20世紀的脱Hi-Fi音響論(延長13回裏)


 我がオーディオ装置はオーデイオ・マニアが自慢する優秀録音のためではありません(別に悪い録音のマニアではないが。。。)。オーディオ自体その時代の記憶を再生するための装置ということが言えます。「わすれられた音」は、モノラル試聴が常態化した=ガラパゴス化したオーディオマニアが、オーディオの魅力について語るステレオタイプに物申す状況をモニターします。(これは序文で後にコラムが続きます)
忘れられた音
冒険は続く
自由気ままな独身時代
結婚後のオーディオ
掲示板
。。。の前に断って置きたいのは
1)自称「音源マニア」である(ソース保有数はモノラル:ステレオ=1:1です)
2)業務用機材に目がない(自主録音も多少やらかします)
3)メインのスピーカーはシングルコーンが基本で4台を使い分けてます
4)映画、アニメも大好きである(70年代のテレビまんがに闘志を燃やしてます)
という特異な面を持ってますので、その辺は割り引いて閲覧してください。


忘れられた音


 今どきのオーディオ批評は、あまりにもステレオタイプな言葉の羅列に感じる。何と言うか、音楽を聴くにあたっての詩情に欠けるのだ。あえて言えば、音楽の詩情よりも、オーディオの市場を優先しているのが結論として見え透いている。おそらくライターには試聴室で無駄に長い時間を音楽と過ごす暇がないのだと思う。そう思えるのは、音楽と接したときに感じる驚きや発見について、新しいものが何も書けないでいるためだ。
 このため今のオーディオ市場に必要なのは、音楽自体への啓蒙活動なのだと思うようになった。音楽に関心のない人にとって、オーディオはただのお飾りでしかない。この課題にしっかり向き合わないと、オーディオ業界が自滅するのは必須である。既に基盤を失って地盤沈下を起こしているのは周知の事実である。

 ただ素人なりに、今のオーディオ・ポエムに足りないものを、自分の試聴環境のなかで思索してみたいと感じた。いずれも、音楽表現の核心に触れながら、オーディオの魅力としては扱いにくい内容だと感じている。

 【静寂の音】では、ピアニッシモの表現力という課題を取り上げる。
 【記憶の音】では、オーディオにおける人格の表現を取り上げる。
 【ゆるい音】では、音楽によるストレス緩和を取り上げる。
 【歪んだ音】では、音楽における怒りや痛みの表現を取り上げる。
 【チャラい音】では、音楽におけるイミテーション(偽物)の価値観を取り上げる。
 【貧しい音】では、劣悪な社会環境での音楽のもつ生命力を取り上げる。
 【優雅な音】では、クラシック音楽での古楽器の演奏技術を取り上げる。
 【聖なる音】では、中世ヨーロッパという仮想現実世界を取り上げる。

 コラムの中で紹介しているCDは、どれもミュージシャンが命を懸けて奏でた第一級のエンターテインメントである。しかし、ほとんどはオーディオファイルで取り上げるような優秀録音でもなく、おそらくレコードマニアがその文化的価値について多くを語っていることだろう。ここでは、そうした音質を巡る課題も含めて、オーディオによって価値を広めようとする方法論を模索している。
 電気工学的なデータは、音楽に抱く印象に溶け込ませるように説明しようと心がけている。むしろ音楽とリンクしないスペック競争は無意味だと断言しよう。
 とはいえ、全ては自分の試聴環境という箱庭のなかで感じている事柄に終始している。その点については、自分なりに行動して、音楽を噛みしめてもらいたい。それが聴き手としての、せめてもの責任でもあるように思う。


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