20世紀的脱Hi-Fi音響論(延長13回裏)

 我がオーディオ装置はオーデイオ・マニアが自慢する優秀録音のためではありません(別に悪い録音のマニアではないが。。。)。オーディオ自体その時代の記憶を再生するための装置ということが言えます。ここでは、サブシステムをモノラル&ラジオ音源用に構築した後に、納戸の機材を片っ端から引きずり出しては、過去のしがらみと奮闘した結果、リスの巣穴状態となったオーディオ体験が備忘録代わりに綴られています。
戦中・戦後ドイツ放送録音
【戦中・戦後ドイツ放送録音】
【ドイツ放送規格を巡る機器類】
【PA業界の刺客を差し向ける】
さらなる煩悩へ→
自由気ままな独身時代
(延長戦)結婚とオーディオ
(延長10回)哀愁のヨーロピアン・ジャズ
(延長11回)PIEGA現わる!
(延長12回)静かにしなさい・・・
(延長13回)嗚呼!ロクハン!!
(試合後会見)モノラル復権
掲示板
。。。の前に断って置きたいのは
1)自称「音源マニア」である(ソース保有数はモノラル:ステレオ=1:1です)
2)業務用機材に目がない(自主録音も多少やらかします)
3)メインのスピーカーはシングルコーンが基本で4台を使い分けてます
4)なぜかJBL+AltecのPA用スピーカーをモノラルで組んで悦には入ってます。
5)映画、アニメも大好きである(70年代のテレビまんがに闘志を燃やしてます)
という特異な面を持ってますので、その辺は割り引いて閲覧してください。



戦中・戦後ドイツ放送録音


【戦中・戦後ドイツ放送録音】

 デジタル全盛の時代にあって、ここではあえて1930〜1960年代にモノラルで収録されたドイツでの放送録音ソースを扱う。といっても当時の再生はAM放送となる。
 自分自身はLP末期の1980年代に、この手の録音に被れていた手合いである。「古い録音のためノイズが混入しております」などの文句が書かれて、マスター自身が数世代後のダビング・テープだとは疑いもせず、古い音=悪音マニアに徹していた。おかげでピュア・オーディオに目覚めたのが、就職して10年くらい経ってからという始末である。この青春のしがらみに、ようやく決着を付けるときがやってこようとは、最近まで予想していなかった。というより、ステレオ再生を一巡したところで、ようやくモノラルに開眼したところだ。
 前項までは、アメリカのHi-Fiの歴史に切り込んでいたが、もうひとつのミッシングリングがドイツのテープ録音の歴史である。だがこの時代の録音はナチス・ドイツという暗雲に覆われていて、戦後のゴタゴタでテープが離散してしまうなど、なかなか状況を理解することが難しい。ただ戦後のドイツの放送録音技術は、確かに戦中の延長上にあり、再生技術を考えるのは有益なはずである。というか避けて通れないアーカイブなのである。
 英米が娯楽音楽の発展が著しかったのと違い、ドイツ圏で記録として残ってるのはクラシックがほとんど。理由は明白で、ナチス時代にジャズや現代音楽は退廃音楽として排除されたからだ。一方で、この時代のクラシック録音の魅力として、ドイツの人々が戦後の霹靂としていた時代に、ほとんどの音楽家が使命感を帯びてヒューマニックな演奏をおこなっていたことに尽きるように思う。最も霹靂していたのは、18世紀から緩やかに広がっていたドイツ系東欧移住者で、1600万人規模のドイツ系住民が戦後にドイツ国内に強制移住させられるという事態となり、「故国」の資産を没収され無一文になったこれらの人々をどう養うかは、戦後処理の難題となっていた。そして国内向けラジオを通してドイツ人の尊厳と絆を支える音楽プログラムを提供したのである。演奏技術がどうという問題はあるものの、ドイツ的であることが戦犯扱いされることと紙一重だった演奏家たちが、一芸に命を掛けていた時代の演奏は明らかに説得力が違う。


【ドイツ放送規格を巡る機器類】

Neumann Ela M301(1931)


AEG Magnetophon K1 (1935)
 ドイツでは1931年にノイマン社製のコンデンサーマイクでの広帯域の集音・拡声が可能となっており、1935年には磁気テープによる長時間収録が可能となっていた。最初のテスト録音はビーチャム/ロンドン・フィルによる独BASF社でのコンサートで、当初はS/N比が37dB程度だったと云われる。 1939年にBASF社 によるプラスチック・ベースの磁気テープ(酸化鉄)の開発、1941年にはHans Joachim von Braunmuhl と Walter WeberによるACバイアス方式の採用により10KHzまでの帯域確保が可能となった。当時としては非常に音が良かったらしく、隣国からドイツのテープ放送を聴いて生演奏の実況であると勘違いしたほどであった。

 当時は他のどこの国でもアセテート盤へのダイレクト・カットがほとんどだったことを考えると、これらのドイツ製放送機器は戦後のHi-Fi機器の基礎を作ったといって過言ではない。残されている英BBCや米NBCの音源と比べてもその差は歴然としている。一方で戦後になって英米のLPを初めとする再生フォーマットが拡販された後も、ドイツの放送録音は長らく戦前と同じ規格で収録が続けられたと思われる。実際に1965年当たりまで、放送録音はモノラルで収録され、ラジオと共に歩んできたのである。

Neumann M147の特性


Sehnheiser MD441の特性
 ドイツ製のマイクの特性をみると、10kHz付近でこんもりと緩やかな山をもっているものが多いことが判る。Neumann M147Sehnheiser MD441などがそれにあたる。1940年代のノイマン社のマイクを使用した録音を聴いても、驚くべきことに薄っすらと高域成分は伸びている。戦後の放送業界で活躍したSehnheiser社のマイクは、明らかにこの領域の収録を意識しており、明瞭度の高い録音の一端を担っている。このことは、ドイツ放送業界で戦前に技術確立されたものが、ひとつのメーカーの技術枠を超えて既に規格化されていたことも示している。



Rice&Kellogg社OEMのダイナミック型スピーカー
(1927年 AEG社)


 家庭用スピーカーの歴史については、1927年にAEG社が高音質ラジオの開発のため、Rice & Kellogg社の特許であるダイナミック型スピーカーを使用したシステムを販売していた。その頃のスピーカーの特性は100Hz〜7kHz、分割振動の制御ができておらず、2.5kHz以上では大きな谷山ができている。これでも、マグネチック型よりは過度特性に優れたもので、3〜7kHzの山はナレーションの聞き取りやすさにも繋がり、全体にプレゼンスの高い音となる。英BTH社も同様のライセンス提供をうけており、放送機器での音響技術の出発点はアメリカもヨーロッパも一緒であったと言えよう。ドイツのレコード会社もイギリスと提携しているエレクトローラ、グラモフォンなど同じ歩調で歩んでいた。


Siemens&Halske社のBlatthaller(1924年)


Siemens&Halske社の2way特性(1928年)


Isophon P25の周波数特性

 これに対しSiemens&Halske社は、Blatthallerという静電型スピーカーを開発した。ただし、これで低域を出すには、とてつもなく巨大なものとなるため、当初は高域用ということで考えられ、8kHzまでフラットな特性が得られた。後にこのBlatthallerは大型化され、大集会の拡声装置としても使用されたが、一般家庭の持ち物とはならなかった。

 通常のツイーターを使用した2way化の実験結果では、クロスオーバーがくびれているものの、概ね150〜6kHzをフラットに再生できている。この後にドイツが国運を掛けたラジオ放送の高音質規格が生まれた。最も大きな出来事はラジオの低価格化事業で、国民ラジオ(Volksempfanger)が1933年に売り出されると、またたくまにドイツ中の家庭にラジオが普及した。とはいえ、国民ラジオはDKE38型をはじめマグネチック型スピーカーが主流だった。
 無線と実験誌の2003/1月号に、戦前のテレフンケンとロレンツのユニットの特性が出ているが、500Hzを中心とする山成りの特性に鋭い3kHzのピークをアクセントに加えた感じで、どうもこの特性は戦後も変わらずに引き継がれていったようだ。英米のスピーカーが500Hzから2kHzに向かってなだらかに上昇していくのに対し、ドイツ製は2〜8kHzを盛った感じとなる。単体だけで鳴らしても明瞭な音になるが、戦後のドイツ製ラジオはこれにサラウンド風にツイーターを搭載したのが最終形となる。

ドイツ製ラジオの3D-klang方式
中央のメインに対し両横に小型スピーカー
 1950年代のLPなど非常に高価に取引されているが、クラシックの殿堂ともいえるドイツ・グラモフォンでさえ、LP発売は1952年からで、それ以前はSP盤として発売した。このため、テープ録音を直に聴けるメディア媒体はラジオが中心だった。
 戦後のドイツ製ラジオは20cm程度のスピーカーが付いた幅60cm×高40cm程度の大型が多く、受信の安定度と音の良さで海外でも人気の商品だった。Grundig社が1954年に開発した3D-klang方式は他社の高級ラジオにも用いられたもので、ドイツ製フルレンジでも5〜10cm程度のものは、小型ラジオ用ではなく、サイド・スピーカーとして使われていたものと思われる。モノラル音源でステレオ同様の音の広がりを作る工夫がなされていた。
 日本のようにラジオ=低音質ということが当てはまらない。







1943年開発のEckmiller O15
下は1948年BBCレポートでの測定結果

 一方で、こうしたスピーカーの特性はスタジオ仕様と家庭用とで分けていたようで、Isophonの同軸スピーカーでその違いがみられる。左図の1963年のカタログでは、高域にアクセントの付いたPH2132/25/11は家庭用であり、Orchesterはスタジオ用である。この違いはラジオ放送を小音量で試聴するか、スタジオで生テープを大音量で聴くかの違いである。
 このOrchesterは戦後の1949年に開発されたもので、@戦争末期のEckmiller型スピーカーの後継種である、A高域を10kHzから16kHzに伸ばした、B古いマグネトフォンの録音とも相性が良い、Cこれらの性能に関わらず廉価である、などの特徴をもっていた。こうしたニーズのほとんどは、戦後に竹の子のように増殖した地方放送局と付属オーケストラの録音管理に向けられたと考えて差し支えない。
 一方で、ラジオ用の特性は、日本で意外と人気のあるもので、「カッチリした輪郭のある音」という評価を得ている。雑誌の聞き比べでも、Orchesterは個性がなくつまらないという評がほとんどで、PH2132のほうが幾分まし、Grundigはもっと良いという感じ。ただしOrchesterのほうが、当時としては高性能を誇れるものだったことは間違いなく、この辺がこの当時の録音の錯誤に繋がっているようにも思う。
 これは放送用アルヒーフを扱うための分岐点を示している。1980年代まで多かった劣悪な録音ソースに関してはラジオ用を選ぶべきだろうし、2000年以降に増えた放送局蔵出しのリマスター盤はスタジオ用を使うべきだろう。


 こうした機器類に囲まれた肝心のドイツ放送録音は、フラットな特性のスピーカーで聴くと、一聴して判るカマボコ特性で、演奏の魅力と反比例して音の貧しさは否めない。マスター・テープの高域劣化が激しく、これを無理にイコライザーで修正すると位相歪みが目立ちザラザラした音になる。この点に関してはデジタル時代も一段落して、当時のビンテージ機器のレストア技術や音の修復技術の向上などで、AM放送がFM放送並みに聞こえるくらいの音質向上がみられる。一方で、地方局に配給されたもののなかには、アセテート盤にダビングされたものも時折みられる。アセテート盤はスクラッチ・ノイズが乗るが、復刻のときに高音を落としたものがほとんどである。アセテート盤でも収録音声が低いときに、録音側で増幅した際にサーモノイズが乗るのはコンデンサー・マイクの収録だということの照査で、ライブ録音の場合、過入力時にマイク側での歪みが散見される場合もある。
 中域のこんもりとした山成りの特性はコンデンサー・マイクでの収録による聴感補正のカーブに似ており、むしろ民生用のラジオに合わせ中高域を抑えて収録するパターンを持っていたようだ。これは初期デッカのように中高域を強調した録音では逆鞘になってしまう。
 このような録音とスピーカーの癖を相互補完するという推察が可能なのは、ドイツでは戦時中に電子部品の規格化がかなり顕著に進められて、スピーカー製造もライバル会社で相互にOEMする情況が戦後も長く続いているためだ。この絶妙な組合せが、通常のフラットなスピーカーではカマボコ型特性の録音に聞こえる理由ともいえる。


【PA業界の刺客を差し向ける】

 ところで、やっと本題なのだが、アメリカンを絵で描いたようなEV社のSP8Bの特性をみて、気になっていたことがある。それは例の2〜8kHzまで続くトサカで、もしやドイツ系スピーカーのトーンと近いのでは、と睨んだ。1970年代までのドイツのオーディオは、ごく一部の業務用を除いて、ジャーマン・サウンドと呼ばれる強力な中高域を好む傾向があった。その歴史は深く、電気録音の始まった1920年代から続く由緒あるもので、逆にいえば明瞭でカッチリした音の正体は、このトサカのようにかぶっている中高域の強さにある。同じ傾向のサウンドには、ノイズ検聴用に中高域を強めたBeyerdynamics社のDT48型ヘッドホンがあり、こちらは1937年からモニター用に使われ、Nagra社のテープレコーダーのデフォルト機としても長らく使われていた。
 一方で、EV社は創立時から本業はPA機器であり、明瞭な音響のための最適なイコライジングについて独自の見解をもっていた。1950年代まではベル研究所が研究したラウドネス・カーブを土台としてスピーカーが開発されており、Jensen、Altec、JBLなどのフルレンジはどれも2.5kHzにピークを持つ特性であった。一方で1950年代にHi-Fi用スピーカーを手がけたEV社は、カタログに独自の音響理論を展開し、Regency II のカタログでは放送録音のテクニックで3〜6kHz以上を持ち上げることを紹介している。実はこれこそが、テープ録音と共ににドイツから輸入された音響特性なのだ。

   
EV社のBaronet
SP8B+KD7キット箱:1950年代中頃製造


          左:1924年にSiemens社が2way化の実験で得た特性
            右:1950年代のBaronetの特性

 ドイツ放送局用のマイク、テープレコーダー、モニターは、当時の一級品を揃えているため、そちらを原音とする向きもある。一方でLP移行期には、放送局用のレコードプレーヤーは量産が間に合わず、フランスのPIERRE CLEMENT社に製造委託していた時代もあった。EMT社が製造を始める以前の過度的な時代であるが、現在見るEMT社のプレーヤーのほとんどは1966年にThorens社を買収した後のものであろう。戦後の混迷のなかでLP発売後に新たにオーディオ機器を購入できるドイツ人の数は少なく、映写機で使う簡易PAでのレコード鑑賞会がよく行われた。この場合はフルレンジ2発をトランクケースに収めたものが主流で、EL84などを使用した10W以下の小型アンプで駆動していた。70年代以降の100W級のオーディオに慣れた現在において、この頃合いの良さはあまり理解しにくいものと思う。100Wを必要としたのは、Blatthallerのような大型平面スピーカーを屋外集会場で使う場合のみである。
 以下の図では、家庭用の範疇に収まるのは3Wまでであり、それ以上はPA用という区分になる。10W程度のアンプでも、ラジカセ並とあなどってはいけない。100dB/W/mの能率を誇ったフルレンジは、1W程度でも普通の家ではうるさいくらいに鳴り響く。



           1934年のドイツ製スピーカー出力別の一覧
           (私の狙いは1〜2Wの小型永久磁石スピーカー)



 このSP8Bも高能率なヴィンテージ・ユニットの例に漏れず、71Aのようなラジオ球を使った1w未満のアンプでもきっちり鳴る。そこでSP8Bと同じ時代の1950年代に開発された、EL84を使った3結シングルで鳴らしてみた。実はこのアンプ、1999年にTriode社で販売していたVP-Headというヘッドホンアンプである。EL84を3結で、しかもB電源を130V程度に抑えた安全運転型なので出力は0.3W/ch。これを並列につなぎモノラルにして、ヘッドホン端子からBaronetに接続。。。鳴った!。。。でも高域が強すぎる!!!
 多分、SP8Bの強力な中高域が生のままドバッと溢れてきたのだろう。イコライザーで補正すると、2.5kHz&10kHzを-6dB落としてやっと普通のバランスになった。これでも入力側はUTC C2080で固めて、高域を丸めているので、普通のフラットなスピーカーだとどうなるのかと、ヘッドホンを繋いで確認。。。なんとも古臭いSP録音のような音。これを普通に聴かせるSP8Bのユニークさが身に染みたと共に、何気なく繋いでいた45シングルアンプとのきわどいバランスにも驚いた。
 ここで実験的にヘッドホン出力をUTC C2080→83204につなぎ替えてみたところ、帯域は狭くなったが、アメリカンな臭いのプンプンする押し出しの強い音に変貌した。しかしこれがまた良い感じなのである。古いジャズはともかく、クラシックも抑揚や流れが明確になり、意外に相性が良い。EL84のもつ艶やかさと、UTCのトランスもつ布ドロップのような質感とが巧く重なり合い、深い香りのコーヒーを味わうような音に仕上がった。最近のアンプで腰が浅いと思ったら、ビンテージ・トランスの逆繋ぎもありかと思った次第。直接電流を流さないので、意外に小さいトランスでも問題なく使えることも判った。

 このトサカに絡んで、前から再生に苦慮していたのが、ウィーン系の放送録音を多数保有している墺Preiserレーベルで、これがまた癖のある音調で超が付くほどのカマボコ特性。1950年代のウィーンの録音といえば、多くの人はDeccaやWestminsterなど、良質なスタジオ録音でシステムの音調を合わせているのではないかと思う。しかしPreiserレーベルの録音はれっきとしたスタジオ・セッションである。これが同じ時代の録音機材で録られたとは思えないほど、テイストが違うのである。今回、改めてEL84+SP8Bという組み合わせで聴いてみると、ズバリこれが大正解。考えてみれば、戦後のSiemens社が製造した簡易映画館のPA装置をみても、フルレンジに紙製エンクロージャー、EL84にちっちゃなトランス。実はこれでOKなのである。

 まずはウィーン・コンチェルトハウス四重奏団によるハイドン四重奏曲集。この録音は1950年代にORFでランドン博士の監修のもとLP20枚以上(0CDだと12枚)に大量に録音されたもので、初期の喜遊曲の含まれている点でも貴重なものである。それに加え、小さなウィーン・フィルとも言われた、ウィーン・コンチェルトハウス四重奏団の甘美でありながら職人的な芸風が味わえるため、二重に貴重なのである。しかし例のカマボコであるため、珍しい録音以上から抜け出ない。これが見事に復活した。良く知られるWestminster録音が気合いの入ったアウェイの演奏だとすれば、Preiser録音は気心の知れた仲間内で聴く落ち着いた感じ。これが実は古典派のハウスムジークを聴くのに非常にマッチしている。それでいてEL84は低音に適度な軽さがあるため、チェロのスッと弓を当てるだけのボウイングも存分に楽しめる。

 続けて、R.シュトラウスの米寿記念演奏会(1944年)。ノイマン製コンデンサーマイク、AKG製マグネトフォン、ウィーン・フィル、ムジークフェライン・ザールという黄金の組み合わせで収録された歴としたテープ録音である。ソ連が戦後に持って行ってしまったためオリジナルテープは行方不明。これが「偶然に」東ドイツの放送局からダビングテープが見つかり、何とかその陰が判るようなモノ。ムジークフェラインで堂々と鳴らした管弦楽作品は、ただでさえ残響が強くボケた音なのに、例のもっさりした音。爪の垢でも煎じろとでも言わんばかりの商品と常々思っていた。ところがこれもちゃんと蘇った。ドンファン冒頭のffも綺麗なウィーン・フィルのもの。ツァラツストラも、むしろ後半の物語性が見通しの良いシュトラウス翁の渋い芸風が味わえる。

 嬉しいおまけは、独Gramophonのフルトヴェングラー&BPOの録音との相性である。聖ルカ教会でのシューベルト”グレイト”交響曲、ティタニア・パレストでのベートーヴェンNo.7&8のライブなど、いずれも好調。これらもモゴモゴした録音で、いきなり低音がブワッと膨らむプロイセン風の男気溢れる演奏を、何となく面白がっているのが精々だった。しかしグレイト3楽章のワルツの洒落た歌い回しなど聴くと、ベルリン・フィルの弦も結構いけるじゃない?という感じ。ベートーヴェンでは木管のセクションの飛び具合がとても心地よい。吹き始めのスピード感が軽く明快なのだ。それでいて音色は艶がありまろやか。これだけでも交響曲の立体的構成が、音響空間で戯れて面白さが倍増する。戦後のフルトヴェングラーの古典志向が改めて判った次第。かといって同じ時代の録音で、誰が何と言おうと名録音といえる、フリッチャイ/RIAS響のバルトーク「管弦楽のための協奏曲」でも、サウンドに違和感がない。モノラル期のDG録音は苦手意識があって、なかなかサンプル音源以上の量が増えなかったが、これでコレクションの充実に踏み出せる気がする。

 ちなみに同じDGでもピアノ物は更に凶悪なカマボコ特性である。手元にあるのは、フォルデスの演奏するバルトーク作品集であるが、ハノーファー・スタジオでのあの丸まった音だけはどうしても違和感がぬぐえない。グールドのアレよりも何かが足らない。多分、強力なハイカットをしているのではないかと思うのだが、理由がわからない。思い切って入力トランスをLessen社のHypernik Transformerに変えてみると、中域を核にしたベーゼンドルファーのような音調になり、ほどよい感じに収まった。この音調を頼りにUTC C2080で再度調整してみると、あろうことか、イコライザーがフラットの状態でOK.。つまり4〜8kHzの高域が10dBほど足りなかった(もしくはロールオフしていた)のである。同じ傾向は、ギーゼキングが1950年に故郷のラジオ局で入れたバッハのパルティータ集でも言えて、これでケンペのベートーヴェン旧全集にも堂々と手を出せるというもの。楽しみが増えた。
 ちなみにウィーン・フィルの名コンマスのシュナイダーハンが1953〜55年に収録したモーツァルトVnソナタ集では、ヴァイオリンが入った分だけオケ物と同じバランスで、2.5kHz以上が-6dBで落ち着く。シュナイダーハンやフォルデスは、演奏が職人気質で地味なのに加え、録音の悪さが加わって評価が低いのである。コンサートで華のある演奏ではないため、何だか教授のレッスンを受けているような感じもしなくはないが、ベーム/BPOの演奏が好きな人なら、これらの演奏家の蘊蓄に耳を傾けて損はないと思う。

 これがDecca収録のクラウス/VPOによる喜歌劇「こうもり」となると、まるでお手上げである。歌手陣は違和感ないが、弦の音で引っかかる。かといってEMIの喜歌劇「メリー・ウィドウ」は大丈夫である。多分、DecolaのようにPX25の太い音の真空管で練り直さないとダメなのだろう。そうなるとグラモフォンは×である。かといって同じ英国でもEMIの喜歌劇「メリー・ウィドウ」は大丈夫である。なんという罪作りなオーディオの世界だろう。

 あと分類がやや判りにくい録音に、東独シャルプラッテン系の宗教曲録音がある。モノラル期では、1954年に収録したギュンター・ラミンと聖トマス教会聖歌隊のヨハネ受難曲などがあり、おなじみのライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のほか、後のリヒター盤で名エヴァンゲリストを務めるヘフリガーが居るなど、新旧の陣営が交錯する不思議なセッションである。もともとラミン氏は、1930年代のドイツ・オルガン復興運動の中心的人物で、現在のバロック・オルガンの保存に大きく寄与した。その意味では、演奏家としてよりはドイツ宗教音楽の方向性を、実際にカントールを務めながら思索したとも言える。特にナチスの後に共産圏に組み入れられるという2重の苦難の時代に、バッハゆかりの聖歌隊を維持しようとするために払った代償は想像を絶するものと思われる。その貴重なドキュメントだが、本来は旧テレフンケンの流れを汲む、カッチリした音の傾向のはずだが、帯域がやや狭いのと、合唱の広がり感が出ない点で、「ステレオでないのが惜しまれる」という声がよく聞かれる録音でもある。これをEL84+Baronetで再生すると、中域の甘みと高音の抜けが両立したトーンに収まる。少年合唱団もトマス教会の高い天井を突き抜ける感じが良く出ているし、独唱ともなれば現在のものと全く遜色ない。無駄な贅肉をそぎ落とした内証的なヨハネ受難曲を、良質なラジオ・ドラマを聴いているように展開する。
 同じ傾向の録音として、マウエスベルガー率いるドレスデン聖十字架合唱団の1950年代の放送録音も、1960年代ほど鋼鉄の純度が上がってないが、突き抜けるような少年合唱の扱いは既にそのの片鱗が伺える。これも大きな収穫だった。

 これらの延長線上にあるのが、東欧の旧共産圏の録音で、ソ連が大量のテープ録音を接収していった後に、本国でテープ録音が西側と同じレベルで実用化されたのは1950年頃からだったらしい。ちょうど良いサンプルは、ゴロワノフ/モスクワ放送響によるスクリャービン交響曲集。最初の3番が1946年で、さすがにこれはSP録音である。1948年の1番はグレーゾーンで、おそらくテープ録音だが、マイクは旧ソ連製のため音響が窮屈なのだろう。1950年の2番でようやくHi-Fiに追いついている。ちなみに1947年のネウガウスによるスクリャービンのピアノ曲集も、レンジは狭いのにノイズがないため、ソ連製マイクによるテープ収録と思われる。1956年のロストロボーヴィチ/ショスタコーヴィチによるチェロ・ソナタの録音はHi-Fi規格である。1950年代にターリッヒが晩年に残したチェコ・フィルとの一連の録音も、ドイツのテープ録音技術の恩恵を受けたもののひとつだ。これも1949年のスーク組曲「おとぎ話」、ヤナーチェク「グラゴラル・ミサ」(バカラ/ブルノ放送響)はレンジが狭い。これらを総合すると、1946年まではラッカー盤、1947〜49年はテープ収録だがマイクは旧来品、1950年からノイマン型のコンデンサーマイクが使用された考えられる。一方でこれらに先立ちドイツで録音された、1947年のヴァルヒャによるバッハ・オルガン集、1948年のドレスデンで少年時代のシュライアーの声を収録した録音は、明らかにHi-Fi録音である。



 ページ最初へ