20世紀的脱Hi-Fi音響論(延長14回表)


 我がオーディオ装置はオーデイオ・マニアが自慢する優秀録音のためではありません(別に悪い録音のマニアではないが。。。)。オーディオ自体その時代の記憶を再生するための装置ということが言えます。「モノラル滝壺物語」は、リボンの騎士が倒すべき敵(クラシック優秀録音)を目指し、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という諺のごとく優秀録音の森に入り込むうち、そこで出会った集落に住むイケメン揃いの桃源郷ぶりに翻弄される状況をモニターします。
モノラル滝壺物語
【結局は顔が良いだけの…】
【王様の耳はロバの耳】
【一途な気持ちのさじ加減】
【フットワークは筋力が命】
【リボンは正義の証】
【滝に打たれ人肌の温もりを想う】
冒険は続く
自由気ままな独身時代
(延長戦)結婚とオーディオ
(延長10回)哀愁のヨーロピアン・ジャズ
(延長11回)PIEGA現わる!
(延長12回)静かにしなさい・・・
(延長13回)嗚呼!ロクハン!!
(延長13回裏)仁義なきウェスタン
掲示板
。。。の前に断って置きたいのは
1)自称「音源マニア」である(ソース保有数はモノラル:ステレオ=1:1です)
2)業務用機材に目がない(自主録音も多少やらかします)
3)メインのスピーカーはシングルコーンが基本で4台を使い分けてます
4)映画、アニメも大好きである(70年代のテレビまんがに闘志を燃やしてます)
という特異な面を持ってますので、その辺は割り引いて閲覧してください。


モノラル滝壺物語

【結局は顔が良いだけの…】

 私自身は異性にモテたことなどない。そのヒガミのせいか、昔からアイドルなどという存在に、ある種の憎しみさえもっている。そういう嫉妬深い自分も嫌なのだが、その対象として優秀録音の存在に一種の嫌悪さえ感じている。音が綺麗なだけでエラそうに。この言葉は年齢が若くてピチピチした肌のティーンズに向けられる目と同じものである。逆に50代にもなって美貌を保っていると美魔女とさえいわれ、れっきとしたコンテストさえある。その人の性格や成り立ちも知らないのに、ピンナップ写真ばかりニヤニヤ眺めているのが、どうも嫌なのだ。ちなみにウチの家内は、それなりにカワイイが、どちらかというと私みたいなズボラな人間にはもったいないほど、気配りのできる良い女房である。
 さて与太話はほどほどにして、優秀録音というのはどうして存在するのだろう? 普通に良い演奏とその表現手段にふさわしい録音と考えて良いのではないか? 最近のアナログ・ブームを勘定に入れると、実はほとんどの人が超越的な録音品質を求めているわけではなく、むしろ普及型のステレオ装置のダイナミックレンジに最適化された録音のほうを選ぶ傾向にあると考えて良いように思う。ようするに、私の女房と同じように、絶世の美女ではないが、身の回りの色々な事に気を使ってくれるほうが、実はありがたいのである。(またノロケか…)

 さて、このページの目的は、まさに後期ロマン派のクラシック音楽をモノラルで鑑賞しようとすることであるが、実はほとんどの人はモノラル装置はモノラル録音を真摯に聴くためのものと解釈している。ところが、モノラル時代の作品レパートリーはかなり制限されており、例えばマーラーなどは弟子のワルターやクレンペラー、そして新ウィーン楽派の戦友シェルヘンの省略版くらいしか正規録音は存在しないに等しい。絶大な人気のあったR.シュトラウスなどは、むしろステレオ時代になって盛んにレコーディングされるようになったと言っていいかもしれない。モノラル期のベーム、クレメンス・クラウス、アドルフ・ブッシュなどの演奏を知る人はかなりのマニアである。いわんやフォーレ、スクリャービン、レーガーなど録音さえされていない作品も多い。唯一チャイコフスキー(交響曲、バレエ曲、協奏曲)だけがこの時代の作品で良く知られていて、あとはバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの作品ばかりが幅を利かせて、それをグルグル回っているのが楽壇における演奏家の評価だと言って過言ではない。考えてみればフルトヴェングラーなど、存在そのものが後期ロマン派の化身だったりして、その定義も怪しくなるのだ。同じニキシュ門下のターリッヒなど清涼な抒情性を伝承した指揮者や、ソ連のネイガウスのように世紀末ウィーンの高貴な雰囲気を残したピアニストも存在することも考えると、私たちの考える世紀末の音楽というのは、想像しているほどドロドロしているのではない。そう考えるようにもなった。
 以下はその捉えどころのない、後期ロマン派とも印象派ともつかない時代の作品群を、同じ時代の絵画と重ねて紹介してみたい。マーラーにクリムト、ドビュッシーにモネなんて序の口。


グリーグ:抒情小曲集
エミール・ギレリス(1974年録音)

 ギレリスの師匠のネイガウスは、第一次大戦前にウィーンやベルリンでゴドフスキーに入門して研鑽したピアニストで、シマノフスキー、スクリャービンと同じ時代に生きた人でもあった。
 ギレリスは1950年代に西側デビューしたとき、鉄のカーテンの向こうからきた鋼鉄のピアニストという異名をもったが、1970年代に入るとそのレッテルを返上するかのように、師匠譲りのリリシズムと構成力のバランスのとれた演奏を録音するようになった。グリーグは、そういう意味ではコンサート・プログラムには乗りにくいものの、19世紀末の穏やかな時間の流れを伝えるレコードならではの素晴らしい体験を残す名盤である。
 スウェーデンのカール・ラーションの家族画をあしらったジャケ絵が、この演奏の全てを物語っている。淡い水彩画に浮かぶ画家の妻の姿は、浮世絵を彷彿とさせる大胆な構図で大輪の花に囲まれ、ふと振り向いたときの幸せそうな表情を見事に捉えている。これがハンマースホイの絵だったら、全く別な印象をもったことだろう。


ロシアン・ロマンス集
カリア・ウルプ、ハイキ・マトリク(2001年録音)

 ロシアにはロマンスという歌曲があり、基本的にドイツ・リートと同じ意味だという。ここでは19世紀のグリンカ、チャイコフスキーなど、このジャンルに寄せた19世紀の作曲家のアンソロジーとなっている。演奏はギター伴奏とソプラノ独唱というシンプルな形式だが、エストニア出身の2人の演奏は、通俗的な恋愛の行方をうまく捉えている。録音に深いエコーが掛かっていなければ、ロシア語の歌謡曲と言っても誰も疑わないだろう。それだけ、ロマンスの様式は完成された言い回しをもってる。
 クラムスコイの名画「忘れられぬ女」は、画かれた女性が東方のエスニックな面立ちであることも含め、保守層からスキャンダラスな絵画として騒がれた作品である。クラムスコイが「アンナ・カレーニナ」執筆時のトルストイの肖像画を手掛けていたことも、様々な憶測を生むこととなったが、このロマンスという小曲に惹き込まれた大作曲家たちの想いも含め、理性を失わせる色恋の謎めいた雰囲気を伝えてやまない。

ディ−リアス:高い丘の歌
フェンビー/ロイヤル・フィル(1983年録音)

 ディーリアスの晩年の助手フェンビーによる録音。とかくビーチャム卿が表に出てくるため、この人のことを演奏者として思い浮かべることができないのだが、晩年に残した2枚のアルバムはディーリアスへの並々ならぬ愛情を感じる1枚である。
 1911年に作曲された合唱付き管弦楽曲とも言うべき曖昧なジャンルのこの作品は、同じ時代の小品に比べ演奏される機会が少なく、曲のほとんどをppで進行するなか、最後にムンクの「叫び」のように自然の鼓動がfffとなって襲い掛かる仕組みで、ともかく秘曲と言っていいものだ。ムンクの絵を精神病理と結びつける人は多いが、晩年の生命賛歌のようなフィジカルな表現は、親交のあったディーリアスのものに近かったのではないかと思える。
 表紙絵は、ディーリアスの妻で画家のイェルガ・ローゼンの作品「ノルウェーの湖」で、パーシー・グレンジャーの家に飾られていたもの。同じドイツ出身の女流画家だったが、点画での印象派の画風は、二人が長らく住んだフランスのものである。


スクリャービン:法悦の詩、プロメテウスほか
ブーレーズ/シカゴ響(1995-96年録音)

 ブーレーズというと前衛音楽の騎士として、歯に衣着せぬ物言いで、メシアンをして「彼に足らないのは謙遜という文字だけだ」とまで言わせたもの。しかし、晩年になってのドイツロマン派への取り組みは、むしろ老年になって丸くなったというより、より自分の職務について確固とした考えがあってのことだと思う。ここでもフランス人の流儀で捉えた、オケの色彩感がテーマのようだ。
 このアルバムの中間に居座るピアノ協奏曲は、その連綿と続くロマン主義に意外な気もするが、もともとウゴルスキをターゲットにしたセッションだというと合点がいく。ソ連時代に前衛音楽への傾倒により反体制的ピアニストとしての活動を阻止されていたウゴルスキにとって、スクリャービンへの愛情は並々ならないもので、一度ステージから引退したように見えた2007年に、スクリャービンのピアノ・ソナタ全集を録音するなど、どこまでも尽きることのないものとなっている。
 ジェケ絵は、同じロシア出身のカンディンスキーの印象派から抽象絵画に移行する過度期のもので、スクリャービンの神秘主義への移行とも折り重なって面白い。米コロムビアに入れたウェーベルン全集での完全な抽象画のジャケ絵と対照的なのが印象的だ。


 後期ロマン派というのは、その後の作品への展開も含む流動的な存在であり、様々な主張を貪欲に取り込んでいく状況にあった。いわば18世紀に贅を尽くした専制君主制の崩壊が本格的になり、工業資本を動かすことで商業的成功を勝ち取ることのほうが正しく映ったのだ。それまで田園風景に溶け込んでいた農業労働者の姿も、都市に流入することでその暗部も当然として目に映るようになってきた。後期ロマン派における民族主義、精神性の重視などは、そこに宿る人間性を正しく見つめるための方法と見ていいだろう。
 このような多様性のある人間の生き様を、クラシック音楽の様式論のなかに収めるのは、どこかしら無理が生じる。一方で、この時代に生まれた架空の世界の物語、アリス、ドラキュラなどは、ゴシック・ロマンの風潮とも溶け合って、高度に造形的なキャラクターとして、今も生き続けているように思える。個人的には、ラファエロ前派にみられる、毒にも薬にもなるようなリアリズムに徹した造形美のなかに、商業的価値に翻弄されながらも生き残ってきた人間性の片鱗を感じている。

モーリス・ドレの描いたロンドンの労働者住宅(1872年)


左:ラッカム画「真夏の夜の夢」(1908年)、右:ビアズリー画「アーサー王の死」(1893年)

 その意味では、後期ロマン派の解説にみられる様式論は、もう少し造形的に考える必要があるのだ。それは譜面からみられる楽曲構成という作曲家のためのテクニックの解説ではなく、ピアノという楽器の特徴、オーケストラの機能性など、マテリアルとして存在する音の特徴を正しく認識することでもある。ドビュッシーのピアノ曲が、まるでアップライト・ピアノの中を覗き込んだかのように響くのは、そこに存在する弦と共鳴板の関係を造形的に捉えているからである。そうした楽器と演奏者のもつフィジカルな現象論を正しく把握することが、後期ロマン派の様式を把握することにつながるように感じる。
 ここまで話を引っ張ってくればお察しいただけると思うが、現象(ムーブメント)としての後期ロマン派音楽を味わうための、オーディオ論に突入と相成るわけである。



【王様の耳はロバの耳】

 クラシック音楽をオーディオで観賞する行為について、長らくステレオ音声での試聴が必須とされてきた。人間には耳が2つあり、それが目と同様に立体感を感じる元となっているから、オーディオの再生も2chであるべきだ。モノラルだとホールのような臨場感が得られない、楽器の定位が判らない、ステレオ装置で聴いたモノラル録音の評価は散々なものである。しかし本当にそれは正しかったのだろうか?

 まずはステレオ技術の歴史的なおさらいである。英EMIで研究員をしていたアラン・ブルムライン博士は、1931年の特許を皮切りにバイノーラル録音を発表した。試作段階では光学フィルムに「話しながら左から右に歩く」というものだったが、ステレオ用のカッターヘッドを開発した1934年には、アビーロードスタジオでビーチャム/LPO(モーツァルトのジュピター交響曲)のテスト録音を決行している。このときのステレオ録音方式は双指向性マイクを45度で交差させる方式で、同じ時期のWE陣営が映画用の3ch方式だったのに対し、家庭用に馴染みやすいシステムを考案したことになり、後の2chステレオ理論を決定付けることとなる。BlumleinはUL回路の開発者でもあり、1942年までの短い生涯の間に歴史に残る多くの発明をした。しかしEMIによるステレオ・レコードの販売は戦争の煽りをくらって延期され、1950年代まで凍結されることとなる(個人的にはHi-Fiステレオの技術が対潜水艦ソナーでの方向性・距離の正確な割り出しと絡んでいたと想像している)。ちなみにビーチャム卿は、1936年にLPOとのドイツ演奏旅行の際にBASF社(樹脂ベースの磁気テープの開発元)に立ち寄ってAEG社のマグネトフォンでのテスト録音に協力したり、1937年にロンドンのHMVショップが焼失した後の開幕式でスピーチを担当したりと、この時代の先進的なオーディオにかなりの興味を抱いていたようだ。大戦中の英独の関係悪化から、これらの会社の技術提携はご破算になったが、戦後のHi-Fi技術を語るときに抜き差しならぬ関係にあったことが判る。

バイノーラル録音の実験中(背景の壁ににステレオスピーカー)


初期のバノーラル・カッターヘッド(1933年)

A.ヘッドホンでのモニター
 クラシック録音の現場におけるモニター方法だが、防音設備を完備したモニター室をもたない19世紀以前のコンサート・ホールや大聖堂では、多くの録音はヘッドホンでチェックされている。これはドイツでのマグネトフォンの開発時点からの伝統で、8ch以上のマルチチャンネル録音のできる体制が整う1960年代中頃まで、モニタースピーカーでのミキシングバランスの調整はできなかったと言って過言ではない。タンノイやB&Wなどレコーディング・スタジオのモニタースピーカーは、現場でレコード用にあるていど最適な音調にまとめられた後に、最後の仕上げに使っているともいえる。ちなみに初期の業務用ヘッドホンはけしてフラットなものではなく、例えばNagra御用達のBeyer社DTシリーズの場合は、テープのノイズ検知に最適化され高域のヒリヒリするような音調だった。

左:ドレスデン歌劇場での録音風景(1948)、右:Beyerdynamics DT-48(1937)

 さすがに現在ではそこまでいかず、むしろ外耳で共振しやすい3kHzと8〜11kHzに聴感補正を施したDiffuse Field Equalization補正曲線によって、1995年には国際規格IEC 60268-7として評価基準が与えられている。AKG、Sehnheizerなどのメーカーは、こうした規格にいち早く対応したフラットネスを確保した結果、クラシック音楽の試聴に向いていると言われてきた。

B&K社のダミーヘッド4128C HATSとDiffuse Field Equalization補正曲線


 実際には、この補正曲線は平均的なものであり、個人差はかなり大きく、特に音源と耳の間に邪魔する空間のないヘッドホン試聴においては、その聞こえ方の違いは、すぐに5〜10dBに達してしまう。もちろん、デジタル録音における細心のノイズ管理の必要性を無視するわけにはいかないが、一般に言われているステレオイメージ云々とは、全く別の次元の問題だということだ。時々指摘される放送用録音でのステレオイメージの狭さは、マイクセッティングの制限のほかに、ミキシング時のバランス設定が平面的になりやすいことも示しており、この点をうまく帳尻を合わせられるエンジニアが優秀録音の鍵を握っている。

現代でも続くクラシック録音でのヘッドホン・モニタリング


B.ニアフィールドリスニングとサウンドステージ
 さて、時代はさらに進んで1970年代へ。この頃のオーディオ技術の一番の出来事は、FMステレオ放送の開始とそれを保存できるカセットテープの普及で、一気にステレオの認知度が上がった。BBCの大きな功績は、クラシック音楽を良質なステレオ放送で送り続けたことで、ブルムライン方式のワンポイント・マイクによる録音は、ステレオシステムの定位感やサウンドステージの標準化に繋がった。後にブリティッシュ・ロックの優れたミキシングも、こうした文化的背景から生まれたといえよう。つまりイギリスでステレオ録音のノウハウが熟成するまでには、無料で聞ける国営放送の助力が必要だったといえる。ちなみに、このブルムライン方式は1930年代にEMIで開発されたもので、特許の関係も含め自由に使えるようになるまでの間が、BBCとEMIの蜜月であったと思われる。
 その意味では、BBCはEMIの良き継承者のように思われるが、最近になってBBC収録音源が解禁され、市場に出てくるようになって改めて判ったのは、EMIの録音とBBCのそれとは、暖色系では共通しているが、サウンドステージの造りが大きく異なる。BBCモニターとしてLS5/1がリリースされた1960年頃には、BBCはステレオ収録の方法も含め既製メーカーから離れて独自規格を歩み始めており、従来から高域は広く拡散されたほうが良いスピーカーという常識から離れて、チャンネルセパレーションを重視した設計へと移行している。今だから比較して言えるのは、BBCがやや残響が多いながら自然な音場をそのまま収録しているのに対し、EMIは1960年代のステレオ期にアメリカ市場を意識したせいか、マルチマイクによる人工的なバランスが目立つ。

BBC EMI

Coles 4038のステレオ・セッティング
ブルムライン方式で収録

カラヤン/フィルハーモニア管
マルチマイクセッティング

 BBCの大きな貢献は、放送技術のなかに家庭でも使えるステレオ試聴方法を理論付けたことによる。つまりLS3/5aに代表されるコンパクトモニターで試聴することで、サウンドステージの定義を明らかにした点である。ひとつはホールの響き違いの再生で、その周波数分布をみると6kHz以上がほんの2〜3dB違うだけの違いであったことを突き止め、高域のフラットな再生が不可欠であるとした。ふたつ目は、最新のコンピューター解析によって、単に高域がフラットに伸びているだけでなく、インパルス応答の鋭いことが定位感を正しく再生できることを突き止めた。さらに狭い放送用モニター室でのステレオ効果の確認方法として、ツイーターの位置を耳と同じ高さに合わせ、スピーカーを3〜5フィート(約90〜150cm)正三角形の頂点に置く、ニアフィールド・リスニングの方法もこの頃に確立した。LS3/5aは型番ではスピーチ確認用だが、実際の実験レポートは全て、LS3/4から連なる小型スピーカーで行われた。

 
小さな巨人LS3/5a(1976年)とニアフィールド・リスニング実験(1967年)


BBCで1969年に行われたミニホール音響実験。
後にこの成果がステレオ音像の定義に大きく実を結ぶ。


C.アナログ時代のステレオ感
 以上のようなステレオ理論が煮詰まってきた一方で、1970年代の家庭でのステレオの置き方は、それほどちゃんとしたものではなかった。ブックシェルフの語源どおりに、本棚に入れて低音の増強が見込めるようなことが、ビギナー向けのオーディオ雑誌に紹介されていたし、そもそもブックシェルフスピーカーに専用スタンドなど存在しなかった。響きのドライな畳部屋の多かった日本の家屋では、壁や床に近づけて低音を増やすというのは普通に行われており、奥行き感よりも臨場感という具合に、部屋いっぱいに音を満たすことのほうが課題だったとも言える。実際には1970年代はフラワームーブメントと連動しているので、ブックシェルフの購買層としてクラシック用というよりはロックやダンスミュージックのほうがセールスとして順調だったわけで、どうも富裕層向けのオーディオはジャズとクラシックで音質評価がなされていたこととあまり符合しないのである。この点も正確なステレオの聴き方というが、1980年代以降のCD世代になって改めて周知されたということと一致している。

1970年代のオシャレなステレオの置き方

 もうひとつの問題は、BBCの提示した仮想のサウンドステージで展開する定位感というものは、FM放送という媒体を通じて展開されたことであり、高域のダイナミックレンジは三角ノイズに邪魔されて徐々に低下していく。このためFM放送はイコライザーのようなエンファシスが掛けられた状態で伝送され、FMチューナーで元に戻すということが行われている。同様のことはRIAAカーブやDolbyシステムでも行われており、中高域でのダイナミックレンジを圧縮したアナログでの録音・伝送システムは、デジタルに比べ高域がおとなしいという傾向がある。少し霞がかっているというほうが適切かもしれないが、意外にこのほうが聞きやすいという人もあって、最近では少しノイズを混ぜたほうが音声がハッキリ聞き取れるという実験結果もある。なかなか人間の耳というのは難しいものであるが、これらの規格が人間の聴覚の基本であるラウドネス曲線を参考にしながら、自分たちの耳で効果を確かめて決定されたことは実に重要なことだと思う。

左:FM放送のプリエンファシス特性、右:Dolby-Bのプリエンファシス特性

D.「デジタル対応」に踊った日々
 アナログ時代のサウンドステージを展開するための音源が、高域のダイナミックレンジが浅く、再生側で繊細に拾うことを前提として組み立てられていた。このため、1970年代までのスピーカーの多くは高域に固有の癖をもっており、CDのように低域から高域まで同じダイナミックレンジで直送される音源に出くわすと、悲鳴をあげるものがほとんどであった。
 これにはやや語弊があり、旧来のオーディオの設計には高調波歪みが一種の味わいとしてチューニングに加えられていて、録音でのダイナミックレンジの不足、レンジの狭さを補っていた。真空管、ライントランス、レコードプレーヤーのカートリッジ、テープデッキの磁気ヘッド、スピーカーの分割振動など、磁性体のもつ粘りや振動によるリンギングなど、様々な歪み成分に囲まれている状況を逆手にとっていたのだ。ところがデジタルは理論的に帯域間の干渉を断ち切られ、ダイナミックレンジは直線的に動く。この正確無比かつ冷酷非情な特性を前に、それまでのオーディオ的な味付けは斬り捨てられたのだ。それも何も調整の必要のできないCDプレーヤーから発せられるというのだから、アナログ的なチューニング方法のノウハウは全て水の泡と化した。
 またチャンネルセパレーションも45-45方式のアナログ盤はともかく、テープデッキでさえ40dB以下というなかで、それ以上はノイズに埋もれているという認識だったところに、CDでの絶壁のような特性をを手に入れた後、正確なステレオイメージを把握できるような試聴方法も十分に周知されていなかった。
 むしろBBCがブルムライン方式での収録とスピーカー再生というトータルシステムでFMステレオ放送の検証を重ねていたし、DolbyだってB型の規格化に先立って映画館での再生効果を検証している。多くの人は、周波数特性とSN比で特性を考えるが、それは規格上のスペック表示であって、当然ながら音楽はアクティブな特性で判断されるので、録音から再生まで条件を揃えないと正確に判断したとはいえない。

 これに対し、CDは音声記録の規格として独自に進められた結果、録音機材から再生方法までの検証を後回しにしたようにも思える。オーディオ市場でのデジタル対応は混迷を極め、この検証に10年以上は費やしている例えばクラシック業界でモニターシステムがB&W Matrix801にほぼ統一されるまで、アビーロードスタジオが1980年には導入していたにも関わらず、それはタンノイに代わる長期契約のためのテスト期間であり、正式のパートナーシップは1988年まで時間を要した。録音方式は、デンオンのワンポイントマイク方式からテラークのマルチマイクを駆使したものまで、デジタルの可能性をどのように扱うかの課題は残されたままだった。そもそもフルデジタルのミキサーさえ無かったので、録音は初期のステレオ録音と同様のダイレクト収録か、ノイズフロアなど気にせずにアナログミキサーで編集したものをデジタルテープに収めるかの方法しか選べなかったのだ。編集過程のなかにマスタリングという作業が増えたのは、アナログ盤のカッティング時に行っていた作業の代りとなるもので、オリジナルLPの音質とマスターテープをコピーしただけのCDとで味わいが異なることから波及したもので、実はクビにしたカッティング屋のおじさんが素晴らしい耳の持ち主だったことをレコード業界が忘れていたことを露呈してしまった。

B&W実装時のアビーロードスタジオ(1980年):前面のコンソールはビートルズ解散直後に新調したもの

「狂気」をミキシング中のアラン・パーソンズ(1972年):モニターはJBL 4320

 むしろCDはコンパクトに持ち歩けるため、ヘッドホン・ステレオでの試聴にウェイトが移っていったという、別な側面が浮かび上がる。ウォークマンはソニーの大賀社長が飛行機内でのクラシックの試聴のために開発したと言われるし、国内の録音スタジオで好まれるモニターヘッドホンMDR-CD900STはポップス向けとはいえ、おそらくソニーの出したCD対応の再生機器の答えということができる。あるいは膨大なクラシック録音のアーカイブを誇るドイツの放送局で標準とされてきたAKG K240Studioなどは、Diffuse Field Equalizationをいち早く採用したヘッドホンという意味ではデジタル世代の産物である。DGの録音所長を務めたクラウス・ヒーマンまで、富士通テンのサイトでプロ用ヘッドホン(Sennheiser、STAX、AUDEZE、HiFiMANなど)に匹敵できる正確さをもったモニタースピーカーの選定に難儀していたと告白するくらいなので、CDの手軽で高音質というのが一般のオーディオ製品に与えたダメージは計り知れず、高級ヘッドホンなど高音質再生への潜在的な需要があるにも関わらず、ステレオセットの購入に二の足を踏む状況は現在でも尾を引いているように思える。

左:ソニーの信濃町スタジオモデル、右:AKGのドイツ放送局御用達モデル

 もうひとつのCDの開発元フィリップスは、スタジオモニターに静電型のQUAD ESLを長らく使用しており、もともとCDのような音調への追従性は高かったが、むしろ低音再生の欠点のほうに気付いてB&W 801 Matrixに移行したと言われる。それ以前にポップスの録音では、仮想のサウンドステージ構築のためにヤマハ NS-10Mでモニターしてミキシングすることが世界的に行われており、中域での定位を確保するためツイーターのパルス波を制限する「ティッシュ貼り」も流行した。これも長い目でみるとデジタル対応だったのだろうか? この時代はまだアナログミキサーでの編集だったが、ご存知のとおりアナログ機器でもアンプ系列はDCアンプのICモジュール化が進んでおり、デジタルに負けず劣らずのSN特性をもっていた。むしろ、ティッシュ貼りの本家ボブクリさんは、デジタル世代に必要なスピーカー再生の手法を導きだして成功したと考えて差し支えない。
 クラシック録音においてB&W以外にデジタル移行期のスピーカー再生で影響を与えたのは、セレッションのSL6シリーズで、定位感を保持したまま広帯域再生のできる小型スピーカーとして登場し、デジタル録音のサウンドステージの緻密で広大なものであることを初めて立証したともいえる。ただし、通常のスピーカーに比べ10dBも低い極端な低能率のため、この時代のアンプで最も電力供給量の大きかったクレル製の大型アンプでないと鳴らし切れない、金属バッフルにガッチリ固定されたユニットを大振幅させるのを制動するのに、足元のスタンドもガッチリした金属製の物が必要、高域の伝送効率を上げるためケーブルの銅の純度を極端まで上げるなど、あらゆる点で周辺機器にお金の掛かるスピーカーのひとつとなった。従来までスピーカーの費用に対しアンプはその1/2程度で済んだものが、アンプに掛ける費用がスピーカーの2倍は必要という逆転現象もおきた。同時にステレオセットの価格も100万円クラスに跳ね上がり、小型スピーカーを購入するビギナーの敷居も高くなった。

左:セレッションSL6、右:NS10Mのティッシュ貼りの儀式

 かわりにミニコンポという卓上型の小型ステレオが日本で流行するが、これは小音量でも心地よく聴けるように低音のブースト、高域の艶やかさなど様々な工夫がなされており、クラシックのダイナミックレンジをしっかり受け止めることはできないものの、従来のアナログ的なテイストを改めて見直した意味では、心地よい音量と周波数バランスをトータルシステムで提示したともいえる。ミニコンポは置き方にもよるだろうが、音が前面にはっきり出るようなイコライジングがなされており、サウンドステージの精緻な表現はほとんどしないことも付け加えておこう。

ケンウッドK'sミニコンポ

 現在のサウンドステージを意識したステレオ試聴方法は、FMステレオ放送に対応するために1970年代中頃に確立したということができる。つまりCDの販売と5年くらいしか変わらない、比較的若い技術であるが、前提となる録音品質はアナログ特有の曖昧さの上に成り立っていた。一方で、CDの発売後に取られたオーディオ指南は、イコライザーの使用はデジタル録音の鮮度を落とすので無いほうがいい、サウンドステージのためにスピーカーの周辺3π空間の確保は欠かせない、立体的な音像のためにケーブル類の高域伝送の位相を見直す、等々のアナログ技術での計測限界を超えた課題を次々と突き付けてきた。それまで積み上げてきたアナログ的な味付けは一掃され、家電業界(デパート売り場)から決別を宣言してピュア・オーディオを標榜するようになったのだ。

 ただし、現在の状況をみると、真空管アンプは継続的に製造され、アナログ・ブームなどの方向性をみる限り、案外FM放送くらいの規格のほうが、家庭用のステレオ装置としてパフォーマンスが最適化されていると言えるのかもしれない。これでさえもMP3よりは音のディティールの再現が良いのである。



【一途な気持ちのさじ加減】

 ここでは、クラシック音楽のモノラル試聴という手段に訴えることの意義を考えてみたい。それはマイクとスピーカーの関係を、1対1の等価なものとして捉えることで、時間軸上の音響現象を1つのベクトルに整列し直視する手法である。

 まずクラシック音楽のステレオ録音の歴史についてまとめると次のようになる。
  1. ステレオ録音はヘッドホンによるバイノーラル試聴から発展しており、現在も録音時のモニター方法として用いられている。一方でヘッドホンの場合、外耳の形状により周波数特性の変化を大きく受けることになり、正確なステレオイメージはつかみにくい。
  2. ステレオ録音におけるサウンドステージの理論は、1970年代にようやく解明され、FMステレオ放送と共に普及した。これは次世代オーディオのCDとそれほど変わらない新しい技術である。一方で、CDの音質評価は従来のアナログ的音質をネガティブに一掃するように展開していった。
  3. バイノーラル試聴でサウンドバランスをチェックしつつ、サンドステージの再現を正統なものとするのは、何かしらの矛盾が生じており、その歴史も思っているより浅い。
 これらを念頭に入れて、私なりのクラシック音楽との向き合い方を思い浮かべると…
  1. ステレオによるサウンドステージを保持するのに、1時間も首を動かすのを我慢するのに疲れる。
  2. 同じステレオでも、1960年代、70年代、80年代と10年置きにサウンドステージの性格が変わり、そのたびに演奏の評価が鈍る。
  3. アナログ的な温もりのある音は、定位感と反比例する傾向にあり、そのどっちも選ぶことは難しい。
  4. 結局はマイクの音をそのまま聞くために、疑似的な音場再現はそれほど意味がない。
 これらを総合すると、ステレオ再生のほとんど全ては音場感、定位感というステージの音響の再現に力を削がれていることに気付いた。これが実に演奏表現とはリンクしない無駄なものに思えてきたのだ。実はモノラル試聴にしても広がりのある音は得られる。音の遠近感も良好なので、奥行き感も実際にはある。

 以下の図は、点音源の現実的な伝達のイメージである。モノラルからイメージする音は左のような感じだが、実際には右のような音の跳ね返りを伴っている。私たちはこの反響の音で、音源の遠近、場所の広さを無意識のうちに認識する。風船の割れる音で例えると、狭い場所で近くで鳴ると怖く、広い場所で遠くで鳴ると安全に感じる。

左;無響音室でのモノラル音源 右:部屋の響きを伴うモノラル音源

 こうした無意識に感じ取る音響の質は、左右の音の位相差だけではないことは明白である。つまり、壁や天井の反響を勘定に入れた音響こそが自然な音であり、部屋の響きを基準にして録音会場の音響を聞き分けることで、音響の違いに明瞭な線引きが可能となるように思う。この線引きが必要なのは、視覚的要素がない音の近さ広さというのが曖昧なためで、おそらく録音しているエンジニアも時代や国柄によって基準がそれぞれ違うと思われる。例えばデッカとEMI、はたまたフィリップスのウィーン・フィルの音の違いなど、求める物や表現の手段としてステレオ感が存在するようになる。
 私として知りたいのは、演奏者のパフォーマンスそのものなのであるが、空間表現というフィルターを通じた録音エンジニアの意見をまず聞かなければならない、というオチになる。このときムジークフェラインで演奏すれば何でも名演になるという別の方程式が浮かび上がる。今さら誰もそんなこと信じてはいないのだが、業界のマーケティングがそうなりやすかったのは事実で、天ぷらのコロモをはがして演奏家の本来のテイストを知ることが必要に思っている。本当は天ぷらも中身の旨みを包み込む方法なのだが、誠実さを失った商業録音には、コロモが大きくなって中身が小さいエビ天も少なくないのである。

 ステレオ信号のモノラル合成の仕方は様々で、一番単純なのが2chを並行に結線して1chにまとめるもので、一般的には良く行われてきた。しかし、この方法の欠点は、ホールトーンの逆相成分がゴッソリ打ち消されることで、高域の不足した潤いのない音になる。多くのモノラル試聴への悪評は、むしろステレオ録音をモノラルで聴くときの、残響成分の劣化による。
 次に大型モノラル・システムを構築しているビンテージ・オーディオ愛好家に人気があるのが、プッシュプル分割トランスを逆に接続して、2chをまとめる手法で、巻き線の誤差のあたりが良い塩梅におさまると、まろやかなモノラルにできあがる。しかし、これもプッシュプル分割用トランス自体が戦前に遡る古い物しかなく、そのコンディションもまちまちで、当たりクジを引くまで1台5〜10万円もするトランスを取っ換え引っ換えしなければならず、普通の人にはお勧めできない。
 私が実践しているのは、ミキサーの2chの高域成分をイコライザーで互い違いにレベル差を出して合成することで、昔の疑似ステレオの逆をいくやり方である。逆疑似ステレオ合成方式とでも名付けておこう。これだと情報量が過不足なくまとまって、高域の潤いも失われない。

 もうひとつは、モノラル試聴におけるスピーカーの位置であるが、真正面に置いては絶対にいけない。斜め45度から聴くのがモノラル試聴の流儀だ




レスポールの自宅スタジオ
 まず左はエレキの開発者として有名なレスポール氏の自宅スタジオ風景。どうやら業務用ターンテーブルでLPを再生しているようだが、奥にみえるのはランシングのIconicシステム。今では常識的な正面配置ではなく、横に置いて聴いている。
 同じような聴き方は、1963年版のAltec社カタログ、BBCスタジオにも見られる。つまり斜め横が正しい方向なのだ。

Altec 605Duplexでモニター中

BBCでのLSU/10の配置状況

 ただ不思議なことに、モノラルを両耳で聴くと、反対側のほうは高域の特性がガタ落ちなのだが、効き耳のほうで聴いた情報を脳内で補完しており、特に周波数の違いによる違和感を感じない。むしろ、反対側で響きのディレイを聴き取りながら、マイクからの楽器の遠近、収録場所の広さなど、様々な収録条件を聞き分けているのである。つまり、音の広がりという平面分布ではなく、マイクから眺めて直線状に配列された時間の波のゆらぎを聴いていることになる。経験的には、ステージ上での音の捉え方、タイミングの取り方など、音楽の躍動的な部分を聴いていることになる。

真正面より斜め横から見たほうが広がりも立体感も増す(多分、モノラルもいっしょ)

 とはいえ、以下の装置をみれば、継ぎ接ぎだらけで試作段階であることは否めない。シューベルトの未完成交響曲のような感じだが、そこまで美しくない。どちらかというと、イタリア未来派とダダイズムの間を行くようなもので、あまりロマンチックとは言えない。しかし音は美しい。





【フットワークは筋力が命】

 1970年代以降のHi-Fiオーディオの広帯域化(ワイドレンジ)の目標は、周波数特性上の低音の伸びであり、それは重戦車のように重たい装甲を動かすというド迫力を見せつけるようなものだ。反対にバレリーナのか細い脚は、優れて筋力で満ち溢れている。ともかく自分の体重の制限を越えて、クルクル回っては跳ね上がる、骨まで強健な弓のように鍛え上げた結果である。
 このように、クラシックの本来のエモーションとは、腰より下の筋力の強さのなかにあるのではないか? そういう風に思ったのは、後面解放型箱に入れたフィックスドエッジ・スピーカーのレスポンスの強さゆえである。以前に測定したときより、更にスマートになっているようで、見た目は5cmのフルレンジと同じようなレンジ感でも、全てのレンジで出音が揃う爽快感は格別である。


相変わらずナローレンジに見えるが45度斜めからの計測(80〜10,000Hzフラット)


しか〜し、運動能力はバレリーナ並(上:インパルス応答、下:ステップ応答)

 上記のインパルス応答は、パルス成分の立ち上がりを、スピーカーの固有音(歪み)がじゃましないで、クリアに再生できるかのテスト。ステップ応答は、パルス成分の瞬時の応答のなかで位相の繋がりがスムーズになっているかのテスト。このようなスピーカーの時間軸での整合性(タイムコヒレンス)は、一般的にはステレオ試聴での定位感の正確さと関連があるとされている。ただ定位感の多くは、パルス波のマスキング効果によるものがほとんどで、マスキング効果とは人間の耳が高周波のピンと鳴る音に敏感で、その音が鳴ると雑踏の中でも優先して聞き分けられるというもの。
 以下はDPA社(旧B&K)のA-Bステレオ・マイクアレンジで、無指向性マイクを間隔40〜60cmで並列配置するだけというもの。デノン(日本コロムビア)がワンポイントマイクとして、PCM録音の優位性を示すためにいち早く採用した方法で、今までのステレオの位相差などという考え方ではなく、左右の立ち上がり音の延滞のみで楽器の位置情報を感知することとなる。

デノンで採用されているDPA社(旧B&K)のA-Bステレオ・マイクアレンジ

 初期のデノンの録音は、それまでマルチマイクでゴテゴテに塗り重ねた油絵のようなメジャー系列の録音に対し、かなり痩せこけた印象があったが、時流に乗ってオーディオ環境の整った現在では、ステレオ録音のリファレンスとして考えても良いようなものになっている。
 一方で、タイムコヒレンスの優れたQUAD ESLでずっとモニターしていたフィリップスは、無指向性マイクを一直線上に4本配置する方法を取っており、ちゃんとタイムコヒレンスの保持できていないスピーカーで聴くと、霧に覆われたような感じに聞こえるときがある。ESL57は信号成分が球体ではないため、特にスレンダーに定位感を出す傾向があり、この影響を受けているように思える。もしかするとブルムライン方式と同じように、一周遅れのトップランナーになるかもしれない。

フィリップス方式のマイクアレンジ

 では、定位感と関連のないモノラル試聴で、タイムコヒレンスがどれほど重要かの議論は、実はほとんどなされていない。精々、クロスオーバー付近での位相の乱れにより、ピーク・ディップが出るのを防ぐ手立てとして、タイムアラインメント(マルチウェィ・ユニットのボイスコイル位置の整列)が語られる程度である。ただしタイムアラインメントに留意したマルチウェイでも、ネットワークの位相歪みは避けられず、ステップ応答の乱れは三段腹どころではない相当なものとなるが、実際そこまで考えられないのが実際である。この手のスピーカーでステレオ録音を聴くと、映画館のスクリーンのように音響がびっしり平面状に展開し、奥行き感はほとんどない。むしろモノラル試聴の場合は、もともと広がり感が得にくいため、妖怪ぬりかべのように面構えのドーンとしてたほうが聞き映えが良いのだと思う。
 しかし、実際にタイムコヒレンスの良好な状況でモノラル試聴すると、時間軸での響きの変化が純粋に聞き取れるため、音の遠近、ホールの広さも十分に判る。つまり、ステレオでは2.5次元的な楽器の静的な配置情報として感知されていたものが、モノラルでは時間軸のみの1次元で整理された動的な音の変化のみを聞くようになる。私自身は、これはオーディオ装置の運動能力であると勝手に思っている。
 かくして、体操王国、バレエ王国であるロシアの血など全く引いていないものの、オーディオ装置の運動能力は、クラシック音楽にとって必要不可欠なものであると信じて疑わない。モノラル試聴の場合は、むしろ出音のタイミングがより純粋な形で抽出できている感じだ。バイオリンのボウイングが丁寧に再現され表情豊かになるし、ピアノの打鍵が低音から高音まで一斉に揃う様は圧巻である。


 ちなみにミキサーから流れている信号の特性は以下のとおり。ライントランスを通しているので、さすがに20Hz以下はロールオフしていくが、高域がパソコンとのインピーダンスマッチングのせいか少し迫り上がっている。インパルス応答はソフトウェアのデジタルフィルターのひずみの癖が出ているが、スピーカーではフィックスドエッジ・ウーハーの反応が勝っていてそこまで反映していない。これも良い塩梅だと思う。



ミキサーからアウトプットした信号特性



【リボンは正義の証】

 最近「カワイイは正義」という言葉を聞くようになったが、筋肉隆々のマッショ戦士が世界を守るのではなく、実はカワイイという価値観が弱者を自ら守るという筋立てがある。実際の戦闘ではそうもいかないだろうが、メディア戦略という面からみると、これもあながち侮れない。ここは素直に負けを認めて、アイドルが嫌いなんて撤回しよう。
 ここで、リボンツイーターについて語りたいのだが、このリボンという可愛い名前に関わらず、デザインは大きく四角くて相当にイカツイ。しかし出てくる音は繊細で、心のひだまで浸み込むようでもある。

 リボンツイーターにはHi-Fiの歴史に影のように強く残っている。最初はSiemensの開発したRiffel型トーキー用スピーカーに端を発するが、1932年には今知られるようなホーン型に移行しておりほとのど幻のスピーカーと言っていい。ただウェスタン好きの池田圭氏が1960年代に使用していたり、事情通の人には業務用のツイーターとして知られていたようだ。当時の記録を辿ると、ドイツ語の明瞭な音声を求めた結果、以下のようにかなりドンシャリな特性だった。


Siemens&Halske社の2way特性(1928)

Riffel型スピーカー(1930)


 次に戦後すぐに開発されたDECCA-Kelly型のリボツイーターだが、EMIの最高級電蓄に使われた他、QUADのプロトモデルにも使われた。ご存知の通り、この成果が全面静電型スピーカー ESLの開発につながっていく。


QUAD コーナー・リボン・スピーカー(1951年)


Decca-Kelly製リボンツイーターを使用したEMI Electrogram 高級電蓄(1947年)


 ところで、リボンツイーターには癖があって、反応が鋭敏な代わりに戻りのほうも強いピークを生じる。いわゆる弦をはじく時と、同じような現象が起きるわけで、アルミ臭い音とか色々と言われている。音の正確さから言うと、ドームツイーターのほうが戻りもなく歪みも抑えられている。

Fountek NeoCD2.0のステップ応答


 このため1970代にパイオニやテクニクスが製造していたリボン型ツイーターは、位相の曖昧な超高域15kHz以上でのスーパーツイーターとして使われた。当時としては大型リボンは製造の歩留まりが高くて、とても一般家庭に使えるようなものではなかったことも起因しているかもしれない。あとフォステクスのプリンテッド・リボンというのもあって、INFINITY社のIRSシステムにOEM供給されたが、ハイエンド中のハイエンドで実際に耳で聴いた人はそれほどいないと思う。
 これが製造技術の進歩で、普通の人が買える値段で2kHzくらいから使えるツイーターとなったのは21世紀に入ってからだ。最初はPiega社のスピーカーでの、高域にトゲトゲしさのない音が気に入っていたが、モノラル・システムの構築で1950年代ビンテージ・スタイルを模索しているなか、最終的に行き着いた仕様がこれである。Jensen製のエクステンデッドレンジ・スピーカーの反応の速さと唯一相性の良いものがこれだった。私が使っているのは中国のFountek社製で、PA用スピーカーにも使われる強健なもので、指向性の広さを手伝って、1930年代の元の仕様に戻ったようにも感じている。

 実はこのリボンツイーターの音は少々冷たい。冬の朝にキリっとした空気のように、晴れて見通しが良いのに熱を帯びることがない。ロマン派にとってこれは致命的なので、これに1957年からずっと製造しているサンスイ・トランス ST-78を絡めて、トゲトゲしい高周波ノイズをにじませると共に、木漏れ日のように穏やかな高次倍音を出すようにしている。このトランスは元々初期のトランジスタ・ラジオ回路のプッシュプル分割用に造られたもので、1970年代にはラジカセの基盤組込み用に多く使われた。何でこれを選んだかというと、小さい筐体はラインレベルの信号でも磁気飽和が起きやすく、その際に出す高次歪み成分がとても美しいからだ。なんとなく昔日のEMIのように薄っすらと霧のかかったシルキーな高域はFMチューナーのようでもあり、アナログ時代の上品な艶を与えてくれる。


サンスイトランス ST-78の特性


 あとは倍音をさらに引き出す方便として、ヤマハ製ミキサーに付属しているデジタル・リバーブを使っている。もともと簡易的なPA用ミキサーとしての付属品なのだが、何と言っても現在のヤマハは、ベーゼンドルファーの親会社であり、ウィーンフィルの楽器のメンテナンスも請け負う世界企業である。そのエフェクターの音質も素晴らしくデザインされたもので、プロ用としても信頼されているものと同質のものである。好みとしては、5番のステージNo.1がモヤモヤしがちなクラシック録音で高域の粒立ちを引き締めてくれる役割をもち、6番のステージNo.2がアナログ収録のように甘いリバーブ音が加わり心を和ましてくれる。
 使いこなしとしては、調整ツマミにParameterとFX RTNがあり、Parameterは5番ではエフェクトの掛かる中心周波数を調整し、6番では残響時間を調整しているようで、FX RTNはエフェクト音と元音の混ざり具合を調整する。私の好みは、5番ではエフェクト周波数を中域まで落として倍音の艶を出すこと、6番ではほとんど残響時間は取らずに音の馴染み具合を優先すること、そしてエフェクト音の混ざり具合は30〜40%程度に抑えることである。このリバーブ音の先にライントランスがあるため、こうしたことをやっても、けしてあざとい感じにはならない。




【滝に打たれ人肌の温もりを想う】

 後期ロマン派の音楽というと、誇大妄想的なマーラーやR.シュトラウスのオーケストラ作品や、ワーグナーやプッチーニのオペラ(楽劇)を思い浮かべるかもしれないが、オーディオ装置の本当の実力はピアノとバイオリンの再生にある。つまり、リストとパガニーニがもたらした国際的ヴィルトゥオーゾの世界を堪能できなければ、ロマン派の沼に埋もれたとは言えない。
 とは言いながら、こういう話を聞くと、誰しも自分のオーディオ装置に自信のないことを暴露するようなもので、所詮は生演奏に敵わないというのが本音である。かくなるは、普段はコンサートで聴けない秘曲を色々と集めては、その裾野の広さを垣間見るということになろう。なんたってコンサートは所詮、一般大衆の最大公約数の嗜好をプロモートしているに過ぎないのだ。

 後期ロマン派の楽曲で名録音といえば、R.シュトラウス「ツァラストラはかく語りき」、ホルスト「惑星」、マーラー「千人の交響曲」など、スペクタクルなオーケストラ作品に目が向いて、なかなかその本質に迫れない感じがする。あるいはチャイコフスキーやグリークのピアノ協奏曲、やっぱりチャイコフスキーやシベリウスのバイオリン協奏曲など、ソリストの腕試しとばかりのコンクールでお馴染みの華やいだ雰囲気のものが好まれる。いずれにせよヨーロッパ文化の誇りとして、ハプスブルク家、ヴィクトリア朝、ロマノフ朝の残影を引きずっているのだ。

 考えてみれば、これはオーディオ機器を評価する上でのメインストリームである一方で、結構無茶な注文をやってきたもんだと思うのだ。王侯貴族をお手本とした青天井のオーディオファイルの良き相棒として、こうしたレパートリーを中心にしたことで、クラシックの味わいが画一的になってはいないだろうか? モノラル試聴は、私なりのクラシック音楽のステレオタイプへの反証でもある。

 以下のCDは、「秘すれば花」というべき、19世紀末のラファエロ前派のような後期ロマン派の芳醇な雰囲気を伝える楽曲を、あえてデジタルという媒体で記録したCDばかり選んだ。ちょうど、レコード芸術の新譜欄のように管弦楽、室内楽、器楽曲、声楽曲、古楽、現代曲と並べているが、どこにも定番らしい要素のないマニアックな選曲だ。しかし、デジタル録音が冷たいなんて誰が決めたんだろう?


レーガー:ヒラーの主題による変奏曲 Op.100
ホルスト・シュタイン/バンベルク響(独KOCH、1991)

レーガーは様々な楽器のための変奏曲を作曲しているが、これはオーケストラのためのもの。古くはコンビチュニー指揮のもと、ライプチヒ・ゲヴァントハウス管も録音していたが、ロマン派を得意とするオーケストラにとって、色とりどりのコスチュームに着替えてコスプレ気分で遊べる、セルフポートレートとして魅力的な作品である。
録音は放送品質に近い奥行き感のない配置だが、木管と弦の均等な配置など、むしろ各楽器が肉厚な感じで良く録れていると思う。20世紀末になって国際化(機能的だが無個性)の進むメジャーオケに対し、希少なドイツ的な響きを残すといわれるバンベルク響にとって、後期ロマン派を名残惜しむようなこの作品は、しっかりしたポートレートになっていると思う。
フォーレ:弦楽とピアノのための室内楽曲全集
カプソン兄弟、ダルベルト他(英Virsin、2008-10)

フォーレの室内楽曲は、ドイツ系の楽曲に比べるとなかなか録音に恵まれないが、おそらくソナタ形式としての構成に欠け、ワーグナーとドビュッシーの中間をいく感じの様式感の曖昧さからくるように思う。しかもフランス人ならではのエスプリが必要とあれば、なおのこと演奏会のレパートリーから遠のきがちになる。
この全集は、1970年代にEMIのコラール、エラートのユボーの両陣営の録音に挟まれながら硬直していたレパートリーに対し、若手が結集しフォーレ愛を語り合った名盤だと思う。やや細身の弦と、柔らかいピアノの取り合わせは、弦の響きがヒステリックになりやすく、なかなか甘い汁を出すまでに苦労する。それよりも、機転の利いたデュナーミクの変化をしっかり捉えることが重要なのだが、中域がしっかりと表情をもたないと、そうはならない。今は仏Patheもエラートも同じワーナーグループの傘下に入って、赤いエラートと緑のエラートとして仲良く並ぶようになった。
マガロフ、ワルツを弾く(仏Ades、1990)

20世紀末にソ連が崩壊した後、19世紀末のロマノフ王朝時代を懐かしむように、ロマン派ヴィルトゥオーゾのピアノ演奏が続々と現れた。それも80〜90歳のおじいちゃんを捕まえて小品集をおねだりする嗜好である。冷戦時代は唯一無二のロマン派ヴィルトゥオーゾだったホロヴィッツ爺は、初来日時に「ひび割れた骨董」
とまで揶揄されたが、このマガロフ爺は78歳にして堅牢そのものの色彩感豊かなピアノを披露してくれる。タウジッヒ編曲「舞台への勧誘」など、ドルチェとスタッカートの音色の繊細な使い分け、青空のように澄んだフォルテの響きなど、デジタル録音のダイナミックレンジの広さを往々に示した名演奏のひとつだと思う。
ブルックナー:モテット集
マシュー・ベスト/コリドン・シンガーズ(英Hyperion、1982)

広い大聖堂の響きをたっぷり含んでいながら、ディテールの曖昧にならない録音で、シンプルなラテン・モテットをシンフォニックな響きに留意しながら、ppからffまでやや演出過剰なくらいダイナミックに配分した演奏だ。作品の構造を味わうにはやや不向きだが、そもそもブルックナーの交響曲を育んだ大聖堂の響きを、一種の楽器として鳴らし切った録音として考えると、それなりに納得のいくところである。あるいはアカペラ聖歌というのが、ゴシック・リバイバルに乱立した大聖堂建築と連動していることを思い浮かべることができよう。
ショパニアーナ
福田進一(日本コロムビア、1999)

ショパンのピアノ曲を近代ギター奏法の父タレガが編曲したアルバム。これがなぜ古楽かというと、編曲者のタレガが所有していた1864年製作のギターで演奏しているからで、立派なオリジナル楽器での演奏である。これがまた見事にはまっていて、トレース製ギターの暗く甘い音色が功を奏し、夜想曲などは恋人の部屋の窓の下で結婚を申し込むメキシコのセレナータそのもの。実に静かでエロティックである。
マーラー:交響曲4番(シュタイン編曲:1921年室内楽版)
リノス・アンサンブル(独Capriccio、1999-2000)

20世紀初頭にシェーンベルク率いる新ウィーン楽派が、当時の「現代曲」を中心に演奏するために起こした「私的演奏会演奏会」のプログラム用に1921年に編曲されたもの。このコンサートのために154作品がレパートリーされたというから、これはまさに氷山の一角に過ぎないのだ。師と仰いだマーラーの没後10年であると同時に、この演奏会の最後の年でもあり、ウィーン世紀末の残り香を漂わせながら、儚い天国への憧憬を画いた作品像が、第一次大戦で崩壊したヨーロッパの亡骸をいたわるような、どこかグロテスクな感覚もある。一般にシェーンベルクの室内交響曲が、マーラーの肥大したオーケストレーションへのモダニズムの反動だと言われるが、この編曲を聴くと最低限の構成で同じ効果のある作品を狙っていたことが判る。なんたってこの頃のシェーンベルクはウィーン大学で作曲の教鞭をとっており、単なる反体制的な芸術家とは違うのだ。論争的になったのは12音技法に走ったときからで、その頃の芸術家としての姿勢が預言的に存在していたかのように描かれるのは、残された作品像を見誤る原因ともなる。カップリングはシェーンベルク編曲の「若人の歌」で、こちらはピアノ伴奏でも十分な歌曲なので、構成の間引き方も自然に聞こえる。


 あとは、モノラル期における後期ロマン派的な古典派音楽の演奏についても語っておこう。当時はほとんどの録音がノイマン製のコンデンサーマイクで録音されていたことも合わせて、これらが録音品質として現代とそれほど変わりないことも判る。

ベートーヴェン:交響曲9番「合唱付き」
フルトヴェングラー/バイロイト祝祭管弦楽団(1951年)

ベートーヴェンの時代において第九の演奏は難曲のひとつで、その大構成を要することと思想的な問題のため、19世紀前半に演奏会に上る機会が極端に少ない演目であった。これを実現させたのがワーグナーがバイロイト祝祭歌劇場を建設して以降のことで、まさにこの作品の音楽的評価はバイロイトから始まったと言っていい。同じことはリストによるピアノ曲の解釈からも読み取れよう。この録音は戦後のバイロイト音楽祭の再開にあたり、こけら落としとして演奏された一期一会のものであったが、混沌からの創造を醸し出す第一楽章から、交響曲のジャンルを打ち破り市民社会のアンセムともなった第四楽章まで、ロマン派の恋い焦がれたベートーヴェン像の代表例として考えていい。
バッハ:無伴奏バイオリンのためのソナタとパルティータ
シゲティ(1955年)

19世紀も終わりの頃、ヨアヒムの御前でこの曲を演奏して激賞された神童こそシゲティであり、イザイがそのインスピレーションと共に同曲の献呈者にも選び、それ以降このレパートリーを大切にしてきた第一人者の初の全曲録音である。ところがギスギスした音色で作品の本質だけを炙りだそうとした演奏は、よく精神性の深い演奏のひとつとして挙げられる。おそらく輝かしいストラディバリウスではなく、陰湿なガルネリで演奏していれば、この解釈がもっと普通に受け容れられたかもしれないのだが、戦争中にアメリカでのドイツ人演奏家へのネガティブキャンペーンに怒った演奏活動の停止に始まる根っからのヒューマニズムと、崩壊したヨーロッパ文化へのレクイエムのような哀愁とが入れ混じった、複雑な味わいの録音になった。

ハイドン:弦楽四重奏曲Op.76
ウイーン・コンチェルトハウス四重奏団(1950-54年)

徹底したウィーン情緒で埋め尽くしたハイドンやモーツァルトはいかにも幸せそうで、暖かい陽だまりでビーダーマイヤー朝の羽帽子をかぶったご婦人方が甘いショコラを囲んであれこれ歓談しているかのようだ。この団員は、もともとはウィーン交響楽団のメンバーで、ウィーン・フィルに比べスタイリッシュな演奏で知られるのだが、シュラルメン楽団の延長上にあるような上品なポルタメントと気の知れた仲間の息の合ったアンサンブルは、戦火で失われかけたウィーン気質をあえて強調したかのように感じられる。




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