20世紀的脱Hi-Fi音響論(延長13回裏)

 我がオーディオ装置はオーデイオ・マニアが自慢する優秀録音のためではありません(別に悪い録音のマニアではないが。。。)。オーディオ自体その時代の記憶を再生するための装置ということが言えます。ここでは、モノラル&ラジオ音源用のサブシステムを構築したことで、自分の好みというものに正直になることの大切さを噛み締めている状況を、思いついたままにタラタラと描いています。まあ、初心忘るべからずというより、いわば永遠の初心者なのであ〜る。
モノラル×Low-Fiで何が悪い!
【我が青春のLow-Fi録音】
【大げさでないモノラル機材を】
【中域が全て〜高域を断捨離】
【ラジオ音源を華麗にレビュー】
【サブ・システムと侮るなかれ】
【なんでもモノラル】
【ネット社会のモノラル復権】
わが青春のトラウマへ→
自由気ままな独身時代
(延長戦)結婚とオーディオ
(延長10回)哀愁のヨーロピアン・ジャズ
(延長11回)PIEGA現わる!
(延長12回)静かにしなさい・・・
(延長13回)嗚呼!ロクハン!!
(試合後会見)モノラル復権
掲示板
。。。の前に断って置きたいのは
1)自称「音源マニア」である(ソース保有数はモノラル:ステレオ=1:1です)
2)業務用機材に目がない(自主録音も多少やらかします)
3)メインのスピーカーはシングルコーンが基本で4台を使い分けてます
4)映画、アニメも大好きである(70年代のテレビまんがに闘志を燃やしてます)
という特異な面を持ってますので、その辺は割り引いて閲覧してください。



モノラル×Low-Fiで何が悪い!


【我が青春のLow-Fi録音】

 私自身はオーディオが好きである。ただお金がそれほど潤沢にないので、何でもポポポンと揃えるわけにはいかない。それよりもソフトを購入するほうにお金を掛けるほうが大切だと思っている。一方で演奏は面白いのに音の悪い録音に引っ掛かりを感じる。ミュージシャンが生涯を掛けて切磋琢磨している、一期一会の折角のセッションを、録音が気に入らないで切り捨てるのはすごく勿体ないのだ(もちろんCD代も)。最近つとに思っているのは、これらの大量のソフト資産(妻に言わせればゴミの山)を活かすも殺すのも、オーディオ機器の役目である。そう言い聞かせて、というか言い訳をつくって、少しずつオーディオ機器に投資している次第である。ただ中途半端な機材を寄せ集めているので、失敗も多い。それで反省して理由を考える。巧くいけばいったで、CDの購入がまた始まる。こうして無限ループを辿るのも趣味ならではの世界である。しかしこの浮かれ熱がどこから来たのか? 実は正直なところあまり考えたことがなかった。

 今回のモノラル機器をいじって思い出していたのが、自分の青年時代のオーディオ体験である。1980年初頭のLP末期の時代であったが、ロックはFEN東京(AM)のウルフマン・ジャックや小林克也氏のベストヒットUSAということで、基本モノラルで聞いていたことになる。ウルフマン・ジャックは、あのホラー映画ばりのトークもさることながら、結構古い音楽も平等に流してくれたりと、思ったより年寄りなのかな? と思っていたら、35歳の1973年の映画「アメリカン・グラフィティ」で既にそういうキャラを演じていたらしい。1980年代のウルフは、もはや大御所中の大御所で、ワォーンと遠吠えするだけでも貫禄十分という感じだった。どれだけ有名かは知るよしもなかったが、ゴールデンタイムの8時になると独り部屋にこもって試聴したものだ。

 当時使っていたラジオは、東芝のBCLラジオ TRYX-2000。なんとなく短波放送にも興味をもっていたのである。本当はナショナルのクーガが欲しかったのであるが、東芝の機種が店頭で半額だったのを購入。でも鉄筋コンクリートのマンションで聴く短波は、あまり受信環境が良いわけでもなく、もっぱらFENを聴いていたというワケ。このラジオはちゃんとトーン・コントロールも付いていて、この手のラジオとしては音がしっかりしていた。本来、BCLはノイズの彼方の音を検聴するためヘッドホンを使うのが筋で、スピーカーはオマケのような機種が多いのだが、多分私のような落ちこぼれリスナーの多いことを配慮した、家電メーカーなりの読みがあったのだろう。ステレオではもっぱらFMだったが、ステレオで聴くAM放送はボンヤリして面白くないので、AMはこちらで聴いていた。ちょうど土曜の午後はFM東京の邦楽&洋楽のTOP10と、FENのTOP40が重なることもあって、FMの後にTOP40の上位20位を聴いて、最新チャートをチェックしていた具合である。やはり本場のヒットチャートだけあって、日本のそれより反応が早いと思っていたが、実はラジオ単独のものなので、ビルボード・チャートを紹介していた金曜のベストヒットUSAよりも早く紹介される曲も多かった。そんなこんなで、金曜から土曜は洋楽三昧だったのである。
 歌謡曲にあまり興味がなかったのは、何かと高飛車な若い時分だったのと、テレビのアイドル路線があまり面白くなかったからである。おニャン子クラブがリアル高校生だった頃、あまり関心を持たなかった変な受験生でもあった。まともなのがオフコース、ユウミン、さだまさし、とくれば雰囲気が判るだろうか。もう少し年配ならオールナイト・ニッポンにかじり付きになっていたかもしれないが、フォークに興味を持ってる奴も相当に変わり者で、変わり者同士なんとなく波長があって話してたような気がする。

 一方で高校に入る前に買ってもらったステレオ(ソニーのレシーバー)が切っ掛けでクラシックに興味が湧いた。当時はLPが中心だったが、最初に自分の小遣いで購入したのは、デジタル収録されたテラーク録音の小澤征爾の「四季」、グラモフォン録音のジュリーニの「ライン」だった。ところがクラシック音楽をもっと知りたいために購入した「レコード芸術」の特集は、何と「歴史的名盤100選」。これが諸悪の根源で、古いモノラル録音が今も伝説の名演として有り難がられていることに心底感銘を受けた。内容は深く知らなくても提灯記事に踊らされた若気の至りである。そしてついにメンゲルベルク/ACOのライブ録音に完全に参ってしまったのである。録音の悪さなど遙かに超越した名演! なんと甘美な響きだろうか! 遠い異国の放送をエアチェックするような、ワクワクした気分でLPに針を落とし続けていた。なぜかNHK-FMの朝のバロックも7時からのライブ音源も聴かなかったのは、もう古い放送音源の虜になっていたから。実は悪い音の名演は、ステレオ装置の善し悪しを超えて名演たり得たというオチもある(あと再販モノは新譜の1/2〜1/3ということで、高校生の小遣いには丁度良かった)。

 ということで、CDもお目見えしてた1980年代に、ロック、クラシック共にLow-Fiに浸っていた青年時代を過ごしていたことが切っ掛けで、このように悪い音に刹那な魅力を感じるのであるが、思えばなぜあれほどに音楽に集中できたのかも不思議だ。青年特有の感受性の強さゆえとも言えるが、傷つきやすい年頃だからこそ良い音への思いもひとしおだったはず。今でこそアナログLPはアリガタがられるが、貸しレコード屋に圧され羽振りの良くない当時の国内盤LPの音は、薄っぺらなプレスでそれほど良いとは思わなかった。ドルビーBのカセットデッキにダビングしたのよりはマシという程度のものだ。盤質と音質がリンクしていて関心したのは、米バルトーク・レコード(今も現役)や、仏Ades盤くらいなものである。その他は新譜ではなく、もっぱら往年の名演奏の購入に明け暮れていた。それでも、Low-Fi再生にはノスタルジックな感傷以上に、演奏で訴えてくる力が隠されていると思うのだ。無駄な贅肉をそぎ落として骨格だけで聞く音楽が、ひたすら本質に迫る芯の強さをもっており、そこで生き残れない音楽は…と、色々思い巡らしてみるのも一考だろう。
 これは後で知ったことだが、実はFEN放送局が、日本では珍しくWE機材を多数使った放送局だったということをご存じだろうか? 単に洋楽の聞けるAM局ではなかったのである。ちなみに岩崎千明氏によると、1970年代初頭のFEN局用モニターはエレボイのGeorgianだったという(こいつのミッドバスにSP8Bが使われている)。アルテック全盛だった時代になんとアメリカンな計らいだろうか。それとエレボイのスピーカーはアメリカのラジオ局で結構使われていることも判った。一番小っちゃいBaronetだってちゃんと使われているじゃないか!今は「ウルフマン・ジャックよ、ありがとう!」と正直に言いたい。


放送局で使われたBaronet
左上:テキサス州ヒューストンのKPRC放送局(1953年)
左下:米軍管轄のAFNフランクフルト局(1970年代)
右:オハイオ大学内のWOUB-TV局(1959年)

映画「アメリカン・グラフィティ」出演中のウルフマン・ジャック
エレボイの665型マイクを使用


【大げさでないモノラル機材を】

 まずお断りしておきたいは、ここではモノラルということで一括りにされる多彩な音源(SP、LP、放送録音、エアチェック、etc)と、長く付き合っていけるシステム構築の備忘録で、とどのつまりモノラル入門の手引きである。
 モノラルの再生というと、昔から王道が存在する。アルテックA7やタンノイAutographに代表される大型スピーカーを中心とする、本格的なモノラル専用システムである。音を浴びるように聴きたい! という願いをもつなら、圧倒的な音を持っている。しかし、機器の費用はともかく部屋のほうに数倍コストの掛かるのが常である。15インチウーハーは、比較的大きなW数を入れてあげなければ鳴りきらない。つまり大きな音圧でもまともに聞ける部屋のサイズのほうがずっと大事なのだ。これはJBL D130のような、1Wで十分な音圧が得られると宣伝されたものでも、実際には高域とのバランスを失って暴れ出すということがある。湿度や気温によっても左右されるお天気屋さんなのである。これを何とかしようとアンプから何からヒートアップしていくのがオーディオ・マニアの常である。山登りもいきなり頂上を急ぐのではなく、ゆっくり周囲を散策してもいいじゃないだろうか。
 ここでは1940〜50年代の放送録音に焦点をあてながら、Hi-Fi録音にも対処できるモノラル機材についてトピックスをまとめてみた。
  1. 部屋の音響規模に合ったスピーカーを選ぶ(ラジオ以上〜PA未満)
  2. アンプ周りの整備(イコライザー、トランス、コンプレッサー)
  3. 精神的な課題(高音の最適化、音楽の趣向、ライフスタイル)
  4. アーカイブの整理(音源の特徴、平準化の対策、仕分け)

 それでは1〜2について、自分なりの考え方を整理しよう。

【伝統の8インチ・ユニット】


Rice&Kellogg開発のスピーカー
RCA 104(1925年)


 オルソン博士開発の局用モニター
RCA MI-4400(64-A)(1939年)


WE 755A (1947年)
放送局に限らずホームユースに最適と宣伝

 
 まず提案したいのは、ビギナークラスの8インチのフルレンジから始めて、モノラルの音に次第に慣れていくことが順当だということだ。8インチは高音と低音のバランスが良いし、初めてモノラルをじっくり聞いてみたいと思う人にはお勧めだ。とはいえ、ベテランだって結局はフルレンジに戻る人も多いと訊く。いわゆる鮒釣りの奥義と同じ理屈である。もし8インチが満足に鳴らしきれないようであれば、モノラルとは相性が悪かったとすんなり手を切るべきである。それだけエッセンスが詰まっていると考えて差し支えないと思う。
 このクラスはRice & Kelloggが1925年に開発した家庭用ダイナミック・スピーカーの初号機から、家庭での電気再生技術の歴史を背負った由緒あるサイズである。このスピーカーは英BTH、独AEGにも納品され、いわば世界中のラジオの出発点になった。1939年にオルソン博士によって開発されたRCAの局用モニター MI-4400も、ラビリンス型という複雑なバックロードホーンを持ちながら8インチのフルレンジを使用していた。1947年にリリースされたWE 755Aは、放送用モニターの他にホームユース(ラジオとレコード)にも理想的であると謳っていて(多分、WE社のホームユースはこれが唯一である)、このサイズのユニットがどこでも最高のクオリティで再生できることを強調している。これらは放送録音のモニターから民生用にダウンサイズされて使用している実態と重なっている。特に戦後は軍需の流れが変わって、いわば平和還元セールのような潤沢な技術資産が残っていたと思われる。
 8インチのフルレンジは、1950年代の米国製ユニットだけでもWE 755A、Altec 400B、755E、JBL D208、LE8T、Jensen P8P、Trusonic 80FR、EV SP8Bなどがあり、WE 755A以外はいずれも1本5万円程度で購入できるし、755Aはいくつかレプリカも製造されているので既に使っている人もいるだろう。いずれのユニットでも、箱は中判ブックシェルフ並の40〜60リットルもあれば十分で、バスレフ、密閉は好みで良い。頑張れば机の上にも十分乗るサイズである。
 ビンテージ・ユニットであれば90°のサービスエリアで均等に鳴るので、どの角度から聞いても違和感がなく、ステレオのように試聴位置にこだわらなくていい。1m以内のニアフィールドで聞く場合にも都合が良く、実際にラジオ局のモニタールームには、トークバックと呼ばれる、ちょうど校内放送のような音声確認モニターがあって、いつでもブース内の音が判るようにしてあった。校内放送との違いは、スピーカーからの距離で、精々2m以内には入っていること。モノラルだから大雑把でいいということではなく、人と話す距離がちょうど良いのである。8インチユニットはちょうど人の顔の幅に似ていて、さながら演奏者に音楽を通じインタビューをしているような感じになる。これをスピーカー2本で再生すると音の広がりは出るが、音像はずっと小さくなり印象も希薄になる。

【ミニワット・アンプとコンプレッサー】
 8インチだとアンプは1W級の真空管アンプでも十分になる。真空管アンプはクリップポイントまできっちり鳴らせるので、歪ませないための余裕度を必要としない。例えば755A用と思われるテレビ球を使った業務用トランスレスアンプは出力4Wだし、6V6プッシュの8Wアンプは移動映画館の簡易PAにも使われた。10Wの音響出力は隣近所に迷惑なレベルになる。実は、ミニワット球には素性の良いものが多く、出力の制限からオーディオ用から敬遠されている物も多いが、能率の良いビンテージ・ユニットであれば十分で、柔らかめの音なら2A3、45、スリムな音が好みなら6BQ8(EL84)、71、ナチュラル志向なら6V6、6F6などがある。今の90dB/w/mを下回るマルチウェイ・スピーカーならKT88、6L6、300Bといった太めの球でないとウーハーがバランス良く鳴らないが、95dB以上のフルレンジはそういう心配がないばかりか、むしろムッツリと動きがなくなる感じがする。多分、あまりに小出力なので球の駆動ポイントが合っていないため、音楽の躍動感が出ないのではないかと思う。NFBのかけ過ぎも躍動感が減るため要注意だろう。

 あとミニワット・アンプを使っていて便利だと思ったのがコンプレッサー。通常は生楽器のダイナミックスを整えることに使うことが多いので、既に整えた後の録音には必要ないというのが大方の意見だろう。ただし最近のリマスターCDは、オリジナル・テープから直接ダビングして編集することが多いが、CDのほうがオーバースペックだと思っているのか、ダイナミックレンジに関するコントロールは、薄味傾向にあることは否めない。ピアノからフォルテまでの幅がソースの最大限でとってあるため、ピアノでの音量が小さいのでボリュームを上げると、フォルテで小出力アンプがクリップして雑な音になる。この音量差を整えてあげるのがコンプレッサーである。試しに使ってみたのはBehringer Autocom MDX-1200というこれまた安物だが、ちゃんと仕事をしてくれるので重宝している。スレッショルドはミキサーのゲインと相対的なので参考にならないが−20dBu、レシオは1:4、アタック100ms、リリース0.5sくらいがちょうど良い。よくアナログのコンプレッサーを掛けると高域が鈍るという現象が起きるが、8kHz程度のレンジではほとんど気にならない。何となく思い出したのは、昔のMMカートリッジの音で、多分カートリッジそのものも磁気ヒステリシスがあるので、コンプレッサーが掛かったような感じになっていたかもしれない。もしくはラッカー盤のカッティング時に使用していたコンプレッサーが似たような性格をもたせているのかもしれない。フルトヴェングラーのベルリンでのライブは、元のリミッターの癖が消えて、逆にダイナミックに咆吼するし、ビートルズのBBCライブではドラムがビシバシ鳴り始める。この手の放送録音では自然なアコースティックにこだわる必要性はあまりないように思う。
 これがSP録音期に合わせて1920年代のラジオトランスを使うと、もともとトランスの音の立ち上がりが鈍いせいか、アタック100ms、リリース1s辺りで音のスピード感が増してくる。そして芳醇な艶が載ってくるというオマケもあり、コンプレッサー導入はいちおう成功といえるだろう。

【トーンコントロールとトランス】
 モノラル録音はレーベル毎の音質差を考えると、どうしてもアンプのトーンコントロールは必須だと思う。昔のアンプなら絶対に付いていたトーンコントロールは、元はLPのイコライザーカーブの違いを修正するものだったにせよ、モノラル時代の多様なトーンの違いを修正するためには必要だと思っている。これが無い機材を持っているなら、録音用機材として売っているEQ付のミキサーか、専用イコライザーを間に噛ませたほうが何かと融通が利く。小型ミキサーは、安いものなら1万円を切るものがあるし、ステレオ音源のモノミックスにも使えるので、意外に重宝する。
 ICチップで固められたCDやミキサーの味気ないところは、ライントランスなどで巧く帳尻を合わせた。多くのプリアンプで使われるMT管の素地は極めてHi-Fiで、ビンテージのアンプはInputあるいはOutputトランスの味付けで音決めがされていることが多い。そのため一般的なハイ・インピーダンス渡しの間を、これらのトランスでつなげれば良いことになる。ピアレスであれば素直なHi-Fi調のままで音の押し出しが変わるし、私のように変化を求めて狭い帯域のものを使うのも好みの問題である。

 以下は裏技も含めて、エレボイのSP8Bに合わせたときの、トランスとイコライザーの組み合わせ例を示す。SP8Bが強烈な高域をもっていて、ナチュラルだとかなりキツイ音になるので、ノーマルな音でも高域は抑え気味である。さらにUTC製のトランスは10kHzから緩やかにロールオフするタイプで、これを入れることで乾き気味のエレボイの音にウェットな質感が加わる。それでも全く抑えられないDecca ffrrのような高域の強い録音は、逆に5kHzからロールオフする1920年代のラジオ用トランス(Lissen社 Hypernik)で高域を大幅にカットしてから逆にブーストしてやる。どういうわけか、これで蜜のように甘いデッカ・サウンドが聞ける。実は戦前の録音を、ABの全く違うアプローチで聞き比べると、トーンにほとんど変化がないので、高域8kHzまでのトーンはほとんど同じであることが判る。Decca ffrrは聴感で4〜6kHzの辺りに強いピーク感があって、普通のフルレンジなら仰角をもつとロールオフしやすい帯域を補って良いプレゼンスを発揮するが、既にこの帯域をブーストしてあるエレボイのユニットでは逆鞘で、互いの主張を巧くキャンセルする必要がある。実務上はDecca ffrrのCDコレクションは少ないので、むしろ戦前の録音を巧く聞かせるエレボイの長所のほうが有り難いものと判断した。

 @普通の録音 トランス イコライザー

 英EMI
 米Columbia
 独DG
UTC C2080

10kHz〜減衰



普段聴いている位置(2.5kHz以上を−6dB落として45°オフセット)
自分で思っていた以上にフラット志向だったのでガッカリ(?)
A高域の強い音 トランス イコライザー

 Decca ffrr
 Westminster
   ・
   ・
   ・
 ラジオ音源=◎
Lissen Hypernik

5kHz〜減衰



1920年代のラジオ用トランスを通したスペシャルな特性
中域の腰がが太く、高域が上品に残っていて意外に好み

 実はこれらの特性はWE〜Altecの流派でいうと、@がWE 755A、AがAltec 400Bに近似している。いずれも放送用モニターとして開発されたもので、発売が1947年と1945年と僅か2年の差であるが、Hi-Fi機器の民生化を境にした特徴の違いをよく表している。フォーマットでいうとSP盤とLPのトーンの違いを示しているようにみえるが、当時のアセテート録音機でも8kHzは優に達しているので、むしろ収録音の傾向がHi-Fi以前には3〜6kHzを強調していた(Marconi-Reisz製カーボンマイクは1935年頃まで放送局で活躍していた)ことが伺える。おそらく1941年にFM放送が開始された頃は、家庭でHi-Fi再生できるソースがラジオ以外になく、一般家庭では恩恵に与ることはほとんどなかったと思われる。このため、例えば金属コーンのWE 750などの高性能スピーカーは実用的ではなかった可能性が高い。その意味では、400Bのような古いワイドレンジ・ユニットは、単純なカマボコ型なのではなく、10kHzまで再生を保障した確信犯的な特性であることが判る。同じ考え方はRCA MI-4400(ラビリンス箱、1939年開発)についても言え、これはGE社のRice & Kellogg式ラウドスピーカーを改善しながら引き継がれた伝統的な特性である。
 Hi-Fi録音に合わせてフラットに持ち上げることだけが全てではなく、AM放送の規格内ギリギリのところで忠実度や明瞭性を確保しようとした歴史的経緯を弁えておくことが必要だ。これは条件の悪いPA機器の分野で常識として知られる内容で、今もShure社のボーカルマイクがライブ会場で重宝されるのは、子音をクリアに集音できるというちゃんとした理由があるのだ。


WE 755A:9kHzまでフラット(1947年)

Altec 400B:3.5kHzからロールオフ(1945年)


RCA MI-4400 ラビリンス箱(1939年)
Altec 400Bがこれをトレースしていることが判る



GE社が戦前からBBCに収めていたモニタースピーカーの特性(1930年代)


Marconi-Reisz製カーボンマイクの特性

      

ライブ会場に最適なShure社 SM57の特性

 結局のところ、相手の出方次第でコロコロ変わる以上、再生環境の最適化というのはイタチごっこであり、ふたつの特性を用意することが肝要となる。ところが一般的に2つ揃えるとなると、Hi-Fi用がゴージャスに膨れあがる傾向が否めず、SP盤はおろかラジオ音源用に贅を尽くすという例はあまり聞かない。逆に両者を一緒にするとどちらかを犠牲にしなければならないように思うかもしれないが、同じ試聴条件で演奏を比較できることがもたらす幸いは何事にも代え難いだろう。Hi-Fiにだけ目を向けていると、1950年代を境にミュージック・シーンがガラリと変わったように感じられるが、それはラジオ音源を知らないことによる錯覚だと悟るようになるのだから。


【中域が全て〜高域を断捨離】

 3番目に精神論と書いたのは、ハードウェアの整備以上にデリケートで整備が必要なのは、聴き手のメンタル面であると思ったから。何に興味があり、生活の中心がどこにあり、何を目指しているか、そういう立ち位置とオーディオはとても大切だと思う。終の住み処が大型ホーンシステムになるのか、フルレンジになるのかは、実はその人その人の勝手なのだと思う。やはりオーディオ・システムの構築のなかにライフスタイルがないと長続きしない。モノラルと付き合うからには、のんびり構えるというか、ど根性というものも必要なのだが、そこも精神的な要素に加えても良い。しかし、気構えというか心得はその時その時のものであり、長い目で見ると、とどのつまりライフスタイルに行き着くのだ。
 高音の最適化をメンタルな部分に含めたのは、モノラル音源の大きな壁であるHi-Fi以前の音源の扱いについて、どうしても8kHzの壁を取り払わないとコレクションの隔たりが生じるためだ。おそらく1950年代でさえ、LPでリリースされたものは全ての音源の10%程度だったと思われ、レコード業界とラジオ業界の趣向の隔たりもある。個人的には、音楽作品として鑑賞するのはレコード、ミュージシャンの演奏テクニックやタレントを知りたいのであればラジオ音源と思っている。ふたつ揃って始めて一人前と思うのだ。まだテレビのない時代、両者を一緒に聞き続けた当時の人は、どう感じていたのだろうか? 私の父が家庭にはじめて「ステレオ」を迎えた1970年中頃は、既にAM放送はレンジが狭く過去のものとなっていた。普通にラジオで聴いていたほうが素直に鳴っていたように思うが、「レコードとFMはステレオで」という感覚が刷り込まれていたのも事実だ。それでもテレビやビデオはAM並のレンジだったことを考えると、"ステレオ"でなくてもレンジ感が気にならない音源もあったのだ。これがさらに20年遡る1950年代はこうしたHi-Fi音源との峻別の初期段階にあったと考えて差し支えない。

 最近気付いたのは、今の時代のオーディオ的なリアリティが如何に作り物めいた音だということ。高音は何でもすぐそばで鳴っているように楽音を近くに引き寄せてくれるし、低音はそれだけで迫力や安定感を与える。だけど結局は、音楽を通じてコミュニケーションを取る、心を通じ合うというのは、そういった外面的なものではないはずだ。むしろアンサンブルからこみ上げる内声の絡み合いというか、中域でのタイミングやデュナーミクなどの骨格が重要なのだと思う。何と言っても音楽のフィジカルな部分は100〜1000Hzの中域に密集しているのだ。
 モノラル録音は、この点が1本勝負でストレートなのだ。よくジャズはモノラル時代が一番という声を聞くが、クラシックだって、ポピュラー音楽だって、実はモノラルが面白い。それは音楽的な本質の部分が、一定のスタンスで安定して聴けることも幸いしていると思う。この「一定のスタンス」とは、モノラル時代の拡声技術が、PA機器のノウハウを不断に使って、オープンな公共性を持っているという点である。それがラジオという家庭用機器にも現れている。PA機器というと、ラッパ拡声機や校内放送のような極端な例を思い浮かべるかもしれないが、小出力のアンプで効率よく伝達するノウハウというと判りやすいと思う。そのためのスピーカーを中心とする音響技術は、今のHi-Fiの常識の裏をかくようなところがあるので、一度よく噛み砕く必要がある。つまりAM放送と同じ80Hz〜8kHz(これが1932年 WE社のWide Range Systemと同じ)という必要帯域の枠内での演奏技術の発展史があり、1925年の電気録音開始から1950年代のLPレコードまでの四半世紀に跨る多様なトーンがある。普通の人ならここで躓く。面倒臭いので非Hi-Fiという括りで表現する。しかし、この鍵を一度こじ開けると、安定した音響技術に支えられた、華やかなレビューの世界が蘇るのである。
 実際に8kHzを限界とした再生音とはどういうものであろうか? 実は市販の多くのスピーカーは、8kHzまでビッチリと目を詰んだ音を出しているものは少ない。ほとんどは仰角が30度も付くと高域が減衰し始める。これはフラットなBBCモニターでも5〜6kHz辺りから、もうすこしおとなしいタンノイともなると2.5kHzから減衰する。一方で、高域の拡散がしっかり取れていて、8kHzまでしっかり出ているPA用のホーンスピーカーは、高域がキツイくらい出ていると感じる。ともかく突き刺してくるように直接音で迫ってくる。これは当時の規格で30ft(約9m)離れても高域のサービスエリアを保証しようとした結果であって、日本の一般家庭のように2m以内で聴くときには、ここまでの音響エネルギーを必要としないし、そもそも逃げ場がなくなるのだ。むしろ多少減衰してくれるくらいが心地良いのである。JBLだって家庭用のホーンシステムは、さすがにビームワイズを落としている。このように8kHzまでの録音品質とは、常識的な範囲での再生領域といえて、この帯域の密度で音楽の質が変わるともいえる。
 例えば、瀬川冬樹氏がステレオサウンド誌36号(1975年9月)の「特集・『スピーカーシステムのすべて(上)』」では、シアター用スピーカーについて「現在の高忠実度(ハイフィデリティ)の技術からみれば、シアタースピーカーはもはや広帯域とは決して言えない。しかしこのことから逆に、音楽や人の声を快く美しく聴かせるためには、決して広い周波数レンジが必要なのではないということを知っておくことは無駄ではない。低音が80ヘルツ、高音が7〜8キロヘルツ。この程度の帯域を本当に質の良い音で鳴らすことができれば、人間の耳はそれを相当に良い音だと感じることができる。」と述べている。これは日頃何気なく耳にしている放送品質の音響技術と共通したものであるが、同じ帯域内に投入した物量のレベルが高い=高級機材を揃え、しかも電気的な加工の少ないミックスで聴けるのが、モノラル時代の大きなアドバンテージである。

 これがステレオだと、まずサウンド・ステージのなかで楽器が配置され、さらにルーム・エコーによって空間の広さが表現される。しかしこれは、実際には架空の空間設定であり、時代やエンジニアの方針によって空間設定はバラバラで、この舞台が崩れると本来の演奏のバランスが判らなくなる。単に低音〜高音のバランスだけでは語り尽くせない、複雑な要素が潜んでいて、高級なオーディオになるほど、これらの相性の問題はいつも付きまとう。ジャズは音場が広くては困るし、クラシックは高域がうるさくては困る。こうして音場の雰囲気に呑まれて、骨格の部分以外のところで躓く要素が多いのである。
 加えて、ツイーターの音そのものは非常に小さい音響レベル(1kHzに対し10kHz以上は−20dB以下)なのに対し、スピーカーの特性上、振動板の軽い高音のほうがレスポンスが早く、全ての帯域より早く耳に到達する。これがマスキング効果となり、ツイーターの向きや音質が、音場やサウンドの傾向を決定付けるという、逆さまの状況が生まれる。これはツイーターの出す高域に支配されたオーディオで、実際の演奏のダイナミズムよりも、パルス波の質で音を判断する癖を耳に付けてしまう。これが音響心理学と呼ばれる分野の成果であり、20世紀の電気音響技術の基本的な考え方である。

 録音を表面的な音質評価から踏み込んで聞き込みたいとき、高域をあえて絶つことが必要だと思うのだ。そこで思い切って音場を構成する帯域、10kHz以上を絶ってみようと試みた。
 
古い8インチユニットで高域を断捨離
SP8B(2世代目)の特性(軸上計測、100Hz以下はフィルタリング)
このままだと高域がうるさいので適度にイコライザーで調整
      
Shure社 SM57の特性
特性がエレボイに似てる=PA屋さんの常識?


 そんなこんなで、結局、3ヶ月におよぶ高音の断捨離の結果、中域だけで十分に音響を把握できる耳ができあがった。こうなると、音楽の評価は全く以前と異なり、広く大らかになった。そしてサウンドに対する感性が、以前にも増してソフトウェア=演奏者寄りになった。ようするにハードウェア=機材をアレコレ考えて聴くことが無くなってきた。それに加え、録音の好き嫌いによって、聞かず嫌いな演奏というのも少なくなってきた。


【ラジオ音源を華麗にレビュー】

 再生装置も良い塩梅で軌道に乗ったところで、最終目的のアーカイヴの仕分けである。実は再生機器と音源のアーカイヴは、鶏と卵の関係にあり、再生装置が先かアーカイヴが先かという優先度はなく、どっちかが欠けると10年後には粗大ゴミと化してしまう。
 しかし、まず最初に愚痴を言わせてほしい。オーディオ愛好家が、モノラル時代のラジオ音源を真剣に取り組んで聴くということは、残念ながらほとんど聞かない。ラジオ音源のための再生装置がどうあるべきか? これは愚問なのである。オーディオ好きの人は、とかくラジオを卑下する。「ラジオみたいな音」というと、その装置がカマボコ型の非Hi-Fi的な音を指す隠語である。ほとんどの人が、安物のフルレンジを小型真空管で鳴らせば事足りると思っている。そもそも、日本製の安っぽいラジオしか知らないのが問題であることを悟ろうとしない。100〜6,000HzというAM放送の規格内でも、100〜2,000Hzと2,000〜5,000Hzの帯域を同じスピード感をもって、しっかり鳴らせるシステムというのは意外に難しい。この帯域だけで音楽表現の根幹を占めており、レンジ感だけで誤魔化しが利かない、一本勝負で造り込まれたユニットだけが覇者となる。

 JBLのD130を初めとする1940年代のワイドレンジ・ユニットも、現在のHi-Fi機器の基準では単体での評価が難しいユニットのひとつである。「SP録音には相性が良い」というかわりに、他に良い表現がないものだろうか? しかしこの評価の基準は、当時のPA用アンプ、カートリッジ、AM放送などの旧規格に囲まれながら、最高の音を提供しようということが理解できないことによる。ともかく1945〜49年の録音と再生機器は一般のオーディオ批評では評判が良くないのである。これは戦後のHi-Fi機器の売り込み時に刷り込まれたもので、GEのバリレラでさえ当時のオーディオ誌では、放送局でアセテート盤を再生するためにスペックが低いのだと説明される始末だった。しかし中域の肉汁がジュワッと出る感覚は、一度味わうと病みつきになるものがある。それと、この時代に壮年期を迎えたミュージシャンは暗黒時代の住人ではなく、むしろラジオを通じてアメリカ音楽のスタイルを築き上げた人々で、これを知らずしてアメリカ音楽の歴史を語るべからず、という調子である。そしてこのパンドラの箱を開ける鍵がHi-Fi以前の旧規格で製造されたオーディオ機器である。


1940年代のAM放送規格に沿ったAltec 400B(1949年)
5kHzからロールオフするフルレンジは1950年代にも多くみられた

GE社のバリレラ(IRM-8C:1948年)
当時としては最高品質だがHi-Fi対応ではない

よくある10kW送信機の特性(1949年)
1,2は従来型、3は新たにfeed backを加えた場合


PA用アンプの例(Altec A324A:1949年)
高域は4kHzからロールオフ

 ラジオは誰でもタダで聞けるからという理由で、わざわざお金を出す価値のないもの=安物というレッテルもある。これがそもそもの間違いなのであって、実は放送業界ほどお金の掛かる業界もそれほどないであろう。個人的にはラジオ音源は、品質に見合った適切な再生方法をもつことで、何倍もの魅力が増すものと信じてやまない。それこそ、誰もが納得のいく平均的な品質が守られてきたからである。逆にいうと、オーディオ的な音とは、ラジオの品質基準を大きく凌駕するものでなければならず、そこにはあの手この手の創意工夫が盛られていて、ときには基準を大きく外れることで売り込もうとする。このデフォルメの具合がオーディオ装置の相性の問題を産み出しているように思う。その意味では、クラシックもジャズもロックも、それ専用のラジオというのは存在しないのと同じように、ラジオ音源こそが脚色のない当時のスタンダードな音たり得るのである。
 ただし、ラジオ用に収録されたモノラル音源については、オーディオ的にも、音楽遺産としても、どういう位置付けをして良いのかあまり判らない。ほとんどはぶっつけ本番のワンテイク収録。スタジオのように何度も録り直したり、ダブを重ねて仕上げをすることもしない。品質規準によって収録も決まった方法で録られるため、音質はやや隈取りの強いクールそのもの。なかには、ミュージシャンのタレントを活かしたワイドショウもあり、ファンにとっては堪らない一品になるだろう。しかし、なかにはエアチェックを含む海賊盤(ブートレッグ)の存在が品の無さを助長するときさえある。これがラジオ放送用の音源を繰り返し試聴する場合に、常に付き纏う評価の難しさである。
 ラジオの報道性から考えると、再編されて発売されるCDは、新聞記事のスクラップのようでもあり、確かにこれも事実の一端ではあるが、それで作品としての完成度を問われた場合、これがミュージシャンの最終的な結論ですとは言い難い。しかし、同じ血のかよった人間に、いつでも最高という賛辞が必要だろうか? 否、そういう垣根を踏み越えてラジオ出演したミュージシャンの記録として大切なのである。そして良い放送録音には、その時代、その時間にしか成し得なかったマジックがある。

 そんなこんなで掻き集めた、以下のコレクションを総合的にみると、ラジオ音源のもつゲストの広範さ、タイトルの多さに気付くだろう。多分、ある音楽分野、ミュージシャンのディスコグラフィーなどで切り分けられた批評に慣れた人には、放送用音源に特化した演奏史、録音技術史が、これまでの作品分類に該当しなかったことも判るはずである。評価が遅れた理由は、ほとんどは放送時期が過ぎると二度と聴かれることがなかったためだ(あとラジオ放送が無料たり得た番組スポンサーの利権もあったかもしれない)。また、ライブ録音を正規録音の補足として考える向きの多いことも確かだ。しかし、これらを時間軸上に並べると、演奏史の事件の数々が浮かび上がってくる。録音の質よりも、それぞれが持つ歴史的なバックボーンの豊かさのほうが、遙かに勝っている点も見逃せない。ただし放送録音の品質を正しく評価することで、あるべき姿が浮かび上がってくることに注意が必要であろう。あくまでも時代毎の技術的限界のなかで、適切な音響の枠組みを与えてあげることで評価がしやすくなるのだ。放送録音の場合は、それがラジオとなる。ただその枠組みに与えられた多様性が、これまで想像していたよりずっと広範なのだ。まさに時代の文化そのものと言っていい、華麗なレビューが立ち上がるのだ。
 
1935年

1936年
ベニー・グッドマン シカゴ・コングレス・ホテル・ライブ

1935年から開始したNBC放送の音楽番組"Let's Dance"の公開録音。おそらくこれがアセテート盤で残された最初期のものと思われる。アセテート盤の保存状態もそれほど良くないのに加え、マイクが旧式のKN-1型のようで、音は当時のSP録音に比べても貧しい。それでも、この背後に流れる落ち着いた時間は、何事にも代え難いものがある。そして、新しいスウィング・ジャズに驚きをもって迎えていたことも判る。1938年のカーネギーホール・ライブと比較すると、その比重が逆転していることは明白である。
1937年 ヨゼフ・ホフマン ゴールデン・ジュビリー・コンサート

メトロポリタン歌劇場での伝説的ピアノ・コンサートの記録。まだカーティス音楽院で教育者としての道に専念していた頃のため、普通のコンサートに比べ開始がややけだるい感じもあるが、実はホフマンはこの大観衆を前に、昔ながらのサロン風の流儀で堂々と演奏していることが判る。それだけに一層貴重な記録でもある。復刻はホフマン協会から信任を受けた由緒あるもので、アコースティック録音以来あまり録音機会に恵まれなかったホフマンの千金一隅のチャンスでもあった。
1938年 ベルク Vn協奏曲 クラスナー/ウェーベルン/BBC響

多分、BBC放送の音源としても、米Presto社の録音機によるアセテート録音としても最初期のものである。15インチ&33回転盤での長時間録音を可能とした米Presto社の録音機は、こうしたクラシックの収録に革命を起こしたと言っていい。そしてウェーベルンの極度に集中した綿密な指揮ぶりを収録したうえで貴重である。ベルクの示した理性的で退廃的な人間像に迫る時代性を知るうえで欠かせないアイテムだ。
1938年 ベニー・グッドマン カーネギーホール・コンサート

この録音の良さはちょい聴きでは全く判らない。RCA 44型マイクで収録したと解説しているが、実際はよりタフな設計でナロウレンジの50型であるし、録音は会場からCBSまで引き延ばした電話回線を使っている。このため、マイク配置は成り行き任せ、録音レベルはデコボコで統一感がない等、失敗に近いものであった。一方でこの時代には珍しく、放送後一度お蔵入りになった後、1950年になって初リリースされた経緯をもつ。芸術音楽としてのジャズの地位を決定付けた、ジャズの歴史のうえで非常に重要な位置をもつ録音でもある。この激しいギャップが、この録音との付き合い方を難しくしているような気がする。まぁ気楽にラジオで聞いてみてください。
1939年 マーラー Sym.No.4 メンゲルベルク/ACO

まさに私の青春のトラウマそのものである。当時はビンテージ機器なるものの存在も知らないまま、この録音と格闘していた。今はラジカセで聴くFM放送なみになり、気分がスッキリである。これでも音は色彩感もあり、上記の2つに比べればかなり聞きやすい。メンゲルベルクの極端なテンポ・ルバートは現在では違和感があるかもしれないが、マーラー直伝の紋切り型の演奏ぶりは、クリムトのようなアール・ヌーボーに通じるデザイン主義を感じる。それに1939年というナチスの陰に怯えずに、人間の作り出す天国の虚構をシニカルに演じきった名役者ぶりを堪能しよう。
1941年 チャイコフスキー P協奏曲 ホロヴィッツ/トスカニーニ/NBC響

若いホロヴィッツがトスカニーニ翁を煽ること煽ること。まるでサーカスを見ているようで爽快である。多分、例のごとく音符が楽譜より多くなっているような気がするが、競争曲ともいうべきスリル満点のアクロバットぶりは、オリンピックで世界記録を出した瞬間の興奮と同じ種類のものだ。ブルース歌手には悪魔に魂を売ったクロス・ロード伝説があるが、ロシアのピアニストにはそういう逸話がないのかしら? と思うほどに取り憑かれた打鍵ぶり。ホロヴィッツ選手9.99の演技をとくとご覧あれ。
1944年 R.シュトラウス 80歳祝賀演奏会 ウィーン・フィル

大戦末期の磁気テープ(マグネトフォン)による録音で、R.シュトラウスの端正な指揮ぶりがムジーク・フェラインの豊かな残響とともに収録されている。写真で見る収録風景は、ノイマン製のCMV3型マイクは譜面台の横に立てられ、8字型指向性を横向きにした1本録りである。元テープは戦後になってソ連に持ち去られたが、東ドイツでダビング・テープが「偶然に」見つかったというもの。それをオーストリアのPreiserレコ−ドがCD化しているのだからややこしい。ただ咳払いや拍手の無いところをみると、これもウラニアのエロイカと同様のラジオ・コンサート用の収録かもしれない。Preiserの音は基本的にどれもこんもりしたカマボコ型で、到底納得できるものではないが、どうせこんなの聴くのは古い機器をもつお年寄りに違いないと高を括っているのかもしれない。同じ時期の「ウラニアのエロイカ」を正しい姿に戻したTharaあたりがリマスターしてくれることを切に望む。
1945年 タウバー/レハール 引退コンサート

ウィーン帝国歌劇場の花型テナーであったにも関わらず、ユダヤ系であったためにイギリスに亡命したタウバー。その逆にユダヤ人の妻が居ながらヒトラーの擁護を受けベルリンに移ったが、沈黙の抵抗のため筆を折ったレハール。この二人が戦後にスイスのチューリッヒで落ち合って、ラジオ番組で協演したのがこの録音。荒いアセテート盤の音質には、平和に満たされた喜びと強い気迫とが入れ混じった不思議な演奏が繰り広げられる。微笑みの国では神妙な悲しみが、チャルダーシュは血の吹き出すようなアッチェルランドが。音楽に命を掛けた二人の芸術の総決算である。
1944年

1954年
スウィンギング・ウィズ・ビング!

ラジオ・ディズの看板番組ビング・クロスビー・ショウの名場面を散りばめたオムニバス3枚組。1/3はアセテート盤、2/3はテープ収録であるが、レンジ感を合わせるために高域はカットしてある。このCDは多彩なゲストと歌芸を競い合うようにまとめられているのが特徴で、アンドリュース・シスターズ、ナット・キング・コール、サッチモ、エラ・フィッツジェラルドなど、肌の色に関わらずフランクに接するクロスビーのパーソネルも板に付いており、文字通り「音楽に人種も国境もなし」という言葉通りのハートフルな番組進行が聴かれる。まだ歌手としては売り出してまもないナット・キング・コールにいち早く目を付けて呼んでみたり(ナット自身は遠慮している様子が判る)、壮年期はやや力で押し切る傾向のあったサッチモのおどけたキャラクターを最大限に引き出した収録もある。この手の歌手が、何でも「オレさまの歌」という仰々しい態度を取り勝ちなところを、全米視聴率No.1番組でさえ、謙虚に新しい才能を発掘する態度は全く敬服する。利益主導型でプロモートするショウビズの世界を、彼なりの柔らかな身のこなしで泳ぎまわった勇姿の記録でもある。
1949年 ブルックナー Sym.No.7 クナッパーツブッシュ/ウィーン・フィル

米軍管理下の放送局Rots Weis Rotsによるザルツブルク音楽祭の一場面である。昔、米Music&Arts音源で出された頃は、ダビング時にフィルタとイコライザーでいじりつくされた後で、1949年だしアセテート盤だからしょうがないと諦めていた。実は歴としたテープ収録で、こうして元テープにあたると、デッカもあわやというべき鮮烈な音で、AKG社のC12型マイクの音と重なる音調である(実際はノイマンM50)。青春のトラウマよさらば。あれから30歳も年を取って、こうして昔の記録が鮮明に蘇ったことを素直に喜ぼう。
1951年

1960年
マウエルスベルガー/ドレスデン聖十字架聖歌隊

これは南ドイツ放送協会のアルヒーフで、合唱の精度はまだ荒く、鋼鉄の純度が足らないように感じるが、コールユーブンゲンの第3巻(合唱編)に載るような曲から、珍しいディストラーの宗教曲まで、当時の広範なレパートリーを聞ける貴重なもの。この時代において少年合唱団に加わることは、音楽教育を無償で受けることと、そのことによって生活保護を受けることに繋がっていた。まだ鉄のカーテンが下りる以前の、戦後の移行期におけるドキュメントとして考えても興味深い。
1953年

1964年
ジス・イズ・ミスター・トニー谷

問答無用の毒舌ボードビリアンの壮絶な記録である。同じおちゃらけぶりはエノケンにルーツをみることができるが、エノケンがいちよ放送作家のシナリオを立てて演じるのに対し、トニー谷は絶対に裏切る。この小悪魔的な振る舞いを、全くブレなくスタジオ収録してくるところ、実はすごく頭のいい人なのである。50年経っても古さを感じさせない芸風は、まさにソロバン勘定だ。こればかりは幼い娘も喜んで聴く。
1954年 ストラヴィンスキー自作自演集

晩年の隠居先にしたヴェネチアとほど近い、スイス・イタリア語放送局に招かれての自作自演プログラム。戦後に世界中を駆け巡り、老年になっても録音機会の多かった作曲家だが、3大バレエばかり選ばれる大舞台とは違い、ここでは中期の新古典主義の作品をまとめて演奏している。リハーサルではフランス語を使いながら、アクセントを丁寧に指示しつつ、自らの音楽言語を組み上げていく様が聴かれる。結果は、イタリアらしい晴れ晴れとした色彩感のあるアンサンブルで、ブラックの静物画のように、デフォルメを巧く使ったキュビズムにも通底する、明瞭なフォルムが提示される。招待演奏のときのような燕尾服ではなく、ベレー帽を被る老匠の写真は、どことなくピカソに似ていて微笑ましい。
1954年 バートランドの子守歌 クリス・コナー

ラジオ風のDJではじまるアルバムで、こちらはラーキンスらのトリオ・ジャズとのセッションのみを集めたもの。なぜかエラ&ルイよりも聴く機会が多い。ラジオ風録音のリファレンス的な要素が多く、最初の男性アナがくぐもらないこと、ピアノの高音とのバランス、ボーカルのフェチ度など、チェックするべき項目はほぼ備えている。歌唱スタイルはすでに完成されたもので、当時流行したアレンジをひねくり回す亜流の歌い方とは一線を画いている。
1940年

1957年
Best of ビリー・コットン

ビートルズ以前のラジオ・バラエティー・ショウの一番人気だった名バンド・マスターである。聞き物は、バンド全員を従えた大仕掛けなお茶らけっぷり。音楽の腕もそこそこあるのに、必ず一癖つくってくる。ちょうどこれが全てDecca ffrr録音である点が、もうひとつのミソであるが、マスタリングはHMV風のおっとりした音に仕上げている。マントヴァーニの甘いお菓子に飽きた方は、口直しにフィッシュ&フライでもどうぞ。そんな軽妙な語り口で押し切るアルバムは、何と言うか暖かい下町人情にでも触れたような、ホロリとさせるものがある。この伝統は、ビートルズにも確実に引き継がれていくのである。
1956年 アラン・フリードのロックン・ロール・ダンス・パーティー

アラン・フリードはロカビリー世代を駆け抜けた名物DJで、Rock 'n' rollという言葉の生みの親でもある。これは当時NYで行われたロックン・ロール・ダンス・パーティーと称した公開ライブを収録したもの。音質はラジオのエアチェックなのでは?と思えるほどチープだが、それを補って余りあるのが、観衆と一体となった当時のロカビリーの破壊力である。同じ時期に彼のバンド名義で吹き込まれた同名の2in1オムニバスもあるが、そっちのほうが音質も良いのに誰も評価しない。レコード化した途端、所属レーベルの利権関係で形骸化するという例として聞き比べてみるのも一興だろう。そういう意味ではダンス・パーティ自体が、アラン・フリードの顔で集めた全員がゲスト出演でこなした、奇跡に近いバランスで成り立っていたと言える。
1957年 グリーグ P協奏曲 グレンジャー/Drier/Aarhus響

これはグリークの没後50年記念に催されたコンサート・ライブで、オーストラリアの“牛糞楽派”作曲家グレンジャーがピアノを担当した歴史的演奏の記録である。長らくお蔵入りしていたのは冒頭ピアノのミスタッチが理由と思われる。しかしそれを除くと、グレンジャーのピアノは揺るぎない強鍵で突き進む堂々としたヴィルティオーゾで、作品の裏側まで見通したようなキッチリしたテンポ設定が終始オケをある高みに導いていく。アグレッシブな部分は、彼の奇異な性格も手伝っていると思うが、テンポルバートに至るまで19世紀へのノスタルジーを額縁に納めたお手本のような演奏で、それでいてまったく飽きないのは、グレンジャーが作曲家として生涯貫いた態度と深く結びついていることは確かである。オマケの自作自演は、民謡をテーマにした名刺代わりのもの。こちらは肩の力を抜いて、「グリーグとその後継者たち」とでも題したい基調講演。グレンジャーがこの歴史的コンサートに招待された意味が、格別に深まる時間である。
1956年

1960年
ピアノ・アヴァンギャルド デビッド・チュードア

アヴァンギャルド音楽のエヴァンゲリスト:チュードア氏が、独ケルン放送局で西側の前衛作曲家(Cage、Cardew、F.Evangelisti、B.Nilsson、Pousseur、Ch.Wolf)のピアノ曲を収録したのもの。当時、これを放送で聴いた人はほぼ皆無のはず。しかし、電子音楽スタジオを建設するなど、この手の文化事業に並々ならぬ力を入れていたケルン放送局ならではの企画であり、保管されたテープのコンディションも録りたてのように最高である。一方で、この時代の電子音楽は後で編集しなおしたステレオ・バージョンが最終稿とされることが多いので、一般に最初のモノラル・テープが日の目を見ることはないであろう。その意味でも、これはレア音源なのだ。
1962年

1965年
ビートルズ BBCセッションズ

私はパフォーマンス・バンドとしてのビートルズが大好きである。このBBCのサタディ・ナイトでの収録は、今では私のマスト・アイテムである。逆にスタジオ録音のほうは、アルバム毎に編集をいじり過ぎてるし、そこがプロデューサーや世論との闘いの傷跡が絶えないように思え、聴く毎にため息が出る。ここで聴くビートルズは、純粋にロックを楽しむ無垢な青年の姿が刻まれていて、良い意味でのアマチュアぶりが楽しい。一家に一枚、お茶の間にビートルズはいかが?
1969年 キング・クリムゾン〜エピタフ(墓碑銘)〜

1969年に「21世紀の精神異常者」で衝撃的なデビューを飾る直前に、BBCのトップギアに出演したときの音源から、解散前にアメリカで行ったライブ収録まで、一気に駆け抜けた第一期のクリムゾン。ファンがラジオでエアチェックしたものや、ステージ・スピーチなどに隠し撮り音源を含むなど、これまでの「非公式盤」と手を取り合って、1997年になって切り貼りで構成したドキュメントである。ともかくアルバム1枚を製作したのみで空中分解したプログレらしい潔さは、むしろこうしたドキュメントによって彼らの葛藤の中身が真実味を帯びてくる。同じフィルモア東西会場では、アル・クーパーとマイク・ブルームフィールドのスーパー・セッションが繰り広げられており、クリムゾンは創意工夫の枠を超えた演奏技術を求められていた。彼らはアメリカに渡って初めて、自分たちの先進性のみがコンサートで認められる手応えを感じたのかもしれない。この後のクリムゾンは名実共に、超絶セッション・バンドにカミングアウトしていくのであるが、そうした大気圏突入前の緊迫した面持ちが演奏に現れている。
1947年

1975年
なつかしの昭和テレビ・ラジオ番組主題歌全集

仕上げは日本のお茶の間を賑わした放送番組の主題歌集などでも。「向こう三軒両隣」から「Gメン75」'まで、様々な趣向を凝らした放送音楽家の名アレンジが聞ける。この時代は一番新しい1975年になっても、お茶の間のテレビはモノラル放送である。ここは骨太にモノラルで流そう。
1970年

1974年
ドキュメント 日本の放浪芸

場外編は、音声のみのドキュメンタリーである。小沢昭一さんが全国を歩き回って、当時急速に失われていった放浪芸の数々を生録したもの。4巻物で、最初の1巻目が江戸時代から続く伝統芸でモノラル収録、2巻目以降がステレオ収録で、テキ屋の話芸、仏教説法、ストリップ劇場となるが、さすがに4巻目はスピーカーで大きな音では聞けないと思い購入していない。このCDの魅力はそうした芸人の一芸を記録しただけではなく、最初のつかみの部分から周辺の環境音をカットせずに全部収録している点である。マイク1本で素のまま拾った音声でも、臨場感をちゃんと表現できているかが、自分の機器の状態を知るうえで非常に重要であると思っている。エレボイはさすがPA機器の血筋をもっているだけあって、こういう異種格闘技でも良い味を出してくれる。ジェット機、機関銃まではどうかと思うが、こういう音のタペストリーを自然に再生してくれる点は実に有り難い。
1963年

1979年

 

テレビまんが (鉄腕アトム〜機動戦士ガンダム)

これについて話し出すとキリがないのであるが、ともかく昭和の日本文化で絶対に外せないものと思っている。ガンダムまでとしたのは、本作をもって「テレビまんが」は大人まで映画館に列を作って夢中になる「アニメ」に成長し、OVAというパッケージを産み出したことで、テレビという括りは必要なくなったと考えていい。オーディオ面では、1979年までは光学音声によるモノラル録音で、ステレオ放送されたのは1979年、ルパン三世(2nd)の103話からとされるが、1983年のPartIIIではモノラル音声に戻したりしている。最初のモノクロ期のものは音声的にかなり間を置いた緩い収録が多いが、1968年の妖怪人間ベムはBGMを積極的に取り入れ、1971年のルパン三世(1st)までいくと洗練されたサウンド・トラックになる。意外かもしれないが、ロクハンよりもエレボイのほうが効果覿面となり、素直に当時の雰囲気で楽しめる。ただし1977年のヤッターマンはOKだが、さすがに1980年代の作品(例えばスペースコブラ)はレンジ不足になるので、同じモノラル音声でもビンテージの限界と思える。しかし普通の2wayではルパン三世(1st)は惨敗。1970年代までのファンなら、ちゃんとモノラル音声を再生できる装置を1台持つべきだろう。

 こうしたものを読んで、興味(闘志?)が湧いたなら、ぜひ色々と試してみてほしい。予算不足のため試していない、WE 755Aの他、Lancing Iconicモニター、RCAのラビリンス・システム、三菱 2S-305など、放送技術の歴史を塗り替えた名スピーカーもある。しかしこれらのファンの多くは、SP盤も含めた優秀録音のファンでもあり、古ぼけたラジオはダメと思っているかもしれない。しかし生んだ親が子の顔を知らないのは不味いのではないだろうか? やはりライブラリの再考を願いたいのだ。


【サブ・システムと侮るなかれ】

 サブ・システムとは言っても、やはりオーディオ・マニアの端くれ、趣味として凝った部分は残したい。否、サブ・システムだからこそ、スピーカー・ユニットから、小さなトランスに至るまで、自分らしい主張をもつことが大切だと思う。今回のエレボイ、UTC製トランス、Lissen社ラジオトランス、いずれも個性が強いパーツばかりであり、組み合わせに失敗してもおかしくないし、実際に不安定な部分を持っている。しかしサブ・システムだからこそ、あえて王道を外し、思いっきり冒険をしてみることも可能なのである。私の場合、サブ・システムは盆栽のような感覚でみている。あえていえば自分のTPOに従い成長するので、伸ばしたり切り詰めたりと少しずつ手を入れることで改善していこうという考え方だ。何よりも新しいリマスター音源の購入によりテコ入れし成長しているというのが実際で、なかなか修行の身から脱しきれないでいる。
 こうした永遠の入門者からみて、モノラルだとお金をかけずにイジりやすいし、少なくとも、ビンテージ・パーツでは、ステレオで揃えると2倍のはずが、3倍以上取られるのが業界の常識である。それほどペア・マッチングということが難しい。ステレオとは、本来そうした繊細なところがあり、何でもステレオセットで購入することに慣れると、感覚が麻痺してくるようだ。ビンテージ店に行ったときには、店頭に陳列していないものでも、気軽にモノラル用の出物について聞いてみるといいかもしれない。店主なりに思い付いたものは、それなりの品でステレオ・ペアにならなかった部品だし、手頃な値段で分けてもらえることも多い。そして、いつも機材について商談するときには、機材をヨイショするためのボーカル物に加え、悩みの深いCDも数枚持って行くことにしている。システムを評価するためには向かないものだけれど、多分、それで店主には、私の独自のサウンド嗜好を判ってもらえるし、向こうなりの考えをぶつけてくることも多いので参考になる。参考になるという程度なのは、ほとんどの店はHi-Fiシステムを売っているのであって、カマボコ特性が好みの人が居るという認識しかないため。積極的にこれが良いという勧め方がお互いにできないのが現状である。
 そうやって在り合わせのパーツで構築したサブ・システムは、実は自分の個性が強く染みこんだもので、誰が何と言おうと自分好みのサウンドになっている。モノラル×Low-Fi=ラジオ風の音、これは普通のオーディオ店では進んで売ってくれるものではない。エレボイとUTC製トランスは、別々の店で購入したが、結局は日本では顧みられないイースト・コースト・サウンド、しかもPA機材のそれであると気付いたのは、購入してから随分と後のことである。

 以下に私のサブ・システムの構成を示す。



 これをみると結構な数の機材があるように見えるかもしれないが、根幹はCDプレイヤー、ミキサー、アンプ、スピーカーの4つで、一番お金が掛かってるのがスピーカーで、次にアンプ、CDとミキサーは余り物で対処すれば十分である。アンプにトーンコントロールがあり、モノラル音源しか聞かないというのであれば、さらにシンプルなシステムになるが、トーンコントロール付でアンプの選択範囲を絞るよりは安いミキサーを付けたほうが便利である。このミキサーにも相性があるようで、音が太めと定評あるDJミキサー RANE MP2016を繋げてみたら、見事に痩せた音になり蹴られてしまった。多分、間に噛ましているトランスや真空管アンプとぶつかったのだろうが、入り口はBehringerの堅めの音のほうが良いようだ。ストレート&ピュアという1990年代の発想から抜け出して、いたる所に電気的なトラップを噛まして自分好みのトーンに仕上げよう。

 これで、長らくトラウマの対象だった、メンゲルベルク/ACOのライブ録音(1940年代アセテート録音)は、FM放送のように安定したサウンドで鳴らすことができるし、ビートルズのBBCセッション(1960年代のモノラル)を、1920年代の英国製ラジオ用トランスを噛ませて聞くという荒技で、EMIのそれと似たシルキーでリッチな音が聞けるという、ミラクルな体験もある(昔のPultec型イコライザーにもこの裏技はある)。いずれもラジオ用の収録音源だが、モノラル時代のラジオ音源を真剣に取り組んで聴くということは、残念ながらほとんど聞かない。しかし、自分の好みに正直になってサブ・システムを構築すると、結局はこうなった。ケガの功名ともいうべきで、サブ・システムらしい遊びができたと思っている。

 ということで、サブ・システムの一件はこれで良しとしよう。


【なんでもモノラル】

 モノラル熱に浮かされていると、誰もがやってみたいのが、ステレオ録音のモノラル化である。ほとんどはビンテージ機器で組んだモノラル・システムの音が気に入っているものの、ステレオ録音の資産も捨てがたいというもの。これも単なるショート結線から、トランス結合など色々あるが、私はミキサー卓でパン・ミックスしている。録音によってミックス具合を調整できるほうが融通が利くと思うからだ。
 一般にステレオ音源をモノラル化するときには、以下のような問題が起こる。
@エコー成分は逆相のため、ただ混ぜるだけだと響きを打ち消し合う。
A打ち消されたエコー成分は高域に集中しており、カマボコ型の詰まった音になる。

…つまり、ステレオ音源を単純に混ぜ合わせると、響きが痩せて詰まった音がする。このためモノラルとステレオは犬猿の仲となり、どちらかというとモノラルは悪い音というレッテルが蔓延している。

 最近になって開眼したのは、ふたつの音声をミックスする際に
@両チャンネルのパン・ミックス位置を中央に合わせる(左右の音を混ぜる)
Aどちらかのチャンネルの入力レベルを6dB上げる(逆相のエコー成分を消さない)
B好みにより弱い方のチャンネルの高域を+2dB程度上げる(プレゼンスの調整)

…という手順を踏むとほとんどのステレオ録音が、モノラル化しても鮮度を落とさず聴けることが判明した。もちろんどちらかのチャンネルを主体に聴いていることは確かだが、言われてみないと判らない程度。大方の雰囲気では左チャンネルを大きめにするとまとまる。
 プレゼンスの調整は、左右均等だと遠目のマイク位置に聞こえるため、すぐ近くで演奏しているようにしたい場合は弱くしたチャンネルの高域を若干強めにする。ギターソロなどは、こうするとエコー成分が弱まり直接音の芯が出てくる。逆にボーカル物は、もともとボーカルを口元近くでモノラル録りしてプレゼンスを強くしているので、高域を強めると薄っぺらな音になる。ロックのライブ録音は、逆にインストの勢いを出すために高域をシフトする、等々の調整が可能である。

 面白いのはステレオ録音のCDはモノラルに比べほぼ半分の音量であること。モノラルは全ての楽器が入った1音声が2チャンネル分入っているが、ステレオは楽器配置を分散して2音声に分割されているため合成してもほぼ1音声分の出力になっていると推測される。私の場合は、アナログのコンプレッサーを噛ましているので、普通のシステムに比べ過入力の歪みに対する許容力が大きいかもしれない。あまりこのレベル差は気にならない。
 モノラル礼賛したオーディオ批評家に江川三郎氏がいる。江川氏のやり方は完全に片チャンネルのみで再生するのが良いというもの。ところが初期のビートルズなどのようなデュオ・モノラルというステレオ録音は、片方にギター、片方にストリングスというふうに、音声を完全に左右に分けたものがあるため、江川氏のやり方はNG。上記の方法で、少し片方にシフトすることでほぼ万能になると思われる。

 改めて感心したのは、ビンテージ・ユニットの音抜けの良さと、モノラルならではの骨格の良さが、巧く両立していることである。それと帯域の狭いビンテージ・ユニットは、ステレオだと余韻が寸止めされて面白みが半減するのに対し、モノラルに絞ることで欠点が薄れてくる。気に入ったビンテージ・サウンドだからこそ、思い切ってモノラルにシェイプアップするべきである。

 特に70年代ポップスでは、小音量でも音の立ち上がりが鋭敏で、ドラムのリズムがピシッと決まるのに、ボーカルやギターはちゃんと流れるという理想的な状態になる。例えばクィーンの「グレイテスト・ヒッツ」を聴いてみよう。このアルバムは録音年代によってミックス・バランスが大きく隔たり、それが楽曲の魅力を引き出しているのだが、再生側からするとかなりの難関が多い。これをモノラル・ミックスすると音楽の骨格だけがさらけ出され、各録音のレベル差が目立たず、改めてこういう曲だったのだなぁ、と感心することひとしお。
 ケイト・ブッシュの「魔物語」も、彼女のボーカルがポッカリ切り絵のように浮かび上がり、一層ミステリアスに響く。そしてケイト女史が、作曲やアレンジではなく、ボーカル賞を受賞できたのかもようやく理解できた。ともかく作品と一体化したパフォーマンスが絶妙なのである。もちろんステレオのほうが“面白い”のだが、彼女の頭のなかで描かれているストーリーは、モノラルにしてもかなり鮮明に残っている。むしろステレオでは端っこに置いてある脇役が聞こえやすくなり、シナリオ本を片手にしたような整理された感じがある。それでも洗練された感性が際だっているのが、彼女の凄いところである。
 あと結構面白いのがクラフトワーク「放射能(RADIO ACTIVITY)」。これは音として聴くのではなく、オーディオ機器を音の鳴るオブジェとして考える発想の転換が新鮮だ。モノラルで聴いて改めて面白さが理解できた。実際、この作品は放射能とラジオを引っかけているのだ。
 考えてみれば、ラジオでのヒット・チャートが重要だった1970年代の録音であり、モノラルでも魅力が伝わるような品質管理もまだ残っていたと思う。私自身はこの年代の洋楽を、FEM(AMラジオ)とベストヒットUSA(テレビ)で試聴していたので、青春時代の邂逅も大いにあると思うが、改めてあの頃の感覚はこれだったのかと思う。つまり楽曲ごとにステレオの調整ということに頭を使わず、楽曲の印象を鷲づかみで聴き漁っていた時間が、ようやく取り戻せたのだ。

 クラシックでは、60年代初頭までのステレオ録音が相性が良さそうである。もともとモノラル盤と並行して販売していた時期の録音でもあり、音の隈取りが良好である。コロンビア、EMI、RCAなど、綺羅星のマエストロが両時期にまたがって録音している。多くはステレオを正規とするが、例えばケンプのように演奏スタイルを変えてしまった人については、どちらも貴重な演奏記録だと思うし、両者を平等に評価できるシステムの構築は大切だ。最近になって、往時の録音が安価で大量にセット販売されるようになったが、モノラルとステレオがごちゃ混ぜになって、どう扱って良いか困ってしまう(かなり贅沢な悩み)が、とりあえず処方箋が得られた感じ。あと、この頃の室内楽やリートの録音には、ソリストが左に寄っている録音が多い(例えばシェリング/ルービンシュタインのブラームスVnソナタ集とか)が、何だか部屋の片隅で窮屈そうに聞こえるのが常である。そうした状況もモノラル化することで聞きやすくなる。シェリングのブラームスは、ゴールドベルクの米デッカ録音などと比べると、両者ともにフレッシュ門下の美質を豊かに備えた演奏家であることが判る。BBCが1959年にステレオ収録したホーレンシュタイン指揮の「千人の交響曲」は、BBCのブルムライン方式がモノラルへの下位互換性が良いと思われる点と、左右をアンバランスにミックスすることで、音の遠近感が強調され、広いホールのなかで音響が漂う様子が克明に判る。
 意外に相性が良いと思えるのが、古楽器の録音で、近接マイクで録ることの多いこと、イコライザーのデフォルメを極力避けているため、そのまま再生すると実物大の音量でないとか細い音になりやすい。ビンテージユニットは、それ自体にイコライジングがされているため、こうした録音を聞きやすく、というよりリアルに再現できる。往年のリヒターなどの演奏と聞き比べてみると、演奏家のパッションが同じ土俵で評価できる。これも作品を考える上で大切なことだと思う。

 ジャズは今でもモノラル派が多い割には、意外にステレオ・セットで試聴している人も多いのではないだろうか。しかしこれもモダン・ジャズというジャンルが、1960年代で一度途切れることを考えれば、あえてモノラルだけで聞き通すことも可能なのではないだろうか? モノラルでも複数台を使用するのは、映画館のような広い空間でのことであり、日本の一般的な家屋ではスイングできる音量の関係も踏まえて1台が合理的なのだ。特にビンテージ機器を苦労して乗りこなしている人には、ペアのどちらかが故障という憂き目に合った場合の方便として一度試してみて欲しいと思う。

 そもそもステレオ感というのは演奏の魅力を伝える一要素であって、ダイナミックな音楽の基本要素はモノラルでも十分伝わる。実際に、アコースティック楽器でしっかり演奏した最近のクラブ・ミュージック(ECHOSYSTEMSという北欧ユニット)を、5kHzから減衰する古いトランスでフィルタリングして聞くと、グルーブの本質が力強く脈打ってくる。実は、クラブハウスの音響はやたらに高音が聞こえるわけでもなく、多くの人はグルーブに乗れるか乗れないか、というリズムの骨格だけで判断しているのである。そしてそれが的中すると、これまでのオシャレ系のラテン音楽が、異常にスピード感のある超絶ドラムの音楽に変わる。もちろんこれがこの録音の魅力の全てではない。しかしミュージシャンの凄さは圧倒的にLow-Fi&モノラルの勝利である。
 キース・ジャレットの「ケルン・コンサート」だって、孤独と和解に至る刹那さの本質は何ら変わりないばかりか、モノローグとしての凄みがストレートに伝わる。1950年代のケンプの弾くベートーヴェン・ソナタと比較しても、徹底的な孤独から生み出されるピアノ音楽の本質が非常に似通っていることが判る。あえてステレオ感をそぎ落とすことで、モノクロ写真のように対象がクローズアップされる効果があるのだ。ピントが多少ボケていたり、フィルムの粒子の粗さがあっても、陰影だけで判る主題の強ささえあれば、それで十分に解り合える。
 あと井上陽水「氷の世界」も5kHzのLow-Fiトランスで落として全く問題なし。かえって70年代の音楽喫茶風の淫靡な感じが出ていて面白い。この時代はトワエ・モア、荒井由美、グラシェラ・スサーナなど好きな歌手が多いので、第一声が聞こえた瞬間からなんとなくホロリとしてしまう。柔らかくピントの合ったモノクロ写真のように、周囲の余計なモノを取り除いたような、それでいて電車のガラス越しに眺めているような、不思議な時間が流れてくる。
 「なんでもステレオ」で聞こうというのは、その汎用性とは裏腹に、スピーカーのもつサウンド・ステージの癖という別の要素が加わり、音が平板になったり引っ込んだりで、意外と中庸な立場が保てないのが実情である。録音状態で「?」と思うことがあれば、モノラルで試聴しなおしてみると、骨格がはっきりして、演奏本来の比較がしやすくなるのは確かだ。


【ネット社会のモノラル復権】

 オーディオ好きの人は、とかくラジオを卑下する。「ラジオみたいな音」というと、その装置がカマボコ型の音で非Hi-Fi的という隠語である。そして誰でもタダで聞けるからという理由で、わざわざお金を出す価値のないもの=安物というレッテルもある。ところがモノラル音源と向き合うときには、必ずこのAM放送の音声帯域:80Hz〜8kHzと格闘せざるを得ない。というより、この帯域をどういうバランスでまとめるか、ということはオーディオ装置の基本であるように思う。人の声が自然に聞こえること、これはスピーカーが生まれたときから課せられた第一条件である。

 ただし、この帯域への愛着というか執念というべきものは、FMステレオ放送が一般化した1970年代から大きく後退して、かれこれ40年以上も過ぎ去って、あと少しで半世紀経つことになる。実はその間のテレビでのモノラル音声の質の後退も著しいのだ。言い換えれば、人の声が主役から後退したともいえよう。ガン・マイクやラベリア・マイクを多用することで、周囲の音を極端にフィルタリングする収録が中心になり、音声規準がS/N比とかピークレベルという表面的なもので管理された結果といえる。現状のバラエティーで芸人さんが多いのも、ただ面白いだけではなく、ライブ会場で鍛えた声の抑揚がしっかりしているからだし、顔の撮影が必要ないコマーシャルやアニメのほうが、ちゃんとした録音ブースと大型マイクで収録している分、音の骨格がしっかりしているかもしれない。ドキュメンタリーのアナウンスの声も、映像よりも物語性が浮かんでくるようで結構好きである。この点でラジオは、昔ながら大型ダイヤフラムのマイクを使っての1本勝負・・・と思っていたら、AM局では最近AKG社のグースネック・マイクを使うことも多いようで、rajikoなどのインターネット・ラジオで確認してみると、小型マイクらしいカッチリした声質で固めている。FM局のほうが生の声質を意識してか、大型ダイヤフラムやボーカルマイクを使用することが多いようだ。ただ大型ダイヤフラムでパーソナリティが近づき過ぎて、近接効果で胸声が被って明瞭度を落としていることもあり、こうしたことは小型グースネックでは起こらない。少なくとも音声収録のプロが一緒なので、胸声が加わることで、やや暖かみのある声を狙うこともあるかもしれない。いずれにしても、レンジが狭いと思えるビンテージのフルレンジでも、こうした違いが自然に聞き取れることを考えると、人の声を再生する能力に関しては、50年前からそれほど進展がないどころか、むしろ後退しているものも多いように感じる。

 このようにテレビでさえ、高域も低域もないこのボーカル帯域の質は、内容の伝わり方=オーディオの質に差が生じるのである。最近になってテレビ専用と銘打った卵型のフルレンジ(Olasonic TW-D7OPT)が出たが、低音も高音もでない小型フルレンジでも、音の明瞭度の向上にはかなり役に立つらしい。テレビの薄型化に伴って失われたボーカル帯域の重要性がしのばれる。

 一方で、パソコン用のスピーカーとして妻や娘に勧めたのは、Logicool社の Mini Boomboxである。Youtubeをよく見る二人は、画面一体型でテレビより幾分立派なパソコン内蔵スピーカーをガンガン鳴らして聴いていることが多かった。結局、そのようにしないと音声が良く聞き取れないというのだ。特にYoutubeは音声レベルもまちまちで、多くは低いオーバーサンプリング周波数で極端に圧縮した音声である。こうした音は、ヘタにサラウンド効果を持たしたものよりも、しっかりしたモノラル音声で鳴らしたほうが良い。Mini Boomboxの音は中低音寄りの派手さのない音だが、かといってこの手のPCスピーカーのようにカマボコ型でもない。結果的には、このスピーカーにしたことで、かなり小さな音量でもビデオの内容が自然と聞き取れるようになった。

 面白いのは、Hi-Fiの歴史に名を残す名スピーカーAR-3の開発者ヘンリー・クロスが、晩年に発表したTivoli Audio社のModel Oneだ。エアサスペンション方式の密閉型ブックシェルフに留まらず、ドルビーB型ノイズリダクションを最初に実装したカセットデッキ、プロジェクションTVの開発など、安価で手軽に高品質という庶民型のAV機器の先端を走ってきたクロス氏の終着点が、モノラル・ラジオであった点は非常に興味深い。ラジオの実力としては、ソニーのICF-EX5ほどの絶対的な信頼(こいつのAM放送に賭けた執念は半端ではない)はないが、音響機器としてのモノラル音声の品質に注目したこと自体がサプライズである。実に戦後のオーディオの歴史そのものを体現した人ならではの、深い洞察に満ちた製品である。21世紀にもなって、なぜ今どきラジオ?、しかもモノラルで?、こういうHi-Fi理論の常識を覆すような疑問とは裏腹に、その音には子供から老人まで魅了する説得力がある。フランスの子供が拡張用のアンテナをつなげて良い音で聴こうとする様子とか、ベテランのTVアナウンサーがラジオの歴史と一緒に紹介するのを見ると、このラジオの魅力が深いことが判る。もちろん、i-podのほうがオーディオ機器としての革新性は明白だが、Model Oneのようなアナログ機器が提示するシンプルな音響技術もまた、国際規準(ワールド・スタンダード)の正しい姿だと思う。

 こうしたアナログ時代の音声技術の復権は、当然ながらMP3に代表される圧縮音声技術の台頭であり、少ないダイナミックレンジで如何に効果的に音声を伝達できるか、という課題そのものが1930年代のキーワードだということが判る。そのなかでフルレンジの魅力に気付いた人が増えたのは、個人的には大歓迎である。
 一方でヴィンテージなフルレンジだって、ネットラジオのような低音質への耐性は非常に強い。MP3は高音のビット数を端折るために、Hi-Fiの流儀から外れている、ダイナミックレンジが狭く平板であるなど、従来のアナログ技術を逆走する感じに云われる。しかしながら、1950年代の有線技術は、数kmの接続ケーブルで聴いているようなもので、音の劣化した音源も数多くあった。ライブ会場のPAなどはまさに、レンジを制限しながらボリューム感を与える技術そのものである。自分の所有しているエレボイのSP8Bなどは、こうしたHi-FiとLow-Fiのどちらも再生するための苦肉の策が練られており、ネットラジオを結構面白く聴かせてくれる。ロックは70年代が中心でオールディーズをほとんどやらないので難しいのだが、スムース・ジャスなどは新旧を問わずヴィンテージ機器の独断場である。そして意外なのは、最近の古楽器で演奏されたバロック音楽で、ヴィンテージ・オーディオが一番不得意な分野のように思っていたが、モノラルで聴いてなお面白いという意外な結果だった。
 理由について考えてみると、ひとつは中高域に明瞭性を持たせるネットラジオの味付けが掛かっていてヴァイオリンなどが綺麗に鳴ること、次に中域の押し出しが強いビンテージ・ユニットではそれがうるさく鳴らないこと、それとスピーカーの楽器のような個性がサウンドに筋の通った統一感をもたらしていること。最後の一貫したポリシーは、今の高忠実度再生だと録音品質の違いが目立ちやすいところを、うまく化粧して隠しているようなもので、意外にUTCのトランスのフィルターリングも成功しているのかもしれない。もともとエレボイは、1970年代にあってもマイマイクをアンプに繋いで自分の声でバランス調整しろと云うようなメーカーである。生音の素っ気ない音でもそれなりに再生するようにできているのである。放送業界の恐るべき伝統というものを垣間見たような気がする。


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