我がオーディオ装置はオーデイオ・マニアが自慢する優秀録音のためではありません(別に悪い録音のマニアではないが。。。)。オーディオ自体その時代の記憶を再生するための装置ということが言えます。「わすれられた音」は、モノラル試聴が常態化した=ガラパゴス化したオーディオマニアが、オーディオの魅力について語るステレオタイプに物申す状況をモニターします。(これは序文で後にコラムが続きます)。。。の前に断って置きたいのは 1)自称「音源マニア」である(ソース保有数はモノラル:ステレオ=1:1です) 2)業務用機材に目がない(自主録音も多少やらかします) 3)メインのスピーカーはシングルコーンが基本で4台を使い分けてます 4)映画、アニメも大好きである(70年代のテレビまんがに闘志を燃やしてます) という特異な面を持ってますので、その辺は割り引いて閲覧してください。 |
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忘れられた音
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今どきのオーディオ批評は、あまりにもステレオタイプな言葉の羅列に感じる。何と言うか、音楽を聴くにあたっての詩情に欠けるのだ。あえて言えば、音楽の詩情よりも、オーディオの市場を優先しているのが結論として見え透いている。おそらくライターには試聴室で無駄に長い時間を音楽と過ごす暇がないのだと思う。そう思えるのは、音楽と接したときに感じる驚きや発見について、新しいものが何も書けないでいるためだ。 このため今のオーディオ市場に必要なのは、音楽自体への啓蒙活動なのだと思うようになった。音楽に関心のない人にとって、オーディオはただのお飾りでしかない。この課題にしっかり向き合わないと、オーディオ業界が自滅するのは必須である。既に基盤を失って地盤沈下を起こしているのは周知の事実である。 ただ素人なりに、今のオーディオ・ポエムに足りないものを、自分の試聴環境のなかで思索してみたいと感じた。いずれも、音楽表現の核心に触れながら、オーディオの魅力としては扱いにくい内容だと感じている。 【静寂の音】では、ピアニッシモの表現力という課題を取り上げる。 |