が1934年にリリースしたアセテート録音機(周波数50Hz〜8kHz、S/N比50dB)に比べ、コスト、性能、ダビングの手軽さなど明らかに分が悪く、1941年に導入した後、20年以上もアセテート録音が使われることになる。ちなみに樹脂テープの開発元の独BASF社でAEG社のMagnetphonを使って最初にテープ収録したのは、1936年のドイツに演奏旅行中のビーチャム/LPOである。不況にあえぐドイツにおいて、当時のイギリスが市場のターゲットであったことは想像に難くないが、その後1938年にオランダ経由でPhilips-Miller製の樹脂テープ録音機が納品されるが、1939年からのドイツとの戦争で関係が途絶えてしまった。


先進技術としてデビューしたMarconi-Stille製のテープ録音機(1932年)


1937年に改良されたテープ録音機の特性
初代のスペック100〜6,000Hzはかなりカマボコ特性でスピーチ用

Presto社 'Model A' 28N:8N録音機×2台(1941年)
最初からダビング機能を備えたこちらが主流になった


 一方で、EMIの録音技師であるAlan Blumleinは1931年の特許を皮切りにバイノーラル録音を発表した。試作段階では光学フィルムに「話しながら左から右に歩く」というものだったが、ステレオ用のカッターヘッドを開発した1934年には、アビーロードスタジオでビーチャム/LPO(モーツァルトのジュピター交響曲)のテスト録音を決行している。このときのステレオ録音方式は双指向性マイクを45度で交差させる方式で、同じ時期のWE陣営が劇場用の3ch方式だったのに対し、家庭用に馴染みやすいシステムを考案したことになり、後の2chステレオ理論を決定付けることとなる。BlumleinはUL回路の開発者でもあり、1942年までの短い生涯の間に歴史に残る多くの発明をした。しかしEMIによるステレオ・レコードの販売は延期され、1950年代まで凍結されることとなる。ちなみにビーチャム卿は、1936年にLPOとのドイツ演奏旅行の際にBASF社(樹脂ベースの磁気テープの開発元)に立ち寄ってAEG社のマグネトフォンでのテスト録音に協力したり、1937年にロンドンのHMVショップが焼失した後の開幕式でスピーチを担当したりと、この時代の先進的なオーディオにかなりの興味を抱いていたようだ。

バイノーラル録音の実験中(背景の壁ににステレオスピーカー)


初期のバノーラル・カッターヘッド(1933年)

 こうした様々な先進技術が1930年代のイギリスのオーディオを席巻したものの、実用まではほど遠いものばかりであった。目の前の戦争の危機が、こうした未来志向を軍事技術へ転換を迫ったと思われる。



 再び世界がイギリスのオーディオに注目するのは戦後のことである。おもなトピックスを列記するだけでも以下のようなものがある。ちなみにEMIがLPを発売するのは1952年からで、それ以前は78rpm盤でのリリースとなり、多くのイギリス人は1960年代前半まで78rpm盤を愛聴していた。

1945年: Decca ffrr規格発表
LEAK  TL/12 "Point One"アンプ
1946年: EMI  Electrogram 3000 高級電蓄(モノラル)
1947年: TANNOY  Monitor 15" デュアル・コンセントリック型同軸2wayスピーカー
Willamson  Williamson回路アンプをWireless World誌で発表
BBC  LSU/10 モニターシステム
Decca  Decola 高級電蓄(モノラル)
1948年: VITAVOX  CN-191 スピーカーシステム
1950年: Decca LP発売開始
1952年: EMI LP発売開始
Goodmann  AXIOM 80 スピーカーユニット
1953年: Garrard  301 3スピード対応ターンテーブル
TANNOY  Autograph スピーカーシステム
QUAD  II型アンプ
1954年: Mullard  5-10 アンプ(EL84使用)
Lowther  TP1 スピーカーシステム
1955年: BBC FM放送開始
EMI ステレオ・テープを量販
1956年: GEC  KT88 真空管
Wharfedale  SFB/3 スピーカーシステム
1957年: QUAD  ESL 静電型フルレンジスピーカー
1958年: EMI ステレオLP発売
BBC ステレオ試験放送開始(AM2波)
KEF  LS5/1 モニターシステム
1959年: SME  3009/3012 トーンアーム
Decca  Decola 高級電蓄(ステレオ)

 これだけ個性派揃いのオーディオ機器が、ひとつの国で、しかも同年代に出揃うというのは、まずもって他に無いだろう。およそ流行というものを顧みず突っ走ってるだけで、これに加え家電製品としての電蓄が加わるのであるから、モノラル期の英EMIを囲む環境は混迷を深めるばかりで、一義的な答えなどない。これらのバリエーションは英EMIの奏でるサウンドに対する回答を、賛否両論を交えて展開しているように思われる。それでは客観的にこれだと言えるものがあるのか? 多分、当のイギリス人でさえ誰も思い付かなかったことだろう。



【誰がための高音質録音】

 既に述べたようにHMVやデッカの高音質なモノラル録音は、すべからずローファイな電蓄でも判るものであり、それがアメリカンとニッポンの放送規格を背負ったエレボイとパイオニアのノーブルな音質のフルレンジであれば、十二分にその良さが伝わるものであった。それゆえ、LP盤の音質の良否を幅広く判断され、演奏そのものの評価にもつながっているのだ。逆に現在の高音質録音は、むしろハイエンド機器での試聴で峻別するような評論が目立つようになってきた。そのときモノラル録音もまた振り落とされる対象となっているとみていいだろう。
 さてモノラル期のEMIとDeccaを聴くにあたりフルレンジを紹介したのち、実にこまったことに、これらの秀麗なフルレンジは現在普通のルートでは手に入らないというトラウマが待ち構えている。つまり昔は日用品として誰でも簡単に手に入ったものが、今では希少品、嗜好品とされているのだ。これには本当に困ったもので、私自身もフルレンジで音響特性を理解する修行時代を経て、現在のオーディオ趣味を楽しんでいるので、気軽にスピーカーで拡声するオーディオ・セットを購入しようなんて誘えなくなってきた。
 これはアナログ盤ブームの裏でおきている卓上プレーヤーにも言えて、EQアンプ内蔵、USB出力、Bluetooth対応なんて最新技術が盛り沢山な割には、プレーヤー上面に3cm程度のステレオ・スピーカーが内臓されているだけ。これでは昔の小学生のおもちゃだった「パンダ・プレーヤー」と同じではないか! と天を仰ぐのは、昭和のオーディオマニアの悪い癖である。それも承知のうえで、同じフルレンジなら少しお金をかけるだけで…というコメントが難しくなっているのだ。
 なにせ多くの人は、ヘッドホンがあるし、そっちのほうが音も良い、と言うに決まっている。その裏の裏まで見透かされているようで、ハンカチを噛みながら泣くしかないのだ。では何に涙するのかというと、デッカffrr時代の録音がキーキーうるさくて脳内に張り付いたようにように聞こえるのは、まことに不本意だといえよう。モノラル録音はアナログの基本であるルーム・アコースティックを無視して聴くことは叶わないのである。
 とくに21世紀に入り、再販CDの価格が500円/枚以下の爆買い対象の超インフレ時代にあって、圧倒的に高価なオーディオ機器の音のほうが正しいに決まっていると思い込んでいる人が多い。その一方では、モノラル録音のクラシックCDのレビューには、必ず「モノラルなので残念」「録音は古いが演奏はいい」などの取説が書き込んであり、中には「古い録音で音質のことを言うのは失礼」という弁護まである。驚くことに、批判的であれ好意的であれ、ほとんどの人がモノラル録音を何らか我慢して聴いている実態が浮かび上がるのだ。

 こうしたオーディオ環境の基軸が大きく変わったのは、1980年代にCDが登場して以降だが、実はそれ以前からffrr時代のデッカの録音はオーディオ的には鳴らしにくい印象が強かった。いやむしろ下馬評の高音質録音に対し、上手く鳴らない自分のオーディオ装置への失望感のほうが強かったように思う。これはロンドン・ステレオの誰でも鳴らしやすい名盤に比べての落差もあり、誰もが録音方式への疑念=ffrrだからしょうがない、という思いに駆られることだろう。しかもffrrだった時期は1949〜55年くらいの数年間であり、55年頃からはオペラなどでステレオでの録音を早々に開始しているのである。性格的にはステレオ期ffssが巨乳で愛想の良いグラマー美人だとすると、モノラル期ffrrは痩せぎすのツンデレちゃんである。少しでも機嫌を損ねるとキーキーわめく、ちょっと顔がいいからと鼻に掛けた面相臭い性格このうえないのだ。しかしデレたときの甘い言葉に誘われてホイホイ付いていってしまうのが本音だろう。ならば、デレぬならデレさせてみせようffrr、と秀吉流でいくのが正論である。

 しかし、ffrr時代の再生の難しさは、ご当地のイギリス製オーディオ製品のほとんどについても言えて、いわゆるヨーロピアン・サウンドという呼び方が定着した1970年代の寸評が独り歩きしている。1960年代に異端児として既に問題となっていたものが、1970年代には黒歴史として描かれるようになったいえば言い過ぎだろうか。例えばロジャーズやKEFのBBCモニターでさえも、ffrr時代のデッカの録音は相性が悪いといえよう。理由は高域のアクセントの喰い違いで、1970年代のBBCモニターはパルス成分を鋭く発する先行音効果によって定位感を明瞭に出すことを最初に設計に取り入れた機種であり、さらにBBC自身がこだわった男性アナウンサーの声を明瞭に出すため800〜2,000Hzにウーハーの共振を持たせる点で、これらの特徴あるトーンキャラクターはEMIとは良くても、デッカffrrのキャラクターと被ってしまって浅はかな音調になってしまう。タンノイでもモニターゴールド以降は高域の力が強くていただけない。かといって1960年代のモニターレッドなど見付けようにも高価すぎて手も出ない。アナログ時代のスピーカー選びだけでもこれだけ苦労するのだ。これをCDで聴こうとなると、もはや勘定すべき課題は遥か奈落の底に沈んでいると言っても過言ではない。

BBCで1969年に行われたミニホール音響実験BBC Ls3/9aのインパルス応答特性(ツイーターの反応が鋭敏)


タンノイ IIILz:ゴールド時代は高域が力強い

 ちなみにデジタル録音に最適化された現代のスピーカーは、定位感を出すためパルス音を強調して先行音効果を狙うように設計されている。先行音効果とは、人間の認知機能としてパルス波の速く到達した方向により敏感に反応する性質がある。人間の両耳の距離は精々30cmにも満たないが、たった0.9msの差を12dB以上明瞭に聞き分ける。このため現在のツイーターは先行音効果にグラデーションを付けるため、0.1ms以下の繊細なパルス信号を画き分けるように設計されているのだ。一方でウーハーのほうは重低音を伸ばすために重たい振動板で作られているため、ツイーターよりも音の立ち上がりがずっと遅く、ツイーターだけがチッチッチッとリズムを先行して打つことになる。このためツイーターは中音以下の動きとは全く別に鋭いパルス波を出すようにできており、タイムコヒレンス特性はクロスオーバー・ネットワーク回路の関係もあり、ユニット間でかなり捩じれた位相をもっている。

左:A-Bステレオ・マイクアレンジ
右:スピーカー位置の角度とパルス波の到達時間差による音量差の指標


代表的な英国製モニタースピーカーのステップ応答(左:小型2way、右:大型3way)
(各クロスオーバーで位相にねじれ→大口径ウーハーは200Hz以下が大幅に遅れて強調)


 このようにステレオでの試聴は、楽音が出る遥か先に、音場感や定位感のほうに耳が先にいってしまい、楽曲の印象も結構左右されていることに気付く。そして人工的な音場感の多くは録音側の品質管理でサジ加減を決められるため、標準的な尺度が未だにないのが実情である。逆に1960年代までは高周波のパルス音はノイズと同様に扱われており、その反対にカートリッジのスクラッチ音、真空管のリンギング、トランスの磁気飽和と高次歪み、スピーカーの分割振動まで、あらゆるところに中高域に艶を与えるトラップが仕掛けられていた。このことから判るように、現代のスピーカーで聴くモノラル録音は、意図していた楽曲の中身を伝えるより外面的な事柄に色々と足を引っ張られるのである。シンプルなマイクアレンジで録られた音響の一体感が削がれ周波数バランスが狂うほかに、常時鳴り続けるパルス音に脳が過剰に反応して聴き疲れが生じる。一般的に、EMIがホールトーンを多く混ぜたサウンド、Deccaがピックアップマイクを多用した直接音を多く含むものと理解されるが、その違いは時代が進むほど顕著に聞こえることとなる。大げさに言うと、どっちを選ぶかは、片方の録音アーカイヴの宝の山を、まさに生きるか死ぬかの断腸の思いで決意しなければならない。実際にはそうなる前に、断崖絶壁のように時代感覚のずれたモノラル録音から、自然と触手を遠ざけていくのだ。


 もっと根本的な課題は、モノラル期のデッカ音源となると、レパートリーとしてもなんとも渋い選択を迫られる。そこまでして聴きたいか? という疑問がどこまでも付きまとう感じでもある。EMIのモノラル名盤(フルトヴェングラー、マリア・カラス、リパッティ、デニス・ブレイン等々)に比べて、Deccaのモノラル盤は曲者扱いでJ.シュトラウス・ファミリー・コンサートとかマーラー「大地の歌」など、クラシック音楽のレパートリーの穴を埋めるような形で存在する。例えば2018年に発行された「クラシック不滅の名盤1000(レコード芸術編)」に収録されたffrr時代の録音は、次のたったの5項目で、ベートーヴェン:英雄/E.クライバー&ACO、ブルックナー:Sym.3,4番/クナッパーツブッシュ&ウィーンフィル、マーラー:大地の歌/ワルター&ウィーンフィル&フェリアー、シュトラウス・ファミリー・コンサート/C.クラウス&ウィーンフィル、R.シュトラウス:ばらの騎士/E.クライバー&ウィーンフィル、というくらいで、E.クライバーの株が随分と上がったと感じるくらいである。しかしこれは今に始まったことではなく、ずっと以前から続いていた悲劇の一端でしかない。
 一方ではデッカの場合、録音年代は5年程しか変わらないのに、ステレオになって定番になった超名演が居並ぶのである。筆頭はバックハウスのベートーヴェン全集で、アンセルメもフランス物をステレオ再録音し、シューリヒト/ウィーンフィルはEMI時代に花咲き、E.クライバー「ばらの騎士」はカラヤン盤にさらわれるなど、不運続きとしか言いようがない。さらにC.クラウスのR.シュトラウス管弦楽集は、J.シュトラウスのニューイヤーコンサートのほうが有名なんて、当時の評価と逆転しているものもある。
 このためデッカのモノラル再販LPは、バジェット盤でも1,000円前後で売られる最低価格の扱いであったし、ステレオでデッカに再録しなければ、デッカ・アーチストとしての認知度が極めて低くなる。例えば、シューリヒト、ベーム、グルダ、ケンプよりも、アンセルメ、ショルティ、カーゾン、バックハウスのほうが、デッカの看板を背負っているように見える。その一方では、オリジナルのffrrカットLP盤は、数が希少なこともあり法外なプライスで取引されている。しかもffrr自体は再生機器をはじめ伝説と化していて、鉄のカーテンどころではないパンドラの秘宝のように扱われている。この扱いの雑さがモノラル期にデッカで録音した演奏の評価を鈍らせているのだと思う。


日本でも良く知られた超名演と日影に葬られた壮年期の記憶



 では、オーディオ技術の基軸の変化点がどこにあるのかを探ってみよう。この手の渋ちんの録音を再生するためのオーディオセットとして、お手本にしようと考えたのは、HMVとデッカの電蓄に共通に使われたEMI製スピーカーユニットである。EMIの楕円フルレンジについては上で述べたが、そのツイーターのほうは独Lorenz製のかなりメリハリの強いものが最高級との世評がある。一方で、デッカがステレオ時代に入って満を持して開発した電蓄デコラ・ステレオは、それより格下と思われていたコーンツイーターを6個も取り付けているのだ。これは同じ時期のEMI製DLSスピーカーシステムと同様のものである。



EMI DLSスピーカーシステム、HMVレコード店のオーディオコーナー、デッカ・ステレオ・デコラ

 このコーンツイーターを拡散配置する方法は、独ジーメンスやテレフンケンの最高級スピーカーで使われた方法だが、モノラルとステレオの合間を縫うように音場感を出す役割を担っている。実は1960年代までは、ヨーロッパ製の家電用スピーカーユニットは手頃な価格で輸入されており、ジーメンス、フィリップス、グッドマンに交じってEMI製のユニットも販売されていた。しかし日本ではこれらのユニットはテレビに使われているものと同等とみなされ、オーディオ用途としてはあまり称揚されてこなかった経緯がある。ちなみに1950年代までの欧州のHi-Fiスピーカーは、AM放送やSP盤の規格との整合性をとるため、100〜8,000Hzを担うエクステンデッドレンジに1オクターブだけツイーターを被せるのが通例で、EMIでもイゾフォンでもクロスオーバーは5kHzと高めである。こうした家電用スピーカーは最大入力3〜5Wが精々で、分割振動も味として含んでいるため、定位感を出すためにパルス波の多い1970年代半ば以降のステレオ再生では、高音が固くなったり濁ったりして不利になる。価格面でも国産スピーカーは同価格だと、パイオニアなら30cm径ウーハー、松下電器だと同軸3wayと見た目も豪勢だったので、わざわざ高価で貧相な欧州製を買うことはほとんどなかった。
 アンプのほうはさらに質素で、最高級電蓄のデッカ・デコラでもPX25からEL34へ、HMVやテレフンケンのほうはECL83やEL84が標準的で、これだけ取り上げても特別なものは何もない。やはり本格的なものを求めると、いきなりスタジオモニターを意識して、タンノイ、クォードという感じで飛びつくのは仕方ないとも言えなくもない。一方で、レコードを楽しむための道具として考えると、別にコーンツイーターやミニチュア管でも十分に味わいある音が聴けたのである。その良い手本がデッカのデコラ電蓄ということになるのだ。
 これらの家電用パーツをアッセンブリーする状況は、日本製のアンサンブル・ステレオにも共通するもので、そこでもコーンツイーターと複合管(ECLシリーズ)を用いたリーズナブルな仕様が一般的だった。それでも手軽にクラシック音楽を心地よい音質で聴ける文化があった。キングレコードのロンドン盤や東芝EMIのセラフィン盤などのバジェット盤の音質は、初心者でもクラシック音楽の美しさを十分に伝えられる、良い塩梅を保っていたのだ。このステレオ技術の進展とはおおよそ掛け離れた状況が、現在のオーディオマニアには理解できないのは残念であり、1960年代以前の録音を聴く際の予備知識だといえる。


EMIの楕円スピーカーの特性

1950年代のドイツ製真空管ラジオ:FM放送対応で2wayスピーカーが標準的


 この手の古い録音には所有するオーディオ機器との相性が付き物で、誰もが目にした音楽批評家 宇野功芳氏のオーディオ・システムはと言うと、アンプはマランツModel.7プリとQUAD IIパワー、アナログはトーレンスのプレーヤーとSMEのトーンアーム、カートリッジはシュアーM44-7が古い録音にちょうどいいとした。スピーカーはグッドマンズAXIOM 80を中心に両脇をワーフェデールのコーンツイーター(Super3)とウーハー(W15/RS)で補強した自作スピーカー(ネットワークはリチャードアレンCN1284?1.1kHz、5kHzクロス、箱はワーフェデール EG15?)で、完成品での輸入関税が高かった昔は、部品で購入して組み立てるのが通常だったし、エンクロージャーは自作で組み立てるのが一番効率が良かった。ネットワークは同じユニット構成のために出していたリチャードアレン製を当てがったが、元の構成が12インチ+8インチ+3インチのところを、ワーフェデール Super8が中高域がきついからとAxiom 80(1970年代復刻版)に換えて、さらに低音を増強するためウーハーを15インチに換えた。ただしW15/RSは800Hzからロールオフする特性なので1kHz付近が少し凹んでいたかもしれない。


 かように宇野氏は今でいうヴィンテージ機器を新品で購入した当時から愛用しており、これにCDプレーヤーとしてラックスマンのD500X's(後に同じラックスマンD7、スチューダーD730に買い替え)が加わるわけだが、例えばポリーニのような新しいピアニズムをちゃんと聴けていなかったように言われる。ことフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュ、ワルター、メンゲルベルクのライブ録音への偏愛ぶりは、むしろオーディオの発展史から一歩身を引いた試聴環境にあったように思う。そういう意味では、宇野功芳氏の音楽批評は、一見すると失われた個性的クラシック演奏への懐古のように聞こえるが、実は1960年代のレコード文化の価値観を背負って論陣を張っていた数少ない人でもあったといえる。これでないと音楽の批評ができないとも言っているので、相当のお気に入りなのだと思う一方で、クラシックのレコード批評家のなかではオーディオと録音の相性に関するヴィンテージな課題を早くから認識していた最初の人でもあった。ときおり自宅のオーディオの音質改善の話題を振られても「これ以上音が良くなってもらうと困るから」という断りの言葉が多かった。案外、繊細なバランスの上に立っていたのかもしれない。

 ちなみに本家ワーフィデールにはSFB/3という、平面バッフルをあしらったスピーカーシステムがあった。どうも宇野氏の最初のシステム構成はこの延長線にあったと思われる。SFB/3スピーカーシステムは、1954年から共同開発していたQUADのピーター・ウォーカーとの途上のものだったらしく、形状もQUAD ESLにそっくりである。使用ユニットは12インチ・ウーハー、10インチ・エクステンデッドレンジ、それに3インチ・ツイーターを加えたものだが、そのツイーターが上向きという、かなりギミックな仕組みだ。いわゆる無指向性の音響を狙ったものと考えられ、その後に出された最高級システムAirdaleも、スコーカーとツイーターが拡散型の配置となっていた。これはBOSEのものと非常に似た構造であるが、ステレオ・デコラやテレフンケン085aでも同様の拡散型の配置をしている。いずれも音場感という定義が曖昧だった時期のもので、この手のものはモノラル録音でも広がりのある音響が得られる。現代のスピーカーはほとんどがスレンダーな指向性で、モノラル録音の再生には適さない。

Wharfedale社SFB/3スピーカーシステム(1956):平面バッフルに対し上向きにツイーターを配置

 もうひとつのヒントは、1949年にRalph West氏がデッカffrrのために開発した単品の家庭用スピーカー「デッカ・コーナー・ホーン」である。これはフルレンジスピーカーを部屋の隅に後ろ向きに設置する変わり種で、Lowther社のVoigt氏のスピーカーを参考にして作り易く改造したものだ。低音補強の構造としてはTQWTと同じ共鳴管で、図に描いているように、間接音で均等なバランスを目指していたことが判る。この時点でffrrの再生には、現在のスピーカーのように高域のピンと立ったパルス音は厳禁だったのである。周波数レンジが伸びているだけではダメなのだ。
 低音のほうは、1950年代に多かった12インチのエクステンデッドレンジ・スピーカーに対し、新しい設計のフリーエッジでfoとQoを共に低く抑えてある8インチのフルレンジ・スピーカーにするよう勧めている。これはTQWTにすることで40〜50Hzの共振が得られることと、サブコーン付きメカニカル2wayのフルレンジ・スピーカーを搭載することでツイーターがなくても十分な高域が得られるという、二重の意味がある。
 そこでターゲットに選んだユニットは、開発当時はワーフィデール Super8だったが、1955年のレビューではLowther PM6が最適だとされた。ただよく知られるように、サブコーン付フルレンジは高域に強い共振があり、直接音としてはキツイ音になりやすい。これを和らげるために壁面に反射させて拡散する方法を選んだ。これはサランネットの有無で鮮明さを競う現在のオーディオ理論とは大幅に異なることが判る。
 デザインとしては、数ある家具調スピーカーのなかで幅が狭くても、背の高さが104cmと意外に背高ノッポなので、表面を木目にカモフラージュしても意外に存在感を隠せない。これに比べQUAD ESLはピーター・ウォーカーの見識が、まず大きさ在りきで始まっていることが伺い知れる。これはデコラ電蓄では概ね高さ制限を設け収まっている。


1949年に開発されたデッカ・コーナー・ホーン(耳に直接音が届くことは避けられた)

1955年の戯画「店頭で78回転もステレオも推すなんて!どう対処すりゃいいんだ?」
壁に立て掛けたデッカ・コーナー・ホーン(ホワイト塗りのほうが忍法「葉隠の術」となったか?)


 上記のデッカ・コーナー・ホーンを紹介するコラムで、滑稽なやり取りが漫画で載せてある。これは五味康祐氏が1963年に英国を訪問した際にもネタにしたくらいで、モノラルvsステレオの葛藤は既に1950年代からの昔年の悩みが積もり積もって現在に至っていることが判る。つまりモノラルでも追及可能だったフィデリティ(忠実度)が、ステレオになった途端に手のひらを返したように否定される対象になったのだが、この前後にHi-Fiに投資した消費者からみればひたすら困ることなのだ。それよりもなによりも、演奏家が心血注いで残した録音に敬意を払って聴くことなど到底かなわないのか? このことはオーディオという手段が目的にすり替わったときに起こる矛盾であることは明白である。ならば目的をもってオーディオ装置を整えよう!



【曇りのち晴れの法則】

 以上の見解をもとに、CDでの試聴を前提にモノラル期の英国クラシック録音をニュートラルに鑑賞するための刺客は以下のとおりである。1960年前後の当時のスペックのまま現在も製造を続けている音響パーツとして、エクステンデッドレンジ・スピーカー、コーンツイーター、ラジオ用ライントランスがサウンドの骨格を造っており、いずれも安価(3つ合わせて1万円ポッキリ!)で誰でも新品で手に入るものだ。これらは、元々は1950年代のドイツ放送録音をより良く鳴らすために策定したもので、スピーカーとライントランス以外は、生真面目な音のする日本製品を中心に固めており、いわば少し大型のラジオ付き電蓄(Radiogram)と同じ仕様である。実はこのくらいのスペックに抑えたほうが、EMI、Decca、DG、Columbia、RCAと、どのレーベルの録音にもほどよい距離感で付き合えるのだが、「当たり前の音」が一番難しいのがモノラル録音にありがちな罠というべきか。


@エクステンデッドレンジ・スピーカー
 音楽のボディの部分を占めるのに、Jensen C12Rというエクステンデッドレンジ・スピーカーを使用している。エクステンデッドレンジとは、ウーハーとフルレンジの中間的なユニットで、100〜8,000Hzのボーカル域を拡声するため、ラジオからステージPAまで共通の規格の上に設計された。エクステンデッドレンジ・スピーカーは、HMVやテレフンケンなどの欧州製の電蓄にはよく使われていたが、現在では全く廃れてしまっており、現役で製造されているのは何とギターアンプ用ユニットである。
 Jensen C12Rは、1947年の開発当時は汎用のPAスピーカーとして設計され、これでもいちよプロ用機材の一翼を担っていて、1960年代までジュークボックスでも使用されていた。そういう意味ではブルースやロックなどのアメリカン・サウンドの中核にあったわけだが、創業者のピーター・ジェンセンはデンマーク移民で、中高域のアクセントなど、どちらかというとドイツ系の音に近いと思っている。C12Rは中高域に強い共振があるため、3.5kHzでクロスオーバーを掛けているが、このことでタイムコヒレント特性も素直なものに整えている。
 エクステンデッドレンジでの口径の大小は、おおむね音響出力によっていて、口径が大きくてもfo=80Hzくらいに留めているため、16cmでも30cmでも周波数特性は似たり寄ったりで変わりない。それでも大口径にする理由は、フィックスドエッジの機械バネが利いた強力なミッドローが特徴で、なおかつQts=2.0以上というガチガチのローコンプライアンス型のため、後面解放箱にそのまま収めてもビクともしない。一般的なウーハーに比べ少し腰が高いが、モノラルでの音響的な一体感など音楽の躍動感を支える重要な役割を担っている。


1960年代からセラミック磁石&コーンツイーターになったジュークボックス(Rock-ola Capri, 1963)

チャンデバで3.5kHzカットする前後の周波数特性とステップ応答の比較(45°斜めから計測)

 これの低音のバランスを整えるための箱の候補だが、C12R自体がFo=88Hz、Qo=2.47と、超の付くくらいのローコンプライアンス型なので、今風の共振で低音を稼ぐバスレフは合わない。稼ごうとしても、Fo付近のインピーダンスが大きな壁となって、100Hz付近がこんもり持ち上がるだけなのだ。思いついたのは、@後面開放型、Aスーツケース型密閉箱、BJensen推奨のUltraflex型、など。後面開放型は音の勢いを活かしたもので、ジュークボックスも実はこの方式になる。スーツケース型は、ギターアンプなみの小型PAで、ラジオ局のモニターにも使われた仕様だ。Ultraflexはショート・バックロードホーンの一種で、日本ではオンケン型として知られるもので、当時のカタログにはP12RXに使えると書いてあるので、それなりにまとまるような気がする。


Jensenの箱プランにあるUltraflex型エンクロージャー(やはり30cm用で大振り)

 ここで箱の低域特性を色々とシミュレーションをしてみると、このユニットの扱いの難しさが判る。机上の計算では、指定箱のバスレフでは共振点が45Hzと低すぎてほとんどカスリもしない。密閉箱ではfocが115Hz程度であり、逆に後面開放にしたほうが、見掛けの周波数が下がるということになった。試しに計算してみたC12Rの裸のまんまの特性もほぼ間違いないことが確認された。さらにC12Rの場合、Qo1=2.47と極端に高いユニットであることを勘定すると、箱のfoc付近で大きく盛り上がることが予想された。現在のカタログではDIN規格に基づいた2m強の平面バッフルを使っているが、これだけ大きくしてもユニットのfoが引っ掛かって90Hzで盛り上がり急降下している。ちなみにUltraflexにした場合も100Hz近傍の持ち上がりが目立つだけで、箱の大きさに比べそれほど大きな効果が期待できないことになる。


   裸特性 後面開放 密閉
618B
SBH
Ultraflex



fo(Hz) 88 88 88 88
Qo - - 2.47 2.47
mo(g) - - 29.5 29.5
a(cm) - - 12.5 12.5
H(cm) 30 56 56 74
W(cm) 30 43 43 54
D(cm) 0 29 29 39
V(L) - - 55 150
foc(Hz) 283 84 115 99



S(cm2) - - - 367
L(cm) - - - 20
fd(Hz) - - - 45.5

裏蓋を取って後面解放!


 このような経緯でJensen C12Rは後面解放箱に入れるようにしたのだが、結果は中低音までバランスの取れたキビキビした反応で、高音から低音までの見通しが良いので、重低音も聞こえないわけではないという感じに収まっている。肝心なのは音楽の躍動感であって音の響きではない、という当たり前のことが判るだけでも目標は達成できたと言うべきだろう、


Aコーンツイーター
 ツイーターはデコラ電蓄のところで述べたように、私のシステムでも高性能とはやや程遠いコーンツイーターを使用している。Visaton TW6NGはオーディオ用に使える数少ないコーンツイーターで、中央のキャップが樹脂製で少し70年代風の艶が載っているが、基本的にはドイツ製のラジオに標準装備されていた規格に準拠している。ちなみに、TW6NGの特性は以下のとおりで、5kHzと13kHzの共振でザワついているだけの、三味線でいうサワリに近い機構であり、現在のHi-Fiの基準からすれば極めていい加減な設計だと判る。現代のステレオ技術のように定位感を明瞭に出すようなニーズには全く応えられない。一方で、高域の拡散という意味では十分な機能性を有していて、これがジェンセンの切れ味スパッといくタイミングと、じわっと馴染んでくれるのだ。このコーンツイーターのお陰で、ジェンセンのキレキレの音にしっかり噛み込んだ粘りが出て、相性はバツグンである。
 逆にJensen C12RではAltecやJBLの大型ホーンは支えきれず違和感が大きい。だからと言って、416や150といったもっと強力なウーハーを持ってくると、これはEMIやDeccaの目指すトーンとは段々とかけ離れていく。同じことはグッドマンズやワーフィデールのウーハーを使っても、それと合うのが比較的おとなしいミッドハイやツイーターであることは自明である。この家庭用という良い塩梅を見失わないバランス感覚がニュートラルの本質であると肝に銘じよう。ちなみにツイーターは猫のエサ皿にブチルゴムで固定してあり、上向きに15度傾いでいる。ちょうど人間の胸郭から顎にかけた骨格に似た構造で、モノラル1本でも少し立体的に響くようになっている。

ドイツ製で格安のVisaton TW6NGコーンツイーター(試聴位置:仰角75°からの特性)

Visaton TW6NGのタイムコヒレント特性


人体の骨格とスピーカーユニットの軸線


Bライントランス
 分割振動の多い古い設計のスピーカーで、CDでクラシック鑑賞するのに大敵なのは、20kHz付近に累積するデジタルノイズで、分割振動と違い楽音に関係なく発生するため、高音がかえって濁る現象に陥りやすい。これを除去するためにライントランスとして使用しているが、サンスイトランス ST-17Aは、昭和30年代から製造されているもので、本来の機能はB級アンプの分割トランスである。少しカマボコ型にみえる特性は中域にしっかりフォーカスされ、その周囲の位相が遅れて次第にぼかされていき、なおかつ以下のように中域に甘い艶(高次倍音、サチュレーション)が載って、MMカートリッジのような味わいがでてくる。これはCD規格が策定された時期は、FM放送がメディアの中心にあり、デジタル特有の高周波ノイズは三角ノイズの霧のはるか向こうの話だったことと辻褄が合う。このトランスは上品な倍音を出すため、真空管で倍音をコントロールする必要はなくなった。

ラジカセ基板のB級プッシュプル段間トランス、サンスイトランス ST-17Aと特性

Jensen C12R+Visaton TW6NGの1kHzパルス応答特性(ライントランスで倍音補完)


Cシステム全体のトーンバランス
 これらを統合したシステムの周波数特性は見事なカマボコ型に調整している。これはHMVの電蓄と同様のものであり、実際のコンサートホールの音響と類似している。それはHi-Fi初期の近接気味に音を詰め込んだ録音に対し、コンサートホールのバランスに戻して再生することである。1960年代以降のオーディオ理論を鵜呑みにして、ffrrの試聴環境をフラットにする必要があると思ってる人は、一度自分の耳で確かめてほしい。ホールの音響は無響室で1m近傍から聴く音とは大きくかけ離れてるし、現在のステレオ録音で超高域が必要なのは、定位感を出すパルス波が綺麗に立っていないとステレオ効果がでないためだけに存在している。モノラルではただのノイズでしかない。1970〜90年代のスピーカーで、楽音より針音やくしゃみがリアルに聞こえるのは、パルス成分に過敏なツイーターの設計によるもので、本来はかなりか細い音響エネルギーなので、それほど気にならない類のものである。
 一方でこのシステムのタイムコヒレント特性は、素直な1波長のままスレンダーに整っており、低音から高音まで一貫した波形を保っているため、高域が足らないということもない。このタイムコヒレント特性こそが、複雑なネットワーク回路による補正や、DSPによるデジタル演算で音響を修正したものではなく、70年前に設計されたPAスピーカーの素の特性なのだ。ここは現代のスピーカー設計とは大幅に異なる部分であり、よく古い録音を最新のスピーカーで聴くと高域がくぐもったように聞こえるのは、当時の録音では超高域のパルス成分がノイズ扱いになってカットされており、現在のツイーターの鋭利かつ瞬殺の反応では音が引っ掛からないため、残りの反応の遅いユニットで対応する破目に陥るためである。高域が聴こえないのは、その下の周波数帯とタイミングが合わず噛み合っていないためなのだ。この点でJensen C12RとVisaton TW6NGの組合せは、周波数帯域を欲張らないかわりにタイミングをジャストミートする良い塩梅に収まっている。

周波数特性 タイムコヒレント特性

我が家のスピーカー特性(斜め45度計測)

我が家のスピーカーのインパルス特性
パルス波が素直な1波長に整う(ステップ応答も同様)

温故知新

意識過剰

EMI Electrogramのスピーカー部(1947年)
高域はなだらかに下降

現代のスピーカーのステップ応答
3wayで位相とタイミングが分かれる

 混沌としたモノラル期のHi-Fi規格に対し、モニター方法としてスタジオで鳴っていたであろう音に立ち返るために、あらゆる特性をフラットにするのが、録音評価に平等な(ニュートラルな)立場に立ち得るという話をよく聞くが、これは大変な間違いである。モノラル録音は部屋のアコースティックと一緒に聴くのが基本で、無響室でフラットという規則がそもそも成り立っていない。当時はレコードコンサートという広い部屋で数十人が集まってレコード観賞するという催しがあったが、広い部屋というのは概して高域がロールオフする。それでも明瞭度が落ちないように、少し中高域にスパイスを加えるのが、モノラル時代のバランスである。つまりモノラル録音を狭い部屋で聴くときには、望むと望まざるとにかかわらず、トーンのプレゼンス(直接音)が高くなりがちなのだ。これは良く言うジャズ向きの音なのだが、デッカffrrなどはこの部類に属するし、EMIは逆に一般家庭で聴きやすいようにホールトーンを多めに入れている。ところがこれらを現代風にフラットに再生すると、デッカは直接音が強すぎ、EMIはエコーが強め、という風に両極端に分かれる。この理由を問いただすと、高域をフラットにして聴くことが間違っているのだということが自ずと判ってくる。
 以下の実際のコンサートホールでの音響特性を参考にすると、一般に知られる周波数特性はホールのエコーをかなり拾った後の音響で、低音はエネルギーが大きいため200msまで残響として累積し残るが、高域は2kHz以降は分散してエネルギーが小さく、初期のパルス音を発した後はほとんど残らない。私のスピーカー出力を計ったシステム総合の周波数特性(スイープ波形応答)はカマボコ型のナローレンジのようにみえるが、実際のホールでの出音と酷似しており、その帯域でのタイムコヒレンス特性が素直な1波形のまま整っている。楽音から1〜2mの距離にあるマイクで拾った音がホールに放出されていく状況を想定すると、これが周波数バランスと時系列の一致した黄金比となるのだ。


コンサートホールの周波数特性の調査結果(Patynen, Tervo, Lokki, 2013)


実際のホールトーンと我が家のスピーカーの比較

 このホールトーンの仕上げには、ヤマハの簡易ミキサーに付属しているデジタル・リバーブを活用している。リバーブというとエコーと勘違いして「原音と違う」と過剰反応する人が多いが、EMT社のプレートリバーブなどは70年代のマルチトラック録音には必ず使用されていたもので、元音に少しだけスパイスを効かせると思ってほしい。これは古い設計のラジオ用ランスを後に控えているのと、スピーカー自体が高域のエコーにあまり過敏に反応しないコーンツイーターを使用していることを勘定に入れたうえで使っている。同じことは、真空管のリンギング、カートリッジのクロストークや磁気ヒステリシスなどでも起きており、そういうアナログ特有の味を出す機構のないデジタル音源では、自分なりに味付けを加減する必要があると思っている。それと欧米とは違い日本はウサギ小屋なので残響成分を足すべきなんて思わないでほしい。ヨーロッパだって庶民は狭い部屋に住んでいるし、ほとんどの邸宅でもコンサートホールなみの音響は実現不可能だ。


ヤマハの簡易ミキサーに付属しているデジタルリバーブ(註釈は個人的な感想)

 これのデジタル・リバーブは世界中の音楽ホールの響きをを長く研究してきたヤマハならではの見立てで、簡易とは言いながら24bit処理で昔の8bitに比べて雲泥の差があるし、思ったより高品位で気に入っている。リバーブというとエコーと勘違いする人が多いのだが、リバーブは高域に艶や潤いを与えると考えたほうが妥当で、EMT社のプレートリバーブ(鉄板エコー)は1970年代以降の録音には必ずと言っていいほど使われていた。残響時間とドライ・ウェットの調整(大概が40%で収まる)ができるので、録音状態に合わせてチョちょっといじるだけで聴き映えが変わる。
 24種類もあるエフェクターのうち、よく使用しているのは最初の6種類のリバーブで、1,2番のホール系は高域に潤いを与える、逆に3,4番のルーム系は響きをタイトに引き締める、5,6番のステージ系は高域を艶を与える、という感じで、奇数がアメリカン、偶数がヨーロピアンと勝手に思い込んでいる。デッカffrrだと、管弦楽は2番ホール・リバーブ2でふくよかさを加え、ピアノや室内楽は4番ルーム・リバーブ2で粒立ちを増す、という感じになる。EMIでは既にリバーブを掛けたり高域を持ち上げたリマスター音源が多いため、3番ルーム・エコー1でタイトに締めることで中域の艶を炙りだしている。ちなみに6番ステージ・リバーブ2は、デッカffrrでもEMI風の音になるやや霞がかったトーンだ。原音主義とは違うスタンスでモノラル録音を見つめ直すと、レコード会社のサウンドポリシーの違いと自分のオーディオ装置との相性を知る切っ掛けにもなるだろう。

D全ては良い塩梅に収めるバランスの上にある
 以上のように、私のモノラル・オーディオ・システムは、ひとつひとつはそれほど名が通る名品揃いというものではないが、モノラル時代に誰もが接しえた汎用的なサウンドだと自負している。自画自賛の理由は、モノラル期のEMIとDeccaのどちらにもニュートラルに鳴らせるというのは、一般的にはかなり矛盾していると思われているからだ。しかしEMIが盾ならDeccaは矛(ほこ)というように、攻守あっての武具であり、どちらかしかないのは可笑しいと思わなければならない。守りは堅実に、攻めは過激に、そういうポテンシャルを備えてこそ、真のバランスなのだ。
 このシステム構成の良い点は、過度期であったモノラルHi-Fi録音に対し、元のテープ音源まで遡って演奏評価をニュートラルに扱えられる点である。考えてみれば、多くのクラシック録音はノイマン製のコンデンサーマイクを使用し、スチューダー製のテープレコーダーで録音していた。この仕様に大きな違いは本来存在しないのである。私は並み居るサウンドポリシーの渦に巻き込まれたモノラルHi-Fi録音に対し、ニュートラルなサウンドを達成するのにフラットでワイドレンジなんてのは、当時としても不合理だと思っている。むしろ広いホールの音響を基準にしたトーキー規格のように、2kHzから-3dB/octで下降するのが自然である。モノラル時代はマイクを近接気味に鮮明に録る傾向があり、生音との比較はレコードコンサートという方法で行われていたくらい、マイクで録った音を一端ホールの響きにブレンドしてバランスの取れるようになっていた。これを自宅のウサギ小屋で聴くのだから、周波数特性はカマボコ型が正常なのだ。ちなみに本項はデッカffrrについて書いているが、このシステムでEMIのモノラル録音を聴いても過不足なく楽しめる。つまりホールトーンは全てのクラシック録音の基本なのである。

 ところがレコード文化でやっかいな点は、レコードにカットする段階でレーベル毎のサウンドポリシーに違いが生じることで、そのレコード盤というファクト(現物)が存在する以上、一般の人が聴けたのがLP盤であり、そこで最高のパフォーマンスを発揮できるオーディオ・セットが、各家庭に1台と非常に限定されている点である。つまり百人いれば百通りのサウンドキャラクターが存在しているのだ。これは菅野沖彦氏が1990年代に言及した「レコード演奏家論」の根本的な課題である。しかし、菅野氏がこれを発表した時はデジタルでの均質な品質が尊ばれた時代のこと、Hi-Fiの定義に「演奏家」という言葉の入り込む余地はもはや1ミリもなかった。では立場を変えて、癖のあるサウンドポリシーで収録された過去の演奏とはどう向き合うのか? これが実は大問題なのだ。
 一方で現在のLP盤を蒐集する人が時代考証的に万全な状態で、つまり録音に適切な音場感とレンジ感(モノラル装置にもいちよ音場感はある)で聴いているかというと、案外新しい録音と同じシステムで聴いていることが多い。特に日本の場合は、ステレオレコードの発売以降からオーディオ装置を本格化した人がほとんどで、1950年代の頃からモノラル録音の再生装置についてコメントを控えている人が多く、ジャズ愛好家に比べるとクラシックのモノラル録音はかなり肩身の狭い状況だと言わざるを得ない。これにはモノラル録音を充実した音響で鳴らすノウハウの欠如と表裏一体となっている。
 おそらくイコライザーカーブの話に始まり、そこをフラットに正規化したところで、なおもEMIかffrrかの議論が尽きないのは、ほとんどの人が再生装置のバランスを見失っているようにも思える。しかしDecca社が最高級電蓄デコラで出した結論は、EMI製のスピーカーユニットで全て丸くおさまるということだった。このデコラの良い塩梅と、オーディオマニアのレコードの溝の隅から隅までほじりだそうとする行動原理とは、自ずと方向性の異なることに気付くだろう。私自身はこの良い塩梅の代表例が、テレビやラジカセのような家電製品の音響設計と考えており、放送規格という枠組みでそつなく拡声するという役割は、実は1950年代のHi-Fi理論からほとんど変わっていない。それは21世紀に入って半世紀の眠りから覚めたドイツ放送録音でサウンドバランスを整えていった結果、モノラル時代の大型電蓄と遜色ないものへと辿り着いている。
 さらにはオーディオ自慢となると経済的な勝ち組理論が堂々と語られるように、モノラル期のオーディオには王様から家来まで明確な身分秩序があり、それに抗えるような要素は微塵もないが、それはほとんど場合、音響出力と試聴する人数に比例していた。日本で重用されている貴族階級のビンテージ・オーディオ装置は、数百人規模のPAに対応するものが大半で、欧州のほとんどのレコード愛好家はHMVやテレフンケンの電蓄で聴いていたことに、もう少し心を傾けてほしい。タンノイ使いの猛者だった五味康祐氏でさえ、格下の電子部品で構成されたデコラ電蓄に未練を残したことをよく吟味すべきだし、オートグラフの使いこなしも慣れた1968年時点でも、FMモノラル放送で聴くテレフンケンS8電蓄以上の音(すぐれた繊細さと、つやと、ふんわりした低音)を出すことが叶わなかったとも言っている。これらは日本製にも多かったアンサンブル型のステレオ電蓄だが、見た目は同じでも全体のチューニングで全く違う品質を醸し出していた。テレフンケンS8でさえ、ウーハー1本だけはPA用30cmの強力なものが使用されたが、他のサテライトも含む8本はジーメンスのラジオ用にも使われた大小の楕円スピーカーをEL84×4本で鳴らすだけである。ところがモノラル録音を聴くほとんどの人は、大は小を兼ねると最新のステレオ装置でモノラル録音を聴いており、その再生の肝とはモノラルなので中央定位するのが正しいというくらいで、せめて壁一面に広がって鳴るくらいに留めてほしいと切に願う。

五味康祐氏のオーディオ部屋:中央にテレフンケンS8ステレオ電蓄
上記電蓄と同じ楕円ユニットの使われたジーメンスH42ラジオ(FM対応)


 ちなみにタンノイの使い方として、トレブル・ロールオフという機能がネットワーク回路に仕込んであって、旧来では2kHzから最大-6dB/octまで減衰させることができる(現在は5kHzから)。これは先に述べた実際のコンサートホールでの音響と近似しており、部屋の残響などに合わせて調整するべき機構である。さらにいえば、モノラル時代の部屋のレイアウトはスピーカーを真正面には据えず、斜め横から聴くようにしている。これはラジオを囲んで団欒した時期の名残で、そもそもコーナー型エンクロージャーはそういうレイアウトになるが、そこでも高域は減衰する格好になる。これらは初期のHi-Fiがコンサートホールで生演奏とスピーカーとのすり替え実験で検証していたのと似ており、近接マイクで録った音をホールの響きに馴染ませることで、本来のバランスに戻るというロジックである。すべての機材の特性をフラットに整えたうえで、レコードに刻まれた音を細分漏らさず聴くというのとは方向性が違うのだ。それはレコード品質の検聴であって、音楽の鑑賞ではない。


タンノイのトレブル・ロールオフ機能、モノラル時代のインテリア配置

 あと私はCDでの試聴を中心にオーディオ装置を調整している。デジタル録音というフォーマットが音を味気なくしているという輩が多いが、自分の感覚からするとデジタル録音そのものはアナログテープと同じ高忠実度のフォーマットで、それ自体に音色はない。むしろマットで艶がない音というほうが適切である。というのもアナログ機器のような高次歪みが存在せず、音波が互いに干渉し合う暇がないからだ。では、何がCDの音をあそこまでギラギラさせているかというと、ひとつの原因は「デジタル対応」を謳ったソリッドな音質のオーディオ機器にあり、もうひとつは初期のデジタルフィルターに多かった超高音のデジタルノイズだ。これも1980〜90年代の英国製高級スピーカーに使われていたメタルドーム・ツイーターが特にひどく、デジタルノイズを麻痺させるために20kHz付近で強いリンギングを起こさせる強硬手段に打って出た。このようにデジタル対応と称し、帯域ばかり欲張ってドンドコ、ギラギラと音を出すオーディオ機器が、新しい時代の音として賞賛されたのである。

デジタル録音に特有のポスト&プリ・エコー、1980年代の英国製デジタル対応スピーカー


 このような極端な行動にでない限り、CD音源からでも上で述べたように、アナログ的な音のするビンテージ設計のパーツを要所に組み込むことで(私の場合はスピーカーとライントランス)、デジタルでは出ないアナログ的な味わい、高次倍音(艶)や磁気ヒステリシス(粘り)が程よく出せるのである。一方で、選択したビンテージ設計のパーツの性能は、ただレンジが狭く歪んでいるというのではなく、ボーカル域でのタイムコヒレント特性をクリアかつ正確に出せるような製品を選んでいる。これはむしろデジタル時代だからこそ、当時の人の耳の良さが証明されたというべきだろう。というのもミッドセンチュリー期の多くのスピーカーは、そのまま生楽器と混ざってPA機器として使用できるように、時間軸での正確性を暗黙の了解で求められたからだ。逆に言えば、マイクの生音をそのまま拡声してそれっぽく聞こえるように設計されており、それはデジタルでも同じでマイクの音が自然に再現される。現在のほとんどのスピーカーのように、エネルギーの小さい高音だけ先行して出してもカスッとも聞こえないし、低音を後だしジャンケンでがっぷり響かせても声がドンヨリこもってしまう。こうした不整合を排除して、自然なアコースティックとして再生する能力がマストな性能として求められたのだ。
 さらにCD再販のモノラル録音となると、ほとんどの人が自分のオーディオ装置の性能のほうが圧倒的に正しいと思い込んでいるため、録音評価の時点で上から目線で見がちなことに注意すべきだ。とくに再販CDの価格が500円/枚以下の爆買い対象の超インフレ時代にあって、圧倒的に高価なオーディオ機器の音のほうが正しいに決まっていると思い込んでいる人が多い。その一方では、モノラル録音のクラシックCDのレビューには、必ず「モノラルなので残念」「録音は古いが演奏はいい」などの取説が書き込んであり、中には「古い録音で音質のことを言うのは失礼」という弁護まであって、驚くことにほとんどの人がモノラル録音を何らか我慢して聴いている実態が浮かび上がる。それくらい現在のステレオ機器で聴くモノラル録音はひどい音がするのだが、それは1960〜80年代に、モノラルからステレオへ、アナログからデジタルへと、オーディオの技術革新が起こるたびに新しいオーディオ装置に買い替えさせるために仕組まれた、古い規格へのハラスメントそのものであり、オーディオ製品とレコードの音質の価値判断に知らず知らず受け売りしてると気づいて欲しい。単純に現在のオーディオ製品は、周波数特性ではフラットで広帯域だが、時系列では低音と高音がバラバラに分解されて再生されるようにできており、モノラル時代のシンプルなマイクで録られた音響の一体感が削がれる傾向にある。これは録音に挑んだ演奏家の価値とは全く異なる次元の話であり、音楽をニュートラルに聴くオーディオ環境は、それだけ大切な意味があるのだ。

 以下は、
我が家のモノラル再生システムの概要である。
  • モノラル録音のCD音源再生のため、近接距離のディスクサイドでの試聴に適したモノラル再生システムを構築した。
  • デジタル音源の再生システムに1950年代の音響設計を取り入れハイブリッド・システムとした。色々試したところ現在製造中で安価なエクステンデッドレンジ・スピーカー、コーンツイーター、ライントランスのみをレガシー設計の機材とした。
  • システム全体のトーンバランスを古典的なホールトーンにした。ホールトーンはモノラル再生の黄金比である。
  • システム全体のタイムコヒレント特性は素直な波形のまま再生できるように整え、先行音効果による周波数バランスの不整合を回避した。これはJensen社のフィックスドエッジ大口径スピーカーによるところが大きい。
 以上のように、CDでモノラル録音を音場感・周波数バランス共にニュートラルに聴ける環境を整えるということは、第一に安価な全集物やBOXセットなどが手軽に手に入るようになりソフト代に有利な点が多いこと、第二に現在も製造している機材で少し手間を掛けるだけでモノラル時代に適切なオーディオ装置が組めるという点で、モノラル録音の再生に不満をもつ大多数の人にとっても、有益なものとなるに違いないと思っている。逆に現在の最新のステレオシステムで聴き続けた結果、EMIだから音が曇っている、ffrrだから高域が明るすぎる、そういう単細胞な感想で音楽を聴くことが、どれだけのものを失われていくかを考えてみてほしい。実に人生の無駄そのものである。



 今回の私のアプローチは、CDでの試聴を前提に、どうせ折衷的なら一から見直そうというもので、モノラル時代の音響設計を基軸にしながら、現在でも新品で製造され安価で手に入る製品を選んでいる。ここでffrrだから何だとかという議論は、一度ニュートラルな状態にリセットして、演奏そのものに向き合うようにしてみよう。すると1950年代のロンドンに流れている穏やかな空気が感じ取れるはずである。

欲望の赴くままに購入したデッカ・モノラルCD-BOX
実はこのBOXセット発売当時の私は、デッカの音質にトラウマを抱えたままだったので、気にはなったが18,000円と高価(とはいえ1枚400円を切る破格値)だったこともあり購入をパスしていた。ようやくそのトラウマも晴れて遅まきながら手に入れた次第だ。LP初期はEP盤(25cm)のものも多く、CD53枚とはいえ実質100枚近いボリュームとなる。箱を開いてみると、モダンな多色刷りの艶やかなオリジナルジャケで埋め尽くされており、我ながらおもちゃ箱をひっくり返した子供のような気分だ。
デッカのffrr時代というのは、ロンドンの地場産業という以上に広範な活動範囲を誇る。戦後になってヨーロッパ各地に録音に出かけ、クラシックのレパートリーが急激に膨らんだのも、高音質録音での収録を武器に交渉がスムーズに進んだからと思われる。
一方で、あまりに急いで録音するあまり、一人のマエストロに収斂して全集になるまでじっくり待つことができず、つまみ食いでLPを製造していた傾向がある。例えばベト全やブラ全という交響曲の必須レパートリーは、指揮者毎でみると見事な虫食い状態で一貫性がないので集めるのに苦労する。こうした悪癖はステレオ時代に収まるが、モノラル時代のレーベルがもつポリシーを判りにくくしているように感じる。とはいえ、行き当たりばったりで掴んだ幸運の数々は、デッカを一流のクラシック・レーベルへと育て上げるのであった。
しかし8割方は、録音の存在も知らなかったばかりか、初めて聴く楽曲もあったりで、単独じゃ絶対買わないだろうと思うものがほとんどだ。そういう意味では、並み居るアーティストBOXを購入しても、なお喰い足りない超マニア向けの商品とみた。このためロマン派以降の管弦楽曲が結構な量を占め、交響曲は10本の指にとどまるのも、一般のクラシックファンには触手が伸びにくい。ただし音質を聴く限りちゃんとリマスターされたものばかりで、ただの詰め込み商品でもないところが凄いというか恐れ入ったというべきか。ここでは幅広い演目なかから比較すると面白いものをピックアップして、ffrr時代のデッカの少し斜め上をいく志向について考えてみた。

プーランク:牝鹿/デゾルミエール&パリ音楽院o
オネゲル:典礼風/デンツラー&パリ音楽院o

デッカのフランス物といえば、アンセルメが一手に引き受けていた印象があるが、ffrr時代にはパリ音楽院oを中心に幅広い指揮者を記録していた。この2曲はフランス六人組の管弦楽曲を作曲家に近しい指揮者に振らせたという好企画で、フランス風のエスプリなんて簡単に片づけられないぎっしり中身の詰まった演奏である。
デゾルミエールは、ディアギレフのロシアバレエ団での演奏経験のある人で、同バレエ団と関係のあるモントゥー、アンセルメ、マルケヴィッチのいずれも、シンフォニックで恰幅の良い演奏を志向するのに対し、お尻の切れあがった見事なステップを披露してくれる。それはプレートル盤と比べても同様の感想を抱く。LP時代に購入したときはイベールの喜遊曲のカップリングだったが、これもサティのパレードと並んで面白い曲だった。
オネゲルの終末論的な楽曲は、ミュンシュの熱気溢れた演奏がよく知られるが、デンツラーの指揮はもっと精緻で作品のポリフォニックな絡みを明瞭に表出している。スイスの片田舎の指揮者のように見られがちだが、同じスイスには現代曲のメッカのひとつ、ザッヒャー/バーゼル室内管などがあり、その伝統のなかにしっかり組み込まれている。

ベートーヴェン:田園/E.クライバー&ロンドンフィル
プロコフィエフ:3つのオレンジへの恋/ボールト&ロンドンフィル

デッカが本来の拠点にしていたロンドンフィルでの録音は、当時としては国際的な名声のなかったこのオケの多彩な活動を記録している。
クライバー親父の田園は再録したACOではないというのがマニアックだが、ここでしか聴けないということでの選択だったとみた。演奏はロンドン風の平坦なオルガンのような響きから一皮むけたキビキビしたもので、トスカニーニやワルターとは味わいの異なる、すこぶるスタンダードな演奏に仕上がっている。そもそもロンドンフィルはベートーヴェンに第九を委嘱した経歴をもつ欧州でも長い伝統をもつオケだが、その名に恥じない演奏だと思う。
プロコフィエフを指揮したボールトは、近現代イギリス音楽のエキスパートという感じにみられているが、そのベースにあるのはニキシュ譲りの適格なスコアリーディングである。その意味では同じロンドンを拠点にしていたビーチャムとは正反対の性格で、やや好き嫌いの激しいビーチャム卿のハチャメチャな言動のなか、黙々と仕事をこなしていく職人気質がここにはみられる。それは同じ気質のエルガーだけでなく、オカルト好きなホルスト、冒険家気取りのヴォーン=ウィリアムズの作品を演奏する際にも、平等に発揮される美質である。

パガニーニ:Vn協奏曲1&2/リッチ&コリンズ
エルガー:Vn協奏曲/カンポーリ&ボールト

リッチはカルフォルニア出身、カンポーリはロンドン育ちと、いずれも英語圏においてイタリア系移民として育った。ヨアヒム〜アウアー派だのフランコ=ベルギー派だのと、血筋に厳しいバイオリニストの世界にあっては異色のキャリアに見えるが、結果はみての通りである。これを録音したデッカに感謝せねばなるまい。
リッチは史上初のパガニーニのカプリース全曲を録音した神童で、ここでのコンチェルトでも持前の美音と的確なテクニック(老年になるまで全く衰えなかった)を何の衒いもなく披露している。アンソニー・コリンズのややオーバー・ジェスチャーな伴奏も花を添えている。
カンポーリのエルガーは、伴奏にボールトを控えた万全な備えで、このシンフォニックで長尺な作品に対し、入念に音を紡いで飽きさせることがない。一世代若いリッチやフェラスに比べ華やかさはないが、年少の頃にネリー・メルバやクララ・バットと演奏旅行に随行したというサロン風のマナーは、もっと古いエルマンなどに通じるものでもある。

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタNo.29、No.26/グルダ
グラナドス:ゴイエカス/マガロフ

モノラル録音で鬼門とされるピアノ独奏だが、これはマイク1本だけだとピアノのパースペクティブが捕らえにくいということもあるかもしれないが、一番大きな問題はモノラル期の録音では高域のパルス成分をノイズと見なしていたので、ステレオスピーカーの欲する音とタイミングが噛み合わないということだろうと思う。
ここでの課題はもうひとつあって、スタインウェイかベーゼンドルファーかの音色の違いで、演奏の質感もかなり影響を受けると感じる点である。例えばウィーン録音のグルダNo.29はベーゼンドルファーで、木質の響きとカマボコ型で冴えない音の紙一重である。続けてNo.26はジュネーヴ録音で、マガロフのゴイエカスと合わせてスタインウェイの煌びやかな音で収録されている。おそらくグルダの最初のベト全でそこまで気にする人はいないと思うが、小ソナタのNo.26のほうが威勢がいいのは、明らかに楽器の違いである。ただし、これがグルダの本意だったかといえば別のような気がする。それはウィーン三羽カラスのもつウィーン風の人懐っこさにも通じるものであり、ベートーヴェンも日課として散歩し、シューベルトが家庭音楽会を催してた、等身大の作曲家の姿だろうと思われる。
同じスタインウェイでも、グルダとマガロフではピアニストの芸風がかなり違っており、打鍵の鮮明さやカラフルな音色の変化は、ジャケ絵のようにマガロフのほうが数段上である。これにベーゼンドルファー弾きとして知られるバックハウス(例えばブラームスP協1番とか)を交えると、ベーゼンドルファーの真価は、本来は強靭なタッチを誇るリスト派のためのものであった感じもする。その違いも若いグルダの芸風として記録されているのだ。
上記のBOXセットに含まれていないもので、個人的に気になった演奏を以下に挙げる。例のごとく妄想癖のひどいゆえ御勘弁を。
マーラー:大地の歌/ワルター&VPO

マーラー作品の認知度が著しく低かった時代にあって、ウィーンフィルの甘美な音、パツァークの刹那、フェリアーの慈愛と、一見して相容れない要素が混然となった時点で、この楽曲のもつ複雑な状況にひとつの方向性が決まったように思う。逆にいえばこの三者の一人でも欠ければ演奏が成り立たないわけで、解釈の点では普遍性に欠ける危ういバランスのうえに立っているといえる。
この録音は、最初はキング盤のLPで聴いたが、その頃の印象は高音のしゃくりあがった深みのない音という印象だった。英デッカから出たCDは、それに輪をかけてソリッドな印象で、米コロンビアのニューヨークフィルとそれほど変わりない雰囲気だった。それは晩年のワルターがアメリカで身に着けたマッチョな男ぶりが影響しているが、それを受け止めるウィーンフィルの力量もまた、この演奏の魅力となっているように感じる。
バーンスタインが最初の全集録音で、「大地の歌」だけわざわざデッカでのセッションに挑んだのも、このワルター盤があってのことだと推察する。(同じことはホーレンシュタイン/ロンドン響の「千人の交響曲」にもいえる)
シューマン:女の愛と生涯ほか/フェリアー

ピュアな女心には必ず毒がある。こういう古い気質の女性を聖フェリアー様に演じさせると完璧にハマっているのだが、当のクララのほうはブラームスのVnソナタ1番を「天国まで持って行きたい」と所望したというので、夫が理想とした良妻賢母の姿は、傍から見るより遥かに複雑な関係にあったことは察しが付く。同じことはマーラー「亡き子を偲ぶ歌」にも言えて、こちらも聖フェリアー様は難なく演じて見せるのだが、アルマはこの歌を平常心では聞けないのでバーンスタインに録音のゲネプロには行けないと告げていた。かように私生活のあらゆる面を創作に向ける大作曲家の妻というのは、Rシュトラウスのようにしっかり尻に敷かなければ巧くやっていけないのだと思う(サロメがそれだとは言わないように!)。とはいえ、この録音のもつ雰囲気は、35歳という色香の乗った時期でないと出せない味というものがあるのも確かで、ドイツ語が下手だとか(なのでドイツ人には全く評価されない)そういうことを遥かに超えた価値をもっているように感じる。
ブラームス:P協奏曲1番/バックハウス&ベーム VPO

上記とワルターと以下のC.クラウスとを比べてみると、指揮者に要求に応えるウィーンフィルの柔軟性がよく判ると思う。ベームのブラームスはグラモフォンでの録音が有名だが、ここでの筋肉質で柔軟な音楽運びは、働き盛りのベームの姿が刻印されている。同様のインテンポながらきっちり楷書で決めた交響曲3番も結構好きだが、負けず劣らずシンフォニックなのにピアノとのバランスが難しいピアノ協奏曲1番での中身のぎっしり詰まったボリューム感がたまらない。
バックハウスもステレオ収録の協奏曲2番が唯一無二の演奏のように崇められるが、賢明にもルービンシュタイン&メータ盤の枯山水のようになることは避けたと思われる。この楽曲自体がブレンデルをして、リストの弟子たちが広めたと断言するほど真のヴィルトゥオーゾを要求するし、バックハウスもまたその位牌を引き継ぐ思い入れの深い演奏と感じられる。
蛇足ながら、このCDも鳴らしにくい録音のひとつで、SACDにもならず千円ポッキリのバジェットプライスゆえの低い評価がずっとつきまとっている。一方で、こうした録音を地に足のついた音で響かせ、なおかつ躍動的に再生するのが、モノラル機器の本来の目標でもある。ただドイツ的という以上のバランス感覚で調整してみることを勧める。
J.シュトラウス:こうもり/C.クラウス&VPO

ウィーン歌劇場のキャストが総出演したオペレッタだが、ベテラン歌手といえども誰もが一度は演じる歌舞伎の大一番のようなもので、出演者もお手本となるよう手抜きなく挑んでいる。この盤に負けまいとカラヤン、C.クライバーが柄にも合わずレパートリーに加えているのは、錦を飾る何かがこの作品にはあるのだろう。その分この演奏が、立派な大額縁に収めた油絵のように、恰幅良く仕上がっていることにもなるのだが、オペレッタにはもっとリラックスした雰囲気のほうを好む向きもあるだろう。よくウィーンフィルの音を絹のようなストリングに魅惑を感じる人も多いのだが、この録音ではうら寂しいが艶やかな木管の響きに明らかな特徴がある。
ワーグナー:パルジファル/クナッパーツブッシュ&バイロイト祝祭o

1951年のバイロイト音楽祭再開年の録音で、ゲネプロ中心にライブ収録を織り交ぜている。1962年のステレオ盤のほうが超有名で、この録音は長らく存在さえ知られなかったが、最近になってマイスタージンガーやフィデリオなどと並行して見直されるようになった。同じ年のフルヴェン第九がゲネプロかライブかの論争で半世紀を有したが、カルショーはライブ4〜5回+ゲネプロ2回と正直に答えている。
この録音にはさらに伝説があって、音楽祭の専属録音権を取得したEMIが、デッカの録音テープを聴いてその高音質なことに驚愕して、あわてて同じマイクを取り寄せたが、デッカがオケ蓋上に隠しマイクを忍ばせてミックスしたのに気付かず差が埋まらなかったという。演出面で揉めたカラヤンの撤収も重なり、EMIのほうは翌年には早々に撤退して、この時期のバイロイト・ライブは長らくお蔵入りになった。
演奏のほうは、ゲルマン的な神秘性というよりラテン的明晰さをもっており、後にC.クラウスがシェフを務めた指輪に通じる雰囲気をもっている。それがデッカの鮮明な録音とも相まって、クナ将軍のキャラに見合わない(深みや重厚さに欠ける)という下馬評が付いて回ったが、時代も一巡して1950年代のヴィーラント・ワーグナーの演出が評価されるようになったというべきだろう。むしろスコアを見透かすような繊細なオケのサポートに耳を傾けると、クナ自身が「まだよく練られていない」と録音を渋ったレベルが高水準極まりないことも判ろう。1962年盤はそうしたコダワリを超然と捨て去ったところに勝機があったのかと思うくらいである。
フランク&フォーレ:バイオリン・ソナタ/ボベスコ&ゲンティ

デッカの抱えるバイオリニストは、リッチ、フェラス、エルマン、カンポーリといずれも美音揃いの選り取り見取りだが、まだうら若い頃のボベスコの奏でる音は、線が細いが妖艶で、とかく印象派のように捉えがちなフランスの室内楽曲に、アールヌーヴォーのような儚いがふくよかな造形を与えているように思う。これもデッカffrrとの思い込みで聴き始めると、高音の鮮明さだけを追いかけて、中音域の艶やかなボディラインを見失ってしまうところだ。一肌の温もりといったほうが良いだろうか。ちょうどジャケ絵のように、中年男の色欲を軽くいなすような感覚が伝わると上出来である。
グラナドス他:スペイン・ピアノ曲集/ラローチャ

デッカUSAでの録音をここに混ぜていいかどうか悩んだが、聴いていみると血は争えないというか、やっぱりデッカの録音の特徴をもっている。ようするにffrrカーブでのLPがないだけの問題であって、元の録音ポリシーは同じであることが判る。ラローチャはこのアメリカ・デビューの後に、長くデッカ・アーチストとして留まり幅広いレパートリーを築くことになるが、この若々しい演奏からも、彼女の特徴であるふくよかな響きと円満な歌心を十分に堪能できる。それはスペイン物というレパートリーの枠を超えた美質として聞き取ることが可能なのである。
ブリテン島のお国自慢
デッカは新興レーベルでありながら、モノラル期からイギリス人作曲家の新作をドンドン録音することでも知られる。ただ日本人がイギリス人のクラシック曲を理解したがらないだけだ。もう一方では、クラシックとポピュラー音楽との垣根の低いことでも知られる。こちらは根強い人気があるものの、デッカはアメリカでは映画音楽などポピュラーソングで有名なだけに、イギリス発の軽音楽はアメリカのもののように捉えがちであり、それがイギリス特有のメロウな音楽だとは理解されていない。この両者に跨る「何となくイギリス風」という気分のようなものが、芸術とまで理解されるには1950年代は短すぎたといえよう。ffrrが示すイギリス物が、EMIのそれに比べなかなか理解できない理由がここにある。
ブリテン、ヴォーン=ウィリアムズ作品集/ボイド・ニール弦楽o

いちよ最初期のまだ78rpmのSP盤の頃の録音を取り上げる。誰だか知らないがイギリスの保守的楽壇について牛糞派(Cow Pat School)と言ったらしいが、ブリテンはこの言葉を気に入っていたらしい。とは言ってもこの頃は、新ウィーン楽派のベルクに真剣に弟子入りしようと考えていたらしく、自分の様々な可能性に向かって思いを巡らしていた時期でもある。こうしたなかでのボイド・ニールが「フランク・ブリッジの主題による変奏曲」を初演した立ち位置は、精度の良いアンサンブル、新興レーベルDeccaの録音など、新しいテクノロジーを加味したモダンな様相をもっていたのが、 1930年代に録音されたこの演奏からも伝わってくる。これとヴォーン=ウィリアムズのバイオリン協奏曲と並べると、そもそもヘンデルからザロモンまで18世紀古典主義の商業的コンサートをいち早く導入したロンドンにおいて、新古典主義の意味は市民社会のなかに血筋として残っていたともいえる。
ウォルトン:ファサード他/コリンズ&シットウェル

イーディス・シットウェル女史のナンセンス詩を朗読形式の室内楽曲に仕上げた超レアな楽曲。朗読にシットウェル女史も加わった歴史的録音だが、非常に鮮明でクソ真面目に録音されている。同時代にストラヴィンスキー「兵士の物語」があるのと構成が似ているが、こちらの詩はチンプカンプンである。デッカは同曲を作曲家自作自演でステレオ録音し、シャイーでデジタル録音するなど、結構この楽曲がカタログから落ちないように気に掛けていたのだと思う。
余興というかLPだと2枚目にあたるボールト&ロンドンフィルによるウォリトンとアーノルドの管弦楽曲は、ともかく威勢よく鳴らすデッカサウンドのもうひとつの側面を偲ばせる。
タンゴ名曲集&ワルツ名曲集/マントヴァーニ・オーケストラ

デッカの高音質録音が最も知れ渡ったのは、クラシックの録音というよりは、本盤のような軽音楽の分野である。カスケード奏法そのものがムードミュージックの代名詞となった以上に、初来日公演ではそれが本当に実演可能なのかで、新聞も賑わす大騒ぎとなった。それだけ世間の興味を引いていたわけだが、その顛末を知ってか、10年後に来日したポール・モーリアはPA音響を入念にチェックしKYを実行したことで不動の地位を得た。英VocallionのCDは、必要以上に明瞭な音で収録されており、少し議論の余地がありそうだ。
Best of Billy Cotton

ビートルズ以前のラジオ・バラエティー・ショウの一番人気だった名バンド・マスターである。イギリス人の冗談音楽に掛ける情熱は、プロムスでも証明済みだが、年がら年中やってるとなると事情は大いに異なる。聞き物は、バンド全員を従えた大仕掛けなお茶らけっぷり。音楽の腕もそこそこあるのに、必ず一癖つくってくる。ちょうどこれが全てDecca ffrr録音である点が、もうひとつのミソである。マントヴァーニの甘いお菓子に飽きた方は、口直しにフィッシュ&フライでもどうぞ。そんな軽妙な語り口で押し切るアルバムは、何と言うか暖かい下町人情にでも触れたような、ホロリとさせるものがある。この伝統は、ビートルズにも確実に引き継がれていくのである。




【CD規格:愛と死の前奏曲】
 少し余談になるが、CDでモノラル録音をとことん味わい尽くすという企画に際し、CD規格のたちあがり前夜のオーディオ事情については無そうと思う。とはいえ、私自身は規格策定に関わった人間ではないので、あくまでもユーザーサイドからの横やり程度に考えてもらいたい。
 CDの記録方式であるPCM44.1kHz/16bitの規格は、20kHzまで伸びきった高音と、S/N比90dB以上という驚異的な低ノイズによって、アナログテープのヒスノイズから解放されたようなことを言っていたがウソである。最初はアナログでは出せない高域のストレートなエナジー感を出そうと、見掛けのキラキラ感が先だって派手な音でないと困るようなイメージがあったが、もちろん制作側の演出でそうしていたのだ。1980年代にCDをロボットの発する音のように発案したのは誰かといえば、むしろコンシュマー市場のデジタル対応アナログ機器だったといえよう。私個人のCDそのものへの感想ではどちらかと言うと、どの周波数域でもニュートラルという印象で、むしろペッタンコすぎて表情が判りにくいきらいはある。むしろデジタル録音で問題になったのは、周波数レンジをカタログ通りに広げるために選んだシャープ・ロールオフのデジタル・フィルターのもつ非線形性で、パルス波の前後に微小ながら超高域のリンギング(ポスト&プリ・エコー)が乗ってくる。これがあらゆる波形に累積してくるのでデジタル録音にザラザラした印象を与える結果となっていたのだ。
 1980〜90年代のオーディオ機器で、「デジタル対応」として20kHzまで完璧に再生しますよ、という宣伝が巷に溢れた。酷いのは20kHz付近にハレーションを起こしたスピーカーがイギリスを中心に世界中に流布したことで、B&W、Celestion、Acoustic Energyなど名立たるメーカーが、この手のハードドームツイーターを採用し、デジタル時代の明瞭な音調として受け容れられたことだった。このスピーカーで耳ざわりの無いように忖度してパルス成分を研ぎ澄ました録音が増え、高域の精密なコントロールにケーブルの銅線1本の材質まで厳しく求められるようになっている。実際に異常に緊張感の漂うサウンドで、スピーカーの周りだけ別の空間がポッカリあるような感じで、いわゆるコワモテ上司が仕事を誰に投げようか身構えている雰囲気をプンプンさせている。こうした規格競争は、CD規格の策定時点で指摘されていたように、音楽の本質とはあまり関係のない(それ以前にDACのフィルターの非直線性からスピーカーの位相ねじれまで不自然な音響的課題を無視している)もので、最初から手詰まりだったような気がする。

デジタル録音に特有のポスト&プリ・エコー、1980年代のデジタル対応スピーカー


 ところが、CD規格を策定した1970年代末の楽曲はFM放送での認知度が規準であり、超高域のデジタル・ノイズなどはFM波特有の2〜15kHzの三角ノイズの霧のはるか向こうの話で、ほとんど問題にはならなかった。FM電波の特徴として「砂嵐」と称されるホワイトノイズがあり、特に耳に付きやすい高域方向にエンファシスを掛けてノイズリダクションを施している。送信側でプリ・エンファシスを+6dB/oct掛ければ、受信側で逆のディ・エンファシスを掛けて元に戻すのだが、エンファシスを掛け始める周波数に差があり、欧州では50μs、米国では75μsとそれぞれ規格の違いがあり、日本ではラジオで50μs、テレビで75μsという棲み分けをしていた。理由は75μsの音声を50μsの受信機で聴くと、中高域から+4dBカン高くした音で再生されるためで、エンファシスの時定数はいわば放送規格の砦だったといえる。


 このようなプロモーション側の理由もあってか、CD規格を策定する際に多くの録音エンジニアにヒアリングした結果も16kHz以上は楽音として影響しないという結果だった。それどころかクインシー・ジョーンズのような怪物は、150〜8,000Hzしか再生できないオーラトーン5Cという小型フルレンジでミキシングするように推奨していた。つまりこの状態で聞こえない帯域は、音楽のコアな部分としてあえて認めない作戦に出たのだ。1980年代のギガヒットであり誰もが憧れたマイケル・ジャクソン「スリラー」もこうして作られたのであるが、むしろ録音されたウェストレイク・スタジオの大型モニターを使用したからだと説明された。同じ時期の日本ではオーラトーンの役目は有線やラジオ向けのモノラル音声確認用としてしか使用されていなかった。日本もバブル崩壊に向かってまっしぐらのイケイケ状態のなか、音楽性を保持する戦線をどこかで見失ってしまったとも言える。私なりの意見では、スピーカーの超高域を伸ばして楽音のパルス成分を研ぎ澄ますよりも、規格立案の原点に立ち戻って、デジタルノイズをアナログ的に曖昧にしたほうが、楽音への実害がなくて良いと思う。

B&W実装前後のアビーロードスタジオ(1980年)
前面のコンソールはビートルズ解散直後に新調したもの


マイケル・ジャクソン/スリラーの録音されたWestlake Studio(1982年):
ほとんどの編集はオーラトーンで行い、メインモニターのカタログ上のスペックは16kHzまでだった


 そこでFM放送=Hi-Fiという印象は、50〜15.000Hzという控えめな帯域をちゃんと使いこなしていたからだということができる。FM放送に向けて開発されたモニタースピーカーに注目すると、JBL 4320(1972年)は、ロックのライブステージで培ったパワーハンドリングのタフな面をコンパクトに絞り込んで、ガッチリした重低音とどこまでも音圧の上がる中高域の強健さが巧くバランスしていた。このように放送規格という枠組みを規定されたなかでも、それぞれのメーカーがエンドユーザーに向けたサウンドデザインをしっかり主張できたし、その結果は今もなお生き続けているともいえる。

三菱 2S-305とJBL 4320:共に50〜15,000HzというFM放送のスペックを死守している

 BBCモニターとしては最後になったロジャース LS5/9(1983年)は、LS5/8をミッドサイズに収めたものだが、製作現場がサテライト化していくなかでの要望に沿ったものだったと思われる。ここではBBC特有のオーダーである「男性アナウンサーの声が明瞭に聞こえること」という基本形と、音楽制作でのフラットネスとをどうバランスさせるかの知恵比べが繰り広げられていて、ポリブレビン・ウーハーに独特のツヤを与える代わりに、かなり複雑なネットワーク回路を介して辻褄を合わせている。このため開発時にはバイアンプで鳴らすことが計画されていた。LS3/5が重たいネットワーク回路で有名だが、現在のように低能率のスピーカーでも難なく鳴らせるアンプが多数ある現在では、あまり問題にならないかもしれない。

BBCモニターの最後の作品LS5/9:中域の過度特性を重視してウーハーを設計した

 このようにCD規格のサウンドポリシーは、FM放送を巡ったアナログ技術にあり、そのFM放送規格は1950年代からそれほど変わりなく存続していたのである。例えばフルトヴェングラーの放送ライブも、1950年以降はFM放送のためのHi-Fi録音であり、やたらプレスされた海賊盤によってAM放送なみの音質と汚名を着せられていた。ドイツは戦後にいち早くFM放送の全国ネットを整備したため、他の国に比べ10年早いものとなる。上で述べたデッカのステレオ・デコラ、テレフンケンS8といった高級電蓄もまた、FM放送創成期のHi-Fi理論によっているし、もちろんその頃の規格は1980年代もそのまま使われていた。この事実関係を探ると、CD規格はモノラル時代から変わらぬアナログ規格の申し子なのである。その証拠に、CDプレーヤー以外のオーディオ機器は20年間以上もアナログ機器で囲まれていた。むしろ21世紀のパソコンやi-Podの普及により、デジタルでの音声伝送が認知されたというべきで、本格的なデジタルアンプなどはごく最近の出来事である。逆にCD以降を古いラジオ用のアナログデバイスで噛ますと、ふつうにラジオ風の暖かい音がする。CD規格の策定時のスタジオ環境もアナログ機器だらけだった。だから私はCDのアナログ臭い音がたまらなく好きなのだ。

 その一方で、1950年代のモノラル音源について、CDならどんなプレーヤーでも同じように鳴っているだろうと思うひとは不幸だと思う。私の使っているラックスマンのD-03Xは、モノラル録音の再生には全くのお勧めで、かつて購入したCDが実は結構緻密な情報をもっていたんだと感心するような出来で、中域から湧き出るクリアネスというか、音の見通しの良さは、とかく団子状になりやすい収録帯域の狭いコンテンツには、かなりのアドバンテージになる。おそらくIV変換回路あたりからの丁寧なアナログ回路の造り込みが功を奏しているように思える。トスカニーニ/NBC響も放送録音の規格品なのだが、かつてNHK-FMで聞いたような肉厚で物腰の柔らかい躍動感(デンオンの業務用CDプレーヤーDN-960FAを思わせるような安定感)が再現できているので、ラジオ規格との相性が良いのだと思う。よく最新オーディオというと音の定位感や立体感ということに注目が行きがちだが、中域の音像がクリアで芯がしっかりしているとか、音楽表現の基本的なものを律儀に求めている機種というのはそれほど多くない。このCDプレーヤーの開発者は、1990年にD-500X'sを開発した長妻雅一氏で、最近はネットワーク・オーディオのほうに専念していたが、フラッグシップのD-10Xの影でCD専用プレーヤーの開発を音質面・モデル面を一人で担当したというもの。D-500X'sとは違う意味でアナログ的なアプローチが徹底していながら、ラックス・トーンをやや封印した真面目な造り込みと、見た目にも業務用っぽい無粋な顔立ちでよろしい。

 ちなみにD-03XのデジタルフィルターはMQA規格に準じたショートロールオフで、パソコン内のソフトウェアDACから発生させたシャープロールオフと比較すると、プリエコーのリンギングが少なく、パソコンのアナログ出力に感じた中高域のテカリとかドラム音の滲みのようなものは、デジタルフィルターのクリアネスと関連があるとみた。ただし、ラックスマンの開発者の話だとCD側のチューニングをシャープロールオフで行ったが、MQA規格のショートロールオフとの辻褄を合わせるのに苦慮したような言い方をしていたので、おそらくCDはシャープロールオフなのだろう。ただ以前に比べてエコーのレベルも低減されているだろうから、むしろ本来のCD音質(U-MATIC?)の性能に近づいているように感じる。

ライン出力でのインパルス特性の違い:D-03X-USB(左:ショート)、パソコンDAC(右:シャープ)





【モノラル・クラシック・リファレンス・アルバム】
 なにやら横文字が並んで妙な感じだが、言いたいことは、モノラル録音のクラシック音楽のうち、リファレンスと呼べる優秀録音は何か、という意味である。実はこのように定義できる録音のリストを、私のようなモノラル三昧の人間でも聞いたことがない。これまでローファイ&モノラル主義の擁護をしてきたが、モノラル装置を正しく運用してもらうには、CDでも心ゆくまで鑑賞できるソフト面の充実が大前提である。ということで、手持ちのCDでこれはと思う逸材をリストアップしてみようと奮起してみた。
 しかしその前に、現状のモノラル再生での課題と目標をスケッチしてみよう。

●ステレオ装置の弱点に気付こう
 CDで音楽を聴く人は、ほとんどの人がステレオ装置で聴いていると思う。しかし断言して言うと、ステレオ装置で聴くモノラル録音ほどひどいものはない。下位互換ではなく斬り捨てのために存在していると言っていい。
 最近になって気付いたのだが、モノラル録音に対する世の中の意見というものは、まさに青天の霹靂のような驚く言葉が出てくることがある。ひとつは、大変多くの人がクラシック音楽のモノラル録音を聴く場合、なにか不満を持ってるか、我慢して聴いているという事実である。つまりモノラルでしか残ってない演奏は、しょうがないのでモノラルで聴くというスタンスである。これは「モノラルなので残念」派と呼ぼう。ふたつ目は、モノラル録音というだけでクラシックの優秀録音に挙げることはためらわざるをえない、という不条理な状況である。これは「録音は古いが演奏はいい」派と呼ぼう。いずれもネットの口コミで必ずでてくる、モノラル録音を指すスラングのようなものである。そこで反論して言えるのはせいぜい「古い録音で音質のことを言うのは失礼」という言い訳程度でしかない。これで誰が率先してモノラル録音を聴こうと思うだろうか?
 このようにモノラル我慢比べが常識のように思える理由を掘り下げると、実は自分の家にあるオーデイオ装置に原因があると言われると、どう感じるだろうか? まさかと思うだろうが、70年も前の録音技術に対し、現在のオーディオ技術が退化したものがふたつある。ひとつは、多くのステレオ録音では音場感や定位感を出すため、過剰なパルス音で先行音効果を醸し出しているが、このパルス音がなくなるとウーハーだけがモゴモゴしてまるで音楽にならない設計のスピーカーが大半を占めること。もうひとつは、トーンバランスを高域の繊細な違いに耳を傾け続けることで、低音までの一貫した波形(タイムコヒレンス特性)を保持できない、つまりシンプルなマイク配置で録られたモノラル特有の一体感のあるサウンドが得られないジレンマに襲われる。この過剰なパルス音とタイムコヒレンス特性の欠陥が、モノラル時代のオーディオ装置より現代の技術が劣る点である。

BBCで1969年に行われたミニホール音響実験BBC Ls3/9aのインパルス応答特性(ツイーターの反応が鋭敏)


デジタル録音に特有のポスト&プリ・エコー、1980年代のデジタル対応スピーカー


●Hi-Fi録音事始めの感動をふたたび
 それゆえに、第二次世界大戦後にHi-Fi規格の乱立したモノラル期のクラシック録音は、どの録音が優秀かというよりは、何が正しいかの議論のほうが先行しがちである。それほどに各レーベルのサウンドポリシーが異なっており、それによって演奏の印象が全く異なるからである。この点はRIAA規格での統一が決まった後に広まったステレオ録音とは大いに異なる点だ。
 一方では、この時代の人たちはHi-Fi録音そのものが新鮮であり、それ自体にはあまり猜疑を挟まず聴いていた節がある。さらにLPレコードが高価で手に入れるのも困難な人も多く、さらに同曲異音を聴き比べてどうとかというコレクターもそんなに多くなかった。それゆえに、1枚1枚のレコードが一期一会の絶対的な存在であり、他と比べてダメだなんて想像するだけでも夜も眠れなくなっただろう。それだけ1枚のLPレコードに掛ける思いが強かったのである。これがいわゆる「精神主義的なレコード鑑賞」といわれるものだ。
 しかし、アファナシエフというピアニストは、ベートーヴェン交響曲全集は、トスカニーニとメンゲルベルク(ともにモノラル録音)だけあれば、演奏解釈は全て網羅できると言った。またブレンデルは、モノラル期のケンプについて「その演奏は風(聖霊)のようにどこから来てどこえ行くかは誰も判らない」と前置きしながら、当時としてはリスト「鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ」をミスタッチなしで演奏できた唯一の技巧派だと評している。フルトヴェングラーの戦時中のマグネトフォン録音は、熱心なコレクターが探し当てる前から、ソ連の音楽アカデミーの特別クラスで研究生向けに聴かれていたという。このような一流の演奏家からもリスペクトを受けるモノラル録音を、ありのままに評価できるオーディオ環境が本来の目指すところである。

●モノラルにもスタンダードな再生装置が必要
 今回のEMI vs Deccaの対決を通じて判ったことは、実は当時の一般的なHi-Fi音響装置であれば、どちらもそこそこ高音質で自然な音に聞こえるということだ。よく言うビンテージ・オーディオの魔力ともいうべきものだ。もちろんサウンドの違いはあるが、それが演奏内容にまで影響するようなことはなかったと言える。一方では、AM放送からFM放送に押し広げた1950年代の音響設計をちゃんと踏まえないと、これまでのチグハグした演奏評価はずっと続くだろう。このため正統な演奏評価をともなって音楽鑑賞するためには、モノラル録音をニュートラルに聴くための再生装置の構築は、とても重要だと断言することができる。

 しかし、ニュートラルとは最高品質という意味ではない。当たり前のことだが、最高級パーツをふんだんに使ったからといって、最高のオーディオシステムになるとは限らない。ニュートラルな装置を組む条件として、どんな最高級電蓄でもそれほど高級なパーツを使っていたわけではなかった、という事実も重要だ。つまりモノラル時代には、それまでSP盤を再生してきた蓄音機〜電蓄の歩みがあり、その延長上にHi-Fi技術が成り立っているという音響設計上の文法を崩して、高音や低音を強調してもけして巧くいかない。モノラル録音を聴こうとするならば、まず100〜8,000HzというAM放送やSP盤の規格内でしっかり鳴るように、我が家のオーディオ装置を調整していくことをお勧めする。

Siemens Z59M(1955年)
オープンリール、LPプレイヤー、FMチューナー装備


6 Ruf lsp. 23a (ウーハー4本、ツイーター6個)を
EL34プッシュプルで鳴らす



EMI DLSスピーカーシステム、デッカ・ステレオ・デコラ(1959)
共にEMI製楕円スピーカーとコーンツイーターを使用


 これはCD化されたモノラル録音でも同じことが言えて、そもそもCD自体は高忠実度記録のフォーマットなので、モノラル録音の狭い帯域でも理屈は一緒である。デジタルに無いのはアナログ特有のノイズと歪みで、スクラッチノイズ、磁気ヒステリシス、高調波歪み(サチュレーション)、分割振動、三角ノイズにヒスノイズなど、これらを勘定して元の録音はサウンドキャラクターを決めている。モノラル録音のエッセンスをデジタルに旨く取り込む方法は、実はレコード出版するソフト側ではなくユーザーの再生装置のほうにあるという事実に、多くの人は目を覆っている。モノラル我慢比べの原因は、押し並べて音質に関する責任をメーカー側に押し付けた結果なのだ。逆に言えばメーカー製で、オーディオマニアに希求するようなモノラル再生装置は現在製造されていない。精々、モノラルLP用カートリッジだけで、その先はステレオ装置に接続するしか仕方がない。依然としてモノラル録音の再生は、その隙間をうまく突くことができないでいるのだ。
 私なりの見立てで、クラシックのモノラル録音の多彩なサウンドキャラクターに対しても、自然にアプローチできるのは、あろうことか大ホールでの音響に似せたカマボコ型の周波数特性であった。これは初期のHi-Fiがコンサートホールで生演奏とスピーカーとのすり替え実験で検証していたのと似ており、近接マイクで録った音をホールの響きに馴染ませることで本来のバランスに戻るというロジックである。なおかつ時間軸のタイムコヒレンス特性をきれいな一波長で整えることで、自然なイントネーションで一体感のある演奏になる。残るアナログ的な艶やかさは、経験上はリマスター側で味付けしてデジタル変換するよりも、自宅の機器で高次倍音などサチュレーションを与えたほうが遥かに高品質である。タイムコヒレンス特性とサチュレーションのサジ加減は、ビンテージ設計(だが現在も製造中)の大口径エクステンデッドレンジ・スピーカー、コーンツイーター、ラジオ用段間トランスの3点に絞ってパーツを揃えている。

我が家のシステム全体のスピーカー特性と実際のホールトーンとの比較、同インパルス応答特性



 というわけで、モノラル録音でクラシック音楽を鑑賞するには、自分のオーディオ装置の癖の出やすい部分を把握するため、リファレンスとなる録音が必要である。リファレンスとなる録音は、それ自体が優秀録音であることはもとより、その聴き辛くなる盲点を探り、我が家のモノラル装置を的確に調整する術を見出すのが目的となる。実は歴史的名演という切り口で選ぶと、演奏そのものが個性的で、そのサウンドの良し悪しの判断が鈍り、従来と同じように一期一会でのレコード鑑賞になり、オーディオ装置をニュートラルにする術を見失ってしまう。その意味では、各レーベルの特徴を理解するために、少し冷静に聴けるという点でも選んでみた。

オーケストラ
クラシック音楽の花型ともいえるが、モノラル録音の再生で最初に断念するのが、実はオーケストラの音場感の不足である。この原因を探ってみると、アナログ機器に多く含まれる中高域の歪みが不足している、それもパルス音に付随する高次倍音(サチュレーション)にある。ステレオ再生では、これが定位感とも被っているため、ツイーターの反応が非常に鋭く設計されているので、モノラル録音は痩せた音像だけが残ることになる。
一方で、モノラル時代のスピーカーは、分割振動を伴ったサワリのような機構が許容されていて、それが高域にリバーブを掛けたような音場感に結びついていた。真空管でも似たようなサチュレーションが起こるが、真空管の種類によって共振周波数が一定なので録音との相性が出る。これが古いライントランスだと楽音の周波数に合わせて倍音を変化させるので、滑らかで品位の高い倍音が得られる。私の場合は、スピーカーをディスクサイドに置き近距離かつ小音量で聴くため、分割振動の多いコーンツイーターを使い、ウーハーとなるエクステンデッドレンジからも倍音を出すものを選び、ライントランスも磁性体のボリュームが小さく歪みやすいラジオ用のものを挿入している。これで音場感を過不足なく得られるようにバランスをとっている。
ベートーヴェン「田園」
フルトヴェングラー/ウィーンフィル(EMI)

人気が悪いフルヴェンの偶数番でもあり、なおかつ晩年様式のドーンと構えた演奏なのだが、この録音はなぜか良く手を伸ばして聴くことが多い。理由はこれがひたすら純粋に「ウィーンフィルの田園」であり、その美質を湛えてやまないからである。おそらく。クリップスやC.クラウスのような生粋のウィーンっ子が演奏しても同じ結果になるのではないか、そう思える自然体のウィーンフィルの音が充満している。単売CDだけは4番か5番、あるいは序曲集とのカップリングにならなかったのだろうかと思う。
ベルリオーズ「幻想交響曲」
モントゥー/サンフランシスコ響(RCA)

モントゥーというと穏健でゆったりかまえる晩年のスタイルを思い浮かべる人も多いと思うが、この幻想は緩急自在なテンポルバート、そして急激なクレッシェンドでも鳴りっぷりのいいオケのトゥッティといい、ここまで表現を追い込んだ演奏は滅多に聴けるものではない。時節、テンポの流れがセクション毎ですれ違うことがあるが、その流れが空気を呼ぶように次のテーマに結びつくさまは、実によく練られた演奏なのだ。
スメタナ「わが祖国」
ターリッヒ/チェコフィル(スプラフォン)

チェコフィルの黄金時代を築いた第一人者の演奏で、長らく規範とされた解釈でも知られる。ともかくあのニキシュの薫陶を直接受けた数少ない指揮者のひとりでもあり、国民楽派という枠組みに囚われないオケの安定度は比類ない。チェコフィルの中域にたっぷり詰まった蜜の味が出てくるようならシメタモノである。
バルトーク「管弦楽のための協奏曲」
フリッチャイ/RIAS響(DG)

初演がアメリカの作品だけあって、同じハンガリー系のライナーやショルティがシカゴ響を振った名演が続く本作のなかにあって、ドイツ系オケを振ったこの録音は長らく忘れられた存在だった。しかし最終楽章の筋肉質な機能性を聴くと、マッシブな響きや正確なパッセージだけでは語り尽くせない、もっと根源的なバーバリズムの血沸き肉躍る饗宴が繰り広げられる。低弦のリズムのアクセントがきっちり出ないと、この面白さは判りづらい。
ピアノ協奏曲
モノラルでのピアノ協奏曲の課題は、ピアノの高音の響きと、オケの高弦の響きとの、バランスの取り方である。ピアノにブリリアントな輝きを増し過ぎると、オケのストリングが悲鳴を上げる、というのは、よくある失敗例である。この問題は高域と低域のバランスにあるのではなく、ピアノの瞬時のパルス音と、バイオリンの持続的な音とで、反応がちゃんと描き分けられているかである。大概はウーハー側の過度特性がきちんとしていると解決する。現在のスピーカーの大半は、重低音再生にシフトした設計のため、重たい振動板でゆっくり持続させるように鳴らすので、モノラル録音のスピード感についていけない。
モーツァルト「ピアノ協奏曲23番」
ハスキル&ザッハー/ウィーン響(フィリップス)

天使がピアノに触れたらこんな音になるのではないか、それくらい軽いタッチでずっと鳴り続けるのが、ハスキルの音色である。これに合わせるウィーン響も自然なフレージングで淀みなく流れる。というか、そうせざるを得ない雰囲気が、ハスキルの合いの手が入る瞬間に魔法のように変わってしまう。実はこの流れを維持するには、無駄のない的確なテンポ感がないとだめなのだが、その抑揚がうまく出せないと、全ては霧のむこうのおとぎ話になる。
サンサーンス「ピアノ協奏曲全集」
ダルレ&フレスティエ/フランス放送響(EMI)

サンサンースは大ルビンシュタインと比肩するほどのヴィルトゥオーゾであったため、どのピアニストにとっても肩の荷が重い演目である。しかしこのダルレは、作曲家の知古を得ていたこともあり、早いうちから演奏会で取り上げていたことで知られる。そこには単に技巧を誇示するようなものではなく、一音たりとも無駄なものはないという信念のようなものが貫かれている。フランスの女流だからと、腰の軽いエスプリを求めると、バランスを見失うので注意。
ブラームス「ピアノ協奏曲1番」
カ−ゾン&ベイヌム/ACO(デッカ)

同じデッカならバックハウス&ベームという最強タッグのほうに目が行きがちだが、どうしてどうして、このカーゾンも負けずに骨太のタッチで応酬している。いやむしろ、大理石を相手に無駄なぜい肉をそぎ落とす彫刻師のような気合いも感じられる。これに対するベイヌムも、この作品のシンフォニックな性格を存分に表して、むしろそれに負けないカーゾンのフィジカルの強さに魅了されるのだ。
バイオリン協奏曲
モノラルでのバイオリン録音は、オケとは別に近接マイクを立ててきっちり録るため、伴奏オケと比べると、モッサリしたり悲鳴を上げたりで癖が出やすい。これは現在の多くのツイーターがパルス性の高音に過剰に反応するように設計されているのに対し、モノラルではパルス音はスクラッチと同様にノイズと見なされるためこの帯域が制御できておらず、ボソボソ言っているかと思えば、突然奇声を上げるような状態になる。
これをニュートラルにするには、試聴位置でのトーンは大ホールのように高域をロールオフさせる一方で、パルス音に対していつでも倍音で艶を出すような機構が必要になる。このことで、ボソボソ言っているときは隈取りをはっきりさせ、ここぞと音量を上げたときにはホールトーンで包み込むという、コンサートホールではごく当たり前のアコースティックな状況を再現してあげることである。
サラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」
ハイフェッツ&スタインバーグ/RCA響(RCA)

戦前からハイフェッツの人気曲だが、あらためてオケ伴付きのHi-Fiモノラルで挑んだもの。完璧な技巧を誇ることで知られる名手だが、比較的線の細いパッセージでニュアンス豊かに弾く感じもあり、輝かしい高音のキレだけでなく、中低域がしっかりしていないとそのニュアンスが出にくい。
ブラームス「バイオリン協奏曲」
シュナイダーハン&ケンペン/ベルリンフィル(DG)

個人的にシュナイダーハンの音色は好きではない。中高域に少しクセがあって、キーキー鳴りやすいからだ。でもオケに混ざったときの音色は、水を得た魚のように生き生きとしだす。このブラームスでは、ベルリンフィルのがっしりした伴奏に触発されてか、シュナイダーハンとしては見栄を張ったように荒ぶる表情を叩き出す。ヌヴーとかオイストラフのような熱血漢が支持されるこの協奏曲にあっては、知情のバランスがよい一番好きな演奏である。
ベートーヴェン「バイオリン協奏曲」
エルマン&ショルティ/ロンドンフィル(デッカ)

エルマンというと超ロマンチックな弾き方で魅了する感じだが、この演奏ではポルタメントを禁じて、いたってまじめである。それでいて生来の美音が引き立って、ベートーヴェンのソナタにみるような、どこかチャーミングな一面もあり、それを楽しみながら演奏しているような感じである。若いショルティも超大物を前に、やや神妙に伴奏を務めており、そこがまたカワイイ。
管楽器
弦楽器の響きがホールトーンで包み込むような音場感に包まれたとき、意外に置き忘れるのが管楽器の響きである。こうしてアンサンブルのなかでソロ楽器にしてみると、芯のない伴奏楽器のように裏方に回ってしまうのが、よくある失敗例である。これは中域に艶のない、すなわち800〜1.500Hzくらいで高次倍音を押し殺しているウーハーにありがちな事で、古い設計のウーハーはこの帯域での艶を積極的に出すように設計されている。理由はラジオをはじめ、ステージでのPAでも、人間のアナウンスを明瞭にするため、母音の明瞭さが要求性能としてあったからである。逆に現在のステレオでは、高域での定位感を際立たせるため、中域でのサチュレーションは厳禁である。
モーツァルト「ホルン協奏曲」
D.ブレイン&カラヤン/フィルハーモニア管(EMI)

もともとホルンは奥まった音になりやすいので、たとえモーツァルトのような小構成のオケでも、どうしても背後にまわりバランスを取るのがむずかしいのだが、このデニス・ブレインの音色だけは格段の存在感がある。天馬が雲を突き抜け駆け上るかのような、爽快な気分にさせられるのだ。元の楽曲のコンセプトが牧歌的なお戯れを想定しているような気がするが、なぜか雲の上の神々の世界を思わせるのは、ブレインの高貴さゆえのことだと思う。
ブラームス「クラリネット五重奏曲」
ウラッハ&ウィーン・コンチェルトハウスSQ(ウェストミンスター)

天真爛漫なモーツァルトでも巧さを発揮するウラッハだが、やはり白眉はブラームスでの陰りのある表現だろう。どちらかというと、他のクラリネット奏者は艶やかな紅一点の存在を示すのだが、影の深さで存在感を示せたのはウラッハのみだと思う。録音技術の進展にも関わらず、味わい深さだけは奏者の持ち味が生きてくる好例である。
室内楽
ここではピアノ伴奏の独奏曲を取り上げるが、ピアノ協奏曲のところでも指摘したように、ピアノのパルス音と、弦楽器の持続音とのバランスが崩れていると、室内楽としての魅力の半分が失われていることに気付く。現在のツイーターの多くはパルス音への反応が鋭すぎて、モノラル期のピアノが高音不足、バイオリンは中域の艶がない痩せた音になりやすい。
ルクー「バイオリン・ソナタ」
グリュミオー&カスタニョーネ(フィリップス)

フランコ=ベルギー派の伝統を一手に担ったようなグリュミオーだが、若い時の録音はハスキルとの共演以外はなかなか聴く機会がない。ここでの演奏は老練といっていいほど弾き込まれた表現で、同じテイストならばステレオ録音をとなってしまうだろう。モノラル録音としては比較的鳴らしやすいもののひとつなので、機会があれば聴いてみて欲しい。
ブラームス「バイオリン・ソナタ」
ゴールドベルク&バルサム(米デッカ)

戦前のフルトヴェングラーの下でコンマスを務めたというだけでも特別なキャリアをもつが、ナチスに追われ日本軍の捕虜になるなど、結構な放浪をした後のアメリカでのソロ活動開始時の録音である。同じカール・フレッシュ門下のシェリングと被っているため、キャリアが逆転してしまった感じもあるが、人柄の良さゆえに個性が引き立たない代表例かもしれない。噛めば噛むほど味のでる録音でもある。
ベートーヴェン「チェロ・ソナタ」
カザルス&R.ゼルキン(コロムビア)

長いキャリアをもつカザルスだが、戦前のHMV吹き込みのほうが圧倒的に株が高く、戦後の演奏はなかなか評価されない。しかしどうだろう、このガット弦を船を漕ぐようにゆったりと弾く姿は、ヘミングウェイ「老人と海」を連想させるほど絵になっており、音楽とはかくも人生のあらゆる場面で輝きをあたえるのだろうと素直に聞き入ってしまう。伴奏を務めるR.ゼルキンの、シンフォニックでありながら引き締まった表現も花を添えている。
ショスタコーヴィチ「チェロ・ソナタ」
ロストロポーヴィチ&作曲者(メロディア)

スターリン体制から雪解けの時代に突如現れた感じのロストロポーヴィチだが、すでにソ連国内ではバッハの無伴奏組曲の演奏で表彰されるなど名声を得ていて、この録音でも聴くとおり同時代の作曲家からの信望も厚かった。ショスタコーヴィチというと交響曲ばかり有名だが、このチェロソナタも構成としてよくできた名曲で、交響曲5番を知る人なら筋立てが似ていることに気が付くだろうが、作曲家本人は一番危険な時期にあった作品でもある。そうした閉ざされた思いが滲み出てくる意味でも歴史的な演奏である。
オペラ
モノラルで一番違和感を覚えるのがオペラで、理由はオケの音場感から歌手の声が浮き出ているからである。これはラジオ放送で聴くことの多かった時代のバランスで、どうみても贔屓の歌手の声が聴きたくて録っていると思えるふしがある。
一方で、この歌手を張り付けたような感覚は、コーンツイーターのように分割振動の多いもので聴くと、それほど違和感がなくなる。そのため切り貼り歌手の理由は、パルス音に鋭く反応するツイーターの性格によるものであり、マイク位置をあからさまに特定しているためである。古い設計のコーンツイーターは、分割振動によるリバーブのような付帯音を伴うため、このマイク位置の情報をぼかしてくれる。よく分割振動のことを悪の権化のように言う人がいるが、これが録音の求める本来のバランスである。
ウェーバー「魔弾の射手」
ケンペ&ドレスデン・シュターツカペレ(独プロフィル)
レハール「メリー・ウィドウ」
アッカーマン&シュヴァルツコップ(EMI)
「コロラトゥーラ・オペラ・アリア集」
カラス&セラフィン(EMI)
超有名だが演奏が個性的すぎて手本にならない録音
モノラル録音で有名な録音は、それ自体が今後現れようもない個性的なものが選ばれることが多い。同じような演奏なら吐いて捨てるくらいあるというのだ。しかしどうだろう? 上記の課題をこなして、我が家のオーディオ装置のバランスを整えてみると、これまでどのリマスター音源が良いとかいう寸評が、あらためて言うほどのことはないことが判る。それほど頓着しなくとも、自然に良さが伝わるのだ。よく再生装置をニュートラルに調整してから改めて味わおう。
バッハ「ゴルトベルク変奏曲」
グールド(唸り声回避のため、いびつなマイク位置)
バッハ「無伴奏バイオリン・ソナタ」
シゲティ(民族音楽と同様の近接マイクでの標本録音)
ベートーヴェン「第九」
フルトヴェングラー/バイロイト祝祭o(舞台でのマイク制限のためステージ前面マイクを強制撤去)
ヴェルディ「オテロ」
トスカニーニ/NBC響(残響なしのラジオガラコンサート仕様)



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