20世紀的脱Hi-Fi音響論(延長13回)

 我がオーディオ装置はオーデイオ・マニアが自慢する優秀録音のためではありません(別に悪い録音のマニアではないが。。。)。オーディオ自体その時代の記憶を再生するための装置ということが言えます。「嗚呼、ロクハン!!」は、一度未練を断ったロクハンで、モノラルのサブシステムを構築して、オーディオ界のラスボス=J-POPに立ち向かう、ドンキホーテのようなオーディオ体験がズルズルと綴られています。
嗚呼、ロクハン!!
【不惑のJ-POP】 新たな戦場へ→
【テンモニ】
【トーンコントロール】
【ラウドネス競争】
【冷めたバブル料理をチンする】
【J-POPを見直した?】
自由気ままな独身時代
(延長戦)結婚とオーディオ
(延長10回)哀愁のヨーロピアン・ジャズ
(延長11回)PIEGA現わる!
(延長12回)静かにしなさい・・・
(延長13回裏)仁義なきウェスタン
(試合後会見)モノラル復権
掲示板
。。。の前に断って置きたいのは
1)自称「音源マニア」である(ソース保有数はモノラル:ステレオ=1:1です)
2)業務用機材に目がない(自主録音も多少やらかします)
3)メインのスピーカーはシングルコーンが基本で4台を使い分けてます
4)映画、アニメも大好きである(70年代のテレビまんがに闘志を燃やしてます)
という特異な面を持ってますので、その辺は割り引いて閲覧してください。



不惑のJ-POP


【不惑のJ-POP】

 昭和の最終章に「不惑の」などと、何とも不思議な形容詞を付けたもんだと思われるだろうが、1980年代から既に40年近く経つ。バブルに燃えたイケイケギャルも不惑の年頃を過ぎた今、80年代アイドルを頭越しにJ-POPなどツマミ食いしてみようかと思った次第。

@シャカシャカ音の誕生
 よく言われることですが、J-POPは音が悪い。本当にそうなのでしょうか? それでも1970年代はまだマシで、オカシクなったのが1980年代以降のことだと言われます。いったい、この時代に何が起こったのでしょうか? CDの発売? ヤマハのテンモニ? いやいや、答えは「ウォークマン」です。1979年に発売され、これまでのオーディオの常識を変えた大ヒット商品となりました。

   

 もう少しこの現象の問題点を掘り下げてみましょう。上の初代の写真はオープン型ヘッドホンですが、よく電車で見掛けたほとんどのものはインナーイヤ型でした。このオープン型からインナーイヤ型への変化の際に、単に音質が軽くなっただけではなく、外耳の共振周波数に変化が起きて、音楽業界のサウンドカラーまで変えてしまった、という仮説を私はもっています。

 もともと外耳の共振の研究は、1940年代に補聴器の分野で進んでいました。(米国特許 US 2552800 A) 外耳の長さは25mm〜30mmとされ、開管とした場合の共振周波数は、3kHzと9kHzにピークを生じさせ、この周波数を敏感に聞き取るようになっています。これはオープン型ヘッドホンをフラットに再生したときのもので、1995年にはDiffuse Field Equalizationという名称で、国際規格IEC 60268-7とされています。つまり、ダミーヘッドで測定したヘッドホンの特性を、一般の音響と比較する際には、聴覚補正のカーブを規定したのです。

  B&K社のダミーヘッド4128C HATSDiffuse Field Equalization補正曲線参照サイト

 一方で、これをカナル型で耳を閉鎖した場合、外耳の共振は閉管となり、6kHzと12kHzにシフトするというのです。(詳しくは、次のリンクを参照してください) これをインナーイヤ型に置き換えると、耳に堅く押さえつけると閉管、緩く付けると開管ということになります。つまり緩く付けると6kHzが弱く聞こえ、堅く押さえつけると2kHzの音が凹んで聞こえる、という変な現象が起きてしまいます。つまり、インナーイヤ型でも良い音で聞こえるためには、3kHzと6kHzをウマく補完するようなトーンが良いことになります。

 実はこの特性をもったヘッドホンが、1989年に開発され、日本のスタジオで良く使われていたSONY MDR-CD900STなのです。モニター用なので、誰もがフラットで正確だと疑わなかったのですが、IEC 60268-7での補正後では、見事に3kHzと6kHzにディップがあり、これを+6dB持ち上げないとフラットに聞こえない、というギミックな仕掛けのあることが判ります。これはSONYの責任というよりは、1995年のDiffuse Fieldが公になる以前の開発であり、聴覚補正なしの生の測定結果をもとにアレンジした結果であると思われます。


   SONY MDR-CD900STの特性(DF補正後)


   SONY MDR-CD900STを反転させた特性(参考)

 もちろん、ミキシングルームでは、キノシタやB&Wのラージモニターも導入されていました。しかし、デジタル編集になるとノイズ管理が厳しくなり、多くのミュージシャンはこの900STを耳にあてて録音ブースに閉じこもり、音楽の「素材」を収録している状態でした。この環境下で自然と甲高い音を良しとしないでしょうか?
 面白いことに、この900STには海外バージョンのMDR-7506があり、こちらはフラットネスで欧米ではこちらのモデルが選ばれるとのこと。例えばTHX規格を立ち上げたルーカス・フィルムのスタジオなどです。7506のほうが安くて折りたたみも可能なことから、DJ用のスペックダウンモデルと誤解されやすいのですが、900STのDiffuse Field対応機種という位置づけと言えます。つまりDiffuse Fieldに対応した機種があるにはあるのですが、国内向けの音楽産業をターゲットにしたとき、900STのほうがブリリアントなサウンドに仕上がるので便利だということになります。

 一方で、こうしたサウンドの変化がJ-POPに大きな革命をもたらし、いわゆるミリオンセラーのシングル盤が一気に増加します。1980年代が12曲だったのに対し、1990年代には100曲以上のミリオンセラーを連発する黄金時代を迎えたのです。この時代はバブル崩壊の時期と重なっていますが、それにも負けない「輝き」を、日本の音楽シーンにもたらしたというべきでしょう。電車のシャカシャカ音をたてる高校生が増えたのもこの時期でした。そしてオーディオ業界の死滅が、音楽業界の衰退より先に訪れたのです。

 ちなみに、他社のヘッドホンはどうでしょうか? よくフラットネスの代表のようにいわれるSennheiser HD580、カナル型の新しい潮流をつくったSHURE SE425は、共にこうした独特なディップをもっていません。Sennheiserはクラシック向けと言われ、SHUREはライブ演奏するミュージシャンに信頼のあるものです。つまり、どちらもホールでの音響を普段から聞きなれている人には、違和感なくノーマルに受け入れられるというものでした。Shure社の低音過多で、高音が大人しいのは、イーストコースト系のサウンドですが、カナル型の特徴でもある小さい振動板のレスポンスの速さで補っていると言えます。


 左:Sennheiser HD580、右:SHURE SE425(共にDF補正後)

 Sennheiser社が1995年のIEC規定前にDiffuse Fieldに沿ったヘッドホンを開発していたのは偶然ではなく、実はボーカルマイク開発の際のノウハウとして既にあったと考えられます。例えばSHURE社の定番ボーカルマイクSM58の高域のピークは、同じような特性をもっており、耳下でささやくようなウィスパーヴォイスから、強いシャウトまで、Shure社のボーカルマイクは丁寧に拾ってくれるのです。それは1951年に発売されたSHURE 55(通称ガイコツ)は、最初に聴覚補正をもとにしたPAマイクで、当初は子音を明瞭に拾うというコンセプトでした。しかしこのマイクの特徴は、大きなステージでも身近で聞くような音調にあります。その聴感の原因は、外耳の共振にあったのです。


      Shure社のBETA58ボーカルマイクの特性

 SHURE社のカナル型がブレークした後は、ソニーも同じような製品を出したのですが、SACD対応をうたった製品でさえ、特性はMDR-CD900STをトレースしたものになっています。他の日本のヘッドホンメーカーも同様で、IEC 60268-7の研究成果など関係なし。ウォークマン時代の音響特性を船団方式で固持していることが判るのです。外部からは、日本人独特の民族的な趣向のように思われているかもしれませんが、現状では変更する予定はない、と考えてよいでしょう。
 もちろんソニーの研究は、1995年のIECより、ずっと先行していたことは認めて良いでしょう。外耳の共振などの問題よりも、もっと音響心理学的なアプローチで市場調査をしていたに違いありません。実際に音楽業界では圧倒的な影響力をもっていました。一方で、若者が耳を傷めないように、別の配慮が働いているのかもしれません。しかし結果として、不自然な音響を生み出してしまった、ということも認めなければなりません。


      SONY XBA-H3の特性(DF補正後)

 一方で、ソニー製ヘッドホンのなかで、例外的なのがオープンエア型のMDR-MA900です。これは最近になって若い開発者が作ったのですが、静かな試聴環境のなかでの使用を想定しています。
 「(従来の)ヘッドホンの多くはアウトドアでの活用を想定して開発されている。もちろんこれらのヘッドホンをインドアでも楽しむことはできるが、インドアの場合、電車の中での利用などと異なり、音漏れに対する心配もあまりないし、外部からのノイズを遮断する必要もほとんどない。それよりも、いかに快適に長時間使えるかといった装着性が重要視されるとともに、さらなる高音質を求める声が大きいのが事実だ。」
 こうして素の感性で開発されたMDR-MA900は、見事にDiffuse Fieldに準じています。しかし、まだ市場の反応をみている状態で、なおかつフルオープンという特殊な構造ということもあって、実際に使われるシチュエーションは限定的と言っていいでしょう。この辺が開発理念よりも市場主義が優先される企業病の傾向がみられるのです。


     SONY MDR-MA900の特性(DF補正後)


A誰よりもデカイ音を出せ
 ウォークマンがもたらしたもうひとつの弊害は、ダイナミック・レンジの圧縮です。1980年代にレコード業界を悩ましていたのは「貸しレコード屋」でした。ウォークマンは「個人で楽しむ範囲」という著作権の文言をうまく解釈し、ダビングしたテープを持ち歩くというスタイルを生み出しました。これに対しCDの定着によって、CD-Walkmanが流行すると、CD売り上げが軌道にのります。ヒットの担い手がティーン世代だったことも特徴的でした。一方で、騒音の多い電車内でのイヤホン試聴 では、できるだけ音圧を圧縮して、常に大きな音圧を維持できるサウンドが好まれました。このことが、J-POPを潰れた浅い音で塗りつぶす結果を生んだのです。この現象について、よく打ち込み系のデジタル・シーケンサーのせいにする人も多いのですが、よく出来た音楽はデジタル・シンセであろうとなかろうとダイナミックに鳴り響きます。iPodやYoutubeの生まれる以前から、日本の音楽市場では、音圧の圧縮行為がCD媒体からFM放送にたるまで一般的になされていたのです。例えばテレビコマーシャルの音圧戦争は誰でも判ると思いますが(映画番組の合間に音量を下げなければならないアレ)、同じ論理が音楽にも入り込んでいると言わざるを得ません。

Bまとめ
 J-POPは高音が強くて、潰れた音が連続する音楽。しかしその歴史的過程は、ウォークマンで多用された、インナーイヤ型ヘッドホンと電車内での試聴というスタイルから生まれた、と私は考えています。一方で、それをそのまま素直に認めて、新しいサウンド志向を生み出した結果、1990年代のレコード業界は未曾有の成功をおさめたのです。CD販売の牽引役は、現在もティーンエイジであり、これに子供と老人が加われば怖いものなしという感じです。一方で、このねじれたサウンドを正確に再生できるのは、SONY MDR-CD900STとそのシンパしかありません。トーンが独特で、音圧の制限が強い音楽しか作れないので、多様性を失った音楽業界が一種のマンネリズムに陥っているのです。

 一方で、Shure社のように、iPodのイーストコースト系サウンドにうまくフィットしたヘッドホンも増えていることも確かです。カナル型は遮音性が高いので、フラットで再生して問題ないのです。音楽の多様性も、より多く許容できるでしょう。オーディオの役割は、どの音楽文化にも平等に接し、裏方に立って音楽を育成するという、高尚な目的と連携していることが、もっと見直されて良いのではないでしょうか。
ソニーには、ヘッドホンのトーン・キャラクターを正常に戻す方針を早く打ち出して欲しいと思うのです。僭越ながら、私の提言は次のようなものです。
  • 現在、録音スタジオに残っているMDR-CD900STを回収し、Diffuse Field補正に準じたモニター・ヘッドホンに置き換える。
  • 普通のスピーカーでもJ-POPが大きな音で楽しめるように、AVアンプもしくはミュージックサーバーに「J-POP補正フィルター」を搭載する。
  • オーディオ批評で「明るい音でJ-POP向け」という類の言い回しを禁止する。
 という感じで、どうでしょうか?



【テンモニ】

 J-POPのアクの強いサウンドの原因は、当然ながらMDR-CD900STの開発以前からありました。それがヤマハのテンモニ(NS-10M)というニアフィールド・モニターから始まったという説が多く聞かれます。しかし、それ以前に使われていた、オーラトーン 5Cという小型フルレンジの存在も忘れてはいけません。アメリカの録音スタジオで1970年代からJBL 4343などと並んで使われ始め、小さいラジカセでもゴージャスなサウンドが味わえる、ヒットメーカーの方程式が浮かび上がったのです。1960年代までの生音中心の録音と、1970年代の室内再生に適したサウンドとの違いは、こうした些細なスタジオ環境の変化からも現れます。オーラトーンは小さな巨人だったのです。


左:YAMAHA NS-10M 右:Auratone 5C



ミキサー卓の上に並ぶオーラトーンとテンモニ(信濃町スタジオ)

 このふたつのモニタースピーカーには共通の特徴があります。それが1.5kHzに大きなピークをもつカマボコ型の特性です。これは テンモニはオーラトーンのバージョンアップを狙った製品 であることが明白です。



 この師弟関係にある2つのモニタースピーカーで確認できるのは、高域と低域にキャッチーな音を増やせば、小さなラジカセでも心地よく聞こえるというものです。しかし、オーラトーンが全盛期だった70年代と、テンモニの80年代以降のJ-POPサウンドの変化をこれでは説明できません。原因はニアフィールド・モニターでミックスバランスを取るという方法が、ボブ・クリアマウンテンという天才ミキシング・エンジニアの出現によって標準化したからではないかと考えられます。ともかくツイーターにテッシュペーパーを貼ることまで真似てたのですから。おそらくこの都市伝説の元凶は、テンモニの高域をオーラトーンのそれに近づけることと、一般リスナーの試聴環境では楽器の空間配置に10kHz以上の超高域がジャマとなるためと思われます。これは広い大衆に向けた標準的な音とされたオーラトーンの本来の使い方に整合しています。

ボブクリの定番となったティッシュ貼りと高域特性の減衰(それほど変化は大きくない?)

 またNS-10Mのステップ応答特性は、フルレンジに近いトライアングル・シェイプをしており、最初のわずかなツイーターの出音をマスクすれば、良好な定位感を得られることが判ります。普通の小型2wayではこのように巧くマスキングできません。やはりホワイト・コーンの威力は絶大だったのです。これがティッシュの本来の目的だったのではないかと考えられます。あと、オーラトーンは個体差が大きいのと、パワーハンドリングが低いという欠点もありました。テンモニはこの両者も克服することで、録音スタジオの定番モニターとして君臨したのです。


左:テンモニとオーラトーンのステップ応答 右:一般的な2wayのステップ応答

 こうして、ラージモニターではなく、最初からテンモニでミックス・バランスを取ることが主流になります。この手法からミキシングとサウンド・バランスの錯綜が始まったようです。つまり、従来はラージモニターでミックスして、最後に確認用にオーラトーンでサウンド・チェックしていたのが、最初からニアフィールドでミックスをして、最後にラージモニターでサウンドチェック、またはマスタリングという別工程を敷くという方法が主流となったのです。ボブクリと違うのは、ボブクリが最初のサウンドバランスを把握したうえで、テンモニでステレオバランスを調整していたのに対し、追っかけはテンモニの音を信じきってサウンドバランスを崩した点にあります。

 この状況に止めを刺したのは、上記のウォークマンのインナーイヤー型ヘッドホンでの試聴環境ではないかと思っています。テンモニもオーラトーンも既に製造中止になった現在、80〜90年代のJ-POPサウンドは化石となってしまうのでしょうか? サウンドではなく、音楽や文化として見直し再評価する時期にきていると思うのです。


【トーンコントロール】

 こちらは1990年代より30年前のトーンの変化の話。
 BTS規格といえば、天下の国営放送が正確な音声を管理するため、フラット再生を旨としているように思われている。私もそう思っていました。しかしBTS規格のロクハンの特性をみると、どうもフラットではない。つまり生音を管理する際に NHKは標準でラウドネスを効かして試聴していた という衝撃の事実に行き着いたのです。
ロクハンの特性(中高域のデフォルメ)
左:PE-16M(実測)、右:P-610A(カタログ)

 この意見は私だけではなく、例えば1979年のステレオサウンド別冊「魅力のフルレンジスピーカーその選び方使い方」のテストリポートでも同じ意見でした。このときの試聴は菅野沖彦、瀬川冬樹、岡俊雄の3氏で、2.1m×2.1mの平板バッフルに埋め込んでの本格的なもので、P-610Bの項では以下のように述べられました。
 冒頭に菅野氏が「16cmフルレンジという制約のなかで音を充実させ、リアリティを感じさせようという作り方が意外になされているんだなという感じです。今までどちらかというと、モニター的な性格のスピーカーという印象をもっていたのですが、意外に個性の強いスピーカーという印象です。」
 瀬川氏がそれに続いて「菅野さんがうまく作られたユニットだとおっしゃった点は、高域の一種独特な音色、例えばピアノの右手で弾かれる音が一見粒立ちがいいように聴こえるところに感じられます。それと中低域がふくらんでいるように聴こえましたね。それが、たとえばサックスをふくらます反面、ナレーションをいくらか胴間声的に聴かせる傾向があります。」
 岡氏が最後に「私が一番印象に残ったのは、中低域から低域にかけての出方ですね。意識的にその辺にウェイトをかけて、音楽の量感を出そうとしているところがある。それと高域もまたときどきビュンビュンとピークっぽく出てきて、それが音の色艶をつける面白さになっている。結局、少し意識的にキャラクターを出そうとしたようなところがあるように思うんですね。それから不思議に思ったのはナレーションの声なのですが、暖かい感じなのに妙に明瞭度が出ているという一種独特な鳴り方をしましたね。」
 これらの意見を統合すると、BTS規格のロクハンは、再生音にリアリティを感じさせるため、中高域と中低音をふらませている、ということでした。しかし、これはNHKだけのことではありません。

 別の角度では、このラウドネス効果の元は、RIAAカーブを策定する際の、規格論争の末に生まれた、という意見もあります。つまり、DeccaやColumbiaの旧規格陣が、自分の規格をそのまま流用していたというものです。CDとの聞き比べで、松田聖子や山口百恵のLP盤はコロンビア・カーブでプレスされている、という説まで出てきています。このためイコライザー・カーブを複数そろえるのが、本格的な聴き方という意見まで出てくるのです。しかし、これは私には不合理だと思われます。

   各イコライザー規格をRIAAで再生したときの理論特性

 では、昔の人はこうしたことにどう対処していたのでしょうか? それがトーンコントロールなのです。伝統的なトーンコントロールは、高域と低域の2つのツマミが標準ですが、その中身は1kHzを中心とした、レコードカーブの補正であることが判ります。判りにくいのが「100Hz:±10dB、10kHz:±10dB」というカタログ表記で、誰もが100Hz以下と10kHz以上と誤解していることです。実際は現在のトーンコントロールでも、1kHzを中心とした同じものが搭載されています。


 古いラックス SQ63 プリメインアンプのトーンコントロール特性

 ところで、1966年発売以来、定番ボーカルマイクとなった
シュアー社のSM58なども同じ特性をもっています。つまり、生音を扱う現場では、こうしたラウドネスを効かせることが、音響を自然に聞かせる秘訣となっていることが判ります。NHKが正確無比なフラットネスを保つのは、テープ収録した音そのものであって、それを料理する際には、少し塩梅を良くして試聴していたことが判るのです。NHKの場合は、映像音声のMA作業の用途が一番多かったことから、小音量でも正確に判る音調が求められ、Shure社は限られた出力でも良く通る音ということでしょうか。


      Shure社のBETA58ボーカルマイクの特性

  この音調が、1995年のDiffuse Field策定より、遥か昔に考えられていたのは、驚きに値します。耳下でささやくようなウィスパーヴォイスから、強いシャウトまで、Shure社のボーカルマイクは丁寧に拾ってくれるのです。1990年代のJ-POPの興盛以前に、1960年代のサウンドには、中高域を艶やかに持ち上げた傾向をもっています。1950年代のジャズ愛好家は、口を揃えて否定的な見解を述べますが、舞台芸術の幅は広がったと考えて過言ではないでしょう。

 以上を考えると、BTS規格のロクハンは、何が標準的かというと、「ラウドネスの掛け方が模範的」という言い方ができるでしょう。



【ラウドネス競争】

 1980年代はアナログ末期の豪華絢爛なオーディオ機器が居並ぶなかで、ポップスのファンはステレオ・ラジカセに移行する時期でもあった。先のウォークマンの関係でいえば、文化的な影響度は低いように思えるが、元となるカセットテープを作る母艦としての役割は、むしろ自宅のラジカセにあったと言える。また最も有効な音楽ソースであるFMラジオは、ウォークマンには実装されないお約束があった。
 テレビ雑誌やアイドル雑誌と並んで、FM雑誌というのがあったことを覚えているだろうか。元々は、エアチェック(ラジオ番組をカセットテープに録音すること)の番組予定のために出版されたもので、その番組表というのが凄くて、放送した曲をリストしてあって、しかもそのまま切り取ってカセットのインデックスにできるようなものまであった。FM誌の本来の目的は番組表でエアチェックの計画をたてるために、2週間分の番組表を掲載し、それと並行して、ミュージシャンやオーディオ機器の話題などを色々と振りまいていた。ラジカセからステレオにバージョンアップしたビギナー向けの音質改善テクニックという切り口は、長岡鉄男、江川三郎などのコラムが広く読まれていた。

ステレオ・ラジカセに関しては、1968年から日立などがアメリカで電池駆動のステレオ・カセットプレーヤーを発売しており、TIME誌やPLAYBOY誌で特集が組まれたりしてかなりの注目を集めていたが、日本でのステレオの大衆化はさらに10年の歳月が必要であった。ステレオ・ラジカセが本格的に売れはじめたのは、1977年にソニーが売り出したジルバップ CF-6500からで、それまでは普通のステレオに対する色物で見られていた。ジルバップは俗にバブルラジカセと言われる大型ステレオ・ラジカセのはじまりだが、竹の子族が流行した背景には、ディスコブームの後押しと同時に、屋外での簡易PA装置としても機能した、ステレオ・ラジカセがあってのことだと思われる。
 さらに1979年には、サンヨー「おしゃれなテレコ」、ソニーのウォークマンが、新しいステレオ時代を牽引していく。サンヨーのテレコは、メタルのセンターキャップの10cmフルレンジを実装し、一番売れたのはダブルカセットというダビング可能なタイプで、1986年からCDラジカセの出るまで、ほとんどのティーンズが所有したような感じだった。それまでのステレオの高級&豪華のイメージを覆すオーディオ機器となった。


ソニー ジルバップCF-6500(1977)


サンヨー おしゃれなテレコWU4(1983)


 1977年のラジカセに実装された2wayスピーカーを例にとると、スペック上は50〜18,000Hzでも、実際は80〜12,000Hzという性能に収まっている。それもAMラジオ用のフルレンジに7kHzクロスのスーパーツイーターを被せた仕様だ。つまり、AMラジオとの下位互換を保持しながら、Hi-Fi対応になっている。これが1950年代のことではなく、CD発売直前の1980年代に差し迫った時期のことなのだ。この辺が、FMステレオに合わせた現実的な聴覚にそった性能なのである。


1977年のステレオ・ラジカセの特性図
(フルレンジ80〜6,000Hz+ツイーター7〜12kHz)

 この時期から地方で民生FM局が相次いで開局し、全国規模ではNHKの独占状況だった状況から脱しつつあった。新しいFM局は、特に音楽番組へのシフトが著しく、FM横浜は「モア・ミュージック、レス・トーク」(トークを抑えて音楽をたくさん流す)という方針で、2〜3曲黙って流したあとに曲名を紹介するなど、リスナーのリクエスト紹介などで時間を割く従来のラジオDJとは一線を画す方法だった。それと流す音楽の都会的な雰囲気、流暢な英語を織り交ぜるバイリンガルなDJなど、従来の家庭の団欒の延長線上にあるテレビ番組と連動したヒット曲(主に歌謡曲と演歌)を高音質で流すという方向とは違う、アダルト・コンテンポラリー(二十歳を過ぎた大人のためのポップス)という価値観へとシフトした。J-WAVEでは、この選曲基準に合った日本語の楽曲をJ-POPと呼ぶようにしたのだ。

 それと共に顕著になったのが、従来は音源に色付けしないで流した音楽を、独自にイコライザーやダイナミックレンジをいじって、より迫力のある鳴り方のするようにしたことだった。多くは米ORBAN社のOPTIMOD 8100Aという周波数毎のダイナミックレンジをいじれる専用機材を使うようになった。一般にはCDの90dBに対し、FM放送が60dBなので、ピークを下げる必要があるという説明だが、ポップスの場合はAMラジオでの電波状況を含めもともとダイナミックレンジが狭いので、そういう話ではおそらくない。これにはCDラジカセの流通に対抗して、ラジカセ規模で聴くのに最適化された音質のアドバンテージをアピールすることで、リスナーを引き留めようとした感じであり、実際にFMから流れる音楽はCDよりも目鼻立ちもよくグラマラスで印象的に聞こえたのも確かだ。これがFM放送のラウドネス競争の始まりとなり、J-POPの命名と共にサウンド面での特徴も形成するようになった。


米ORBAN社 OPTIMOD 8100A(1980)

 ただしラウドネス競争の大元は、アメリカのFM局で既に起きていたことが輸入されたものだと思えるふしもある。特にヒップ・ホップの本場アメリカでは、日本製ラジカセのタフさに加え、重低音の再生能力に関心が高く、バブルラジカセ(Boombox)を肩にかついで大音量で鳴らしながら歩いたり、ラップではモノラルで日本より2回り大きな25cmユニットを搭載したJVC RC-550などのモデルが売れた。こうした趣向がFM局のラウドネスとの兼ね合いで、深いコンプレッサーを掛け、ズンズン鳴らすサウンドへと向かっていった。


本場ストリート・ラッパー御用達
JVC RC-550(1979)

 こうしてステレオラジカセとFMラウドネス競争によって、J-POPの音楽プロモーションのスタイルが熟成されたと思う。

 一方で、バブル期のミュージックライフの特徴としてクラブ・ディスコの流行が挙げられる。ともかくJ-WAVEの発信元の六本木が、マハラジャ、ヴェルファーレなどのクラブ文化のメッカだった。スクラッチを掛けてLPを自在にあやつるクラブDJのスタイルは、元となるグルーブにレトロな70年代のダンスチューンを使うのが一種の流行りで、意外なことにUREIなど東海岸の太いがしっとりした音調のミキサーが重宝された。個人的には自宅のオーディオ用に、RANE社のロータリーミキサーを使用していたこともあったので、トランジスターなのにややハスキーで倍音の多く出るトーンは好みだ。アーバンソウルへの布石もここら辺にあるのだろうが、オーディオ的な見地からすれば、現在のほとんどのオーディオ機器で再生して違和感はないので、それほど課題はないように思える。あえていえば、BOSE社の民生機からの撤退とか、JBLやエレクトロボイスの業務機への評価がオーディオマニアには芳しくないとか、そういうことだろうか。私自身も1940年代に設計されたPA機器を愛用しているので、ある程度の同情もあるものの、大音量を前提とした機材なので、家庭で小音量で使うには大口径ウーハーの動作が鈍く、高域とのバランスが取りにくいのが実情だ。しかしバイアンプでストレートに鳴らすという手法そのものは参考にしていたりする。それもユニットが高能率で、音響装置としてのテンションが高いゆえに成り立つもので、通常のピュアオーディオ用スピーカーのように、広帯域で歪を抑え込む代りに85dB/W/mという薬漬けの小康状態では、バイアンプはそれほど効果ない。
 日本のうさぎ小屋で実用的なオーディオ規模を考えた場合、ステレオラジカセの進化形態のミニコンポに行き着くように思うが、こちらは今も現役で製造されており、それに合わせたアダルト・コンテンポラリーな楽曲も絶え間なく供給されている。おそらく日本のニューミュージックもそういうカテゴリーに含まれるだろうが、これの再生についてあまり課題を感じる人はいないだろう。あえて言えば、山下達郎さんが色々と苦言を述べているが、60〜70年代のソウルのコレクターという関係上、ミニコンポでは太刀打ちできないということを前提に聞けば納得できよう。実際にはソニー製のステレオラジカセを大事に使っていて、FMラジオの視聴はそっちが中心だし、当人の楽曲のサブモニターに使ってたりする。同じようにJVCスタジオでもウッドコーンのフルレンジを搭載したミニコンポをサブモニターに使用している。良識があれば、そういう当たり前の結論に至るのだが、それではオーディオ誌は成り立たない。まさに袋小路だ。


【冷めたバブル料理をチンする】

 とはいえ、バブル時代に生まれたJ-POP風のこってりソース味をミニコンポでニュートラルに聴こうというのは、深夜残業で帰宅すると「チンして食べてください」と書置きしてある状況を想像してみるといい。いくら経済的な理由があるにしても、冷めた愛情を取り戻すのはチンすればどうにかなるものでもない。バブル時代の音楽は、その浮かれた時代感覚とは裏腹の拝金主義との微妙な関係にある。しかも国内の音楽産業がまだその重力圏内にいるため、再評価ということ自体に評価が分かれると思う。亡霊になる前の状態なので、当事者を傷つけないか(逆に自分が背中から刺されないか?)などと妄想すると、明らかに業界の外側にいる人間として意見するのもはばかれるのも事実だ。それとこの分野に関して言えば、私自身はなんと言ってもソフトの購入数が乏しく、ユーザーとしても失格と言わざるを得ない。

 あえて共通点があったとすれば、自分自身は高校から大学時代に、テンモニで試聴していたことがあげられる。定価25,000円/台のテンモニは値引きも含めればペアで3万円を切るくらいだったので、高校生が小遣いを貯めて買えるようなものだった。むしろFMでは聞けない音楽のLPやCDを買い揃えるのに必死で、オーディオにそれほどお金を掛けられなかったのが実体だった。そういう意味では、私の音楽への感性は良くも悪くもテンモニで育ったといえるかもしれない。それも中域を中心に聞き取るというモニターの基本というものが芽生えていた。当時は一般に買えるスタジオ調ヘッドホンは、オーディオテクニカ製のものしかなく、その超の付くほど辛い高域のため、スピーカーでの試聴しかしなかったのも幸いだったかもしれない。

1980年代のステレオ機器(中古も含め様々、音楽リソースが4種類もある)

 以下に我ながら珍回答と言うべき2つの事例を紹介しよう。どちらもラジカセのサウンドから派生したものだが、ひとつのヒントになれば幸いである。

【Aコース】ロクハンで昭和を振り返る



 トーン争奪戦&ラウドネス競争の歴史を探訪すると、1960年代以降のステレオ録音、1980年代以降のCD発売以降に、サウンドの変化がみられます。ということで、2つの時代のサウンド革命の歴史を横目で眺めてきたロクハン をもとに、再び日本的なサウンドに立ち向かいます。ともかく以下の特性をヒントに考えてみましょう。


   SONY MDR-CD900STを反転させた特性(参考)


 ここで私は手元にあるロクハンPE-16Mを頼りに、サウンドを再構築してみます。PE-16Mを実測してみたところ、素の正面特性は1〜4kHzに山をもつ辛めの音です。これは生音を扱うNHKが、現場でソースに味付けをしないで聞き取りやすくする方便だったように思います。このままでは、高域シャカシャカです。


PE-16M(軸上)

 これに対し、私の好みでは、ミキサーのイコライザーで、100Hz:-3dB、2.5kHz:-6dB、10kHz:-3dBとしました。さらに軸上から45°ずらして聴くことにしています。普通のオーディオでは考えられないことですが、この試聴位置とイコライジングでは、500Hzピークに緩やかにロールオフする特性でした。


PE-16M(斜め45°&高域絞り)


 ここで元のターゲットにしている音に対し、バスブーストしたインナーイヤ型ヘッドホンを想定して、100Hzを盛り上げた特性を加えたものをリファレンスにします。これに上のロクハンの特性を並べると以下のようになります。

     J-POPイコライゼーションと再生環境の比較

 これらを相殺すると、以下のようになります。100Hz〜3kHzまでフラット、その後-4dB/octでロールオフするようになっています。

         修正後のJ-POP試聴環境

 一見すると、これはカマボコ型に見えますが、これは著名なレコーディング・スタジオのルーム・アコースティックを調べた特性と近似しています。一般には映画館のX-Curveと似てくるのですが、Shure社のカナル型はこの特性と近似させています。オーバーヘッドは通常のフラット特性です。


著名なレコーディングスタジオのルーム・アコースティック


     SHURE SE425(共にDFE補正後)

 いかがでしょうか? ちょっとした処方箋ですが、なんとなくJ-POPを自然な音で聴くという目的に、近づいているように思うのです。

 ここで、もう少し話を引っ張ると、このカマボコ型の特性は、1940年代のFM放送規格化の頃のモニター用フルレンジの特性と似ているのです。つまり、一般家庭の試聴環境が1940年代の放送規格策定時から変っていないという見立てが、そのまま疑いもなく引き継がれているという、これまた衝撃的な事実にも行き着いたのです。



上:RCA MI-4400B、下:Altec 400B 共に1940年代のFM放送に向けて

 今まで、オーディオ評論でのJ-POPの捉え方は、明るい音でJ-POP向け という張り紙がほとんどでした。結局、高級オーディオ機器の購買層ではないので、評論の価値がないということの裏返しだったのでしょうか。しかし実際に行うべきことは、逆のことでした。正常のトーンに戻せば、ジャズやクラシックと同様のオーディオ批評ができたはずです。このときJ-POPを過去の音楽と線引きせずに、ちゃんと文化的な価値も論じられたのではないでしょうか? もはや80〜90年代のJ-POPを、正常なトーンでリマスターする時代がやってきているのです。


【Bコース】バブルラジカセの拡大バージョン

 もうひとつのシステムは、ギターアンプ用のJensenスピーカーを使っての荒業である。実はロクハンは放送業界的にはスタンダードなエッセンスが詰まっているのだが、低音をドカスカ&高音をキンキン鳴らすのには向いていない。むしろ人工調味料のような過激さを受け付けないナチュラルな生活スタイルが時代遅れのように言われて、あえなく製造中止に追い込まれていったのだ。そこで私なりに1980年代の音楽シーンに対するわずかな記憶を辿ってJ-POPの音を料理すると、過剰にまぶしたメッキのような高域を和らげるだけではダメで、それに負けないド根性を示すことが重要だと気づいた。J-POPのド根性とは、300〜1,500Hzの中域に狭く押し留められている人声の叫びである。この叫びの正体は、この時代に録音のお手本とされていたマイケル・ジャクソンやマドンナのような金ピカのアメリカン・サウンドであり、その元にあるのはソウル・ミュージックの叫びである。ボブクリ風のサウンドステージではなく、フィル・スペクターの「ウォール・オブ・サウンド」だ。

 このシステムの基本性能について述べると、80〜10,000Hzという狭いレンジのなかでタイムコヒレンス(時間軸の整合性)がかなり優れている点にある。これでボーカルの肉声のうめきから、リズムボックスの下腹膨れた音までキレキレに再生できる。



相変わらずナローレンジに見えるが45度斜めからの計測(80〜10,000Hzフラット)


しか〜し、出音のスピードは最高ランク(上:インパルス応答、下:ステップ応答)


 さて、中域のド根性を占めるために選んだアイテムは、ヤマハの卓上ミキサーに付属しているデジタル・エフェクターである。そのうちの22番ラジオボイスというのを選んでみた。可変できる周波数を中心に上下1オクターブに周波数を絞るエフェクトで、どちらかというと電話声というほうが近いといえるものだ。これをそのままだと以下のような特性になる。


ラジオボイスを100%掛けたときの特性
800Hzを中心に両端に1オクターブだけに絞る


 そのままだとだたのゲテモノだが、元音と50〜70%の間で適度に混ぜると、800Hz中心の場合は200〜900Hzの中域に10dBの小高い丘ができ、その他の周波数は変調ノイズでやや曖昧な音になる。これで中域にド根性を与えることに成功した。


ラジオボイス70%、元音声30%の状態
200〜900Hzまでをコアにして残りは倍音のみ


 ここまで来てもうひと押ししたいのが、ウォール・オブ・サウンドへのリスペクトである。実は当人のフィル・スペクターは、1990年代に入って自身のサウンドを総括して「Back to MONO」という4枚組アルバムを発表しモノラル録音へのカミングアウトを果たした。実はウォール・オブ・サウンドの創生期だった1960年代は、モノラルミックスが主流で、一般にウォール・オブ・サウンドがステレオ録音の一大流派と見なされている事に一矢報いたことになる。これに続いて、ビートルズのモノアルバムが発売されるようになり、その後のブリティッシュ・ロックのリイシューの方向性も定まるようになる。
 もうひとつは、テクノブームと共に広まったピコピコ・シンセの音だが、これを従来のオーディオ・マニアのルールで理解するのは困難である。つまり電気的に加工された人工音であり、参考になる原音がない。そういう意味では、どんなオーディオ機器で聴いても、そこで鳴ってる音自体が真正のサウンドという乱暴な意見も言えるのだろうが、実際はアナログシンセの音まで掘り下げて聴かないと判らない。アナログシンセの再生で一番難しいのが、シンセベースの刻むリズムで、ギターと違って弦を弾くアタックの変化のないシンセベースは、専用アンプなしに、低域から高域までが同じスピーカーに混在する家庭用オーディオ機器では、アタックが沈みやすい。この辺はJensenのエクステンデッドレンジは、元が楽器用スピーカーだけに、中低域のレスポンスが均質で、少し古臭いながらもシンセ音の出音を着実に拾ってくれる。80年代アイドルを頭越しに覗いて、J-WAVEが命名する以前のJ-POPサウンドを、私なりに読み解くと、大体お察しが付くように、ラジオ風にモノラルでハイスピードに聴くことが肝要だと思った。これらの特徴は、意外に思うかもしれないが、ライブ会場での音響効果をトレースしている。というのも初期のJ-POPアーチストは、アイドル&演歌を中心とした芸能界に反発していたので、今思ってるほどメディアの露出度は少なくライブ中心だった。J-POPアーチストをパフォーマンスバンドとして見直すと、意外な発見もあると感じるのだ。



【J-POPを見直した?】

 こうしたサウンドはやはり1980年代から既に始まっていたことが判ります。なんとなく若者が好む音というのはあって、高域がキラキラ輝くと心もときめくような感じでしょうか。ザ・ベストテンのような超人気歌番も、ステレオ放送されたのは1989年。テレビ音声を立派なステレオスピーカーで聴くはずもなく、上記の誇張したサウンドが好まれるのは判る気がするのです。J-POPに対して、よく安いラジカセのような音で聴いてバランスを取った音という話を聞きますが、1980年代ならともかく、1990年代以降は圧倒的にヘッドホンでの試聴です。そのヘッドホン試聴が、J-POPカルチャーの牽引役ともなったのです。

 しかし、BTS規格のロクハンでJ-POPを料理して、改めてノーマルな状態で聴くと、サウンドの違いで区別するのではなく、音楽の中身に心を向けるようになります。そこで浮上したのは、いわゆるサブカルチャーとしてのJ-POPという側面です。色んなシチュエーションの歌詞が出てくるのですが、日本語で歌われたので海外ではあまり注目されなかったのでしょう。ある意味、次の世代がちゃんと音源管理をしてくれることを祈るばかりで、そのときは「J-POP補正フィルター」でノーマルな音調に色直しをして欲しいように思うのです。

 もうひとつの難問は、70年代以前の音源のリマスター環境についてです。結局、今のスタジオでJ-POPカルチャーに触れずにいられた人はどれだけいるでしょうか? 昔の録音を新鮮に聞かせる処方箋として、あの手この手を使って若返らせる。それが結局、今風のサウンドに近づくというジレンマがあります。ソニーはJ-POP風、EMIはビートルズ関連でビンテージ機器でリマスターするスタンスがあって意外に素直、ビクターはグラマラスなサウンド志向をもっています。意外なのはコロンビアで、安易にイコライザーで少し高域をいじるようなことをします。逆に、70年代のURC音源を買い取ったエイベックスは、あえて手を加えずにCD化したというのはユニークです。やはりレーベルのイメージが強いために、アーカイヴの扱いに慎重になったのでしょう。内容がアコースティック楽器中心のフォークなので、音がさみしいとか余計なことを考えなくて良いのかもしれません。

 肝心の試聴ですが、成人してから、あまり流行を追ってなかったせいか、持っている音源にいわゆるJ-POP関連はほとんどないです。修行します。ゴメンナサイ。個人的に愛聴してきたものは、意識的にアンチJ-POPサウンドの迷路を彷徨った人ばかり。メガヒットなんて言葉に浮かれないで音楽と向き合う時間を共有したい。そうした見方も交えてみました。

小野リサ/セレソン(1991〜98年)

1991年からのBMG時代のベスト盤だが、生楽器中心のアンサンブルでポップな仕上がりになっている。小野リサはもともとウィスパーに近いハスキーな声なので、軽やかにバンドの音に乗る感じだが、その周辺でキラキラ感を出す楽器がエコーいっぱいに散りばめられている。おそらくBGMのような高域の薄くなりがちな環境に適しているサウンドである。これの扱いが意外に難しく、適当に高域を落としたくても、どの位置から落とせば良いのか判りにくい。同じラテンものでもBuena Vista Social Clubのような、泥臭い録音が出てきたのは1997年のことだから、そこで方向転換を考えたかもしれない。EMI移籍後はこのキラキラを意図的に消していった。
EPO/UVA(1995年)

デビュー15周年を節目に、Choro Clubとのコラボで、南米ツアーに出かけた際のライブ・アルバム。ライブというよりドキュメント。ツアーというよりは、自分探しの旅。ポップスというよりはスピリチャル・ミュージック。あるいは、そのどちらでもない。童謡を歌うときでさえ、何か先祖の霊に呼びかけるインディオの儀式のようでもある。他人の評価(特に商業的成功)など気にせずに、在りのままの自分で歌いたいという気負いだけで過ごしていたことが、ヒシヒシと伝わる。おそらく矢野顕子のシークレット・ライブだと言っても、そのまま通るだろう。通常の感覚で聴くと、2枚目から辿って1枚目に行くと、冒険の道のりが判りやすい。
B.A.D./真心ブラザーズ(1995〜97年)

改名後まもなくのベスト盤。MB'sというバックバンドは、かなり本格的なソウル・ミュージックを聞かせてくれて、よくぞここまでミュージシャンを集めたもんだと関心する。有名な「サマーヌード」はテレビやラジオで聞いたときはそんなに関心しなかったが、CDでは本当に凄い。ロクハン1発でも凄いと判るのだから、真にオーディオ・ファイル向けなのだ。ソニー傘下のキューン・ミュージックでの吹き込みで、CBS時代に天下のE.W&Fを擁した経緯もあったかと思うが、青白いジョン・レノンの亡霊を吹き払うようなエネルギッシュなサウンドだ。って歌詞そのまんま。
鈴木雅之/mother of pearl(1987)

ラッツ&スター解散後にソロ活動に専念した第一弾で、大澤誉志幸の完全なデジタル打ち込みで、従来の濃い目のソウルシンガーというレッテルを払拭しようとした意欲作。当時のデジタル機器は不安定で、現在ほどお手軽に扱えるシロモノではなく、テープに落とし込むまでまさに血と汗の結晶だった。このダイナミックレンジの狭いデジタルシンセの音を、いかにキレキレのサウンドに蘇らせるかがオーディオ装置の分岐点になる。しかしサイバー化したマーチンは、如何にして恋を成就することができたのだろうか? この冷たいサウンドに込められたサイバーパンクな雰囲気を読み解くと、「ガラス越しに消えた夏」が地球最後の日の哀歌に聞こえる
MISIA/星空のライヴ(2003年)

いわゆるアンプラグドのようなコンセプトで、ミーシャの歌をじっくり聴こうというコンサート。それほどは高域をいじっている感じはないようにみえるが、それは生楽器中心だからという思い込みと、ドラムとベースにどっしり乗っかったピラミッド・バランスに仕上げてあるからだ。逆に、ミーシャの発音が楽器に埋もれてしまわないように4kHzあたりを強調した反面、500〜2000Hzの音が薄手になる。ライブ風といえばライブ風のバランスで、ちょうどJ-POP調からの移行期にあたる録音である。
ベスト オブ ゴンチチ ワークス(2000年)

これはジャンル分けができないインスト音楽だが、アコースティック・ギターと1990年代の打ち込み系サウンドの取り合わせは、やはり時代の寵児。レコードだけでも、ちゃんとした生バンドを…というゲスな考えのないあたりが、素のままを通そうとする彼らなりのポリシーなのだろう。録音は思った以上に高域寄りでブリリアントだが、これは静かな音楽をライブステージで演奏するときにままみられるもの。生のギターそのものの音とは違って、サステインを掛け録りしながら、その効果を確かめながら演奏しているのが判る。ゴンチチ自身は、非常に懐の深いミュージシャンなので、今の感覚で録りなおすと別のサウンドができるかもしれない。
オータサン/Rainforest(2003年)

日系ハワイアンのウクレレ奏者オータサン。1949年から演奏している大御所中の大御所だが、ここでは1970年代に逆戻りしたようなリッチなサウンドが聴かれる。ラウンジ・ミュージックのなかでもトップランクの上質のものである。これとゴンチチを聞き比べると、J-POP風のイコライジングが、何を足して何を失ったかが、何となく判る。
ディック・リー/マッド・チャイナマン(1989年)

J-POPではないが、ある時代の音楽手法が色々とてんこ盛りなのと、一種のカウンター・カルチャーとして取り上げた。このアルバムをオーディオ評論するのは下衆の勘ぐりのようだが、J-POPのように中域がスッポリ抜け落ちて、ボーカルだけがほとんど占めるのが、一種のエキゾシズムを醸し出している。打ち込みやラップなどを含むため、非常にデジタルっぽい音だが、マスターはアナログテープ編集で、意外に音に奥行きがある。そこがデジタル音源をカラオケ風に歌い流したチープな録音とは大きく違う。このあとアジアン・ポップスが流行するが、下手な打ち込み系が増えたのも確か。このアルバムはちゃんと考え抜かれたアレンジなのだ。
ノラ・ジョーンズ/Come away with me(2002年)

なんでこの録音かというと、ジャズ名門のブルーノートがリリースしたポップ・アルバムだからだ。もともとアコースティック系のライヴハウスで活動していたノラ・ジョーンズを抜擢して、伝統的なジャズ・ボーカルの収録方法で濃密な録音に仕上げている。ある時期はFM局で毎日のように鳴っていたが、リスナーはラジカセで聞き流していただろうと思われる。しかし高級オーディオで聞いてもアラが出ない。この辺が、スタンダードな録音の凄さでもある。
恋人もいないのに/シモンズの世界(1971年)

懐かしい女性デュエット、シモンズのファーストアルバム。1999年のリマスター盤であるが、クレジットにマスタリングした野田浩司氏の名前があるのがユニーク。それだけ自信があるのだろう。アナログっぽい、グラマラスなサウンドのなかを2人が蝶々のように飛び回っている。アンチJ-POPの無言の抵抗か。同じ趣向にペドロ&カプリシャスのベスト盤もあり、こちらはオーディオ的にも聴き応えがある。JVCマスタリングセンターには、アナログカッティングの鉄人、小鐵徹氏がリーダーなので、こうしたサウンドを志向したのかもしれない。野田氏は今何をしているのだろうか?




 ページ最初へ